2023/02/10

【まとめ23年1月後半】さよなら愛しのTabtter(非公式Twitterクライアント全禁止)

「日米旅行サイトの違い」「iPhone初体験」「北米ITナードの感受性」「Twitterは代えの効かないプラットフォーム」「iPhone苦戦」「iPhoneの結論は併用」「ロックンローラー哀しみの1月」ほか





■1月17日                            日米旅行サイトの違い

春に5年ぶりの帰国旅行をできることとなり今ホテル等を手配しているのだが、日本の大手旅行サイトじゃらんでカナダのクレジットカード決済が通らなくなっていて苦戦した。VISAに電話すると、カード住所とじゃらんの登録住所(海外アドレスは入力できない)との違いでVISAのシステムが蹴っているそう。そんな。前回は問題なかったのに。

結局同ホテルを海外旅行サイトBooking.com経由で取った。日本で行く催し物のチケット購入でも同じ決済トラブルが起きた。なんで日本カナダ間のオンライン決済はこんなに不安定になってるのだろう。

そういえば前回帰国時も、新幹線チケットをカナダのクレジットカードで買えなかったことを思い出した。自動券売機で蹴られ、みどりの窓口に焦りつつ並んで、楽しみにしていた駅弁購入時間を損失し空腹で旅したのだった。あれはガッカリだった。日本では現金がないと詰んでしまう。今もきっとそうなんだろう。考えておかないと。

しかし旅行サイトで日米の違いが出るな。細かい情報を読み込みたい日本の旅行者と、さっさと予約を済ませたい即決主義北米トラベラーと。そういえばじゃらんのデザインはひどく読みにくいという海外記事もあった。デザインはたしかにひどいと俺も思う。集まっている日本の旅行者口コミはとても貴重なのだが。

結局じゃらんで情報を得て、予約は煩雑なじゃらんを避けワンクリックでやれるBooking.comでするのが手っ取り早いのは間違いない。こういう齟齬による日本側の機会損失が多そうである。

■1月18日                       iPhone初体験

娘がiPhoneを買い換え、前のiPhone Xが放置されもったいないので触ってみてるのだが、思ったよりAndroidと違うな。使い方がさっぱりわからんw Wi-Fi切るのにこの画面すら自力で出せなかった。

娘に教わりWifiを切ると(この画面を出すのにまさかあんなヒネリ技がいるとは! ゼルダ か!w)、「明日まで切る」とWifi自動再開が通知され、これは賢いなあと思った。夜切ったら当然翌朝オンになってほしいもんね。こういう標準設定のわかってる感はGoogle/Androidより上だ。 

iPhoneのほうがAndroidより使いやすいとは現時点で感じないが、スワイプスクロールの滑らかさに驚いた。すーと流れて超スローな余韻が残る。画面が止まる前から目は文字列を読んでいて、ちょうどいい高さで止まる。このエモーショナルな体感チューニングはすごいと思う。Androidはプラクティカル。




■1月19日                  北米ITナードの感受性

【Twitterクライアント凍結問題:Android編】タブレットで使えなくなったTwitPaneの代わりを探し、「ついーちゃ2」という好アプリを発見した。

Twitterクライアントは日本製に限ると俺は本当に思っていて、今回Androidでも5種類くらい試したがこれだけが抜けて良い。

Twitter公式アプリはTLをずっと下の方まで読み下ると、はるか上方の最新ツイートに戻る方法がない。スクロールバーはないしヘッダータップも効かない。TLごとに十回もスワイプしてトップに戻ることにウンザリし使う気をなくす。テキストサイズもAndroid端末のデフォルトに準拠し変更できないし。

こういうあからさまな不便を直さないのは日本メーカーと違うTwitterやGoogle(最近iPhoneを初めて使ってわかったがAppleも)の企業文化で、北米ITナードの開発者たちは不便を感じる感受性が鈍いんではないかと疑う。俺の友人のLinux開発者にもそういう奴がいる。Linuxのコマンドラインに「xxxx.exe -noxxx -r」みたいに引数付きでコマンドを打ち、いかにもハッカーくさい仕草でアプリを起動していた。それを面倒と感じないから、ショートカットアイコンを作らないのだw

