2006/02/10

日記「Mの日本映画週間」

「千年女優」「もののけ姫」「カナダの授業参観」ほか。
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■ 06/01/29(日) 10:15:17 □「千年女優」
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夕方Mにやっとクリスマスプレゼントの「千年女優」を見せたのだが、ちよこさんが青年を追って北海道を目指すあたりから、「そんな、北海道ったって広いじゃないのよ」などと言い出し、あんまりイメージのトランジション(推移)を楽しんでないなと感じる。別にメッセージが優れた映画というわけではないので、そこが楽しめないとどうにもならず。まあ仕方がない。

 「ナウシカ」を見ていたときにも似たことがあって、ナウシカがユパ様にオームの殻を預けて飛び立つときに、MとBTが同時に「あはは」と笑い出したのであった。なにかと思えば、ユパ様と話していたときには画面になかった崖が、ナウシカが飛ぶ瞬間に便利にも現れた、これはご都合主義であると笑っていたのだった。そんなことは日本人は考えもしないことで、説明されないものは存在しないものと同義という、カナダ人(西洋人?)の世界観をすごくよく表していると思った。

論理的じゃないものは基本的に、カナダ人には通じにくいのだと思う。論理的じゃないものをまあいいから、いわく言いがたいものも世の中にはあるから、と流していく日本の文化とその映画は、その面で受け入れられにくい。

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■ 06/01/30(月) 10:20:42 □ 続いて「もののけ姫」
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 今週はほんとMの日本映画週間となっていて、今日はTVで放送された「もののけ姫」を見終わった。「もののけ姫」は俺が見たってよく分からんところだらけで、論理一貫してないと駄目なMには最も不向きといえる。

 Mは、他の部分は楽しめたが、エボシ様のやってることが支離滅裂でぜんぜん満足できんとのことであった。自然を破壊して鉄を作り、とうてい信用できないエンペラーの軍のために森の神を撃ち取りに行き(案の定留守にしたタタラを侍に襲われ)、最後は破壊されたタタラをもう一度復興してまた鉄を作る(自然破壊)という、この人の行動のどこがタタラの人々にカリスマを感じさせているのかワケが分からないとのこと。

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 俺もそういうことに答えを与えることはできないし、この映画がことさらに好きでもないので弁護したいわけではないのだが(最初に見たときはグロであることと、宮崎監督が突如押し出した猛々しい作家性がむき出しで嫌だった)、いい機会なので聞いてみた。

「―――君たちカナダ人は、物語は常に論理一環・起承転結してないと満足できないんじゃないか? 君は日本映画を見たあと必ずそうして論理矛盾点をついてくるが、日本人はあまりそういうところを気にせんのだよ。たとえばこないだの『ナウシカ』で崖が突然出てくるシーンが象徴的で、あそこに違和感を感じる人なんて日本には絶対にいないと思う。TOEFL コースで小論文を採点されたとき、『何事も書き下して証明するまでは、ないものと見なす(※)』という英語アカデミックライティング流儀に俺はえらい徒労感を感じさせられたのだが、映画を一貫性でうんぬんするのには、それに似た英語 or 西洋 or 北米 or カナダ文化的なものを感じる」。

(※)たとえば「日本人は髪が黒い」などの常識を前提にして論文を書いてはいけなくて、「99.999999% の日本人は髪が黒い」という統計値を出さなければいけないという意味。ツーといえばカーという、「阿吽の呼吸」の対極にある考え方。

 するとMは、「またそんな『君たちカナダ人』って一般化して」と俺をいさめたが、論理に一貫性がないと自分が満足できないのは事実であるという。

「でしょ。でさ、アメリカ映画は常にすごいストーリーがハッキリして一貫性が保たれてるんだけど、日本や欧州の映画はハナシが茫洋としていて、『でもなんか良い』というのがけっこうあるんだよね」「あー分かる。でもあたしにはああいう欧州のアートな映画もダメなのよ。学生時代から友達の美大生なんかとよくそれで議論したわ。でもあたしはそういうアートが理解できて好きですなんてフリはできないから仕方がないわ」

 ということであった。そりゃそうだな。まあよしあしではなく単に感性が違うのである、何事も。

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■ 06/01/31(火) 11:56:49 □ 嵐のサイエンスワールド
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 KTHNたちと一緒にサイエンスワールドへ。KTがあまりの楽しさに暴走しており前半はほとんど一緒に遊ぶどころではなかったが、間食を食べた後からは萌は主にHNと一緒に思い切り遊べて、大ハッピーであった。長いことヘルス関連の展示になっていて萌をがっかりさせていたキッズエリアが前よりいっそう楽しいキッズエリアとして蘇っており、そこが最高であった。

 そして帰りは大雨&渋滞で大変だった。BCは俺たちが渋滞にはまっている間に、1月の史上最大月間雨量を記録したそうです。まったくよく降る。もうこうして記録が出ない限り、長雨が話題にもならんほど降るBCの冬雨。

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■ 06/02/01(水) 10:19:06 □ 容貌のよしあし
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 夜「ごくせん」。最初に漂っていた少女マンガ的なフレイバーはもうすっぱりなくなり少年マンガ一直線で、まあ多くを望まずそういうものとして楽しむしかないんだろうな。来週からは沢田が大江戸組を訪ねていくとか新たな展開があるらしいので萌とともに楽しみにしている。

 萌は沢田を「サワダはかわいいよね」といい、結婚したいなどという。沢田君はたしかに美青年だが、5歳半でも容貌のよしあしってそんなに分かるものなのかと驚く。

 いや、逆にこのくらいの年の子は、容貌のよしあしが分かり始めそれを気にしすぎるのかもしれない。今日学校に来たなにかの先生が、「ちょっとオールドだったけどかわいかったよ」などといっていた。「いやだから、かわいいかどうかは年は関係ないじゃん。グランマなんかおばあさんだけどかわいいじゃん」と言い聞かせたのだが。

