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2017/09/17

「レッド・デッド・リデンプション」日記と感想:自由さと不自由さ

(ネタバレは特にありません)

8月1日

昨夜自分のブログを整備していて冬にやってたゲーム【LAノワール日記】を読み、あれはゲーム内の役になりきり強烈な感情を経験するすごい体験だったなあと思い出した。面白いゲームをやると日記も面白い。今たまにやってる「セインツロウ3」はストーリーがないので、日記に書くこともない。

と考えてるとちょうど娘が最近なにかゲームやってるのと聞いてきた。よしと一緒に出かけ、いつかやろうと思っていたXbox 360の名作【レッド・デッド・リデンプション】を買ってきた。LAノワールと同じ会社の、より評価の高いゲームである。ワクワクする。

第1章-牧場暮らし


ゲームの舞台は西部劇の町。物語最初の駅に着くと、なんだか懐かしい。カナダにもところどころにこういうアーリーアメリカンな町が残っているし、駅も遺跡として残っている。時代的に赤毛のアンの時代なんじゃないかと思う。



このゲームで俺が演じるのはホコリ臭そうなカウボーイのジョン・マーストン。なにゆえかかつての仲間を追っているらしい。こんなむっさい俺なのにきれいな女牧場主のボニーがなぜか親切に雇ってくれ、夜の牧場を馬に乗ってあちこち案内してくれたりして、初日から俺はうれしかった。きれいですねマダム。…いや、星とか、月が。

LA ノワールで会った最初の女性
ゲームで最初に出会う女性が魅力あるかどうかって重要だな。ロックスターは見た目・性格(台詞)とも実在感ある人物を作れるのが強い。LA ノワールで最初に事情聴取した目撃者女性(←)の表情と声のインパクトはすごかった。RDR もその点は非常に良い。

ライバルのベセスダはそこがひどくて、Fallout NV で俺に銃の使い方を教えてくれたガイド女性はまるでマネキンだったし、パーソナルなことは何も話さなかった。ベセスダのゲームはオブリビオンもスカイリムも人物がかわいくないのである。

8月5日

牧場の小仕事を手伝う日々。町へのお使いを終えて牧場に戻り、牧場主ボニーの顔を見に行く。彼女が優しいのでつい俺は、「これまで人を殺し、金を奪い、なんでもやってきた。俺はそんなやつなんだ…」と話してしまう。俺の顔を覗き込むボニーが夜の明かりにかわいく見えて仕方がない。いかんいかん、なにか仕事はないのかいと話を変える。


ボニーに頼まれた牛追いの仕事(楽しい!)後、特に用事もなさそうなので地形を見渡し、川の方をゆっくりと30分ほどホースライドした。歩いているだけで楽しい。このゲームは馬に乗ることが楽しいんだなと分かってきた。車じゃとても通れないアップダウンを、馬はワシワシと登り下ってくれる。

昔ウィスラーでこういうクォーターホース(カウボーイが乗る小柄な馬)に乗ったことがあるのだが、人間でも四つん這いにならないと登れない急坂をワシワシと躊躇せず一気に登る馬の登攀技術と心肺の強さに驚愕した。あの楽しさがこのゲームの中で味わえる。

そして風景は俺ゲーム史上べストだな。同社LAノワールの方が1年新しい分グラフィックスは緻密で、あちらは都会なので建物等の細かな描き込みもすごかったが、こちらはアップ&ダウンのある地形に満ちていて素晴らしい。ゲームで行く高いところは最高だ。

8月6日

ボニーは牧場の居候にすぎない俺をお父さんにまで会わせてくれた。俺は既婚者らしいので彼女との仲が深まることはなかろうが、好意を寄せられるのはうれしいものである。頑張って牧場で働いてしまう。今日は荒馬ならし。俺は馬に乗るのもうまいらしい。


並行して進めている町の保安官助手仕事では強烈な銃撃戦に連れて行かれた。俺のライフルの腕は神がかっていて、どんな遠距離でもピタリと照準を合わせてくれる。気持ちいい。あまり説明がなく混乱の中での戦いが多くアタフタしてるのだが、徐々にカウボーイと保安官助手の仕事に慣れてきている。

ただ名誉と金は順調にたまっているのだが、レベルアップがあるわけでもなく買う物もなく、どう進めていくのが一番楽しいのかがよくわからない。この辺が洋ゲーらしい。牧場と保安官の2系統のメインミッションをやるだけではちょっと薄味で、コントローラを離しがたいほどの盛り上がりはないんだよな。RPGみたいにプレイするほどに経験値が貯まり成長するわけでもないので。

とりあえずネットで地図を手に入れて、この地域は探査したとマークしていくことにした。別にその地域探査で宝を探すとかのイベントはない(ランダムに暴漢や狼に襲われたりするだけ)。なくてもまあいい。景色がいいのだから、それを全部あまさず見にいこう。

8月10日

あちこちでギャングたちが牧場を襲っており、それを俺と保安官が追いかけ掃討している。いくらなんでもこんな無法状態では、いかなる市民生活もやってられんではないか20世紀初頭アメリカ西部。一体どんだけ文明社会と隔絶してるんだと呆れる。大正3年だぞ。ニューヨークじゃジャズとモダンガールの頃だろう。

世話になっているボニー一家にもギャングの魔手が迫る。ボニーにもし怪我などされた日には、彼女に命を救われ恩のある俺は、こんなゲームなどやる意味ナッシングである。なんとしてもこの農場に平和をもたらさねばと必死に戦いましたよ俺ジョン・マーストンは。ふー。許せんなギャングたち。メラメラ燃えるウェスタン映画展開である。

8月11日

ボニー牧場の危機は俺の頑張りで収まったようで(米ゲームにおけるストーリーは会話でのみ語られるので、どこのギャングだったのか、それを俺は殲滅したのかがよくわからない)、いまは詐欺師やら死体漁り人やらやたら多弁な連中の長話を聞かされつつ長駆移動し、行った先で銃撃戦したり馬のレースで資金を稼いだりと、毎日似たようなことをやらされている。

これはマーストンの真の敵を追うための準備らしい。世間に見捨てられたルーザーたちに助けられ武器を集め巨悪に立ち向かうというストーリーの味付けなのだとはわかるけども、見たこともないし何をしたかも知らない”俺の真の敵”をこんなまわりくどい方法で追うことに、あまり気持ちは入らない。それにとにかくアメリカ人喋り過ぎだろ。うるさいよ。ここのあたりかなりプレイ意欲が減退しており、もう死体漁りたちの話は聞かずに進めている。

