2018/08/26

2018年日本旅行記⑤トモサカタ来日記念ライブ「無想の華」

「江戸東京たてもの園と東京メモリードライブ」「ゲストルームのフォトセッション」「アイラブユーぼくらの家主さん」ほか。

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■18/07/24(火) □ 来日ライブ前々夜祭
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 ハチスカ家二日目の朝。萌はまだ寝ている。ハチの家は美しい。この2階はハンモックを釣った開放的なゲストルームになっており、ハチが暮らす階下はアーティストあるいは研究者の家らしい、落ち着いた雰囲気を漂わせている。



 以前ハチが住んでいた平屋の小さな家はうちの M も一度訪問したことがあり、「まだあの小さな家に住んでるんじゃない? ハチはナチュラリストだからエアコンもないだろうし(偏見がすごい・笑)。もしそういう過酷な環境だったらあなただけ泊まって、萌はエアコンの効くホテルに泊めてちょうだい」と俺は命じられていたのだが、広々として予想外に快適なところだった。エアコンも完備です。はは。



 「サカタが来てると思ったら会いたくてさ」と昨夜突如やってきてくれた警備員時代のボス HB(社員の彼がバイトの俺たちの待遇とか見てくれた) に、地元東村山を案内してもらう。俺が自転車で何度も走った懐かしい多摩湖や八国山を見せてもらった。

ここはトトロの舞台になった里で、八国山とはトトロのお母さんの療養所があった七国山のことである。あの療養所は大きな市民病院になっていた。

 暑くてあちこちゆっくりと見ては回れなかったが、ゆるやかにアップダウンする狭山丘陵の起伏にはたしかにトトロのお山フィーリングがある。サツキ家の引っ越しトラックは、あの山際のガタゴト道をアップダウンで走ってたのだろう。


 水が多く、遠くにうっすらと観覧車が見え、菖蒲園の林の中を小さな電車が通り抜けていって、狭山丘陵は実際ファンタジックな里である。

 お昼に調理パンとアイスを大量に買ってもらって(HB はいまだに俺のボスみたいな気持ちなのか、まるで子供のように食べ物をおごってくれる・笑)、ハチ家に送り届けてもらった。ありがとう HB。

 ◇  ◇  ◇

 いったん家に戻り休息。昨日この家にきたとき、WiFi がないことに萌は青ざめた。ハチは「ネットの信号は来てるんだけど、いっぺん線を抜いたら配線がわからなくなって、1年以上使ってない」という。マジですか。俺は機材の型番から配線図をスマホで検索して見つけて、晩飯前につなぎましたよ。ゆく先々で俺はネットを直している。



俺が配線をいじっていた夕方ハチたちは家でバンド練習をやっていて、その静かなアコースティック演奏がずっと聞こえていた。このハチと N さんの「クルニッケ」の映像を見たときはハチ’s ブルーズバンド時代とだいぶ違うなと感じたのだが、ハチの生声を聞くと昔と変わりない気もした。違うところも同じところもあるのか、当たり前か。

家に入ってきちゃった小さなクモを観察する歌詞は夏の森を歌った「サマーフィーリング」から続いているし、語尾だけくいっと上がるメロディは、ハチがよく一人で弾き語りをしていた「ハードレイン」と同じハチスカ節だ。とてもいい。



 晩飯はドラマー・テラたちがきて、宅急便で送っておいたうちの母さんの特製チャーシューパーティとなる。紅茶で煮て下味をつけるというこのチャーシューは実家でも AD たちと食べまくったが、脂がさっぱりしていつつ旨味全開で、たまらなくうまい。いやーうまいなあ、トモのお母さんを思い出すなあとハチもテラも HB も信州訪問時の思い出を語る。俺は LINE で母さんにこの宴の様子を送って知らせる。みんな喜んで食べてますよー。



来る予定はなかった戸田と森田さんも結局遠くから来てくれ、楽器を弾いて歌って盛り上がる。明日もこの同じメンバーでスタジオに入ってリハーサルし、あさってはこのメンバーで本番なので、三夜連続ですわ。はは。サカタ来日記念ライブの前々夜祭だ。

 萌はハチや戸田が歌い出すとワオと驚く。ボーカリストの声を生で聞くとすごいよね。隣の家にはおばあさんが暮らしてるそうなので、安眠を妨げぬようにと音は早めに止め、夜は更けていく。

