2006/02/24

日記「国民を幸せにする効果・トリノオリンピック」

「女王カトリオナはコメンテイター」「『カリオストロの城』英語版」ほか。
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■06/02/08(水) □ 春のよろこび
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 春になった。寒くない。雨が降らない。ありがたい。前庭にこの春初めて花が咲いているのを、出掛けに萌が発見した。もう寒くないねえと車の窓を開けて走る。BCには秋はなくて、春・夏・雨季の前の冬・雨季の冬という気候だと思う。

 学校が終わった後萌を校庭でずっと遊ばせていると、萌が知らない子に声をかけて一緒に遊び始めた。ジムのすごい高いところからひゅーっとバーをつたって降りてきたりでえらい盛り上がる。

 その子が俺の方を見てニコニコと笑っているので、ん? と顔を見ていて気がついた。「―――あーっ! きみはダンスクラスで一緒だったOVかい!?」「イエス!」「うわー気がつかなかった、大きくなったなあ、何年ぶりだろう」というわけで、あのかわいいOVが萌と同じ学校のグレード1にいるのであった。知らなかった。この子はすごくいい子なので、今後も萌が遊べたらいいな。ナイスな春の日です。

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■06/02/13(月) □ 長野ベテランズ壊滅
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 トリノオリンピック:昨日まではほとんど何も盛り上がりがなかったのだが、今日は朝からスケート 500m があった。俺たちはどうしても長野ベテランズを応援してしまうのだが、ウォザースプーンも清水もまったく駄目であった。スポーツは残酷なり。前回同様盛り上がらない冬のオリンピックだ。

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■06/02/14(火) □ 女王カトリオナはコメンテイター
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 ホッケーの練習風景を延々と流しスケート女子 500m をやってくれないTVを横目で見てイライラする。日本のプロ野球キャンプ情報みたいだ。

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 カナダの男子フィギュアスケートで、長野の頃から期待されては芽が出なかった選手が初のオリンピックで転んでしまったのだそうだ。かわいそうだオーマイガと大騒ぎするM。オリンピックは残酷だよなあ、全員がその時点でのベストを発揮して、それから順位をつけられたらいいのだが。



 スピードスケートでは引退した女王カトリオナ・ルメイドーンが解説をやっていたのだが、引退していっそうチャーミングになった感じで、彼女が画面に映るたびにぱーっと空気が変わる感じがする。「萌はこの人に会ったことがあるんだよ、ほら」と1歳のときに抱かれた写真をみせてやると、萌はすごく興奮してもう一度会いたいというのであった。

 萌は最近「Do you recognize her?(彼女を [記憶の中にある人と同じ人であると] 認識できる?→覚えてる?)」などという言葉を使う。5歳でえらい難しい言葉を使うなあと驚くのだが、考えてみるとMは萌にそういう言葉を平気で使っており、萌は聞き返して覚えているのだ。これは子供の語彙だけの話ではなくて、英語を喋る人は誰も、相手の語彙レベルとかあんまり考えずにどんどん喋り続けるんだよな。

 それに比べ日本人は語彙の難度レベルというのが体に染み付いていて(※)、外国人や子供を相手に難しい言葉を使うことには、非常に高い心理的障壁がある。そんなわけで萌たち日英キッズは自然と、英語語彙の方が先に充実していく傾向がある。

(※)たぶん和語・漢語・複数レベルの敬語・幼児語・年寄り語などさまざまな用語レベルが存在し、常に適切なレベルを選択しながら喋ることが日常の言語だからだろう。

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■06/02/18(土) □ ゲーセンでバースデイパーティ
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 クラスのALのバースデイパーティで Maple Ridge へ。着いたところはゲームセンターだった。狭いところに子供がぎっしり。ですぐさまコインを渡されゲームをやっていいよと言われる。

