2025/11/05

【日本旅行の思い出】②武蔵小金井の宿ワイルドチェリー・ホステル


【東京滞在編】今どき東京では安宿も1万では泊まれない(予約サイトで99%が予算外と出る)ので、初めてホステルに泊まった。Wild Cherry Blossom-HOSTEL,TOKYO KOGANEI という主に外国人向けのホステルで、一泊4千円とホテルの半額以下。

シングルベッドと荷物置きとテーブルのみのクリーンでシンプルな部屋。相部屋や二段ベッドではなく個室だが、入口はアコーディオンカーテンで鍵をかけられない。これだから「簡易宿泊所」扱いで安くなるのだろうか。

鍵がないことはやはり最初戸惑った。各フロアはパスポート登録したその階の宿泊客8人しか入れないので盗難など起きないだろうし(女性は専用階に泊まれる)、出かけるときは提供された廊下のロッカーに荷物を収納できるが、しかし大荷物をロッカーにいちいち出し入れするのは面倒。

なので2日めにワイヤーロックを買ってきて、スーツケースは部屋の什器にくくりつけ置いていくことにした。スーツケースを破壊してまで服など盗むものもおるまい。盗まれたらオシマイのラップトップだけロッカーに仕舞いこれでOK。

飲食や会話はシェアスペースでする。ここがクリーンで快適だった。7/11のワンカップコーヒーを淹れ、前夜買いシェア冷蔵庫に収納しておいた調理パンを朝ドラ見つつ食べ、カナダの家族とトークしたたのち出かける――という朝のルーティンが2日めに定まると非常に快適であった。周りは主にアジア・アフリカからの外国人ステイヤーで、日本人カナダ人とはやはり様子が違う。娘が去年住んでいた吉祥寺のシェアハウスそのものという体験で面白かった。

一つだけ困ったのは音で、音が筒抜けのこんな安宿は、物音デカい客がいると参る。客の過半は外国人で、日本人よりやはり生活音が大きい。また時差ゆえにか未明に母国へ長電話しゲラゲラ笑ってるバカがいた。フロントに報告したら無事対処してくれたが、相客は運次第である。それゆえにか高効率の耳栓が無料で配布されてました😉

フロントの従業員は半分以上が日英堪能な外国人で、受け答え快活で対応早く、初日は写真のモデルの女性がフロントだったw

宿泊者向けの無料英語セッションもやっていた。駅から近くシェア施設が充実しクリーンでいい宿である。ホテル代高騰が収まらず単身滞在なら、次回もここにすると思う。




いやーいい宿だったと出発の朝記念撮影しようとして、新カメラのタイマー設定がわからず失敗ショットを量産してました(笑)。






2025/10/20

【日本旅行の思い出】①Memories of Halifax

 現在日本滞在中。

【日本旅行3日目】俺が94年に初めてカナダに住んだとき、東部ハリファックスの英語学校で同級生だった二人が静岡から長野まで訪ねてきてくれた。彼らの結婚式以来だから25年以上ぶりだ。駅の改札で待っていたらこの顔ですよ。たまらん

二人とはその学校で1学期一緒に学び、その後彼らがそれぞれ別の機会に、バンクーバーの俺たちのアパートを訪ねてくれた。共に過ごした日々はそんなに多くもないのに思い出話が多い。やはり海外での同邦というものは過ごす時間が濃密だからかもしれない。


夫マサヒコくんは英語学校の日韓生徒をまとめる優しさのある柔道家で、他の学生たちより年上だった俺をなにくれとなく誘ってくれ、ハリファックスでの楽しい日々を送らせてくれた。野球とかやったもんなー。青春かよ。

カオリさんはグループの中でも特に若く頭脳明晰な才女で、その後俺が転校した先の大学付属ESLコースでただ二人の日本人かつ一番年上と年若の生徒となった。自然と課題を一緒にやったり、アラブ学生たちの英語は文法支離滅裂でわからんよね! ですよね! と意気投合したりしていた。