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■18/07/25(水) □ 江戸東京たてもの園と東京メモリードライブ
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 今日はハチの軽バンを借りて江戸東京たてもの園ヘ。俺も日本でずっと乗ってた軽バンの懐かしいガタゴトした乗り味を楽しみつつ住宅地から青梅街道に出ると、この軽バンが速くて笑った。なんだこれ! ターボついてんじゃん! あとでハチにそういうと、そうなんだよ、いいんだよあれと自慢してた。理想の乗り物だなこれは。

 五日市街道に入っていくと土地勘も蘇り、吉祥寺に住んでた頃から四半世紀が経っていることが嘘みたいな日常感がある。



 【江戸東京たてもの園】一番有名な「せんと千尋の湯屋」はだいぶ拡大解釈で、昭和の銭湯がきれいに移築されているだけであった。宮崎監督が湯屋のモデルにしたそうだが、ディテールの参考にしたというくらいの意味だろう。



「釜爺の部屋」も同様。あの引き出しのディテールだけがモデル。しかしそういう関連付け抜きで、どの建物もきれいで楽しい。湯屋の前のあたりは大正昭和の雰囲気が出ている。もう少し道が狭いともっと雰囲気が出ただろう。



しかし暑さでお客もまばらです。ふー。それぞれの建物で説明をしてるのは地域ボランティアの方々なのかと思うが、熱心さゆえ一つ質問すると説明が長くなる。屋内でもじっと立って長い説明を聞くのはしんどい気温なので、俺たちは言葉少なにサクサクと進んでいった。



そしてハチもピカイチとおすすめしていた前川國男邸がやはりよかった。建物の全ての部分が美と実用性を兼ね備えている。



他の建物の説明はその由緒由来が主になるのだが、ここでは建物各部の設計意図と使用説明書みたいなお話になるので、ガイドおじさんの話も面白い。聞けば聞くだけ感心させられ、その素晴らしさと暑さで写真までボーッとしちゃいました。

今日も熱中症を予感させる暑さだった。飲み物とうちわと早めの休憩でどうにかしのいだ。

日本ではうちわが必須のアイテムで、俺たちは日本滞在中見つけるたびにもらって3種類揃えました。名古屋空港でもらった名古屋→沖縄便の宣伝うちわは沖縄/東京/信州と一緒に旅したので愛着も強い。

 たてもの園は公共の観光施設らしく入園料も安く(場内レストランだけは高い)、いい施設でした。

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たてもの園のあと萌は吉祥寺で単独行動、俺は多摩川を渡って明日のライブで共演するギタリスト戸田康司のギター工房へ向かい、借りるギターを選びスタジオに入るという予定になっている。たてもの園を出て、五日市街道→井の頭通りと吉祥寺へ向かう。めちゃくちゃ懐かしい。「この道はOKO叔父ちゃんとバイクで山に行くときいつも通ったよ」と萌に話す。

 車を止めサンロードを案内し駅の方角を示し、吉祥寺はきっと面白いよ、まめに連絡するよといって萌と別れる。ここから萌は初の日本単独行動なので、夕方ハチ家まで無事帰れるだろうかと本人よりも俺が心配している。スマホ WiFi で連絡はいつでも撮れるし、何度も駅で切符購入をシミュレートしてるから大丈夫なわけだが。

よし。俺はかつて吉祥寺のアパートから警備員として調布関東村廃墟へと通勤していた道をたどって、多摩市の戸田ギター工房へ向かおう。あの頃と同じ軽バンに乗って。

◇  ◇  ◇

 吉祥寺から三鷹を縦に抜け、東八道路に出る。昔は運転免許試験場しかない殺風景な道だったが、商店が増え景色が違う。

人見街道を左へ折れていく。右は野川公園。……もう少し……見えてきた……



あああああ! 草とフェンスがまだある! ほんの少しの空き地と草だけだけど、俺の関東村が残ってるうううううう!

