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■13/07/10(水) □ ニューファンドランドの英国人
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人口は右下の一部に集中 |
ノバスコシアからさらにさすらい、今日からニューファンドランド。正真正銘の地の果て、カナダ最東端の島であります。もはやカナダ本土よりもグリーンランドやアイスランドのほうが近所といっても過言ではない。こんなところにほんとに人が住んでるのかと不思議に思うような土地だが、実際人が住んでるのは右下の州都セントジョンズがあるニューファンドランド島だけで、州の大半を成す左上ラブラドール島はムース(大へら鹿)と熊しか住んでないとのこと。今年数十年ぶりに 30 度を超えニュースになったんだそうだ。
ここで軽井沢のペンションのような美しい家に、美しい英国英語を喋る教養深い老夫妻が住むという、ノバスコシアの女流小説家邸に続きこれまたすごいお宅に泊まっている。
普通英国人の喋りは俺のようなカナダの外国人には半分も聞き取れないのだが、ERとVR夫妻の英語は普通にわかる。不思議に思いどこ出身の夫妻なのかとうちの奥様に聞くと、2人はどちらもM母と同じ訛りのきついヨークシャー出身なのだが(奥さんVRはM母の幼馴染とのこと)、まったく訛ってない。これは教養によって得られた上流アクセント、つまりキングズイングリッシュ、BBC 英語なのであると解明してくれた。なるほどー。すっげー。
(北米最東端灯台、ケープスピア / 湾を挟んでシグナルヒルの岬もすごい)
ついてすぐに行ったのが、北米大陸最東端の岬ケープスピア。北米大陸最東端の灯台があり、湾を挟んでセントジョンズの名所シグナルヒルも遠望できる。スペクタキュラーな眺め。ニューファンドランドは島全体がこうして岩でできており、「ザ・ロック」と呼ばれている。この島は鯨の名所でもあるそうで、セントジョンズ市内のこの岬からですら見えることがあるとのこと。案内してくれた旦那さんのERは、「風がやんだら耳をすませなさい。鯨の息吹が聞こえるかもしれない」と言った。あ、あなたは詩人ですかというとニッコリと笑っていた。
Mはこれを見ただけでニューファンドランドにきた甲斐があるわと感嘆していたが、VR家とこの風景のセットはたしかに強力である。VR家は写真を撮り忘れたが、隅々まで瀟洒なペンション風であった。逆に軽井沢などのペンションは、こうしたイングリッシュハウスへの滞在経験を元に誰かが作りスタンダードとなったんだろうな。
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初日の晩飯は当然のように英国式フィッシュ&チップス(ポテトフライ)だったのだが、ポテトフライがなんだこれはと声が出るほどうまい。業務用みたいな温度計のついたでかいフライヤーにたっぷりと油を入れ揚げてるだけらしいが、さすが英国人はこれ一徹なだけある。
夕方散歩に出ると気温はもう15度を切り、息が白い! すごいところだわニューファンドランド。
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■13/07/11(木) □ 寂寥の海
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観光初日。天気がよければご主人のERいち推しのホエールワッチングが入るはずなのだが、天候の移り変わりが激しい土地で、特に霧がすぐに出る。霧が出て視界が落ちると鯨は見えないわけで、これは船長の判断待ちとなり、決行なら連絡をもらうということにして、俺たちは車で1時間ほどの景勝地フェリーランドというところをおすすめされて向かう。この島最初の入植地とのこと。
おまけに各種コントロールが「アメ車はついにここまで来たか!」と思うほど使いにくい。コントロール類がすべてスマホ的フラットパネルになっていて、エアコンスイッチすらどこにあるかがわからない。パネルをよくよく見るとファンのアイコンがあり、その横にある+または-のアイコンを押すとエアコンの風量がコントロールできるらしい。しかしどこが+/-かは指で手探りしてもわからんので、押すためにはどうしても進行方向から目を離しパネルを凝視しなければならない。危険極まりない。よくこんなんで安全認可が下りるな。