カオリさんは俺の背丈の半分くらいしかないと当時思っていた。よく見ればそこまで小さくはなかったね。しかし当時と見た目変わらん(笑)。

彼女はその後4年その(うちのメラニーさんの母校でもある)セントメリーズ大へ行き、先に日本へ帰ったマサヒコくんと2年間遠距離恋愛をしてたそうだ。というか俺は二人が付き合っているとは一緒にいても彼が帰国した後も気づいてなくて、うちのメラニーさんに「そうなんでしょ」と尋ねられたカオリさんがイエスと言うのでえええそうなのとびっくりしてたのだった。


これがハリファックス英語学校のクラス。マサヒコくんの後ろで俺が英語ノートを見せ「ちゃんと勉強してますよー」とアピールしている。 
左端の韓国大企業特派員(だったと思う超優秀)ジャン・ワンくんだったかなと俺はよく口論したりしてた。「Tomoさんあなたの文法は間違ってますね」「だから勉強してんだろ、うるせえ!😉」
 膝をついてる黒シャツメガネの青年は在サウジ韓国外交官だったかの息子で、サウジで音楽もなにもない禁欲的青春を強いられえらい屈折していたが、俺がギターを弾けるのでリスペクトしてくれた。じゃあギター教えてやるよ、お安い御用だ、これがCだ。これがAmだ。写真を見ると思い出すなー。



野球をすると、柔道家マサヒコくんの打球は信じられないほど遠くへ飛んでいた。俺はカナダで野球をするとは思わなかった。間の女性もよく覚えてるなあ、名前は思い出せないがふんわりとやさしい子。なつかしい。後ろは韓国技術大学の先生だったと思う。韓国はとにかくエリートをガンガン留学させていたのだ。そういう時代だ。今の韓国の発展を支えてるのは、彼ら90年代の留学生なんだろう。 マサヒコくんは高校教師として長年商業と柔道を教え、教え子を大会で活躍させてたんだそうだ。あの頃のイメージ通りだよ、素晴らしい。

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そんな話をたっぷりと、俺の兄と甥っ子たちと弟が支える創業101年のうちの店で激ウマ焼肉を楽しみつつしたわけです。メラニーにも会いたかったです、ねえ会わせてやりたかったよ。メラニーと最初に会ったのがこの店なんだよ。兄貴の結婚パーティで彼女が酔っ払い、俺がギターを弾いて「イマジン」とか「ブラウンシュガー」とか大笑いしながら歌ってたのが出会いだったんだよ。

同行の息子くんは知らない話が当然多く、そうなんだーとニコニコ笑って聞いていてくれた。静岡のスポーツ好き青年なので、俺が鹿島アントラーズの通訳を一度やったことがある、ジーコ怖かったと話したら、すごい経験ですねそれはと笑ってくれた。ほんとカナダに移住しあの学校へ行ったおかげで、ちょっと他にはない経験をしてきたよねわれわれは。インクレディブルだよ。◆

We studied together at the school for one semester, and then they each visited our apartment in Vancouver on separate occasions. 

 Even though we didn't spend that much time together, we have a lot to reminisce about. Maybe it's because the time we spend abroad was intense.

The husband, Masahiko, was a kind judo player who coordinates the Japanese and Korean students at the English school. At around 30, I was older than the other students, but he always invited me out and about, and I had a great time in Halifax. We even played baseball together. Baseball!

Kaori was a particularly young and smart one in the group, and later we became the only two Japanese students in the ESL program at SMU university, the oldest and youngest. We naturally worked on assignments together, and we hit it off, saying, "The Arab students' English is grammatically incoherent and incomprehensible!" 

I thought Kaori was only about half of my height back then. Looking closer, she wasn't that small. But she still looks the same now (lol).

She then went on to St. Mary's University (Melanie's alma mater) for four years, and apparently had a long-distance relationship with Masahiko, who returned to Japan earlier, for two years. To be honest, I didn't even realize they were dating, even when we were together, even after he returned. When Melanie asked Kaori, "Is that so?", she replied yes, and I was shocked.

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We talked about all this while enjoying some delicious yakiniku at a 101-year-old restaurant run by my brothers and nephews. They wanted to meet Melanie too. Yeah I wanted to have her see you too. This is the restaurant where I first met her. She got drunk at my brother's wedding party, and I was playing guitar and we sang "Imagine" and "Brown Sugar" while laughing out loud.

