2012/11/22

日記「ストーンエイジは大傑作でしたすいませんでした」

「YOLO なティーン」「朝ドラと創作者エゴ」「カルカソンヌは偉大だ」「ストーンエイジに開眼」「SA 戦術研究」「ストン初勝利」

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■12/11/08(木) □ YOLO なティーン
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 萌の学校の戦没者追悼記念式典に行ってきた。毎年書いているが(変わり映えせずすいません)、"自由のため戦い犠牲になった" カナダ兵士に感謝を捧げるのはいいけれど、その何百倍もの市民も戦争により世界中で死んでいるわけで、そっちにより心を配ってもらえないかと思う。戦争がある国、あった国の悲しみは子供らに何も伝わっていない気がする。萌なんか「すごい厳粛なんだからお父さんも敬意を払ってよね!」って感じで、イベントとして張り切っちゃってるもんな。

 しかし感極まった様相で「犠牲となった兵士たちに感謝しなければならないのです!」と叫ぶ子供らを見れば、これってカナダの愛国教育なんだろうな。他国を攻撃してるわけじゃなし罪はないとは思うが、愛国と戦争反対を両立した教育イベントにしてほしいものである。

 金魚は1週間たち絶好調。ピンセットの先からミミズをついばむほど人にも慣れたし、水換えのストレスにもびくともせず、前回前々回の金魚たちよりずっと安定していけそうな気配である。

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 萌に Owl City とかジャスティンビーバーを聞かされ気がついたのだが、米加のポップソングはパーティの歌が多い。パーティでグッドタイムを過ごすということが青春の重要な1テーマとなっているようだ。これは恋人との1対1の関係が至上のものとやたらと強調する日本のポップカルチャーと異なるところである。

ティーンにはパーティがえらい重要なテーマみたいだねと俺が感想を言うと、「だって YOLO っていうじゃない」と萌がいう。また出たティーン略語。――YOLO? 「You Only Live Once(人は一度しか生きられない)よ」。

 どういう文脈でこれが言われるのかと解説してもらうと、人生は一度きりなんだから楽しまにゃ損ソンというセンスで使われるらしい。あ、なるほどね。

 しかし「人生は一度きりなんだから楽しまにゃ損ソン」と日本語で言うとなんか、人生応援系演歌っぽいな :-)。

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■12/11/09(金) □ 朝ドラと創作者エゴ
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 NHK 朝ドラ【純と愛】。解釈や批判を始めちゃうとめんどくさいので、楽しめるところだけ気軽に見ようと決めていたのだが、そうはさせてくれない番組である。『バカ兄が実はマリアを愛しており結婚式から逃げ、修羅場となり愛が純家族の本心を暴露する』という流れに至り、さすがに呆れて見るのをやめようか考え始めた。とにかく話がピーキー(強度エピソード山盛り)で雑でげんなりする。

 遊川和彦というこの脚本家は「日本一ダメな2つの家族を描きたいんだ」的なことを言ってるらしいが、それがそんなにエポックメイキングで独創的なことだろうか。結果としてここでは単に、非現実的な魅力なき人々の面白くない問題がキンキンとノイズをたて繰り広げられている。なんでこんな馬鹿げたハナシ(脚本)なんだと俺はそればかり考えている。

 「カーネーション」に出てくる人たちはみな糸子を通じて生き生きと実在していたのだが、このドラマの人物は造形された戯画で、役者がどう演じても脚本家の手から逃れられない。純の過剰な演技にかぶさり、「仕事の流儀」でつばを飛ばし怒鳴っていたあの顔が浮かんでくる。この番組で視聴者はドラマでも役者の演技でもなく、遊川和彦という人の創作エゴを見せつけられているように思う。

 ツイッターでの(好意的な人々の)解釈によれば、「人は弱く愚かなものだ」という傾きが彼の創作物にはあるらしいが、遊川和彦的に弱く愚かな人は俺は知らんし、そういう人と知り合ってその弱さを味噌汁に入れごはんにかけて食いたいなんて思わない。なのにそういうものばかり食卓にずらりと並べられるからうんざりするのだ。こんなもの注文してないですよと。

 「既存の朝ドラをぶち壊すという気概」なんだろうとも解釈されているが、だとしたらつまらんことだぜ。「カーネーション」は何も破壊することなく、朝ドラ以外では見られないような宝物を見せてくれたぜ。