現代の自動車事故の大きな原因となっている携帯操作というのはつまりこのフラットパネル操作のことで、前方を見たままブラインド操作できないから事故を招く。それを車の操作体系に持ってくるフォードは、「スマホを使ってない人でも運転中にスマホの危険を味わえます」という仕様なわけである。
低圧ターボでトルクがにゅるーっと出てくるエンジンも、荒れた路面でのボディコントロール感もあまりよくない。しかしハンドリングだけはいい。拳をほんの少しひねるだけできれいにノーズがイメージした方向に向き、荷重が自然にかかりきゅーっと気持ちよく曲がっていく。これはヒュンダイ・エラントラ GT ではまったく得られなかった気持ちよさで、実用性でいえばコリアはすでにアメリカの先を行っているなと感じたが、ハンドリング快感方面だけは歴史がモノをいうのだろうか。フュージョンの旧型はハンドリング自慢のマツダ・アテンザとシャシーを共有していたらしいが、やはりそれを受け継いでいるのだろう。基本的に豪快アメ車的なブイーっという乗り味の車なのだが、峠に入るとしゃきっと気持ちいいのである。
このハンドリングを味わいながら海辺のワインディングを流すのは、久方のドライビングプレジャーであった。道からときおり見える港港が美しい。
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目的地フェリーランドにつく。なかなかすごい景色のさびれた岬。着いたはよかったのだが、パーキングからすさまじい風の中を延々歩いて灯台に達し、ランチを食いさらに強風の中を散策していると、俺はこのやむことのない風にだんだんうんざりしてきてしまった。もう見るものは見たからさっさと引き返そうぜと思うのだが、萌とMがイヌシュクを作り始めてしまい強風の中待ちとなる。やれやれ。
石を積むMと萌を待ちながら考えていたのだが、俺はカナダの海を見てもそんなに興趣を感じない。これはカナダで初めて行ったノバスコシアのペギーズコーブからそうで、植生限界的な寂寥感あふれる風景はまあきれいだなとは思うが、基本岩と水とコケの3種バリエーションなのでやがて飽き、そこをずっと眺めていたいというような気持ちにならない。川が流れる景色のほうがなぜか落ち着く。カナダの海は魚と鳥のものであり、人は漁師以外は居場所がないという気がする。
今日はホエールワッチングが延期となり、そのままゆっくりと帰宅。晩ご飯はカレーだったのだが、トマトとレーズンが入った甘ーいフルーツソースにカレー粉をふりかけたという感じの食べ物であった。これが英国式カレーなのか。何といえばいいのか分からない味がする。
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■13/07/12(金) □ カナダの歴史に打たれる
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(まっすぐ町を抜けたいのに、一方通行と交差点のわかりにくさでこんな風に迷ってしまう。 / 運転手と助手席ナビゲータ険悪の図)
本日は州都セントジョンズの州博物館、The Roomsへ。この町は古いせいか道が極度にわかりにくい。メインストリートと呼べる目抜き通りが一本もないのがマジでつらく、「ここまで大きな道で行って、あとは地図を見ながら注意して移動」というふうな普通の移動ができないのである。旅行者は地図を頼りに六叉路やらロータリーやら一方通行に阻まれ手探り移動をすることになり、運転手とナビ役とのケンカとなる。
結局この町ではMが運転し、俺がアンドロイドの GPS でナビすることとなった。これ以外にこの町を抜けていく方法が見つからない。アンドロイド上の Google マップは完璧ではないが(ルート検索が保存できないというのは致命的欠陥)、旅先では命綱だ。セントジョンズの町をツーリストが GPS なしで迷わず抜けていくのは不可能だと思う。
しかし道はわかりにくいが港町なのでアップダウンがきつく、街の作りにはとても趣がある。1本横の通りまで階段で行くような場所がたくさんあり、どこを向いても石造りの六叉路などもあって、その景色は欧州、ローマみたいだなと思った。