 朝日通りに入ると若者たちが歩く真新しい東京外語大キャンパスになっているが、あの北の一角の雑草とフェンスだけはなぜか変わってなかった。



残っていたのはこの地図の関東村左上の空き地である。まるで俺のために残しておいてくれたかのようだ。

2005年の記事【追憶の調布関東村
(1)関東村最後の日々】
関東村の上半分がいまは東京外語大、事務所と幼稚園(←写真)があったあたりが警察大学になっている。かつて中学高校があったという東の飛び地(俺のときはすでにただの草原)は、味の素スタジアムだ。

俺がこの米軍関東村住居跡廃墟の警備員だった90~94年頃、かつてここで暮らした米兵家族がなつかしんでたまに訪れたものだけれど、俺もまったく同じ気持ちになっていた。


◇  ◇  ◇

 涙で前が見えない状態で朝日町通りを通過。多摩市の戸田の家は初めて行くので関東村から先は Google マップに案内を任せると、甲州街道の渋滞を避け府中競馬場の裏手あたりを抜け、多摩川堤に案内してくれた。なんて気持ちのいい多摩堤通り。なんて最高のドライブだろう。


 信号で止まるたびに、「いま府中」「道混んでる」「ガソリンない」と、今夜スタジオに入るメンバーとグループテキストを交わす。スマホの WiFi 便利だなあ。まるでトランシーバで連絡取り合う子供です。


 是政橋を渡って入る川崎街道は、昔バイクで何度も走った道だ。昔は道沿いに大きな古本屋があった。昔はなかった雪よけのような屋根がなぜだかついている。米軍ゴルフコースの球除けだろうか。

小金井公園からここまでのすべての道が、俺のメモリーレーンだ。想い出の小路、追憶の甲州街道、Highway 20 Revisited。いつかまた走りたいとカナダで Google マップを広げ思い描いていたような、すてきな三多摩ドライブだった。


♪思い描いているんです、思い描いているんだよ

僕が30歳になったときは 自転車に寝袋を縛り付けて
離れた土地から君に手紙を書こう
たんぼのはずれの大きなポストから
釣り道具屋の横の古いポストから
函館の朝市を通り抜けて
ロープウェイの下の赤いポストから
そして僕はとめどなくとめどなく 僕のギターを弾いてるだろう

(軽バンを貸してくれた家主にしてブルースマンのハチの歌)

◇   ◇   ◇

このブリッジの弦の取り付け方とか、普通な
ところが一つもない。すごい。人造人間ギター。
メモリードライブで着いた細い坂道の上の戸田ギター工房は、ワークショップというよりもギター洞窟という感じであった。ヤフオクで古い無銘のアコースティックギターを買っては、ボディの弱いところに良質の板を貼り付けることで共鳴具合を変えるというフランケンシュタイン的魔改造で、ギャンギャン鳴るギターに生まれ変わらせている。どのアコギを弾いてもコードがガツンときて最高に気持ちいい。

写真は撮り忘れたが、改造前の素材ギターがイナバ物置に縦横乱雑にぎっしり詰まってる様子がマネキンの手足みたいで、まさしくマッドサイエンティストの館っぽく猟奇的ですごかった(笑)。

リハが始まる前に、洞窟の中でギターを試しながらいろいろ話す。俺の東京バンド時代最初期のライバルバンドの戸田が、何十年も経てから最後期の友人ハチや森田さんと仲良くなってることの不思議さを笑い合う。

 この不思議を巻き起こしたのは、戸田が長いことやめていた音楽を再開し、歌いだした新しい歌の力だよな。その歌がハチや森田さんを惹きつけたわけだし、俺もその歌「無想の華」を彼と演奏したくて、東京へやってきたわけである。

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 戸田は明日のライブで俺が弾く用の自作エレクトリックギター(むくの木からくり抜いて作っているという信じがたい熟練技)候補を3本ほど選んでくれていたのだが、どうもネックが俺の指にしっくり来ない。俺は普段ローズネックのギブソン系を弾いてるのだが、戸田は黒柿だとかの珍しい木材を使いオリジナルな音を追求している。そのネックが太く指板が粘り、俺の指がうまくスライドしないのだ。

これも独創的じゃない箇所がないくらいな戸田独創
エレキ。すごい。尖っていて床に置くと倒れる(笑)
その中で一番指になじむやつを選びスタジオに持っていったのだが、木の葉のような形状同様音も独特で、どうも思ったように鳴らせない。コードはガツンといい音で鳴るが、ソロを取ろうとすると音がプツと途切れてしまう感覚がある。

他のメンバーが来るまでギター2本で3曲合わせて、「戸田、これは俺はダメかもしれん」と音を上げた。「俺はコードを弾くから、ソロは戸田が弾いてくれない?」。

 「えっ! それじゃサカタ凱旋帰国というライブの趣旨が…」と戸田は驚く。たしかにそうなんだが、音が伸びない感じでソロが弾けないんだ。オーバードライブを踏めば音は伸びるが、そんなハードロック音でも俺は弾けないし…。

