2008/09/08

2008 日本旅行記(2)「菅平メモリーロード」

「鬼押し出しの奇観」「軽井沢観光」「長野音楽シーン」ほか。

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■08/08/15(金) □ Mのカレー
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 今日はMがカレーを作り皆さんにふるまった。Mの作るようなインディアン・ベジタブルカレーは旨みがないので日本じゃ人気がないのであり、苦労して作っても喜ばれないだろうと思ったのだが、意外やとてもいい味が出た。いつもカナダで作ってるのと全然違う。なぜなのか不明で、豆缶の銘柄が違ったからかしら。

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 昨日出かけている間に柔道の鈴木があっけなく負けたらしい。信じられん。今日は石井というあのせせこましい柔道をする奴が彼らしい柔道で勝ったが、女子の塚田は攻めに攻めて逆転負け。日本は男女2人ずつしか勝てなかった。柔道は襟の取り合いとかけ逃げが5分間延々と続く、非常にフラストレーションのたまる競技となってしまっている。難しいなあと思う。

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■08/08/17(日) □ 菅平メモリーロード
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 OKO一家に連れられ、群馬の嬬恋でキャンプ。バイクで何度走ったか分からん菅平を、先週に続きOKOの後ろを追走する。菅平・鳥居峠・嬬恋。この道はなつかしすぎる。「いつも東京から長野に帰るのにさ、俺たちバイク乗りは可能な限り曲がった道を求めて、軽井沢から嬬恋に抜け菅平を降りるこの道を帰ってきたのだよ。このコーナーでOKOが転んでさあ」とM萌に説明しながら走る。菅平メモリーロード。

 それにしてもミニバンOKOは速い。あんな背の高いミニバンで飛ばして大丈夫なのかと後でMK奥さんに聞くと、「彼はバイクみたいに上体を傾けて運転しており、乗員は疲れることがある」とのことであった。俺と同じく車内リーンインで曲がっているのだ (^-^;。



 OKO夫妻のキャンプ装備はネット式巨大タープを中心に組まれた壮大なものであった。彼らはキャンプで悪天候にたたられることが多く、それに抗するために巨大タープを導入したとのこと。たしかにこれだけカバーされていればどんな天気でも平気だろう。強風にはつらそうで、着いた直後は風が強くうーむという感じだったが、タープとテントを建てお茶にする頃には幸い風が収まってくれた。風がなければ超快適である。草原のリビングルーム。

(鍋を忘れた責任を一身に負う愚かな弟)  

さてじゃあご飯にしようかというところで、OKOが炊事道具を忘れてきたことが判明。ツーバーナーと鍋がないという。これは致命的かと心配したが、ヒバチと網はあったので焼き肉+焼き魚+生野菜類でダイジョブであった。牛と豚肉は我が実家焼き肉店からの支給で、久々にしびれるほどうまかった。長年にわたるうちのスペシャルティである牛はもちろん、兄貴が推しているという飯山豚も信じられないほどほくほくと柔らかでうまかった。幸せ。

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 ◆22:25 べッドイン。Pocket PC のおかげで、長年夢見たテントでコンピュータが実現しています。バイク時代に Pocket PC があったら、テントの中でさぞや書きまくっていただろう。しかし3人テントに3人は寝づらい。あまりよく眠れそうにない。

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■08/08/18(月) □ 鬼押し出しの奇観
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 やはり3人テントに3人+全荷物は無理があり、皆長い時間眠れず苦しんだ。換気がいまいちで酸素が薄くなり寝苦しい。目が覚め夜中にトイレに起き出すと、外は夜霧が降りびっしょりになっていた。

 朝食後散歩をし、すぐ出ようかと思ったがこの後宿を取った軽井沢までは田舎でろくな飯屋もなさそうなので、ここでもう一泊するOKO一家とともに昼飯もいただく。昼過ぎに軽井沢に向け出発。サインがなく国道まで出るのに苦労したが、R144 に戻ればあとは勝手知ったる道。なつかしい吾妻川沿いの渓谷道をあっという間に抜け、鬼押し出しハイウェイに入る。

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 そしてこれまで何度も通り過ぎたが入ることなど考えたこともなかった鬼押し出し園へ入場。Mは絶対こういうのが好きだろうと目星をつけていたのだが、これが大正解であった。一面溶岩の山の頂にお寺が乗っかっている。




