2013/07/25

日記「カナダ東海岸旅行記②カナダの歴史に打たれる」

「ニューファンドランドの英国人」「寂寥の海」「カナダの歴史に打たれる」

=======================
■13/07/10(水) □ ニューファンドランドの英国人
=======================

人口は右下の一部に集中
ノバスコシアからさらにさすらい、今日からニューファンドランド。正真正銘の地の果て、カナダ最東端の島であります。もはやカナダ本土よりもグリーンランドやアイスランドのほうが近所といっても過言ではない。こんなところにほんとに人が住んでるのかと不思議に思うような土地だが、実際人が住んでるのは右下の州都セントジョンズがあるニューファンドランド島だけで、州の大半を成す左上ラブラドール島はムース(大へら鹿)と熊しか住んでないとのこと。今年数十年ぶりに 30 度を超えニュースになったんだそうだ。





「憧れのイングリッシュガーデン」ですよ。

 ここで軽井沢のペンションのような美しい家に、美しい英国英語を喋る教養深い老夫妻が住むという、ノバスコシアの女流小説家邸に続きこれまたすごいお宅に泊まっている。

 普通英国人の喋りは俺のようなカナダの外国人には半分も聞き取れないのだが、ERとVR夫妻の英語は普通にわかる。不思議に思いどこ出身の夫妻なのかとうちの奥様に聞くと、2人はどちらもM母と同じ訛りのきついヨークシャー出身なのだが(奥さんVRはM母の幼馴染とのこと)、まったく訛ってない。これは教養によって得られた上流アクセント、つまりキングズイングリッシュ、BBC 英語なのであると解明してくれた。なるほどー。すっげー。


(北米最東端灯台、ケープスピア / 湾を挟んでシグナルヒルの岬もすごい)

ついてすぐに行ったのが、北米大陸最東端の岬ケープスピア。北米大陸最東端の灯台があり、湾を挟んでセントジョンズの名所シグナルヒルも遠望できる。スペクタキュラーな眺め。ニューファンドランドは島全体がこうして岩でできており、「ザ・ロック」と呼ばれている。この島は鯨の名所でもあるそうで、セントジョンズ市内のこの岬からですら見えることがあるとのこと。案内してくれた旦那さんのERは、「風がやんだら耳をすませなさい。鯨の息吹が聞こえるかもしれない」と言った。あ、あなたは詩人ですかというとニッコリと笑っていた。

 Mはこれを見ただけでニューファンドランドにきた甲斐があるわと感嘆していたが、VR家とこの風景のセットはたしかに強力である。VR家は写真を撮り忘れたが、隅々まで瀟洒なペンション風であった。逆に軽井沢などのペンションは、こうしたイングリッシュハウスへの滞在経験を元に誰かが作りスタンダードとなったんだろうな。



 初日の晩飯は当然のように英国式フィッシュ&チップス(ポテトフライ)だったのだが、ポテトフライがなんだこれはと声が出るほどうまい。業務用みたいな温度計のついたでかいフライヤーにたっぷりと油を入れ揚げてるだけらしいが、さすが英国人はこれ一徹なだけある。

 夕方散歩に出ると気温はもう15度を切り、息が白い! すごいところだわニューファンドランド。

=======================
■13/07/11(木) □ 寂寥の海
=======================

 観光初日。天気がよければご主人のERいち推しのホエールワッチングが入るはずなのだが、天候の移り変わりが激しい土地で、特に霧がすぐに出る。霧が出て視界が落ちると鯨は見えないわけで、これは船長の判断待ちとなり、決行なら連絡をもらうということにして、俺たちは車で1時間ほどの景勝地フェリーランドというところをおすすめされて向かう。この島最初の入植地とのこと。

運転しながらこれを操れという無理難題
今回のレンタカーは希望の日本車またはフォーカスがなく、ミドルクラスのフォード・フュージョンというでかい車となった。重い。ガスをどんどん食う。

 おまけに各種コントロールが「アメ車はついにここまで来たか!」と思うほど使いにくい。コントロール類がすべてスマホ的フラットパネルになっていて、エアコンスイッチすらどこにあるかがわからない。パネルをよくよく見るとファンのアイコンがあり、その横にある+または-のアイコンを押すとエアコンの風量がコントロールできるらしい。しかしどこが+/-かは指で手探りしてもわからんので、押すためにはどうしても進行方向から目を離しパネルを凝視しなければならない。危険極まりない。よくこんなんで安全認可が下りるな。