まあドラマー・テラが来てサポートしてくれたら、また音は変わり弾きやすくなるよと戸田は俺を元気づける。そうかもなと待つことにし、その間にもう1曲ギター2本で戸田の古い曲をやってみる。俺がリクエストしたあの頃の曲、「ハリー&ステラ」。これは俺がコードを弾いて戸田が歌いソロを取るという形。そしたらこれがいい。

「――ちょ、戸田! これだ。この音を俺はやりたかったんだよ!」と俺は説明する。戸田の歌とギターを俺が低音とコードで支えつつ、機を見てしゅるっと前に出てソロを取ったりするというこのバランスをイメージしていたのだ。

 すると戸田が「――あ、そうか。俺のギターの音が強すぎるんだ」とギターを交換した。彼がメインで弾いている剛力ギター(ネックが野球のバットくらい太い・笑)は耳も割れよという轟音がするのだが、もう少し抑えた音がするギターに交換し、弾き方も普段より大幅に手数を控え、俺にバッキングを任せる感じに弾く。

 するとこれが効いた。戸田の音量音数が減ると俺も自分にとっての適音量で音を出したり引いたりして、普段どおりに弾ける。他の曲もギター2本のアンサンブルでちょうどいい厚みを持ちバーンと鳴るようになった。いい音だ。これならいける。これならソロも弾けるわ俺 :-)

 これまで弾けなかったのは自分の音がよく聞こえず、無理してデカイ音で弾いてたからだろう。弦のアタック音だけが聞こえてサステインが聞こえず、何を弾いてもイメージ通りの音にならなかったのだ。ギター侍として数々のギター勝負を制してきた戸田は、そこに気づいて自分の方を俺に合わせてくれたのである。さすがだ(笑)。

 ドラムのテラも合流し全曲合わせる。いい。ベースがいないこの2ピースバンドで俺が弾くと決まってイメージした通りの、薄い低音を俺がベベベンと埋めた柔軟で疾走感あるビートが出ている。よし。これは行ける、いけるよと光明が見えたのであった。

俺の長年の相棒ドラマー・テラは、昔よりさらに味が出てうまくなっている。ズンダカダンがズン・ダラッッカ・ダンくらいにきめ細かくなっている。気持ちいい。ハチと森田さんは昔となにも変わりなくエバーグリーンでイイ。明日ハチ森田テラとはハチ's ブルーズバンドの曲をやる段取り。うまくいきそうだ。よし!

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■18/07/26(木) □ トモサカタ来日記念ライブ
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今日は夕方のライブまでこの家でのんびりと待機。ハチとやる曲の音合わせなどする。ハチの歌を萌にも歌ってほしいのだが、恥ずかしがって練習に参加しない。この美しい家の写真などを撮っている。

 昨日は吉祥寺で別れた萌のことを心配し、彼女が夕方ハチ家に帰るまで毎時 WiFi ボイスチャットで連絡してたのだが、連絡するたびに「いま新宿にいる」「え?」「いま渋谷にいる」「え?」と移動していた。吉祥寺をじっくり探索するんじゃなかったのかよ(笑)。

俺の描いた中央線路線図が役に立たず、
「いったいあたしは今どこで何をしてるの」と
そして夕方萌は新宿から国分寺方面ヘ帰りたいのに、途中で電車が長時間止まり、「???」と待ってたら電車が逆戻りを始めるという、『中央線のフリをした総武線中野止まり地獄』にハマって新宿まで戻され、呆れて笑ってたのだそうだ。

――あーそうだ中央線はそれがあるんだよな。中央線の路線図は描いてやったのだが、俺も忘れてた。トーキョー電車システム最悪っていってましたわ。はは、ゴメンゴメン。

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 明日は秋葉原に行きたいと言っているが、そこで何するの? と聞いても萌は答えられない。渋谷も秋葉原も前に行ったじゃんというと、萌は「What else to do in Tokyo(他にトーキョーで何しろっていうのよ)、父さんと違って私はここに友だちだっていないし」という。…ああそうか。そうだよな。ここに住んで友だちがいるんじゃなきゃ、東京ですることなんて特にないよな。こないだ俺自身が「東京の観光実力は低い」と日記に書いたばかりだ。

