2012/09/04

【日本滞在記3】思い出が宿る野山

「理想の釣り堀アゲイン」「気合いの盆踊り」「甥たちとジャムセッション」「悲運のジャズマスター」

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■12/08/11(土) □ 思い出が宿る野山
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弟一家と共に、週末の1泊旅行。コンビニでランチを仕入れて野尻湖畔でピクニックをし、週末を過ごす斑尾ホテルタングラムへ。


国道から三水側へ抜け斑尾を望む風景(c こま犬の詩)


今回は無口な甥KN中3も同伴なのだが、道中三水村の美しい田園風景を見て「すごいな...(スケッチブックを)持ってくればよかった...」とか後席でブツブツつぶやいていた。お。お前は絵を描いたりするのかい、だったら見せてくれよと話しかけるが、そこでゴニョゴニョと返事が返ってこない。なかなか複雑なやつである。しかしこんな風景に声を立てるほど心を動かすなんて、見どころあるではないか。

信州でもこの三水~信濃町の道中は本当に美しいといつも思う。このあたりを旅していると、「ここはMさんが好きなんだよね。あそこでこんなことがあってね」とM奥様の話が自然と出てくる。今日はそんな話ばかりしていた。実際俺の長野の思い出は、すべてMと共にある。自分が通り過ぎた景色につよい旅情が宿っている。



ここはとんでもない山奥を無理やり切り開いた孤立リゾート地なので周りに散歩するところもなく、むかし春に来たときには遊戯施設も稼働しておらず退屈したのだが、真夏はリフトや乗り物類が当然フル稼働して盛り上がっていた。リフトで山腹中盤までウィーンと上がって景色を楽しみ、ローラー式のボブスレーで滑走していると、これはもうミニウィスラーでありばっちり楽しい。いちいち金がかかるけど。



意外にコントロールが難しいのがこのボブスレー。この写真を見ればボブスレーが外のバンクに張り付いて曲がると誰しも思うのだが、実際は車体が外に流れるどセンターを進むので、人の体だけが遠心力で外に流れ怖い(笑)。2回目にお尻を外に出し上体をリーンインするというフォームを見い出し、安定コーナリングを実現した。

天気もいい具合に曇り加減で暑くなく、プールに温泉にレストランにミニジブリ博物館(ジブリ関連商品の膨大なコレクション売り場、1時間近くも粘ってしまった)まであって、思ったよりもずっと楽しいホテル滞在となった。萌はラピュタの紋章が入った見事なハンカチをMIおばさんにプレゼントしてもらいました。


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■12/08/12(日) □ 理想の釣り堀アゲイン
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素人目には渓流にしか見えない桃源郷

パンくずで釣れまくりの笑顔
今日は雲が切れ、高原リゾートタングラムでも日差しがきつくなりすぎたので、超楽しかったボブスレーをもう一度だけやり早めにチェックアウトして、4年前に行ったあの素晴らしい釣り堀に向かった。自然の川の横に側流を作り、そこに鱒を放して釣り堀としてるのだが、ほんといいところである。見事に造形された渓流風庭園ともいえる。

食品の持ち込みもOKで、2千円の釣竿数本とバーベキュー炭を借りれば家族が1日超涼しい川辺で遊ぶことができる。滑り台などの無料遊具もある。この川と風が1人およそ千円ですよ。何をやるにも大金を取られるホテルに比べ、なんというチープな商売をやってくださるのだろう。ありがたやありがたや。(フィッシングランドはなおか

この日はエサのイクラの食いが非常に悪く、場主がこれを使ってくれとカステラを配って歩いていた。か、カステラですか。しかしたしかにこれだとよく釣れる(笑)。カステラが尽きた後は当然ながら各自工夫が発動して、うちは手持ちのパンに移行し、これでもって子供たちはしこたま釣り上げたのであった。よしよし。釣りは昔から俺はやる気がしないのだが(とことん才能がなく、ひとと同じ竿を使ってもまったく釣れないから)、人がやってるのを見たり手伝ったりするのは実に気分がいい :-)。