右手にはるか菅平鳥居峠までが見渡せる原野が広がり、左手は曇っていて見れなかったが浅間山が続いている。見渡す限り溶岩の大地というのはやはりすごいものがある。おおと声が出る。普通のカメラではその広大感が映し出せず(ネットで他の人が撮った写真を見ても同じ)、ワイドレンズがほしくなる。麓で「浅間山の湧き水で作った、日本一おいしい」かき氷を買って食べながらゆっくりと登り、奇観を存分に堪能した。



 出発が遅かったのでこれで時間がなくなり、あとはまっすぐ軽井沢の宿へ。R18 に降りる中軽井沢の道は左右の切り返しが延々と続き、バイクだといいトラクションが得られず妙に疲れる道なのだが、車だと割合に疲れもせず快適に走れた。日本の道は車でゆっくり走ってちょうどいいRにできているんだな。懐かしい軽井沢へ続く道。今日はペンションに泊まり、明日は旧軽散歩である。

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■08/08/19(火) □ 軽井沢観光
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軽井沢観光曰。ときおり雨に降られながら旧軽をぶらぶらと歩く。20年ぶりの軽井沢は道以外の全てが変わり、道すらも変わって教会通りが屋根のあるモールになっていた。Mは苔むす軽井沢がかなり気に入ったようである。



 店を物色して歩くのは昔と変わらず楽しいが、高いお茶だのケーキだの有料トイレだので金がどんどん消えていくのにまいる。旧軽に来てる人々は来るだけで地域に大きなお金を落としているんだから、公共トイレなしはないだろう。観光協会からしてトイレを有料にしてるんだから呆れる。こういう人の足元を見る商売は日本の悪いところだ。

 軽井沢はタイ・インド品店がなぜか豊富で、Mが一番買い物に燃えていた。萌もインドのペンダントを自分のお金で購入。俺はあの懐かしい写真屋で、昔買ったジョンの写真を探す。ヨーコに見つかり剥奪されたといううわさを聞いたことがあるが、もう販売はしていないものの店の壁にはまだ貼ってあった。販売だけ差し止めになったのかもしれない。

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 そしてMの旧友に会いに佐久に降りる。仕事ではいろいろと変わりあるようだが、T画伯夫妻は変わりなかった。会えてよかった。

 暗くなり、菅平越えは疲れるのでハイウェイで帰宅。この佐久→須坂の 73.4km の高速代が 1800 円もした。1キロ 24 円である。今の究極高値ガソリン代よりもまだ高い。ふざけるなである。長野→佐久の新幹線代も同等だし、日本の移動費用の高さはむちゃくちゃだ。

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■08/08/21(木) □ 博物館ショップ
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 昨日まで小学校が休みだったが、今日からは萌のイトコたちがみな学校に戻り、うちの家族3人+おばあちゃんだけとなる。今日は中野で買い物という小イベントへ。有名なユニクロというところに俺は初めて行ったが、人々がいいと思うデザインとクオリティを備えているだけでもえらいのに、値段が安いので恐れ入る。こりゃ売れるわけだわ。


 そこからの帰路、「中野の道沿いにMが好きそうな和ダンスが道端に置かれてたわよ」と母さんがいっていた店「アラジンのランプ」が見つかる。わ、たしかに和ダンスが道端のテントの下にある。や、安い。千円二千円の世界。Mはこういう安い家具を買ってカナダへ送るという野望を抱いているのだが、送料が5万やそこらは絶対にかかるだろう、カナダで業者から買ったほうが安いってと俺は必死にいさめている。


なにこの安さ! とほとんど悲鳴を上げる奥様。

 店内はさらにすごかった。こないだの中古雑貨屋よりもさらに年代が古い、戦前戦後あたりの雑貨が並んでいるのである。明治軍人を称えるポスター、天皇ご真影、爆撃後の東京を写した個人の写真帖、軍人が使ったらしき水筒や雑嚢などなど。須坂の「田中本家博物館」に収まっていても不思議はないレベルの雑貨に値段がついて置かれている。俺はそういうものを所有する趣味はないので買うものなどないのだが、興奮してしまった。

