2014/10/14

日記「人生までも連れてって(マッサン)」

「『マッサン』の日々が始まる」「想像の翼」「ゴーストだったドレスコーズ」「漕艇写真コンテスト」

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■14/09/28(日) □ 「マッサン」の日々が始まる
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 嵐の秋に備え、こないだあふれたフロントドライブウェイ・サンプの詰まりを本格的に掃除する。掃除をまめにしている限り流水量は大丈夫だと思う。こないだの爆発的雨のときは隣家のドライブウェイはやはり排水できず、20cm もオーバーフローしてたそうだ。非常時用に小さな予備ポンプを買っておくべきかもしれない。

 そして午後は屋根と雨樋掃除。よく働いた。よし。嵐の季節への準備はできた。



新朝ドラ【マッサン】が始まる。マッサンがエリーに広島弁で喋るというのが無理あるが(外国人は方言わからんだろう)、見知らぬ国での冒険にキョロキョロとするエリーが愛らしくて満足。

 シャーロットさんは「マサハルの家どこ?」といった台詞と一緒に体や視線がいつもひらひらと演技をしている。俺が一度だけ見てその妙味をたちまち理解したミュージカルの役者さんたちと同じで、小鳥のような可憐さでとてもよろしい。台詞がなくても彼女の気持ちが動いてることがどんどん伝わってくる。朝ドラの明治大正はそれが合う舞台なのだと思う。

 日本語がわからず困惑するエリーが気の毒で、ついていって俺が通訳してやりたくなる。実際日本人は外国人がわからなそうな言葉は避けて喋るし、日本語会話から置いてかれちゃってるなと思うとすぐに気づいて概要を教えてあげる傾向がある。これは日本人の美点だと思うので、史実ではあっただろうそうした政春の気遣いも描いてほしいところ。

 あと予告編でみた First whiskey! In Japan! という政春の英語芝居がカッコ良かったし全部ちゃんと喋ってるのに、字幕じゃなくボイスオーバーとなってたのが残念。これはお年寄り対策らしいのだが、そのためにクオリティを落としてほしくはない。


 その予告編【マッサン 50 ボイス】でのシャーロットさんの言葉が印象的だった。「家族から離れるのが怖かったし…それに怖かったのは…ほら…『失敗』ね。でも人生はアドベンチャーだから」と声が震えていた。日本中の朝を楽しくもがっかりもさせる、重大な役目なのだとわかっているんだろうね。

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■14/09/29(月) □ 想像の翼
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 昼前から雨が降り始め、午後には本降りとなる。昨日頑張って水回りを万全にしておいてよかった。

 【マッサン】エリーの英語には聞き取りづらい音が入っていて、あれはアメリカ人のシャーロットさんがスコットランド訛りをやってるのだと思う。米加人が英国ナマリを出すのは玉山鉄二が広島弁をやるよりずっと難しいだろうし、彼女は日本語もきれいなので耳と口がすごく利く人なんだろう。

 日英混じりドラマでは「このくらいの流暢さのヒトがこんな語彙を知ってるわけがない」というアラが日英とも必ずあるのだが(子供の日本語教育に苦労してるのでよくわかる)、 「マッサン」はそれが少ない。シャーロットさんに無理を強いずていねいに手を抜かず作っているのがわかる。逆にマッサンの英語は音が怪しくてもパッションと仕草で通じる。そこがいいよね。

 シャーロットさんの英語インタビューをちらと読んだのだが、「玉山さんと私の演技手法はまったく違う。しかしどちらが優れているということはなく、どちらも Work する(うまくいく)のです」と言っていた。やはり違いが見えている。それを合わせようとする技量と度量がある人なのだろう。俺はあまり関連記事で彼女の来歴等を調べたりせず、想像の翼を広げて楽しんでいる。

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■14/09/30(火) □ ゴーストだったドレスコーズ
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 ブルーハーツが出てきたとき日本唱歌的な単純メロディと情緒とドライさが入り交じるデスマス歌詞が画期的だと思ったし、ヒロトの無軌道なアクションにもニコニコさせられたが、以後のフォロワー的バンドはそこから画期性を抜き、音楽的ノーアイデアの補填に熱さをどくどく使用するものばかりだす。

 モンゴル 800 なんてギターを抱いたキロロであってロックですらないし、NHK MJ に出てくる若手バンドは皆そうした「みんな共感してくれ俺もするから!」てな熱さ原理主義で、どうぞ学園祭で骨まで燃え尽きてくれたらいい。


