2012/09/18

【日本滞在記・終】かけがえのない時間

「買い物天国ジャパン」「猿公園と古物屋」「至高のすき焼き」「帰国」

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■12/08/27(月) □ 買い物天国ジャパン
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 本日はMの体調すぐれず観光オフ。まあカナダからついて休みなく活動してるのだから、1日くらい全休でもよし。ADは出かけたそうな顔をしているので、スーパーその他の用足しに連れて行った。スーパーの魚と肉の棚を全部説明し見て回る。

「うちのおばあちゃんは食材にうるさいので、一般的なスーパーよりもちょっとお高いこっちのスーパーをひいきにしている」
「つまりあっちは庶民のスーパーで、こっちはハイソサエティのスーパーなんだな」
「その通り」

 実際魚とかイキがよさそう。さんまとかほんとうまそう。



午後はホームセンターへ連れて行き買い物。皆で座布団だの弁当箱だの水筒だのを買いまくる。日本はカナダで買えない面白いものばかり売ってるので、5人とも買い物量がタイヘンなことになっている。弁当箱なんて見るからに高性能高機能で、ほしくなっちゃうのだ。去年のイングランドは歴史と博物館探訪の旅だったようだが、日本は食べ物と買い物の旅だよな。買い物天国。全部無事に持って帰れるかな。特に俺が買った長座布団と、ADが戸隠で買った木刀が問題である。

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 晩飯に実家焼肉屋の賄い飯オカズが届く。おばあちゃんが作ってくれるご飯だけでも毎晩2食分ほどのメニュー数なので、これで3食分である。うれしい悲鳴としか言いようがない。

 この亭主奥様の賄い飯がまたうまくて、こないだは鯖味噌をADがおかわりしたのだが、今日はなんと奥様が海水浴時に買ってきたというエイが出てきた。エイってなんだ? あのスティングレイだよと手をひらひらさせるとADがおおおと喜ぶ。トロトロしてゼラチン質でなかなかおいしい。賄い飯に出るくらいでそれほど高いものではないそうだが、あんなものが食えるなんてすごいよな日本。

 実際日本の食べ物のえらいところは、高いものでなくてもおいしいところで、これほど極度の不況でも従業員の食べ物までちゃんとうまい。おばあちゃんの作ってくれるものも、別に高級なものではなくナスの味噌焼きやタケノコの味噌汁などフツーの日本の晩ご飯で、これがしみじみうまいわけである。盛夏という季節もあって、ナスもきゅうりもトマトも桃も、とにかくなんでも新鮮でうまい。うまいものを使いささっと手早く作るからうまいのである。日本家庭ご飯の底力である。



 帰国が迫り、萌はカメラを持っておばあちゃんの家とその周りの写真を撮りまくっている。特に子供たちと遊んだ家の前の駐車場なんかを念入りに撮っている(この旅で萌は計 1500 枚! の写真を撮影)。そして夜になるとあと4日だとため息をつきポロポロと涙を流す。最後の日に大泣きになるのはもはや明らかである。

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■12/08/28(火) □ 猿公園と古物屋
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すでに腰が引けているお嬢様/バッグを狙う若猿。このくらい近づかれるとやはりこわい。

日本滞在大詰め、本日は信州山ノ内町・地獄谷野猿公苑へ。

 公園の管理人に聞くと夏場は風呂の温度は下げてるらしいが、さすがにこの季節は風呂に入っていない。しかしまわりじゅうサルだらけで、サルの数は前に来た冬場より多い。ありとあらゆる日陰に猿がいて、あついーといっている。猿好きの天国である。

ひとしきり見て岩の上に腰を下ろすと、若くイタズラなサルたちが忍び寄ってきて、持ち物を盗もうとする。かわいい。もちろん持ち物に触らせてはいかんのだが、ADは飲み物のボトルにサルたちの指が触れそうなくらいまでギリギリまで誘い遊んでいた。日陰にいればいつまでも眺めていられるくらい楽しかったな。






帰りに地獄谷訪問時恒例の湯田中の親戚味噌屋・関谷醸造を訪問する。いつもの通りおばちゃんは訪問に喜び、そばやらなにやら注文しようと忙しく立ちまわるので、いやいやいやいやおばちゃんと話をしに来たんだからと腕をとっ捕まえて座らせ、ゆっくりと話をする。うちの母さんもそうだが、田舎のおばちゃんの世話情熱はすさまじい。

 味噌に興味をもつADのために工場を見せてもらうと、今はもうあの味噌の大樽は記念に1つ残してあるだけだった。子供の頃は蔵中にこれがあって、仕込みの時なんか大人数ですごい活気だったんだよな。