 萌は昨日も渋谷でまたあの交差点の写真を撮りアイスコーヒーを飲み、特に何をしたわけでもないらしい。結局カナダ人萌にとっての東京観光の意義は、みなが知ってる『あの』シブヤ/アキハバラ/スカイツリーにいるということに高揚し、それが伝わる写真を撮って地元の友だちに見せるという、友だちとのシェアにあるのかもしれない。そして残念ながら他にはないのかもしれない。ここに友だちがいない今のところは。

吉祥寺に住み、ハチたちと自転車に乗って遊び、基地で働きバンドをやってた 20 代後半は俺の青春黄金時代で、それを突然中断してMと暮らすためカナダに渡ったという特殊な人生の分岐をしたせいもあって、俺はあの時代とこの街への愛着が強い。だから吉祥寺散策も昨日の三多摩ドライブも俺にとっては青春リビジテッドでめちゃくちゃ意味があるんだけど、萌には関係ないもんね。

 ゴメン。悪かった。今日のライブが終わったら、俺は残りの日々を萌のために使うよ。秋葉原もスカイツリーもいこう。

◇  ◇  ◇


【トモサカタ来日記念ライブ】


森田さんが、俺の白いキューブ・ギターアンプを持ってきてくれた。長いこと使っていたこのアンプは俺がカナダに行くとき別れ別れになり、以後どこでどうしているのやらと思っていたやつだ。彼のところにあったんだって。

ここで20数年ぶりに会えて、また俺のためにこいつがいい音を出してくれてうれしい。

(この日自分ではこいつの写真を撮り忘れ悔しく思っていた。撮っていてくれた写真家森田さんは楽器野郎の気持ちをわかってくれている。この日の躍動感に満ちたモノクロ写真は森田氏リコーGRのもの。森田氏はハチバンドで超絶スライドギターも披露してくれた)





戸田がセットしてくれた今夜のライブは、俺が客演する戸田とドラマー・テラの2ピースバンド「サイケデリックな太陽」とハチバンドに加え、友だちのバンドが数曲ずつどんどん出るという形式。客席にはかつてのバンドのファンの子も来て、当時のバンドビラを大量に持ってきて「お父さんはすごかったのよ」と萌に見せてくれた。こんなものが出てくるなんてホントすごいな。



 みんなが萌に話しかけてくれる。音楽に乗る萌を見て微笑んでいる。「みんな萌に興味持ってくれてるよね」と彼女に話した。「それは萌が友だちの娘だからというだけじゃなくて、やっぱり何かイントレスティングなものを持っているからじゃない?」。東京に彼女の友だちはいないけれど、しかし一人ぼっちなわけではないと俺は思うのである。ロックTシャツを着て、目にきゅっとライナーを引いてきた萌が、トーキョーのライブハウスに馴染んでいた。気の合う友だちってたくさんいるのさ。今は気づかないだけ。

◇  ◇  ◇

 
「無想の華」サイケデリックな太陽+トモサカタ

 そして俺の来日記念ライブは燃え上がった。俺がやりたかったサイケデリックな太陽・戸田康司「無想の華」の、しなやかで強靭なこのビートよ。この音を出すために、来日したんだぜ。

覚めぬ夢か 今が消えてゆく 言葉は響かぬ
一瞬に壊れて行った 信じるモノの形
無想の華 無想の華
揺れて彷徨う
無想の華 無想の華
咲き乱れて 塗り変えてゆく



曲の後半、戸田がギターを弾くのを止め俺に伴奏を任せ歌い続けた。すごいなと思った。この名ギタリストが俺に音を委ねてる。ステージ上の音を感じながら歌ってる。すごい。すごい歌だ戸田コージ。俺の木の葉ギターも鳴っている。彼の横顔を見ながら俺は、俺のバンド人生のすべてで叩いてくれた生涯のドラマー・テラと共にビートを刻んでいた。たまらないほど気持ちのいい音が、鳴り響いていた。








