2010/03/01

日記「真央とヨナへの違和感」

「世界最高得点の謎」「終わっちゃうのって悲しいよね」ほか。

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■10/02/25(木) □ 真央とヨナへの違和感
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快適なオリンピック臨時トレインで
 【オリンピックムード味わいツアー#2】今度はオリンピック関連エキジビジョンが3つほどあるグランヴィル・アイランドへ行った。なんと今はうちの近所のコキットラム駅からトレイン2本とオリンピック臨時シャトルトレインを乗り継ぎ、グランヴィルまで行けるようになっているのである。こりゃまるで東京じゃないか、すごいなと乗り継ぎのたびに感動しラクラクと到着。やっぱ電車はいいよなー。オリンピックを機にこれほど素晴らしいパブリックトランスポートができているとは、恐れ入りました。萌はカナダ応援帽子をかぶっています。

 グランヴィルは大賑わいだったが、各国パビリオン的なものは結局入れず、1時間半も並んでMが目を付けていた「イーストコースト館」に入る。これは東海岸の料理学校生徒が作ったシーフード味見のみと実はしょぼかったのだが、このムール貝蒸し煮とチャウダーがめっちゃうまかった。調味料が何も入ってない完璧にシーフードだけで出たダシが素晴らしく、昆布の入ってない鍋という感じの絶妙な味がする。料理学校生徒にこんなにうまいものがつくれるのに、なんでレストランはハズレが多いのだろう。

 次に行ったのは「フランス語館」で、これはもちろん萌のフランス語を試すという目的で入ったのだ。入るやいなややや緊張しつつも決然とした面持ちで萌はブースの女の子にフランス語で話しかける。そしてペラペラと長時間会話を楽しんでしまうのだから驚いた。難しい語彙はおそらくないのだろうが、英語・日本語とまったく同じように無問題で喋っている。うーん、すごい。俺とMは内容がチンプンカンプンで横で聞いてるだけ。

 萌は自分がフレンチを喋れること、それがこうしてフランス語圏で完全に通じることに大いなる喜びを感じ、次々にブースに飛び込み「このブースはなんなんですか?」と会話をして景品をもらってくる。ついに全ブースを制覇し、ポスターやらバッジやら帽子やらを大量にゲットしました。フランス語科(※)に萌が入りよかったと思ったことは俺は正直あまりないのだが(何をやってるか課題がわからんので嫌だと思うことは多々ある)、実地でここまで喋れるのを目の当たりにすると、その効果のすごさを認めざるを得ない。
(※)教室では英語を喋ってはいけないという、カナダ公立学校のフレンチエマージョン(フランス語漬け)プログラム。


ダウンタウンの賑わい。萌は
フランス語館でもらった帽子を
かぶってます。
 帰りはトレインを1つ前で降り、バンクーバーのオリンピックホコ天の雑踏を歩き帰ってきた。街頭芸人やらイベントテントやらで盛り上がっておりお祭りムードで楽しい。例によってピンバッジの屋台が大量に出てるので、萌はこういうの欲しくないのと聞くと、「ほしい!」と目の色を変えて物色し、日本の旗がついてるやつを苦労して見つけ購入。これはいい思い出になるだろう。

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◆女子フィギュアスケート・フリー
【安藤美姫】何がポイントなのかよくわからないアラビア風を粛々と遂行し、本人も客もこの演目の何を楽しめばいいのかわからんという感じで終わる。カナダ解説もダイナミズムの不足を指摘し、「ミキは慎重にやりすぎている。慎重にやって、上位が落ちるのを待つという戦略なのかしら」とコメント。そういう計算ずくをするメンタリティが日本女子選手にあるとは思えず、観衆を沸かせられなかった振付・コーチ選択の失敗としか言いようがない。

【キムヨナ】連続ジャンプを笑顔のまま軽々と決めていく。短い助走でダブルを完璧に回ってしまうところやエッジをきかせくるりと弧を描いたりする優雅さが素晴らしいが、「オリンピック史上最高のフリー演技の一つでしょう!」とアナウンサーが連呼するのには違和感を感じて仕方がない。あっさり淡白な味わいで、そんなに特別なものを見ているとは感じられないのだ。単にうまいから余裕で苦もなくやってるように見え、ゆえに全身全霊を傾けた演技に見えないだけのことかな。このプログラムの地味さはコーチが男だからというのもあるのだろうか。