 現代の自動車事故の大きな原因となっている携帯操作というのはつまりこのフラットパネル操作のことで、前方を見たままブラインド操作できないから事故を招く。それを車の操作体系に持ってくるフォードは、「スマホを使ってない人でも運転中にスマホの危険を味わえます」という仕様なわけである。

 低圧ターボでトルクがにゅるーっと出てくるエンジンも、荒れた路面でのボディコントロール感もあまりよくない。しかしハンドリングだけはいい。拳をほんの少しひねるだけできれいにノーズがイメージした方向に向き、荷重が自然にかかりきゅーっと気持ちよく曲がっていく。これはヒュンダイ・エラントラ GT ではまったく得られなかった気持ちよさで、実用性でいえばコリアはすでにアメリカの先を行っているなと感じたが、ハンドリング快感方面だけは歴史がモノをいうのだろうか。フュージョンの旧型はハンドリング自慢のマツダ・アテンザとシャシーを共有していたらしいが、やはりそれを受け継いでいるのだろう。基本的に豪快アメ車的なブイーっという乗り味の車なのだが、峠に入るとしゃきっと気持ちいいのである。

 このハンドリングを味わいながら海辺のワインディングを流すのは、久方のドライビングプレジャーであった。道からときおり見える港港が美しい。




ニューファンドランドらしい風景

イヌシュクをつくる娘
目的地フェリーランドにつく。なかなかすごい景色のさびれた岬。着いたはよかったのだが、パーキングからすさまじい風の中を延々歩いて灯台に達し、ランチを食いさらに強風の中を散策していると、俺はこのやむことのない風にだんだんうんざりしてきてしまった。もう見るものは見たからさっさと引き返そうぜと思うのだが、萌とMがイヌシュクを作り始めてしまい強風の中待ちとなる。やれやれ。

 石を積むMと萌を待ちながら考えていたのだが、俺はカナダの海を見てもそんなに興趣を感じない。これはカナダで初めて行ったノバスコシアのペギーズコーブからそうで、植生限界的な寂寥感あふれる風景はまあきれいだなとは思うが、基本岩と水とコケの3種バリエーションなのでやがて飽き、そこをずっと眺めていたいというような気持ちにならない。川が流れる景色のほうがなぜか落ち着く。カナダの海は魚と鳥のものであり、人は漁師以外は居場所がないという気がする

 今日はホエールワッチングが延期となり、そのままゆっくりと帰宅。晩ご飯はカレーだったのだが、トマトとレーズンが入った甘ーいフルーツソースにカレー粉をふりかけたという感じの食べ物であった。これが英国式カレーなのか。何といえばいいのか分からない味がする。

=======================
■13/07/12(金) □ カナダの歴史に打たれる
=======================


(まっすぐ町を抜けたいのに、一方通行と交差点のわかりにくさでこんな風に迷ってしまう。 / 運転手と助手席ナビゲータ険悪の図)

本日は州都セントジョンズの州博物館、The Roomsへ。この町は古いせいか道が極度にわかりにくい。メインストリートと呼べる目抜き通りが一本もないのがマジでつらく、「ここまで大きな道で行って、あとは地図を見ながら注意して移動」というふうな普通の移動ができないのである。旅行者は地図を頼りに六叉路やらロータリーやら一方通行に阻まれ手探り移動をすることになり、運転手とナビ役とのケンカとなる。

 結局この町ではMが運転し、俺がアンドロイドの GPS でナビすることとなった。これ以外にこの町を抜けていく方法が見つからない。アンドロイド上の Google マップは完璧ではないが(ルート検索が保存できないというのは致命的欠陥)、旅先では命綱だ。セントジョンズの町をツーリストが GPS なしで迷わず抜けていくのは不可能だと思う。


こういう街の景色ってかっこいいよなあ

高台の博物館から見下ろす町

京都博物館も見習うべき
素晴らしい歴史展示

しかし道はわかりにくいが港町なのでアップダウンがきつく、街の作りにはとても趣がある。1本横の通りまで階段で行くような場所がたくさんあり、どこを向いても石造りの六叉路などもあって、その景色は欧州、ローマみたいだなと思った。