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■18/07/27(金) □ ゲストルームのフォトセッション
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お疲れ様でした。幸せな夜だった
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ほんとうに。ありがとう。おつかれさま。
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文には出来ない。ホントありがとう
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皆さんお疲れ様!最高に楽しいこの3日間だった。音楽に対するサカタの強い愛情を感じました。
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萌ちゃん、ありがとう! 坂田ファミリーに褒めてもらうと本当に嬉しいよ。昨日は「無想の華」を演奏してる時、バンド全体のリズムがあまりにも気持ち良くて感動してウルっときちゃったんだよ。最高だった!
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あれは素晴らしかった。久々にちょっと遊びに来て、楽しもうってプレイじゃないよね。積年の夢の実現のような、芳醇の4分間。いいものを見せてもらいました。
「無想の華」で実現されたサカタの思想と、それを瞬時に柔らかく受け入れた戸田。あれは夢の演奏だったよ。

今日は観光日。昨夜のライブに対する皆の熱いメッセージと写真をスマホで受け取りつつ、中央線を秋葉原へと降りていく。この「積年の夢の実現」というコメントを訳してやると萌にはその意味が伝わって、ワアアアア…と感動していた。本当にそうだったんだよね。ずっとああしてカッコいい音を出したかったんだ。萌にも聞かせたかったしね。

 俺がバンドで演奏するのを初めて見た萌は、うれしそうに笑いながら見ていた。その様子にやさしい N さんが気づいて、「無想の華」のビデオ最後に撮ってくれていた。

 萌の感想:「一番驚いたのはテラさんだった。他のおじさんたちはロッカーおじさん風なのに、テラさんはやさしく謙虚なビジネスマンみたいに見えて、だけどドラムを叩くとその腕前はインセイン(狂ったようにうまい)!」
「みんな何十年も離れてるのに、集まるとすぐ演奏できるのがすごくいい」
「トモと最後に会ってから3回離婚したっていってた天才ギタリストがすごい(笑)」
「みんなが『どう、お父さんはスゴイでしょ』っていうから、そうかなあって答えた :-)」

 萌は「父さんはこんな弾き方してる」と細かく体を震わせるモノマネをハチに見せていて、それがそっくりだったとハチが笑っていた。みんながいやーと笑い合う、幸せな夜だった。

◇  ◇  ◇




秋葉原はクレイジーな景色の町なので、駅から外に出るだけでけっこうフェスティブな気分になる。今日は涼しくて助かった。デニーズでランチ。小柄でかわいらしいウェイトレスさんが、道で客引きするメイドカフェの人たちよりもアニメのキャラっぽくてさすが秋葉原だと思った。

俺は中古 Android スマホを探していて、カメラがいい機種は予算内では手に入らないのでなんとなくメーカーの好感度でシャープのものと決めて探し、液晶がよく電池が持つというアクオスの2年落ちを手に入れた。うれしくて、「秋葉原に来てもやることないって言ってたけど、やることあったね」と萌と笑う。ミスタードーナツでアイスコーヒー。

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 スカイツリーは、たいしたことなかった(笑)。東京タワーは下から見ると色と形がすごいなと思ったが、スカイツリーは首が痛いなとそれだけであった。東京タワーからの景色がどうということもなかったので、萌もここで上に上がりたいとは言わなかった。周りは雑然とした何もない場所なので、上に上がっても景色は期待できなそうだしね。






しかしここにもジブリストアが。日本中どこへ行ってもジブリストアがある。もはやサンリオとかをしのぎ、日本最大のキャラグッズ産業だろう。そんなに稼いで、映画も作らずジブリはどこへ行くんだろう。資金があるのだろうから、ジブリ美術館はもっと頑張ってほしいと俺は思う。



ここのジブリストアはこれまで見た中でもトップクラスの充実度で、萌はおばあちゃんにもらったお小遣いもふんだんにあるので何か買いたそうだったが、しかしジブリグッズはほんと高い。この手ぬぐいなんか俺もほしいけど、2500 円は払えない。結局萌もじっくりと見はしたけれど、高すぎて買うところまではふんぎりがつかないのであった。残念。旅行者は散財する気満々なんだよ。しかし予算は限られてるのだ。そんなに無理なくしあわせに買わせてほしい。

昨日のライブの疲れで出発が遅かったので、浅草へは行けず帰宅。

はあ。なんか俺は探してた手頃な中古スマホを買えたからいいけど、萌は何も買えずすまんかったねという感じでしょぼんと中央線をまた下っていく。日本は食べ物や日常のものはなんでも安いのに、観光客が買いたいものだけは高いという顕著な傾向がある。