 だいたい俺はこれが朝ドラだから腹を立てているのだ。これが週一ドラマだったら俺はただ見ないだけで、文句は言わんのだよ(※)。朝ドラには毎日話の続きが見られるというどうしようもない魅力がある。「カーネーション」はそれを存分に生かし楽しませて俺の生活を幸福にしてくれたし、「おひさま」「梅ちゃん」といった凡作ですら序盤は見続けてしまった。この連続朝ドラという場所は特別な場所なのだ。そういう場所で専横的なエゴを揮うのは行儀が悪すぎるだろう。他でやってくださいよ。

(※)実際 TV Japan でやった「家政婦のミタ」は見なかったし、今秋の「ATARU」「鍵のかかった部屋」「相棒」は見てないが、そのことにどうこう言うつもりはない。―――しかし映画も毎週「踊る大捜査線」をやってるし、日系視聴者はそんなに刑事ものが好きなのか? もっと子供が見るような青春コメディをやってくれんかと要望だけは送ろう。

 まったくこれは腹が立つ。腹が立つと健康に悪い。俺は落ち込むことがあると寅さんを見るんだけど、これには逆の効果がある。今夜は寅さんを見て寝よう。

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■12/11/11(日) □ カルカソンヌは偉大だ
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 Yucata でゲームを覚えようシリーズ、続いて「ハワイ」「マオリ」「ヴァイキング」とやってみる。こうしていろいろやってみると、やはりカルカソンヌというのは飛び抜けて優れたゲームメカニクスだと思う。四角いタイルに3種の地形を持たせるだけでこれほどのゲームができるとは、作者も作り始めてから自分で驚いたことだろう。

 俺はやがてゲーム内で生産や拡大といった複雑なことをしたくなりカルカソンヌからは離れてしまったが、それでもこれまでに体験したボードゲームでカルカソンヌの仕組みが一番すごいと今でも思う。うまい人とオンラインで勝負をすれば間違いなく面白いゲームになる。各種拡張やカルカソンヌ2によって、オリジナルとは違った戦略をやれるのも素晴らしい。

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■12/11/13(火) □ ストーンエイジに開眼
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オンライン Yucata ボードゲーム習得シリーズ、昨日から大物「ストーンエイジ」にトライ中。原始の村でサイコロを振り木や石を集め村を栄えさせるというベストセラーである。これはルールを習うために1人2役でテストプレイを何度もやり、「リソースを取るまでは楽しいが、カードを買っても拡大要素が薄く好みではない」と思っていたのだが、対人となると「あの高得点カードがほしい、急いで資材を揃えねば」と熱い競争心がやはり芽生える。すると敵より先にカードや山の採掘所にコマを置きたくて、手番を待ち焦がれゾクゾクする。そうかこれがワーカープレイスメントの楽しみか

①自分がほしいカード
②そのために必要な資源
③それがどこにあるか


 この選択肢3要素がクリアーかつメイクセンスな(道理に合っている)ので、思考がサクサク進み場所取りに燃えられるのだ。

 同じくワーカープレイスメント(WP、先にコマを置いた人だけがその場所の利益を得られるというルールで構成されたゲーム)の「Lord of Waterdeep」では、①自分の達成すべきカードが複数あるため②いま必要な資源が曖昧で(敵が狙う資源も不明)、③そのリソースは単なる色なのでどこにあるかに必然性がなく、この場所取りが一向に盛り上がらなかった。今思い返しても「今は白が必要で......白はどの城にあるんだっけ」という黙々とした静かなゲーム風景しか思い出せない。

 WP の最高峰アグリコラは、①を常時何十もの選択肢から悩んで選び(畑や木土石金がそれぞれ微妙に違う3種類ずつあるような感じ)、それを「いつ」取るべきかという選択肢まで加わることで計算量が莫大になっている。BGG の SA ファンによるとアグリコラは、「経済学を専攻した奴らとマゾヒストがやるゲーム」だそうです(笑)。


 こうして対人でやってやっとわかったが、即時点を取る左下の建物(小屋)カード部分は急げや負けるなのカード争奪戦で、たとえば「チケットトゥライド」の路線争奪に似ている。狙っていた高得点カードをターン順のあやで取られたときはがっくりくるし、代わりにいいカードを取ればうれしい。チケライはゲーム性としてはこの単層しかなく(しかもこの路線争奪エキサイトもまれにしか起きないので)やがて飽きが来るのは否めないが、SA はこの部分を WP とサイコロで熱く複雑化しふくらませているわけである。