 町の自慢らしい州立博物館 The Rooms のメイン展示は、この州の歴史を興味深く描いていて実に面白かった。ニューファンドランドは 1949 年までカナダじゃなかったんですよ! 知ってましたか知らんでしょ。BC に住んでいるとカナダの歴史というのは、「まず先住民族がおり、あとからヨーロピアンが入ってきて駆逐した」と2行で済んでしまうような単純なものと思ってしまうのだが、東海岸から眺めればなかなかに複雑怪奇なのである。

 まずバイキングが散発的に来訪し、バスクが鯨を取りに大挙押し寄せ、16 世紀に欧州人の本格入植が始まり、他の先住民族よりかなり進んだ技術を持ったベオスック族を圧迫し、ベオスック族は 19 世紀に絶滅する。やがて英仏戦争の余波がカナダ東岸に及ぶ(これがボードゲーム「数エーカーの雪」の舞台設定)。

 そして英領として第一次、第二次大戦に英軍に兵士を大量に供給し、第二次大戦中に欧州へ飛ぶ連合軍(米軍)空軍基地ができたことで一気に貨幣経済が始まり、そこからカナダよりも米国との関係が強くなる。そうした新たな時代の波が訪れるごとに、その前の世代の文化がどう影響を受けたかということが展示のテーマとなっている。目からウロコですよ。説明を読みながら俺は「そうか、そうだったのか」と激しく納得していた。面白い。俺はこれまで失礼ながらカナダの歴史など面白いと思ったことがないのだが、俄然興味が湧いてきた。銅鐸ばかり何十個も展示するという薄い展示物に説明過少で去年俺たちを激しく失望させた国立京都博物館は、ここを是非見習ってもらいたい。

 カナダ加入への住民投票は賛成わずかに 50.5% だったとのことで、いまだにカナダへの帰属意識はあまり高くないらしい。カナダへの統合に伴い廃村となった村々がゴーストタウンとしてそこかしこにあるという。廃村は「ロスト・ニューファンドランド」と呼ばれている。ロマンチックな響きだ。




David Blackwoodの最も有名な絵
「Fire Down on the Labrador」。
さすがにこのクラスのものは買えないとのこと。
「素晴らしい博物館だった、カナダの歴史に突如興味が湧いた、併設のギャラリーの絵もいいものがいくつもあった」と帰ってきて英国家主ERさんに報告すると、彼はそうなんだよフフフと知的な笑みを浮かべ、自らのニューファンドランド画家絵画コレクションを見せながら歴史講義をしてくれた。

 この家はあらゆるところに絵画がかけられており、その数およそ 30 枚ほどもあるかと思うが、その中で最も高価なものがニューファンドランド出身の鯨画家 David Blackwood のエッチングらしい。ギャラリーにもその人のクジラの絵があったよと話したら、「君の寝てる部屋にかかってるのが彼だよ」と言われた。も、モノホンですか。いくらするんですかハウマッチ大橋巨泉。

 ブラックウッドの絵は実際のニューファンドランドの海難悲話などをモチーフに描かれたものが多いそうで、解説を聞きながらその絵を見ると迫ってくるものがある。今日のギャラリー部のメイン画家だった Mary Pratt すらも、ERさんは本物を持ってなすった。





カナダで最も著名な古大家 Maurice Cullen の風景画「Misty Afternoon」と、地元画家 Mary Pratt のスーパーリアリズムが画廊のハイライトだった)。「Misty Afternoon」はまさしくこの島の寂寥の海。




彼の話に俺が前のめりに興味を示すもので ER さんはさらに興に乗って(奥さまが笑っていた)、最後は「これは僕が作ったんだ」とハープシコードを見せてくれた。「ハープシコードを作った」て、意味がわからない(笑)。どういうことかと聞けば、ハープシコードを作りたい人のために図面を売るショップが英国にはあり、それを買って木を切り組み立てたのだという。英国はやっぱ日本同様クレイジーな趣味人が多いのねというとアッハハと笑っていた。

 ハープシコードがあるからには、これはもう「インマイライフ」の間奏を弾かねばならない。アイマストプレイ。俺はこの美しい楽器の前に座り、左手で A のコードを押さえてはみたものの、しかし右手は1音もあのソロを弾けませんでした。音楽は難しい。いやしかし楽しいお宅にお邪魔しております。ありがたや。

