2012/07/11

日記「幻惑のワーカープレイスメント・アグリコラ」

「超大作をついに購入」「ゲームの目覚めを語り合う」

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■12/07/06(金) □ 超大作をついに購入
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新ボードゲームがほしいほしいとあれこれ考えていて、昨日まで買うことはまったく考えてなかった長重複雑難大作ボードゲーム「アグリコラ」をつい発注してしまった。詳しい経緯は恥ずかしいので省きますが、勢いで。


手に入らなかった哀しみの動物たち
ところが箱を開けてみて、肝心のアニミープル(動物コマ)が入ってないことに愕然。今頃になって調べ、日本版にはついており英語版はついてないのだと判明した。な ん と い う こ と だ。アグリコラの記事でこの動物コマがない写真は見たことがないが、なんと別売りオプションなのだった。精緻趣味を満たすあの動物たちを柵に囲いたくて買ったのに。あのミープルをグレンモアでも使うためにも買ったのに。こんな大作をよく調べもせず買ってしまうなんて。俺は馬鹿だ。

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仕方なく泣く泣く検品とテストプレイ。ゲームの進行のおよそはネットで読んで知っているのだが、さすがに名にしおうわかりにくさである。

1時間半かけてルールを解読し、入門用の「ファミリールール」で最初の収穫(R4、ステージ 1)までやって流れはわかった。収穫できるとやはりうれしい。ルールを読むのに時間がかかっているが、ゲーム自体はソロだと1ラウンド最短2手で終わる。

初収穫でやっと楽しくなってきたが、しかしこれは当面 PC 版のソリテアでやったほうがいいな。木のディスク(コマ)補充やカードのハンドリングが大変すぎる。数を忘れず把握するのが大変な上に、キューブやミープルと違いアグリコラの木のディスクはひどくつまみにくいし滑るのでイライラする。アニミープルがないんだから指先で遊ぶ快感はもとより半減なわけだしな。片付けて PC 版でチュートリアルを続行。

処理は間違いまくってるだろうがソリテアで1回最後まで行ってみて(このソリテアは資材の補充は自動でやってくれるが、得点や食べ物生産量は自分で計算する)、30点となった。家と柵を作ったあとは何をしていいのかわからなかった。「小さな進歩」と「職業」の内容がわからず無視してやってたので、これがだいたい「ファミリー(入門用)ルール」相当だろう。感想はまあ楽しいが、この入門ルールでもワーカーを置く選択肢は10~30と、宿命のライバル(?)「プエルトリコ」より多い。本ゲームはこれにランダムでカードが14枚加わるのかと、今から途方に暮れる。

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■12/07/07(土) □ 幻惑のワーカープレイスメント
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誕生日。朝起きたら私の PC キーボードの上に折り鶴が山盛りになっていた。うちの娘はツルはお祝いのものと思ってる模様。なつかしい方からお祝いのメッセージも届いていた。優しいなあ。


汗だくな誕生日であった。
誕生日はともあれやっと雨季を抜けドライな夏となったので、懸案の庭の材木ゴミを捨てるために1人汗だくで庭掃除をする。疲れたので晩飯も作れずラーメン。具もない、キャベツだけの素ラーメンです。こんな学生みたいなものを誕生日に食うとは。



そして夜はアグリコラ研究を再開。昨夜から必要な資料を全部揃え、疑問点をつぶしながら PC ソリテアを通算で5回ほどやってみて、このゲームの概要はわかった。

序盤の食料供給の難しいマネージメントは楽しい。中盤までにうまくシナジー(相乗効果、特に食糧供給サイクル)を組まないと、後半どれほど家畜を殺しても間に合わなくなるあたりはよくできてると思う。労働者を増やし、柵を作り家畜を飼うあたりまでは希望通りの面白さがある。しかしそこから先に進むために「小さな進歩」「職業」カードを選ぼうと思うと、五里霧中になってしまう。選択肢が多すぎるし、その効果が微妙すぎるのだ