ボニーの手伝いや護衛だったらやる気がするのだが、ボニー関連のミッションは全部終わってしまったらしく会えない。ドアを叩いてもノー・リプライ。ため息。

そしてこのゲームは、実はメインミッション以外やることがない。サブミッションは5本ほどやったが解決不能案件ばかりだった。夫を探す老女や誘拐された子供を探しに行くミッションをこなして、特に解決していないのに「ミッションコンプリート」&名誉点アップとなる。なんの達成感もないのでなんだこれはとやる気を失い、以降全部無視している。

馬でどれだけ野山を歩いても花摘みとつまらぬランダム野盗イベントしか起きず、探索要素もない。町では銃弾くらいしか売ってなく、服を買うこともできない。町の人たちはまったくのモブで話せないので、情報を集めることもできない。これまでプレイしたアドベンチャーゲームの中でも、やることのなさはトップクラスである。

この調子ではストーリーが盛り上がらないとこれ以上プレイする意欲が湧かないわけだが、Xbox 360 史上に残る傑作だと誰もが言ってるわけで、ちょっとレビューを探して面白いんだと俺を信じさせてくれる記事を探し出したい。

8月12日

地図を開くと、近くを汽車が通るアイコンに気がついた。汽車はたまに見かけるが、地図で運行状況が見えるとは気づかなかった。通り過ぎる汽車をカッコいいなあ乗りたいなあと眺めつつ、…乗れるかな? と馬を並走させボタンを押したら飛び乗れた! やった。



このゲームは右親指でAボタンを押してないと馬が止まってしまうので、移動中右視界レバーを操作し景色を見渡すことができないという大きな欠点がある。本当の馬は人が何をしていようと進んでくれるし道をトレースしてくれるぞ。なので馬を制御しなくていい汽車の上から、今日はじっくりと景色を楽しんだ。次の汽車を見つけたら延々終点まで乗ってみよう。

8月13日

最初の地域での仕事がようやく終わると、俺は敵を追いメキシコに行かねばならなくなった。メキシコて。こないだ遠乗りで見たあの川向こうの外国やないですか。

とりあえずこの先ここに戻れるかもわからないので、ボニーに別れを告げに行くが今日も留守。もう君には会えないのか。伝言さえ残せないのかい。

この土地を離れる前に、天気の良い日を選んで念願の地域一周列車旅に出た。緑多く美しい土地だったよ。――あ! ここはボニーの農場じゃないか。



彼女の白い邸も見える。泣ける。ボニー。さよなら優しかったボニー。俺はいま北へ向かう列車の上で、猛烈に泣いています。




第2章-土と暴政の国メキシコ

8月15日

メキシコへやってきた。苦労して川を渡ると、案内役がここから先は覚えてない勝手に行けという。なんでこんな酔っぱらいの言うなりにこんな所へ来ちゃったのかと、俺は途方に暮れた。景色はすごいが、町へ行けば周りはスペイン語で言葉もわからないし。

とりあえず昔の敵を追うというストーリーにそんなに気持ちは入ってないので急いで進める気もせず、赤土の荒野をブラブラと馬で歩く。この会社の次回作「LAノワール」のほうがやることが明確でサクサクと進みテンポがよかったが、このゲームの高低差のある風景は素晴らしい。



しかしメキシコというのは土でできた国だ。建物も全部土でできてやがる。丘の上で飛行機を作りこの谷を飛びたいんだという宮﨑駿みたいなエプロン男がいた。接着剤の材料がほしいという。この谷を人が飛んでアメリカへ渡るなんて、そんな光景は見てみたいな。しかしそれを見るには草や動物の皮を計25個も集めなければならない。俺がです。やれる気がしない。

8月23日

今週は毎日終戦記念日NHKスペシャルを見てうーんと唸っていたので、1週間ぶりの【レッド・デッド・リデンプション】。

メキシコの荒野を野犬に追われつつ10分ほど駆け町に着く。メキシコ保安官の話を延々と聞き、ここでもなぜか信用されて雇われ機関車の護衛に就き撃ち合い。うーん、ゲーム序盤からやってることは同じ感が濃くなってきた。このゲームの評価の高さはどこからくるのだろう。

ストーリーがいいという話は聞くが、第一部牧場編が終わってもまだ敵との過去のいきさつなど何も説明されてないし、ボニーと会えなくなってからは生活にうるおいもないのです。LAノワールは恋人に相当する人など出てこなかったが、連なっていく事件の重さが刑事魂を掻き立ててくれたなあ。常に相棒がいて話も聞いてくれたしな。

ライムスター宇多丸 #マイゲームマイライフ でゲストが、「自キャラに名をつけ見た目をエディットして自由にやっていくFallout等ベセスダのゲームは自分に合わない、RDRなど固定されたキャラをプレイするロックスターゲームは、その人を演じる体験を得られるから好き」といっていて、同社LAノワールでまさしくその映画の役を演じきる面白さを体験したなあと思った。RDRは今のところ台本が俺に届いてなくて、監督の言うまま右往左往してるだけな感じ。なんとしても敵を追い詰めたいという気持ちになってこない。はよ物語がドライブする台本ください。

8月27日

第二章メキシコ編の序盤が終わった。この章で出会った老ガンマンに聞かれ、俺が初めて過去を少し語る。このガンマンはまあいいが、他は実にくだらぬ男ばかり出てくる旅で、気が滅入る。ストーリー自体正直あまり面白くもない。メキシコの女狂いの軍指導者のくだらぬ戯言とか聞いても、知らんよ早く革命で倒されてくれよとしか思えないじゃないですか。


しかしメキシコ女性の家族を助ける章に入り、やっと物語がのってきた。暴力と権力が支配するこの世界の男たちとは付き合いきれぬが、彼女たち弱者を助けるためならば、頑張れる。



メキシコ編終盤のこの砦襲撃はすごかった。RDR の銃撃戦はこれまでに俺がやったシューティングと比べてもベーシックなものだが、舞台装置の派手さがあって楽しい。しかしこういう銃撃戦ゲームをやっていると、誰がいつ誰を撃ち誰が死んでもケセラセラだという、暴力世界のランダムさ・無常さ・虚無を痛感する。戦争も同じだ。NHKスペシャルを見てそう思うのだ。