海外アプリは全般に設定項目が少なく、日本製は超多い。細かいところを追求しすぎてデザインがゴチャゴチャするのは日本製品全般の特徴だが(じゃらんのページがまさにそう)、スクロールバーすら置かない海外製品のすっきりした美しさは、画面を延々何十回もスワイプすることを面倒と感じない、ある種の鈍さから来ているところもあるのではないかと思う。


■1月19日

おー日が長くなった。5時でまだ明るい。 


■1月19日                  日本のラジオの記憶

「たまむすび」終了を伊集院のラジオで知った。たまむすびは10年もやってたのか。TBSポッドと知り合ったのは前の前の「ストリーム」からだから、もう20年近くお世話になっている。カナダで毎週聞いている。

廃墟の警備員をやってた90年頃、誰もいないこういう森の中に警備車を止め、買っていったサンドイッチと缶コーヒーを楽しみながらカーラジオを聴き休憩していた。「小沢昭一的こころ」という番組をやっていて、何が面白いのかさっぱりわからなかった。ラジオ好きとなった今ならわかるのかもしれない。

その頃日本で初めての政権交代が起きて、細川内閣だった。それもこの廃墟のラジオで聞いたことを覚えている。政治のことは何も知らなかったが、腐敗した自民党が力をなくすのだから、世の中ここからよくなっていくのかなと漠然と思った。いやはや大間違いだったなあと思う。


■1月20日                          非公式Twitterクライアント全禁止

【Twitterクライアント問題】ついにTwitterから「開発者契約」改定の発表があった。今後サードパーティクライアントは禁止という最悪の決定。

愛するTabtterが戻る見込みがどうやら途絶えたいま、どうなるんだツイッタライフと考えてしまう。別に広告が嫌いだから公式を使わないのではなく、Twitterは現代最大の情報ソースでありながら公式ではできないことが多すぎて、だから多彩な非公式クライアントが生まれ進化し愛されてきたのに。

Tabtterにはキーワードハイライト、振り分け・絞り込み、ネタバレ防止用の一時ミュート、個々のユーザーにつけられるメモやカラー、ボタンひとつでローカルにツイートを保存できるスクラップブックといった独自の機能がある。情報の取捨と収集を効率化してくれている。Twitter公式はその面で何も進歩していない。

収益性を上げたいなら非公式クライアント経由でユーザーが払いたくなるような、ユーザー/クライアント開発者/Twitterの三方一両得な仕組みを作ればいいではないか。ここではTwitterはなんでもやれる統治者なんである。それがいきなりクライアント開発者とそのユーザーの斬り捨てって。ハア :-(

(ハタと気がつき不吉なのでその名を書くこともためらわれるのだが、自分や相互フォロワーの過去ツイ検索ツールとして超役立ってくれている個人ツイート保管サイトTwilogも潰されるのではないだろうか。Twitterの収益向上に資さないという理屈ならばそうなってしまう…せちがらい…)


■1月21日                    Twitterは代えの効かないプラットフォーム

非公式クライアント遮断問題発生以降、その対策でTwitterをいじる時間がむしろ増えてしまった。ほんとツイ廃である。唯一残ったTwitterサブ公式のTweetDeckで読むことは、Tabtterに比べるとやはり苦戦中という感想になる。もちろん1画面で最悪1ツイートしか読めない本家Twitter公式(右)よりはるかに良いが、可読性低下とカーソル跳びによる既読位置迷子頻発で、朝の未読消化には以前の倍は労力時間がかかっている。

しかし『週刊朝日』がなくなると報じられたが、たとえばTwitterよりも読者のツボを刺激し満たす媒体は作りようがないから、メディアは難しいよなと正直思う。表紙見ても読みたくならないもん。

