=======================
■12/01/27(金) □ 糸子の恋(カーネーション)
=======================
テーラー周防開店に動く糸子。画面いっぱいに漂うアンハッピー感、糸子の地に足がついてない感。昌ちゃんが能面になっている。やっぱりそうなるよな。糸子は批判は受け入れると言ったけれど、それは単なる言葉であって、糸子の気持ちもみんなの気持ちも言葉ではどうにもできない。残るのはアンハッピーさだけ。
「風と共に去りぬ」のアシュレーのごとく、周防さんが病弱の奥さんに戻っていく。そして糸子の目が覚め、「そうや。タラや。タラに帰るんや......だんじりに」となる―――そうなるよう俺は願っている。誰もが苦しすぎる恋なんだ。
しかし後戻りできないところまで来てからあんな顔をするなよ周防さん。あんな顔をするなら連れて行かないでくれよ。あんなところまで行ってから糸子を泣かせないでおくれよ。
そしてやはり少しだけ「風と共に去りぬ」的に、恋は終わりました。
=======================
■12/01/28(土) □ 予期せぬジャムセッション
=======================
萌を友達の誕生パーティに連れて行く。誕生パーティといっても大人も何十人もいる盛大なホームパーティで、知ってる人は1人もいない。こりゃ退散だと萌を置いて去ろうと思ったら、その家になんとグランドピアノを発見した。グランドピアノなんてある個人の家は初めて見た。―――あ、ギターもある。キーボードもマイクもある。アンプやミキサーや PA や録音機材も揃っている。なんという音楽的な家なんだ。
そしてちょうどピアノを弾けるお方がまさに着席するところ。これはやらせてもらうしかない。許可をもらってしょぼいアコースティックギターを手に取り、ジャムセッションを開始した。
ピアノマンはジャズ畑の人だそうで、「じゃあCmのブルースで」と弾き始める。Cmのブルースなんて聞いたことないよ(笑)。ギターでは無茶苦茶弾きにくいキーである。やっぱ鍵盤屋は別世界の住人だなと思いつつ適当に合わせる。ピアノにギターの低音弦カッティングが入ると、それだけでリズムが出て相当に気持ちいい。次の曲ではブルースハープ(ハーモニカ)が吹ける人が入ってきて3ピースバンドになった。この家はハープも各キーが揃っているらしい。なんて家だ。
だいぶあとで判明したのだが、このうちのお父さん(このピアノマンではなく、二度目のセッションでピアノを弾いたおじさん)はバンクーバーの演劇用に曲を作る作曲家らしい。
聴衆が徐々に集まってきて、ピアノマンが「Just the Way You Are(ビリージョエル)」を歌い始める。バーとかでこういうスタンダードをたまに歌ってるような人なのかもしれない。俺は当然コードは知らぬが、ピアノマンの音からキーを拾い歌に合わせオブリガード(合いの手)を入れていく。ピアノマンは俺の音を聞いて喜び、間奏でソロを渡してきた。音の小さなボロいアコギなので音量が足りず、それでもキュッキュッと高いピーク音を使い皆に聞こえるように弾き、お客さんを喜ばせる。
じゃあ次はEの3コードで頼むぜと俺が声をかけ、♪I went down to the crossroads, fell down on my knees. I went down to the crossroads, fell down on my knees. なんとかかんとかマーシー! なんとかかんとかプリーズ! と「クロスロード(クリーム)」を大声で歌う。歌詞はこれくらい覚えてればOK。ハープ男も一緒になって歌ってくれ、人もどんどん集まり盛り上がってきた。よおし。いいぞ。
最後はAの3コードのロックンロールリフを俺とピアノマンが弾き、ハープマンがハーモニカでソロを取る。しかし歌がないと盛り上がらないぜ。このコードで歌えるものは......と弾きながら考え、後半無理やり「ボニーモロニー(ジョンレノン)」を歌った。♪I got a girl named Bonny Moronie/She's as skinny as a stick of macaroni......―――いつからか知り合いのGYが来て聞いてたらしく、曲が終わると「トモすごいわ!」と抱きついてきた。いやー盛り上がった。よかったよかった。
萌は俺がギターを弾き知らない人々にウケてるのを初めて見て、「あれうちのお父さんだわ!」と遠くから声を上げ恥ずかしそうにしていた。親がすることはなんでも恥ずかしい年頃なので近くにはこないが、まあいいぜ。ロックンロールだぜ。
◇
だいたい酒が入ったパーティのジャムセッションなので、こんなワケのわからない楽器を弾いてる奴がいるというだけで笑える。盛り上がるのである。「レットイットビー」のソロをこれで弾いたらバカウケした。ちゃんと弾けてるわけないのだが、ギターソロのメロディは全員が当然知ってるので、三味線上で俺の左手がそのメロディに合わせ動くだけでエア三味線としてオオオとウケるわけである。
演奏後は「彼はトウキョウから来たパンクロッカーよ!」とGYからなぜか誤って紹介され、知らないお母さんがたにありがとうグレイトと抱き締めまくられました。いやパンクだったわけではないのだが(笑)、よかったよかった。サンキュー! サンキューバンクーバー!