2013/07/20

日記「カナダ東海岸旅行記①ノバスコシア・PEI」

シーカヤック講座」「英国フットボール話」「赤毛のアン観劇」「案外なるグリーンゲイブルズ」「ファーム&ビーチ」「天才ウクレレ先生と子供合奏団」「うなぎのゴム焼き」

=======================
■13/06/25(火) □ シーカヤック講座
=======================

Photos of Rocky Point Kayak, Port Moody
(C) Rocky Point Kayak
昔からカヤックに憧れるMのたっての願いで初のシーカヤック講座。ありがたくも雨はきれいに上がって気温も上がった。まず実物のカヤックを使った1時間弱の座学がある。海に出るのは怖いが、野田知佑のファンだったのでカヤックには興味が実はすごくあり、実艇をいじりながらあれこれと説明を聞くのは楽しい。プラスチック艇(1人乗り)は思ったよりもはるかに重かった。

 狭いハッチに入り、脚元にある乗馬鞍のアブミ状のフットペダルに足位置を合わせ、おしりと膝とペダルの3点で体とカヌーを固定する。陸でやってみると脚を外に張るので不自然な筋力を使うが、確かにこれで重心が人間の頭よりも下に来て安定する。なるほどー。バイクのコーナリングで外足のステップとタンクでグリップし、人車一体となるのと同じですね。しかし水に入るとやはり怖い。ただ座ってるだけなら予想したよりも安定しているのだが、漕ぐとグラリと揺れる。うわ。こんなんで本当に海に出るんですかという感じ。

Photos of Rocky Point Kayak, Port Moody
(C) Rocky Point Kayak
海に出て5分ほど漕ぎ、慣れると揺れは収まり恐怖心はなくなった。これはベタ凪の入り江という好条件のおかげもあって、遠くを通る船から波がくるとやはり揺れてやや緊張した。これで波立つ外海になど行けるものなんだろうか。

 しかし意外なことに、カヤックというのは案外進まない。あの喫水の浅さとボディの狭さで夢のように抵抗が少なくスイスイ進むんだろうと期待していたのだが、パドルは水車の先端のように浅くバタバタへらーと水を切り、ボートのようなグイしゅぱーという推進力が出ない。それにビギナーは漕ぎ方がどうしても左右アンバランスになるのでカヌーは常時首を振っており、それで相当のパワーをロスしているのを感じる。

 講師の漕ぎ方を見ていてもそんなに見るからにうまい、速いとも感じず、俺たちよりはロスがないらしい程度しか違いがわからない。言われた通りにしても進まないものは進まないし、首を振るものは振る。これにはMも俺同様苦しんでおり、萌だけがきれいなフォームで速度に乗り、俺とMをどんどん置いていった。萌だけ型の違う高級そうな挺だったので、単に挺の違いかもしれない。ビギナー設定ということでラダー(舵)を下ろしてなかったので、直進性の悪さはそのせいもあるのだろうか。

 足を前に投げ出した姿勢で腕と腰のひねりだけで漕ぎ続けるというのは運動として効率がやや悪そうで、普通のボートのほうが距離は進むだろうなと思う。全3キロほどの旅程の 2/3 あたりで相応に疲れ、途中からは正直こりゃ小さな電動エンジンがあったら最高の乗り物だろうなあと考えていた。ほんのちょっとでいいから推進力にアシストがほしい。小さな帆でもいい。




こういう感じのツーリングでした。
2キロほどでこの港で唯一の砂浜ビーチに上陸し、アシストしてもらって上陸と乗船の練習をし小休止。途中何度も出てきたアザラシがかわいかった。「お前ら何なの?」と好奇心で水面に顔を出しこちらを見に来るのである。舟でしか近づけない場所にある鳥の巣などもかわいい。こういう楽しみはやはりシーカヤックならではだろう。またやるなら防水カメラを借りてくるべきだなと思いながら黙々と漕いで帰港。

 というわけで楽しかったが、今後もレギュラーにやりたいかとMに聞かれるとメイビーとしか言いようがない。水に浮かび動き回るのは楽しいが、思ったほど自由に動けないフラストレーションがある。楽しいが自転車で山を駆け巡る自由さには及ばないというあたりが率直なところ。自転車みたいに上り坂がないのはプラスだが、腕だけに疲れが来るから自転車ほど無理は効かないなとも感じた。

