2015/03/16

日記「マリラとエリー(マッサン)」

「ダークソウルの魔力」「エリーの大立ち回り」「ダークソウルにはまったらしい」

 =======================
■15/02/25(水) □ ダークソウルにトライ
 =======================


これが2番めの勝てるわけないボス・牛頭のデーモン
かつてポッドキャスト「狭くて浅いやつら」で心が折れると評された(中ノ浦さんのヘボプレイ回顧が実に面白かった)アクション RPG「ダークソウル」にトライしてみた。ゾンビ的兵たちを剣、突き落とし等で倒すごとに「ソウル」という経験値/通貨が得られるのだが、やられるとその場にソウルが落ちてしまう。再度その場に赴き回収できれば損失はないが、回収前にもう一度やられるとその大事なソウルが消えるという恐ろしいシステムが特徴。

 最初のチュートリアルで巨大なボス敵にさっそく倒され、それまで倒した10人のゾンビ分のソウル=経験値がボス部屋に落ちる。こっ、これですね。これを拾えなければこれまでの努力がパーなんですね…。再トライ。うおおおと跳び込んでソウルを拾う→ぶん殴られてまた死ぬを4~5回繰り返す。き、キツイ。

 そして何度目かに跳び込むとうまくボス敵の背後にまわれたので、もう覚悟を決めソウルは放置したまま背後からボスを斬る! 斬る斬る斬る! 勝った! ――ひゃーと小走りしソウルを回収。助かった。心臓バクバク。なるほどこの緊張感は面白い。…しかし無理(笑)。こんな難しいゲームは俺にはプレイできません。



 ダークソウルは細密で暗い絵が非常に見にくいし、動きが重すぎる。ボタンを押すたびにぐわっしと振りかぶり、壁に剣をガツガツと無駄に当てながら戦う感じ。だいたい刀を振るのが人指し指トリガーだというのがフィジカル的につらい。人間は人指し指を引くという動作をそんなに瞬時に繰り返し実行できないのである。どうしても体に染み付いた A ボタンか X ボタンを押してしまう。ここをオプションで変えられるだけでも操作ストレスは減るのだが、できない。これが「アマラー」に近いくらいの操作性と絵だったらやれるけれどなあ。

 逆にアマラーにこの緊張感と、「この先はどうなってるんだ…」という探索感のあるダンジョンや建物があればベストだなとも言える。アマラーは景色とクエストに飽きて一時中止したのち、新たな地方を発見ししばらくその風物を楽しんだのだが、その地方の新鮮さが薄れるとやはり「クエスト式は単調である」という同じ感想に戻り再中止しているのである。

 =======================
■15/02/26(木) □ ダークソウルの魔力
 =======================

 【ダークソウル】この超難度ゲームには不思議な魅力がやはりあって、無理と思いつつまた起動してしまった。2番めのエリアの墓場で異常に強い骸骨たちにやられまくり、やっぱりやめようこんなゲームと思いつつ逆方向をためしに探索してみたら城があり、こっちは敵がゾンビなので十分に倒せる。でしばらく行くと篝火(かがり火、セーブ&回復ポイント)があった。助かった。うーむ、進められるとやっぱり面白いなあ。

 しかしあんな骸骨ザコ(あとでこいつらはゲーム内でも相当に強い敵なのだと判明)に何十回も殺されるんだから、ボス戦なんか考えただけで鬱だ。いずれ挫折することが明白なのにこんな難しいゲームに努力と時間を傾注するというのが考えるだけで鬱だ。どうしよう。やめたい。しかし面白い。「ヤメた面白い」というこれまで経験のないゲーム感情を味わっている

    ----------------------
 この第3のエリア「城下不死街」の篝火がレベル上げ用にちょうどよく配置されていたので6匹殺してはセーブとやって5レベルも上げた上で次に進んだが、次の篝火がどこまで行っても見つからない。ゾンビ兵どもと必死に戦いながらあちこち探すが、どこにも見つからない。あと2発打たれたら回復もできず死ぬというところで決死の逆戻り。ハアハア。どうなってるんだこの城は。

 これは独力では無理だと攻略サイトの地図を見てみると(このゲームはマップがないのである!)、次のセーブポイントらしきものはこのエリアにはない。となるとボス敵のいるっぽいあの光った部屋に進まねばならないのだろう。ボスになど勝てるわけがない。無理だ。やめたい。しかしヤメた面白くてやめられない。