考えてみればTwitterがない時代は個々がお気に入りサイトを見つけ、ブックマークやRSSを使い毎日巡回してたわけである。あの時代までなら雑誌もコンテンツの充実度で勝負になったかもしれない。いまや無数のユーザーの興味と集合知が集積し拡散されるTwitterが最強の情報ハブなので、紙の雑誌は太刀打ちできない。Twitterは代えの効かない統合情報プラットフォームなのであり、だからイーロンが来て変えてほしくなかったという話です。


■1月22日                             愛国ドランカー

岸田政権が勝手に進める国防方針改定文書に、「国家としての力の発揮は国民の決意から始まる」という右翼団体が書いたみたいな文章が出てきた。これから日本は全体主義ですと言ってるようなものだ。愛国酔いである。

じゃあ日本との戦争に向かう『決意』を中国国民も求められているんですかと、誰か岸田総理に聞いてほしい。あちらの国民もキリっとまなじり決してるんですか。んなワケないだろう。こないだゼロコロナいいかげんにしろと暴動だって起きたのだ。中国人の方が日本人よりは御しがたいということである。その中国国民になんのメリットもない戦争を、習近平が勝手にできるわけがないだろう。国が何をしても怒らないのはロシア人と日本人だけだと、うちの奥様が指摘していた。

日本が軍事費倍増して喜ぶのはアメリカの軍事産業と政府だけであり、困るのは日本国民だけである。どうかしてるよ岸田さん、国葬大空振り以降かな。


■1月23日                            さよなら愛しのTabtter


Tabtter有料版の継続も断念との告知が出た。Twitterとの折り合いがつき有料版が存続したら再加入しようと思っていたが、「Twitterと交渉する窓口もないため終了とさせていただきます」だそう。取り付く島もないツイ権力への怒りを感じる。あの技術とアイデアを、どうかどこかで生かしてほしい(ため息)。

Tabtterのサイトへ行き、これまでお世話になりましたとフィードバックを残しておいた。2011年から使い始めて12年、これまで数え切れないほどフィードバックを送ってきたが、これが最後だ。PC人生でこれほど深く関わったアプリケーションは他にない。

Tabtterは俺が出会った最強のWebアプリだった。TwitterにもGAFAMにもないアイデアに満ちていた。あれ以上のものを今後使えることはないだろうと思う。寂しい。

Tabtterはパーソナルな、自分だけの最強Twitterをとことん作り込めるツールだった。読みきれないツイートを減らし、見逃したくないものをピックアップして。もうあんな楽しいことはできないのだ。

Tabtterよりさらに古い古典アプリJanetterも昨日切断された。Twitterは本当に完全に孤立するらしい。長年非公式クライアントでTwitterというメディアを独自に編集して楽しんできた者からすると、マスクはツイッタ界のプーチンである。Twitterクライアント開発者たちにとっては、空から株券を振りかざし厄災が降ってきたようなものだ。金銭的損失も厳しかろう。

俺が資本家ならTabtter氏を放ってはおかず、何かを作らせる。これほどの技術者が文字通り吹けば飛ぶようなビジネスしかできないところに、日本にはなにか資本主義上の欠陥があると思うのだ。Tabtterと同時期に始まりTwitterクライアントしては劣っていたバンクーバーのHootSuiteは、企業向けに月700ドルのサービスを提供し栄えているのである。そしてビジネスアプリHootSuiteは個人にTwitterの楽しさと利便性を提供する「クライアント」ではないので、遮断されない。ここにツイ廃たちの個人的自由と日本的IT職人ものづくりの敗北をヒシヒシと感じ、俺は悔しいのだ。

Twitterクライアント開発者たちよがんばれ。さよなら愛しのTabtter。


■1月26日                         iPhone苦戦

娘からもらったiPhoneの本格チューンアップを始めたのだが、Androidからの引っ越しは苦戦しており進んでいない。世界で最も人気のある商品を使ってみるカルチャー体験として興味深いが、カメラがいい以外はAndroidから移行するほどの魅力をiPhone Xに感じていないせいもある。HomeもバックボタンもないUIが使いづらい。縦長小フォントの画面も目がいい若者向けという感じだしw

