2011/05/31

「ロック労働者たちの歌」

「コキットラム小学校陸上大会」「移民都市リッチモンド」「ルーニーがもう1人いてくれたら」「英語の声と日本語の声」

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■11/05/24(火) □ コキットラム小学校陸上大会
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まことに立派なスタジアム。
気分が高揚します。
 コキットラム市内小学校陸上大会。萌は例によって先生の話をちゃんと聞いてなかったようで、他の子が個人種目とリレーの両方に出ているのに、萌は最後のリレーにしか出られなかった。結果は振るわずビリから2番目。でもまあ天気も悪くなかったし、友達と外で騒いで文句なく楽しい一日だっただろう。

 施設はほんとに素晴らしいスタジアムだった。なにせ昔サッカーカナダ代表が合宿してたスタジアムだもんな。今年ももうじきゴールドカップがやってくるので、またここで合宿してくれないかな。そしたら見に来るんだけど。

 子供らが走るのを見ながら、日本じゃ中学の時に学校対抗陸上があって、よその中学のかわいい子にボーイズが騒いだりしたものだよとMに話す。後からどうやってなのか、その子の名前を調べだす奴がいたりしてね。なつかしいな。Mが暮らしたノバスコシアは貧乏州だったから、こんなイベントなんかまるでなかったわよとのことだった。

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■11/05/26(木) □ 移民都市リッチモンド
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 ニューブランズウィックに行くMを空港へ送り、帰りがけ久々にリッチモンドのアバディーンセンターでランチと買い物をする。ここへくるたびに日本風食べ物屋が増えている。客は中国系なのにメニューが日中英の順で書いてあるところに、日本ファストフードのブランド化傾向が感じられる。

 しかしリッチモンドに行くと、ランボルギーニやアウディ R8 なんちうスーパーカーが走っている。うちのコキットラム地方ではせいぜいコルベットだぜ。お値段の桁が違う。

 中華移民都市リッチモンドのこの金持ちっぷりはすごいな。1つの言語グループだけで金を回すから、互助効果が働き一般(英語)ビジネスよりも有利になるのだろうと思われ、ややアンフェアな感を受ける。碁盤の目に商業施設が建ってるだけの殺風景な町で、経済が活動している。

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■11/05/27(金) □ ロック労働者たちの歌
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 Twitter でARBについて一言書いたら石橋凌の関係者らしき人とつながり、朝から夜までARBツイートが流れてきて、ブルージーン穴だらけである。

 その中に、

@makkatmercury: 石橋凌とARBのことを30代後半の人に話しても「知ってるけど俳優でしょ?」と回答される。時の経過は恐ろしい。

 というツイートがあった。ロッカー石橋凌は役者石橋凌の百倍すごいのに、彼が中堅役者としてしか世間に認知されていないのは本当に惜しい。

 バンドマンは常に突き進んでいないとクルマが止まってしまい、仕事としては本当に苦しい。だから誰もがやがてリタイヤしてしまう。俳優は多くの人が支えてくれ、個人が苦闘して作らなければならないものが音楽よりもはるかに少ない、サステイナブルな仕事なのだ。

 しかしヤクザや刑事や侍の装束をまとった石橋凌に、俺の胸は動かない。石橋凌のイメージで映画を作るとヤクザ映画になるらしいが、俺がARBから聞いていたのは別にアウトローのメッセージなどではない。マジメで地道で報われず、それでも腐らず生きていく、ロック労働者としか表わしようのない者たちの歌なのである。

 音楽性や文学性、破壊力や貫通力など、どこを取ってもARBを超えるバンドはたくさんある。が、どこを取っても一番にはなれない男たちの哀感こそが、ARBの歌になっている。それを俺たちは愛していたのであり、今の報われぬ若き労働者の耳にそれがまったく届かないことが悲しい。ARBを歌っていたら、クソみたいな所で踏みとどまり突き抜けられたかもしれない魂は数多くあるだろう。

 役柄を着せられた石橋凌は「イカレちまったぜ!」と叫べない。「Fight It Out」と歌えない。歌も売れてる二枚目役者が、一発で腰を抜かすほどの声と歌を彼は持っているというのに。それがまったく悔しいのだ。

