2015/09/19

2015年日本旅行(終)東京フレンドシップのアンセム

「古いアルバムのダーリンマン」「東京だよムスメさん」「夜間飛行」

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■15/08/09(日) □ 古いアルバムのダーリンマン
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 気がつけば帰国の日が迫る。あわてて実家の物置に潜り込み、汗をかきかき自分の荷物を掘り出す。――あった、俺のバンドマン・警備員時代の写真アルバムが。


警備犬にじゃれつかれ幸せな警備員、1990年頃


 そこにはまるで今の俺をめっちゃ若くしてかわいくしたみたいなやつが写ってるので、うわーと声が出てしまう。日本に残していったこれらの写真を見るのはすなわち20年ぶりで、マジでそれらの写真を忘れているのだ。どこで撮ったか覚えてないものすらある。左は府中基地跡かな。右は調布関東村事務所横の幼稚園(KINDERGARTEN)前だ。なつかしい。あまりにもなつかしすぎる。



 昔から俺はいろいろと人によくしてもらっていて、なぜだろうとときに不思議を感じてたのだが(――2回かそこら会っただけで現奥様に好きになられたのだって驚きだった――)、これらの写真をパラパラと眺めているとその理由が分かる気がする。長野に住んでた頃に訪ねてきたドラマーテラをMが「彼はダーリンマン(愛らしい人)ね」と評してたのだが、俺がいま若き自分を見てそう思うのだ。

 FBでハチに見せると、「いい写真だなあ。楽しい幸せな時代だったよ」と感想がくる。あの廃墟のフェンスの中には彼の歌にあるような、許された楽しみがあったな。いつもいつもあり続けている。今年は彼らに会いに行こうと考えている。

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■15/08/10(月) □ 実家最後の日
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 信州実家最後の日。実家レストランのすき焼き・焼き肉はすでに堪能したけれど、もう一方の雄であるトンカツを食わねばカナダに帰れない。というわけで娘甥姪を引き連れサカタ宗石亭のトンカツを堪能してきた。本当に本当にうまかった。

 店内で給仕をしてくれたのはわが弟オコ、つまり甥姪のお父さんなので子供らは大盛り上がり。彼が皿を持って横を通るだけで声援と拍手が飛ぶ。モテすぎだろ。オコがまた調子に乗ってコケる振りをしたりしてドリフみたいであった。



 お盆までいられないので早めのお墓参りも済ませ、そして夜は親戚の子供たちも顔を見せてくれギターを弾いて歌を歌い歓談し、ナイスな実家滞在の夏最後の日だった。兄貴の子供らはそれぞれ勤労への強い意欲を示しており頼もしい。イトコの子供は政治青年となったりスポーツと農業に燃えていたりする。子供たちが皆イントレスティングな人へと育っていくなあ。

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毎回カナダへの帰国前夜は、おばあちゃんちのリビングで萌と TV を見ながらプリンを食べ、「もう終わりなんだね」とため息をつく。あれもこれもできなかったと萌はぼやく。今年は序盤に大・沖縄の旅があったので、信州での滞在が短かったしね。

 それでも数えてみればこのおばあちゃんの家でいろいろやったし、退屈で困ったなんて日は一日もなかった。甥Tとの毎日の囲碁は激しく燃えたし、母さんにタブレットを教えてあげてるだけでも楽しかったしね。もっとここにいたいけれどね。なかなかそうもいかない。明日は東京。まだ旅は終わっていない。

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■15/08/11(火) □ 東京だよムスメさん
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 おばあちゃんとキッズに見送られ実家信州を出発し、娘に東京を見せる旅へ。



 萌は渋谷でこれぞ東京という人混みをやはり楽しんでいた。和服を着た若い男女が多くて素敵だ。暑さは恐れていたほどではない。

 国分寺に取った宿に入り、食材買い出しに見覚えのある国分寺駅前の雑踏を歩いていると、すごく現実感がなくなる。なんか 20 年前の東京時代と今との時系列が混乱してくる。自分がどこにいて何語を話せばいいのかといったことを一瞬考えてしまう。ここは日本語でいいんだよな、そうだよなって確認してるのです。

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■15/08/12(水) □ 東京フレンドシップのアンセム
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夕方吉祥寺でかつてのバンド仲間とスタジオに入る段取りを急遽つけてもらった。ありがたい。昼間は雨だったが国分寺のお鷹の道というのを見に行く。周りはみな大きな農家みたいだ。すごいな。

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 長年一緒にやってたドラマーテラと国分寺駅で会う。M萌がいる間はときおり通訳説明してやらねばならないせいもあって会話があまり弾まなかったのだが(テラは緊張してたらしい)、食事を終え彼女らがホテルに戻り二人だけになると話がリズムに乗る。喋り方や物腰にはなんの変わりもないな。共通の友だちはどうしてるのかとか最近テラがやってる音楽の話をしていても、まるで毎週会ってるかのように話が合う。ネットでテキストや音をやりとりでできてるおかげもあるんだけど、やっぱり俺たちは一緒にバンドやってた頃と基本なにも変わりないんだろう。FB で誰をフォローしてるとかいうところまで一致してて笑った。

 「ドラマーなのになんでそんないいギターを持ってるのか」と皆が笑うテラの愛器エピフォン・ジョンレノンモデルを借りてスタジオに入ると、アンプがマーシャルに当たってしまった。マーシャルは基本ハードロックな音しか出ず、俺が使うとニールヤングとクレイジーホースみたいな音になってしまう。これじゃ音がつぶれてサクサクとコードカッティングできないので歪みを減らすと、今度はサスティーンが不足してソロが弾けない。そのへん久々のスタジオ入りに俺は気持ちが逸ってるのもあり、落ち着いて設定できない。