=======================
■12/01/29(日) □ ランドリーゲートの想い出
=======================
PYG 時代の岸部一徳のベースがジョン・ポール・ジョーンズに激賞されていたという話をツイッターで知って驚き(井上堯之バンド「傷だらけの天使」のあのなつかしいベースラインも彼だったのだ!)、Youtube に PYG「自由に歩いて愛して」を聞きに行ったら、少女時代立川基地に住み、ジュリーを愛したというアメリカ人女性から驚くべきコメントがついていた。
私は 1969-73 年に立川基地に住んでいてジュリーの大ファンだったの。彼はテンプターズのショーケンと PYG というバンドを組んでいて、私たちは何度もライブを見に行ったわ。ジュリーはストーンズやエルトンジョンを歌って素晴らしかった。ジュリーとショーケンはその頃一番人気のあるロックシンガーだったわね。オープンリールで何本も彼らのテープを持ってるのよ(ポーラ)
閉鎖後の立川基地に出入りできたわずか数人の日本人の1人である俺が、沢田研二→岸部一徳→PYGつながりでこの人に出会ったというこのエンカウンターもまたスゴイ(そういえば立川基地常駐の俺のボスも沢田研二の大ファンだった)。ポーラさんにそうコメントをつけると、圧倒されるほどのパッションで大長文メールが帰ってきた。
『13歳から17歳まで立川にいたのよ。アメリカに帰るときは、帰りたくないって飛行機の中でずっと泣いてたわ。当時の米兵は日本の人たちにひどい態度だったけど、私は基地の外で働いて、まわりは全部日本人の友だちで、大和基地のハイスクールでも日本語を取ったから日本語の上達も早かったの。ジュリーを見に何度新宿に行ったことか。彼はものすごくゴージャスで美しい声だったわ』
『あの頃の日本の素晴らしいライフのことなら、いくらでも書けるくらいよ。本当に友だちが恋しくてたまらない。日本に帰りたくてたまらない。もちろん今はもう昔と違うってわかってるけれど、それでもいつか必ず行くわ。そしたら間違いなく泣いちゃうわね。私はあそこに、心の一部を置いてきたのよ』
―――そうか。フェンスの外に友だちがいた立川基地の少女。この人は松任谷由実「ランドリーゲートの想い出」の女の子だったんだ。折り返し「ランドリーゲートの想い出」のクリップに英訳をつけて彼女に送る。ほら、これはあなたの歌ですよ。
ランドリーゲートの想い出(Momeries of The Laundry Gate)
ふた駅揺られても まだ続いてる
Train has passed 2 stations already, and still I see
錆びた金網 線路に沿って
The rusted wire fence, all along the railroad
昔あのむこうを あの子と二人
I used to walk on the other side of the fence
風に吹かれて 歩いたものさ
Blown in the wind, along with her
男の扱い ピザの作り方
Ways to handle boys, how to make pizza
得意気な声が 目をつぶれば聞こえる
I can still hear her bragging tone of voice as I close my eyes
ジミヘンのレコードも返せないまま
I couldn't give her Jimi Hendrix record back
手紙を書く柄でもないし
Maybe I should write to her, but I'm not that kinda type
見送る約束 寝すごした日には
I couldn't make it to see her off, when I got the the old runway
古い滑走路に 夏草だけ揺れてた
Only I could see were waving summer weeds
16の誕生日 私にくれた
I even put on the bitter lipstick she gave on my 16th birthday
苦い口紅 つけて来たのに
to say goodbye
あの子がふるさとへ飛んでいってから
Since she has flown back to her home country
なぜか寂れてしまったランドリーゲート
the Laundry Gate became deserted somehow, I don't really know why
「これが自分にとってどれほど意味のある歌か、言葉にできないほどだわ」と彼女は答える。40年の彼方から美しい外国の歌となって甦る、甘い想い出よ。
彼女は立川に置いてきたんだ、本当の自分を。アイラブユーベイビー、ぼくらは、立川が好き。
Tachikawa AB Laundry Gate 1969 (C) TachikawaAirBase
追記(2012/02/11):ポーラさんが(米軍)大和ハイスクール時代の同級生にこの歌のことを話したら、「それは大和ハイに行ってたあの子の歌よ! もう亡くなったけれど、お葬式にユミが来て歌ったのよ!」と言われたそうです。―――なんだこの奇跡のめぐり合わせは。すごすぎるとポーラさんも私も絶叫状態。
【関連記事】
追憶の調布関東村(1)関東村最後の日々
追憶の調布関東村(2)関東村のシクスティーズ
追憶の調布関東村(3)府中基地キノコの森
追憶の調布関東村(4)ゴールデンブラウンの立川基地
追憶の調布関東村(終)さよなら関東村
とても魅力的な記事でした。
返信削除また遊びに来ます!!