Their son, who was with them, naturally had no idea about many of the stories, but he listened with a smile and said, "Oh, really?" He's a sports-loving young man from Shizuoka, so when I told him I once worked as an interpreter for Kashima Antlers and that Zico was scary, he laughed and said, "That must have been an amazing experience." We really did have some unique experiences thanks to moving to Canada and attending that school. It was incredible. 

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This is a class at the Halifax English School. Behind Masahiko, I'm showing my English notebook to show how hard I was studying.

I think it was Jang Wan, a Korean big company guy on the far left (he was super keener), who I often argued with. "Tomo, your grammar's wrong," I said. "That's why I'm studying, shut up! 😉"

The young man on his knees, wearing a black shirt and glasses, was the son of a former Korean diplomat in Saudi Arabia. He was very frustrated by his austere youth in Saudi Arabia, with no music or anything, but he respected me because I could play the guitar. "I'll teach you how to play guitar, no big deal. This is C. This is Am." Looking at the photo brings back memories.



When we played baseball, judoka Masahiko's hits flew incredibly far. I never thought I'd play baseball in Canada. I forgot the name of the woman in the middle, but she was a kind girl. Natsukashii. I think the person behind me was a professor at Korea University of Technology. Korea was sending a lot of elite students abroad to study. That was the era. I think it's those 90s students who are supporting Korea's current development.

Masahiko taught business and judo as a high school teacher for many years, and apparently had his students do well in national tournaments. He's just as I imagined him to be back then.

Thank you so much for coming all the way here. It was fun! Next time I'll definitely bring Melanie and Moay too. 

2025/09/25

【まとめ25年9月前半】石破辞任:水に流された民意

「軍部工廠跡のノスタルジー」「森山直太朗のザ・バンド」「大好きだ大久保嘉人」「80年代読書が照らす今」「大瀧詠一:幸せな結末」「曇りのマラソン大会」ほか

■9月1日                   軍部工廠跡のノスタルジー

#大阪激流伝 これはいいドラマだった。朝鮮特需により戦後も続いた加害への加担というのは、NHK夏の終戦ドラマでは初めて見た気がする。冒頭の大阪砲兵工廠跡は、俺が仕事で出入りした立川基地跡(立川陸軍航空工廠)そっくりだ。あまりにも似ていてノスタルジーにきゅっとなった。

(別記事)トモサカタBCカナダの雑文書庫: 追憶の調布関東村(4)ゴールデンブラウンの立川基地: 05/11/30  芝公園公太郎さんの「廃墟デフレスパイラル」 から写真をお借りして、立川基地についても少し…


#大阪激流伝 正義と悪の二択マインドの観念的左翼青年は当時はいたのだろうけど、今も左派はああだと思われてるんだろう。そんな単純なわけないだろと俺は思うが。しかしベトナム戦争でアメリカに怒る若者たちの気持ちは、いまイスラエルとアメリカに我々が感じる憤りと全く変わりないなと思った。

#大阪激流伝 九州大学に落ちたファントムを米軍に返さなかったなんて、信じがたい昔の大学と学生の自治性である。今なら大学は日本中から袋叩きにされ、九州大学の学生は就職できないだなどと言われただろう。返却がいい悪いではなく、昭和の倫理のなにかがどこかへ消えてしまったんだなと強く思った。孫の大学生伊東蒼さん名演だった。 


■9月1日                   森山直太朗のザ・バンド


#tinydeskconcertsJAPAN #森山直太朗 はメロディと歌詞が豊穣すぎるほど豊穣な古典フォークソングをやってくれてて偉いのだが、2曲目「生きとし生けるもの」は弦楽器が鳴り渡り全員がハモり、まるでザ・バンドであった。こんなイイ音が日本のオフィスから聞こえてくるとは。感動。チェロの方最高。 

「夏の終わり」もすごい、なんでみんなあんな高い森山直太朗のキーであんなに歌えるんだ、どういうこと?! 楽器の腕利きでかつ歌えるという、まさにザ・バンドのような人たちを集めた直太朗バンドなのかな。

次はケルトのジグだ、気持ちいい! カナダはケルト人気あるんで、ケルトパーティに呼ばれこういう曲で俺もギター弾いたよ! いやーよかった直太朗、みんなの歌気持ちいい、えらい!