今日初めてiPhoneを持ち外出したが、マスクしてるとFaceIDが働かないのに困った。マスクした顔では顔認証登録もできない。電源オフのたびに即ロックされ、オンにするたびパスコードを入れるのが超めんどくさい。家ではFaceIDが驚速でアンロックして快適なので、この欠点に気付かなかった。 

Androidは画面オフから×分経てばロックがかかるという設定にでき、買い物中などオンオフを繰り返す状況ではロックがかからないのだが、iPhoneで「5分でロック」と設定してもパワーオフで即ロックがかかる。

設定、テスト、Google調査に延々取り組んで、iOSの設定がいう「ロック」とは画面消灯のことだと気がついた。「5分でロック」という設定は5分間自動消灯しないという意味なのだ。――言語が違うのか!w

iOSはこのように、外国語のように言語作法がWin/Android勢と違うところにカルチャーショックを感じる。各種アプリや設定に挑戦し、だめだ用語がわからないとカルチャーショックを感じ撤退している。昔仕事でMacを使ったときもこうだったな。

そういうわけで依然iPhone初体験にはいろいろと苦闘しております。まあ独自の謎カルチャーを出してきてユーザーが困るところはGoogleもあるけどね、GmailとかFitとか。

【iPhoneロック遅延法】は後日ネットで見つかった。「FaceIDをオフにすると、ロックまでの待ち時間を設定できる」のである。ホワイ? まあ画面オフするたび再認証するよりは、FaceIDをあきらめたほうが俺には利便性が高いのでそうした。しかしなぜこんな不便なの? dime.jp/genre/1082212/ 


iPhoneの設定をしていて自分のGmailにある大量の日経ビジネス配信に気づき、小田嶋隆のコラムを読むために購読してたことを思い出した。ああ、そうだったな。もう必要ないのだ。過去十年千件近くの配信を消して、購読を停止した。これまでコラムを読ませくれてありがとう日経。さよなら小田嶋さん。





■1月28日                        陶芸教室で地蔵   

先週から始まった【陶芸クラス・手こね編】。手こね陶芸のテクニック説明は一応あるのだが何を作るかは自由放任なので、何を作ったらいいかわからない。トトロでも作ろうかと思ったのだが、写真を持っていかなかったので形が思い出せない。こんなんだっけ? 違うな。…へへへ、ドーモすいやせんって感じ。

ゲラゲラと家族に笑われトトロはやめて、ボディを残し人型をつくってるうちに地蔵ができてきた。オオこれはいいぞ、かわいいカワイイと家族と盛り上がる。しかし傘をかぶせたら、急にベレー帽をかぶった昔の絵描きみたいになってしまった。なにかが違う。傘の質感? 来週もうちょい頑張ってみよう。


■1月29日                       iPhoneの結論は併用

【iPhone X 2週間試用の感想】昨夜陶土をいじる手で写真を撮っていて、「この汚れた手でこの画質の28mm/52mm写真を撮れるiPhone Xはえらい」とありがたみを実感した。汚れた手で愛用カメラは触れないし、俺のラップトップよりいい液晶だから撮ってる写真の画質・フォーカスがよくわかる。

2週間真剣にチューンして思い通りにならないのでAndroidからの移行はやめることにしたが、こういう場面で活用していこうと決めた。

iPhoneにフル移行できない理由は主に ①操作にイラつくw ②細かく設定できん ③Google Driveとの自動同期は無理? の3点である。どれもiPhone愛用者には関係ないことだろうけど。 


■【iPhone Xのいいところ】

◎カメラはさすがに素晴らしい。28mm/56mの二眼で画質は手持ちの高級コンデジXZ-2に迫り、露出とフォーカスがAI的に強い。

やはり専用カメラXZ-2で撮ったほうが(左)光学的なレンズの味わいとボケがあるが、iPhone Xの50mmカメラもシャープで実によく写る。

◎FaceIDの速さはロックがかかってるのかわからない驚きのレベル。
▲しかしマスクしてると働かない(コロナ禍前の機種なので)
◎通知のときちょっとだけ画面がオンになるのがナイス。通知受信確実性が高い
○ロック画面でポッドキャスト操作ができる
◎未読数がアイコンにちゃんと出てるのはやはり便利。Androidは出たり出なかったりする。
○スイッチ類のクリック感や画面スクロールの滑らかさにある高級感とエモ感
○CPU/GPUが速い、通信からWebレンダリングが爆速
○ボイスメモの音質がいい。というかハードウェアパーツは全部いい。Bluetooth信号まで品質が高く、ワイヤレスヘッドフォンの音がいい。