 カナダサカタ家とAD家用にそれぞれ味噌をもらってきた。また荷物が重くなるが、これはなんとしても持って帰らなければならない。毎朝おばあちゃんところで食べているきゅうりについてる味噌が、ここの味噌なのだから。




これは4年前の同店。今はもっとキツキツ。
萌の前にあるお椀がソレだと思われる。
帰路中野の古物屋に案内すると、予想通りADの好奇心が炸裂した。「なんだこれは! すごい!」と古い正体不明の道具たちを見て興奮する。民俗博物館に飾られているようなものが店頭で売ってるんだもんな。ここはたしかにすごいよ。

 放っておけばいつまでも見ていそうだったが時間が限られているので急かすと、ADはでかい木のボウルのようなものを持ってきた。なんだかわからないが古く使い込まれていてスゴイ(たぶん4年前の上の写真に写ってるお椀、そば粉をこねる椀だとのこと)。これをレジに持って行くとレジ横の中古竹刀が彼の目に入り、これを開けてみると程度がいい。これも息子へのみやげに2本ほしいという。まあすでに戸隠で木刀を買ってしまっているので、持ち帰りの大変さは1本でも3本でも大差なかろうから、好きにしてください(笑)。帰り道で彼はニッコニコであった。

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■12/08/29(水) □ 至高のすき焼き
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 日本滞在は残り2日。観光は昨日のモンキーパークでほぼ終わりで、みんなを善光寺に行かせ俺はカナダへ持っていくおみやげ荷物を成田まで送る手配をする。もう帰るんだと思うと猛烈に日本滞在機会がもったいなくなり、焦って大量の古本を買ってきたりしていた。




創業85年(?)、信州牛の須坂 宗石亭とその店主、サカタ兄。

夜は今回の旅の食べ物上のハイライト、我が実家須坂・宗石亭で大定番信州牛すき焼きをいただく。この萌のとろける顔がすべてを物語っている。うますぎ。みながこんな顔になってしまう、至福の味であった。やっぱサカタの肉はうまいよ。焼肉だと客の火加減焼け具合で肉の実力を出し切れない失敗もあるが、すき焼きはハズレなし。百発百中、これぞ伝統の味である。




(本人の名誉のため写真小さめw)
ADとSHは京都で自分たちだけミシュラン★★★1人3万円の料亭に行ったほどの食べ物好きなのだが、信州牛と宗石亭のタレが作る絶妙なるあの味に「インクレディブル! インクレディブル!」と何度も何度もうめいていた。付け加えるならその料亭のお値段は、今夜のだいたい1週間分ですからね。

萌は宗石亭のランチとんかつとこのすき焼きのうまさに、「I'm so proud of being サカタ」と何度も宣言し、おばあちゃんところにあったサカタ宗石亭の包装紙を記念にもらって来ました。めでたしめでたし。

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■12/08/30(木) □ かけがえのない時間
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昭和7年創業とのこと。この煙突も完璧に現役。/すべてが木造。素晴らしい。


須坂滞在最終日、渡日前からADたちが行きたいと願っていた酒蔵の見学に行く。行くというかおばあちゃんちから徒歩1分に酒蔵があるのである。俺が子供の頃忍び込もうとして塀に登っては怒られていた酒屋、地酒「臥龍山」の松葉屋さんだ。

 30年前うちの店(宗石亭)に出入りしてた怖いおっちゃんは今聞くと松葉屋さんの番頭さんだったとのことで、当然ながら先代店主ともどもお亡くなりになり、今は当代の奥様が経営されてるとのこと。この奥様がうちのおばあちゃんと懇意だということで、中を見せてもらえることになった。「昨日宗石亭でここのお酒をいただきました、おいしかったデス」とADが奥様に挨拶する。

 案内され入ってみて驚いた。この酒蔵に入ったのはもちろん初めてだが、俺が子供の頃に行っていた湯田中の親戚味噌屋・関谷醸造の、今はなき旧式醸造所がまんまそこにあるのだ。こんな総木造の超レトロな昭和の酒蔵がこんな町中に残っていたとは。細かいディテイルが全部昭和っぽくて、俺はいちいちおーっと声を上げまくる。おばあちゃんも懐かしげ。カナダでワインの卸もやっていたADは醸造にも興味があり、工程を細かに尋ねては「ワインと同じだ。なるほど」と深くうなづいている。




これですよ。この樽・樽・樽。なつかしー!