 夜熟練者との 2P 戦となる。その場その場で工夫して高得点の小屋カードを取る俺のベーシックな戦法でも途中ポイントはサクサクと気持ちよく取れたのだが、相手が文明カードの終了ボーナスで 200 点も取り 150-350 みたいなすごい点差になってしまった。うわー。初心者と熟練者でこれほど差がつくというのは、あまり好ましい傾向ではない。覚えなきゃ勝負にならない細かな得点要素が文明カード方面に多数あるらしい。ちょっと勉強してみます。しかしこれは面白いわ。久々にボードゲームでゾクゾクしている。

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■12/11/15(木) □ SA 戦術研究
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 昨日大敗した相手の熟練者の解説によると、大差がついたのは俺が文明カードを取らないから彼が全部取ったゆえだという。そこで文明カードのボーナス点というのを調べてみたら、カード下に書かれたマーク×村の人数みたいな感じで

●1 文明シンボル:種類の2乗
●2 畑おっさん数×畑開墾値
●3 斧おっさん数×道具の合計値
●4 小屋おっさん数×小屋カード数
●5 シャーマン数×住民数

 と5種類もボーナスがあった。昨日の人はこれを全部揃えたのだろう。気をつけていれば俺も文明カードを十分に取りもうちょっと差を詰められるかもしれない。文明カードのコストは小屋カードより安いんだもんな。実際安いんだからカードに書かれた内容はあまり重要ではなく、とにかく早い者勝ちで取るくらいの勢いでいいのかもしれない。よおし。次は勝つぞ。

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 【夜ストン】真面目に集中してプレイしてみると、ワーカープレイスメントの面白さがあらためてよくわかる。これはカルカソンヌ同様2人戦でも面白いな。敵の動向(持ちリソース)を見て狙いを見極めたり、相手の必要資材をブロックできるあたりが非常に面白い。必要ならば自分のミープルを捨てコマにしても相手の取得を妨害できたりする。今やってるゲームでは数ターンずっと相手にレンガを渡さないようにプレイしている。彼にレンガを渡さなければ小屋カードを取れない状況を維持してるのだ。

 カルカソンヌやチケライのような地形が重要なゲームだと、妨害は永続的でときにそのゲームでの致命傷となりうるので「どこまでやるか」というモラル的問題が生じるのだが、ワーカープレイスメントの場合妨害はちゃんとコストを払っての場所取りであり、そもそも1ラウンド限りのことなので(手番は巡るので次のターンは相手が有利になる)、やってもやられても嫌な気分にならない。妨害はそのタイミングをブロックするわけで、瞬間が過ぎ去れば流れていく。これはシステムとして WP の優れたところだ

 熟練者が文明カードでどんどんエンドボーナスを稼ぐところ(今回も相手が何点くらい取るのか見当がつかない)以外は、このようにビギナーでも存分に見通しとコントロールが効き楽しめる。これはグレンモアにも通ずるこのゲームの美点である。

 ミープルが7個くらいになり畑を開墾して食料も足りてくると、1ラウンドで何箇所も抑えることができ、コンボで非常に大きく局面が動き気持ちがいい。「1木であのツール3が乗ったカードを取り、そのツール3で木を大量に生産して3金のカードを買い、そのカードに乗った石であの 15 点小屋カードを買う」といったコンボが見つかると本当に面白く、他のプレイヤーが気づきませんように取られませんようにと高揚するのである。こういう頭の使いかたは俺がボードゲームをやって最も喜びを感じるところで、簡単すぎず難しすぎず、まことにちょうどいいのだ。

 アグリコラはこのやりくりが厳密を要しすぎ、やることすべてを紙に書いて計算したいくらいのシビアさだったのだが、SA はちょうど脳が気持ちいいあたりで計算量が足りるようになっている。見事である。

 手勢が増えると、「サイコロでカードから金が取れる可能性がわずかにあるから、金が必要な小屋カードに張っておいてみるか」なんて博打も打てる。これはコマ1つが地球よりも重いアグリコラでは無理なことであり、この辺のゆるさもまた実に楽しい。