 「そんなにすごいかなあ」と俺がつぶやくと解説を聞いたMが、「エッジのイン・アウトとか、素人には分からない細かいところが全部ポイントになって差がついてるのよ」という。そりゃそうなんだろうが、素人に見えないものが本当に大切な美なのだろうか。カナダ人は何事も前評判を鵜呑みにするところがある(俺は逆に前評判を疑うクセがあるが)。キムさんはコーチがカナダ人の元悲運の人気スケーターで、本人も英語が喋れるというところもポイントが高いのだろう。

 ヨナさんの演技が終わり、「史上最高得点! 世界新記録だ!」と大騒ぎになる。そんな新記録って言ったってフィギュアは採点システムがコロコロ変わるわけで、数字で盛り上がる種目ではない(※)。スコアはともかく小味が端々に効いて見事でしたというのが俺の感想。
(※)翌日の英字記事で、「もしヨナが後半ただ8の字を描いて滑っていたとしても、スコア上はヨナが浅田を上回っていたことになる」「オーサーコーチは、『あれほど完璧だとそういうスコアが出ることもあるんだよ...』と語尾を濁した」という記事があった。それくらいインフレの激しかったスコアだということだろう。

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【浅田真央】キム様万歳と大騒ぎになってる中リンクへ登場。もう逆転なんてあり得ない点差になってるわけで、とにかくやれることをすべてやりきってほしい。SP同様緊張の面持ちながら果敢にアタックする浅田さん。中盤まではヨナひいきの解説までもが「彼女は最後まで諦めず戦い抜く覚悟だわ」と嘆声をもらすほどの演技を見せていたのだが、その直後のトリプルで回転が足りず、次のジャンプで氷に足を引っ掛けてしまい万事休すとなる。力尽きた。こうなると残りの時間はどう熱を込めて演技しようとも過剰な荘厳さだけが重く響き、見ていてつらくなってくる。フィニッシュでの悲愴な表情は実に悲しかった。

 どう見ても本人の資質になさそうなこういう鬼気悲壮激情を演じるというのはしかし、どうなんだろう。あれほどイノセントな魅力にあふれた少女が、生まれてこの方プライベートでしたことがなさそうな表情と感情を演技のために全身にまとっているわけで、フィギュアスケートというものにそこまで演劇的要素を込めるべきものなのかどうかよくわからん。あれほどのアスリートがなんでそこまでしなくちゃならんのだ、美しいジャンプと滑りを心ゆくまで披露してくれるだけでこの上ない眼福になるではないかという筋の通らなさを感じる。この曲でたとえすべての技が成功していても、痛々しいという俺が受ける印象に変わりはなかっただろうし、キムヨナさんよりいいとも思わなかっただろう。

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【ロシェット】浅田さんがこうなった以上は、ジョアニーに完璧な滑りで銀を取ってほしいと皆で期待する。彼女は練習から完璧な集中を見せており、スケートなしで歩く姿からしてチャンピオンとして振る舞い、グレイトなことを成し遂げるためのゾーンに入ってるのが明らかだった、だが能力がその精神にわずかながら追いつかず、ミスをして得点は伸びず。浅田さん同様彼女もSPのほうがよかった。

【長洲未来】そしてフリーも長洲未来さんが一番よかった。スコアはともあれ解説にも会場にも一番ウケていた。浅田さんもあんな異様に荘重なロシア風ではなく、こうした軽く明るく飛びしなるスケートをやってほしかった。ロシア振付なんて、浅田さんのイノセンスを世界に見せる機会をゼロにしただけではないか。

 韓国国内はともかく世界スケート界がキム様万歳になってるのは何かが絶対におかしいと感じるが、それとは別に浅田さんの点が伸びないのは、実は見てて心地いいかどうかという単純な部分があるんじゃないだろうか。この点差は若い女性のよさをスポイルしているロシア的美学への「古い!」というメッセージなんじゃないのかな。浅田さんがあの超級の身体能力とイノセンスを全開に楽しく滑ってくれたなら、誰もが喜んだろうしさぞかし素晴らしかったことだろうと残念で仕方がない。コーチ(=本人の方針?)を変えない限り浅田さんは今後もキムさんを敗れないだろうが、長洲さんはこのまま行けばどこかで必ずやってみせるだろうと思う溌剌たる滑りだった。

