おとといの外出からのダウンが戻らず、父さんの調子は低調なまま続いている。ここまでくると話を聞かせる以外何も父さんにしてやれることはないのだが、鎮痛剤が効いて眠るばかりでは話はできない。黙って半日病院で過ごすと、家に帰ってからも鬱な気持ちが続く。
俺が来た日の外出は病院に戻っての点滴で体調が戻ったのだが、今回は体調サイクルのピークが上がってこないわけで、螺旋を描いて下に向かっていくのを実感する。苦痛はコントロールできる、できるだけ好きなことをやらせてやれとお医者は言っているが、こうなると外出など無理に決まっており、このまま何もいいことはさせてやれず残りの日々が終わってしまうのかと思うとせつない。
■07/08/01(水) □ 動物園
時差ボケがなくなりだんだん朝起きられなくなってきた。朝あせって病院へ自転車を飛ばしたが、今日も父さんは眠るばかり。気分は昨日よりいいようだが。
AおばさんとHおじさんがきてくれ、その間はだいぶ長い時間起きていられた。しかし話をするだけのエナジーはなし。親族きっての豪傑Hおじさんは、「兄貴、心配すんな。俺もすぐに行くからな!」とろくでもないことを言っていた(汗)。
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そして猛暑の中ボーイズを連れて俺は須坂動物園へ。昔と違いずいぶん人気が出ていると聞いたが、前と特に変わりはなかった。ハッチというカンガルーが全国的に有名なのだそうだが、普通のカンガルー3匹がいるだけで、なぜ人気なのかは不明。巨大レンズの一眼で撮ってるカメラオヤジが2名いた。
暑さにたまらず途中をスキップして日陰のある池側に脱出し、ボーイズにかき氷をおごってやった。今日は叔父さんのおごりだ。どんどん食べなさいウッハハというやつを初めて体験した。
■07/08/03(金) □ 親族大ドラマ
昨夜風もなく無茶苦茶な暑さで眠れなかった。さすがに日本の夏は暑い。病院に来ると朝、父さんは起き上がって自分でお粥を食べていた。驚き。食べ終わり着替えをするとエナジーが尽きたが、食べないよりはよほどいい。昨日から小幅アップ。
父さんは鎮痛剤のせいで、ずっと目を開いたまま半分眠っている。ときおり表情が変わり手を動かすことがあり、視界に入っていくと、はっと気付いたように目をつぶる。そうして見ている夢はなかなか楽しいものらしく、ニッと笑って目を覚ます。やはりというか当然か、馬の夢が多いようだ。今日は覆い馬場を造成し、お披露目のパレードの先頭を切って歩くというものだったそうだ。馬のカイバの中に落ちて手足を振り回すなんて夢も見て、「らっちょもない(埒もない)夢を見るもんだなあ」と笑っていた。
しかし1週間を過ぎ、寝ている父さんに付き添い続けるのにだいぶ疲れてきた。病院内を散歩してみたりしても、もちろん何もない。ふう。ギターがあれば一番時間が紛れるのだが、ここに持ち込むわけにはいかんしなあ。
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昼飯前、なんと数十年付き合いが絶えていたTおばさんが見舞いに来てくれた。顔を見るなり双方号泣。気をしっかり持たないと駄目だぞK、あたしよりずっと若いんだからな。うんうん、ありがとうありがとう。83にもなる老体でやってきてくれたのだから、心から頭が下がる。
■07/08/05(日) □ 俺のハートが痛い
今日は声をかけても反応が鈍く眠りから覚めない。俺よりも母さんの顔を見た方が蘇生すると思われ、電話をして呼び出す。
母さんが来ると一瞬覚醒し、痛いかと聞かれると父さんは、「ハートが痛い」と答えおった。全く病んでも変わらぬダンディKちゃんだわと感心させられる。今日はさすがに見れないが、ニッと笑う顔は実に魅力的だと思う。この顔があるから看病も苦にならないのである。
ロレツが回らないのでどうしてほしいのか聞き取れず、聞き直すとカンシャクが炸裂する。これだけ具合悪ければ苛立って当たり前である。もはや個室に移り、面会謝絶とし残りを看取る段階だと思う。回りのまだ元気な患者さんへの影響も懸念されるし。あと何日かなんて分からないが。
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交替し4時に様子を見にいくとだいぶラクになったようで、ずっと夢を見てはニッと笑っている。あとで話を聞くとやはり馬の夢、生まれ育ったこの町の他愛もない夢を見ていることが多い。小学校以来の友達だなんて人が父さんにはゴロゴロいるわけだし、小さな町で友達に愛された人生は楽しかったことだろう。