帰ってきた娘にこれすごいよと Tiny Desk Concerts 森山直太朗 を見せる。ニコニコになりましたよ、これは最高だ。あのケルトのジグは俺たちも呼ばれて何度もやったよね、いい体験だったよ。「あーホントだ!」。去年住んだ日本のMUJIではケルト音楽がよく流れてたそう。そうなんだー。


■9月3日                新技術が枯渇した日本

#時事公論 三菱の洋上風力発電からの撤退を解説。渋谷陽一最後の仕事『話せばわかる、政治も社会も』で一番ワクワクした夢のある話題は、グリーンイノベーションや、新概念治水や、日本と同じ海洋国家イギリスに習えの洋上発電だった。しかしプロペラなどの資材も建設機械も日本では作られておらず、輸入する必要があるのだそうだ。となると円安が響く。三菱の撤退にはそれもあるだろうと。日本にはもう円の力も技術もないのかと夢がしぼんでいく。日本から新製品が出てくる時代は終わってしまった。

■9月3日                ローカルバスの旅:長野

#ローカルバスの旅 長野~福島を見ている。長野は土地カンあるので、2日目屋代から千曲川を離れ松代へ行ってしまった時点でヤバイ、そっちは人口密度低い=ローカルバスなどないとわかる。須坂→小布施→中野と地元民は車しか使わないルートなのでバスはない。歩くしかない。気の毒!

北信名物の延徳田んぼを通る、長く美しい直線路。左にコシナのレンズ工場があるあの風光明媚な道を、バス旅ガールズは炎天下ただただ歩くしかない。これはマジでキツイ。気の毒!

バス旅ガールズは「山ノ内から群馬に抜けるバスがあるかも」とか話していた。日本国道最高地点の渋峠を超えバスで通勤通学だなんてありえんと地元民はわかるが(※)、やはり紙の地図しか手がかりがないと、標高差や民家の分布はまったくイメージできないんだな。本当にハードな番組なんですねえ。

(※)翌日「答え合わせ編」というのを見たら、3時間歩いた信州中野駅からさらに30分歩けば、中野イオン→渋峠を超え草津というまさかの長距離バスがあったそう。バスあったんだ! しかしそれを見つけるのは難しいなー。イヤ本当に見るのもつらいハード旅でした、お疲れさま。


■9月4日                  今年も山火事の煙

朝霧と山火事のケムでスモーキーになっている。ケム指数は低いんだけど臭いがする。煙で光芒/が見える。(PL5+YN25mm F1.7) pic.x.com/IMerTxMZSs

スクワミッシュからバンクーバー市内は午後からケムがひどいことになっているらしい。市内は最悪の黒10、うちのあたりも風景がかすんできた。喉が痛い。 

午後はケムリ指数が最悪の10を超え、気温30度と相まってキツかった。「ヒートウェーブにこの煙なのにキッズを休校にしないのか」と怒ってるバンクーバー父兄がTwitterにいた。まあそれほどじゃないだろうと思うが。

翌日。山火事の煙は今日も晴れない。空がおそろしい色。陽が差してるのに気温がぐっと下がっている。 pic.x.com/i1mCv6yO2x

■9月6日                   大好きだ大久保嘉人

【大久保嘉人】のバンクーバーアマチュア日本代表戦は2日めもあったのだと今頃気づいて見た。これはすごい。これは大久保ファンコメント欄読まずに絶対見たほうがいい。◆【決勝トーナメント編】J最強ストライカー・大久保嘉人の伝説完結!! youtu.be/pzxt1MxKDtI?si…

【大久保嘉人】決勝まで行くと1日3試合となるのでローテを組んでるのだが、アイルランド戦温存された大久保がベンチで大声を出しており、カメラが追う。ニッポン、ニッポンという声が聞こえる。映像として素晴らしい。都合つけて行けばよかった。後半出た大久保が試合を決める。モノが違う。 

【大久保嘉人】そして準決勝vsクロアチア。シュートとハイボールが強い、BC地元の強豪らしい。チームに激を入れた大久保が後半から入る。――このあとの展開は書かないが、泣いた。大久保のいる日本代表の試合に熱くなったことのあるファンはみな泣くと思う。俺はザッケローニ日本代表の2014年コロンビア戦で大久保のシュートが外れた瞬間を、日本代表のワールドカップで一番悔しいシーンとして記憶している。大好きだ大久保嘉人。このアツい試合と映像をありがとう那須大亮選手! 