「プエルトリコ」に比べほとんどのカードのメリットが曖昧というか、ピンポイントの特定場面だけで薄くメリットがあるというデザインになっている。たとえば「大工」は家を建てるのに木を2個少なくできるが、家を建てる機会はゲーム中最大3回しかない。そのために貴重なワーカーを【今】派遣すべきかどうか。そこが現時点で俺には判断つかない。木が6個たまったときに取れば同じ1ワーカーで同等の効果が得られるのだから、待ったほうがいいのではないかと考えあぐねてしまうのだ。プエルトリコなら建築の機会は10回くらいあるから、大工カード(採石場)の強さは誰でもわかる。それに見合ったコストを払い手に入れるべく、ビギナーでも迷わず努力できるのだが。

このカード価値判断のつけ難さはこのゲームの持つクセでもあるだろうし、すべての行動にコストとしてワーカー1人が一律にかかる(+強力な選択肢には資材その他が必要)「ワーカープレイスメント」という仕組みが持つ難しさでもある。この仕組みではワーカーコマがゲーム中最重要な通貨なのだが、上記の木の収穫時期に象徴的に見られるように、為替レート(1ワーカー配置の価値)はタイミングによりさまざまに変動する。単価均一で商品の価値がそのときどきで変わるという、相場のばらつきと駆け引きを生むシステムなわけだ。したがってタイミングの良し悪しが命運を分ける。そして同じワーカープレイスメントのストーンエイジや Lord of Waterdeep と比べ、アグリコラではそのシビアさが極めつけなのである。見極めを誤ったらたちまち食い詰めえらいことになる。

多すぎるカード選択肢のそれぞれでこのタイミング判断が係数として入ってくるわけだから、思考は:

『次の収穫で麦は2取れて牛が1増え、牛はかまどで3食料になるから+5、ワーカーは3人で食料が9必要で...うちは○○がいてキノコが1つ取れるから+1、もしオーブンを買えばパンは+2で....残り2ラウンドだから収穫前にオーブンを建てるためには石を取って.....次のターンで土を取らないと間に合わないが........もう1ターン待てば○○が1個増え食料を3増やす○○が買えるので.......あーガガープシュー......』

みたいな感じになる。かくしてキャパシティ乏しき俺の計算脳はハングアップする。係数が増えすぎるとゲームは数学になってしまう。実際アグリコラは数学的すぎて、木や動物の増減の計算ミスを避けるためのツールがあちこちで発明されているくらいである。

この変数的なばらつきを乗りこなし、単一では薄いカードのメリットを組み合わせ戦略で最大化することを楽しく悩ましいと感じる人にとってこのシビアさと多様性が魅力なのはわかるが(パン焼き窯だけで何種類もあるんだからね)、打ち手や処理を考える俺はまるで黒板の前でうんうんと唸る生徒だ。進歩テキストなんてもういやだよ。職業選べってそれはちょっと。シナジー効果やめときなって。こうした楽しみが計算量に裏打ちされるゲームでは、雨のよく降るこの星では、俺は自分の打ち手の良否がわからない。幻惑のワーカープレイスメント。

誘っても決してボードゲームをやってくれない人はまさにこの黒板前アタマ真っ白フィーリングを嫌うわけで、どこが限度という線引きは難しいが(※)、そういう気持ちを引き起こすゲームを俺は好きになれない。俺が買うドイツボードゲームを楽しんでくれている萌やMにそれをやらせたいとも思わない。家庭菜園にハマるMに農業ゲームをやらせたいと思ったのだが、これは作物を植え家畜を育てその成長とハーベスト(収穫)を楽しむ趣味的農業とは、相当に違う遊びだと思う。うちでは無理だ、アグリコラ。心は決まった。このまま未使用状態で売ろう。すいません買ってきてくれた奥様。