8月29日


メキシコ編が終わった。20世紀初頭のメキシコが実際そうだったのだろうが、軍の暴政と狂信的な反乱軍と、百姓の血と涙と土でできたような国で、気が滅入る話であった。アメリカに戻るとこんなに町はきれいで都会で平和で、なんという違いなのかと彼の国の不運を思う。 

メキシコ編は楽しい旅ではなかったが、しかし革命と復讐に酔う女闘士ルイーサには心惹かれた。彼女とその恋人の反乱軍リーダーが革命を成し遂げることなどきっとないだろうと思いながらも、できる限り彼女を助けたいと思った。彼女に頼まれた爆弾仕事は楽しかった。彼女と出会わなければ、このゲームをリタイヤしてたかもしれない。






第3章ーマーストンが旅をする理由

8月30日

アメリカに戻って訪れた町ブラックウォーターは、LAノワール級に作り込まれた美しい町だった。町には汽車に乗って着いたのだが、客車に乗ってた貴婦人が到着時にホームに降りていくのが見えた。もしかしてこんなモブキャラの彼女にも家があるんだろうか?



あったらすごいなと後ろを着いて歩いてみると、町中を歩いては建物の壁にもたれて休んだりベンチに座ったりと、簡単なAIに従って行動しているようだった。さすがにモブ1人1人に家はないか。しかしAIよくできてる。美しい町なので観光がてら、何十分も彼女と一緒に歩いてしまったw

序盤から名声を積んだ俺はこの地方でちょっとした有名人なのか、マーストンという名前をささやく人が通りにたくさんいる。新聞を買えば、俺が昨日まで一緒にいたメキシコの反乱軍の記事がトップに載っていた。「アメリカ人の傭兵がいたという目撃談もある」という行が目に入る。俺のことだ。こういうディテイルが良い。

9月1日

3章のここにきてやっと俺ジョン・マーストンが何のために旅をしていたのか、理由が明かされる。ストーリーのつじつまが合って納得したが、ここまで引っ張る必要があったのかは疑わしい。この旅の理由を知っていたら、俺は1章2章ともっと気持ちが入りエクスペリエンスの質が上がっただろう。知らずにプレイした2章の味気なさはやり直せない。昔なじみだという知識だけで憎しみも怒りもない見知らぬ敵を、メキシコくんだりで延々探すのはキツかった。

9月3日

 インディアンを科学的に蔑視する科学者などが現れ、当時の世相が会話から伺える。そういえば冒頭ムービーの列車に乗っていた宣教師も、インディアンを救ってやるのだとか言っていた。同社のゲームをやると、今まで知らなかったアメリカを見ることができる。1950 年が舞台の「LA ノワール」をやったときも、戦争直後のアメリカってこんなだったのかという発見があった。

第3部以降はストーリーも合点がいき、淡々と終わりに向けてプレイしている。銀行強盗を狙撃するミッションなどは面白かった。悪漢を追って山の壁を登る等アクション性が少し加えられたが、他のゲームに比べればまあ超ベーシックなものである。

◇  ◇  ◇

英語字幕を読んでいて意味が不明なところがあって Youtube で日本語版の字幕を読むと、ああそういう意味か、よくそれを読み取れるなと翻訳の品質の高さに驚く

The last thing I want to do is 【make】 martyrs out of all these people.
(やつが)殉教者として【祭り上げられる】のは避けたいからな。
He 【can be】 killed by some petty squabble by another low life.
他のろくでなしとのつまらぬいざこざで死んでくれれば【好都合】だ。

 【】部分は原文にはない超訳で、しかしそう訳したほうが明らかにイイわけである。これは文学レベルの翻訳だろうおそらく。すばらしい。この仕事が俺に来ていたら、ここまで思いつけただろうかと感心してしまう。




第4章-旅の終わり


9月10日

本日レッド・デッド・リデンプション終了。終盤はなにを書いてもネタバレになるのでツイートはせず、淡々とプレイしていた。

今日俺がプレイしているとき部屋に娘がいて、ゲームの主人公たちが交わす愛憎入り交じる荒くれ会話を聞いていた。「聞いた? こういうゲームなんだよ。会話を聞くのがゲームのメインなわけ」と説明する。他にやることがあまりないんだよね。


アメリカ製巨大ゲームの大半は、テキスト(文章)でできている。ゲームの各章クライマックスの砦襲撃などは、無数の敵味方の攻防が見事にプログラムされていて楽しかったが、そうした銃撃戦や牛追いなどのプレイ時間総計より、会話シーンのほうがおそらく長い。

そしてそのテキストがイイわけなのだ。惚れ惚れするようなドライで皮肉なハードボイルド台詞に満ちている。アメリカ人はこういう会話劇が好きなんだろう。

ロックスター社はこうした台詞の精緻さで、役者として映画に出演しているような体験を味あわせてくれるのだが、俺は同社次作「LAノワール」のフェルプス刑事のようには本作の無法者ジョン・マーストンに同化できなかった。台詞は秀逸だしジョン・マーストンはイイやつだが、ストーリーのプロットはそれほどでも…という感じであった。◆



■感想


「ジョン・マーストン一代記」

 というわけで、Xbox 360 史上に残る傑作という名高いこのゲームを以前から楽しみにしていたのだが、思っていたのとかなり違った。評判と俺のこの感じ方の違いはなんだろうと思い、いろいろと感想記事を読んだり、日英のゲーム関連ポッドキャストを聞いたりした。

 このゲームは「ジョン・マーストン一代記」的な三部作ほどの架空の映画があって、その三部を抜き出したものだといえる。

【第一部】ギャングたちと育つ少年時代(ギャング団には当初反乱軍・義賊的なところがあったと何度か言及されている)
【第二部】ギャング団が腐敗凶悪化していき、マーストンがグループを離脱。
【第三部】(本作)ギャング時代の罪を贖う(リデンプション)ために旅をするマーストン。

 同社の次作「LA ノワール」でも思ったが、ロックスター社のシナリオはどう考えてもハリウッド映画に劣らぬ才能によって書かれており、ゲーム内の台詞のキレが素晴らしい。お互いにかすかに好意が感じられる女牧場主ボニーとの会話に心温まり、敵が投げつける激しい言葉に返すマーストンの機知にしびれる。日本のゲームとは違った骨太でドライな文学性がある。ストーリー展開はさほど面白いとは思わなかったが、台詞の文体自体に何とも言えない魅力があるのだった。