 このゲームの面白さは雑魚の賢さと地形にある。普通どんなゲームでも雑魚はエリア限定で、その場を通り過ぎれば戦わずして避けられる。俺は回復薬を温存してボス戦まで進みたいので戦いを避け走るのだが、このゲームでは雑魚が遠路はるばる追ってくるのだ。ちょっと走る速度を落とし前方の様子を伺っていると、いつの間にか追いついてきたゾンビ兵に後ろからハァッと斬りつけられる。これがさすがゾンビ兵たちでゾンビ的に怖い。その音で前方からもゾンビ兵たちが殺到してガッチョンガッチョンと俺を斬りつけるので、やられるときは凄惨としか言いようがない(笑)。

 避けても追い付いてくるので雑魚をコツコツと倒していくと、ボス敵に行く頃には回復薬が心細くなってくる。だが仕方がない、ちょっと見るだけ見てみようと「城下不死街」の巨大ボス・牛頭のデーモンに挑む。―――ドカスカバキポキと一瞬でやられた。こんなの無理に決まってるじゃん(泣)。

 5回ほど挑み、攻略サイトを読み情報を得てさらに10回ほど挑み、数太刀かろうじて浴びせられただけで、諦めた。強いというかヒドイ(笑)。最後に萌を呼び、「これが有名なダークソウルである」と俺の死に様を見せる。「オーマイゴッド! ひどい」。そうなんだよ。ここまでとするよ。やっぱり俺には無理だこのゲームは。ここまでとしよう。

 =======================
■15/02/27(金) □ エリーの大立ち回り
 =======================

 【マッサン】エマが一馬に恋をするのは早すぎると、エリーが日記まで盗み読んで阻止するという奇妙な週が終わる。これだけエリーにそぐわぬ大立ち回りをやらせて、「戦争で恋人をなくしたトラウマを娘に味あわせたくないからでしたー」なんていう誰もが想像する陳腐なオチじゃ済まんぞとツイッター民皆で心配してたのだが、まったくその通りになってしまった。やれやれ。

 「私より先に死なないで」なんて、あのときエリーは言ってなかったじゃん。自分より前に恋人がいたことには問題ないが、そのことと自分への思いをリンクしてこういうセリフを言われたら、ニブい政春でもなんやねんその言外にあるナニカはと不自然さに気づくだろう。俺の記憶に残っているあの美しいプロポーズシーンには当然こんなセリフはない。美しい思い出に後から甘味料と醸造アルコールがブレンドされてしまったような、そういう感じである。

 このセリフを収録しておき、こうして後からジャーンどうです感動でしょうと見せるために隠しておいたのだから、作者と演出は見る側の気持ちを読み違っている上に趣味が悪い(笑)。これまでもそういうエピソードは多々あったけどね。

    ----------------------
 これに比べて同時進行のアニメ「赤毛のアン」はなんと自然で素晴らしいことか。もうここんとこ毎週嗚咽をこらえるので頭が痛くなってしまう。カナダの子供がハリーポッターとかばかり読んでこの物語を読まないのは不幸なことだ。これを買ってきて英語版を作らないカナダ国営放送はどうかしている。

 あの「エイブリー奨学金を取ったのは…」の感動のセリフはマシューがなんて言ったのだろうと気になって検索してみると、「It was a girl - my girl that I'm proud of」だった。これを「女の子さ。わしの自慢の女の子だよ。わしの娘さ」としたのは名訳である。My girl と言ったマシューの心には間違いなく、「わしの娘」という気持ちがこもっている。泣ける。これを訳したのは村岡花子なんだろう。そこをやれ「花子とアン」! という。