 帰路何十年ぶりに暴走族を見た。野尻湖から長野方面に 30 台くらいがブォンブォンとものすごい音で流してたのだが、みんな制限速度を守り、ちゃんと信号で停まるのがおかしかった。途中バイク不調で路肩に停まった奴が後から追いついてきた時には、うちの車内の子供たちが拍手してました :-)。

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そしていったん家に帰って休み、夜はさらに須坂横町のお花市(お盆のお花を売る商店街の祭り)へ。これも4年前に楽しんだ恒例の夏祭りである。コンサート、風船釣り、流しそうめん、かき氷。ホテルに釣りにお祭りに。子供たちにはなんて盛り沢山な素晴らしい週末だったことでしょうか。

お祭り用に開放されていたナイスな蔵造りの旧商家博物館に入ってみたら、古いステレオでなにか音楽をかけてるおじさんがいる。―――あ、「バタフライ」だ。「これは岸部シローですね」と声をかけると「ええっ!」とおじさんの声が裏返った。この町で岸部シローのソロ曲を知ってるなんて、俺とこの人の他に何人いることだろう。変な人が変なところにいるものである :-)。

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■12/08/14(火) □ 気合いの盆踊り
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タッタカターのタ、そーれ。
横町盆踊り。萌は晴れ着に身を固め気合いを入れ、踊りの先生の後ろについて振りを習い、ぴしりゆらりと踊りまくった。恥ずかしがっていたイトコAちゃんたちも励まされて元気に踊る。よしよし。

須坂のこの「タッタカタ音頭」はなかなかいい歌と踊りである。「長野びんずる」は音的にも踊りもバラバラで見ていて気持ちが盛り上がらなかったが、こうして歌と踊りがあり全員が揃っているとやはり気持ちがいい。子供の頃に知っていた町内のおじさんが、当時から一切年を取ってない(笑)風体でゆらゆらと踊っていた。ああいうおじさんでも踊れば妙に様になり、若いもんより格好良く見えるのが盆踊りのよさだな。



長い手脚を優雅に揺らし熱心に踊る萌の姿に2人の日本舞踊指導先生が目を細め、さかんに声をかけてくれる。この様子を見て「これはきっと区長賞がもらえるね」とおばあちゃんがいう。たしかに客観的にいってこの中で一番熱心に踊ってるからなと思っていると、あに図らんや「区長賞」はただ酔っぱらって盛り上がっていた親父となってしまった。えー?

どうやら区長賞その他の賞は事前に決まっていたらしく、その他の3賞もあらかじめ紙に書かれた住所氏名が読み上げられていた。なーんだ。全員関係者の知り合いなんだろうな。萌は結局何ももらえずじまいで、「なんであのおじさんなの!」とがっかりしていた。賞品を置いて子供を発奮させておいて、頑張った子供の心の機微がわからぬところがせっかくのお祭りに水を差す主催者である。

まあ先生たちは明らかに萌が頑張ってるので喜んでくれてたよと慰めつつ帰って行くと、帰り道でその踊りの先生が萌を見つけ、「あ、さっき一生懸命踊ってくれてた子じゃない!」と声を上げ、まるで舞いのように道をナヨナヨナヨっと渡り駆け寄って来た。

「あなたよかったよー。なにか(賞を)あげたかったんだけどねー」と彼は温かい言葉を萌にかけ、なにもないんだけどと手に持っていたとうもろこしをくれたのであった。やっぱりね。衆目の中認めてもらうという子供が一番うれしい展開にはならなかったのだが、分かる人にはわかってもらえていたのである。まあよかったよかった。