■【iPhone Xのダメなところ】

(右のAndroidの雑然とした情報の多さが俺は好きなのだ)

▲Homeランチャーが差し替えられず画面が狭い(下のドックにボタン4個しか置けず不便)
▲ウィジェットのサイズが変えられない(アジェンダ表示に不便)

 AndroidはHomeランチャーを差し替え好みのHome画面を作れるのだが、iPhoneはカスタマイズ性が低く画面が狭い(未読数を表示するためにランチャーを変えられないのかもしれない)。

▲通知エリアにアプリを置けない

電源オフでも10秒通知が表示されるのはiPhone最大の美点だと思うが(俺はAndroid機にアプリを入れ、疑似iOS通知を作ったよw)、一方で通知エリアにアプリを置いたり常駐アプリを操作できないのは不便である。俺は文字列コピペ常駐アプリを使っているが、Androidでは通知エリアで文字列をコピーし元アプリに戻れる(というか元アプリの外へは行かない)のに対し、iPhoneはHomeまたはタスクスイッチ→クリップボードアプリ起動&コピー→Homeまたはタスクスイッチ→元アプリとなるわけ。これはやる気がしない。テキストファイルを別に開いておいてコピペしてくるのと手間が同じなので、コピペアプリを使う意味もほぼない。シングルタスク時代のMacコンピュータを仕事で使いアアアとなってたあの気分を味わえる。

▲Home写真の差し替え等、超ベーシックな操作方法が2週間経ってもわからない。

iPhoneより5年以上早かったPocket PC

iOSは直感的でわかりやすいという世評に反し、クセが強いと思う。俺は90年代NECモバイルギア、カシオPocket PC(Windows Mobile)の時代から25年携帯端末を使っており、Androidの3ボタンロジックも合理的ですぐ慣れたが、iOSだけは操作ロジックが独特で苦戦している。

たとえばホームのスワイプはパターン認知の知能テストみたいになっていて、初日にWifiオフ画面を発見できなかったように、俺は背景差し替えがいまだできない。『ある条件でこうスワイプするとこうなる』というパターン認知ができない人は、なかなか自由に操作できないと思う。俺がそういう人なのだw 背景差し替えも一度できたのだが再現できない(※)。自力で解けないのが悔しいので解決法をググったりせず、毎日憤怒をためている。

タスクスイッチの方法(下からスワイプしてホールド!ってwww)すら発見に一週間かかった。画面下のソフトボタン一発でやれるAndroidのほうが明らかに直感的であり、ボタンがあってなんの弊害もない。

ハンドヘルド機として一番使いやすかったのは写真のカシオPocket PC 2002だった。サイドのボタン一発で、画面を見ることすらなくボイスレコーダとして使え超便利だった。機械はボタンが多ければ多いほどみっともなくヘタレやすいが、その分使いやすい。iOSは真逆を進んで、Homeボタンを廃したところで行き過ぎたと俺は思う。

(※)【追記】Home背景差し替え法は、2月4日、3週間目についに自力発見した。Homeではなく「ロック待ち受け画面をタップ&ホールド」という、まさかの方法だった。ファミコンの裏技かよw これはわからないだろ!w


▲細かな設定ができん

たとえば静かな部屋でTwitterの通知が鳴ると、心臓止まるかと思うバイブ音が鳴る。止めようとしてもTwitterに通知音の設定がない。探すとiPhone本体の「通知」設定に「Twitter」欄があり、しかしここでは通知音のオンオフしか選べない。音色すら選べない。通知音を選べないのはPC互換機でビープ鳴らしてたDOS/V以来30年ぶりですよw

