2013/05/19

日記「レ・ミゼラブルとはらちゃん」

「ラブレターの面白さとは」「非ゲーマーには微妙なラブレター」「ヴァンデューセン植物園」

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■13/04/29(月) □ ラブレターの面白さとは
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英語版が出たおそらく初の日本製カードゲーム、「ラブレター」

 土曜に買ってきた日本ボードゲーム大賞受賞作「ラブレター」は、手札を1枚持ち、場からもう1枚取ってどちらかをキープし、捨てた方の「効果」を適用するというごくシンプルなゲームで、効果もこのように単純なものばかりとなっている。

①兵士(Guard) → 他PL(プレイヤー)のカードを当てたらそのPLが脱落
②道化師(Priest) → 他PLのカードを見れる
③騎士(Baron) → 他PLと自分の手札を比較し、小さなほうが脱落
④僧侶(Maid) → 次のターンまで攻撃を受けない
⑤魔術師(Prince) → 他PL/自分の手札を山札と交換
⑥将軍(King) → 他PLと自分の手札を交換
⑦大臣(Countess) → これと王族カードを同時に持ったら脱落/英語版:王族を持っていたらCountessを捨てなければならない。
⑧姫 → これを捨てたら脱落

 相手の手を読み合うゲームなので1人2役では何度やってもその面白さが掴めないのだが、BoardGameGeek の「ラブレター」評を読んでいると、とにかく笑うというものが多い。このゲームを英訳した人は、2P戦を2時間爆笑しながらプレイし続けたのだそうだ。なんとなくわかる。一度「あやつり人形」で、次のターンに俺に殺されることが避けられないことを悟ったMの笑いが止まらなくなったことがあるのだが、わずか16枚のカード組み合わせであのハプニングがインスタントに現れるんだろうな。週末までできないが、楽しみ。

 ただ、これは非ゲーマーには面白がってもらえなかったという報告もある。これはおそらく「お邪魔もの」と同じで、正体隠匿の面白さを理解し、それを盛り上げるために自分が何をしたらいいのかカンが働く人とやれば着火爆発し、そうでない場合は微妙になるゲームなんだろうな。

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日米版のあまりの違い
しかし BoardGameGeek で「ラブレター」の感想記事を漁ると、味わい深くキュートな日本版オリジナルイラストよりも、どこの絵本の使いまわしかと思う凡庸極まりない英語版イラストを高く評価する人のほうが英語圏では多いので驚いた。好みが違うといえばそれまでだが、絵というものに関しては米カ人は本当にコンサバで、どれほどありきたりで凡庸でもこうした整然とした写実を好み、抽象飛躍のある線を嫌うようである。これはカナダの画廊に行っても同じ傾向を感じる。西洋でマンガが発達しなかったのは、絵に対するこの許容範囲の狭さゆえだろう。

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■13/05/04(土) □ 非ゲーマーには微妙なラブレター
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 日本語勉強会前で子供たちを相手についに「ラブレター」3人戦をプレイ。1人2役のテストではいくらやってもどこが面白いのかわからないゲームなのだが、他人とやればたちまち一変し楽しい。やはり手のひらに秘密を1つ持つだけで遊び心は盛り上がる。子供らも1ゲームで仕組みを理解し、狙って敵を蹴落としたり裏目に出て悔しがったりする。意外だったのは最後まで全員が残り手札を比べ勝敗を決めるより、途中の暗殺/脱落で勝負がつくほうが盛り上がること。つまり蹴落としが楽しいんだな。「あやつり人形」みたいだと娘がいう。たしかに。

 勉強会のあともKDさんも入れて4人戦、3戦とも勝者が違い、その都度KDさんに「こうなったわけ」とカードの相乗効果を説明するとなるほどという表情。計6戦したのだが、やはり想像した通り同じ正体隠匿系の「あやつり人形」や「お邪魔もの」と同様、「あれがコレだったということは…?」とゲーマー的に皆が考えてくれないとピーク性能が出ない気がする。俺はもちろん面白いと思うが、子供らはゲーム以外にやりたいことがありすぎるのでさほど集中して考えてはくれず、大盛り上がりという程ではなかった。

