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■15/02/25(水) □ ダークソウルにトライ
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かつてポッドキャスト「狭くて浅いやつら」で心が折れると評された(中ノ浦さんのヘボプレイ回顧が実に面白かった)アクション RPG「ダークソウル」にトライしてみた。ゾンビ的兵たちを剣、突き落とし等で倒すごとに「ソウル」という経験値/通貨が得られるのだが、やられるとその場にソウルが落ちてしまう。再度その場に赴き回収できれば損失はないが、回収前にもう一度やられるとその大事なソウルが消えるという恐ろしいシステムが特徴。
最初のチュートリアルで巨大なボス敵にさっそく倒され、それまで倒した10人のゾンビ分のソウル=経験値がボス部屋に落ちる。こっ、これですね。これを拾えなければこれまでの努力がパーなんですね…。再トライ。うおおおと跳び込んでソウルを拾う→ぶん殴られてまた死ぬを4~5回繰り返す。き、キツイ。
そして何度目かに跳び込むとうまくボス敵の背後にまわれたので、もう覚悟を決めソウルは放置したまま背後からボスを斬る! 斬る斬る斬る! 勝った! ――ひゃーと小走りしソウルを回収。助かった。心臓バクバク。なるほどこの緊張感は面白い。…しかし無理(笑)。こんな難しいゲームは俺にはプレイできません。
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ダークソウルは細密で暗い絵が非常に見にくいし、動きが重すぎる。ボタンを押すたびにぐわっしと振りかぶり、壁に剣をガツガツと無駄に当てながら戦う感じ。だいたい刀を振るのが人指し指トリガーだというのがフィジカル的につらい。人間は人指し指を引くという動作をそんなに瞬時に繰り返し実行できないのである。どうしても体に染み付いた A ボタンか X ボタンを押してしまう。ここをオプションで変えられるだけでも操作ストレスは減るのだが、できない。これが「アマラー」に近いくらいの操作性と絵だったらやれるけれどなあ。
逆にアマラーにこの緊張感と、「この先はどうなってるんだ…」という探索感のあるダンジョンや建物があればベストだなとも言える。アマラーは景色とクエストに飽きて一時中止したのち、新たな地方を発見ししばらくその風物を楽しんだのだが、その地方の新鮮さが薄れるとやはり「クエスト式は単調である」という同じ感想に戻り再中止しているのである。
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■15/02/26(木) □ ダークソウルの魔力
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【ダークソウル】この超難度ゲームには不思議な魅力がやはりあって、無理と思いつつまた起動してしまった。2番めのエリアの墓場で異常に強い骸骨たちにやられまくり、やっぱりやめようこんなゲームと思いつつ逆方向をためしに探索してみたら城があり、こっちは敵がゾンビなので十分に倒せる。でしばらく行くと篝火(かがり火、セーブ&回復ポイント)があった。助かった。うーむ、進められるとやっぱり面白いなあ。
しかしあんな骸骨ザコ(あとでこいつらはゲーム内でも相当に強い敵なのだと判明)に何十回も殺されるんだから、ボス戦なんか考えただけで鬱だ。いずれ挫折することが明白なのにこんな難しいゲームに努力と時間を傾注するというのが考えるだけで鬱だ。どうしよう。やめたい。しかし面白い。「ヤメた面白い」というこれまで経験のないゲーム感情を味わっている。
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この第3のエリア「城下不死街」の篝火がレベル上げ用にちょうどよく配置されていたので6匹殺してはセーブとやって5レベルも上げた上で次に進んだが、次の篝火がどこまで行っても見つからない。ゾンビ兵どもと必死に戦いながらあちこち探すが、どこにも見つからない。あと2発打たれたら回復もできず死ぬというところで決死の逆戻り。ハアハア。どうなってるんだこの城は。
これは独力では無理だと攻略サイトの地図を見てみると(このゲームはマップがないのである!)、次のセーブポイントらしきものはこのエリアにはない。となるとボス敵のいるっぽいあの光った部屋に進まねばならないのだろう。ボスになど勝てるわけがない。無理だ。やめたい。しかしヤメた面白くてやめられない。