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■11/05/28(土) □ ルーニーがもう1人いてくれたら
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 出先から帰りCL決勝に間に合った。居合切りのように深く速いマンUのタックルがザクザクと決まり、面白い試合になりそうです。

 序盤マンUが猛然と攻め、それが収まると自力に勝るバルサの流れとなり、シャビの超絶スルーからペドロが完璧に決める。メッシのドリブルの止められなさは物理を超えており、イニエスタらのパス回しのテンポが上がるとタックルの刃も届かなくなり、マンUはまったく手も足も出なくなる。せっかく苦労して奪ったボールを、マンUがすぐロングボールで放してしまうのは何故なんだろう。バルサのプレスが早いのか? これではバルサを疲れさせることすらできないではないか。

 しかしほとんどただ一度だけゴールそばでフリーでボールを持ったルーニーが、何もないところから1・2を作り出しゴール。あんなチャンスともいえないところからの1プレイで点にしちゃうんだから、まったくルーニーはすごい。

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 後半も同じ一方的な展開で、メッシの超絶ステップ&ゴールで1-2。そして何発もすごいショットを止めたファン・デル・サールのさらに上を行く巻きショットでビジャが3点目を取り勝負あり。恐れ入りました。

 バルサがすごいというよりは、前回と同じくファーガソン打つ手なしという試合の印象だった。前線の天才と後方の労働者たちという彼のチームづくりが、どこからでも同等の技巧でフィニッシュに持っていけるバルサに負けてるのだろう。

 そんなクラシックなファーガソンのチームづくりでも機能すれば美しいので試合前期待は高まったのだが―――野次馬の多くはマンUの奮闘に期待したのではないか―――、結局こう苦しい試合になるとボールをキープし前に運び事件を起こせるのはルーニーだけだった。労働者パクたちはただただ振り回され、攻撃時には何もできないのである。

 パクは守備的アタッカーだからまだ起用は分かるが、押し込まれることが分かっている試合で、好調とはいえ守備やフィジカルな競り合いなど期待できるはずもないベテラン・ギグスの経験と煌きに期待したりするロマンチシズムがファーガソンにはあるらしい。そこがマンUの人気の秘密なのかもしれないが、準決勝までの圧倒的な強さをバルサ相手にも発揮するにはどうしたらいいのか、もう少し策を立ててほしかった。

 ルーニーがもう1人いてくれたら最高のゲームだったんだけどな。彼はフィールドのそこら中にいて、どこにいても最高のプレイをしていた。メッシ以外のバルセロナの誰よりもすごかった。だがファーガソンの考えが「戦術ルーニー」だったのだとすれば、1人では足りなかったのである。

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■11/05/29(日) □ 英語の声と日本語の声
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 柔らかい日差しの絶好のスポーツ日和、初めてライオンズパークでローラーブレードをやってみた。公園内の自転車道は車道よりもずっと滑らかなので、ひとこぎですーっと大きく進みすさまじく気持ちいい。こりゃたまらん。萌も Yahoo! と声を上げる。

 しかしブレーキがない乗り物で下りを行くのはやはり超恐ろしく、ガード下の急坂に阻まれ PoCo ダウンタウンの方へ遠乗りすることはできなかった。ヒールについているゴムを押し付けてスピードを殺すのだとローラーブレード指南には書かれているが、その姿勢でバランスを取ること自体ができん。ほんとに可能なのか? まあともあれ公園内だけでもほんとに気持ちよかったけれど。

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 その公園で滑っているときのビデオを夜見ていると、自分が英語を喋るときと日本語を喋るときの声が全然違うことに萌が気づいて笑い出した。「(日本語時の自分は)すごく子供っぽい!」「いや、日本語を喋るときは昔のままの萌で、イノセントなんだよ。英語のときはカナダ小学生らしくサーカスティック(皮肉屋な)になってるわけ。今は両方の萌がいるんだよ」。

 萌はTVのティーンショーのスターみたいに声が低く自己主張が強く、シニカルで「ファニー」な言葉を我先に喋る最近の自分が気に入ってるのだろうが、大人はもちろんそれがガキっぽさ第二形態だと思っている。イノセント/チャイルドライク(子供らしさ)がチャイルディッシュさ(ガキっぽさ)になったわけで、愉快な変化ではない。だがまあこれがカナダ小5の歳相応というものなのだろう。実際萌はこういうコミュニケーションスタイルを身につけるまでは、気の強い子に圧倒されがちだったもんな。