 敵のレンガを止め小屋を取りまくり健闘したものの、今日も 197 (bonus 90) x 265 (bonus 200) で負け、しかしゲーム後ボーナス点を計算してみてボーナスの取り方がわかってきた。今日の相手は人と畑を満額の 10 にし、そこに「畑おっさんカード数」「シャーマン数」をかけて計 110 点取り、それが最大の得点だった。俺は畑は十分に作っていたが、畑おっさんカードはゼロだった。これはもったいない。たとえば俺が畑おっさんを3個奪う(コストを払えばさほど難しくない)だけでも相手から 30 点 削り自分が 21 点得て、50 点詰められたわけである。なるほどねーそういうことか。そういうところに勝負どころがあるんだ。人と畑の開発は村の運営上も、こうしてゲームエンドボーナスの見地からも重要なんだ。よしわかった。明日はここに気を使い必ず勝つ。

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■12/11/16(金) □ ストーンエイジは大傑作でしたすいませんでした
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 【ストン研究室続き】あれこれと用足しをしつつ「ストーンエイジ」を続行。ソロプレイ時は拡大再生産要素が薄いと思っていたのだが、拡大要素も十分にある。ただ作物で建物を買えばその機能でどーんと拡大加速する、プエルトリコ型の建築拡大ゲームではなかったのだ。

 拡大は村での労働の積み重ねによる畑開墾と労働力増強、道具開発という形で実装されている。これはどれも時間がかかり競争も激しく難しいが、達成感は高い。食糧生産量が人材数と等しくなると狩りに行く必要がゼロになり、大量の人員をすべて得点作業に割り振ることができる。このときの解放感は他で知らない。よし食い物はこれで足りた。勝負に出るぞ。お主らは山へ石と金を取りに行け。わしは文明と小屋を抑える。ぬかるでないぞ。いい目を出せよ。

 買い物でパーツを組み合わせ得点エンジンを組み上げるというのがプエルトリコ/グレンモア型の面白さで、ストーンエイジは労働力を割り振り他者を出し抜きいかに最大の効果を得るかというところに、違った面白さが詰まっているのである。そしてそのバランスは見事としか言いようがない。

 プランを気づかれ邪魔されないよう祈り、早く手番がコイコイと胸踊らせる。計画を練り、人の裏をかき、リスクを取るというゲームの面白要素が見事に組み合わされている。秘密と陰謀とギャンブル、裏切り殺人と南フランスである。しかもそれが毎ラウンド続き最後までずっと味わえる。ゲーム中何度も自分の手に惚れ惚れする瞬間が訪れる。素晴らしい。これは傑作だな。大傑作だ簡単なテストプレイでイマイチと判断していた俺の目は死んだ魚の目であった。前につまらないなどと書いてすいませんでした原始の神様。



 難点はゲームエンド・ボーナスが大きすぎ、しかもそれが他のゲームより見えにくいことで、初心者はボーナス点の取り方に慣れた熟練者と勝負にならない。ラウンド中に 10~20 点ずつ取っていく小屋カード争奪は誰でもすぐに効率的な方法を見い出し工夫して楽しめる明るい道筋なのだが、文明カードの最終集計でドカンと大差がつき初心者のゲームは暗転してしまう。俺もまだ1勝もしてないわけで。

 これはボーナス種目が5つもあり、それぞれが「ツール数×斧おっさんカード数」「畑数×畑おっさんカード数」と係数を2つ持つゆえの難しさである。プエルトリコやグレンモアなら大物建物を1つ頑張って取り、あとはそのボーナスの係数となる畑数、建物数を増やす方向でプレイすれば十分にボーナスが取れるのだが、これは高得点のためには村の開発と文明カード収集の両立が必要なのだ。これは難度が高く、やり込んで上手くなる以外に点を向上させる方法はないだろう。


このように明確なる学習カーブを描いております。
ファミリーゲームとしてうちで購入するかを考えるとここがどうかなという感じではあるが、しかしポジティブなのはプレイするたびに上達している感覚が非常に強いところだ。今日も負けたが(笑)、これはおとといスタートしたゲームだから、序盤を打っていた俺と今の俺とではスキルが違う。次のゲームでは自分の文明カードを考えた戦略を最初から立てられる。明日は必ず勝つ。

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■12/11/17(土) □ ストン初勝利\(^-^)/
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 朝イチでストーンエイジ初勝利! 242-225。終盤に 4 金をはたくギャンブルで文明カード 8 種 64 点を揃えたのがウィニングハンドだった。やっ・た\(^-^)/。ストーンエイジは傑作です。大傑作です。