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■12/08/15(水) □ 甥たちとジャムセッション
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大学時代に使っていた、超懐かしいギター、
グレコブギーとK少年。
ギターとドラムにハマっているという甥ID兄弟が、楽器を持ってやってきてくれた。ギターのKにはこの実家2階に死蔵されていた俺のジャズマスター(Fender Japan)とグレコブギーを披露し弾かせる。持って行って気に入ったらそのまま使っていいよ。いらなくなったらまたここの2階に戻せばいい。俺は弦が1本足りないアコギで、HKは持ってきたボンゴ。Kが驚異的に古い音楽を知ってるのでストーンズなどをガンガン合わせて弾け、お客にも大ウケして盛り上がった。

Kは弾き方にクラシックギター出身らしい癖があるが、これはもう放っておいてもレパートリーが増えうまくなるのは間違いない。コードのトランジションで遅れずきっちり曲についてくるあたりは高校生離れしている。HKは以前送ってもらった DVD で見た通りピークが拍子のアタマにきてしまう子供リズム乗りなので、リズムのアタマにアタックがくると8ビートはロールしないんだ、アタマには足がズンと入り、3拍目のスネアにアタックが来るんだよと教え矯正していくと最後には明らかに良くなった。最後にやった「Paint It Black」なんか、何も知らぬおばあちゃんにすらたいしたもんだねと大拍手される出来であった。よしよし。

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Kはいったいどうしてこんなに古いロックを好きなのかと聞くと、友達や書籍からの影響らしいが、彼の音源は主に Youtube なんだそうだ。何かで「○○はすごい」とか聞いたり読んだりすると、即 Youtube で聞くのだという。あーなるほどね。俺の時代はレコードなんてそうそう買えず、友達とロック喫茶と FM ラジオだけが頼りだったから、今の子供のほうがロックに詳しくなっても不思議はない。

俺はスティーブ・ジョブズが世界を変えたと大騒ぎする人々の気持ちがさっぱりわからない。市井の人々があちらこちらで声を発し、これが素晴らしいんだ、これを聞いてほしいと Youtube で発信することができる、このインターネットこそが世界を変えていると思う。これを醸成した個々の技術者が世界を変えたんだと思う。

Kは Youtube で俺のバンドの「パレスチナの憤り」も聴いたのだそうだ。うひゃー。ありがたいことです。どうやって見つけたんだろう。

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■12/08/16(木) □ 悲運のジャズマスター
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あすは京都へ出発。掃除をし、萌にはジャーナルを書かせる。俺も日記を全然書いてないな(※)。アンドロイド Google フォンはやっぱりよほどの短文でなければ文字入力したくないデキだし、持っていった Acer ラップトップもキーボードが悪くて打つ気がしなかった。

(※)この日記は、取っておいたメモを元に思い出し追記している。

過去いろんな旅行で詳細な日記を書いていたのは、あれは全部 Pocket PC のおかげなのだったと改めて思う。カナダに帰ったら、アンドロイドから昔の Pocket PC 体制へ戻ろう。

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送り盆を済ませ暑さにふうふう言っていると、またID兄弟が訪ねてきてくれた。秋から交換留学で行くノルウェイに持って行きたくて、俺のジャズマスターを長野の楽器屋で修理してもらったのだという。

楽器屋は弦を張り替えブリッジを調整し電気系のホコリを取ってくれたというのだが、しかし細い弦を張りブリッジを下げたらしくテンションが低すぎて音がペンペンになり、音がまったく伸びずほとんどまともに弾けなくなってしまった。あー。なんだこれは。なんて下手な調整なんだ。阿呆めが長野の楽器屋。


真冬のスタジオで弾いたジャズマスター (1994)

こんな状態じゃわざわざ旅に持って行っても仕方がないので、「これじゃ音が埋もれてしまってバンドじゃ自分の音が聞こえないと思う、持って行かない方がいいかもしれん」とアドバイスしておいた。俺が使っていた太い弦を張れば直るかもしれないが、直らなかったら使いものにならない。94 年の CD 録音から 20 年で初めて陽の目が当たるかもしれなかった俺のジャズマスターなのだが、残念。俺の悲運のジャズマスターよ。

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