■9月7日              夏の終わりのストリートフェス

【カーフリーデイ】サタデー、毎年やってる町のホコ天へ写真を撮りに行く。煙はかなり薄まっている。 pic.x.com/0A7l7wFfWj

【カーフリーデイ】バンドはこの若い女性ボーカルが絵になっていた。「私は田舎からバンクーバーに出てきて、この町の子と恋をしたの。昔の話だけど。今日来てるはずだけど、どこかにいる?」とかわいいステージトークをしていた。♪別れても(別れてもー)好きなひと(好きなひとー) pic.x.com/o63UljcqF0

【カーフリーデイ】あとはブラブラ歩きながら、LUMIX GX9にYongnuo 42.5mmで写真を撮る。やっぱりピープルを撮るのが一番楽しい。YN42.5mmいい写りだ。◇GX9は暗めに撮ってあとから輝度を上げると好みの色が出る。EV0の撮って出しでこの色を出すセッティングがイマイチわからない。 pic.x.com/4jHDstS7eY

■9月8日               石破辞任:水に流された民意

#ニュース7 あ、石破総理辞任。驚いた。意味が分からない。自民党がここまで力をなくした中で、誰が次をやれるのかも分からない。適任者ゼロではないか。

カナダのニュースを読んでいた家族がオーマイゴッド石破やめるのどういうこと? と声を上げる。答えようがない。「――イシバは近年唯一議論できる正気の首相だったんで、自民党より彼のほうが支持率高いんだけど…わからん。党内抗争など who cares/心底どうでもいいし。他に適任者いないし」。 

プチ鹿島氏が、石破総理留任とされてた頃かなり批判的だったのだが、最大の批判点は「石破さんはやるべきことをやらなかった」であった。「国民に訴え、自民党が止めている夫婦別姓などの人権政策を動かすべき」だったと。

たしかにいつか出るだろう彼の「本領」を待ち続けた1年だった。いいことはいい、悪いことは悪いと明確にしてほしいと。自民傍流だった彼なら新自由主義・アベノミクス・自民保守の非合理性を認め、新たな道を見つけるため国民の智慧を集められるだろうと。この辞任により彼は味方につけていた世論を、何の役にも立てずにトイレに流してしまったわけである。ハア。

■9月8日                80年代読書が照らす今

あ! Kindle Unlimitedに椎名誠が入っている。片岡義男.comにKindle Unlimited、読むものが増えすぎて困った困った。吉祥寺で暮らし中央沿線各駅の古本屋に通ってた頃レベルで読むものがある。ありがたすぎる。若き日に読んだものをまた読んだら楽しいのか、あの文体がもう古びているのか、楽しみである。筒井風のSF小説家となってからの作品も読んでみたい。彼の不条理短編は面白かった。 

#KindleUnlimited 椎名誠「さらば国分寺書店のオババ」を読了した。あの初期シーナ文体は当時急速に飽き、本人も再読したことはないそうで俺もそうだったのだが、くどい形容部分はサクサク読み飛ばせるので気にはならなかった。やっぱり面白かった。

とにかく時代の違いをひしひし感じた。80年代はほんとに非政治的な時代だったが、嫌権力の時代でもあった。そこがアンチ反権力がマスとなった現代日本とは違うのである。

国鉄や警官とともに古本屋オババも椎名にとってある種の戦うべき権力としてあり、彼の内部でその価値観が変遷していくところが読後感がいい。それを40年ぶりに楽しんだのであった。これがあれほど大ヒットしたのは余裕あった時代だ。

社名がXと決まったんだからツイッターいうな、イヤなら出てけと言う人がいたり、もとから「殺すな、抑圧するな、搾取するな」という素朴な社会批評アートであるバンクシーに「政治を持ち込むな」という人まで現れ、本当に現代日本人の権威迎合・反権力嫌いは幼稚で根が深い。それは決まりに逆らう者は悪という小学生レベルとなっている。正義の重み付けができないのだ。