 これは「ラブレター」が悪いというわけではなく、何度も書いているがインタラクティブ性が面白さになってるタイプのボードゲームは、「これを楽しみたい、それにはどうするか」と考えるプレイヤーの能動性を要すのである。子供らやうちの家族のような非ゲーマーには基本的にその能動性がないのだが、俺はどうしてもインタラクティブなゲームをしたい。だって人の意図を読み合う以上に楽しいゲームはないではないか。そしてこれ以上ミニマムで誰でもやれる読み合いゲームはない。ゆえにこのゲームの価値は非常に高い。

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日本版は絵で身分がわかる。英語版は不可能。
今日実際に遊んでみてやはり思ったのだが、英語版のカード絵の匿名性(どうでもよさ)がマイナスに働いてるよなあ。一応「姫にラブレターを出したいのだが…」と背景は説明したが、どのカードも絵はまったく特徴のないただの人物なので、文字しか見られない。「姫は意地悪そう」くらいしか絵の感想は出なかった。カードに絵がついている意味がない。

 これが日本版なら『融通の効かない田舎者風兵士』『かっこつけ決闘したがる騎士』『手札交換などという無茶をいかにも言いそうな恐ろしい将軍』『腹に悪巧みを持つ大臣』などのイラストに描かれたキャラがプレイヤーに憑依して、役を演じる効果を生み気分が盛り上がるだろう。アメリカ人はこういう絵で何かを表し感じとる感受性が低いんだと思う。英語テキスト入りの日本語版がほしいものである。あっちならば子供たちももっと反応がいいだろう。

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■13/05/05(日) □ ヴァンデューセン植物園
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日本の「桂」だそうです。
珍しくヒートウェイブがやってきて本日は 30 度、バンクーバーの広大なヴァンデューセン植物園に行ってきた。大きな敷地が世界各地の植物相に分けられているのだが、アジア圏には日本の植物がすごく多かった。これも日本だよ、あれも日本だよと知ってる? と聞かれても、うーん見たことあるようなないようなとしか答えられない。植物に詳しくて、「ああこれね、日本のカツラね。働いてた調布基地にあって、この下にハンモックを張って昼寝してたよ」とか言えたらカッコよかったんだけど。美しい。

 バッグに「ラブレター」が入っていたのだが、公園内の木陰で寝転がるのはただただ気持ちよくて、ゲームを取り出したり本を読んだりする気になれなかった。しかしいざとなればバッグに面白いゲームがあるんだよというのはうれしいことである。昔「コロレット」を一時持ち歩いていろんな人に教えていたが、これはそれよりもさらに小さくてクイックなのだ。

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■13/05/12(日) □「レ・ミゼラブル」と「はらちゃん」
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 萌が借りてきた「レ・ミゼラブル」を見せられる。始まって数分でうわーミュージカルってここまで全部のセリフを歌うのかよとげんなりしたのだが、「♪俺は自由だ、もうあの地獄には決して、決して戻らない!」みたいな字幕を見ながら見ていて、ああ、これがミュージカルの効能かと気がついた。歌じゃない地のセリフじゃ、こんなベタなことは言えんのである。逆に言えば、歌だとベタなセリフに力が宿る。そういうことなのねと映画通の奥さんにいうと、「ミュージカルというのはエモーションで出来上がってるのよ。だから歌が合うのよ」とのこと。なるほどねー。

 しかし俺はこういうエモーショナルモーメント大全集みたいな映像には胸が動かない。アン・ハサウェイが泣きながら歌う最初の山場シーンで見る気が失せてしまった。出てくるなり次々にひどい目にあい嗚咽する女優を泣けとばかりに見せられても、いや俺この人どういう人か知らないので……としか言いようがない。彼女の人となりに関しては何一つ描かれてはいないので、「気の毒」以外の感情が湧かない。彼女のように非業の死を遂げた無名な人などどれほどいるかわからないが、それぞれに等分に気の毒にと感じる。むしろ歌もカメラも与えられない無名の死の方が痛ましい。