プレイしたのは英語版だが(英語字幕付き)、Youtube で日本語版の字幕を見るとその翻訳も、恐れ入るくらいうまかった。交わされる台詞のドライさ、愛嬌、にじみ出る親愛が完璧に伝わっていた。もしたまたまつけた TV でやってるこの映画を見たら、同じように台詞のキレに惹かれ最後まで見ちゃっただろうと思う。

 しかしこのゲームでプレイヤーがやることは基本的に、銃撃戦+会話を聞くだけなのが単調でつらかった。

 銃撃戦は位置取りなど工夫ができて面白いが、どんな地形でもやることは障害物に隠れ徐々に詰めていって全員倒すだけだし(敵がこちらに詰めてくることはない)、ストーリーとはすなわち会話のことで、これがとにかく長い。結果としてこのストーリーを味わうために、あれほどの距離を走り長話を聞かされたのかという思いが最終的には残った。



「その気にさせてくれない不自由さ」

序章のボニーの牧場編が俺は一番楽しかった。景色はすごいし、牛追い仕事や町の保安官の手伝いはゲームプレイもまだ新鮮だったし、ボニーは話し方にすごく魅力ある声優の好演技でかわいくて、最高だった。しかし牧場でのミッションが終わるや否や唐突にボニーとは会えなくなる。家にも牧場にも彼女がいない。

 このゲームでは町の人々とは一切話をすることができない。ミッション時に長い会話を聞かされる以外誰ともコミュニケーションできない。最も親しくしていたボニーさえ、彼女に設定されていたミッションが終わると背景に溶け込み消えてしまったわけである。

 俺マーストンは敵を追う流れ者だから、いずれにせよボニーの牧場にいつまでも留まることはできない。しかし永の別れとなるだろうボニーに礼を言い別れを告げることもできないなんて、これは悲しい。こっちはロールプレイしてジョンマーストンになりきってるのに、ゲームは次へ行っちゃってるのである。「正義でも悪でも、何をやってもいい」と自由度を謳う米オープンワールドゲームだが、会いたい人に会いほんの少し言葉を交わすという小さな自由が、このゲームにはなかった。


 ドラクエならもしボニーが不在なら、牧童が「彼女は東部の親戚に会いに行っているよ。よろしくって言ってたよ」くらいの言葉をくれるだろう。それで俺マーストンは寂しさを噛みしめ、ハードボイルドに次へ向かうことができる。自分のなりたい気持ちにさせてくれるのがゲームの自由なのではないだろうか。ミッションを達成する順序とか敵殺生の選択だとかを自由だとは俺は思わない。

 俺は悲しくてわびしくて、せめてものお別れにとメキシコへ向かう汽車の上から、ボニーの白い家に手を振ったわけですよ。センチメンタルジャーニーでしたよ。

このゲーム最大の魅力はストーリーだというのは誰もが思うところだが、俺にとって自分が追う敵は会話の中に登場するだけのストレンジャーで、怒りや憤りといった感情を抱くことは難しかった。エンディングに向かっていく終章も、映画「ジョン・マーストン一代記【第二部】マーストン、グループ離脱の巻」を見てない俺は、大きなシンパシーを抱けなかった。前作を見てない映画でも想像して感動することもあるが、ここではできなかった。そこがこのゲームを愛した人と俺の感じ方の違いなんだろう。

このゲームで俺の心が一番センチメンタルに揺れたのは、世話になった愛らしいボニーに別れを言えなかったという、小さな失望だったのである。(終わり)

2017/01/13

【Xbox 360】LA ノワール日記(終)夢と裏切りの園でフェルプスとなる

(特にネタバレはありません)

1月3日



正月二日からフェルプス刑事業務再開。殺人課を終えた俺の新配属先は、ハリウッド管轄区の麻薬捜査課だった。薬物は団体犯罪なので関係者が多く、誰を追っているのかよくわからぬ大味な仕事である。倉庫でクレーンを使うなどパズル的な工夫は増やされているが、なんとなく気乗りしない。

殺人課であんな経験をしてきた直後だもんな。多少気が抜けても無理ないよ俺フェルプス。相棒ロイもいけ好かないし。しかし回想シーンの過去の自分と今の自分の人生が交点に向かっているという、ストーリー上の高まりは強く感じている。


(チャイニーズ・シアターという名所。レッドカーペットがある。)

ハリウッドは前管轄地東 LA よりはヤシが多く西海岸風であるものの、そんなに華やかでもない。意外と夢のカリフォルニア的光景ではないな。

もしかするとビーチボーイズ的「夢のカリフォルニア」は、1947 年にはまだ存在しないのかもしれない。黒人はニグロと呼ばれ白人への敵意をむき出しにし、ユダヤ人への差別が犯罪を呼び、共産主義思想が違法な時代で、大戦で負傷兵の苦痛を抑えるために使用されたモルヒネが麻薬市場に溢れている。戦争直後の LA にはまだ、ファンファンファンな風は吹いてなかったのかもしれない。



第二の事件、「罠」。ボクシング八百長事件と戦時中の思い出が絡んでいく。戦争回想シーンでフェルプスが今と同様カタブツの部隊長だったことが描かれ、その経験がボクシング事件での行動につながる。ドラマが盛り上がってきている。この町のどこかに、今の事件のそのすぐ先に、俺フェルプスが守りたい戦友たちがいる。胸が締め付けられる。

1月5日



軍需物資盗難の捜査線上に、エリート将校だった俺フェルプスを嫌ってるであろう戦友たちが浮かんでくる。お前に話を聞かなきゃならないんだ、ケルソー。お前が事件に関係しているかどうかはまだ分からない。だが俺に疑われるだけで忌々しいという気持ちはよくわかるよ。俺フェルプス刑事は腹の底でそう思っていた。



戦友たちと交わるこの事件のクライマックスで、あろうことか俺は放火課に左遷されてしまった。盛り上がっていたのに。俺に捜査を続けてほしくない者たちが上のどこかにいる。めっちゃやる気を失った。地味な部署に左遷されて失意の刑事をロールプレイさせられている。