 こうして声を聞くだけで分かるほどの生来のイノセンスが、萌の内側には残っている。それをキープする卵の殻として日本語が働いてるのかもしれない。そして何年かすれば、「オトナっぽさ」への憧れで言動がねじ曲がるガキっぽさは徐々に薄れて、英語でもくだらんシニシズムにとらわれない素直な少女となってくれることだろう I hope...。

2011/05/22

「宮沢賢治よ起きてください」

「カナダキッズの低い声」「オイそれはオレの魚だぜ」「日本ブランドは寓話だった」「スクールミュージカルその2」

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■11/05/08(日) □「宮沢賢治よ起きてください」
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 夕方、MK夫妻に誘われて Port Coquitlam のタイ・ベトナム料理店へ行く。実に久しぶりにトムヤンクンスープを食べこれはうまかったのだが、Mのチキン唐揚げの甘酢煮とBRのチャーハンは普通(こりゃどっちもチャイニーズだろう)。MKの野菜炒め、焼きヌードル、萌のライスヌードルは並み以下だった。

 総じて言えば中程度のチャイニーズという味で、タイカレーが$13と価格もかなり高い。こんな店が満杯になってるんだから、ほんとカナダの外食産業は楽な商売だと思う。あとでググってみたら平均レビューは4つ星で驚いた。こういうところに来る客というのは、「う、うますぎる!」と体がフリーズするほどの食味経験をしたことがないんじゃないだろうか。

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 夜皿を洗いながらネットラジオ「武田鉄矢の三枚おろし」を聞く。武田鉄矢は震災後泣いて泣いて何もできなくて、せめて詩を書こうと夜明けに泣きながら書いていたそうだ。
「宮沢賢治よ起きてください。あなたのイーハトーブが燃えています」
「発電所が燃えております。グスコーブドリを遣わして、あの火を消してください」


学校からの募金に添えて、東北へ送った写真
 ああと体から力が抜け、皿を取り落としそうになってしまった。そうだよ。まったくだ。お願いです。グスコーブドリを遣わして、あの火を消してください。

 福島第一の現状を撮影したスライドを見ると、すさまじい壊れ方で途方に暮れる。この惨状で諦めず作業案を立て実行している人々はほんと、グスコーブドリだ。

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■11/05/12(木) □ カナダキッズの低い声
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 萌のクラスのCHとMRが来る。小5が3人揃うと興奮して言うことを聞かないし調子にのって危ないことをするし、扱いにくさ普段比1.5倍という感じ (^-^;。

 カナダの小学生はみんなそうなんだろうが、寄り合って盛り上がるとき、相手の言葉を遮る勢いで低音に力を込めた自己主張トーンで喋る。自分が会話をリードすることが強力に目的化しているようだ。

 小学生のうちからこうしてやや無理めの強い低音を発声し続けるから、カナダ人(欧米人?)は声帯の下のほうが腹式呼吸的に発達し、声が低く大きくなるのだろうな。日本でも小5の自己中度はこんなもんなんだろうが、低い声はかわいくないという価値観があるから声は高いまま育つのだろう。どちらかといえば低いほうが好ましいけれど、10歳で子供の声からナチュラルなイノセンスが消えていくというのは悲しい。

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■11/05/14(土) □ 新ゲームを探す
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 MとLDが借りたコキットラムリバー沿いのレンタル畑に肥料を入れに行く。河原の平地に小さなかわいらしい区画がたくさん並んでいる。家の庭に畑があるのによそに同規模の畑を借りる理由はよくわからんが、まあ農園を持つということ自体が楽しいのだろう。

 帰りに飯を食いに行き、その横のボードゲームストアに久しぶりに入ってみるとセールをやっていて、「オイそれはオレの魚だぜ」や「ディクシット」が値下がりしていた。面白そう。しかし萌は友達のところでやったことがある「UNO」や「ピクショナリー」など有名 US ゲームを所望し意見が合わず。大人ボードゲーマーはドイツ系の、考えどころの多いゲームをやりたいんだけど、子供はやっぱり友達と素早く単純に盛り上がるUS系ゲームに惹かれるのかもしれない。まああれこれ調べて考えてみよう。