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 夜、女子サッカー3位決定戦。2~4年前は最強だったドイツを相手に、パスをつなぎ組織でボールを奪い技術を発揮して、真っ向から勝負し優勢に試合を進める日本。このチームはなんでこんなに素晴らしいサッカーができ、男子はなんでできんのだろう。最後にフィジカル差からこぼれ球を2発押し込まれ不運な敗戦だったのだが、しかし日本はこれでもう、女子サッカー世界の強豪として十分に認められるだろうと思う。ファンタスティックだった。

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■08/08/22(金) □ 松代の古学校
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 まだ行ったことがないというMKさんも誘い、10年ぶりに松代へ。目当ての真田屋敷はなんと4年にも及ぶという修復工事のただ中ということで、庭の池以外見ることができなかった。


 しかし隣の真田藩校は無事見られ、しかも前回の記憶にはないのだが上に上がり、剣術所、弓術所、畳敷きの学問所など美しい校内を自由に見ることができる。MKさんが係の人に聞いた話では、70 年代に今の小学校が完成するまではなんと校舎として使われ、そしてなんと今でも弓道場や剣道場として現役で使用されているのだそうだ。すごい話である。日本のこうした古いものが観光資源となったのはごく近年のことであり、それ以前には価値を認められず壊されてしまったわけだが、松代藩校は使われることで残ったわけである。

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 【代表ウルグアイ戦】タレントの不足で五輪を負けたという印象が強いので、玉田・達也・小野が入ったこの代表メンバーにはわくわくさせられたのだが、試合が始まってみると相手が強かった。達也が元気なうちは何事か起きそうな気配を楽しめたが、ウルグアイが常に日本の上を行く厳しさで戦ってき、やられてしまった。オリンピック女子チームのようにはいかない。そして小野の何もできなさが際立っていた。うまいのだがチームを動かせず、したがって何もできない。本人も悩んでいる表情だった。こうしてうまい選手を揃えチームがある程度機能するならいいが、そうではないのだから岡田監督じゃ駄目なのかと思う。

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■08/08/23(土) □ 長野音楽シーン
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GT家に招かれ、主にオリンピックと地域スポーツの話でのんびりと盛り上がり、夜はTNに連れられちょうどやっていたベテラン長野バンド So-Do のライブを見に行った。焼き鳥デイブでギター1本でボーカルのアクタさんに歌ってもらい感動したことがあるので So-Do には期待していたのだが、長野レゲエ/プログレ/ジャズ的で、ギターソロなどインストルメンタル部分が巨大音で延々5分ほども続く、非常に疲れる世界であった。

 研ぎ澄ました耳と心と指先で音を捉え、張り詰めたテンションで表現するある種の精神活動の現場に立ち会ったという感じ。出ている音のクオリティは確かにすごいのだが、これは演奏者の修行についてこれる人はついてきてくださいというバンドである。その音に呼応し楽しんでいる長野の客の音楽性の高さにはびっくりだが、俺はついていけない。延々と続くインプロバイゼーションでプレイヤーが出す音にも、ときおり入る短い歌にも、飛び込みの客である俺を感動させるものはなかった。
なぜか長野に住み So-Do でパーカッションをやってるゴンタ2号G2(元RCサクセション)が1曲だけキーボードを弾いたのだが、その音が "モノが違う" 類のもので鳥肌が立った。ライブ後に駆け寄り、「G2のキーボードが聞けてうれしかったです」と握手してしまった。

 しかし客層が若くて驚いた。So-Do メンバーより2回りほども若い。TNに尋ねると、So-Do のギターが JFL 昇格を目指すサッカーチーム「AC 長野パルセイロ」の熱烈なサポーターで、また So-Do プロデューサーのTさんが自転車チームを持ち熱く活動しているのだという。そうしたコネクションから若い人々がこの長野音楽サークルに加わってきているらしい。

 だったらなおさら、もうちょっと普通に歌を聞かせてくれればいいのにと思う。アクタさんが昔ギターで歌ってくれたあの「アリとキリギリス」という佳曲を、こんな異常大音量ではないすっきりと抜けた音でやってくれたら、きっとあの若いオーディエンスも楽しめ長野ロックシーンが育っただろう。今日やった曲は1曲も思い出せない。ゴーという音の唸りと疲労感だけが残っている。

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