俺フェルプス刑事が左遷されたのはこのドイツ人ジャズシンガーのせいらしい。アメリカのドイツ人シンガーってベルベットのニコやん、戦後すぐのアメリカにいるドイツ女性ってなにか特別な存在なのかな、やっぱ彼女も「ファム・ファタール(運命を変える女)」なのかなー! って敏腕刑事はヤケクソに思った。

1月7日

左遷されてから仕事に気乗りしてないフェルプス刑事です。麻薬課最後の事件で追っていた戦友たちの消息が気にかかる。

移動中ぼーっと聞き流していた「カリフォルニアは夢の土地です! 当社はここにあなたの夢の家を提供します!」という空々しいラジオ CM が、いま追っている不審火事件で誰もが怪しいと思う大物ドナルド・トランプ氏(仮名)自ら出演するやつだと気がついた。シーン固定で挿入してあるのではなく、ランダムにかかっている。つまりこの町で彼の会社を知らぬものはいないという自然な演出なのである。

もしかすると気づかなかっただけで、ゲーム開始時からずっとかかっていたのかもしれない。洋ゲーではこういう非説明的な演出に唸らされる。映画ならフェルプスが「ん?」という顔をしてラジオのボリュームを上げる場面だろう。それをフェルプス役サカタ君が脚本も監督指示もないのにやるわけですよ。このロールプレイ感たるやすごいものがある。



移動中に聞くカーラジオは音楽、ニュース、CM、演芸と多彩な内容で実に凝っている。昔東京で聞いていた FEN を思い出す。素晴らしい女性コーラスの曲がかかり、歌詞を検索してアンドリューズシスターズと判明。うちの奥様が「アンドリューズシスターズみたいに歌いたい」と今度姉妹でレッスンを受けるのだが、これか。「――♪キャバレーでビールくらって盛り上がってたら、ピストル持って奥様が飛び込んできたよ。それで逃げてんのさ。そのピストルをしまってくれよママ、しまってくれよ。」――カクイー!

Wiki によれば、アンドリューズシスターズはヨーロッパの連合軍将兵の慰問に活躍したことでも有名であるとある。ここにも戦後直後という時代性がちゃんとこもっている。手抜きがない。



このゲームのオリジナル音楽のよさを書くことを忘れていた。こうした巨大ゲームは総合プロジェクトなので音響も実に練られていて、犯行現場から憂鬱な思いで車を出すときなどは上記のような陽気なラジオは鳴らず、車が道路に滑りだすと同時にこういう音楽がかかる。


LA Noire - New Beginning

事件の犠牲者を思い、フェルプスと相棒が押し黙ってしまう移動車内の心象が見事に反映されている。このゲームをプレイした人は、あの車内の物悲しさを思い出すだろう。これは最初は口論ばかりしていたベテラン刑事ラスティと俺フェルプスが、犯人への憤りという共有感情からある種の友情を育てていく時間の伴奏曲でもあった。

1月8日

不審火の捜査をこなしていると、麻薬課で捜査を中断させられたあの、かつての戦友が絡んだ事件と今の事件がつながってきた。そうか。さすがに左遷され俺フェルプス刑事がただ腐っていくだけじゃクライマックスに辿りつけないもんな。巨悪を暴くカタルシスがあるんだよきっと。希望を捨ててはいかん俺フェルプス。



ケルソー、戦時中俺はお前に嫌われた。見直してもらうことなど望んでいない。だけどケルソー、このままじゃジャスティスはないよな。お前と俺はもう一度、同じ敵を追って戦うのだ。

このゲームはフィルム・ノワールのシニカルな味をよく汲んでいるとマコ先生が評していたけれど、ニコリともしない男たちが投げつけ合う厳しい言葉の中にうっすらと浮かんでくる友情には、たしかに胸を打たれるものがある。いつかお前の硬い頬が俺の前で緩むところを見たいよ、ケルソー。


1月9日

最終二話。麻薬課時代からのすべての事件の全貌が見えた。敵は明確である。今日すべての事件は終わる。ここのところの展開は競馬ミステリーのディック・フランシスのようだ。俺がボコボコにされて痛くて、しかし決して志は曲げないのである。実際ならきっと曲げちゃうがゲーム内では曲げぬ。


敵の大物は、いつか俺が良景を探し車を流した丘に住んでいるとわかった。中を見たくて門をよじ登ろうとし、入れずすごすご帰ったあの邸宅だろう。敵をあと一歩というところまで追い詰めながら、俺は何やってたんだって話です。だが今度は逃さない。



夕日を背にサンセット・ブルバードを敵地に向かう。敵は人数を集め待ち構えているだろう。南に下り左に折れてサンタモニカ・ブルバードをさらに東へ。歌姫シェリル・クロウもこの道をドライブしてた。オールアイワナドゥ・イズ・ハブサムファン。




そしてストーリー終了。

苦く悲しい物語だった。最終章に回想シーンが2つ入り、刑事フェルプスと戦友たちの物語がすべてリンクした。映画を1本きちんと作ってからゲームとして分割したような、壮大壮絶な物語だった。



フェルプス、ケルソー、そして回想シーンで主役だったシェルドンの3人は、俺ゲーム史上ベスト演技賞である。このモデル俳優陣の激似ぶりよ。俳優に演技させそれをキャプチャするというこのシステムで作られたキャラ造形には、たしかに宿るものがある。


(もう一人の戦友シェルドンと、表情の豊かさで俺を驚かせた最初の事件の店員ちゃん)

彼らだけではなく、登場するすべての人に驚くほど強い印象があるのだ。1シーンしか出てこないこんな脇役ちゃんの泣き顔や声を鮮烈に覚えている。こんなことって他のゲームでは経験がない。本当の人の顔ってやっぱり情報量がすごいんだな。

分割したストーリーのすり合わせに齟齬があって、所々つながってない感もあった。あれはどうなったんだというストーリーの粗は多い。推理ものとしては批判されるようなところも多いと思う。しかしこの物悲しいストーリーラインの上で人物たちが話す言葉や見せる表情の全体が泣けるコードとなって、俺の心の琴線はずっと鳴り続けたわけである。

そこはプレイヤーの個人差が大きいところで、このゲームを壮大な失敗作と評する人も多い。それはわかる。このゲームを楽しめるかどうかは、プレイヤーがフェルプスというキャラにどれだけ没入できるかにかかっているだろう。俺は自分がフェルプスになっていくのを心地よく感じ、彼が話してはいないが心のなかで思ってるはずの感情を日々代理ツイートした。彼のダメなところを自分が情けなく思った。