=============
りかぞう(‘jjj’)
思い出すとまた涙が…マシュウ・カスバート…
=============
サカタ@カナダ
おおマシュー。マシュウ・カスバート…。マリラはなぜ兄やアンをフルネームで呼ぶのであろうか。うちの奥様もそういえば私や娘をよくフルネームで呼ぶな。どういう心持ちなんだ…わからない…。
=============
たけ
横入り失礼。喩えて言うと、愛称呼びが親密な顔アップサイズの写真だとして、フルネーム呼びは、フルショットやウエストサイズの写真に似ていると感じますね。相手への敬愛感(英語で何というのか…以前サカタさんがツイートしていたが…)が感じられる。
=============
サカタ@カナダ
そうか…マシュウ、マシュウ・カスバートと呼ぶことによってマリラは、マシュウの全存在の輪郭をグリーンゲイブルズに刻みつけていたんだ。君の名を呼ぶ、アイコール・ユアネーム。…こんな完璧な答えが返ってくるなんて…たけたけ子供相談室スゴイ。
=============
tenko_TV
わたしも横入り失礼します…ドラマ「デート」で谷口巧が時折、依子さんのいない所で「彼女は藪下依子だぞ?」とか「来やがったな藪下依子!」とフルネーム呼びするのがなんか好きでw たけさんの仰る通り敬愛が感じられるんですよね。
=============
サカタ@カナダ
なるほど。たけてん横から子供電話相談室すごいw
=============


 =======================
■15/02/28(土) □ ダークソウルにはまったらしい
 =======================

 【ダークソウル】ここまでとしようとか言いつつ攻略サイトで攻撃法を調べ、3日かけてついに最初のボス・牛頭のデーモンを倒した。や、やった。牛頭への攻撃方法は察しがついたのだが、やってみると剣が当たらず、当てるためにはもう一手間(相手の姿勢の見極め)が必要で、それは俺は自力では見つけられなかっただろう。そこが惜しい。

 しかし牛頭のデーモンを倒してもまだ次のセーブポイントがない。攻略サイトでセーブポイントの位置を確認し、またトライ。雑魚にまた3度やられ、4度目についに篝火を発見しセーブ。いやはや。ドラクエ2でさ迷ったロンダルキア以来のツラさだな。

 難易度が高すぎ操作視認性が悪すぎることを筆頭にやめたい理由は山ほどあるのだが、このヤメた面白さからはもう逃れられない気がしてきた。少なくともこれをやってしまった後では、セリフに書かれた物語にしか冒険がないアマラー(オブリビオン、スカイリムも同様だろう)をやる気は湧いてこないな。ダークソウルには本当の冒険がある。というかそれしかない(笑)。物語など何もない。

    ----------------------
 次は教会らしき場所。ここも敵が強いわ。というかどこも敵が強い。それが敵の HP と攻撃力を上げて強くしているのではなく、少しずつ賢くなってきているのがえらい。この教会の敵は俺が打ち込んだらそれを跳ね除けようと構えている。これまでと違う。人間と AI の知恵比べをさせてくれる。楽しい。

 =======================
■15/03/02(月) □ マリラとエリー
 =======================

 【マッサン】工場の一馬に召集令状が来る。みな空元気の自転車操業でペダルをぐるぐる回しどうにか哀しみで崩れ落ちるのを我慢して進もうとしているのに、エマだけがみんな欺瞞だわヘドバンギャーと泣きわめき、あまりに現代(の TV)的で共感しにくい。「オールドラングサイン」をここで歌うのも合わせ、先週今週はエマとエリーのチューニングが大幅にずれている感じ。

 エマの育てられ方は実際なにも描かれてないのだが、エリーは日本社会において文化国籍にとらわれないグローバルな常識人として愛されてきたわけで、その娘のエマのこのエキセントリックさは戦争前から違和感がある。まあ学校や勤労奉仕でガイジンの娘と心が傷めつけられた反動や、極限状態での動転もあってこうなってしまってるという設定なのはわかるが、熊さんらの忍ぶ心の忍びがたさを浮き上がらせるための作劇上の対比物とされてる感が強すぎ、ただ痛い。



 アニメ「赤毛のアン」のマリラを見るたびに俺は昔の人の考え方の質実さ厳格さ厳粛さを感じそれだけである種胸を打たれるのだけれど、マッサン一家はまったくその同時代人らしくない。ただ割れ物のごとくエマを大切にするマッサンとエリーは、現代の(凡庸な類の)日本ドラマの人物としか感じられない。髪を緑に染めてしまったと絶望に沈むアンを半笑いしつつちゃんとケアして、アンが自力で浮き上がってくるのを支えたマリラのドライな暖かさとはぜんぜん違うのである。現代英国系カナダのお母さんであるうちのMを見ても、エリーよりはマリラのほうに近い。

  母となって以降のエリーに俺は魅力を感じられないな。マリラみたいだったら若い頃とキャラが違ってしまいすぎるが、しかしあの時代の英国系女性が持っていたであろう謹厳さをエリーにも見たかったなと、終わりが近づいてきたこの長いドラマを振り返って思う。ツイッターのシャーロットさんに宛てても、書くことなど何も思いつかなくなってしまった。ただ今後に幸多かれと願うのみ。