重い難しいとわかっていながら、あのアニミープルの写真にしびれ買った俺が馬鹿だった。言い訳のしようもない。ほんとごめんなさいと思いつつオンラインで売却登録をする。はあ。
(※)BoardGameGeek のゲーム情報にユーザーアンケートによる Game Weight(ゲームの重さ)という項目があり、アグリコラは5段階で 3.6 になっている。プエルトリコで 3.3。グレンモアが 2.7、Mが好きなパンデミックが 2.4 なので、3.0を切るあたりがうちにはいいのだろう。



いま考えていてわかってきたが、これは中盤以降はテキストを使った数学的例外処理の集積で稼働するゲームなわけで、強い例外処理が重複すると強力すぎて突き抜けてしまう。だから1枚1枚を微妙な弱さに落とし込んでいるんだろうな。その調整仕事は天才的なのかもしれないが、そんなにメカニクスが美しいゲームではない。

でそのテキストによる数学処理が俺には苦なんだから、楽しめないのは致し方ない。こうした数学的思考よりも俺はカルカソンヌのような、地形や位置がキーとなりなにかビジュアルな美しいものを組み上げていく、そんなゲームをやりたいと感じる。もしかしたらそれは陣取りやウォーゲームなのかもしれない。まだわからないけれど。

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アグリコラに疲れ、なんとなく久しぶりに PC 版ドミニオンをやってみる。するとこれは軽くて楽だ。「何手後に○をいくつ取るために今必要なのは○○」とあまりにもブレインバーナーだったアグリコラをやったあとでは、「ここで○を買っておけばいずれ買い物時に助かるな」くらいの判断でどんどん進んでいくドミニオンのデザインがあらためて素晴らしいと思った。そんなに好きなゲームではないけれど、この軽さで多様性を味わえるのはすごい。前は気づかなかったよ。軽いゲームのありがたみが脳にしみる。

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■12/07/08(日) □ ゲームの目覚めを語り合う
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5年に一度の大ゴミ片付け。でかいトラックをレンタルし、MKがうちに残していった木工材も大量にあるので、奴を呼びつけ手伝わせる。浸水修理のときに使った廃材や去年作ったツリーハウスの余りもあり、今回はこれまでで一番捨てたと思う。ふー。

道すがらMKが、「僕が一緒に住んでる時にトモが今みたいにボードゲームに狂っていたら、どれだけプレイできたかわからない」という。全くだよなあ。惜しいことをしたものだ。しかしMKは家ではボードゲームなんかやらなかったのである。うちで行われていたのはグランマの「スクラブル」など伝統ゲームだけで、MKが結婚転居後Mがクラシックゲーム「クルー」をたまたま中古で買ってきたことで、俺はボードゲームに目覚めたのである。2年くらい前かな。

架空の犯人を論理で当てる「クルー」は面白いが、面白さに見合った時間の3倍は時間がかかる。場合によっては1時間を超えることすらあるゲームで、「今どきこんなのは古いだろう、もっと面白いボードゲームがあるだろう」と検索したらそこには新世代ドイツ/ユーロゲームの海が広がっていたのである。―――こう俺の目覚めを説明すると、「僕もユーロゲームを始めたのは引っ越した後、ここ数年だからね」とのこと。やっぱそうだったんだな。ほぼ同時多発的にそれぞれに、俺たちはボードゲームに目覚めたのだ。俺は純ユーロで、MKはD&D/アメリカン傾向と少し系統は異なるけれども。

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おそらく1トンくらいあっただろう木材ゴミを無事捨てトラックを洗い返し、ヘロヘロと帰るとアグリコラにもう買い手がついていた。さすがは天下のアグリコラ。助かった。ボードゲームはまったく、安易に決めてはいけないな。オンライン版で試せるもの以外は買うべきではないのかもしれない。

まあさいわいにもアグリコラは現在最高値のゲームなので、売ればその金でほぼどんなゲームでも買える。ここからまた夢をふくらませていきたい。

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