■9月8日               軍用地とスタジアム


 戦後各地に作られたスタジアムの前身は軍用地だったという「軍用地とスタジアム」。なるほどそういうことかと面白い。味の素スタジアムは、警備員時代の俺が管轄する広大な調布基地跡地の飛び地であり空き地だった(中央下、97年国土省写真)。左が外語大と警察大学になった関東村の森。「留保地」がまだ残っていたのか。退職後行ったことはない。行きたい。 pic.x.com/mk6MS3zlMM


■9月10日              夏の女の子たち

有吉たちがオアフを旅している。正月歩いたばかりの風景がとてもなつかしい。泊まった動物園前のホテルも映っている。◇みちょぱって初めてじっくり見たが(こういう子がTVにいるなとは認識していた)、肩や腕がきれいだなあ。うちの娘やその友だちが、夏はこんな感じである。いいよねえ夏の女の子たちは。

■9月11日             分かってもらえるさ

#朝ドラあんぱん なつかしい編集長が訪ねてくる。そうか。彼は、「お前たちは、探してたハートオブゴールドを見つけおったな。ワシには分かる」と伝えに来てくれたんだ。そしてそれは仕事で報われてる嵩よりも、のぶに言ってやりたいことだったんだ。分かってもらえるさ/いつかそんな日になる/もうすぐなんだ。 

■9月12日                 ボーカリスト堺正章

#SONGS 若きスパイダーズ #堺正章 の歌い方がカッコよくて、現代のバンド写真にも見えるくらいロックンローラーだなあと思った。

そして現在の『バンバンバン』ではとーぼけたと半拍食って入り、『あの時君は』ではくーーーるしめたーとタメにためるボーカルセンスは、今もすごいねえ。

#SONGS なんでもやれたけど、やっぱり歌が一番という #堺正章。どうして歌一本で行かなかったんですかへの返し「ヒット曲が出なかったからだよ!」は、たしかにと思ったなーw ドラマや司会業は多くの才能が協力しコンスタントによいプロダクトを作っていけるけれど、音楽はそうもいかないのだ。

■9月12日                           活字中毒者地獄の味噌蔵

今日読んだのは #椎名誠 2冊め、『活字中毒者地獄の味噌蔵』。表題作はシーナ初の小説だったわけだが、今となっては読み飛ばすに限る「昭和軽薄体」形容部分の面白さよりも、どこか少しおかしい奥多摩桧原村の出戻りイトコやその家の様子などの細部が面白いなあと思った。 

やはり #椎名誠 という人は、言語感覚よりもワニ目の観察眼が面白い人なんだよなと思った。その他の収録エッセイは『本の雑誌』に載ってたもので楽しいが(本の雑誌も当時よく買ってた)、やはりエッセイは時代の産物ではあり今読んでもただ面白いだけなので割愛し、小説方面に進むことにしよう。





■9月13日                アメリカ人の友人

今日アメリカ人の友人と会っていた娘に、彼は国のことを心配してるだろうねと尋ねた。「Yeah、8月のミネソタ銃撃事件はよく知ってる場所なんだって。アメリカ人であること(being an American)って、ちょっと考えられないよね」。風物は似ていてもまったく違う隣国の国民としての実感がこもっていた。 

アメリカに民主主義が実はなかったというのも驚きだしね、と俺も言ったのだった。

極右カーク氏殺害に関するNHKニュースの無毒化は意味不明なレベルで、有意な人物が殺害され全米がショックを受けているみたいな報道になっている。カーク氏の主張も、犯人が外国人ならよかったというユタ知事の問題発言も伝えない。NHKがアメリカの極右に気を使う意味がわからない。彼ら宗教右派の言論の暴力性がこの事件の核心だろうに。

「トランプの友人」とされるカーク氏が殺害された件で、「気を落としでしょう」と声をかけられたトランプが実際は気にもかけちゃいなかったという映像を見て、なにもかも手に入りなにもかも思いのままにできるけれど、あいつが幸福なわけないよなと思った。友人なんていないのだ。

人にやさしくする、親切にする、されるって人間(&もしかしたらすべての変温動物)の大きな幸福じゃないですか。トランプのような人はそれが欠落した人生なんだよなと思う。利得の分配と交換しかできない人生なのだ。