■07/08/07(火) □ 個室へ
朝イチで個室に移る。移った途端に付き添いの俺たちはああ快適だと感じるほど、やはり環境が違う。さっそく来てくれたキッズが遊ぶさまを、父さんが首を持ち上げゆっくり眺めることもでき、ここでゆっくりできればいいかと思った。家に戻してやりたいとはつくづく思うが、ここで家族と子供たちに囲まれていれば、家にいるのと変わらないか。現実パジャマを替えるだけで体力が尽きる姿を見ると、やはり環境を変えるのは無理に決まってるといわざるを得ない。
俺の不在で萌とMがかわいそうなので、Boowy の DVD を買ってきてカラテゲームと共に即日送る。萌の好きそうな絵柄で選び少女マンガ全7巻も買ったのだが、これは50点くらいであった。ブックオフでさんざ探しても俺が読んでいた70~80年代の作家のコミックス(※)はもはやなく、現代の少女マンガはTVドラマ程度のものばかりなのかもしれない。
(※)後日、あの頃俺が読んでた「ぶ~け」は黄金期だったというファンの掲示板を発見。『松苗あけみ、吉野朔実、耕野裕子、竹坂かほり、水樹和佳、内田善美―――丸ごと一冊、、豪華な花束。すごかったですよね』まったくだ。
■07/08/08(水) □ サマーランド
今日は子供たちを引率してプールに行くのだが、それまで家にいても落ち着かないので病院へ。昨夜は問題なかったようだが、今日は寝てばかりで全く目を覚まさない。鎮痛剤の量が多目なのかもしれない。
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サマーランドへ。やっぱ日本の夏最高! という感じ。山の緑は目を喜ばせ、水は暑さで適度にぬくまっているし、空気がドライなカナダと違い上がっても身体は全く冷えない(気化熱で体温が奪われない)。カナダよりUVが低いので、真夏の陽射しでも目が痛くならない。ボーイズも俺も楽しんで最高の夏の日だった。
萌とMを連れて来たいなあ。Mだって日本の野外プールの快適さは知らないんじゃないかと思う。
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午後から消灯まで病院へ。今日は父さんに痛みが出て厳しかった。長い一日だった。ふ~。
もう面会謝絶の礼を貼ってあるのだが、それを押して夕方遅くに父さんの同級生が来てしまった。痛みのあとでグッタリした父さんは応答もできなかったのだが、76のおじいさんが汗をいっぱいかきながら「Kちゃん! 死んじゃ駄目だぞ!」と呼び掛けるさまには胸を打たれる。フレンドシップ・フォーエバー、それが全くKちゃんの人生であった。
■07/08/09(木) □ 看病疲れ
朝イチで昨日話せなかった萌Mに電話。Mの話にあまり反応もできず、俺は疲れているなあと実感する。萌はこの頃習い事を拒否したりつまらない嘘をつくなど態度がおかしいそうで、separation anxiety(近しい人の不在で子供が不安定になる)の一種だろうとMはいう。電話だと俺も萌との話が弾まず――俺は病院通いで話題がまるでないし――、会って話していれば楽しいのになあと悲しくなる。
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夕方シフトは今日も大変であった。22:32 鎮痛剤が効いて落ち着いたのを1時間ほど確認して帰宅。疲れた。
■07/08/10(金) □ 最後の1葉
9時近くに起床。夜番になってから疲れている。
11時に一度顔を出す。今日は眠りっぷりが激しく、姉のMおばさんが来てくれてもほとんど目が覚めなかった。体力の低下が甚だしい。
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◆17:00 酸素吸入器が取り付けられる。日に日に終わりが近付いている。ここから先がまだ長いのかもしれないが、このまま鎮痛剤が効いて眠ったまま行けるなら、それがありがたい。
しかし母さんの介護と献身には感動させられる。これがおそらく意識のある父さんとの最後の1枚になるだろうと、母さんが語りかけている写真をそっと撮っておいた。
■07/08/11(土) □ 「解散」の一声
夕方、これはいよいよと母さんを呼び、母さんが家族全員に連絡する。しかし孫たちが来ると父さんは意外や目を覚まし、一族が揃っていることに気持ちが昂揚し意識がバキっと戻ってしまった。「起こせ」を連呼してべッドを上げてもらうと、皆に声をかけられニコニコになる。いや驚いた。