 萌はあまりゲームをやったことがないのだが、DIやALを見てやり方を学んではトライ。置いてあるゲームはもぐら叩きゲームとかコインを流し込んで別のコインを落とすとかのなつかしいタイプなのだが、ゲットしたスコアに応じてダダダとチケットが出てくるのがキッズの興奮を呼ぶ。ゲームをして何か具体的なモノが出てくるというのが達成感を感じさせるし、そのチケットの総点数で賞品がもらえるのだ。もらえるものはまあキャンディーとかキーホルダーとかその程度なのだが、なーるほどこりゃいいというゲーセンなのであった。キッズはみな夢中で、ALへの祝福もなにもあったどころではないという状態。萌も一生懸命トライしてスティッカーを2シートもらいました。

 萌は昨日から風邪気味だったのだが、帰ると疲れて眠ってしまった。夜また寝る間際に熱も少々出てきた。今夜は熱で目を覚ましそうである。

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■06/02/19(日) □ 「カリオストロの城」英語版
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 昨夜から熱があった萌は、6時に高熱で薬を使う。それで皆目が覚めてしまい起床してしまった。薬が効いていて元気な萌以外全員フラフラ。

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 病気の萌を慰めるために、萌の好きな「カリオストロの城」英語版を皆で一緒に見る。毎度のことだが日本映画の英語吹き替え版はデキが悪い。

 英語圏ではアルセーヌ・ルパンという名前が通じないらしく、ルパンが「ウルフ」というありがちな名前になっている。次元たちもボス泥棒ウルフの子分たちという設定。それはまあいいのだが、ルパンとクラリスの関係が 007 ジェームズボンドとボンドガールみたいな類型に落とし込まれていて、クラリスが20代後半(?)の三流役者の熱のこもった声で、「おおウルフ行かないで愛してるわあなたなしでは生きられないわあなたは私の knight in shining armor(鎧きららかな騎士)なのよおおおおお!」と声を震わせすがりついて泣くのである。クラリスが喋るたびに甚だしく格調低いソープオペラになる。

 つまり「ラピュタ」のシータとまったく同じで、可憐でストイックな少女ヒロインが、吹き替えとシナリオの操作によりベタでチープで熱情的なハリウッド型ヒロインに変えてあるのだ。可憐でストイックなものが北米には受けないのかもしれんが、それにしたって人の作った映画の主人公の性格と年齢設定を変えるなんてことが、どうしてできるのだろう。理解しがたい。人の作ったものをリスペクトするという気持ちは、これを作った人々にはないのだろうかと実に不思議に思う。本当はこんなんじゃないんだといちいちMに説明もする気もせんので黙っていたが、ヒドイ。日本全国のクラリスファンが見たら泣くであろう英語版であった。

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■06/02/20(月) □ レゴの油屋
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萌は熱は下がったのだが、今日は終日鼻づまりと鼻水に苦しんだ。かなりつらい風邪で、今週は家にこもりっきりになりそうだ。かわいそうなので久々にクレイ人形・カリオストロ伯爵を作成して盛り上がる。なかなかのデキ。


 参考にするためにジブリのフィギュアなどを探していて、ものすごい作品を見つけた。レゴで作られた、「千と千尋」のお風呂ハウス(油屋)。萌と二人で、うわーーーーっと軽く10秒は歓声を上げてしまった。

 BCにも有名な「レゴマン」という人がいて、その展示をサイエンスワールドと PNE で見たことがあるのだが、どの作品もはっきりいって大量にブロックを使えるならば誰にでも作れる、単なる大型構造物に過ぎずなーんだという感じだった(その人が LEGO 社などのスポンサーを持っているのかは不明)。それに比べこの「けん・たっきい」氏の作るものは皆、すごいとしか言いようがない。こういうものを構築できる頭脳というものがイメージできないのである。

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■06/02/22(水) □ レゴ道は険しい
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 09:12 萌はやっと朝までしっかり寝てくれた。というかまだ起きてません。これで今日はもう万全だろう。