結論から言うと、通知のバイブ音が大きすぎるならシステム一括でバイブ音を「不使用」にするしか対処法がない。ロック遅延問題と並び最先端機として驚きの仕様である(iPhone搭載純正アプリ5種だけは「バイブパターン」を作成して緩和できるが)。

だいたいアプリの設定を本体「設定」まで行って探さねばならないことに腹が立つ。なんなんだこのAppleの家父長体質w

カメラの設定も本体「設定」にある。家がWin環境のiPhoneユーザーは写真のHEICというフォーマットに互換性がなく困ってると思うが(娘も課題提出時に教師に嫌がられている)、「設定」のカメラ設定にjpgがあることをiPhone使い10年の娘は知らなかった。カメラ内に「設定」がないんだから気づかなくて当然だよね。

かようにアプリ設定が本体「設定」に干渉され、なにかと束縛と不自由が多いなというのがAndroidからiPhoneに来た者の感想で、これがApple式なのだろうか。Appleはヒッピー文化だって山川健一が言ってたけどGoogleのほうが自由じゃんw(「マッキントッシュ・ハイ」は超面白いMac本です) 

▲日本語入力の単語一括登録ができない

母艦がMacだとiCloud経由で母艦の辞書をインポートできるそうだが。

▲アプリのつくりが古い

Apple純正アプリはWin3.1並みにしょぼい。「連絡先」など重要人物に★をつけるのに★リストを開いてから+でユーザーを選び1人1人足していくという、お前はガラケーかという原始の方式になっている(名前一覧で★をポンポンポンと一気につけていくのがGoogleというか現代スマホ主流で、手順が1/3で済む)。純正ポッドキャストも同様で、ファイルを一つ一つタップして消すかどうかを選び消すというガラケー式。

設定の不自由さやiOS用他社アプリにも見られるこういうふた手間多いUIを見て、日本デジタル敗戦の象徴として語られるiPhoneも案外、閉じた環境で独自の発達を遂げたガラパゴスなところがあるなと感じる。Win/Androidには操作手順を減らそうというUI意思が強く働いているが、iPhoneにはその潮流を感じない。

俺は25年前これを電話モデムでNiftyに
つなぎメール読んでたのだ。信じられんw
そういうアナログ面倒はまったく苦にならなかった
しかしうちの娘なんかiPhoneのQWERTYキーボードを両親指で打ち、どんな長文でも書いてしまう。一体どういう指の接触面積なのか理解できんが、単語登録とかコピペアプリとかまったく必要を感じてないわけ。iPhone UIのここがダメと俺がこぼすと、こうやればいいじゃんと長大な手順をパパパパとやってしまう。いやそうして人間の側から歩み寄りたくないんだってばと笑うとわからんという顔をされる。こういうデジタル面倒不感世代が世の主流になっており、鶏が先か卵が先か、iPhoneはそこにぴったりマッチするのだろう。


打鍵感が絶妙なフルキーボードが自慢だったNECモバギアから携帯端末ライフを始め、その登録単語がいまもAndroidのGoogle日本語入力に残り、あらゆるアプリに自動化マクロとキーボードショートカットを望む俺とは、人類としてもう種別が違うのだ。

ちなみに娘らカナダの若者たちは連絡をApple iMessageでやっており、それがジェネレーションまるごとiPhoneにする囲い込みになっていると自分もiPhoneの輪に入って知った。iMessageも古いアプリで機能上のメリットはないが、デフォルトで電話会社のSMSテキストをシームレスに統合してるので、ネットがつながるときはGoogle Chatで(北米の家族間連絡はGoogleアカウント一択)、つながらないときは電話会社のSMSでという使い分けをするのが面倒なズボラユースのライフスタイルに合ってるのである(つながってる方で送れる)。それを意図してシームレスにしてるのだろう。

ともあれ標準アプリは全部差し替えたのだが、Web上のアプリストアがしょぼくてまた驚いた。iPhone内のアプリストアでやれということなんだろう。PCとの連携が強固でリモートインストールまでできるAndroidとは文化が違うなあと思う。Google Driveとのファイル同期もやはり無理で、成功例は英日検索しても見つからなかった。

