2019/01/29

橋本治に救われた青春たち


朝起きて、橋本治が亡くなったという報を読む。俺が大島弓子を読み始めたのは、彼の少女マンガ評論「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」を読んだからだった。とにかく面白かった。難しい言葉を知らなくても、簡単な言葉でも大抵のことは考えられるんだと教えてくれた。蒙を啓くというやつですよ。これは大学に入りいろいろと苦悩する若者には救いだったのだ。

いま大学1年のムスメが哲学などの教科書を苦吟しつつ読んでおり、「わからないと言うとクラスメイトはペラペラ解説してくれて、自分がバカみたいで…」という。そんな彼女にこういう面白い評論を読ませてやりたい。あとから起きてきた彼女にそう話す。

「私が君の年のとき読んで助けられた評論家が亡くなってね、いまみんな同じことを言ってるよ。彼に救われたって。そういう助けとなる本に君が出会えたらいいんだけど」

やっぱりあの頃に自分が出来上がっていった気が強くする。バンド活動上でも影響受けたし。現代ネット時代に育つ娘は本を読まないので、そういう体験をできてないのが悲しい。カナダにも橋本治みたいな作家がきっといるだろう。

◇  ◇  ◇

橋本治はパンタと友だちだった。自由業同士昼間からお互いの家に入り浸ったりしている様子を彼が書いていた。俺がほぼほぼ自由業の廃墟警備員をやってる頃、バンドマンの友だち(アライ君です :-)が廃墟に来て俺とエポック社サッカーゲームで対戦したりしていて、これって橋本治とパンタっぽいなあと思っていたのだった。はは。

――アライ! お前のパコソンかパソコンかパコンソンをネットにつないでくれよ! 話をしたいんだよ! (あと亜紀子さんもメールが届かなくなってしまった、連絡くださーい!)


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