「マッサン祭りが続く」「007よりもザ・インタビュー」「ドラゴンボート講座」「地元すぎる俺」「市営菜園」「忘却の中の選択肢」
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■15/03/28(土) □ マッサン祭りが続く
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最終回が終わり一晩経っても爆発が収まってなかった「マッサン」ツイートを読む土曜の朝。俺には飲み下せない作演出フレーバーが頻繁に注がれるドラマだったのだが、終わってみると楽しかったし、好きだったとしか言いようない。「半年間の役者やスタッフの撮影ドキュメンタリー by たけ」もほんとそうだなと思う。
「日本に嫁いだスコティッシュレディのドラマが終わったよ。何もかも君なしには不可能だったという愛と感謝が描かれていて感動的だった」とMに報告する。
シャロやんが「私は日本に住んで優しくなったと思う、母国で逆カルチャーショック」と言っていたけど、そういう人だからよかったんだと思う。行く先々でエリーがおばちゃんらに好かれていたのは俺にとっても懐かしい光景だった。もっとエリーの物語を多めに見たかったんだけれど、原酒があまりなかったんだろうね。
この半年、日本での放送から北米放送までの数時間「マッサン」関連のあらゆる語を Tabtter で一時ミュートしてきたのだが(見る前に展開を知らないように)、そのワードを今消している。エリー、政春、鴨居、亀山、大将、住吉、大作、優子、ピン子、シャーロット、玉鉄、エマ、リタ、竹鶴…。こんなところにも走馬灯があるのです。
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■15/03/29(日) □ 007よりもザ・インタビュー
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金正恩暗殺映画【ザ・インタビュー】が超面白いから見てくれと娘が言うので、えーと言いつつ家族で見たら面白かった(笑)。暗殺に向かう米2人組はこないだ見た「007 スカイフォール」のボンドより味があり、金は同映画の悪役よりも魅力的であった。そして金とアメリカを同等にからかってるのがナイス。
問題になっている「冒涜性」については、北朝鮮の人たちが金正恩を実際どう思ってるのかわからないからなんとも言えない。神と信仰してるなら怒るだろうけど、そんなことはないんじゃないかな。ただ言えるのは、この映画の金正恩は不可思議な魅力を備えているということ。バカ映画なんだけどそこに見所がある。
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【まれ】まだ俺のツイッター TL はマッサンの余韻でうるうるしてるのだが、まったく休みなく次の朝ドラは始まる。ハイキーな画面の色と村役場スタートなのが非常に「あまちゃん」っぽい。子役から始まる朝ドラの序盤はいつも説明的で苦手なんだけど、やはり子役まれちゃんが「夢が嫌いで利他的でしっかり者で…」と説明演技ばかり運動ホイール内のリスのようにさせられて、ちょっと気の毒であった。素はきっともっと普通にかわいらしい子なんじゃないかと思ってしまうのである。俺が途中でフェイドアウトしたこれまでの数々の朝ドラと同系の感触がする。
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■15/04/07(火) □ ドラゴンボート講座
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萌がティーンエイジャー・ドラゴンボート講座というものに参加してきた。すごく長く両舷に12人もの漕ぎ手がつくボートで、キャプテン(ていうのかな?)の掛け声に合わせえっほえっほとキッズが漕いでいく様はなかなか壮観であった。
ボート好きのMお母さんに強制されて来たので始まるまではぶすっとしてた萌なのだが、想像したよりずっと楽しそう。これで上手になったらバンクーバーの恒例ドラゴンボートレースにも出れるらしい。ただレースに出るには12人じゃ足りないのだそうだけど。
しかし望遠で写真を撮ってモニターで見ると萌が俺にアカンベーをしており、全然いい顔で撮れていない。写真を撮られて恥ずかしかったとか言っているが、俺が親だなんて言わなければわからないのだから澄ましていればよかろうに。はあ。
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■15/04/10(金) □ 地元すぎる俺
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地元スーパーの中国人レジおばちゃんは俺を見つけるたびに話しかけてくるのだが、昨日は「日本語で dumpling はなんていうのだ」と聞いてきた。「ん? 餃子?」「どういう字だ」「いや字は中国と同じ漢字でしょう」「ではどうやって作るのか。自作か」と俺の品物を一向にスキャンしてくれない。
「いや自作したいけど餃子はめんどくさくて…」
「ではどうやって調理するのか」
「…焼いて蒸す感じ?」
「アー!(それよ! という感じ) どうやって?」
「いやフライパンに油を引いて…水を入れて…あの手を動かしてもらえます?」
「アー! 水はどれくらい入れるのだ」
「(^_^; (^_^; …水はカップ半分くらいかなあ(いい加減にして)」
「それで餃子はどれだけ水に浸かるのか」
「これくらい?(後ろが怒ってるよ)」
「それで焼き具合はどうやって判断するのか」
「それは何度もやって体得するしか…」
もーなんなんだこの尋問展開(笑)。前に話しかけられた時の質問はカボチャの煮つけ方でしたよ。なぜ俺に、なぜ俺にそれを聞く! フレンドリーなんだけど話が長すぎて、もうこのおばちゃんの列には並びたくないです(笑)。
