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■13/04/29(月) □ ラブレターの面白さとは
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英語版が出たおそらく初の日本製カードゲーム、「ラブレター」
土曜に買ってきた日本ボードゲーム大賞受賞作「ラブレター」は、手札を1枚持ち、場からもう1枚取ってどちらかをキープし、捨てた方の「効果」を適用するというごくシンプルなゲームで、効果もこのように単純なものばかりとなっている。
①兵士(Guard) → 他PL(プレイヤー)のカードを当てたらそのPLが脱落
②道化師(Priest) → 他PLのカードを見れる
③騎士(Baron) → 他PLと自分の手札を比較し、小さなほうが脱落
④僧侶(Maid) → 次のターンまで攻撃を受けない
⑤魔術師(Prince) → 他PL/自分の手札を山札と交換
⑥将軍(King) → 他PLと自分の手札を交換
⑦大臣(Countess) → これと王族カードを同時に持ったら脱落/英語版:王族を持っていたらCountessを捨てなければならない。
⑧姫 → これを捨てたら脱落
相手の手を読み合うゲームなので1人2役では何度やってもその面白さが掴めないのだが、BoardGameGeek の「ラブレター」評を読んでいると、とにかく笑うというものが多い。このゲームを英訳した人は、2P戦を2時間爆笑しながらプレイし続けたのだそうだ。なんとなくわかる。一度「あやつり人形」で、次のターンに俺に殺されることが避けられないことを悟ったMの笑いが止まらなくなったことがあるのだが、わずか16枚のカード組み合わせであのハプニングがインスタントに現れるんだろうな。週末までできないが、楽しみ。
ただ、これは非ゲーマーには面白がってもらえなかったという報告もある。これはおそらく「お邪魔もの」と同じで、正体隠匿の面白さを理解し、それを盛り上げるために自分が何をしたらいいのかカンが働く人とやれば着火爆発し、そうでない場合は微妙になるゲームなんだろうな。
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日米版のあまりの違い
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■13/05/04(土) □ 非ゲーマーには微妙なラブレター
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日本語勉強会前で子供たちを相手についに「ラブレター」3人戦をプレイ。1人2役のテストではいくらやってもどこが面白いのかわからないゲームなのだが、他人とやればたちまち一変し楽しい。やはり手のひらに秘密を1つ持つだけで遊び心は盛り上がる。子供らも1ゲームで仕組みを理解し、狙って敵を蹴落としたり裏目に出て悔しがったりする。意外だったのは最後まで全員が残り手札を比べ勝敗を決めるより、途中の暗殺/脱落で勝負がつくほうが盛り上がること。つまり蹴落としが楽しいんだな。「あやつり人形」みたいだと娘がいう。たしかに。
勉強会のあともKDさんも入れて4人戦、3戦とも勝者が違い、その都度KDさんに「こうなったわけ」とカードの相乗効果を説明するとなるほどという表情。計6戦したのだが、やはり想像した通り同じ正体隠匿系の「あやつり人形」や「お邪魔もの」と同様、「あれがコレだったということは…?」とゲーマー的に皆が考えてくれないとピーク性能が出ない気がする。俺はもちろん面白いと思うが、子供らはゲーム以外にやりたいことがありすぎるのでさほど集中して考えてはくれず、大盛り上がりという程ではなかった。
これは「ラブレター」が悪いというわけではなく、何度も書いているがインタラクティブ性が面白さになってるタイプのボードゲームは、「これを楽しみたい、それにはどうするか」と考えるプレイヤーの能動性を要すのである。子供らやうちの家族のような非ゲーマーには基本的にその能動性がないのだが、俺はどうしてもインタラクティブなゲームをしたい。だって人の意図を読み合う以上に楽しいゲームはないではないか。そしてこれ以上ミニマムで誰でもやれる読み合いゲームはない。ゆえにこのゲームの価値は非常に高い。
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日本版は絵で身分がわかる。英語版は不可能。
これが日本版なら『融通の効かない田舎者風兵士』『かっこつけ決闘したがる騎士』『手札交換などという無茶をいかにも言いそうな恐ろしい将軍』『腹に悪巧みを持つ大臣』などのイラストに描かれたキャラがプレイヤーに憑依して、役を演じる効果を生み気分が盛り上がるだろう。アメリカ人はこういう絵で何かを表し感じとる感受性が低いんだと思う。英語テキスト入りの日本語版がほしいものである。あっちならば子供たちももっと反応がいいだろう。