2015/03/08

日記「中島みゆき的イメージ(マッサン)」

「ピンナップベイビー、アイラブユー」「ハリウッド的なものにしらけている俺」「春の庭仕事」「闘士のエリー」「ヘドバンギャー」

 =======================
■15/02/14(土) □ ピンナップベイビー、アイラブユー
 =======================

 起きたらシーナの訃報がネットを流れてた。ああ。シーナはその存在感だけでなく声が唯一無二の人で、1曲の中で少女のような可憐な声と男に恋い焦がれダメになった大人の女のような声がコロコロ入れ替わるという、他じゃ聞いたことがないような歌い方をしていた。

 法政で見て、「クライクライクライ」のオーディエンス着火性はスゴイと話し盛り上がったのはTRさんとだったかな。芝浦でOKOと見た時は娘さんたちがステージに降りてきて幸せそうだったよ。HMさんとはパーティで「プロポーズ」を演奏しましたね。



 このビデオには本当に泣くな。死んだからじゃなくて美しいから泣けてくる。怪獣みたいな声してなんてかわいらしいんだろうシーナ。わずか2年前だよ。ピンナップベイビー、アイラブユー。

 日本のロックを知らない奥様にもこれを見せてしまった。大好きなロックシンガーが死んじゃったんだ、だけど見てよこれって。なんてかわいいんだろうって。彼女は微笑んでくれたよ。

 =======================
■15/02/15(日) □ ハリウッド的なものにしらけている俺
 =======================

 映画【007 スカイフォール】を一緒に見ようと奥様に言われ、まあそうだなバレンタインだしなとゲームやりたい心を抑えてカウチに座ったのだが、画面で起きてることのすべてが Xbox のゲームに見えた。はは。

 映画の感想は(ネタバレなし)、誰のモチベーションも俺にはわからんかったなというところ。あと最後はスコットランドでの戦いで、「マッサン」エリーの故郷ハイランドケルトはこんな寒々してるのかと思った。やっぱりノバスコシア州(カナダの「新たなスコットランド」)に似てる。そしてこの程度の熱中度だとツイッターするとか感想をリアルタイムで書くとかせずに2時間集中するなんて、俺には無理だなというところ。

 映画のテーマにピンと来なかったのもあるけど、映像的な好みもこういう欧米メインストリームと俺とでは大きく違うのかもしれない。たとえばこないだ見たフェリーニの「道」ではあらゆる瞬間が神々しいほど美しいと思ったし、アクションで言えば「カリオストロの城」は何度見ても快感を感じる。対してスカイフォールのトルコの陸橋を通る列車上での格闘では、「ああこういうきれいなところがあるのか」「落ちて怪我しなきゃいいな」くらいしか感じない。壮絶な実写アクションシーンが展開されても、感じるセンセーションは SFX やゲームとたいして変わりないなと思う。意外性におーと声まで出たのは1箇所だけだった。



 それとこれは言っても詮無きことなのだが、311 報道をリアルタイムで見てしまった俺たちには、あれより怖いものは何もない。なのでハリウッド映画(――これは英国映画かもしれないが、とにかく世界中の人が無条件に見るという意味での「ハリウッド映画」――)の多くを占めるパニックやサスペンスに俺は完全にしらけてしまっている。そういうものを目にするたびに「悪いけどもう世界は変わってしまってるので…」と思う。

 また、去年から「Radioactive(放射能汚染)」という核戦争後の崩壊した近未来を歌う古くさい SF 的テーマの歌が流行ってるのだが、実際にレディオアクティブな地域に何万人もの人たちが住まざるを得ない世界でこの歌を歌うバンドの自然保護団体的な意識の高さや、解決の道さえ見えないテロと人種対立の時代にこんなのんきな反戦歌がヒットしちゃう欧米ポップカルチャーにも鈍感さを感じてしまう。もう世界は変わってしまってるので。俺が考え過ぎなのかな。

 =======================
■15/02/17(火) □ 春の庭仕事
 =======================

すごいぽかぽか天気だ。今日は外仕事をしようと、もう倒れるのは時間の問題だったバックフェンスを一念発起して板材で直した。傾いていた柱もまっすぐにしてつっかい棒を両側に添えた。よし。見た目は悪いがこれでうちのフェンスはあと数年持つ。持たせてみせる。フェンスを直していると隣のおじさんが芝刈りを始めた。「こんな早くから芝刈りなんて記憶にないよ!」。春だなあ。