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 4年前の日記を見ると、荒川さんの滑りに俺は「義務ジャンプをこなした後の残り時間は本当にため息をつくしかない、体全体でおーほほほほと笑っているかのような女王の滑りであった。素晴らしいとしか言いようがない」と感動しているが、今回のメダリストたちの滑りはそこまで俺の琴線には触れなかった。ヨナ・浅田さんのほうが荒川さんより数段格上の才能を持つアスリートだと思うが、しかしそれと感動は別なのだ。

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■10/02/26(金) □ 世界最高得点の謎
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 話題になってるので、浅田真央さんの涙のインタビューというのを Youtube で見てみると、悔しさでボロボロになりながらも、死ぬほどつまらない、何のインスピレーションも呼び起こさないインタビュアーの質問に最後まで答える姿が健気の一語。今回浅田さんの滑りも喋りも初めて見たのだが、どうしてこれほど人々に愛されるのかがよくわかった。なんか天然なアイドルみたいな子なのかなと思っていたけれど、天才で健気なんだから、そりゃ愛さずにいられないな。

 Mは女子フィギュアの表彰式を見て、シルバーを取ったのになんであんなにアンハッピーなのといぶかっており、泣くのをこらえているだけではないか何を言ってるんだと俺がやや声を荒らげたのだが、Youtube の英語コメントにも同じような感想がずらずらと並んでいる。欧米人には悔し泣きというのはメンタリティとして理解できないのだろうか。負けて笑うのは立派なスポーツマン精神だが、笑えないほど打ちのめされることだってあるのである。

 四年に一度の一瞬の完璧さに人生をかけ、夢破れて打ちのめされた人の涙の意味を理解できないメンタリティがつまり、オリンピックに楽しい楽しいスノボクロスやらビーチバレーを組み入れているんだよな。

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 Youtube のこのページから『キムヨナ選手の「世界最高得点」の意味を考える(MURMUR 別館)』という熱心なフィギュアファンのページが見つかり、キムヨナさんの今回のSP超高得点はやはり異常だというストイコ、キャンデロロらのコメントも読めた。キャンデロロはフランスの放送で真央との得点差に激怒していたとのこと。カナダのスケート記事はクイーンキム万歳一色なので(※)、ネットでもこうしたコメントが見つからなかった。動画を見るとストイコは、「あまりにも高すぎる、馬鹿げている (way too high, ridiculous)」と言っている。カナダのTVコメンテーターと正反対の意見だ。

 この人の記事が点差増大の経緯をまとめてくれているのだが、
  • 高難度ジャンプ失敗の厳罰化とエッジングの厳格化で調子を崩す選手たち
  • しかしキムヨナのみ厳格化除外
  • 過去3年くらい同じプログラムで点数がどんどんと上がっていくキムヨナ
  • 韓国系カナダ人の ISU スケート協会副会長(まるで鄭夢準!)の存在
  • 韓国協会のロビー活動

 等々、WC2002 そっくりのバックグラウンドがあるのだそうだ。うーむ。まあしかし真偽の程も WC2002 と同等なんだろうな。起こった現象と状況は限りなく怪しいが、韓国選手が究極の力を出し切り素晴らしかったのは事実だということで。こういうもろもろを読んでも男女フィギュアの順位が不当だとはまったく思わないが、史上最高銀河系スコアを俺が不自然と感じたのも道理なのだと裏付けが取れ、気持ちが落ち着いた。

 浅田さんは彼女だけができるベストをびしっと示すことで、キム様万歳の流れと戦い抜きたかったのだろう。しかし彼女はスランプに陥っても帰ってきて銀メダルを取ってみせたのだ。まだ 19 歳で、幸いに日本人なのでこれから体重がつくこともあるまい。今後を楽しみにしよう。しかし俺がフィギュアスケートをこんなに熱心に見ることになるとは思わなかった(汗)。