 ゆっくりと寝て体調万全となった萌は、今日は朝からレゴに励む。これまで萌はそんなにレゴを追求したことはなかったのだが、やはりこないだ見た「千と千尋」のお風呂ハウスが強烈にインスパイアリングだったのである。それにレゴの組み立てに要する手先の器用さとプラン能力も、しばらく前とは段違いであるようだ。小さな「カリオストロ伯爵のお部屋」と「クラリスのベッド」を自力で作成していた。素晴らしい。

 これから徐々にパーツを増やしてやろうと lego.com のカタログを見てみると、レゴマニアのページにあるようなお風呂とかトイレとかいったかわいいパーツや楽しい人形は全然売ってないことが判明した。現在 LEGO 社はセット品とベーシックなパーツしか作ってないらしい(少なくとも LEGO 直販サイトで売っているのはそれだけ)。なんていうことだ。さらにベーシックパーツも高く、ちょっとしたパーツを買うだけで送料が $8 もかかる。レゴを趣味として続けていくことは非常に困難な時代なのである。がっくし。

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 ホッケーでカナダがクォーターファイナルで負けてしまった。セミで負け3位決定戦でさらに負けて終わったグレッギーの長野もさびしかったが、今回はそれ以下の成績となる。はーあ。まあカナダはホッケー以外はすべて絶好調という感じで毎日メダルを量産しているのだが。

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■06/02/23(木) □ 国民を幸せにする効果
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 女子フィギュアの決勝が進んでいる。ファイナルグループに入った荒川さんと村主さんのショートプログラムは共に素晴らしかったので、期待が高まる。

 まず1位だった米国のコーエンが失敗。これで荒川さんの2位以上はほぼ決まった。しかしなんで全員のっけから難しいジャンプから演技を始めねばならんのだろう。ちょっと滑ってリズムが出たところで難しいジャンプに挑めばよかろうにと、メルといぶかしがりながら見る。そういう規定なんだろうか。

 次いで村主さん、魂がこもった演技で次々にジャンプを決めていく。何かすごいシンとしたスピリチュアルなものを感じさせる人である。演技としてはSPの方がよかったと感じるが、ここ一番で自分がやりたいことを完璧に演じきった気迫はただごとではなく、これはあるいはコーエンを抜くのではと思う。だが全然高いスコアは出ず。あれれ(※)。

(※)後から知ったが、ジャンプのポイントのあれこれに加え、反り返って足を掴むなどの技が身体能力上できないので、彼女はどうやっても高い点を取れないらしい。アンフェアな感じ。

そして荒川選手。最初のジャンプを無難にまとめたあたりは、雄大で素晴らしかったSPに比べるとさすがに緊張で足が縮まって見える。大丈夫かとハラハラする。が後半はすごかった。「ああしてジャンプを先に済ませてしまうと、こうして後半のびのびとやれるという利点はあるわよね」とMがいう。それもそうか。義務ジャンプをこなした後の残り時間は本当にため息をつくしかない、体全体でおーほほほほと笑っているかのような女王の滑りであった。素晴らしいとしか言いようがない。これでメダルの色はロシアのスルツカヤさん次第となる。こりゃいくらチャンピオンがすごくても、彼女がミスをすれば簡単にひっくり返るであろう。

 そしてロシアのスルツカヤさんは、転倒という思いがけないほどの大失敗をしてしまった。もー見てるほうは口あんぐり、き、気の毒。だがしかしそれほどの大失敗をして4年間待ち続けたであろう金を逃しても、最後まで笑っていてくれたので救われました。強い人である。オリンピックで失敗しないというのは本当に難しいことだとつくづく思わせる彼女の演技が終わり、見事荒川さんの金メダルとなった。

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 メダルがゼロだと連日日本のメディアは騒ぎ立てたが、メダルがないことへの国民のさびしさなど、いいパフォーマンスができなかった選手の悔しさに比べれば実際どうということはない。この荒川さんのような究極の技と笑顔が大会で一つでも見れれば、その国の国民は幸せだ。

