2013/01/12

日記「答えのない毎日」

「数エーカーよりハチエンダ」「ぼくらが愛したカーネーション」

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■13/01/01(火) □ 答えのない毎日
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月に雲じゃなく火に煙
正月といってもお年玉をもらえるわけでもないのだが、朝早くに目が覚めてしまった。トシである。

 昨夜はSPが年越しお泊まりに来てくれ萌は大ハッピーで、皆で花火を見に行った。近所のコミュニティで毎年有志が年越し打ち上げ花火をやってくれるのだが、昨夜は風がなくて煙が停滞し、後半は爆音とともにぼやーと光が灯るだけになってしまった。花火は高価なものだろうにもったいなし。これがカナダ式なのか、10 分ほどの間一切間を置かずポンポンポンポン打ち上げるからケムに巻かれるのだ。もう少しのんびりやればいいのに。

その前日の晦日夕方予期せぬドアベルにドアを開けると、一緒に日本語勉強会をやっているLお嬢さまが立っておられ、バンクーバー植木職人会が本物の臼とキネでついたというつきたてのお餅をおすそわけしてもらえた。バーナビーの日系スーパーが閉店して以降うちの近辺では日本の餅はまったく手に入らなかったので(韓国餅は煮ても柔らかくならないヤショウマ的食物)、餅がある正月は数年ぶり。今日のお昼におしるこでおいしくいただきました。ほんと、ありがとうございます。

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 日本語 TV の皇室参賀を見かけたMが、「そういえばプリンセス・マサコの悲劇的な人生はどうなったの」みたいな話を持ちだしてきた。『ハーバード出の外交官が社会的プレッシャーに追い込まれ因習社会の籠の鳥になるなんて』なんていうMの理解は、日本の封建性に対する偏見がつくった一方的見解である。「そんな外的要因に負けて結婚するほど雅子さんの頭が悪いわけがないではないか。苦労はそりゃしてるだろうが(半裸でボート遊びしても OK な王族生活とは違うからね)、彼女自身が選んだわけだし、悲劇的かどうかなんて本人にしかわからんだろう」と答える。

 「……いや、たぶん雅子さん本人にだって答えなんか出せないんだよ。俺は君と暮らすために日本での暮らしをあきらめたわけだが、それで俺が前よりも幸せか不幸せかなんてわからんよ。比べるなんてできないことなんだ」

 そういうことなんである。答えがないこともあるのです。

    抱きしめて横になり
    花のように沈んでく
    言葉のない草になり
    すれあって笑ってる
    友達が歌ってる
    声がする  聞こえてる
    答えのない毎日だよ
    フールオンザヒル
    ナッシングイズリアル

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■13/01/03(木) □ 数エーカーよりハチエンダ
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見た目はほれぼれする「数エーカー」
正月ボードゲームは全然やれなかったので、昨日 Yucata で有名ゲーム「数エーカーの雪」の学習を始めたが、これまためんどくさいゲームである。カナダのマップを両側から攻め合う地形は非常に美しくていいのだが(かつて住んだ懐かしいハリファックスが右手前にある)、いくつものカードを組み合わせないと単純な陣地拡大もできないという、非常にめんどくさいシステムになっている。

 日本語ルールを読みながら1人2役を1時間以上やって、ようやく必要手順をだいたい解読し最初の戦闘状態に辿りついた。ここから戦闘の決着もうんざりするほど長くかかるらしい。双方とも攻撃カードを特に買ってないので、これから改めて資金を作り攻撃カードを買い、そしてそれが手札に来るまで手札を捨て引き手札を捨て引き……が続くわけである(カードを捨てることにすらお金がかかるので、一気に手札全とっかえはできない)。無論上手になればテンポは上がるわけだが、これが基本のメカニクスだ。

 フランスがケネベック(?)を奪い、初めての戦闘が終わる。この戦闘場面だけは手札に攻撃カードが入ってくるドミニオン的高揚を感じたが、ここで疲れ果てて中止。ふー。レビューを探して読むと、同じく「最初の戦闘が終わったところで2~3時間経っており中止し以後お蔵入り」やら「3時間かけて1回プレイし以後お蔵入り」やらいう人がやはりすぐに見つかった。そうだろうなあ。

 俺はテーマとゲーム性の合致・乖離をさほど気にはしないけれど、手札にあるカードによって行けるところが決まるというのは、ウォーゲームとして盛り上がりにくい話である。この手のゲームは「あそこを取るためにこうしよう」と考えるから盛り上がれるのであって、地名・移動・行動カードがいずれ手札に揃うよう自分のデッキ(手札以外の所有カード)を鍛えていき手札に揃うのを待つというこのシステムが、陣取りに合うとはとても言えんだろう。まだるっこしい。必要カードをデッキに揃えていくのが主戦略ならば、このシステムの元になったドミニオンの方がはるかに早くて優秀だ。

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地味だが陣取りの傑作「ハチエンダ」
最近オンラインで習った「ハチエンダ」「エルグランデ」「数エーカー」の3ゲームで、陣取りとしてはハチエンダが明らかに一番面白い。最もルールがシンプルでやりたいことをやれ、煩雑な処理に妨げられずどこをどう取って行くかという思考にダイレクトに没入できる。「4手あれば取れるが3手しかない」というハチエンダのメカニクスは、ウォーゲームの武器射程や車輌の移動距離に似ている。全体を見渡し取れる点をマイクロマネージメントで調整するエルグラと、将来をプランし遠回りにデッキを構築していく数エーカーはどちらも、メカニクスから見れば陣取りではなく別種のゲームだと思う。


昭和の子供がハマったエポック社騎兵隊ゲーム
ハチエンダは見た目が地味なことこの上ないのだが、これが「数エーカーの雪」クラスの外観を持ち、たとえば各市場に「ハリファックス」「ニューヨーク」といった都市名がついたウォーゲームになっていたら、もっと評価は上がっていただろうな。

 実際そういうゲームがやりたいよ俺は。「数エーカー」のマップを見て、おおついに子供の頃やった騎兵隊ゲームのような地形ありのウォーゲーム&陣取りをやれるのかと俺は興奮したのだが、そんな軽快な遊びじゃ全然なかったというわけでした。

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■13/01/04(金) □ ぼくらが愛したカーネーション
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実家から転送されてきた書籍『ぼくらが愛したカーネーション』を年末年始に読んでいた。前半の名セリフ抜粋欄はまあ懐かしいけれど、リアルタイムで見ていた時のあの高揚感や、それが通りに満ち溢れ共鳴しあっていたツイッターの熱さには及ばない。

 その視聴者ツイートが掲載された欄は、はは、知ってる人ばっかりだ。俺が今フォローしてる人たちの見覚えある言葉がずらりと並んでいる。別になにか示し合わせたわけでもないのに、自然とここに集まってしまうんだね。まあこれらの言葉が琴線に触れお互いにフォローし合ったというのがことの順番か。

 たくさんの言葉が飛び交う中で、アンテナがお互いをキャッチし合う。歌が浮かんでくるよな。気の合う友だちって、たくさんいるのさ。今は気づかないだけ。町ですれ違っただけでわかるようになるよ。

 掲載された俺の言葉は、尾野糸子引退の日のこれだった。

"いやーオールスターで。オールスターフルキャストで。宝物のような新旧スター勢ぞろいで。人が死んでもなくなる宝はない、「ヘタレはヘタレで泣いとれ」と糸子は笑い。そしてなくなる宝なんてないんだよ本当にと、映像が魔法を見せてくれました。なんて、なんてすばらしい。"

 自分の言葉のその勢いに、あのときの気持ちが蘇る。

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