 転覆するリスクが高すぎてやる度胸はまったくないが、スポーツとしては川下りカヤックのほうが自転車/モーターサイクル的で面白いだろうな。昔ゴムボートでチャレンジした奥多摩渓谷で、激流をわーと抜けたり清流を静かに流されて行くときの気持ちよさは、喩えようもなかったのである。

=======================
■13/06/28(金) □ 英国フットボール話
=======================

今日はイングランドから来ている親戚がうちに1日滞在。ルーニーみたいなこのお父さんはフットボール狂なのである。前に会った 2001 年に「いまジェラードっていう若い奴が出てきてな、こいつが天才なんだ。我がイングランドの未来は約束された」と言ってたので、「あれから WC と Euro を全部見たけど、全部駄目だったじゃん」というと、「そうなんだ。なぜだかわからない」と悄然と答える。

俺「いつ見ても個々の選手はいいんだけど、チームが噛み合わないよね」
英「そうなんだ。なぜだかわからない」
俺「それになんで外国人コーチを雇っちゃ失敗するの?」
英「国内コーチはもっと駄目なんだ、なぜだかわからない」

俺「しかしまあクラブチームはいいよね。俺はスペインやバルサみたいなパスパスパスパスなんてサッカーより、行ってこいドログバー! ふんがー! っていうチェルシーみたいなほうが好きなんだよ」
英「そうなんだ、それがイングリッシュスタイルだ!」
俺「地元のハルシティはまたプレミアに戻ってくるんでしょ」
英「そうなんだ。だけどそれに備えていい FW を買わなきゃならない。DF と MF は根性入れてバーンと敵に当たっていけばなんとかなるけど、点を取る FW だけは才能だからね」

――と、これが一般的英国人のサッカー気分みたいです。根性ね(笑)。

 香川について聞いてみると見たことはないそうで、「まあアジアの放映権関連もあるんだろうな。あれくらいのチームになるとファーストチームとセカンドの差は大きいよね。でもマン U は若い選手をちゃんと育てるから、カガワもものになるだろうね」とのことであった。まだこれからですな。

=======================
■13/07/03(水) □ 赤毛のアン観劇
=======================



昨日からカナダ東海岸の旅。ノバスコシアの田舎ニューグラスゴーに住むM父夫妻を訪ね、そこから夫妻と共にフェリーでプリンスエドワード島へ来ております。赤毛のアンの島ね。名高いじゃがいも畑の丘が美しい。シャーロットタウンも小さくきれい。赤毛のアンの時代の人がこうして歩いていて、写真撮影に応じてくれる(笑)。西洋はどんな田舎にもすごい教会がある。M父は 80 歳にしていまだかくしゃくとしていて、重い食事をパクパク食いゴルフをスタスタやっている驚異の健康体である。


グリーンゲイブルズのセット。こういうものが数種類
組み合わされ天井から吊られ降りてきて舞台が
できあがるのが楽しい。

「赤毛のアンでございます」
そして強制的に連れて行かれたミュージカル「赤毛のアン in シャーロットタウン」が感動であった。アニメのダイジェスト版だけ見て「キュートだけどまあミュージカルを見に行くほどでは、ね」とやや小バカにしてたわけだが、――実際ミュージカルらしい冗長な歌唱シーンも多々あった――、アニメ版ともおそらく原作とも全く違うスピード感でダイナミックに切り取られたストーリーと、マシューさんマリラさんアンさんの魅力のおかげでもう、引き込まれる惹き込まれる。最初の暗転時に「こりゃスゴイね」と俺はM萌にささやいていた。

 声が完全にイメージ通りのマシュー、マリラ、アンが交わす無償の愛に感動したのはアニメと同じなのだが、マシューとマリラがそれぞれ違う場面で同じ歌を歌うのだ。アンを愛してるとかそういう歌ではなく、心のすれ違いをして「自分はこんなときにふさわしい言葉を持っていない」と嘆く歌を。その歌が二人によって別々の場面で重ねられることによって、過剰なほどに言葉を持って飛び込んできたアンを彼らが愛した理由が、問わず語りに痛いほどに胸を締め付ける。泣けた。ミュージカルというのはつまりこういうことなんだなとよくわかった。すごい。拍手。

 見終わったあと、過剰な言葉を持ちうるさいよ黙れとしばしば思わせるキミをオレが愛してる理由がよくわかったと妻に言おうかと思ったのだが、マシューならいわないなと思ってやめといた。これからはマシュー&高倉健でいこう。

