タカハシ競馬探偵とオグリキャップ

「わたしは競馬探偵になってからはじめてというの印をつけたオグリキャップの単勝と複勝を買い、全てを見届けることにしました」
 



1990年12月23日 第35回有馬記念

競馬探偵の一番長い週(高橋源一郎)


夕暮の迫るスタンドの一角で、いま目撃したばかりの「有馬事件」のレポートを書こうとして、タカハシ探偵は一瞬、ペンを止めた。頭の中が空っぽで何も思い出せない。淡い光を放つターフビジョンが繰返し同じ光景を映し出している。 

直線先頭に立ったオグリキャップがそのまま凄まじい勢いでゴールに飛びこんでいく。どうしてもその場所を離れられなくて、いつまでもゴールのあたりに陣取っている若い観客たちが、ターフビジョンの中のオグリキャップがゴールインする度に、惜しみなく声援を送っていた。とすると、あれは幻ではなかったのか。タカハシ探偵はもう一度ペンをとった。


「わたしは競馬探偵になってからはじめてというの印をつけたオグリキャップの単勝と複勝を買い、ファンの波の中で全てを見届けることにしました。にはどんな意味があるのだね。他の競馬探偵たちに訊ねられました。好きだ、ということ。それはもちろんです。 だが、わたしにはそれは「未知」、あるいは「不思議」という意味でもあるのです」。そこまで書いて、タカハシ探偵は何も書けなくなった。タカハシさんはライトの落ちた馬場をながめた。それはもうオグリキャップの走ることのない馬場なのだ。 


「わたしはずっとオグリキャップを見ていました。この目にしっかりと彼の走る姿を焼きつけておきたかったのです。3コーナーを過ぎて、彼の芦毛の馬体が先頭に並んでいくのが見えました。そこまではわたしにも予想できたことでした。

そこから先のことを実はわたしは覚えていないのです。 すいません。 何か大きい声で叫んだような気もします。 彼の名前を呼んだのでしょうか。 わかりません。 わたしは胸の中の大きな魂を吐き出していました。 目の前がぼやけて、足元がぐらついていました。 帽子を振ってたら、飛んでいっちゃいました。 息が苦しくなりました。 神様、彼に勝たしてやって下さい。 お願いです。 それぐらい当然です。 そうでなくちゃいけない。 神様、あんたにはいつもひどい目に会わされてる。 でも、いい。 許してやる。 だから、彼に勝たせろ。 ほら、ゴールだ!」

タカハシさんはレポートを書き終えた。 中山競馬場はもう闇の中だった。 

さようならオグリキャップ。



――これはあのレースについて書かれた最良の文章だと思う。読むと今も泣いてしまう。
 

◆2分34秒2・・・最強コンビの有終ドラマ  (記事:サンスポ片山良三氏) 


 17万7千人の悲鳴にも近い叫びが起こったのは3コーナー。 オグリキャップが場群の外に鋭く持ち出し、凄い勢いで加速上昇していったときだ。 もう2度と見ることのできない、となかばあきらめていた怪物の走りが、天才・武豊騎手の手によって鮮やかに甦っているのだ。 前脚を低く遠くへキックし、アゴをしゃくってリズムを取る全盛時の”猟犬”のようなフォーム。 「強い馬は絶対に強い!」と信じる武豊がオグリキャップの自尊心に訴えて出た渾身のまくりが、大観衆の心を揺さぶり、オグリの魂にもしっかりと熱い火をつけているのだ。 その脚勢は4コーナーを回りきっても依然衰えず、目の前で逃げるオサイチジョージを捕らえにかかった時、大歓声はピークに達した。

冷静な読み しかし、豊だけは冷静だった。3コーナーから大きく外に持ち出したのは、「その前のレースに乗って、あのあたりから内めがかなり荒れているのがわかったから」だ。 早すぎると思える仕掛けも 「スローペースに折り合いに苦労している馬が何頭か見えた。 その点オグリはまったく引っ掛かることなく余力十分。 ここで有力馬を引き離しておく方が勝機が濃い」と読んだというから恐れ入るばかりだ。 大声援をいっぱいに張った帆に受けて、いよいよオグリが安田記念以来の先頭に立ったのは1ハロン手前。 「さあ、頑張るぞ!オグリキャップ!」。場内の実況放送さえも味方につけた。  内から芦毛のホワイトストーンがやってきた。外からは横山典の執念のムチにふるいたったメジロライアンが1完歩ごとに差を詰めて来る。 しかし、オグリだ。 豊の右手がドーンと天を突いた時が ”怪物神話” 復活のフィニッシュだ。

オグリコール ウイニングラン・・・・。耳をつんざくようなオグリコールに、決して涙を見せたことのなかった豊の目がうっすらと潤んだ。 「感動しました。このレースをオグリと一緒に戦えただけで、今年は最高の年でした。」その天才にも「ユタカ!」コールの大合唱だ。
 「オグリキャップに、お疲れさま、そしてありがとうと言いたい」 
締めのセリフが、再び大観衆の感動の涙をさそった。

◆オグリ無印なんと116人!    (サンスポ記事) 


本命はわずかに4人。 オグリキャップの劇的なラストランを信じていたのは日刊紙、専門紙で予想を担当している計203人中、わずか4人。

 その中のひとり、競馬エイト紙上で「淑子のスーパー競馬」を担当している鈴木淑子さん(フジテレビ司会者)は「めまぐるしく過ぎていく日々に、いくつものアクセントをつけてくれたのがオグリキャップ。 今日の感動はいつまでも忘れません」と声を震わせていた。






(いずれも1990年有馬記念翌日のサンケイスポーツ、Googleに残っていた書き起こしキャッシュから、フォントママ)

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