ゲーム全体で言えばケルソーのほうがヒロイックで感情移入しやすいと思う。しかしゲーム終盤に大活躍するケルソーを見ている間も、俺の心はフェルプスなので彼がまぶしかった。彼の無事をずっと祈っていた。この没入感はやはり、これだけの膨大な物量をゲームとして組み上げてくれたがゆえに味わえたものだと思う。



「LA ノワール」の秀逸な部分と残念だった部分は、conflict error 氏のゲーム評「"映画のようなゲーム"を極めた先にあったもの」に詳しい。

◆「グラフィックや演出という点では全力で満点を付けてもいい出来」
◆「一見凄いが実はあらが目立つ尋問」
◆「L.A.ノワールという映画を完成させる俳優を演じるロールプレイングゲーム」
◆「異常に作り込まれたちょい役キャラクターも、オープンワールドすらも、単なる小道具やセットの一部でしかない」
◆「良かったかは別として『映画のようなゲーム』のひとつの到達点ではある」


たしかにそうで、俺は「LA ノワール」という映画の巨大セットの中にいるフェルプスという役者だった。学校演劇すらやったことのない俺が、脚本にないアドリブ台詞を観客に向けつぶやくツイッターという場所も使って、濃密な映画出演体験をできたのである。

殺人課や放火課の捜査など正直ビジュアルもストーリーもしんどいし人に勧める気もしないのだが、自分がやれたことは本当によかったなと思う。よくできた洋ゲーってそういうゲームが多い。人には勧めないがずっしりと個人的な記憶となって、ゲームが自分の中に残っていく。2016 年にやったゲームで、GC ゼルダ「風のタクト」と並ぶトップ2なのは間違いない。




おまけ

1月9日



仕事を終えた俺フェルプス刑事は、気の合う交通課ビコウスキーを誘ってLA名所踏破ツアーをしている。町の東端から驚異の細部造り込みをゆっくりと味わっていくと、米軍施設があった。――ここ入れるじゃん! かっこいい陸軍カーがあった、借ります。あ! 俺が働いてた米軍府中基地跡そっくり! なつかしい!



あっ。陸軍施設内に日本の神社? なんだこれは。



いや…。これは神社じゃない。沖縄の民家だよ、ビコウスキー。お前には話したことがなかったが、俺やケルソーはあそこにいたんだ…。――ゲーム内の隠し施設に、物語の背景につながるこんな訓練施設があったとは。このゲームを作った人たちの底知れぬ作り込み魂に戦慄する。すごいゲームであった、まったく。




L.A. ノワール日記(1)交通課編
L.A. ノワール日記(2)殺人課編「気の毒なエブリン・サマーズ」

2017/01/11

【Xbox 360】LA ノワール日記(2)殺人課編「気の毒なエブリン・サマーズ」

(ネタバレは特にありません)

12月28日


前「墜ちた偶像」事件、巨大な映画オープンセット廃墟での大アクションで交通課の仕事を終えたのだが、頼みもしないのに殺人課に昇進されてしまった。事件は怖いわ相棒はいけすかないオッサンに代わっちゃうわで、俺フェルプス刑事は仕事に行くのが鬱である。

「なんでこう事件が多いんだろうね」とぼやくと嫌味なおっさん相棒ラスティは、「戦争だよわかるだろ。帰ってきた連中が荒れてるんだ」と答えた。

物語が進む大戦直後 47 年の LA は実際に、犯罪多発で荒れてたのだそうだ。このゲームの事件はそれらの事件をモデルにしてるらしい。日本も同じだったろう。勝っても負けても戦争は傷を残す。フェルプスの軍隊回想シーンもそろそろ戦中の出来事になっていくと思われ、それがこのゲームの大きなテーマなんだろう。

俺フェルプス刑事が被害者やその娘さんに気を使うシーンがよく出てくる。フェルプスは正義感が強すぎ腹立たしい奴だが、弱者を守ることには非常にセンシティブである。徐々に彼のそういう気質が見えてきて、シンパシーが湧いてくる。

殺人課最初の事件「赤い口紅殺人事件」解決とともに Disc1 終了。え? なんだこのあっけない終わり方は――と書いたら、結論はまだ早いと先にプレイしていたマコ署長がリプしてきた。そうかこの事件が伏線として続くのか。なるほど。面白い。

12月29日

殺人課第二話、「金の蝶事件」。被疑者が二人おり、尋問後どちらかを俺が選ぶことになる。しかし状況証拠は揃っていても、確定的なものも自白もない。仕方なく片方を選んだが釈然としない。ニ事件続けて立件が弱すぎるだろうこれは…。



これでいいのだろうか…と納得行かない俺フェルプス刑事は、続くカットシーンで「本当に事件は解決したんでしょうか」とボスに問うてしまう。すると機嫌よかった彼がいきり立った。ボウズお前は黙って働け! ボスボスボス! そんな言い方ひどいわ。彼は何かを隠している。俺が確信なく拙速に犯人を選ばされているのは、手柄を急ぐ上からの圧力なのだ。なるほど。面白い。





路上強盗(メインストーリーとは関係のない単発事件)を追いかけていたら地下鉄の構内に入ってしまった。電車が通っている! すごい。興奮して通り過ぎる電車とのセルフィーにトライしたが、ピンぼけで失敗した。残念。

しかし地下鉄まであるとはすごいなと構内を5分ほどテクテク歩く。駅もあるのかもしれんが見つからず、あきらめて非常口から地上に戻ると事件現場から何キロも離れた場所だった。地下道が本当につながっているこの精密模型感が素晴らしい。これを作ることはどれほど楽しく、かつ大変だったことだろう。

パトカーを取りに徒歩で帰るのは億劫なので、通り過ぎる車に刑事証を見せ「警察だ! 緊急なのだ車貸してくれ!」と車を借りて帰る。刑事って自由だ :-)

12月30日

3話「絹の靴下事件」4話「白い靴事件」。いくつもの事件がやはりネックレスのようにつながっていることが見えてきた。そのつながりを暴きたくて、俺フェルプスは LA の町を駆けずり回っている。戦傷者が暮らすホームレスの村なんてものがあった。そしてそこに住む浮浪者たちが米政府や警察への鋭い敵意を抱いている。そういう想像してみたこともない社会背景が描かれる。戦争が終わって明るい LA の、陰になった部分にフェルプスたちの仕事がある。