=======================
■13/07/04(木) □ 案外なるグリーンゲイブルズ
=======================


ゆっくりと走り抜ける丘が美しい



モンゴメリー女史の生家跡。
こういう林の奥にあの家が建っていれば完璧

有名な、あまりにも赤いPEIの土。
シャーロットタウンを出発し、有名な PEI ポテトやコーンの畑風景を眺めながら島を横断し、アンの邸グリーンゲイブルズへ。グリーンゲイブルズはアニメ版では大幅に美化されているらしく、想像とは大幅に違った。敷地内にあの美しい樹木がないし小川もない。中はストーリー通りに家具が並べられているのだろうが、この程度の古民家は博物館やヒストリックサイトとしてカナダのどこにでもあるので、ありゃこれだけですかという感じ。

 裏庭のストーリー上の由緒あるらしい散歩道も、由緒を知らなければ普通の茂みであり俺たちはざっと見るのみ。アンに扮したガイドがやる「アンを探せゲーム」みたいのがあったのだが、英語が不得手ならばあれにフル参加することもなかろうし、日本からの観光客はこのグリーンゲイブルズで満足するんだろうか。

そこから1ブロックほど離れたモンゴメリー女史の生家跡は、建物はもう残ってないのだが森の中を家へと続く前庭の小径が美しくて、こっちのほうがロケーションはずっといい。―――あそうか、モンゴメリーはこのロケーションにあのおじいさんのイトコが住んでいたというグリーンゲイブルズを建てて物語を創作したんだな。なるほど。これでようやくじわじわしてきた。

つまりアニメがあの家を美化したんじゃなくて、グリーンゲイブルズとはモンゴメリーの知るあちらこちらの美しい場所をつなぎ合わせた創造上の場所なのだ。だからどちらか片方を見ると拍子抜けだが、両方見ればおおと感じるものがある。こういう「アンの家・グリーンゲイブルズ」を構成するサイトがこの地方に点在するんだろう。なるほど。

 しかし、グリーンゲイブルズ家が博物館になったのは 50 年も前のことなのだそうだから、だったらあそこに白樺を植え桜を育て小川を引き、物語のイメージ通りのグリーンゲイブルズを構築しとけばいいではないか。もともと「本物のアンの家」は実在せず作者の親戚の家を見せているわけだから、美化しても虚構にはならんだろう。モンゴメリー女史の祖先から始まる写真、遺品、歴史を語る映画、そしてモデルとなった家という実物だけ揃えても、感動にはつながらない。それらを使い物語を眼前に再現してくれたら感動するのである。実際いま俺は脳内で断片を合成しじわじわと感動している。これを事前にやっといてもらいたかった。

このキャベンディッシュという土地はつまり物語上のアヴォンリーなのだが、グリーンゲイブルズと墓場とレストランが数軒あるだけの町、というより交差点であった。あとで調べると「アヴォンリー」というそのものずばりの再現村があるらしいけど、世界から観光客が来る場所なのに町はないのである。これも案外であった。





全長13km、建造時世界最長の橋
そこから 4 時間ドライブで帰宅。PEI と本土をつなぐ世界最長クラスの橋はなかなか壮観であった。防風壁があり横方向はなにも見えないのだが、橋が延々と伸びていく前方はスペクタキュラーである。

 俺はこの旅に「赤毛のアン」の日本語版ダイジェストを持ってきていたので、その夜一晩で読んでしまった。舞台やアニメとほぼ同じ内容で、文体が古臭いが面白かった。もし持っていたら本編も読むだろう。これは現代カナダでは意外と読まれていない本で、今回旅をした5人中読んだのは俺だけである。カナダの思春期の子供はもっと大人びたものを読みたがるからだろうな。

=======================
■13/07/05(金) □ ファーム&ビーチ
=======================



M父のファームを見に行く。農業をやってる友人の畑を間借りしてるとのことで、必要ならばマシンを借りられるらしい。理想の趣味農業だなそりゃ。素晴らしい景色。

 この往復は 10 キロほどの穏やかなワインディングだったのだが、借りているレンタカー、ヒュンダイ・エラントラ GT はフラットで快適だがあまり面白い車ではないと判明。曲がっていってもコーナリングフォースを感じず電車のようだし、エンジンは非常にリーンでトルクが出ず路面を蹴ってくれない(燃焼セッティングが選べるのかもしれないが、見つからず)。