【ドレスコーズ/Ghost 】

 が、MJ でそういうバンドのあとに出た変な見た目のバンド「ドレスコーズ」が超よかった。 「そうさぼくはゴースト。生きてるみたいでしょ。でも心はもう死んでいるんだよ。君にすればもういてもいなくても同じ」――こういうのがロックだよな。絶望が音と言葉に向かっていってよかったと思えるような、そういうものが。

 「恋人がいなくなって、もう生きてる意味ないじゃん…っていう曲」と彼は紹介していた(笑)。音も声もメロディもすごくいい。「みんな共感してくれー」的な音楽をやってる連中はこれを聞いて絶望すべきである。

 ドレスコーズのファンのツイッターを見つけ、彼女のところからあちこちのリンクに飛び何曲も聞き、インタビューも読んでいいぞいいぞと盛り上がったところで、すでにバンドが解体しているという衝撃の事実を知った。俺は昨日 NHK 国際でドレスコーズを初めて見たのに、その番組の収録が最後だったようだ(ボーカルの志摩が単独で活動していくらしい)。あれはゴーストだったのか。生きてるみたいだったよ。ツイッターでおすすめされ気に入ったフジファブリックのボーカルがすでに亡くなっていたのに続く悲しき出会いであった。



 海外に住んでいて NHK 国際しかソースがない状態でもこうしていいバンドが耳に飛び込んでくるんだから、日本のロックは豊かである。自分の娘が聞いているイヤホンからシャカシャカと漏れ聞こえてくる米カ音楽の単調さには、彼女の音楽の空が暗く低くなっていく思いがする。

 音楽だけではなく書物や他の趣味にしても、手のひらのガジェットで Youtube から好きなものだけ吸い出して消費している今の子供らの摂取しているものは、俺の中高時代よりも貧しい。映画化されるようなベストセラーしか読んでいないし大ヒット映画しか見ない。見知らぬティーンが作った馬鹿ビデオなんかをジャンクフードとして大量に消費している。萌の年頃なら俺は本と音楽の虫だったぜ。昔は誰だってそうだったろう。マンガさえ読んでないのだから、現代北米ティーンの民度たるやなんともはやである。

 ネットで何でも手に入るが、新規に探さずとも大好物が常時手に入るので結局それしか食べなくなっちゃう。それが今の子供の文化摂取スタイルなんだと思う。お母さんにプッシュしてもらってせめて本だけでも、もうちと頭を使うものを読ませたい。

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 【マッサン】打ち水でお父さんに水をかけたりするベタなところが、外国人に見せるには恥ずかしい朝ドラスタイル(笑)。しかし喋る日本語に本当に魅力があるし、素で笑い顔が出るところがシャーロットさん素晴らしい。その笑いをカットしない現場もいい。あの笑い顔がベタさを変えて行ってくれるかもしれない。

 怒られるに決まってるのに法事の際中に嫁とひそひそ話して笑っちゃうあたり、マッサンはゆるくて明るくエリーに好かれるのもわかる。スコットランドで同様の苦難を経ていてもまだ二人は笑うことができる。お母ちゃんがつらく当たる意味もわかるでしょう。だからあんまりくよくよしないでね。両方ダメかと思うと落ち込むが、あっちもダメだったからイコールねと思えば気持ちは軽くなる。

 俺が見ている NHK ドラマに外国人が出ていることにMが気づき、どんな話なのかと聞く。「外国人の妻が明治の日本に来て、コンサバティブな家族と文化の違いに苦労しつつも夫のウィスキー製造を助けるというお話。クリシェ(ベタ)だがとてもチャーミング。何が話されてるかわからぬ妻のために通訳したくなるよ」と話す。「それは身にしみるわね。あなたの家族はコンサバティブじゃなかったけど、怖いオジサンがいたわよね(笑)」。

 エリー政春がああしてドタバタと失敗をする姿を見ていると、どうしたってMと日本で暮らしていた頃をなつかしく思い出す。外国人はその国の作法を習うのは楽しいことなんだよね。クリシェに満ちているのでMに見せるのはためらわれるが(そういうシーンはシャーロットさんに対してもどうも日本 TV はクリシェ多めですんませんねえ的な気持ちをやや感じる)、なにかいいシーンがあったら見せてやろうかなと思う。