 英米カの映画ドラマはうるさくて見る気がしない。全部例外なくうるさい。Mが毎夜見てるやかましいドラマと、この映画がどーんと大波でかぶせてくるインテンスな情動は質が同じであって、量が違うだけなのだ。波の音を聞いてるだけでもういいよ前に見たとうんざりする。外国人が日本の大河ドラマを見たら毎年の違いがわからないだろうが、俺にとってはそういう感じなのである。

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 萌は日本の TV への反応が年々薄くなっていき、いまや強制しないとなにも見ないのは、こういう大掛かりなエモーション製造業映像に順化してるからだろう。それだけになってほしくはないので、俺はせっせと「泣くな、はらちゃん」を見せているわけである。⑥結婚しましょうの回も泣けた。萌の前で泣くと沽券に関わるので初回は1人で見てるのだが、そうしておいてよかった。

 この物語は切なさが一杯に詰まっている。2回目を萌と一緒に見るときに解説しようとして、英語に「切ない」という言葉はなくて困った。アンビバレントでソローな感じ? 完璧に合う英語はないんだがと説明すると、「ビタースイートとか、そういう感じでしょ? わかる」とのこと。やっぱここまで見てるんだからわかるよね。

そして俺がやられてしまったシーンがやってくる。萌のほうからもれ出る声が聞こえた。俺もまたうるうるきてたので(笑)その表情を見たりはしなかったけれど。終わってから「どう? 切ないというのはわかった?」と尋ねると、「Yeah. I almost cried」。そうかそうか。

 「お父さんって感動しても絶対泣かないよね」と萌がいうので、実は初回1人で見てあらかじめ涙を枯らしてから一緒に見てるのだと仕組みを白状すると、「レ・ミゼラブルでも泣かなかったのに?」と信じられない様子。いやそれは俺は……絶叫よりも切なさに打たれるんだよ。

2013/05/07

日記「カナダのロックシーン」

「退化するコンピュータたち」「ドリームファイター」「カナダのロックシーン」「帰れない二人(はらちゃん)」「中華モール」「フィギュア塗装会」

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■13/04/15(月) □ 退化するコンピュータたち
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「どうしてもスタート メニューは必要ですか? Windows 8」


 スマホ式操作体系になった Windows 8 が当然ながら批判されているらしく、「今まで通り直感的に操作したい」という声に対し MS 技術者がつくった FAQ がふざけていて笑える。寄せられているのは質問というより「なんだこれはめんどくさい」という苦情なのだが、その1つ1つに対し「まあ直感的にはできませんが、我慢して一手間かけていただければ、結果は今までと同じになります」ということを答えている。同じ結果を得るのに手間を減らすのが進化なのであって、話が逆である。結果としてスマホ式ユーザーインターフェイスがいかに馬鹿げているかがよくわかる記事となっている。

 スマホ式 UI は、誰もが直感的にわかる階層構造をなぜか否定している。iOS はことにひどくて、俺は萌の使う iPod の音楽プレイヤーを目にするたびにトサカにくる。[Rock]-[Japan]-[バンド名] みたいな階層分類はできないので(※)、何かを聞きたいと思ったら曲名画面を何十回もスクロールしなければならないのだ。
(※)これは我慢できなくて調べ尽くしたのだが、iOS が(少なくともフォアグラウンドでは)フォルダというものを持たない構造になっているらしい。当然フォルダによるファイルの分類はできないわけだ。

 その非階層操作のバカバカしさを指摘すると萌は、「アーティスト名でも見つかる」と歌手名欄をまた何十回もスクロールする。同じことだろうというと「だったらプレイリストを作れば好きな順に聞ける」という。つまり上の記事で MS が答えてることとまったく同じ、「まあ直感的にはできませんが、我慢して一手間かけていただければ、結果は今までと同じになります」をアップルが俺の娘にいわせ擁護してもらってるのである。馬鹿馬鹿しい。なんでユーザーにこんなめんどくさいことをさせたいのだ。コンピュータの退化ではないか。わけがわからない。

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【泣くな、はらちゃん】(2)なくしてしまったコミックスを取り戻す。神様の心が春のように少しずつ開き、はらちゃんに向かい笑ってくれた。よかった。これからもつらいことがあるだろうけど、はらちゃんが、マンガが、神様を助けてくれるでしょう。