2012/11/17

日記「カルカソンヌ2は名作だった」

「2年半ぶりの金魚」「ボードゲーム好きといえども」

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■12/11/01(木) □ 2年半ぶりの金魚
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 BRのお医者待ちの時間つぶしにペットショップに寄ると、金魚が目に入った。うちのイモリ水槽でまた金魚を飼いたいなあと思い始める。最近イモリたちは健康でまるまる太り幸せそうだが、そうなると刺激がなくてあまり活動してくれんのである。

 うちのイモリ水槽で金魚は前に試し死なせてしまい、繁殖に成功したアカヒレたちまでも絶滅させてしまったのだが、それは水に入れていたフロアタイルから溶剤が溶け出したせいだと今ではほぼ確信している。今なら普通に水質を保持して育てられると思うのである。


水中で様子を伺うイモリ君
学校帰りに萌に話してみると乗ってきたので、小赤を5匹買ってきた。1年ぶりの魚、2年半ぶりの金魚だ。すぐにコケをついばみ始める。金魚はやっぱかわいい。そしてイモリたちが新入りにすごく興奮している。ここんとこずっと水上にいたのに、水に潜りじっと見つめている。食べようとしてるわけじゃなく、なんだなんだお前たちはと好奇心を持ち見に来てる感じ。かわいい。これで死なせずに育てられたら、手間が増すわけでもないし水槽を保持していて金魚を飼わない理由はないなと思うかわいさだわ。

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 今日萌がカンナムスタイルに触発され K-Pop を聴いていたので心配し(「くだらないなと思って笑ってるだけ」と言うが)、俺が最近最もかっこいいと思った Jpop である「リーガル・ハイ」の歌(女神のキス)を聴かせたのだが、いい反応はなかった。萌が聞いてるアメリカンポップスにはない美しいコードと意外なメロディなのだが、そういうところには北米ティーンの感受性はまったく発動しないらしい。

 「まあカンナムスタイルはいいけどさ、他の K-Pop なんてみんな AKB とかと同じ CD 会社がオーディションで作ったアイドルでしょ。日本は 50 年前からフォークとロックがあるけど、コリアのロックバンドなんて聞いたことがないよ」―――だから日本のロックはえらい、ロックを聴きなされと俺の見解を述べたのだが、馬の耳に念仏状態。やれやれ。

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■12/11/02(金) □ カルカソンヌ2は名作だった
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 金魚は全員元気。初めてエサを少量与えるとアカヒレのようには食いつかないが、しばらくすると食べ始めた。育ちすぎないよう少しずつ食べさせていこう。この金魚たちは前回の奴らに比べると、ウィンドウ前面餌くれくれダンスを全然しない。水槽内のコケついばみだけで相当に満足してる感じ。

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 この頃オンラインボードゲームサイト Yucata.de にはまっている。最初にやった「アルカディアの建設」は面白かったが、10 戦ほどやってこれは俺は全然うまくならないなとわかってきた。常人に良手悪手が見えず、プレイしていてうまくなる感覚が得られないゲームは、メカニクス的になにかが足りないのだろう。アブストラクトなゲームはキタ! 王手! みたいな決め手がないと、面白どころが薄いかなという感じ。最初は碁のようなプレイ感と感じたのだが、どう打っても決め手に欠けるあたりは5目並べっぽくもある。



 で最近やってるのが「カルカソンヌ2・原始の営み」。これはリアルで友人が所有してるので何度もプレイしそこそこだと思っていたのだが、オンラインで強い相手とやってみて改めて見直している。これは元版とは違った面白さがしっかりとあるわ。

 同作者の元祖カルカソンヌでの華であるミープル多人数を送り込んでの敵陣(森=元カルの都市に相当)乗っ取りは、このバージョンでは悪手となっている。乗っ取りをかけ大きくなった森を閉じるのに必要な3面・4面森タイルが元カルより少ないので、巨大森を作るとなかなかクローズできず、多くの自ミープルがそこで完成を待ち多大な時間を無為に過ごす羽目となる(※)。このバージョンのミープルはたった5個(元は7個)しかないので、2個が足止めを食らうと痛い。このため敵陣への攻撃は1個のみで相乗りして得点をイーブンにする、つまり敵の単独得点機会を削るのみという地味なアタックとなる。
(※)この版は森を完成するとボーナスタイルが引けるという特典もあり、森の完成遅延は不利が大きい。だから相手の森を(破壊ではなく)広げてやり完成を遅らせるのも妨害となりうる。大きな森もやがては完成し敵の得点となるわけだが、その間ミープル不足で得点機会を削ることができるのだ。