大西洋の水に震え上がる私
このエラントラは Mazda3 のライバル車と想定されてるそうで実際この完成度なら売れて当然だが、スポーティなのはムードだけであり、実質は燃費と車内の広さが素晴らしい優秀な実用車だな。ハワイで乗ったフォード・フォーカスと同じ感じである。うちのガタゴトなスズキエリオに比べたらフォーカス/エラントラの方がはるかに安楽だが、ワインディングではエリオの方が楽しい。


そして海へ。ノバスコシアはヒートウェイブが来ると湿気が増すそうで、屋外は毎日日本のように暑い。しかしさすがに全身水に入るには大西洋の水は冷たい。2時間ほどMと交代交代で萌と遊ぶが、水に入らぬ親とではさほど盛り上がるはずもないので萌は帰路憮然としていた。この年頃になると、友達がいない家族旅行は何をしていてもそんなに盛り上がれんな。





=======================
■13/07/07(日) □ 天才ウクレレ先生と子供合奏団
=======================

 ノバスコシア州の州都ハリファックスで世界最大の軍楽隊イベント「ハリファックス・タトゥー」を見てきた。このイベントはカナダに来た年(なんと 19 年前!)に見て、5カ国から集まった各国選りすぐりの精鋭軍楽隊が音とマーチを繰り広げ腕を競うという内容に「スゲエ軍楽隊かっこいい!」と感動させられた大イベントなのだが、年々商業化しているらしい。


《2010年のカナダ対英国(?)バンドバトル。これが今年はなかった。》

 最も残念だったのは招待軍楽隊の数が減りそれぞれが小規模になっていたことで、前は5~6カ国のフルバンド(100 人規模)が音楽的にも音量的にも鳥肌の立つような演奏をしてくれたのだが、今年は3カ国の中規模バンドになってしまっていた。1バンドが 50 人規模になったので単純に音が小さいし、演目もバラエティに欠ける。盛り上がりどころだった国別対抗バンド合戦すらなくなっていた。

 そしてバンドが減った分プロのポピュラー歌手やらドイツ警察のアクロバットバイク隊やらオーストラリアのダンスガールズやらを呼んで、ショーは明らかにエンターテイメント方向に振られていた。軍楽隊の祭典だから笛と太鼓が聞きたいのにセリーヌ・ディオンみたいに朗々とうたい上げやがって、うんざりだぜ。軍楽魂はどこに行ったんだい。数百人のアマチュア楽隊を呼び寄せ滞在させるより、少人数の歌手のほうがはるかに安くつくのだろうが、音楽好きはこんなものをもう一度見たいとは思わないだろう。

音楽的に一番よかったのはなんと軍楽隊とは関係ない BC から来た高校のウクレレ部で、指導の先生が作ったのであろう天才的アレンジにより、ウクレレでバグパイプの定番曲とロックンロールをやりまくってみせた。すごい。アレンジも演奏も神業的なクオリティ。この期間中にハリファクスの町でやったらしい↓このパフォーマンスを見ればそのクオリティがわかる。


《ラングレー・ウクレレ合奏団。天才先生と子供たち!》

 ロックンロールやバグパイプ曲やクラシック音楽の特徴を捉えウクレレでちゃんと鳴らしてしまうアレンジと演奏力もすごいし、子供らの歌唱も鍛えられ、声量とハーモニーと声の伸びやかさが半端ではない。タトゥー本番ではウクレレのネックを振ってのステージパフォーマンスまで皆板についていた。指導の先生がヘッドマイクをつけ喋りと振りで客をあおっていたのだが、この人は只者ではない。音楽指導の天才だな。ここまではそりゃ望めないとはいえ、うちの学区の音楽教師ももう少し音楽がわかった人が来てくれないかと思ってしまった。



 ショーの休憩前に、「場内にもし軍人、退役軍人、警察官、海上保安官などの方がいたら、どの国の人でもです、どうぞ立ち上がってください。そしてみなさん、彼らに拍手をお願いします」というアナウンスがあり、あちらこちらでポツポツと立ち上がったオッサンたちに盛大な拍手が送られたのに感動させられた。「どの国の人でも」というのがいいよな。ノバスコシアは産業が少なく軍基地が多いので、軍関連の職を得ている人がMの友人にも多い。そうした軍人が人々のために存在していること、公僕性が信じられているのである。