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夜、ハチが鹿肉料理を作ってくれた。鹿ってこんな上品な味がするのかと驚く。ぜんぜんケモノっぽくない。山羊のチーズとかすごい臭いがするから、ああいうものかと想像していた。ハチが作った2種類の自作ソースも相まって実にうまかった。これは山葡萄のソースだったかな。さすがハチスカ野生食材料理店である。

付け合せの揚げナスはおばあちゃんのところからきた信州丸ナスだった。それに気づいて萌がなんだか泣きそうな顔をしていた。すでに懐かしい過ぎた日本の日々。

「おばあちゃんというのは、知識が集積された一冊の辞書みたいなものなんだよ。萌は信州のおばあちゃんちに留学するといいよね」とハチは力説する。しかし萌はもう友だちが住んでいないところにいることに疲れ、ホームシックにかかっているのです :-)

◇  ◇  ◇


 食後ハチはフルサイズの一眼レフを2階に持ってきて、俺たちゲストの宿泊記念写真を撮ってくれた。はははと笑いながらみんながカメラを持って撮り合う。




おお、良い。素晴らしいですよハチスカ写真館。うちはカメラ女子とカメラ親父の親子で奥様はカメラを使わない人なので、父娘が一緒に写ってるいい感じの写真というのは少ないんだけど、旅の終わりのこの東京デイズで一挙に増えた気がする。ライブのときもいろんな人が撮ってくれたしね。



 ハチと萌の撮影風景を撮った私の写真はフォーカスが後ろに抜けちゃったんだけど、そのおかげでニコニコしてる私が窓ガラスに、まるで二人を見守る背後霊のように写っております。

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ハチが写真につけたキャプションがまたよかった。


トモと萌親子、ゲストルームで五日過ごす。部屋はたちまち25年前の、トモの武蔵境の下宿のようになるのだが、リラックスした雰囲気がとてもいい。

萌はどちらかといえば日本語より英語が得意で、あまり喋らないが、とても大事なことを感じとり、それを時々言葉にする。トモはそれをみんなに伝える。みんなそれを待っている。

トモは二つのセンサーを持っているようだ。そのセンサーの感度や指向性が微妙に違うのか、物がとても生き生きと、立体的に見えて来る。

トモを迎えて、昔の友達がライブパーティーを開いた。ギターを弾きまくる、かっこいい父さんを、萌は初めて見て、目がキラキラしていた。トモは遊びで弾いていなかった。バンドのアレンジや、ギターのコンビネイションで、どうしてもやりたいことがあり、そのいくつかを見事にやりとげた。

 やっぱりプロの自然観察家だなあと思う。萌を見ていていい表情を撮ってくれてるし、俺が萌たちカナダの家族と日本の両方からものを見てることも、俺があのライブのためにサウンドをめっちゃ考えていたことも、観察して見て取っていた。



 ハチ家でもライブでもお世話になった N さんも萌をずっと見てくれていて、ライブでは萌のいい映像を撮ってくれたし、いろいろと話してくれプレゼントもくれた。どんな話題になってもそれに該当する写真が出てくる魔法のような iPhone を持っていて、今日のフォトセッションでもこんないい写真を撮ってくれた(左)。萌が撮った N さんの写真もいい。アーティストに iPhone 持たせるといい仕事するわ :-)

 俺が昨日萌に「みんな萌に興味持ってくれてるよね」と言ったのはこういうことで、俺が東京で会う芸術家たちはみなキュリアスな観察眼を持ってるのだと思う。一緒にいて自然にしているだけで、ボリュームを上げなくてもこちらをわかってくれてる感じがする。そういう人たちと萌が触れ合えたのは、まあみんなおじさんおばさんばっかりで同年代がいなくて悪かったけども(笑)、よかったと思うのだよ。

 ここに泊まっているとこうして楽しみが尽きないな。また泊まりたいよ。今度は M も連れてきたいよね。

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■18/07/28(土) □ 雨の井の頭
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 雨が時折ざざっと降る、台風が横を通過中のトーキョー。家主ハチさんはお仕事に行ってるので、どこに何があるのですかと電話をして尋ね、コーヒーをいれました。うまい。これは母さんが持たせてくれた、彼女の好きな苦くないコーヒーだ。すでにいろんなことがなつかしい日本の日々。飛行機が無事飛べば、明日までです。

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今日は台風で、昼飯を買いに行く以外出るのも難しいなと思ったが、雨がやんで空が明るくなったのでこれが最後と外出してきてしまった。モスバーガーうまい :-) 今年は2回モスを食べられたな。