このように森での攻防は元カルよりも淡白で盛り上がらないわけで、それが以前プレイした時の主な感想だったのだが、熟練者と何度も戦ってこれは森ではなく川の魚と草原の動物を育てるゲームなんだなとわかってきた。森では差がつかない。魚と象鹿で差がつくのである。自分の川と草原に獲物を増やしていき、そこを独占するために敵が入れないよう閉じていく。これが元版とはひと味ちがうパズルとなっており非常に楽しい。

 ↑これは 14 匹 14 点の魚を湛えた水系(つながった河湖)に赤が小屋を建て、端を閉鎖中の図。右上と左下から他のプレイヤーが入れないよういかに閉じていくかが考えどころ。水系所有に使える川小屋は2個しかないので、いつどこに使うかも決断どころ。


平原に象と鹿を集め、マイナス点の虎を
追い出すタイルも設置して18点。
ミープルはわずか5個なので、草原の攻防も元版ほど豪勢にミープルを投入はできない。最少の1個の投資できっちり草原を取れるよう考えて地形をデザインし、侵入を許した場合はさらにミープルを追加するか、他の草原を探すかまた悩みどころとなる。元版だと勝負がかかった大草原には3~4個もミープルが置かれることがあり、そこでの勝敗がゲームを決めることが多々あったのだが、そういう争いはまず起こらない。つまり1つの大きな森や草原の攻防で勝負が決まることがなく、森と川と草原のあらゆるところからチマチマと点を絞り出すアイデアと技を競う、渋好みでスピーディなカルカソンヌとなってるわけである。

 かように戦略が他の版とは違い面白い。いやーオンライン戦で見直したわ。カル2を買った時に店のおっちゃんが「これが実はベストなカルカソンヌだ」と言っていたが、拡張1・2入りの元カルカソンヌを BSW で 500 回はやり込んだ俺でも楽しめる新鮮さがあるのは間違いない。

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■12/11/04(日) □ ボードゲーム好きといえども
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 昨夜から姪SFがうちに逗留。朝一で「あやつり人形」を紹介する。ゲーマーであるSFは前にこれをゲーム会でやったことがあるそうで飲み込みが早く、ゲーマーらしく初期に建てた安い建物を自分で壊し大型建物に変えるなどといった小技も駆使して初戦勝利。


ムスカのための『あやつり人形』
(@ある元心理カウンセラー氏)
2戦目は拡張建物を全部入れてやってみたのだが、例の「ありがとうございます閣下」と言わないと手番を失うというムスカのお笑いカード「舞踏場」をネタとして建ててみると、萌もSFもまんまとこれに引っかかり手番を失ってしまう。そしてこういううっかりミスで罰を受けると屈辱的で、若年の2人はそこからカリカリイラっとなり、俺が「ありがとうございます殿下 (Your Highness)」というと「いま閣下 (Your Excellency) と言わなかった!」と揚げ足取りに躍起になり、アツくなってしまい大変だった。

 これはいかんと以後俺は王を取らぬ波風回避行動でプレイしたのだが、こういう暗殺が増えちゃうようなカードは危険だな。抜いておこう。もし入れるなら罰としては2金収入がなしくらいのほうがいいだろうな。

 しかしやっぱりこのゲームは面白い。始まりはややシーンと静かだけれど、手番がすぐ回ってくる3人戦ならば十分に早く場が暖まるのである。2戦目は萌が魔術師の手札強奪を生かし勝利となった。

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午後からMKとその友人が当家に集まり、うちでゲーム会となった。MKが持ってきたのが「ユグドラシル」という協力ゲーム。何をするのか分からない感満載の抽象画のようなボードを見ただけで萌は退散し、俺も説明を聞いた時点でこれは俺が楽しめない「パンデミック」のバリエーションでめんどくさいと即思ったのだが抜けるわけにもいかず、後から来たBRに代わってもらうまで1時間ほど付き合った。

 これはパンデミックと同じメーカーの同系ゲーム、つまり問題対策ドリルゲームなのだが、パンデミックは爆発的感染を防ぐために各都市に飛ぶという目的と手段が誰でも見ればわかるのに対し、これは見てわかるのは敵が迫ってきて、それをサイコロで押し戻すという最もプリミティブな(そして特に面白くもない)核心部分だけで、その他の「○○神の加護を得る」という名目でなされる『袋からチップを取る』『各所のゲージを進める』『カードを取る』というすべての手番選択肢が、ゲームをドライブするための人工的創作ルールで、ボード上に見える根拠がないのだ。根拠がないことは覚えられないので、その都度聞かないと行えないのである