 作業中聴いてたバンクーバーの FM 104.3 がなんか選曲が変わったぞと調べると、70~80 年代に育ったユーたちへと方針が変わったらしい。前からあるクラシックロック局はプリンスすらかけない真のオヤジ向けだったので若干若返りと言えなくもないが、若干だなー。90 年代まで広げりゃいいじゃん。というか年代やジャンルを限定なんてせず、いい音楽をかけてくれればいいんだよ。それができないから限定してるんだろう。

=======================
■15/02/18(水) □ 中島みゆき的イメージ
 =======================

 【マッサン】戦争が激化し、特高にハラスメントを受ける政春夫妻というつらい週。エリーを日本に連れてきたのがいかんかったと政春は後悔する。自分が連れてきたばっかりにという政春の気持ちはわかる。だけどエリーは「新しい大好きをマッサンと探したい」と故郷を離れ、行く先々でそれを見つけてきているんだから、何が起きてももう誰のせいでもないよ。

 エリーという人の描き込みがイマイチ足りない(ですよね)のは、実のところリタさんの人生がどういうものだったのか、作者にはよくわからないからじゃないかな。俺も評伝等は読んでないけれどあの笑顔のない写真群を見ると、彼女は何を感じてるのかなと不思議に思う。幸せだったのかなと思ってしまう陰がある。


しかし「大好きな人々、大好きな明け暮れ」という主題歌の2番を聞いた時には、中島みゆきにはリタさんの人生が見えているのかと驚いた。国を捨て幸せだったのか、後悔があったのかなんてわからない。しかし母国に残してきたそれらに恋い焦がれないわけがない。それでも「新しい大好きをあなたを探したい」というリタさんの気持ちを、中島みゆきはピンで留めるように見事に書き表している。リタさんもシャーロットさんも俺もそうなんだよ。国を出たあらゆる人の気持ちをこの歌は、狂いなく射抜いている。

 竹鶴さんも政春もそれを知っているから、人生かけてパートナーを幸せにしたいと狂わしいほどに思う。「みんなエリーのおかげなんじゃ」という政春の言葉は実際的なエリーの内助の功を言ってるわけではなくて、そこまでしてわしを思ってくれる君がいたから生きてこれたということでしょう。

 君がいなくなればわしの火は消える。工場は止まり樽は割れ、すべては地面に流れ消えていく。あなたから離れたら私の庭の花は枯れる。窓は割れ水差しの水は蒸発し、空に消える。「マッサン」はそういう愛の物語なのだと思う。シャーロットさんと玉鉄のおかげで、脚本に書かれていないところまで中島みゆき的にイメージできる。

 =======================
■15/02/19(木) □ 闘士のエリー
 =======================

 【マッサン】エリーが特高に連行される。はあ。シャーロットさんの朗報(ブロードウェイで主演)が本日発表されたのは、特高によるエリーと政春への理不尽な仕打ちに耐えられん弱き私たちのスピリットを、あらかじめ少し上げておこうかなー的な希望のともしびだったのだろうか。はあ。

 いつもは家族のことでポロポロと、指でつついただけで泣いてしまうエリーなのに、今日は泣かなかった。わしも連れて行けと特高に食って掛かる政春の背中で、家族のために立ち向かう泣かない闘士に切り替わっていた。「私は亀山エリーです! この国に愛する夫と娘がいます!」。すごい。ため息。

 =======================
■15/02/24(火) □ ヘドバンギャー
 =======================

 こないだカレッジバンド合戦を見てロック気分が高揚した萌が帰りの車でベイビーメタルをかけたんだけど、最後に女の子が「ヘドバンギャーッ!!」と叫ぶのがおかしくて、家につき車を止めてからゲラゲラ笑った。なんだそれ。すばらしい。ヘドバンギャーッ(笑)。

 萌はいつも車で俺にアークティックモンキーズを聴かせる。カッコいいけど自分から聞こうとは思わないというくらいの感想なんだけど、今朝親子沈黙の車内でまたこれを聞かされ、「このバンドってヘドバンギャーだよね。ダークなヘドバンギャー。私にはダークにヘドバンギャーな青春はなかったからな。ただのバカで」と話した。