そして自らの「解散」の一声で散会、俺一人残る。もう会うべき人々には皆今宵別れを告げることができたわけで、最後の瞬間は最悪俺一人でも仕方ないなと思う。無論母さんだけはなんとしても間に合わせたいが。
■07/08/12(日) □ 夏祭コンサートの歌声
◆04:30 起床。というか、病院のソファではきつくてこれ以上寝ていられない。父さんは1時半に姿勢を直してから一度も起きずに寝てくれた。05:52 交代。寝る。
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◆11:33 起床、フラフラだ。電話すると痛みがあるので鎮痛剤をレベル4に上げ、父さんは熟睡中とのこと。呼吸は安定しているそうである。
今日はOKOも診てくれたので、午後遅くから病院入り。今日は病院そばの広場で夏祭コンサートをやっている。ここからよく聞こえ心地よい。父さんに聞こえていたら喜んだろうなとOKOと話す。見に行きたいが、さすがに無理。
ところが兄貴が来てくれたのでちょっとだけ見にいくと、「カンガルーのハッチ」の歌を歌う地元アマチュアなのであった。がっくし。まあこの地元アマチュアのオリジナルカンガルーソングとNHKポップジャムで聞くヒット曲に大差はないわけで、日本の大衆音楽レベルはこのあたりなのだということである。
◆23:01 眠る支度。父さんの寝息が落ち着いたので、今日はしっかり寝よう。病院泊も2日目になると、旅行して酔っぱらった父さんとビジネスホテルに泊まってるみたいな気分もしてきた。昔父さんと一緒に行った、北海道の旅を思い出しながら寝た。
■07/08/13(月) □ 2度目の危篤報
1時半に寝て朝6時に目が覚め、あれ父さんの寝息が浅いな、えーとと考えているとMKさんが来てくれ、父さんをチェックするとやはり息が浅い。それに熱い。あ、熱が出ているんだ。驚いて看護婦さんに聞くと、5時くらいから発熱し、血圧も下がっていることが判明した。MKさんが母さんを呼びに走り俺は兄貴とOKOに連絡する。
母さんが声をかけると父さんはまだ目が開き、熱もやがて下がったのだが、痛みなのか息が苦しいのかもう一度落ち着いて眠ることができない。もうこの朝終わるかと俺はしばらく残ったのだが、変化がないので家に戻りしばし休む。お盆でうちに来ているご先祖様。どうか父さんを連れていってやってください。もういいですからと祈る。
■07/08/14(火) □ 長い3週間の静かな終焉
◆12:10 血圧が低下との知らせに病院に急行。手足が冷たくなっている。
◆15:41 最後は徐々に呼吸が少なく浅くなり、そして止まった。最後は苦しまず静かに父さんは亡くなりました。長い3週間であった。
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店に電話で知らせるも、もう俺は声が出なかった。駆けつけたみなの顔を見、泣きじゃくる孫KSの肩を叩いているうちにやっと落ち着く。看護婦さんが父さんの居住まいを直してくれ、霊柩車で母さんとともに父さんは家に帰る。俺はえらい早さで駆けつけてくれたKHと共に病室を空にする。
しかし俺の仕事はここまでなのだが、葬式が終わるまで母さんは全力疾走の実務が続くわけで、この部分は俺は全く力になれんし実に気の毒に思う。
今日すでに、死去のその瞬間から退院、親戚への連絡、身内の仮通夜、御坊さんを交えて葬式の段取りと母さんは全く休みなしであり、親族みなが力になってはくれるもののこれほどハードな行事もないものである。
豪傑Hおじさんが、俺が看病を明るくよくやってくれたと泣き、それで俺もまた泣く。日本にいる間に俺の白髪が増えたとおじさんはいう。俺も病院で鏡を見て白髪を気にしていたのだが、滞在中に増えたのか。実際個室に移ってからは毎日がハードだったからなー。ふう。
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全て段取りがついた真夜中過ぎ、カナダに電話する。その少し前に死去の知らせを入れておいたので、萌はすでにべそべそに泣いていた。そんなに泣かないでおくれ。お父さんも泣いたけどもう大丈夫だから。でも、おじいちゃん死んじゃって、お父さんとおばあちゃん、かわいそう。そうだね。ありがとう。サッドニュースでごめん。――萌と話していると、いつでも胸が洗われる。
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