そして第5話、エブリン・サマーズの孤独な死。捜査はどの事件も大差ないので中盤にかかると繰り返し感が強いのだが、このゲームの物語とそれを演じるキャラの訴求力に、俺は心を持って行かれている。故郷に帰れという母からの手紙を持ったまま都会で荒んだ暮らしをしたこの女性のエピソードは、フォレストガンプみたいだと思った。ゲームでは手がかりを求め彼女の何もないねぐらに立ち入ることになり、胸が痛む。



身寄りのないエブリンの死を知った知人の酒屋店主は、彼女の身の上を俺に短く語り、「彼女は悪いことなど何もしていない」と無念を口にする。俺フェルプス刑事は彼をハグしたくなった。エブリンのことは、母の手紙とこの店主の言葉しか知らない。それだけで彼女の孤独と哀しきイノセンスを感じ、胸が揺さぶられる。家族とうまくいかないジェーン(というドラッグクイーン)を歌ったディランの、「クイーンジェーン・アプロキシメートリー」が脳内に流れてくる。

『クイーンジェーン・アプロキシメートリー』

When your mother sends back all your invitations
And your father to your sister he explains
That you’re tired of yourself and all of your creations
Won’t you come see me, Queen Jane?
Won’t you come see me, Queen Jane?

君の母親は君の招待状を全部突き返し
父親は君の妹にこう説明する
君が自分自身と、自分がなしたことの全てに飽き飽きしてるとね
まあ俺に会いにこないか、クイーンジェーン

Now when all the clowns that you have commissioned
Have died in battle or in vain
And you’re sick of all this repetition
Won’t you come see me, Queen Jane?
Won’t you come see me, Queen Jane?

いまや君があてにした道化師たちも皆
戦争やら犬死にやらで死んでしまった
そんな繰り返しに君はもううんざりしているんだろう
まあ俺に会いにこないか、クイーンジェーン

ディランのような友人を持たなかった、哀れなエブリン・サマーズ。彼女を死なせた者に罰を受けさせねばならない。俺はそう強く思った。物語に俺の心が掴まれ、俺がフェルプス刑事に同化している。

始める前は、LA の町の作り込みと犯人のリアルな顔色演技を見ての尋問が画期的くらいの認識で、物語面にそこまで期待はしてなかったので、ストーリーがよくできていると教えてくれたおすすめ人東京国立のマコ署長に感謝しなければならない。挿入される回想シーンも今はフェルプスが沖縄で戦闘中。戦争中の心の傷がサブテーマになってるのは明らかなので、こちらも早く先を見たいと思う。物語の先が知りたくて延々とプレイ時間を注ぎ込むゲームは久方ぶりだ。

12月30日



最後の事件「半月の殺人事件」。いくつもの事件を『解決』し名を上げた俺フェルプス刑事に、犯人からの挑戦状が届く。英国詩人シェリーの高踏な詩に込められた謎を解いてたどり着く LA の名所に次の詩が置かれ、どこかへと誘導されていく。複雑な経路を見つけるパズルやメカニクス(構造物が動いたりする仕掛けや罠)もあり最高だ。そしてめったに来れない名所ではこうやってセルフィーを撮るのも忘れてはいけない。高いなー。



あった。次の名所はここだ。俺フェルプス刑事の英詩の読解力たるやですよ。大学は英文科だったしね。いやーこりゃいいところですな。写真写真…あ、目をつぶっちゃった! 撮り直したいが後ろで相棒ラスティが…もしかしてむっとしてる?



そして殺人課最後の事件が完了。いやはや。とんでもない事件だった。ゾクゾクと肌が泡立つ思いを抱えながら町中を走った。仔細はすべてネタバレになるので書けないが、洋ゲーがストーリーでえぐってくる感情の内角ギリギリは本当にエグいと思う。日本人のクリエイターはここまでのストーリーを書くことをためらうだろう。良し悪しではなく、やはり表現への向かい方が違う。



…ふう。いや大変だったねラスティ。これでお別れだ。インテリの俺フェルプス刑事は叩き上げのあんたとは気が合わなかったが、思えばいい相棒だったよ。最後に中華でも食おう。――え? 中華嫌い? これだからイモと肉しか食えないホワイトのオッサンは…(人種差別発言) 。





L.A. ノワール日記(1)交通課編
L.A.ノワール日記(終)夢と裏切りの園でフェルプスとなる

2016/12/30

【Xbox 360】LA ノワール日記(1)交通課編

(ネタバレは特にないです)
12月22日
@tomosakata



三多摩旧友おすすめのXboxゲーム、第二弾は犯罪捜査の【LAノワール】絵がすごい! 市街がほんとにある! 好き勝手に走れる! 俺フェルプス巡査は一刻を争う捜査中の車を舗道に止め、ウィンドウに見入っちゃいました。これですか。これがゲーム市場を物量パワーで席巻したオープンワールドですか。



人物の表情が素晴らしいと評判のゲームで、たしかに「千年女優」今敏のアニメみたいなリアル感がある。しかしオープンワールドRPGの野山を見てもどうせ自動生成でしょと驚かなかったが、市街はすごいな。精巧なミニチュア模型のLAが手に入ったみたいな高揚感がある。これはどう考えても人の手が作ってるとしか思えない。すごい。



警官なので次々に事件に遭遇する。そのたびに操作法も知らぬまま戦うことになり、表示されるボタンを必死で押す。銀行強盗との撃ち合いなどえらい切迫感で、ひー弾当たらんでくれーと必死です。合間合間の回想シーンの意味がわからんが、とりあえずばっちり面白い。

12月23日



初の尋問仕事があったのだが、殺人を目撃し動揺して泣きながら話す靴屋の女の子の表情がリアルでかわいくて見とれてしまった。すごいなあ。しかし彼女の証言が必要なのだが、表情を読んでの尋問は思ったより難しい。嘘をついても動揺しても、視線が定まらないのは同じだろ(笑)。

何度も質問の選択に失敗し彼女の協力が得られず、ネットでガイドを見て「正解」を知る。これがけっこう恣意的で、観察推理すればわかるロジカルな選択順ともいえない。しかしその正解順で尋問を進めるとよりたくさん話してくれて、彼女の演技がかわいくて楽しい。

