2008/09/14

2008 日本旅行記(3)「念願の戸隠奥社へ」

「親戚のビートルマニア」「漢字ソフトは大ハズレ」「オリンピック柔道の見方」ほか。

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■08/08/26(日) □ 親戚のビートルマニア
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 昨日深夜までライブを見ていたので午前中は体を休め、午後から今回の来日の主行事である父さんの一周忌法要となる。

 しかしそれにしても昨夜のライブハウスの煙状況にはまいった。酸欠と有害物質で身体にガンガンとダメージがくるのを体感した。何度も煙の少ない入り口の方へと退避したが、苦しかった。自分がタバコを吸っていた3年前ですら日本のレストランはケムくて苦しかったので、もはや耐えがたいのである。日本も公共屋内禁煙になってほしい。

 日本では「ここでタバコを吸ったらうまいだろうな」という場所には灰皿がばっちりと置かれており、来日以来情緒的には非常にそそられていたのだが、こうして人々が吸っている場に立ち会うたびに息苦しさを感じるせいで肉体的には全く吸いたくならない。日本のケムに取り巻かれているおかげで、逆に禁煙意欲がつよく....というかケムの入っていない空気への欲求を強く感じるようになってしまった。

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旧O旅館のおじいさんと味噌屋の叔母さん
父さんの一周忌法要。うちの母さんの叔父にあたる湯田中旧O旅館のおじいさんとその息子さん(つまりうちの母さんの一番若い? イトコ)が転居した諏訪から来てくださったのだが、その60代くらいの息子さんがなんとアビーロードでポールに、ダコタハウス前でジョンにサインをもらったという超つわものビートルマニアなのだと初めて知りひっくり返った。親戚にそんな人がいるとは40数年知らずに生きていた。

 そういえばO旅館のお兄さんたちの部屋にはエレキギターがありましたよねえと、子供の頃を思い出し話をする。あのうちの誰かがこのお兄さんだったのだろう。うちの母系はこうした趣味人が多い。音楽の道に進まなかったのが不思議なほどのパッションで彼は、俺とOKOにポリス再結成コンサートの話なんかをしてくれた。こんな人が親戚にいたとは!

 だいたい30数年前、俺が小学生のときに亡くなった湯田中の祖父の弟がこうして存命だというのが、いくら年が離れてたとはいえ奇跡みたいな話である。親戚というものは面白いと、去年の葬式で会った牛飼いのおじいさんに続き思う。

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■08/08/25(月) □ 漢字ソフトは大ハズレ
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 萌を連れて Nintendo DS のソフトを買いに行く。絶対買うと決めていた漢字学習ソフトとして「250 万人の漢検」というのを買ったのだが、子供がDSで楽しく漢字を学ぶという期待した内容ではぜんぜんなかった。読み書きの問題がぞろぞろと出てくるだけで、知らない漢字を学び練習するモードがないのである。字を探す辞書モードもまるで実用にならない(※)。UIもいったいこれはどこの素人が作ったのかというひどいデキな上にメニューは全部漢字で書かれており、「全年齢対象」というのは大嘘で子供が独力でこのソフトを使うこと自体が不可能になっている。
(※)登録字が少なすぎて実用にならない上に、「文部省常用漢字」で音読みでしか登録されてない漢字は訓で引いても出ないという、資料棒引きの阿呆さに強い怒りを覚える。

 漢字学習として誰もが思いつく機能を欠いていながら、画数当てやら部首クイズなど一般人には用がないモードは充実している。つまりこれは漢字クイズ(つまり「漢検」)を受ける漢字マニア用問題集なのだとやがてわかってきた。紙の問題集を電子化しただけで何の工夫もない。がっくし。だったら『「書く学習」「読む学習」「覚える学習」』なんてコピーを書かないでほしい。問題集は覚えた内容を復習する素材であって、これで読み書きを覚えるのは不可能なのだから。即刻売却を決定。

 はあ。DSソフトはなんか、「カセットで高価でハズレが多い」スーファミ時代に逆戻りしているように思う。ソニーは Playstation ソフトのクオリティチェックをやったらしいが、任天堂は放置してるのだろうか。

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■08/08/27(水) □ 念願の戸隠奥社へ
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 3年前は片道2kmという標識を見てリタイヤした戸隠奥社へ。今回は母さんもチームに加え、いざ勝負のときである。



 Mと萌は張り切って先に登ってしまい、俺は美しい参道を母さんと一緒にゆっくりと登る。入り口、随神門など節目節目に拓本ポイントがあり、萌たち は購入したブック(\500)できれいな拓本を取りつつ登る。全山数十箇所のうち奥社と中社にある6箇所くらいしか拓本を取れないが―――その他は古道を 歩いて探す必要あり―――、これはいい参拝記念だ。



 片道 2km のうち真ん中の門を過ぎてしばらくあたりまでは坂もゆるくふうと息をする程度だったのだが、最後の石段数百mはキツかった。おばあちゃんは高い石段に膝が痛むとのことで、ゆっくりゆっくりと登っていく。俺もそれ以上ペースは上がらず (^-^;。



 ついに登りきった場所は狭い土地に階段が複雑に入り組み、そして頭上に戸隠の山々がずばーんと見える。まさに神峰という感じで非常に気持ちがいい。

 ところが最後の階段を登るとコンクリートの社務所のようなものがあり、なんとこれが「奥社」なのだと判明した。なんと。苦労して目指したのがこれか。拍子抜け。

張り紙を見ると、奥社はなだれで何度もぶっ飛ばされたため、最後(1978 年)にこの積雪何トンかに耐えられる鉄筋コンクリートお社にしてしまったとのこと。新しくてもせめて白木にしといてくれたらと参拝客は思うが、そういう事情なら仕方がないのか。ま、祭られたご神体(天照大御神を引っ張り出した神様)に変わりはないんだしな。