 朝ドラ「あまちゃん」も絶好調である。いいところ、楽しいところを挙げていくとキリがないので、ただウワハー\(^o^)/と身を委ねてる状態。朝ドラ前作は物語というよりも観念奇譚だった。愛とは、夢とは、信じるとは、人間とはと Jpop でも人気の観念アイテムをぐるぐる巻きにした「観念巻き」という創作食物であった。あまちゃん はもちろん物語で、自然で、天然の地産地消名産品、つまり「まめぶ」だな。

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■13/04/20(土) □ ドリームファイター
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 今日の子供日本語勉強会のお題は、パフューム「ドリームファイター」。ノートに書かせた言葉は「最高、求めて、終わりのない旅、現実、うちのめされ、前を見て歩く」など。

ねぇ みんなが言う「普通」ってさ
なん だかんだっで実際はたぶん
真ん中じゃなく理想にちかい
だけど普通じゃ、まだもの足りないの

 つまりみんな理想はやや高いんだけど、それでいいんだ突き進めってことだねと解説していると、ちょっと胸が熱くなってくる。これはいい歌詞だねえというと、子供たちもうんうんとうなづいていた。Perfume 自身がすごく求道的なことをしてるのが目に見えるから、こうした歌詞がピタリとイメージに合い説得力を持つ。これから未来が広がる子供たちのテーマソングだな。

 求道的といえば、俺はサブカルな大人たちから絶賛されているももクロに興味が湧かないのだが、それは俺が音楽でもスポーツでも天才願望が強いからだと思う。普通のかわいい女の子たちが求道的に頑張っても、天才ダンサーたちと天才振付師の研鑽が到達したステージには及ばない。

 ももクロは萌にも見せたが同意見、というか「日本の人はわかるのかもしれないけど、私には AKB と見分けがつかない」と俺よりも辛辣な意見であった (^-^;。

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■13/04/21(日) □ カナダのロックシーン
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カナダのグラミー賞、ジュノーアワードを見る。ゲイとして有名な女性シンガーKDラングが栄誉殿堂入りを授与され、「この賞はカナダがもらったようなものだわ。私みたいなフリークがこんな賞をもらえるのは、この国だけよ。おめでとうカナダ!」と感動的なスピーチ。カナダはすごい女性シンガーがゴロゴロいる。ほんとゴロゴロいる。だけどすごい男性シンガーがぜんぜんいない国なのである。なんでだ。

 なんか大きな賞をジャスティン・ビーバーがもらい、しかし会場に来てないのでシーンとしらける。「カナダに住んでない奴に賞をやるな」とレナード・コーエンが昔怒り自分のジュノー賞を返還したそうだが、ほんと賞をあげてももらいに来ないやつにはやらなければいいではないか。

 コールミーメイビーのカーリーが年度アルバム賞をもらい、「なんて、なんて言ったらいいのかわかんないわ」と感極まったスイートなスピーチ。そのうろたえぶりが似合ってて国民的好感度アップ。そして見た目ちょっとエリックカントナに似てきた男前KDラングの美唱で賞は終わりました。




メトリック
萌が聞いてるカナダのバンドは、80 年代に先祖返りしているとよく感じる。今日ジュノー賞で演奏したメトリックは、ボーカルがブロンドで、デボラハリーより歌は大幅に下手だが同じくらいダンスが下手で(笑)、ブロンディっぽい。萌が大好きなバンクーバーの Mother Mother というバンドは、男女混合でトンプソンツインズっぽい。どちらも 80 年代の本家よりは相当に音楽性が劣るが、ガチャガチャした音やバンドのスタイルが先祖返りなのだ。その方向性だけは好ましい。

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(カナダのポプコンの本年度優勝バンド。いいねマークの右のプレイボタンを押す)


 ジュノーを見ていてそういえばと思い出し、先月うちも投票したカナダのポプコン、ヤマハ新人発掘コンテストの結果を見に行った。優勝したのは東海岸ならどこのバーにでもいそうなラグタイムバンドだった。

 いいバンドのいい曲で悪くはないが、新人発掘という名目で3千ものアーティストが応募し、おそらく何万人もがラジオとネットから投票して選ばれたのがこんな新しさ皆無の音楽だとは。俺と萌はこの毒にもクスリにもならん歌を聞いて「(えーこれかよ)」と顔を見合わせるのであった。カナダ音楽ノーフューチャーという感じ。