しかしiPhoneのハード品質はすごいよね。通信もWebレンダリングも速く、すべてにおいてAndroid機の倍は高いパーツ使ってるという感じ。体感に関わる心地よさにお金かけてるのがAppleであり、そこを愛されているんだろう。一方安い汎用パーツをソフトウェアで工夫して使うのがPC/Android勢なのだ。俺はそこを愛している。ドイツ車vs国産車という感じ。鮎川誠もPC野郎だったな。

鮎川誠『DOS/Vブルース』と同時期に書かれた姉妹編山川健一「マッキントッシュハイ」も、最高に面白いMacバカたちの話だった。俺はMacにはなじめぬPC者だが、Appleの欠点も含めて愛する人たちには、同じデジモノにのめり込む同類として好感を抱いている。カメラ好きと同じだな。フルサイズにもマイクロ4/3にも長所があり面白いのである。


■1月29日                     孤高のトム・ヴァーレイン

どういうわけなのか日本でも海外でもミュージシャンが亡くなっている1月、テレヴィジョンのトム・ヴァーレインが亡くなった。東京でテレヴィジョンも、トムのソロライブも見に行ったな。どちらも静かな、彼らしいライブだった。

俺はロック親バカで娘にいろいろ聞かせたのだが、さすがにこんなマニアックなギターロックはねとテレヴィジョンは聴かせたことがなかった。ところが彼女のiPhoneからあるとき「マーキームーン」が流れてきて驚いた。今の子供らでも音楽を掘っていけば、テレヴィジョンを発見するんだなと。

アレルギーの宙也がトム・ヴァーレインは5大好きなギタリストの一人だったと書いてるんだけど、俺も同じくトム・ヴァーレインには無茶苦茶影響された。俺がやってたバンドはストーンズ/スライダーズのコピーから始まりだんだん尖った音へと変わっていったのだが、どういうギターを弾けばいいのかよくわからなかった俺にとって、ラジオから聞こえてきたトムのギターは天啓だった。

テレヴィジョンはバンド野郎たちにカリスマ的な人気があるバンドで、むかし一度ラママで対バンの若いやつらが「フリクション」だったかをカバーしたとき、楽屋の俺たちは「なにっ!?」と事件が起きたかのように楽屋口に殺到しステージを見たのだった。そういうバンドだった。

パティ・スミスが詩でトム・ヴァーレインを送っている。


「これは、すべてが可能と思えたとき
さよならトム、オメガの彼方へ」



■1月31日                        ロックンローラー哀しみの1月


ロックンローラー哀しみの1月、最後は鮎川誠だった。はあ。よく勇気をもらったとスポーツなんかでいうけれど、鮎川のギターには本当に勇気と閃きをもらった。ロックギターはスピード感なんだと教えてくれたのだ。俺のバンド時代の写真から娘が書き起こしてくれたこの絵は、鮎川の影響下にあった俺のギタースタイルを写し取っている。

この頃か少し前、芝浦インクスティックにシナロケを見に行くとライブ終了後かわいいお嬢さんたちがステージに呼ばれ、満場の歓声を浴びうれし恥ずかしそうだった。シーナと鮎川は、ロックな幸せはこんなにあるよと一生体現してくれたと思う。ありがとう、ありがとう。

インクスティックにはRZ250で行ったのを覚えているが、芝浦なんて東京のどこにあるのか、今振り返ると覚えていない。地図を見ると当時住んでた千歳烏山から246で行ったのだろうか。20km少々、カナダなら2つ隣の町という感覚だが、東京だとすごく遠かった記憶がある。すべては遠い記憶だ。 

鮎川誠はあの声と語りと音がもう、ただこの世にいてくれるだけでうれしい宝物だった。はやる気持ちに口もギターも間に合わんと熱量があふれる人で、そこが最後まで変わらぬロックのお手本だったなあと思う。












0 件のコメント:

コメントを投稿