 原田たち長野ベテランズの活躍を俺はやはり本当に見たかったが、失格という最低の結果で終わっても、長野でのあの輝きをもう一度という甘い夢を見せてくれた原田の挑戦には、国民を幸せにする効果はあったのだった。トリノオリンピックの英語サイトでさえも、「オリンピックのジャンプ史上に残る劇的シーンをいくつも演じてきたハラダが復活するかもしれない」と、公式練習での好調を伝えていたのである。

2006/02/10

日記「Mの日本映画週間」

「千年女優」「もののけ姫」「カナダの授業参観」ほか。
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■ 06/01/29(日) 10:15:17 □「千年女優」
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夕方Mにやっとクリスマスプレゼントの「千年女優」を見せたのだが、ちよこさんが青年を追って北海道を目指すあたりから、「そんな、北海道ったって広いじゃないのよ」などと言い出し、あんまりイメージのトランジション(推移)を楽しんでないなと感じる。別にメッセージが優れた映画というわけではないので、そこが楽しめないとどうにもならず。まあ仕方がない。

 「ナウシカ」を見ていたときにも似たことがあって、ナウシカがユパ様にオームの殻を預けて飛び立つときに、MとBTが同時に「あはは」と笑い出したのであった。なにかと思えば、ユパ様と話していたときには画面になかった崖が、ナウシカが飛ぶ瞬間に便利にも現れた、これはご都合主義であると笑っていたのだった。そんなことは日本人は考えもしないことで、説明されないものは存在しないものと同義という、カナダ人(西洋人?)の世界観をすごくよく表していると思った。

論理的じゃないものは基本的に、カナダ人には通じにくいのだと思う。論理的じゃないものをまあいいから、いわく言いがたいものも世の中にはあるから、と流していく日本の文化とその映画は、その面で受け入れられにくい。

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■ 06/01/30(月) 10:20:42 □ 続いて「もののけ姫」
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 今週はほんとMの日本映画週間となっていて、今日はTVで放送された「もののけ姫」を見終わった。「もののけ姫」は俺が見たってよく分からんところだらけで、論理一貫してないと駄目なMには最も不向きといえる。

 Mは、他の部分は楽しめたが、エボシ様のやってることが支離滅裂でぜんぜん満足できんとのことであった。自然を破壊して鉄を作り、とうてい信用できないエンペラーの軍のために森の神を撃ち取りに行き(案の定留守にしたタタラを侍に襲われ)、最後は破壊されたタタラをもう一度復興してまた鉄を作る(自然破壊)という、この人の行動のどこがタタラの人々にカリスマを感じさせているのかワケが分からないとのこと。

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 俺もそういうことに答えを与えることはできないし、この映画がことさらに好きでもないので弁護したいわけではないのだが(最初に見たときはグロであることと、宮崎監督が突如押し出した猛々しい作家性がむき出しで嫌だった)、いい機会なので聞いてみた。

「―――君たちカナダ人は、物語は常に論理一環・起承転結してないと満足できないんじゃないか? 君は日本映画を見たあと必ずそうして論理矛盾点をついてくるが、日本人はあまりそういうところを気にせんのだよ。たとえばこないだの『ナウシカ』で崖が突然出てくるシーンが象徴的で、あそこに違和感を感じる人なんて日本には絶対にいないと思う。TOEFL コースで小論文を採点されたとき、『何事も書き下して証明するまでは、ないものと見なす(※)』という英語アカデミックライティング流儀に俺はえらい徒労感を感じさせられたのだが、映画を一貫性でうんぬんするのには、それに似た英語 or 西洋 or 北米 or カナダ文化的なものを感じる」。

(※)たとえば「日本人は髪が黒い」などの常識を前提にして論文を書いてはいけなくて、「99.999999% の日本人は髪が黒い」という統計値を出さなければいけないという意味。ツーといえばカーという、「阿吽の呼吸」の対極にある考え方。