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■13/04/22(月) □ 帰れない二人(はらちゃん)
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 「泣くな、はらちゃん」(3)一緒にカマボコを作りながら笑い合う二人。「時効警察」のときからうすうす気がついていたが、俺はこの越前さんがめっちゃ好ましい。引きこもりがちな風情がまたたまらない。頑張れはらちゃん、彼女が窓を開け飛び立つまであと少しだ。

 しかしはらちゃんの思いがかなってくれたらとは思うものの、たとえかなっても……と悲しい予感もする物語である。「ぼくは君を」と言いかけたとき、カマボコに涙が落ちました。もう星は帰ろうとしてる、帰れない二人を残して。

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■13/04/27(土) □ 中華モール
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 会議でサンフランシスコに行くMを空港まで送り、リッチモンドの中華モール・アバディーンセンターで昼食&ダイソー買い物。日本のとんかつ屋ができていてカツサンドを食べてみると、完璧に日本クオリティのふわふわとんかつだった。カナダじゃほとんどどこにも売ってない大麦豚の筋切り肉だろう。うまい。プリクラもあるんである。来れなかった萌にテキストすると悔しがっておった。

 リッチモンドは英系よりも中華系のほうが多いといわれているが、モールの広間にステージが組まれ TV カメラが入り中国語でなにかやっている。身なりの良い人々がブースについているのでクイズ番組かなと思ったら、BC 州の選挙演説&説明会だった。中国語で選挙演説をやってるということは中華系の人たち向けなわけで、ちゃんと人が集まり熱心に説明を聞いていた。

 つまり英仏語はわからんがカナダ国民として自分たちの政治権利を行使しようとしているわけで、これはまったく正しいえらいことなのだが、日本人にはこの発想は出ないなあと驚いた。日本人は「私らは居候ですから、言葉もよくわかりませんしお国のことには口出ししません」とメンタリティ的に引いてしまう。やっぱ中華の人たちが世界中でバイタリティあるのは、単に経済面だけじゃないんだな。こういう正攻法なところからも押していける図々しさが、市民としてのプレゼンスを高めているんである。

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 帰りに、個人制作ながら日本ゲーム大賞を取り大手から英語版が出た評判の世界最少カード(枚数)ゲーム、「ラブレター」も買ってきた。しかしこれは騙し合いを楽しむゲームらしく、1人2役でやってみても何が面白いのか全然分からない。しかしツイッターの好男子Iさんによれば、

「自分は人狼が苦手なんですが、その欠点を上手いこと消してる作品だと思います。5分で終わりますし、本当に良いゲームですよー」

 とのこと。知らずに買ったのだが、俺はレジスタンスみたいな少人数でやれる騙し合いゲームがほしかったので、ぴったんこだ。やっ・た。

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■13/04/28(日) □ フィギュア塗装会
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 MKのD&D会へ萌を送る。今日はミニフィギュアの塗装会だったのだが、プロが作ったものを見ても手間がかかる割にたいしたものが作れないというのが正直な感想で、1インチ四方に収まるボードゲーム用のフィギュアというものが、塗装をして愛でるには小さすぎるのである。むかしバンダイがタミヤの 1/35 シリーズに対抗して 1/48 のドイツ軍戦車シリーズを作り、安かったので俺はそっちを集めたのだが、タミヤのを見るとやはりディテイルの作りこみでぜんぜんかなわないなと子供心に思っていた、あれを思い出す。

俺はちゃちゃっと1時間でペイントを済ませ、寒い店内で冷えてしまったので帰宅。あとで萌が持ち帰ったフィギュアをみると、さすがに時間をかけただけあって初期とは別物になっていた。何層にも分けて塗装を盛ることで、肌に柔らかな質感が出ている。あーなるほどねー。ごてごてした戦士/モンスター系はプロが作ったものを見ても特に何も感じなかったが、肌を露出した女戦士系フィギュアには魅力があるな。あそうか、日本のフィギュア文化と同じか。左のゴブリンは俺のやっつけ1時間作品。