 たとえば右上にあるゲージを最大まで上げると起死回生の神が降臨し全モンスターを2コマ押し戻すみたいなイベントがあったが、そうした無からゲームを作ろうとするご都合ルールはゲームメカニクスと呼ぶに値しないだろう。あとで検索してみるとこのゲームは「もぐら叩き」と評されていたが、その通りである。それはまあ「パンデミック」も同じだと俺は思うが。

 新しく面白いメカニクスやアイデアを思いつき、その周りを固めてゲーム化するというのが理想のボードゲームの生まれ方だと思うが、これは北欧神話でゲームを作ろうと決め、特に新規アイデアも出ずソリッドなパンデミックでいこうとなったのだろうな。

 その他のゲームもどれも聞いたことのないもので絵柄や雰囲気がアメリカンでやる気が起こらず、俺は見学と飲み物サポートに徹していた。MKは「グレンモア」や「あやつり人形」はそんなに熱中してないようだし他のドイツゲームもあまり知らんし、同じボードゲーム好きといえどもすり合わせが難しいなあと思う。

2012/11/02

日記「無邪気なアイデンティティ」

「ハロウィーン間近だが」「北斎で日本語学習」「日本語ボイスと英語ボイス」「やはり楽しいハロウィーン」

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■12/10/19(金) □ ハロウィーン間近だが
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昨夜友達がうちにスリープオーバーし、今日は疲れてややダウナーな萌と過ごす。友達を家まで送った後買い物をしにいくと、プラントショップのビニールハウスでハロウィーン祭りをやっていた。こんなの前はなかったな。素晴らしい。しかしパンプキンづくしオレンジづくしの可愛らしい飾りつけを見て俺がうわあと言ってるのに、萌はふーんという顔で眺めている。

 ハロウィーンはティーンになったら終わりというのが相場だそうで、つまり 12 歳の今年が萌の最後のハロウィーンになるらしい。数年前からもう親は送迎するだけの行事で、準備を手伝うこともそんなにないし子供の頃ほど無邪気に盛り上がってもいなかったが、それにしてもこの萌の反応のなさは物寂しい。

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■12/10/20(土) □ 北斎で日本語学習
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今日は近所日本語キッズ勉強会がキャンセルされたので、萌とマンツーマンで日本語ワーク。せっかく2人きりなので趣向を変えようと、前に録ってあったイッセー尾形が北斎を演じる「歴史秘話・葛飾北斎」を萌に見せた。信州小布施の北斎美術館には何度も行ってるので、うちはみんな北斎が好きなのだ。家は北斎のポスターだらけなのだ。

 番組を見ながら、「北斎の実物はほとんど海外にある」「世界の重要人物として尊敬されている」といったフレーズを拾いノートに書かせる。北斎がいかにあちこちから着想と技術を得て自分の画風を確立していったかという話は面白いし、演じてるイッセー尾形の芝居がまたうまくて説得力があり、萌も楽しかった様子。日本語に限らず親子でマンツーマンでなにかを教えるとケンカになりがちなんだが、いつもとまったく違う内容にしたのが正解で生産的な気持ちになりいい勉強だった。



 日本語学習を自宅勉強会に切り替えて1月以上やってみているけれど、このフレキシブルさがやはりいい。「いつまでにこれだけやる」という期限を設ける必要もないフリースタイル学習なので(今年 12 月の検定は現実的ではないので目指していない)、語彙は覚えるまで何度でも戻っておさらいしている。子供は言葉の音はすぐに覚え、「鎌倉は都内から1時間で、海に面している。鎌倉幕府があった」とコンテキストを与えれば記憶定着率も高い。『幕府は? 面しているは?」と問えば正解が返ってくる。

 しかしその漢字の読みを覚えるのはやはりそう簡単には行かず、書き取りドリル以外の方法がまだ見つからない。英単語なら音とスペルはほぼ一致するので音と同時に覚えられるのだが。小1から中1までずっとやって、週一では何の成果も生まなかった日本式漢字書き取り/単語カード法はやらせたくないので、最小の努力で読みをある程度覚える方法はないかとずっと考えている。