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■ 06/02/04(土) 12:59:42 □ ボルトンというチーム
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 ボルトン中田の試合を数ヶ月ぶりに見る。中田が目立つシーンは、よくも悪くもない。ギリシャのウィンガー・ステリオスが素晴らしい活躍をしている。このチームはこうしてギリシャ、日本、ジャマイカ、メキシコ、イスラエル....とサッカー2流国の飛び切りの選手を見事に揃え、その全員がファイトすることによって、アーセナルみたいなビッグクラブにも対抗できる戦闘力を具現してるんだなあと実感する。中田もそのチームの一員なのであって、ここでは何も特別な存在ではないのだ。ペルージャ時代みたいに中田のパスから全軍が動くなんて王様サッカーはここでは求められていないし、たとえ求められてもその力は今はもうないのかもしれない。代表でだってそんなにワクワクすることをしてくれるわけじゃないし。

 チームの一員として戦うという意味ではやりがいはありそうだが、誰にでもできることを中田がやっているということについての空しさはぬぐえない。チームとしてもMFにボールを持たせて何かをするなんて戦術はまったく取っておらず、MF中田はボールには触らずにただただ辛抱強く相手の進行を止め、味方のチャンス(外をボールが回って最終的にゴール前にボールが流れてくる)にはプレーに絡むべく上がるという仕事以外、やれることはないのであった。後半は少しボールを持てるようになり、そうすると他のMFとは違う味わいの攻めをやってはみせるのだが、結実はせず。はあ。

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■ 06/02/06(月) 10:00:30 □ 萌の新しい先生
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 今日から産休のA先生に代わり、キンダーに新しい先生がきた。気さくな感じのおばさん先生で、彼女がドアを開けボンジュールと子供らに声をかけるのを見て、俺たち親全員の顔にぱーっと笑顔が広がったのがおかしかった。生徒が中に入ると、いい先生っぽいわね感じいいすねとみなで話しながら帰る。やっぱみんなこれまで愛想のないA先生と付き合ってきたわけで、やっと誰もが思い描くような小学校の先生がきてくれたという共通の安堵感があったのだった。

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■ 06/02/07(火) 10:05:02 □ カナダの授業参観
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 今日から萌の第3レベルのスイミングレッスン。先生は大好きなFRではなく、プリスクールの先生みたいな若い女の人だった。もちろん萌は大ハッピー、最初から絶好調である。ここまで学んだスキルを全て使って、水の中で思い切り遊んでいる。10分に一度皆で流れる周回コースに行くという大サービスまで入っていて、文句なく最高のレッスンです。

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 午後、キンダー。新しい先生マダムEは、始業ベルと同時にやって来る。やはり毎日5分、週に25分、半年で計およそ7時間、雨の日も風の日も職員室からやってこず親子を戸外で待たせ続けたのは、A先生特有のやり方だったのだ。これがなくなって実にありがたい。

今日はクラスの後、ここまでの子供の進歩を発表するという会があった。日本の授業参観の同等品かなと思ったが、Student Led Conference(生徒がリードする会議)という名の通り、先生ではなく萌が俺たちをガイドしてこれまでのさまざまなワークを見せてくれるのであった。何を見せるかを何度も練習したらしく、見事な段取り。あれこれぎっしりと書かれたワークブックやスクラップブック。壁に貼られ天井から吊るされたクラフト。そして先生の真似をしてパネルを指し示して授業の再現と続く。

家にはワークブックを持ち帰ってこなかったので知らなかったが、学校ではずいぶん勉強をしていたのである。俺が思ったよりもずっと進歩している。マダムEとも話したが、実に熱心でいい感じ。

 しかしすでにこんなにフレンチの言葉が書けるようになっているのかと頼もしく思うと同時に、普通の学校に行ってりゃおそらくこれ以上の英語の言葉が読み書きできるようになっているのに、萌たちフレンチ・エマージョン(バイリンガル化カリキュラム)の子は当分英語はお預けなんだよなとかえって気の毒になってしまう。英語が読み書きできれば生活の中でそれを使って楽しいことがどんどん増えていくのに、フレンチは大人になって何がしかの用途ができない限り、学校のクラスだけで終わるのだ。

 何年か経てば英語も普通の学校の子に追いつくカリキュラムになっているのは分かっているのだが、フレンチという言葉のために壮大な無駄をやらせているように思えて仕方がない。体操やスイミングや日本語は萌の人生にプラスしか与えていないが、フレンチは英語学習機会をスポイルして成り立っているのだから、本当にこれでいいのかと悩んでしまう。

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 萌が寝てからMにこの心配を話すと、「萌はすでにグレード1の英語の読み書きレベルを自分でやっているから、英語キンダーに入ったとしても新しく学ぶものは何もなくて退屈するだろう。つまり現時点で失っているものは何もない」とのことだった。萌はおそらく日本語の読み書きがまずできるようになって、それにより文字と音とのつながりが脳内で処理できるようになり、英語の読み書きも普通の子より進んでるのだとMは分析する。

 そうか、それでやや安心した。とりあえず当面は失うものはなく、やがてこのフレンチ・イマージョンの子の英語も普通の学校に追いつくのだから、心配するなということである。萌が習っているフレンチが俺にはサッパリ分からんから、今日のような機会にも達成度が分からずつまらんというのはあるが(Mもすでに萌のやってるフレンチで分からないところがある)、それは俺自身の問題なので我慢するしかない。Mにとっての日本語学校と同じこと。辛抱強く暖かく見守っていくべし。

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