 歌詞は読んだことがないんだけど、アークティックモンキーズの音は硬く無愛想で、彼らが練習する狭いスタジオに入っていって迷惑そうな視線を受けながら聞いてるような感じ。その居心地悪さに打ち克つほどの快感は俺に湧いてこない。お呼びでない? こりゃまた失礼しましたヘドバンギャーって感じ。



 萌が「自分のパッションを語る」という学校の課題で作った『私のパッション:写真とビデオ』というビデオクリップが素晴らしい。学校から帰るバスから見える風景や友だちと行ったバンクーバーの映像を、流れるように美しくまとめている。フランス語科なので何を言ってるかぜんぜんわからんけれども、きっと言ってることも情熱的なんでしょう。ヘドバンギャー。

 私のオリンパス・マイクロフォーサーズを持って本人は映像に収まっているけれど、実は彼女はこの映像を全部 iPod で撮っている。iPod だけで写真とビデオと編集ができてしまうんだからすごいよね。いまどきの子供は、その気になればこんなクオリティのものを作れてしまうのだ。

2015/03/01

日記「洋ゲーの底力」

「バットマンすばらしい :-)」「洋ゲーの緊張感」「Gamejunk はカナダ人だった」

 =======================
■15/01/24(土) □ バットマンすばらしい :-)
 =======================

RPG「キングダムズオブアマラー」は一時休止して、うちの Xbox ゲーム 50 本詰め合わせに入っていた中で評価が非常に高いアクションアドベンチャー、「バットマン・アーカムシティ」を開始した。キャラクターものかとややバカにして始めたらもう笑ってしまうほど面白い。建物から建物へヒュンヒュン跳びスパスパ登っていく。アマラーで満たされなかった高いところへ登るデザイヤーが存分に満たされていく。

 ザコ敵すらサクサク倒せずバトルに苦労しているが、劇場的なゲーム性とやれることの多彩さが素晴らしい。けむり玉を地面に叩きつけ、ケムに巻かれて怒号を上げる敵を音もなく急襲して倒すミッションには楽しくてゾクゾクさせられた。着地する地点がわからずこれを10回も失敗したのだが、操作感がよく楽しいのでちっとも苦にならない。死ぬたびに敵のハーレイクインにけたたましい声でキャハハハ Stupid bat! と侮辱されるのも腹が立たない。というかむしろ気持ちいい :-)。

 というわけで最高に面白いのだが、奥様にこれやる? と尋ねると「バットマン? あなたバットマンのゲームやってるの!?」と大笑いされてしまった。いや俺も最初はそう思ったよ。だけどよくできてるんだよ。今回 Xbox と共にうちにきたゲームではおそらくこれが、謎解きとバトルの組み合わせで最もゼルダに近い面白さがあるな。



ハーレイクインに罵られながら改めて思うのだが、Xbox ゲームの男キャラはどうでもいいが、女性キャラは魅惑的だな。俺はアメコミ絵より日本アニメの絵のほうがずっと好きなのだが、ゲームキャラでは FF 等の口半開きイノセント女性より米ゲームの気が強く攻撃的な女性のほうがずっと魅力的、魅惑的に感じる。3D でくりくり動くゆえに、女性の身体のボンキュッボンや動きの柔らかさが強調されるからだろう。ロック歌詞に出てくる「俺を惑わす女」っていうフレーズがぴったりくる。こういう女に振り回されたいというアメリカ男の夢を正直に包み隠さず表現している。というか俺も同類です、包み隠さず書くと。

 奥様もこういうふうに歩いたらどうだろうかと提案すると、ガリガリに痩せてハイヒールを履かないとこうはならないのよ、どっちもやる気なしと却下された。

    ----------------------
 Xbox 360 本体の言語を日本語にするとバットマン、Forza 4 などは日本語版になるのだと判明した。言語選択がユーザーごとじゃなくコンソール一括なのがそもそも洋ゲーアホ UI としか言いようがないのだが(子供は英語でも親は別言語という家庭はカナダ中に…まあ親はゲームせんのか普通)、この柔軟さはすごい。さすが安い汎用 PC で動く Windows の会社が作ったゲーム機という感じがする。