その次の犯人尋問も全然当たらず(笑)。答えを見て進めるとすごくドラマチックな話になった。なるほどー。外れても捜査が詰むというわけでもなく、捜査は続き犯人はやがて捕まるらしい。しかし当てたほうが当然楽しいし演技が楽しめる。推理はまず自力で頑張って、外れたら答え合わせをして楽しもう。

Xboxを買い英語ゲームをやり始めた時から思ってるのだがこのゲームでは特に、キャラが喋るのを見ているのが楽しい。やっぱり英語圏の人たちの演技は大きく派手で、それをゲームキャラでアニメートするとめっちゃ見栄えがするのだ。まあ驚くからちょっと見てみてください、14分くらいから↓。



12月24日

今日はあれこれあって気分がダウナーな日で、そんな夜は【LAノワール】で犯罪捜査だとかしたくならないな。犯行現場とか検分したくないし、取り乱した関係者と話す気もしない。洋ゲーは一般にダークなので、気分が沈んだときにやるものではない。



ぼんやり走っていて丘を登る道を見つけ、登って行ったら古いLAの町を一望できる所があった。車を停めてゆっくりと町を眺める。バンクーバーのイーストサイドに似ている。坂のある町を車で流していると、レースゲームForzaよりこっちのほうがずっと気分がいいと思う。



LA ノワールは面白いが、1つ事件を解決したらしばらく休暇をとりたくなる。しかし捜査は大変だが、広大な町を自由に走るのはほんと気持ちいい。話を早く先に進めたいという気持ちもないので、どこの捜査現場へ行くにも回り道をしている。土地勘がないので自分がどこを走ってるのかはまるでわからず、一度通った道は地図上で色を変えておいてくれたら未踏の道を選んで走れるのだがなあと思う。

 また高台を見つけ車を止めて散歩していると、民家の庭に洗濯物があった。なんとまあ。これをつくった人たちはプログラマーというより、ある種のジオラマ制作マニアなんだろう。俺もやりたい。

ゲーム会社の技術者をやってる友人に俺が【LAノワール】の街景にいかに驚いているかを話し、どうやってあんなものを作るのかと訊ねると、やっぱりあれは手作業なんだそうだ。何百人もが何年もかけて作ってるのだと。やっぱりデジタルのジオラマ制作班なんだな。

12月26日

6章ひき逃げ事件。派手なカーチェイスの末犯人を見事捕まえたのだが、その後から俺刑事が現場付近の重大証拠を見落としていたことが判明する。Youtube で正解進行を見たら、それを見つけるかどうかで話が変わっていた。いやすまんかった俺が捕まえた犯人(笑)。しかしこの演出はすごいな。よくできたプロットだと唸った。しかしこの正解進行を見れないのは残念なので、ハズレが出たらやり直したくなる。やり直しはけっこう前からになってしまい面倒なのが難点である。

このゲームのアクションはアクション・シューティング好きから見れば相当にぬるいらしいのだが、オートでいい感じに照準を合わせてくれるシューティングは俺にはちょうどいいし、カーチェイスはレースシミュレーターマニアの俺から見ても非常によくできている。グリップやハンドリングがリアルということではなく、敵車の取るコース取りが絶妙で、コーナーで突然ガバッと曲がる敵に巻かれないようにライン取りとスピードを準備しつつ追うことが非常に楽しい。

また普段の走行でもそうなのだが、サイレンを使うとだいたいの一般車は道と交差点を開けてくれる。とはいえ相手も人間なので完璧ではなく、交差点に入ってくる車をよけたり隙間がない車間に突っ込んでいくことも多々発生する。この辺のダイナミズムがすばらしいわけ。タイヤがグリップせずコースも読みにくい Forza より思い切り走れ楽しいのだ。願わくば LA の地形がもっと多彩だったらなあとは思うけども。 もっと坂がほしい。



寄り道の足を伸ばしたら狛犬の置かれたチャイナタウンがあった。おお。散歩するとウィンドウの商品が美しい。この店は日本の骨董屋なんじゃないかな。

12月27日



【LAノワール】今日はロング道草をしたくて相棒を路上に置き去り延々西上すると、飛行場があった。もしや飛行機もあるのかとフェンスを破り入って行くと…格納庫にあった!



…いやーすごいなとセルフィー撮って表に出ると、パトカーを捕まえ俺を追尾してきてた相棒が待ってた。あ、ゴメン怒った?(笑)。

相棒「お前な。こんな公的資源と人材を無駄遣いして、悪いと思わないのか?」。思う! ゴメン! パトカーのお二人もむっとしてますよね、夜中にソーリー! ――しかし楽しいなあ道草。どこまでも行こう、道は険しくとも。

しかし金網に囲まれた立川基地みたいな場所に無理して入るプレイヤーなどいるかわからないのに、そこにちゃんと格納庫と飛行機が用意されているんだからすごい。感動してます。置いてけぼりにした相棒が追いついてきたのにも感動(笑)。



(「墜ちた偶像」事件の舞台本物写真を見つけた。こんなセットが当時LAの町にあったわけである。すごい)

第7の事件、俺の交通課最後の仕事「墜ちた偶像」事件。映画産業末端のクズどもめ、ブタ箱にぶち込んでやると俺フェルプス刑事は証拠を集め推理して、犯人を巨大なオープンセットへと追い詰めていく。とんでもない巨大セットでトゥームレイダーみたいな大活劇! 楽しめました。 

この頃主人公が徐々に弱きを助け強きをくじく人間味を見せ始め、だんだん彼のことが好ましくなってきた。バットマンACをやったときにも感じたのだが、こうした大型ゲームのシナリオ台詞の見事さは米映画産業に裏付けられた感があり、惚れ惚れさせられる。相棒がギャング相手にまくし立てた前らはゴミだ的なアジりは、清水の次郎長森の石松の一節のごとき言葉炸裂で快感だった。

相棒が7話でギャングに言った言葉。「いいか。お前らがまだ鉄格子の中にいないのは、取るに足らんハエだからだ。お前らにかまうヒマなど警察にはないんだ。わかったかアスホール」。しびれるなあ相棒ビコウスキー。今朝キミを置き去りにしてドライブ行って悪かった :-)



L.A. ノワール日記(2)殺人課編「気の毒なエブリン・サマーズ」
L.A.ノワール日記(終)夢と裏切りの園でフェルプスとなる