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■11/04/03(日) □ Gamers Heart Japan
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北米のゲーム開発者が日本産ゲームと日本への熱い思いを語りまくり、震災被害者への募金を呼びかける「Gamers Heart Japan」という番組があり萌と一緒に見る。最も偉大なゲーム&その開発者としてダントツだったのがやはり、スーパーマリオの宮本茂氏。FF 好きな萌は絶対 FF7 よーと言っていたが、北米クリエイターにはあまり影響を与えていないらしい。そういえばドラクエも1人も挙げなかったな。
番組を見て思ったのは、大災害への同情ゆえにこんな特別番組を作ってもらえたけれど、それとは関係なく出てきた全員が日本に行った経験があり、日本の文化とゲームについて早口でいくらでも語れるというその事実がやはり、すごいなあと思う。萌も「これも日本のゲームなの?」と驚くことしきり。日本と世界のつながりは、経済だけではないのである。
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昨夜「原発がどんなものか知ってほしい」という文書が広まっていると知り、それに対する福島原発勤務者のていねいな反証論文「re: 原発がどんなものか知ってほしい」を読んだ。これを読むと原発というものは現場において誠実に運営されているのだとわかる。
しかし、「こんな事態には絶対になりえませんが」という前提でここに書かれた数々の安全保護手段、非常用ディーゼル発電機、バッテリー、外部電源のすべてが水泡に帰し、「最後の手段」の海水投入でも止まっていないのが悲しい。これを書いた人はおそらくいま第一原発にいて、泣きたいほどの悔しさを感じながら戦っていることだろう。
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新しい朝ドラ「おひさま」が始まった。とりあえず見たところ今度は主人公が一般公募の人ではなく芝居ができる人らしいので期待してるのだが、出だしはまるきりトトロの焼き直しで、まだなんとも言えない。原田知世は奇跡の美貌だが、この人の芝居のできなさもこれまた奇跡的なものがある。「体が弱い母」演技はドリフターズのコントみたいだった(笑)。
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■11/04/08(金) □ ミネカダマウンテン登り
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学校のあと皆で裏山のミネカダへウォークしに行こうと誘われ、とことこと歩き始めると5分で登山になってしまい、おいおいこれはウォークとは言わんだろう。まあ気持ちいいけど―――と思っていると、小山を超えたところで絶景の沼地がばーっと開ける。げげ、こんな近くにこんなところがあったのか。長年住んでてちっとも知らなかった。小山を超えないと見えない沼地なので、近いけどひと気のないプチ秘境なのである。美しい。まさにカナダ。
そこからさらに山を 10 分ほど登って小高い見晴台に出、下って湖畔を巡り帰る、非常に気持ちのいいハイク/軽トレックであった。ウォーク(散歩)だというから水筒さえ持ってこなかったが、こんな気持ちのいいトレックならば飲み物とスナックを持ってきて、ゆっくりと時間をかけて歩きたいよ。
このハイクは先月格安で入手したデジタルビデオカメラ JVC Everio MS-120 の野外初公式戦となったのだが、映像は期待通りの自然な色で撮れた。デジカムのデジタルブレ補正は案外効果が高く、歩きながら快適な絵が撮れるのが前のアナログカメラとは違いありがたい。
登った山の高みから7~8キロ向こうのピットリバーブリッジ上の車が写る。先走り 300m先に行ってしまった萌の表情が写る。最後には数百m彼方にいるクマまでアップで写せてしまった(汗)。ビデオカメラのズーム性能というものはすさまじい。こうして外出時にデジカメとデジカムの2台を持ち歩くというのは間抜けなカメラ親父感が否めないが、持ってきてよかったと思える影像が撮れました。
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Mと萌の会話で、萌が次のスクールミュージカルでも前回同様友達のCHと役を争っているのだとわかる。でCHが「萌がその役に応募するなら、(前回に続きまた負けてその他大勢になるのが嫌だから)別の役に応募する」と言ってるのだそうだ。そこでMが、それじゃCHがかわいそうじゃないの、違う役に立候補しなさいよと萌を諌めると、萌は「だって...」と泣いてしまった。
この春萌と俺は衝突しまくって深刻に困ってるのだが、萌のこの精神不安定ぶりはつまり、11歳にして強力なエゴの発現なんだなとここで思い至った。自分の存在を世界に示したいのだ。まだほんとは全然子供なのだが、誰にも指図されずインディペンデントでいたいという衝動に振り回されている。こういう精神状態がいつまで続くのかな。ため息。
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■11/04/09(土) □「全部クソだったんだぜ」
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Youtube で斉藤和義の「ずっとウソだった」を見る。最高。信じてる待っているの JPOP は何のチカラも持っていない。ロックは持っている。斉藤の言葉が正しいとかそういうことではなく、力を生み出せるということ。「ずっとクソだったんだぜ」と歌いながら作業に向かえば東電作業員もきっと力が出る。
実際「上を向いて歩こう」というCM映像は JPOP 的で見る気がしなかった。「歌の力」なんて人はよく言うけれど、気持ちが前向きになれば事態が改善するような平時とは違うだろう。「ほんとクソだったんだぜ」と悪態をついたほうが足に力がこもるだろう。
「原発に無批判だった自己を反省する視点がない」みたいにこの歌を批判する人もいるけれど(それはそれで真っ当な意見です)、斉藤は論陣を張っているわけじゃないのである。すべてがクソだったんだぜと悪態をついているのである。つまり Fxxk! と言ってるのである。