このゲームの面白さは雑魚の賢さと地形にある。普通どんなゲームでも雑魚はエリア限定で、その場を通り過ぎれば戦わずして避けられる。俺は回復薬を温存してボス戦まで進みたいので戦いを避け走るのだが、このゲームでは雑魚が遠路はるばる追ってくるのだ。ちょっと走る速度を落とし前方の様子を伺っていると、いつの間にか追いついてきたゾンビ兵に後ろからハァッと斬りつけられる。これがさすがゾンビ兵たちでゾンビ的に怖い。その音で前方からもゾンビ兵たちが殺到してガッチョンガッチョンと俺を斬りつけるので、やられるときは凄惨としか言いようがない(笑)。
避けても追い付いてくるので雑魚をコツコツと倒していくと、ボス敵に行く頃には回復薬が心細くなってくる。だが仕方がない、ちょっと見るだけ見てみようと「城下不死街」の巨大ボス・牛頭のデーモンに挑む。―――ドカスカバキポキと一瞬でやられた。こんなの無理に決まってるじゃん(泣)。
5回ほど挑み、攻略サイトを読み情報を得てさらに10回ほど挑み、数太刀かろうじて浴びせられただけで、諦めた。強いというかヒドイ(笑)。最後に萌を呼び、「これが有名なダークソウルである」と俺の死に様を見せる。「オーマイゴッド! ひどい」。そうなんだよ。ここまでとするよ。やっぱり俺には無理だこのゲームは。ここまでとしよう。
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■15/02/27(金) □ エリーの大立ち回り
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【マッサン】エマが一馬に恋をするのは早すぎると、エリーが日記まで盗み読んで阻止するという奇妙な週が終わる。これだけエリーにそぐわぬ大立ち回りをやらせて、「戦争で恋人をなくしたトラウマを娘に味あわせたくないからでしたー」なんていう誰もが想像する陳腐なオチじゃ済まんぞとツイッター民皆で心配してたのだが、まったくその通りになってしまった。やれやれ。
「私より先に死なないで」なんて、あのときエリーは言ってなかったじゃん。自分より前に恋人がいたことには問題ないが、そのことと自分への思いをリンクしてこういうセリフを言われたら、ニブい政春でもなんやねんその言外にあるナニカはと不自然さに気づくだろう。俺の記憶に残っているあの美しいプロポーズシーンには当然こんなセリフはない。美しい思い出に後から甘味料と醸造アルコールがブレンドされてしまったような、そういう感じである。
このセリフを収録しておき、こうして後からジャーンどうです感動でしょうと見せるために隠しておいたのだから、作者と演出は見る側の気持ちを読み違っている上に趣味が悪い(笑)。これまでもそういうエピソードは多々あったけどね。
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これに比べて同時進行のアニメ「赤毛のアン」はなんと自然で素晴らしいことか。もうここんとこ毎週嗚咽をこらえるので頭が痛くなってしまう。カナダの子供がハリーポッターとかばかり読んでこの物語を読まないのは不幸なことだ。これを買ってきて英語版を作らないカナダ国営放送はどうかしている。
あの「エイブリー奨学金を取ったのは…」の感動のセリフはマシューがなんて言ったのだろうと気になって検索してみると、「It was a girl - my girl that I'm proud of」だった。これを「女の子さ。わしの自慢の女の子だよ。わしの娘さ」としたのは名訳である。My girl と言ったマシューの心には間違いなく、「わしの娘」という気持ちがこもっている。泣ける。これを訳したのは村岡花子なんだろう。そこをやれ「花子とアン」! という。
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りかぞう(‘jjj’)
思い出すとまた涙が…マシュウ・カスバート…
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サカタ@カナダ
おおマシュー。マシュウ・カスバート…。マリラはなぜ兄やアンをフルネームで呼ぶのであろうか。うちの奥様もそういえば私や娘をよくフルネームで呼ぶな。どういう心持ちなんだ…わからない…。
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たけ
横入り失礼。喩えて言うと、愛称呼びが親密な顔アップサイズの写真だとして、フルネーム呼びは、フルショットやウエストサイズの写真に似ていると感じますね。相手への敬愛感(英語で何というのか…以前サカタさんがツイートしていたが…)が感じられる。
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サカタ@カナダ
そうか…マシュウ、マシュウ・カスバートと呼ぶことによってマリラは、マシュウの全存在の輪郭をグリーンゲイブルズに刻みつけていたんだ。君の名を呼ぶ、アイコール・ユアネーム。…こんな完璧な答えが返ってくるなんて…たけたけ子供相談室スゴイ。