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■11/05/15(日) □ オイそれはオレの魚だぜ
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このプラペンギンの「デラックス」より
古い木のコマのバージョンがほしかった
 たっくんのサイトをはじめたとした各サイトで評を確かめ、《オイそれはオレの魚だぜDX》を買ってきた。1ゲーム10分なので3回もやれた。で、3敗 (^-^;。敵を狭い方に追いやり橋(移動できるマス)をカットしてやろうと画策するとまさに陣取りで非常に燃えるのだが、動かしてから「あ、墓穴を掘った」と気づくことが多く、Mはそこを見逃さず俺の背後を取り退路を断ってくる。面白い。中央部で広がる穴で大陸が分断されていくときなど、どこを取るかと考えワクワクする。

 カルカソンヌをやらなくなってしまった萌がボドゲ娘に戻るような高揚感を持つゲームではないと思うが、これはMがけっこう遊んでくれそうである。彼女は攻撃的ゲームが嫌いなのだが、これは相手を小島に孤立させる攻防自体がゲームなので、うーむやられたと盛り上がれ、後味が悪くならない。

 プエルトリコのような、このゲームを手に入れればあれもこれもできるという贅沢感はないが、陣取りの面白さと10分で終わるキレのよさは見事だ。プエルトリコ/サンファンっぽい拡大再生産をやりたいのはやまやまだが、うちの場合カルカソンヌ以上に重いゲームはやってもらえないと思うので、そういうゲームはコンピュータや BrettspielWelt でやっていこう。

 子供同士のパーティゲームとして、萌がほしがってた《ピクショナリー》もいつか買おう。あれはたしかに面白いだろう。

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■11/05/17(火) □ 日本ブランドは寓話だった
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 福島原発だけでも何十件も過去に故障隠しがあったというニュース記事を読む。日本の企業と政府って、これほどまでにいい加減だったのか。プロジェクト X なんておとぎ話だったと落ち込む話である。「日本ブランド」というのは、たとえ経済は落ち込んでも品質とモラルはどこにも負けないという武士の高楊枝マインドだったわけだが、それはもともと日本人の願望の中にしかない寓話だったらしい。

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 ランチ後TVを見ながらMと「オレの魚」。やはり10分かからずに終わる。2人プレイなら勝てると思ったのだが、俺の狙いを読んだMがムーブを読み切って罠を張っており、Mコマを孤立させても返り討ちに遭い、相打ち状態でリードを奪えない。結局6点差で負け。強い。

 夜もう2戦して、ようやくMとのソロ戦で勝った。局面の移り変わりがダイナミックなので、萌とMとの対戦を横から観戦するのも楽しい。ゲームの面白さは正直カルカソンヌには及ばないが、カルカソンヌでは味わえない純粋陣取りが手に入ったのはうれしいし、スタート盤面をいろいろとデザインして始められるという柔軟さもいい。なによりもカルカソンヌでもなかなかやってもらえない非ボードゲーマー家族持ちにとっては、あっという間に1勝負終わり、その中に必ず「あー」「ウシシ」があるというのは大きな美点である。

 このあっさりとしたゲーム性にしてカルカソンヌと同価格はやや高いので、木のコマの「ノーマル版」がほしかったな(絶版かもしれない)。「デラックス版」は大きなプラペンギンがコマになっておりそれが売りではあるのだが、さほど魅力のあるフィギュアでもないのである。木のコマのほうが見やすいしかわいい。

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■11/05/19(木) □ スクールミュージカルその2
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主役よりも華やかな衣装で大見得
 萌のスクールミュージカルその2、「アリストキャット」。萌はほしい役が取れずふてくされ家での練習を怠っていたので俺とMに叱られたのだが、幕があいてみたら一番きれいな目立つコスチュームで、セリフと演技が主役と並んで多い役どころだった。なんでこの役でブータレていたんだ? ソロ歌唱はなかったが、笑えるセリフもあればバシッと決めポーズもあり、はっきり言って前回よりもおいしい役ではないか。