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町の自慢らしい州立博物館 The Rooms のメイン展示は、この州の歴史を興味深く描いていて実に面白かった。ニューファンドランドは 1949 年までカナダじゃなかったんですよ! 知ってましたか知らんでしょ。BC に住んでいるとカナダの歴史というのは、「まず先住民族がおり、あとからヨーロピアンが入ってきて駆逐した」と2行で済んでしまうような単純なものと思ってしまうのだが、東海岸から眺めればなかなかに複雑怪奇なのである。
まずバイキングが散発的に来訪し、バスクが鯨を取りに大挙押し寄せ、16 世紀に欧州人の本格入植が始まり、他の先住民族よりかなり進んだ技術を持ったベオスック族を圧迫し、ベオスック族は 19 世紀に絶滅する。やがて英仏戦争の余波がカナダ東岸に及ぶ(これがボードゲーム「数エーカーの雪」の舞台設定)。
そして英領として第一次、第二次大戦に英軍に兵士を大量に供給し、第二次大戦中に欧州へ飛ぶ連合軍(米軍)空軍基地ができたことで一気に貨幣経済が始まり、そこからカナダよりも米国との関係が強くなる。そうした新たな時代の波が訪れるごとに、その前の世代の文化がどう影響を受けたかということが展示のテーマとなっている。目からウロコですよ。説明を読みながら俺は「そうか、そうだったのか」と激しく納得していた。面白い。俺はこれまで失礼ながらカナダの歴史など面白いと思ったことがないのだが、俄然興味が湧いてきた。銅鐸ばかり何十個も展示するという薄い展示物に説明過少で去年俺たちを激しく失望させた国立京都博物館は、ここを是非見習ってもらいたい。
カナダ加入への住民投票は賛成わずかに 50.5% だったとのことで、いまだにカナダへの帰属意識はあまり高くないらしい。カナダへの統合に伴い廃村となった村々がゴーストタウンとしてそこかしこにあるという。廃村は「ロスト・ニューファンドランド」と呼ばれている。ロマンチックな響きだ。
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David Blackwoodの最も有名な絵
「Fire Down on the Labrador」。
さすがにこのクラスのものは買えないとのこと。
この家はあらゆるところに絵画がかけられており、その数およそ 30 枚ほどもあるかと思うが、その中で最も高価なものがニューファンドランド出身の鯨画家 David Blackwood のエッチングらしい。ギャラリーにもその人のクジラの絵があったよと話したら、「君の寝てる部屋にかかってるのが彼だよ」と言われた。も、モノホンですか。いくらするんですかハウマッチ大橋巨泉。
ブラックウッドの絵は実際のニューファンドランドの海難悲話などをモチーフに描かれたものが多いそうで、解説を聞きながらその絵を見ると迫ってくるものがある。今日のギャラリー部のメイン画家だった Mary Pratt すらも、ERさんは本物を持ってなすった。
カナダで最も著名な古大家 Maurice Cullen の風景画「Misty Afternoon」と、地元画家 Mary Pratt のスーパーリアリズムが画廊のハイライトだった)。「Misty Afternoon」はまさしくこの島の寂寥の海。
彼の話に俺が前のめりに興味を示すもので ER さんはさらに興に乗って(奥さまが笑っていた)、最後は「これは僕が作ったんだ」とハープシコードを見せてくれた。「ハープシコードを作った」て、意味がわからない(笑)。どういうことかと聞けば、ハープシコードを作りたい人のために図面を売るショップが英国にはあり、それを買って木を切り組み立てたのだという。英国はやっぱ日本同様クレイジーな趣味人が多いのねというとアッハハと笑っていた。
ハープシコードがあるからには、これはもう「インマイライフ」の間奏を弾かねばならない。アイマストプレイ。俺はこの美しい楽器の前に座り、左手で A のコードを押さえてはみたものの、しかし右手は1音もあのソロを弾けませんでした。音楽は難しい。いやしかし楽しいお宅にお邪魔しております。ありがたや。