 まあいいや始めてみようとガチャガチャ試してる時にハチが入ってくる。オー。「おー。なんかトモと久しぶりって感じが全然しないんですけど」とハチは笑う。ほんとそうだよね。

 序盤はベースのタキちゃんが間に合わなかったので、今テラ・タキちゃんとすごくいいトリオをやってるすご腕ギタリスト・ドッキリさんと俺が代わる代わるベースを弾いて、手探りな感じで進む。初手合わせのドッキリさんがコピーしといてくれたかつての俺たちの得意曲「モジョワーキング」「ビールスカプセル」あたりは爽快なデキだった。ハチは数年前体を壊してしばらくフルパワーで歌えない状態だったそうなんだけど、そんなことは信じられない声だ。全然変わりないじゃん。少しも変わらぬ大好きな声が、俺のギターと加速していく。「ほんとなんか20年ぶりって感じが全然しないんですけど」と皆で笑う。ほんとそうだな。会って音を出せばこんなに楽しいのに、俺のギターを好きでいてくれる彼らに、なんで俺はずっと会いに来なかったのだろう。

 遅れてベースのタキちゃんが登場し、数曲ジャムって様子を見てからハチとタキちゃんのタイドプールの歌、「ストレンジボーイ」が始まる。



 ――ああ。これは警備とバンドをやってたあの頃の、俺の東京90年代フレンドシップのアンセムだな。今回連絡つかなかったアライが弾いてたギターソロを俺が弾く。やつのフレーズをコピーしたことなんかないけど、覚えているから弾けてしまう。1・2・3・4、3・2・1・ゼロ。俺の気持ちは変わらないよ。前より君を思ってるよ。俺は今でも宿なしだ。




ボーカル/ギター:ハチ、ベース:タキちゃん、
ギター:トモ、ドラム:テラ、ギター:ドッキリさん、
そしてゲストのトモちゃんつづるちゃん
ジャムが終わり終電の時間まで話をしたあと、ハチの車でテラと共に国分寺まで送ってもらう。夜の五日市街道を走るクルマの中で後ろの席からハチテラと話しながら、あああの頃のまますぎるな、なんか夢の中でリピートを見てるみたいだと感じていた。疲れていたし次の日がフライトだったから無理はできなかったけれど、車がずっと国分寺に着かなきゃいいなと思っていた。車を降りてハチの肩を叩く。じゃあまた。今度東京にきたらうちに泊まりなよ。そうするよ、ありがとう。

 ホテルの前でじゃあここでと別れるとき、テラに抱きついて「こんなに長いこと会いに来なくて、ほんとゴメン」と謝った。「なんかカナダでさ、バンドもやってないしたいしたこともしてなくてと引け目みたいなのがあってね。だけど関係ないよね。気持ちは変わりない。次はもっとちゃんと会いに来るよ」。外国人みたいな俺の別れ方に彼は、お・おうと目を白黒させていたかもしれない。だけどそうせずにはいられなかったんだよ、マイダーリンドラマー、テラ。




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■15/08/13(木) □ 夜間飛行
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 昨夜ジャムセッションから夜中のホテルに戻ると二人共寝ていたのだが、翌朝バンドよかったよ20年ぶりなんて感じなかったくらいだと話すと萌が泣いてしまった。「よかった…よかったねお父さん」。ティーンの涙腺がよわよわになってしまう、日本とのお別れの朝です。俺も気持ちは同じだな。



 成田に向かう途上、秋葉原アニメタウンの強烈な風景を楽しむ。萌は那覇、長野、秋葉原とアニメストアを発見するたびに興奮して突入していったのだが、彼女が愛する「進撃の巨人」グッズはごくわずかしかなく毎度落胆している。しかもチビキャラ化されデザイン性も実用性もしょうもないものしかない。店内は俺たちの目では個々の識別すらできないその他アニメのほうが明らかに主力商品であり膨大な海になっている。

 そういうジェネリックな絵は俺たちに何も訴えかけてこないので、AKB の娘さんたちに囲まれたみたいな微妙な気分になる。俺は艦これだけは見分けがついたが、奥様はなぜバトルシップが女の子なのかといぶかっていた(笑)。

 しかしほんとアニメグッズの高さはいくらなんでもと思うな。海外からわざわざ来る彼女のようなファンが半額で倍の点数買えたら、どれほど幸せな世界だろうと思う。半額で倍売れればハピネスは倍ではないか。

 何はともあれ予定通りの電車に乗り、ちょうどよい時間に成田でチェックインを済ませ無事出発。さよならジャパン。関空や沖縄にいたのがものすごく遠い昔な気する。





 帰りの飛行機の中で昨日のスタジオの音を聴くと、家ではいつも弾いてるとはいえバンドで弾くのが超久々の俺の指はやっぱり盛大にもつれていた。よく言えばニールヤングっぽいかもしれない。ミディアムテンポ曲のテラドラムのリズムは昔よりはるかによくなっているのに、俺のリズムは大学生時代並みに前に走っていて恥ずかしい。これを聞いたら家で練習して来週もう一度スタジオに入り直したくなったよ。そうしたら次は絶対よくなる。約束する。いまアイデアが湧いて湧いて仕方がないんだ。

 明かりの落ちた夜間飛行のシートに身を沈め、大好きだった歌たちを聴き熱くなる。実家で見つけたアルバムの写真と音が頭の中で一つになっていく。「サマーフィーリング」の最後のソロは借りてたエピフォンがきれいにフィードバックした。途切れない音がどこまでも続く。永遠の夏が鳴っている。

 バンクーバー空港に着いたときに昨日会えた人たち会えなかった人々のメッセージを受信し、入国管理の列に並びながら読んだ。ありがとうマイフレンズ。俺の気持ちは変わらないよ。

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