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■13/05/05(日) □ ヴァンデューセン植物園
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珍しくヒートウェイブがやってきて本日は 30 度、バンクーバーの広大なヴァンデューセン植物園に行ってきた。大きな敷地が世界各地の植物相に分けられているのだが、アジア圏には日本の植物がすごく多かった。これも日本だよ、あれも日本だよと知ってる? と聞かれても、うーん見たことあるようなないようなとしか答えられない。植物に詳しくて、「ああこれね、日本のカツラね。働いてた調布基地にあって、この下にハンモックを張って昼寝してたよ」とか言えたらカッコよかったんだけど。美しい。
バッグに「ラブレター」が入っていたのだが、公園内の木陰で寝転がるのはただただ気持ちよくて、ゲームを取り出したり本を読んだりする気になれなかった。しかしいざとなればバッグに面白いゲームがあるんだよというのはうれしいことである。昔「コロレット」を一時持ち歩いていろんな人に教えていたが、これはそれよりもさらに小さくてクイックなのだ。
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■13/05/12(日) □「レ・ミゼラブル」と「はらちゃん」
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萌が借りてきた「レ・ミゼラブル」を見せられる。始まって数分でうわーミュージカルってここまで全部のセリフを歌うのかよとげんなりしたのだが、「♪俺は自由だ、もうあの地獄には決して、決して戻らない!」みたいな字幕を見ながら見ていて、ああ、これがミュージカルの効能かと気がついた。歌じゃない地のセリフじゃ、こんなベタなことは言えんのである。逆に言えば、歌だとベタなセリフに力が宿る。そういうことなのねと映画通の奥さんにいうと、「ミュージカルというのはエモーションで出来上がってるのよ。だから歌が合うのよ」とのこと。なるほどねー。
しかし俺はこういうエモーショナルモーメント大全集みたいな映像には胸が動かない。アン・ハサウェイが泣きながら歌う最初の山場シーンで見る気が失せてしまった。出てくるなり次々にひどい目にあい嗚咽する女優を泣けとばかりに見せられても、いや俺この人どういう人か知らないので……としか言いようがない。彼女の人となりに関しては何一つ描かれてはいないので、「気の毒」以外の感情が湧かない。彼女のように非業の死を遂げた無名な人などどれほどいるかわからないが、それぞれに等分に気の毒にと感じる。むしろ歌もカメラも与えられない無名の死の方が痛ましい。
英米カの映画ドラマはうるさくて見る気がしない。全部例外なくうるさい。Mが毎夜見てるやかましいドラマと、この映画がどーんと大波でかぶせてくるインテンスな情動は質が同じであって、量が違うだけなのだ。波の音を聞いてるだけでもういいよ前に見たとうんざりする。外国人が日本の大河ドラマを見たら毎年の違いがわからないだろうが、俺にとってはそういう感じなのである。
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萌は日本の TV への反応が年々薄くなっていき、いまや強制しないとなにも見ないのは、こういう大掛かりなエモーション製造業映像に順化してるからだろう。それだけになってほしくはないので、俺はせっせと「泣くな、はらちゃん」を見せているわけである。⑥結婚しましょうの回も泣けた。萌の前で泣くと沽券に関わるので初回は1人で見てるのだが、そうしておいてよかった。
この物語は切なさが一杯に詰まっている。2回目を萌と一緒に見るときに解説しようとして、英語に「切ない」という言葉はなくて困った。アンビバレントでソローな感じ? 完璧に合う英語はないんだがと説明すると、「ビタースイートとか、そういう感じでしょ? わかる」とのこと。やっぱここまで見てるんだからわかるよね。
そして俺がやられてしまったシーンがやってくる。萌のほうからもれ出る声が聞こえた。俺もまたうるうるきてたので(笑)その表情を見たりはしなかったけれど。終わってから「どう? 切ないというのはわかった?」と尋ねると、「Yeah. I almost cried」。そうかそうか。
「お父さんって感動しても絶対泣かないよね」と萌がいうので、実は初回1人で見てあらかじめ涙を枯らしてから一緒に見てるのだと仕組みを白状すると、「レ・ミゼラブルでも泣かなかったのに?」と信じられない様子。いやそれは俺は……絶叫よりも切なさに打たれるんだよ。