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■12/10/25(木) □ 無邪気なアイデンティティ
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 担任との懇談に行く。毎日学校の帰りに萌に今日は何かあったかと問うと顔で「別に……」と答え会話が終わるので、夏休み前の不機嫌なティーンに戻ってしまったな、学校でもあまり楽しくないんじゃないかと思っていたのだが、授業中はうるさくて常時叱られるほど盛り上がってるのだそうだ。担任いわく去年よりずっと友達が増えハッピーで、自分に自信を持てていると。あれま。ほんとですか。日本での子供っぽい自分と、カナダでのアンチ子供っぽい友達との間で居場所に迷ってるのかなとずっと思っていたのだが、そうではないらしい。

 一緒に行ったMは、逆に「日本で自然に子供らしくしてたおかげで無邪気でハッピーな自分というアイデンティティが確立でき、周りに合わせ大人ぶらずとも平気になったのだろう。それで自分に自信が持てているのだ」と分析する。萌と話してそう感じたらしい。そうだったんですか。

 萌は俺とはそんな話は一切してくれんとMに言うと、あたしだって普通に会話してたらこんな深い話にはならない、萌が面倒がっても話をやめず質問攻めにしていくからこういう話も出るのだという。なるほど。俺はそのへんのスキルはないからなあ。


「LOL(ロル!)」本人画
ともあれ、萌が学校でハッピーだと聞いてうれしいよ、先生たちは萌のことを明らかに好きだねと帰って萌に話す。そのハピネスの一因に、夏のあの日本旅行が関わっているというのは、とてもうれしいことである。

 カナダの中学生は大笑いなことを「LOL(ロル!)」とすんげえイラつく発声でいい、こうして指で(バナナじゃなくて指だそうです)LOL とサインを出す。そんな調子でキャッキャと授業中も騒いでいるんだろう。

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■12/10/30(火) □ 日本語ボイスと英語ボイス
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 最近Lさんと一緒にいることが多いのだが、彼女は英語と日本語を喋るときに声質が変わらないなと気がついた。つまり日本の 12 歳の子のように高く小さな声で、喋る内容は日本の同年齢よりしっかりめのカナダのティーンエイジャーなのだ。ちょっと日本アニメの英語版吹き替えボイスっぽくてナイスな感じ。

 萌は日本語では力まないやわらかい声を出すのに、英語では低く張った無駄に我の強いトーンになる。Mが見るところの「無邪気でハッピーな萌」よりはだいぶ、クールでストロング側に偏っている。


 日英同じは萌の環境的に無理だとは思うが、たとえば力を抜いて英語版「桜蘭ハイスクール」のハルヒみたいに喋ってくれんかな。低いけれど力が抜け無駄な主張のこもらない声。ずいぶん長いこと「桜蘭」を見てないが、今度また見せよう。

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■12/10/31(水) □ やはり楽しいハロウィーン
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「血塗られた花嫁」怖すぎた(汗)。
コスチュームとメイクアップをつけての登校なので 30 分早く起きて準備したのだが、顔に塗るおしろいが難しくてちっともきれいに塗れず、予定を大幅に超過し遅刻して登校。最終的にまったく均一には塗れず、目の下と鼻梁に黒を入れてとにかくコワくするしかなかった。怖いけどいいデキではない。難しいんだなああの白塗りって。練習しておくべきだった。

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 前倒しで晩飯を食わせ萌をコキットラムの丘の上の友人宅に届け、急いで戻りハロウィーン開始。しかし本日はここ 10 年のハロウィーンで初めての大雨で、これがたたりうちは待機を始めて 30 分以上も誰も来ず、結局総計でも 20 人くらいしか来なかったと思う。例年の半分だ。


メーキャップは怖すぎるので学校で
拭きとったとのこと。それで正解だわ。
8時半に玄関灯りを消し(うちは終わりだよの合図)萌を友人宅に迎えに行くと、ずぶ濡れガールズが宝を山分けしていた。床のチョコがだいたい1人分です。この子たちと行くために長距離2往復走ってやった甲斐あって盛り上がりどころ満載だったそうで、萌はずぶ濡れで震えつつもこれまでで最高のハロウィーンだったありがとうと興奮していた。

 ハロウィーンに向かって萌は俺が寂しく思うほどに盛り上がらず、コスチュームや飾り付けも俺が命じてやらせたわけだが、やっぱりやればいつまでだって楽しいんだろう。それほど楽しいのだったら、来年ももう一度くらいやったらいいのではないかと思う。実際これがほとんど唯一の国民的お祭りなわけだからな。