そして薄い板張りの階段というか橋を渡ったところにあったのが、これですよ。ばばーん。巨大な樽・樽・樽。子供の頃の記憶の関谷醸造そのまんまだ。すごい。関谷ではこの樽に味噌が入っていたわけです。スゴイ。

 敷地の広さも驚きで、小学校の通学路の左側は、実は全部この酒蔵の塀なのだった。完全にクローズドな邸だったのでまったく知らなかった。駅前の一等地でこの広さ、地価が高くて税金が大変なのだそうである。そんな杓子定規に税をかけるなよ、こういうのは文化財だよな。


昭和の事務所が完全に現役状態。昔の我が家みたいなタイムトリップ感覚。


 いやーいいものを見せてもらいましたと、店頭の囲炉裏を囲む事務所内の試飲所でお茶をいただく。この事務所がまた昭和で、曇りガラスに引き戸に日めくりカレンダーに時計からもー俺の子供時代がそのまんまですよ。21 世紀のものが何一つない(笑)。こんな時代の真空パックを見れて本当に感激であった。ありがとうございました。




最後の晩御飯をいただき、晩飯後に花と写真と手紙をおばあちゃんに渡し、日本におけるすべてのイベントが終了。ADたちは1週間以上も毎日うまいものを食わせてくれたおばあちゃんを外食に連れていくとか、なにか買ってあげるとか、もっとでかいお礼をしたくて胸が張り裂けそうだったのだが、日本のおばあさんは欲がないのでお礼のしようがないのである。花と写真と手紙、これ以上のものはたぶんないだろう。それと毎日見せた喜ぶ顔とね。

 最後の別れを告げて家に帰るイトコたちを送り、萌が号泣する。クライクライクライ。



 皆が寝静まった頃やっと萌が泣き止んだので、リビングに2人で座り、TVを見ながら最後のプリンを食べた。最初の日もプリンだったよねと萌がまたセンチメンタルモードに入り泣きそうになるので、いやいやいやそういうことを言ってるとキリがないと止めて笑わせる。

 だけど萌、泣くから言わないけれど実は私も同じ気持ちだよ。スーパーでプリンを買ってきて一緒に食べた、あの日本夏休み初日の幸せな気持ちが忘れられない。

 玄関先の水浴び、プール、子供たちが毎夕遊んだ銀行の駐車場。くだらないTVを見てKNやKSと笑ったこと、ギターセッション。花火、高原ホテル、釣り、お祭り、盆踊り。京都、信州名所めぐり、忍者村。楽しいことを存分にやれたけれど、やりたかったのにできなかったこともやっぱりたくさんある。温泉とかラーメン屋とかね。暑さがきつすぎたせいもあるな。東京だって本当は行きたかったんだけどね。

おばあちゃんにプリントするために今日全部の写真に目を通したのだが、胸が痛くなるほどいい写真がたくさんある。かけがえのない時間をカメラはきれいに写し取ってくれている。



 子供たちがああして一緒に無邪気に遊んでくれることを楽しみに、はるばる海を渡ってきたんだぜ。ホント。

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■12/08/31(金) □ 帰国
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余裕のあるスケジュールを組み、成田へとゆっくり移動していく。駅でおばあちゃんと涙の別れを告げた萌は、電車が出てもしばらくメソメソと泣いていたが、やがて自分の泣き顔の写真を撮り出した(笑)。もう大丈夫だな。

 上野でうまいテイクアウトフードを首尾よく見つけ、食べながら成田へ。懸案の木刀竹刀と古椀セットも無事チェックイン。俺の長座布団も丸めて風呂敷に詰め手荷物して無事テイクイン。味噌も、萌がもらったおばあちゃんの手作りジャムもきちんとパックできた。すべてがうまく行った。



 帰路はなぜかシート間が狭く空調も暑く、JAL マークの神通力も霧散するようなフライトで疲れた。バンクーバーは20度とさすがの涼しさ。空港での別れ際、ADは「この旅はこれまでで最高のバケーションの1つとなったよ」と言ってくれた。いやあ隣の客はよく柿喰う客なりとして、キミもよく期待に応えてくれたよ。ADは食い過ぎて最後は明らかに太っていたが(笑)、よく食ってよく喜んでくれた。いいお客であった。

 実際暑さ以外はほぼすべてがうまく行ったし、特に信州編は長野での土地カンとおばあちゃんの食べ物のおかげで、どこへ出しても恥ずかしくない特級品の滞在だったと思う。それこそ京都で渇望した「どこへ行き何を食え」情報が自分とMの中にきっちりあったわけだからな。戸隠での忍者事件なんて語り草になるような経験もしてもらえたし。

 アフター旅行鬱になっている萌は、「日本だったらああだったのにこうだったのに」といつまで経ってもメソメソしている。

 もういいから寝なさい。いい旅行だったよね。明日さっそく関谷の味噌きゅうりとおばあちゃんのジャムトーストを食べよう。早く寝なさい。おやすみ。

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