 帰りの車の中で俺はあれに胸を打たれたとMに話し、日本では今尖閣にいる海上保安庁の忍耐だけが戦争を抑止していること、その勇気と忍耐を俺は尊敬せざるを得ないことを話す。日本もこういう危機が訪れて初めて、軍人たちの公僕性が際立ってきている。

----------------------

ここでM父家を離れ、今宵からMの大学友人宅へ。オランダ出身の農夫SMと小説家の妻PLが住む郊外の農園という、どえらいロマンチックなお宅である。旦那がサッカーを見てたのでなんの試合かと思えば CONCACAF ゴールドカップ(北中米選手権)だった。メキシコ-パナマ戦。そうだこのオランダ旦那は当然サッカー好きなのであった。

 「最近のカナダ代表はいいんだ、コーチが変わって果敢なアタッキングサッカーをするんだよ。このゴールドカップでは相当やってくれると期待してる」と俺は力説し日程を調べたのだが、なんとカナダはすでに初戦負けていた。しかも相手はフランス領の、国ですらない小島マルティニーク。がっくし。

 そして次戦はメキシコ。しかもそのメキシコに勝ったらしいパナマが最終戦。うーむ。メキシコはコンフェデに出てた主力が出てないのだろうが、よわったことである。カナダ式アタッキングサッカーが完成する前にコーチがクビになり、また協会職員が監督代行になると困るのである(結局旅行で1試合も見れなかったが、2敗1分けで敗退となった、がっくし)。

=======================
■13/07/08(月) □ ハリファックス・ウォーク
=======================


MとPLが青春を過ごした大学の町、ハリファックスへ。昔俺たちが暮らしたあたりを散策するのだが、全く覚えてないな。自転車で大学まで通ったあの道が懐かしい程度。

 ハリファックスの町を雨の中延々と歩きながら、メルの旧友に会っていく。ハリファックスは半年住んでいたが改めて再訪するときれいな町で、入ったことがなかったダウンタウンの真ん中にある旧墓地(子孫も絶えているらしく市が公園として管理している)などに入ってみるとみると、1700 年代からの墓が残ってるのである。その墓に「ボストンへの航海中事故に遭い 23 歳で死亡。弟の○○は両親の腕の中で、19 歳で死亡」などと詳細な歴史が刻まれていて、その深い歴史に打たれる。

 ちょうど自衛隊の練習艦が入港していて、子供みたいな幹部候補生たちが楽しげに町を闊歩していた。地元の人達も「今日は日本の戦艦が来てるのよね」とニュースで知っていて、歓迎ムードを感じる。みんな行儀がいいんだろうな。日本の自衛艦はどれか聞けと妻に命じられ幹部候補生お嬢さんに尋ねると、「え? ええ…」とお茶を濁され教えてもらえず。軍事機密だったのだろうか。潜水艦までいた(笑)。すごいな軍事港。

=======================
■13/07/09(火) □ うなぎのゴム焼き
=======================



ざっくりクールにウナギをさばく男

失敗作ゴムうなぎ
この家の旦那、農夫のSMは農場内の沼でうなぎを養殖しているというカナダには珍しい人で、「うなぎを日本風に料理してくれ」と1匹捕まえて任されてしまった。そんな無茶なと思いつつとりあえずうなぎをシメて内蔵を取ってもらい、骨を抜く技術は双方ともないのでぶつ切りにし、俺がタレを作りそのまま蒲焼にしてみる。するとなんだかうまそうではないか。

 でランチに食べてみるとコレは! うまいもなにも鰻というよりもゴム! 異様に肉がしまって堅いうなぎとなってしまった。一応みんな味はいいといって食べたが、食えたものではない出来だった。一応みんな食べてはくれたのだが、それは苦行であった。これは締め方が悪かったのか、調理法が悪かったのかわからない。

 調べてみると「うなぎは魚の中で最も肉が固く、蒸さないとゴムのようになる」と判明。そうだったのか。蒸すっつてもどうやったらいいのかわからないが、とりあえず「そうなんだって試してみてね」とオレは日本の秘伝をオランダ農夫に伝授しておいたのである。



 夕方あちこちから人が集まりMの大学同窓会。みな四半世紀経っても何も変わらないのだろう、本当に楽しそう。ノバスコシアは今日まで、明日からはさらに北のニューファンドランドへ。