 そういえばうちに住んでた頃甥 MK が初代 Xbox を買ってきて改造し、TV の HDD レコーダに仕立て上げたことがあった。「この値段でこのグラフィック性能の PC は絶対に買えないから最強、バンバン作って売る」とかマッサンみたいなこと言って。しかし当然改造の手間に見合うわけなく頓挫してたが。

 =======================
■15/01/31(土) □ 洋ゲーの緊張感
 =======================

 週末バットマン・アーカムシティを再開。最高に面白いが緊張して少しずつしか進められない。意外に雑魚が強く囲まれるとヤバイという緊張もあるが、自由度の高さに緊張している。自由であるがゆえに、何かを見落として進んでるのではないかという不安が常にある。ここが和ゲームと違う。

 たとえば今ハーレイクインがたてこもる工場内のあるモノは全部破壊することができる。ゼルダならその1つ1つに役割があって、たとえば《2つ爆弾がある→爆弾で突破するトリックが2つある》という暗黙の了解があり、それがヒントにもなっている。それが済めばその部屋・エリアでの仕事が完了する。しかしより現実に近くお約束の少ないバットマンでは、謎解きに使うモノもあればただ壊れるだけのモノもある。先に進むだけならそのモノをまったく使わなくてもいい場合もある。あるステージから次へといつどう先に進むかは、プレイヤーの裁量に委ねられているわけである。

 進むべき道が整備されている和ゲーしかやったことがない俺は、この自由度に戸惑い「これで進んで…いいの? さっきのアイテムやドアはチェックしなくていいの? なんか見落としてんじゃない?」と常時後ろ髪を引かれてるわけである。いやほんと面白いなこの違い。




 プレイに慣れてゲームの作りはわかってきた。最初のうちは建造物は膨大にあるし、街中どこからでも乱闘が起き助けてくれという男の声が聞こえてくるのでどこから手を付ければいいのかと戸惑ったが、とりあえずメインストーリーだけ追っていればいい。助けてと喚いてる奴を助けるのはドラクエでスライムを倒すのに等しい経験値稼ぎなので、やりたいときに適当にやればいい。他のサブミッションも同様。こうしてオープンワールドゲームの遊び方に俺は少しずつ慣れていく。


 メインストーリーを追っていると話がどんどんとつながり、バトルの舞台となる大型建物へと誘導されていく。ボス敵がいるその建物をラジオその他の様々な手段で探し出し、忍び込み戦うというのがメインゲーム。で映画に出てくる悪役らしきボス敵を倒すと次の建物へのヒントや新しい武器が手に入る。ストーリーはさすが、見事によくできた活劇で面白い。

 大きな建物はちゃんと攻略法にアイデアを注ぎ込んだダンジョンになっている。最初は謎解きもヒントが明白だったのだがだんだん高度になってきた。ゼルダほどの規模ではないけれど、どうやってこのドアを開けるんだと悩まされるのは同じように楽しい。どう敵を倒すかも同様にいつも考えさせられる。

 話がところどころダークでグロく、絵は写実的であるがゆえに情報過多で見にくく、そして多彩なことができ敵が強いのでゲームの難度は高い。なのでMにプレイしてもらうのは実際無理なのだが、アクションと謎解きはゼルダに引けをとらないくらい面白い。

 =======================
■15/02/01(日) □ 洋ゲーの底力
 =======================

 【バットマン AC】いやー最高。精密に作られた地下鉄廃坑や博物館廃虚の 3D モデルを、ガラスの質感までよくできてるなあと隅々まで鑑賞して歩いて行く。ゲーム的には単なるバトルの舞台なのだが実に細部まで作り込まれている。いい加減にやめて寝ろと奥様にも娘にも叱られた。楽しい。洋ゲー作法にも慣れてきて、すべての仕掛けを解けずとも「まあいいか、ここまで」と自己判断で進めるようになってきた。

 ゼルダのようなアイデアの集積ゲームは日本ならではのものなのだろうと俺は思っていたけれど、やっぱそんなことないすね。解けたら快感のパズルステージをこつこつ作り上げることは、日本の専売工芸品ではなかった。パズル性はそれがスペシャリティであるゼルダのほうが当然上ではあるけれど、アクションの多彩さと画面の緻密なモデリングを総合するとこっちも互角に面白い。これはアクションゲームの東西横綱クラスなんではないだろうか。俺が人生これまでやったゲームの中でも指折りである。ゲームは進化したなあと、SEGA メガドライブから Playstation に買い替えたとき以来の感慨を覚える。