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■14/10/02(木) □ 漕艇写真コンテスト
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 うちの奥様は漕艇という珍しいスポーツをやってるのだが(レガッタ的な超細長で浅い、漕いでないと不安定でヘタすると転覆するという滅茶苦茶ストイックなボート)、BC の漕艇協会が写真コンテストを開催したので張り切って応募した。数枚送った中でこの「霧の朝」はたしかに美しい。行けるかもしれぬ。

惜しむらくは防水コンデジで撮った写真なので、拡大すると画質が悪い。「賞的にはそこが脚を引っ張るかも…やはり一眼でないと…」と講釈すると、「誰がそんなものをあの霧の海に持って行けるか」と笑われた。なるほど。


(後日)この2枚のどちらとも違う写真がなぜかMの候補写真とされ、得票が集まらなかった。この2枚のいずれかならもっと票が取れたと思う。残念。

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 【マッサン】「私に怒鳴らないで!」と初めてエリーがピシャリと英語で言う。彼女が英語を話すとほっとする。視聴者のためとはいえエリーが政春に英語を話さないのは明らかに不自然なので、シャーロットさんのストレス解放のためにも英語の台詞を増やしてほしいと思う。

 まだ4日しか見てないのに親子の相撲ですでにジワジワと来てしまった。海を渡ってきた花嫁とそれを守りたくてもがく純なバカ息子というのが、もうそれだけでジワジワを含んでいるのかな。許していることを相撲で伝える父と土下座して否定せざるを得ない母というのも、ジワジワを含んでいる。

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■14/10/03(金) □ 人生までも連れ去って
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昨夜シャーロットさんのツイッターアカウントが見つかりさかのぼって読んでみたら、去年までは舞台の告知等を静かにポツポツと呟いていたのが、3月に突如日本ライフが始まり桜咲き、役者人生がめまぐるしく変転した様子がよく分かる。

 日本の春を楽しみ、食生活の変化から貧血になりお医者に優しくされ感激したり、コインの判別に苦しんだり、ルードそうな弟がはるばる滞在しにきてくれて超喜んだり。「聡明だけど異文化ゆえにドタバタ」な外国人を素でやっておられる。見たままの柔らかなお人柄なのが忍ばれます。

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 【マッサン】広島を去ろうとするエリーを政春が止める。いいからもうマサハルはエリーとは英語で話せ(笑)。「イエスといってくれるなら僕は…永久にここに住む! 一緒に歳を取りたいんだ!」と湖畔でエリーを泣かせたのに、日本語じゃ「亭主関白じゃ俺の言うことを聞けガー!」になっちゃう。日本語じゃロマンチックなことを言えんのだ。まあわかるが。

西洋から来たエリー(時代&地域的に「赤毛のアン」のプリンスエドワード島のマリラたちと同時代の合理性と強さを持っていると思う)にとっては、母親の反対をごまかしたことやこういうアホさは「?」なところがあると思う。しかし「なんでなんにも言ってくれんのォ」と父に泣き、「わしのそばにおってくれ」と妻に泣き、やがてエリーを抱きすくめその名をただ吠える政春のその子供みたいな直情ぶりを、彼女は愛さずにいられないのだろう。

 政春の握った手にエリーが与えたキスは、子供のすりむき傷にする母のキスのようだった。天を仰いでの「はい」は、すべてをいったん受け入れよう、彼を愛してるのだからという儀式に見えた。We can work it out、きっとなんとかなるわとあの仕草は言っていた。

 プリンスエドワード島の隣はちなみに「新たなるスコットランド」という名を持つ州で、アンはそこで生まれたのだ。マシューたちはスコットランド移民2世らしい。「赤毛のアン」と「花子とアン」はまったくつながっていなかったが、この物語はつながっている。そう感じさせるものがあると皆がささやき合っている。



 今日の「#エリーかわいいよエリー」は、彼女が窓を見上げ「蛍の光」を歌うところだった。声がかすれていたのは、飛び出た家から政春の宿舎まで泣きながら歩いた後だったんだろう。そして自分がこれを言っているのが信じられない、マサハルは信じられる? という表情で彼女は言った。「私を日本に連れてって」。

Take my hand, take my whole life too
この手を離さないで。人生までも連れてって
For I can't help falling in love with you
あなたを好きにならずにいられないのだから



(Presley /UB40 - Can't Help Falling In Love)

 Mと出会った頃、彼女の残り僅かな日本の日々を一緒に過ごしながらこの歌を何度も聴いた。この手を離さないで。人生までも連れてって…。俺はどうしたらいいんだろうといくら考えても答えが出なかった。あれも日に日に冷えていく秋の頃だった。

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