「この国を歩けば、原発が 54 基」という出だしからして「え、そんなにあるの?」という斉藤のノンポリ性が伺える。だからこれで反原発ソングよくやったみたいに褒めるのは意味がないし、批判しても彼はすいません不勉強で俺もクソでしたというだけだろう。
いま日本政府が言ってることが嘘だとは俺は思わないし、そういうことを言う海外メディアを無神経だと思うが、しかし「ずっとウソだったんだぜ、ほんとクソだったんだぜ」と歌えばこんなにキモチがいい。
原発の「万が一」を看過してきた日本は斉藤自身を含め全部クソだったわけで、むろん世界も大同小クソであり、東北沿岸の壊滅っぷりと放射能の恐怖を合わせ見てそれでも核兵器や放射性弾薬を保持していられる国のクソ性など、まったく論を待たない。
ほんと「全部クソだったんだぜ」と東電作業員も歌ってほしい。それは責任転嫁ではない。東電社員だって怒りたいはずではないか。会社に、国に、原子力政策に、いま起きていることのすべてに。取り返しがつかなくなる前に変えられなかったものやコトや自分に罵声を浴びせながら、働いてほしい。
Twitter や Youtube でこの歌の感想を読むと、人々の言葉の応酬は「原発是か非か」あるいは「反原発ソングの是非」に限りなく近づいていく。そんなことがこの歌から発せられているわけではない。もしこれがキヨシローだったら歌った後で、「俺は逃げるぜ、おつかれさん」とか言ってマイクを蹴り倒して帰るだろう。斉藤和義もキヨシローも無責任で不謹慎だけど、苦しい心に空気穴を開けてくれる。それがロックなのだ。
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東電社員の家族に対する嫌がらせが今起きているらしい。そういうことをする人は、日本の戦争犯罪を永久に許さんと理不尽な攻撃をし続ける人々と同レベルだ。これほどの災害大国に住んでいるのだから、精神くらいクソでなくあってほしい。でなければもうやっていけない。
俺はかつてバンドの解散時に「魔の山」という歌を作り、そこで
「信じる気持ちは尽き果てても、ロープを手渡して/いつの日かこの旅を終えたなら、二度と会うこともない」とバンドメンバーに対する気持ちを書いたけれど、この歌詞は今の日本の人から見た東電への視線に似ている。みんな苦しい山を登っている。頑張ってくれ。
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■11/04/12(火) □ 東日本大震災の写真
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10 数年前にストリートスライダーズ話で盛り上がったりかちんが、斉藤和義関連の Twitter で俺を発見してくれた。こんなときにこんなふうに再会するとは、なんてロックな。
りかちんの Twitter をさかのぼってしばらく笑いながら読むと、やっぱりその言葉の発し方とか、そこから想像できるモニター越しの表情は変わりないな。やっぱロックの子だよな。「あの頃のまま」(by ブレッド&バター/松任谷由実)でもある。
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萌の学校であさって Pray for Japan 集会があるとのことで式次第が届いたのだが、そこで使われる写真が、俺が震災翌日見てあまりの精細さに衝撃を受け気分が悪くなった boston.com の津波写真集だった。こ、これを使われては子供のトラウマになってしまうと慌てて連絡。
で写真を差し替えてもらう段取りをつけ、結局俺が選ぶことになってこれまであまり見ないようにしていた東日本大震災写真サイトを改めて見て回ったのだが、ほとんどが海外のサイトだった。やはり見るのがつらいという気持ちが日本の報道サイトの写真を少なめにしてるのかな。
しかしこんな写真を自分で集めることになるとは思わなかった。あの boston.com のページは、まったく保存する気になれなかったからな。今でも津波そのものの写真は正視に耐えない。津波の映像や写真は、逃れられない破壊と死のイメージを強烈に発散している。地震のないカナダの人には、そのイメージがあまりリアルに分からなくて、あの先生は無造作に選んでしまったのだろうか。
「破壊のすさまじさは表しつつ、津波は写っていないものだけを選んだ。死のイメージは子供らに与えたくないのだ」と説明を添えて担当の先生に送ると、そのまま使う、あなたの意見を心から尊重するとの返答。ありがとうございます。子供たちがエンパシーと助けることの尊さを感じてくれればいいのであって、ここで天災や死への恐怖は与えたくないのである。
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この災害写真セレクトの件で、やっぱカナダの人々にとっては遠くの出来事でリアリティないのかな、「カナダでいえばこれくらいの規模が壊滅」といえば実感してもらえるのかなと想像を巡らせ調べたのだが、東日本大震災での全壊家屋は今日の時点で判明しているだけで約6万戸、萌の学校があるコキットラム市の全私有家屋 41000 戸よりも多い。こういう数字を知らせたら、カナダの子供に被害の規模が分かってもらえるのではないかと思う。まあそんなにどうだまいったかと披露する必要もないが。
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■11/04/14(木) □ Pray for Japan 集会
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萌の学校の Pray for Japan 集会。俺が想像し心配したような強烈な災害イメージによる子供らへのショックなど肩すかしなほどになく、災禍に瀕し困っている人々のためにお金を集めることの有意義さに重きが置かれた教育イベントになっていた。
俺が作った低ショック型災害写真スライドは体育館のぼやけたプロジェクターではさらに情報度が5割薄まってもうなんだかよくわからず(笑)、「建物の上に乗っかってしまった船」の絵を見てその素っ頓狂さに子供たちはゲラっと笑い、「笑いごとじゃないのよ」と教師にたしなめられていた。
まあ子供があれを見て笑えるのが幸せだということだよな。日本が受けたダメージなど全然伝わらなかったと思うが、自然災害がなく恵まれたカナダの子供らの気持ちをダウンさせても仕方がない。募金をしてくれた子供らに折り鶴が行き渡り、ほんの少しの縁がつながることを喜びたい。
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