 Xbox 導入前にやれるゲームを調べると戦争や犯罪ものばかりなので、「単にハリウッドのアクション映画がゲームになっている、俺はゲームならではのものがやりたいのに」と批判的に感じたのだが、このバットマンはアクション映画をゲームでなければ体験できない楽しさに見事に変換している。「オブリビオン」(とその後継スカイリムの映像)には恐れ入らないが、これには恐れ入ったな。日本のゲームメーカーもこれには圧倒されたことだろう。




ストーリーのあるゲームはまだ「アマラー」とバットマンしかやってないが、洋ゲーの底力は映画産業に裏打ちされていると感じる。王道感と意外性が程よくブレンドされたプロット、ハードボイルドでキレのある台詞と演出、そして映像と声による痛快な演技。キャラと声優による悪役の芝居がとにかくうまい。

 バットマン AC のボス敵はみな映画や TV に出てきた敵役だそうだが、明らかにその映画での喋りや動きがモデルとして使われている。ゲームの発売元はワーナーなので、バットマンやジョーカーの声は実際の映画の役者なんだろう。日本メーカーの 3D モデルの大本になっているのは一般モデルだろうし、声も一般的なアニメボイスなわけだから、映画産業をバックボーンにした洋ゲーはリソースの潤沢さがケタ違いなのだ。和ゲーがこれに対抗していくのは容易ではないな。うーむ。



 アマラーでゲームキャラたちが喋る長い英台詞は非常に聞き取りにくいのだが、バットマンは聞き取れる。それは主人公のバットマンが喋り、会話形式になるからだと気がついた。

【悪役】とうとうやってきたなコウモリめ!
【バットマン】会いたかったわけではないがな。
【悪役】ここがお前の死に場所だ!
【バットマン】まあ今にわかる。

 といった会話の簡潔なリズムで内容がきれいに入ってくる。RPG の場合普通主人公は喋らないので会話形式にできない。名前もプレイヤーによりマチマチなのでセリフに使えない。なので固有名詞がやたら多いアマラーでは、

【悪役】とうとうやってきたな死にゆく者よ。このリレランロレラリレの釜の底がお前の死に場所だ。アマキサナサッレセンソンゴにでも祈ったらどうだ死にゆく者よ。ムジェカカウスネインンギトへ落ちるか。それともおとなしくキィスネフフスケンシカを手渡すのか、あァ死にゆく者よ!
【俺】はい/いいえ


 みたいなテンポのクソ悪さと用語の聞き取れなさで理解を阻害するわけである :-)。

 =======================
■15/02/13(金) □ Gamejunk はカナダ人だった
 =======================




今年の BC は記憶にないくらいの暖冬だった。氷点下になったのは1週間かそこらだったと思う。もう花が咲いてるし晴れた日は外でシーツを干せちゃって、ありがたくて仕方がない。ごめんね the rest of カナダ。

    ----------------------
 例のゲームポッドキャスト gamejunk を、俺は毎日聴いている。この3人はトロントのカナダ人だと判明。会話に「子供の頃カナディアンタイヤマネー(カナダ最大のディスカウントスーパーの商品券)でゲームを買った」と出てきてわかった(笑)。道理でだよ。俺に大量のゲーム付き Xbox を超安く売ってくれた地元プログラマー氏と同じ、物腰やわらかな感じがするよ。

 カナダで TV やラジオを見聞きしても俺はさして面白く感じないんだけど(そりゃ威張れることじゃないですが)、これは面白くて仕方がない。日本語の趣味系ポッドキャストを聞いてるのとまったく同様に気持ちが相通ずるのに加え、日カの文化差も当然感じられて非常に面白い。

 やっぱり TV ラジオでやってるのはメインストリームで、ポッドキャストはサブカルで、後者のほうがずっと万国共通度・共振度が高いんだろうな。この番組で3人のゲーム話を聞いてると、俺はいい国に住んでるんだなあと改めて思うのであった。こんなところでそれを実感してたら知人友人が怒ると思うが。

 【赤毛のアン】高校卒業式の回。小さなアンがマシューと馬車で来た道を、アンとマリラとマシューがグリーンゲイブルズへ向かっていく。ああ終わりに近づいてるんだなあと寂しい。「花子とアン」と同時期に始まって、「マッサン」と同時期に終わりを迎えるのか。このアニメを英語音声でカナダで放送すれよ CBC!