■9月14日              大瀧詠一:幸せな結末

#大滝詠一 #幸せな結末 今見てるんだけど、「ダンダラダン、ホゲホゲみたいな感じで」と音を作る過程の録音が残ってるというのは、やっぱり幸せなことだ。ビートルズ『アンソロジー』だ。

はっぴいえんどというのはほんと後から発見されたバンドで、あのニールヤング/バッファロー的なビートに乗った大瀧詠一のボーカルを今聞けば、これが70年の日本で鳴ってたのは奇跡だと思うほどイイ。しかし70年代小学生の耳に陽水やウィングスの音は届いても、はっぴいえんどは届かなかった。

俺が最初に聞いた細野人脈の音楽は鈴木茂のソロヒット「レイニーステーション(78)」だった。だからといって遡ってはっぴいえんどを流してくれるラジオには出会わなかった。YMOと大瀧詠一が大ヒットして、ようやくはっぴいえんどが再発見されたのではなかったか。よかったよ再発されて。#幸せな結末 となって。

#大滝詠一 がスタジオを作っていた福生の米軍ハウス。立川の米軍ハウスを借り同じくスタジオを作ってしまったやつがバンド仲間にいて、俺は何度もそこで練習し録音もした。あの壁や板の質感が懐かしい。同時代のカナダの家とは違う和洋折衷感がある。「福生ストラット」カッコイー!! 

ナレーションが映画予告編みたいで大仰すぎるな、誰だろうと思いながら見ていたが、最後のほうになって字幕が出る前に、あ、これは小林克也だ! と気がついた。なつかしい。カナダ暮らしが長くなった今の俺にも彼の声はアメリカ人に聞こえる。いつかまた張り上げるあの声で、ヒットチャートを紹介してほしい。 


■9月15日                曇りのマラソン大会

【市民マラソン】 #TerryFoxRun 天気は崩れたが雨は止んだので、傘を背負い出かけてきた。光が悪いので工夫してみようと、普段は登れない陸橋のセンターラインに陣取る。――きたー! すごい光景だ。数千人のランナーたち。すごい! pic.x.com/OfInR6u28L

今日のわが町の参加者は3000人ほどだったそう。町のこのメインストリートは遥か彼方の山頂までまっすぐ続いており、3枚目など望遠圧縮効果でものすごい急坂に見える。これが撮りたかった。気持ちいい。

#TerryFoxRun ランナーたちが陸橋を登り超えていく。町の名カメラマンMrネス(――野鳥公園でよく会い、写真すごかったですわと話しかけている――)も同じ場所で撮っていた。ですよね師匠。写真班みたいな位置なので、皆笑いかけてくれる。イエーイ。 pic.x.com/F6Y73AUhAd

こちらに笑ってくれてる女性たちは、イエーイと左手を振りながら撮ったらブレていた。重くバランス悪くブレやすいのがGX9の不満で、どうせブレるならボディ手ぶれ補正なくても小さく軽くこの色が出るG100がほしいなと思っている。カナダには中古ないので日本帰国時か。

#TerryFoxRun 後方のスローグループに混じり、俺も陸橋を渡った。この参加者フィーリングよ。最高🙂 pic.x.com/p1DYSpDQjR

#TerryFoxRun 陸橋を渡り切ると折り返し。◇天気が悪かったので普段GX9で使うSTANDARDでは色が出ないだろうなと、初めてVIVIDを使ってみた。正解だったと思う。Auto WB+暖色A1G1も効果的で、あの曇天でこの色ならば文句なし。(全ショット明暗だけ調整のjpeg) pic.x.com/QoLA9xIuiY

#TerryFoxRun 陸橋を逆に戻る。この橋を車で渡るときカメラで撮りたいなといつも思う、ずんと迫る山が撮れた。◆坂を降り最後の直線へ。帽子の女性の走るフォームが美しい。pic.x.com/Xu0CYZYg6M

#TerryFoxRun 最後のストレッチ。フーと応援してくれるキッズのためにも俺は歩く! Persevearance(忍耐よ!)――サンキュー! 夢をあきらめないで!――サンキュー! Courage(勇気を持って!)――サンキュー! …というわけで、今年も楽しかったです。行ってよかった。 pic.x.com/nheWIMgMw3