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 スピードスケートの【団体追い抜き】という種目決勝になんと日本女子が残り、相手は準決勝で痙攣で倒れたジャーマニーだ、勝てると盛り上がる。実際レースが始まるとドイツ選手は疲れているのか動きが鈍く、日本チームは他のチームが全然やってないきれいなローテーションを実行してあっというまに大差がついていく。金メダルレースなのにこりゃ一方的になってしまった、これ以上見苦しい差はつけずペースを維持してもらいたいと思っていると、残り1周でドイツがぐあああと加速し追いついてきた。


なんてことだの団体追い抜きレース
 うわ、頑張れ頑張れ頑張れ抜かれるなと萌と必死に応援するも、ゴールインは完璧に同時。残ったか? ―――あー、日本選手の足が1本ゴールを超えてない~~。これで今回日本は金メダルなしとなってしまった。ま、これは取れたら望外の番狂わせだったので、よく頑張ってくれましたというところだが、選手はあの足を引っ込めていればと悔しいことだろう。萌は5分もの間、へたり込んで呆然としてました。まことにまことに金メダルというのは難しいね。

 あとでちょうどドイツ移民の子であるM姉の旦那が来たので「ドイツの女は強い」と話すと、「あいつら実は男なんだ。腋毛もそってない」という。そうかー(笑)。

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 浅田さんのエキジビジョンを見て、この人は本当にスポーツの天才なんだなと感じる。3回転くらいだともうほとんど止まったようなスピードからふわっと驚くような高さに浮かび回ってみせる(また氷に足を引っ掛けていたが)。本番よりもこのエキジビジョンのほうが音楽も演技もよかった。リズムにのって首を激しく揺すり踊る動きなど、スケートの大技に勝るとも劣らない強さで俺の目を捉える。なんでこの天然の美を本番で見せないのかなあ。彼女のこの笑顔が見たかった。実に惜しい。「MURMUR 別館」さんによればやはりSPもフリーもロシア曲で重すぎるとファンの間でも賛否が別れたのだそうで、ロシアの大御所おばあさんコーチを選んだのが道の誤りだったのだろう。

 本番が終わると研ぎ澄まされたものが緩むのか、どのスケーターもジャンプでミスを連発していたが、プルシェンコは本番同様ぶれていてもスポットライトに氷を飛ばし転ぶ寸前まで攻めたジャンプを飛びまくり、ライサチェクに至っては本番とほとんど同じなんではないかと思うほどの密度の演技を完璧に決めてみせ、プルシェンコよりもウケることで金メダルの説得力を証明してみせたのが面白かった。

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■10/02/28(日) □ 終わっちゃうのって悲しいよね
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 【ホッケー決勝】予選で米国に為すすべなく負けて以後は反省し調子を取り戻しているらしいカナダが、2-1でリードを保ったまま試合が続く。しかしリンクがオリンピック国際規格より幅が狭い(4m?)NHL規格なので、双方調子がよく陣形のバランスが取れているとパスなど通すスペースがなく、ドリブル(?)で持ち上がってチェックで潰され、反撃してチェックで潰されが延々と繰り返される。試合はピンチとチャンスの繰り返しなので白熱しているが、やってることは持ちすぎパスなし小学生サッカーみたいなもので、俺のような部外者にはさほど面白くない。オリンピックだけは広いリンクでパスが通りカウンターが効き、速い選手、強い選手といった個性も際立つのでホッケーが面白いと思っていたのだがなー。どうしてアメリカカナダってこう単調なスポーツが好きなのだろう。

 最後の1分、自陣にこもったカナダを米が猛攻し、なんと残り25秒で追いついてしまった。この国ってやっぱガッツあるよなあと認めざるを得ない。結局延長戦でカナダがサドンデスゴールを決め、盛り上がる国中の映像が流され、うちの近所からもラッパの音と花火が上がりまくり、ハッピーな幕切れとなった。よかったよかった。友達の家にいた萌を迎えに行くと、道にホッケーシャツを着た人々が溢れ出し旗を振りラッパを吹いている。国中大盛り上がり。よかったよかった :-)。

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 【閉会式】異常にイモな「オーバンクーバー」と歌うバンド、つまらんポップシンガー、オペラ歌手連発と開会式よりもはるかにつまらない演し物が続き、会場がしーんとしている。各種スピーチがあって、やっと、やっときたのニールヤングが「Long May You Run」を歌い(スタジアム中が歌える「Heart of Gold」をやるかと思ったが、それじゃ「金メダルにひっかけた」みたいで下品か)、その後は終幕までトーク&ミュージックショーとなった。