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tenko_TV
わたしも横入り失礼します…ドラマ「デート」で谷口巧が時折、依子さんのいない所で「彼女は藪下依子だぞ?」とか「来やがったな藪下依子!」とフルネーム呼びするのがなんか好きでw たけさんの仰る通り敬愛が感じられるんですよね。
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サカタ@カナダ
なるほど。たけてん横から子供電話相談室すごいw
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■15/02/28(土) □ ダークソウルにはまったらしい
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【ダークソウル】ここまでとしようとか言いつつ攻略サイトで攻撃法を調べ、3日かけてついに最初のボス・牛頭のデーモンを倒した。や、やった。牛頭への攻撃方法は察しがついたのだが、やってみると剣が当たらず、当てるためにはもう一手間(相手の姿勢の見極め)が必要で、それは俺は自力では見つけられなかっただろう。そこが惜しい。
しかし牛頭のデーモンを倒してもまだ次のセーブポイントがない。攻略サイトでセーブポイントの位置を確認し、またトライ。雑魚にまた3度やられ、4度目についに篝火を発見しセーブ。いやはや。ドラクエ2でさ迷ったロンダルキア以来のツラさだな。
難易度が高すぎ操作視認性が悪すぎることを筆頭にやめたい理由は山ほどあるのだが、このヤメた面白さからはもう逃れられない気がしてきた。少なくともこれをやってしまった後では、セリフに書かれた物語にしか冒険がないアマラー(オブリビオン、スカイリムも同様だろう)をやる気は湧いてこないな。ダークソウルには本当の冒険がある。というかそれしかない(笑)。物語など何もない。
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次は教会らしき場所。ここも敵が強いわ。というかどこも敵が強い。それが敵の HP と攻撃力を上げて強くしているのではなく、少しずつ賢くなってきているのがえらい。この教会の敵は俺が打ち込んだらそれを跳ね除けようと構えている。これまでと違う。人間と AI の知恵比べをさせてくれる。楽しい。
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■15/03/02(月) □ マリラとエリー
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【マッサン】工場の一馬に召集令状が来る。みな空元気の自転車操業でペダルをぐるぐる回しどうにか哀しみで崩れ落ちるのを我慢して進もうとしているのに、エマだけがみんな欺瞞だわヘドバンギャーと泣きわめき、あまりに現代(の TV)的で共感しにくい。「オールドラングサイン」をここで歌うのも合わせ、先週今週はエマとエリーのチューニングが大幅にずれている感じ。
エマの育てられ方は実際なにも描かれてないのだが、エリーは日本社会において文化国籍にとらわれないグローバルな常識人として愛されてきたわけで、その娘のエマのこのエキセントリックさは戦争前から違和感がある。まあ学校や勤労奉仕でガイジンの娘と心が傷めつけられた反動や、極限状態での動転もあってこうなってしまってるという設定なのはわかるが、熊さんらの忍ぶ心の忍びがたさを浮き上がらせるための作劇上の対比物とされてる感が強すぎ、ただ痛い。
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アニメ「赤毛のアン」のマリラを見るたびに俺は昔の人の考え方の質実さ厳格さ厳粛さを感じそれだけである種胸を打たれるのだけれど、マッサン一家はまったくその同時代人らしくない。ただ割れ物のごとくエマを大切にするマッサンとエリーは、現代の(凡庸な類の)日本ドラマの人物としか感じられない。髪を緑に染めてしまったと絶望に沈むアンを半笑いしつつちゃんとケアして、アンが自力で浮き上がってくるのを支えたマリラのドライな暖かさとはぜんぜん違うのである。現代英国系カナダのお母さんであるうちのMを見ても、エリーよりはマリラのほうに近い。
母となって以降のエリーに俺は魅力を感じられないな。マリラみたいだったら若い頃とキャラが違ってしまいすぎるが、しかしあの時代の英国系女性が持っていたであろう謹厳さをエリーにも見たかったなと、終わりが近づいてきたこの長いドラマを振り返って思う。ツイッターのシャーロットさんに宛てても、書くことなど何も思いつかなくなってしまった。ただ今後に幸多かれと願うのみ。