 そしてこないだはゆっくり歩けなかった井の頭へ行こうと吉祥寺まできたら、やはり暴風雨になってしまった。



傘をさして井の頭公園で萌の写真をそそくさと撮って撤収。いやはや。さらば青春を過ごした追憶の、そしてその後どうにも縁のない吉祥寺よ。3年前に一度、今年は三度来たのだが、一度もゆっくりと歩けなかった。まあ次回もあるだろう。いつか俺は一人で来よう。



中野で折返し地獄にはまった萌は、東京のトレインシステムは馬鹿げている、旅行者にわかるわけがないと力説していた。たしかにね :-)

そしてまた国分寺ユニクロで買い物。天候的に観光はダメな日本最終日となってしまいしょぼいサッドデイなのだけど、ユニクロで安くて機能性の高い服を買っていると少し気分が上がる。安い買い物はいい。

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出るときは「空明るいしもう台風は過ぎたのだろう」と思えた西東京エリアだったのに、結局風と豪雨になり、家主さんの車で駅から拾ってもらった。最後まで迷惑かけてすいません。

 夜、これが最後とハチがきのこのパスタを作ってくれた。このために嵐の中を夜勤からいったん戻ってきてくれたのである。これがまたうまかった。こういうきのこパスタは昔もよく作ってくれたな。違ったパスタが混じってるおしゃれさが昔と違う。そしてまたハチは出かけていった。お疲れ様です。

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■18/07/29(日) □ アイラブユーぼくらの家主さん
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 帰国の日。台風が心配で早起きした。出発地名古屋もすでに通過している。大丈夫だ、よし。ハチが出かけていく物音がするので降りていき出勤を見送ったのだが、彼は昔から忘れ物が多い人で、いつもブイーンと出ていっては3分ほどでブイーンと戻り、ハハハと忘れ物を手に取り出直していく。今朝もそうだったですよ。ハハハ。アイラブユーぼくらの家主さん :-)

ハチとドラマー・テラさんはほんとマイダーリンって感じだよなと、起きてきた萌に話しこの写真を見せて笑った。


ロマンス(ハチ&フレンズ, 7/26)

その二人、ハチとテラと今回この歌をやれたのも、実にうれしかった。出不精ギターのアライは来てくれなかったが、やつのフレーズを俺はちゃんとコピーして演奏したのである。この曲のイントロを弾き始めたところで、来るかどうか不明だったベースのタキちゃんが店に入ってきてそのままステージに上がったのも、奇跡のタイミングだった :-)

時間がなくて、戸田との練習で感極まった「ハリー&ステラ」をやれなかったのだけが心残り。

9時、タクシーを呼んで荷物を積み、俺たちも名古屋空港へ向かう。

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新幹線で移動中。いま車窓から熱海の海が一瞬見えて、萌がおーっと盛り上がった。「本州に海あるの?!」。そりゃあるよ、当たり前だろう :-)

俺は買ったばかりの AQUOS でセルフィーを撮る。肌がつるつるに写るぞ :-)

 東京はもう台風が過ぎ去り、暑さが戻る直前の穏やかな日だったのだが、名古屋駅につく頃にはガスがたちこめ雨が車窓を叩く悪天候なのでびっくりした。やっぱり日本も広いというか、1時間でこんな天気が違うところに来ちゃう新幹線はやすぎというか。風もまだ少し吹いている。




 名古屋空港の到着ロビーはただの駅で殺風景極まりないのだが、出発ロビーはちょっとしたモールのように買い物充実(ここにもジブリグッズあり・笑)、デパ地下のように食べ物充実のすばらしい空港だった。こりゃバンクーバーから長野へ帰郷するのに成田経由で行く理由がないなと思うくらい素敵な空港である。まあエアカナダ・ルージュの安い名古屋便はひどく非快適だというのはあるが。

名古屋といえばと味噌カツと鳥飯おにぎりを食べる。うまい。安いし。バンクーバー空港となんと食べ物クオリティが違うのだろう。そのへんで気軽に買い食いするものがなんでもうまい国ジャパンよ。そこのところは本当に素晴らしい。またしばしのお別れだ。


それでは。そろそろ搭乗時間です。ほんとうにいろいろとありがとう、オールザ東京ボーイズ and ガールズ。信州のお母さんと親戚の皆さん。またいつか :-)



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