 するとMは、「またそんな『君たちカナダ人』って一般化して」と俺をいさめたが、論理に一貫性がないと自分が満足できないのは事実であるという。

「でしょ。でさ、アメリカ映画は常にすごいストーリーがハッキリして一貫性が保たれてるんだけど、日本や欧州の映画はハナシが茫洋としていて、『でもなんか良い』というのがけっこうあるんだよね」「あー分かる。でもあたしにはああいう欧州のアートな映画もダメなのよ。学生時代から友達の美大生なんかとよくそれで議論したわ。でもあたしはそういうアートが理解できて好きですなんてフリはできないから仕方がないわ」

 ということであった。そりゃそうだな。まあよしあしではなく単に感性が違うのである、何事も。

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■ 06/01/31(火) 11:56:49 □ 嵐のサイエンスワールド
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 KTHNたちと一緒にサイエンスワールドへ。KTがあまりの楽しさに暴走しており前半はほとんど一緒に遊ぶどころではなかったが、間食を食べた後からは萌は主にHNと一緒に思い切り遊べて、大ハッピーであった。長いことヘルス関連の展示になっていて萌をがっかりさせていたキッズエリアが前よりいっそう楽しいキッズエリアとして蘇っており、そこが最高であった。

 そして帰りは大雨&渋滞で大変だった。BCは俺たちが渋滞にはまっている間に、1月の史上最大月間雨量を記録したそうです。まったくよく降る。もうこうして記録が出ない限り、長雨が話題にもならんほど降るBCの冬雨。

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■ 06/02/01(水) 10:19:06 □ 容貌のよしあし
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 夜「ごくせん」。最初に漂っていた少女マンガ的なフレイバーはもうすっぱりなくなり少年マンガ一直線で、まあ多くを望まずそういうものとして楽しむしかないんだろうな。来週からは沢田が大江戸組を訪ねていくとか新たな展開があるらしいので萌とともに楽しみにしている。

 萌は沢田を「サワダはかわいいよね」といい、結婚したいなどという。沢田君はたしかに美青年だが、5歳半でも容貌のよしあしってそんなに分かるものなのかと驚く。

 いや、逆にこのくらいの年の子は、容貌のよしあしが分かり始めそれを気にしすぎるのかもしれない。今日学校に来たなにかの先生が、「ちょっとオールドだったけどかわいかったよ」などといっていた。「いやだから、かわいいかどうかは年は関係ないじゃん。グランマなんかおばあさんだけどかわいいじゃん」と言い聞かせたのだが。

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■ 06/02/04(土) 12:59:42 □ ボルトンというチーム
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 ボルトン中田の試合を数ヶ月ぶりに見る。中田が目立つシーンは、よくも悪くもない。ギリシャのウィンガー・ステリオスが素晴らしい活躍をしている。このチームはこうしてギリシャ、日本、ジャマイカ、メキシコ、イスラエル....とサッカー2流国の飛び切りの選手を見事に揃え、その全員がファイトすることによって、アーセナルみたいなビッグクラブにも対抗できる戦闘力を具現してるんだなあと実感する。中田もそのチームの一員なのであって、ここでは何も特別な存在ではないのだ。ペルージャ時代みたいに中田のパスから全軍が動くなんて王様サッカーはここでは求められていないし、たとえ求められてもその力は今はもうないのかもしれない。代表でだってそんなにワクワクすることをしてくれるわけじゃないし。

 チームの一員として戦うという意味ではやりがいはありそうだが、誰にでもできることを中田がやっているということについての空しさはぬぐえない。チームとしてもMFにボールを持たせて何かをするなんて戦術はまったく取っておらず、MF中田はボールには触らずにただただ辛抱強く相手の進行を止め、味方のチャンス(外をボールが回って最終的にゴール前にボールが流れてくる)にはプレーに絡むべく上がるという仕事以外、やれることはないのであった。後半は少しボールを持てるようになり、そうすると他のMFとは違う味わいの攻めをやってはみせるのだが、結実はせず。はあ。