 萌はコスチュームがよかっただけではなく、あの練習サボリっぷりからはまったく予想外のデキのよさだった。主役ながら緊張からやや早口の定型的な演技しかできなかった前回とは段違いの自信のある表情で、長い手足がリズムに乗り伸び伸びと優雅に動く。踊るには難しい4ビートの曲が多かったが、見事に踊り切っていた。やっぱDSバンドブラザーズ(音楽ゲーム)などのおかげで、リズム感が育っているのである。よくやった。素晴らしい。

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 【オイそれはオレの魚だぜ】BoardGameGeek で、「自分だけの島を切り取るのが勝利への道だ」というコツ解説を発見。そうか、俺はM萌のコマを孤立へ追い込もうとしては背後を取られ墓穴を掘っていたのだが、自分を豊かな孤立状態に持っていき独占するという逆転の発想が必要だったのか。

 その作戦を持って午後、Mと対戦。また負け。Mは実は俺を攻撃するより3魚タイルを徹底して狙っており、それが勝つコツなのだという。ならばと「自分だけの島を切り取る法」をやりつつ2~3魚タイルを狙ってみると、ようやく会心のゲームでMに勝てた。やっ・た\(^-^)/。

2011/05/11

日記「福島にふくしまにふくしまに」

「信じる気持ちは揺らいでいる」「不良男子賛美ドラマはもういい」「パワートゥザピープル」―――《俺は生まれた長野須坂に自分を置いてきたような気はしないが、東京には相当量を置いてきたと実際思う》

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■11/04/29(金) □ 信じる気持ちは揺らいでいる
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 福島の小中学校での被曝限度を巡り大変な論争になっている。20ミリは多すぎると告発してやめた学者の言葉は重い。

 「校庭に8時間立っていても年間20ミリには達しないという基準なので、教室内にいる時間のほうが長い子供の実際の被曝量は大幅に小さくなる」という政府の説明はわかるが、「大幅に」「見解の相違」などという定量化できないことを言うから議論が噛み合わない。根拠と自信があるのならば、「1年間通学し、1日1時間校庭にいたらこうなる」と数字を出し明確につよく反論すればいいではないか。それがなければ親はなにも判断できず、不安と怒りをつのらせるだけなのだ。

 それに、福島および近県産の食材を食べてくれ、給食にも使おうというのも難しい話である。農薬ですら子供の口には入れたくないと努力している母親が多いというのに、「汚染はちょっとだから放射能入りの食べ物を買ってくれ、買わないのは風評被害です」というのは無理がある。納得した大人だけが食べるならまだしも、給食というのはあんまりだ。

 普段高額な有機食材を買っている人々は、「より安全で倫理的なものが買えるならお金は惜しまない」という方向で物事を考える。今はこうした消費者と同じ考えを適用し、原発被災地域の農家の経済損失は国が補償し(つまりお金は惜しまず)、放射能が検出されない/無視できるほどに小さい地域の食材を逆に原発被災地域に送り、国民全体が摂取する放射能量を少しでも減らしてほしい。減らせば減らすほどいいことに間違いはないのだから。被災地域の農業を救うために放射能を我慢しようというのは共倒れ政策である。

 日本政府が事実を過小評価し、手遅れの政策をやっているとする悲観的な考え方はつらすぎるので俺は絶対採りたくないのだが、信じたいという気持ちは常に揺らいでいる。

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■11/04/30(土) □ 不良男子賛美ドラマはもういい
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 TV Japan で映画「ルーキーズ」。TV版も見てなかったが映画も同じような話であり、途中で見るのをやめる。映画が作られるからにはTV版は大ヒットだったのだろうが、日本のこの不良男子賛美は、舌足らず女子偏愛とつがいの嗜好なのだろうな。こないだ見たドラマ『迷子』に出てきた、不良だった父親を恐れ家に帰りたがらない男子や、明るくバイトし口が悪く弟を蹴る女子のほうがずっと好ましいと俺は思う。

 TV Japan で「ごくせん1」をやっていた頃は萌も楽しんでおり、それがうちでの希少な日本語ネタになっていたのだが、2、3とあまりにも内容が同じなので飽きて見なくなってしまった(2、3は配役も激しく劣化してたと思う)。それにトドメを刺したのが「ルーキーズ」や「サラリーマン金太郎」と続いた血ドロドロ路線で、結果として萌の日本語TVワッチ習慣が完全に途絶えてしまい現在に至る。一緒に見られる日本ドラマが枯渇して本当に困っている。