 トークはカナダで一番ウケる「あるある」もので、世界の人々は「カナダ人はなんでもないことに『Sorry』とつい言ってしまう。」「カナダ人はバックベーコンを食べている」「国全体が氷漬けだと思われている」などなどの、カナダに対するステレオタイプ観念をからかうものが多い。こういうゆるいジョークが妙に好きだというのもカナダ人の特徴だと思う(笑)。

 後は延々と音楽。しかしこのミュージシャンの粒がどうにも揃わない。アヴィリルラビーンははまあ旬だからいいが、アラニス・モリセットはバラードをやっちまうし、その他は名前も聞いたこともない若手バンドがぞろぞろと出てきて実にレベルの低い音楽をやらかしてしまい、客もアスリートも盛り上がりようがなかった。もっといいのはそれなりにいるぞ。ファイストとかベアネイキッドレディーズとか呼べなかったのかね。

 ニール・ヤングが歌ってる時、彼のあとカナダから1人もロックグレイトが出てないのはなぜなのだと考えたが、強力女性ポップボーカリストはどんどん出てくるのにバンドはホント駄目だなとつくづく思う。開会式はカナダ文化をうまく表し見事なものだったが、閉会式はカナダポップ音楽のレベルの低さを示すプレゼンテーションになってしまいました。残念。

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 閉会式が終わったTVをぼんやり眺めながら、あーあ、終わってしまったなと萌と話す。萌は「終わっちゃうのって悲しいよね、ハワイとか、スリープオーバー(お泊り)とか」とつぶやく。そうだね、寂しいね。お父さんが子供の時札幌オリンピックがあって、子供たちはすごく盛り上がったんだよ。萌もこのオリンピックをきっと絶対忘れないだろうね。

1 件のコメント:

  1. From: 久保の眼@共犯新聞

    ■サカタ@カナダがブログで「真央とヨナへの違和感」を書いていたけれど、つまりは、ヨナは「素人に見えないものが本当に大切な美なのだろうか。」で、真央は「フィギュアスケートというものにそこまで演劇的要素を込めるべきものなのか」で、ついでに(がくっ。)安藤美姫は「慎重にやって、上位が落ちるのを待つという戦略なのかしら」で、サカタが最も感心したのは、日本人から生まれたアメリカ人の長洲未来が見せた(そして真央が見せなかった)イノセントだ。

    ■さすが多くのスポーツ選手と通訳などの立場で行動をともにしてきたサカタ。説得力がある。しかしスポーツを言葉に置き換える(=つまり、これも「翻訳」。)ことの難しさと、そもそもその意味と価値を考えてしまう。実はそれはフィギュアスケートという主観的な採点方法をせざるを得ない種目がかかえているジレンマそのものだ。つまり、フィギュアを言葉で考えることも、フィギュアなのだ。

    ■サカタは真央がフリーで選択した曲があまりにも「芸術的」すぎて、彼女の魅力の中心であるイノセントが消されてしまったことを残念に感じている。なるほど。私はそこに、19歳でありながらすでに前オリンピック・シーズンに1位を経験してしまった彼女がはまってしまった呪いがあったのだと思う。言い換えれば、最初から完成していた者の重荷(=不幸?いや、宿命、だな。)だ。イノセントを4年間持続することの不自然さは、見る側は感じなくても、演じる側は痛いほどに感じてしまうのだろう。これがタイムや距離を競う種目であれば課題はもっとシンプルであったろう。(もちろん、よりシンプルなものが、より簡単だとは言っていない。)

    ■表現のヒエラルキーの一歩先に悲壮感を選択した真央と、映画『007』の大衆性を自分のものにしたヨナ。それだけでも明らかにヨナのほうが自由だ。人間が氷の上でわざわざ刃の付いた靴をはくのは、自由を手に入れるためなのだから。

    ■今回のオリンピックが4回転などの高度な技術よりも全体の流れのスムーズさ(=たとえばジャンプの高さよりも、着氷後のなめらかな動き。)を重要視した採点方法を選んだのには、フィギュアスケートとは一本の長い線を見せることなのだ、という隠し課題があったのであり、そしてそれに気が付いていた者が勝ったのだと私は強く感じた。

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