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■ 06/02/06(月) 10:00:30 □ 萌の新しい先生
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 今日から産休のA先生に代わり、キンダーに新しい先生がきた。気さくな感じのおばさん先生で、彼女がドアを開けボンジュールと子供らに声をかけるのを見て、俺たち親全員の顔にぱーっと笑顔が広がったのがおかしかった。生徒が中に入ると、いい先生っぽいわね感じいいすねとみなで話しながら帰る。やっぱみんなこれまで愛想のないA先生と付き合ってきたわけで、やっと誰もが思い描くような小学校の先生がきてくれたという共通の安堵感があったのだった。

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■ 06/02/07(火) 10:05:02 □ カナダの授業参観
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 今日から萌の第3レベルのスイミングレッスン。先生は大好きなFRではなく、プリスクールの先生みたいな若い女の人だった。もちろん萌は大ハッピー、最初から絶好調である。ここまで学んだスキルを全て使って、水の中で思い切り遊んでいる。10分に一度皆で流れる周回コースに行くという大サービスまで入っていて、文句なく最高のレッスンです。

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 午後、キンダー。新しい先生マダムEは、始業ベルと同時にやって来る。やはり毎日5分、週に25分、半年で計およそ7時間、雨の日も風の日も職員室からやってこず親子を戸外で待たせ続けたのは、A先生特有のやり方だったのだ。これがなくなって実にありがたい。

今日はクラスの後、ここまでの子供の進歩を発表するという会があった。日本の授業参観の同等品かなと思ったが、Student Led Conference(生徒がリードする会議)という名の通り、先生ではなく萌が俺たちをガイドしてこれまでのさまざまなワークを見せてくれるのであった。何を見せるかを何度も練習したらしく、見事な段取り。あれこれぎっしりと書かれたワークブックやスクラップブック。壁に貼られ天井から吊るされたクラフト。そして先生の真似をしてパネルを指し示して授業の再現と続く。

家にはワークブックを持ち帰ってこなかったので知らなかったが、学校ではずいぶん勉強をしていたのである。俺が思ったよりもずっと進歩している。マダムEとも話したが、実に熱心でいい感じ。

 しかしすでにこんなにフレンチの言葉が書けるようになっているのかと頼もしく思うと同時に、普通の学校に行ってりゃおそらくこれ以上の英語の言葉が読み書きできるようになっているのに、萌たちフレンチ・エマージョン(バイリンガル化カリキュラム)の子は当分英語はお預けなんだよなとかえって気の毒になってしまう。英語が読み書きできれば生活の中でそれを使って楽しいことがどんどん増えていくのに、フレンチは大人になって何がしかの用途ができない限り、学校のクラスだけで終わるのだ。

 何年か経てば英語も普通の学校の子に追いつくカリキュラムになっているのは分かっているのだが、フレンチという言葉のために壮大な無駄をやらせているように思えて仕方がない。体操やスイミングや日本語は萌の人生にプラスしか与えていないが、フレンチは英語学習機会をスポイルして成り立っているのだから、本当にこれでいいのかと悩んでしまう。

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 萌が寝てからMにこの心配を話すと、「萌はすでにグレード1の英語の読み書きレベルを自分でやっているから、英語キンダーに入ったとしても新しく学ぶものは何もなくて退屈するだろう。つまり現時点で失っているものは何もない」とのことだった。萌はおそらく日本語の読み書きがまずできるようになって、それにより文字と音とのつながりが脳内で処理できるようになり、英語の読み書きも普通の子より進んでるのだとMは分析する。

 そうか、それでやや安心した。とりあえず当面は失うものはなく、やがてこのフレンチ・イマージョンの子の英語も普通の学校に追いつくのだから、心配するなということである。萌が習っているフレンチが俺にはサッパリ分からんから、今日のような機会にも達成度が分からずつまらんというのはあるが(Mもすでに萌のやってるフレンチで分からないところがある)、それは俺自身の問題なので我慢するしかない。Mにとっての日本語学校と同じこと。辛抱強く暖かく見守っていくべし。