ばば様を迎えにシニアアクティビティセンターへ行くと、聞いてもないのに知らないじい様が「彼女はあっちにいるよ」と教えてくれた。図書館では話したことがない司書さんが俺を呼び止め、「あなたのお義母さんのよ」と本を渡してくれた。俺は地元すぎる。
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■15/04/20(月) □ 市営菜園
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借りてる畑を耕してくれと奥様に頼まれ、ヨッシャわしとエリーの愛と感謝の物語じゃけな! と働いてきた。我が姿に新朝ドラ「まれ」塩田のガンジ師匠の影響が若干入っている気がする。
河原の市営菜園は行ってみたら花は咲きツバメは舞い最高でしたわ。ピースフル。
久々に写真を撮ったが、俺のマイクロフォーサーズ PEN はやっぱイイな。標準レンズでも開放 20mm~あたりで撮ると背景前景がボケる。距離によってはこのボケに筋が出ちゃうのが安いレンズゆえで、高級レンズだとボケが美しいのだろうなあ。春の光をふわっと撮っていきたい。
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■15/04/22(水) □ 忘却の中の選択肢
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NHK の壇蜜の番組で Nico の「フェアレストオブシーズンズ」がかかって胸を衝かれた。俺はカナダに行くべきなのか、そんなことがはたして俺に可能なのだろうかと考えながら働く警備車の中に、誰かが忘れていったカセットテープにこの歌が入っていた。あれはベルベットアンダーグラウンド好きなミゾのテープだったんじゃないかな。
Nico - The Fairest Of The Seasons
(Jackson Browne)
Now that it's time
Now that the hour hand has landed at the end
今はもう、時計が終わりを指している
Now that it's real
Now that the dreams have given all they had to lend
今はもう、夢が貸してくれたものも終わり現実
I want to know do I stay or do I go
私は知りたいの、ここに残るべきか行くべきか
And maybe try another time
別な機会を待つべきなのか
And do I really have a hand in my forgetting ?
忘却の中に選択肢は本当にあったのかしら
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結局カナダに行くことを決めた俺は、こっそりとそのテープをもらってきちゃったのだった。なんでこれもらっていくよと言えなかったのか、忘却の中に選択肢は本当にあったのかしら。
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■15/04/24(金) □ 小さな恋のメロディ
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図書館で古い映画を借りられると知り、71 英ムービー【小さな恋のメロディ】を見た。やっぱりかかる曲を全部知ってるなあと出だしのビージーズ「インザモーニング」からじんわりしてると、子供らがワルサや喫煙や勝手なことをしまくる。ひでえなこいつら(笑)。楽しいことをモラルおかまいなしになんでもする、自己主張の小悪魔たちをカメラは追う。
ロンドンで遊び暮らす子供たちの姿をセリフなしで延々と撮ってるシーンが多く、メロディが金魚を遊ばせるシーンとかただただ美しい。セリフをしっかり覚えちゃんと演技しお仕事してる日本の子役と違って、撮りたいなら撮ればと美しい動物がただ気ままに振る舞ってるように見える。過ぎてしまいもう戻らない瞬間をフィルムが保存している。
'70s 英国キッズは勝手なことばかりし、汚れ散らかし火遊びをし、大人を愚弄し嘘をつきとんでもない。しかしとにかく美しい。大人たちも身勝手でいい加減な俗物で、退屈させることと罰することしかできない。大人が子供に対して正しいことを言ったり苦悩させたりしたがる日本映画とぜんぜん違う。
ボウイーにこの映画と同年発表の「美しきものたちよ、君らがママやパパを狂わせてるんだよ」という歌があるが(プリティ・シングス)、この子供たちはほんと美しく気ままな理不尽モンスターで、大人たちは振り回される無力な存在だなと思う。メロディが不安を煽る嘘をいい母と祖母を戦慄させていたが、あの二人の大人の野暮ったさもすごくリアルだなあと思った。
そんでですね、うちの娘らプリティ・シングスにとってはこの俺も、この映画の校長みたいに退屈な俗物ドンキーに見えるのだろうなあトホホと情けなくなります(笑)。大人たちは子供らに何もイントレスティングなことを与えられず困惑しているが、俺もそうだからね。やれやれ。
◇
小さな恋人たちは大人を「老いて惨めな人々」と呼ぶ。あんなふうになる前に結婚しようという。「あんなふうになる前に」と思わせるような大人ではアカンよね。劇中の名曲 CSN&Y ティーチ・ユア・チルドレンは言っておりましたよ、「理由など問うな。ただ子供を見守りため息をつき、そして結局は愛されているのだと知りなさい」。だけど俺はついつい「なんでそんなバカなことをするのか」と説教してしまうんだ。
主人公の友達のかっこいい少年(真ん中)はこの後きっとパンクになるんだろうなというイングランドの時代感も感じさせてくれ、すごくよかったです。英米カナダではこの映画がまるでヒットしなかったそうでおばあも奥様も知らなかったけど、これがヒットした日本はセンスいいなと思う。この美しいものたちと彼らがいる空気を遠くからただ写しているのはなにかとても懐かしいと思ったら、追憶の70年代日本ドラマ「俺たちの旅」だった :-)◆
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