 いやだいたいこの戸隠山がご神体なのだ。この威容には有無を言わせぬ説得力がある。登ってよかったと素直に思わせてくれる。階段に座り飲み物とお菓子を取る。気持ちがいい。おばあちゃんも普段からダンスで鍛えてるから脚は大丈夫だよと、達成感を感じ笑っていた。じっさいすごい体力のおばあちゃんであります。

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 下り、萌はすれ違う人のすべてに「頑張ってねー」と声をかける。石段のキツい部分では「あ、ありがとう!」といい返事をもらえたのだが、真ん中の門を過ぎると参拝客は参拝遊歩を開始したばかりで体が全然きつくないので、頑張ってといわれてもピンとこず反応が鈍くなってしまった。その辺の人情の機微を萌に話すのだが、萌は返事をもらえなくてもいいのと声をかけ続けていた。


中社前の広場でウェールズから来たという
鷹匠がトレーニングをしていたのだが、
こいつが実は忍者だったと後年判明(笑)。
参道前のそば屋で食事をし、忍者村へおばあちゃんを案内する。あたしはいいよとおばあちゃんは言うのだが、いやこれが面白いんだ行こう行こうと連れて行く。カラクリ屋敷は3年経つと俺たちもカラクリと順路をすっかり忘れており、十分迷え楽しめた。あの平衡感覚を失わせる謎の部屋ではおばあちゃんも声を上げ大騒ぎであった。中社にもお参りしお土産を買い、今年は戸隠に心残すことなく下山したのであります。

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■08/08/29(金) □ 「大人の漢字練習」
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 恒例の善光寺へ。蒸して暑かったが参道でおやきとジュースをいただき、境内をゆるりと歩くといつもと変わらず心地よい。そしてこれも帰国時恒例の焼き鳥デイブにも参拝。あそこの皆さんは何年あいだを置いて会いに行っても変わりない。11年の年月が信じがたいほどトシを取らないし、店の様子も変わりない。全然儲かってそうにないのにつぶれていない。善光寺参道から徒歩30秒という立地ともども不思議な焼き鳥屋である。今度日本に来るときは、昔みたいにキャンプに行こうと誘われた。はい、ぜひ。

 俺はネットで調査を行い、絶賛されていた漢字ソフト第2弾「大人の漢字練習」をゲット。「250 万人の漢検」はハズレだったが、こいつの漢字を学ぶモードの出来は完璧に近い。認識が速く、字が分からない場合はその場で大きな書き順マスの上をなぞるという次第。これは理想的だろう。学校の漢字プリントと同じで直感的なので萌も楽しんでいるし、俺がやってみても楽しい。「大人の」という趣向ゆえか子供が知らなそうな熟語が例文に多いのだけは難だが、そこだけは俺が見てやって付き合っていけば、萌が熟語を覚える役に立たなくもないだろう。よし、これでおばあちゃんにDSを買ってもらった大義が立つ。

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■08/08/30(土) □ オリンピック柔道の見方
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 大雨になってしまったが、長野のインドアプールへイトコ総出でおでかけ。思ったよりも水温が低く冷えたが、波のプールが期待通りに楽しかった。

 帰りに寄った寿司屋も文句ないうまさ。ここは高級回転寿司という値段の、つまり安くはない店なわけだが、客は行列を作っている。しかし1皿2個でハンバーガー1個からラーメン1杯分くらいの値がするものを、子供がパクパクと1分もかけずに消費しているのを見ると複雑な気持ちになる。客単価は相当に高いのではないだろうか。

 寿司はたしかにうまいけどさ、値段はかなりするのになんで寿司屋にばかりこうして行列ができるのかねと母さんに話を向けてみる。俺はうまい肉を食べた方がもっとうまさを身にしみて感じるんだけど。こないだキャンプでいただいたうちの店の肉なんかほんとうまかったよ。母さんは、「いまは焼き肉をどーんとという時代じゃなくて、ヘルシーな魚を少しだけという時代なんじゃないかしら」と分析していた。うーむそうか。―――まあカナダでもうまい寿司は食えるけど、うまい肉は絶対に日本にしかないので、それで俺は肉の方によりありがたみを感じるのかもしれない。

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 夜、NHKスペシャルのオリンピック柔道番組を見る。北京大会で日本がなぜああも勝てなかったのかがよく分かる解説だった。ライブで見逃した鈴木がタックルで1本を取られた映像と、欧州のレスリングをベースにした選手が両者倒れもつれた体勢からブリッジで相手を投げ1本を取る映像には衝撃を受けた。あんなのがアリなのか。つまりどんな手段を使っても相手の背中をつければポイントというのが現在の柔道なのであって、立って組む必然性はまったくないスポーツになっているわけである。むしろ立ち技で相手を倒すのは難易度とリスクが最も高いわけで、だから組んで技を掛け合うシーンは皆無となり、ほとんどの時間襟を取り合うばかりになっているわけだ。

 番組としてはこの流れに対応せねば日本は勝てないという内容になっていたが(石井は対応して勝てるスタイルを確立している)、これは柔道というよりも打撃のない総合格闘技であって、レスリングのほうにより近いつまらない競技になっていることを示している。北京大会柔道を通して勝負を分けた最大のポイントはいかに(遅効の)警告を避けるかにあったわけだし、石井の金メダルに狂喜した日本人はいないのだ。柔道をその程度のカタルシスしか得られない競技にしてしまっていいのかどうか、Judo 連盟は考えてみてほしい。そんな権利が君たちにあるのかね。

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