 萌が見たい―――というか今でも見せたら見そうなのは、TV Japan でやったものでいうと「ケンジとヤスコ」「怪物くん」などの学園モノなわけで、血ドロドロばかりじゃなくああしたローティーン向きコメディをやってくださいと TV Japan にメールを送ってみよう。別にジャニーズが出ていなくても古いものでも構わないので、軽快でコミカルな日本の番組をやってくださいと。

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■11/05/04(水) □ パワートゥザピープル
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 原発補償による東電の値上げ見込みに対し、激しく批判が起きている。日本は電気だけではなく、全部の公共料金が高い。カナダから日本に行けば成田から長野の実家に辿りつくまでに交通費で1人百ドル以上が吹っ飛んでしまう。車に乗ればガソリン代より高速料金のほうが高い。家中を無駄に温めているカナダのセントラルヒーティング家屋より、人がいる部屋だけをミニマムに温める日本のほうが光熱費が高い。電話代も放送受信料も高い。

 震災以降の日本はこうしてガラリと、公共料金や政治や企業やマスコミに対し厳しい目を向ける国に生まれ変わったのは明らかで、それだけはよいことだ。一昔前ならこうした大きなものへの怒りは自分の身の回り以外に伝わらなかったのだが、いまや人々の怒りが即座にコネクトし、そこに十分な駆動力があれば共振して世論となり影響力を持つメカニズムも完成している(エジプトを見よ)。

 むろんネットだけではなく日本全体が、ささいな失敗でも袋叩きに遭う「つるし上げ社会」になっているという嫌な面も当然あるだろうが、つるし上げる対象選択とそのアゲ度合いに対してもネットによる批判=ならし効果は働くのであって、徐々に適切で効果的になっていくのではないだろうか。パワートゥザピープル、ライトオン。

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■11/05/05(木) □ 福島にふくしまにふくしまに
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 NHKで猪苗代湖ズのビデオクリップを見て、各都道府県代表ピープルがほんとに歌ってるんだ、そしてその声が入ってるんだと気がついたら、涙がポロポロ出てきた。下手うたは人の心を打つ。

 日本の都道府県はどこも素敵だ。俺はボンビーかつ物欲に弱い(ゲームやガジェットへの出費過多な)奴だったので日本国内でも行ったことがある場所はそんなにないけれど、バイクや軽自動車にテントを積んで巡った日本のあちこちの海山町は、ほんとどこも思い出深い。

 弟とバイク合宿をした箱根・伊豆、何十回走ったことかわからない奥多摩有料道路と近くの村落、日光から群馬伊香保へ抜ける途中のどこかで見た美しい田園風景(当時は銀塩カメラすら持ってなかったのが口惜しい)、隅々まで走りまわった信州各地、Mを連れて今だに語りぐさになるくらいいい旅をした岐阜、福井、京都。東北には行ったことがないのだが、どれほどいいところなのかは想像にがたくない。福島の素晴らしさは友達に何度も聞かされた。

 住&育児環境のいいカナダに住んでることにはほんと感謝しているけれど、ああした日本の町をもう旅できないということはとても悲しい。日本の山の緑は豊かで、町は自転車で用事が済むコンパクトさで雑然と作られ、1つ1つに個有の味がある。カナダ(といってもBCとノバスコシア州だけですが)を旅しても、あとから追憶に胸を掴まられるようなことが俺はないのだ。その理由を明確には言えないのだが、カナダ人にはキヨシローの歌のよさがわかってもらえないように、俺にはカナダの本当のよさがわからないのだろう。

 福島に、ふくしまに、ふくしまに、置いてきたんだ、本当の自分を。俺は生まれた長野須坂に自分を置いてきたような気はしないが、東京には相当量を置いてきたと実際思う。バンドもあれ以来できないし、英語ではもともと乏しい自分の言葉の半分くらいしか表せないし。

 俺は―――サンボマスター山口もおそらく―――、置いてきたことを後悔しているわけではない。だけどときどき振り返ると、悲しみは襲ってくるのである。