2007/08/29

日記「涙の帰国(日本滞在記4)」

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■07/08/18(土) □ 萌のメール
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 曇が出て雨が少し降り、真夏はついに去ったなと感じる日。今日はオフで、OKOのところでMと電話で1時間ほど話す。萌のメールも2件入っていた。非常にナイスである。MのPCからなので英語なのだが、なにしろ長文で驚く。

「お父さんへ。おじいちゃんが死んじゃったのね。悲しいわ、本当に悲しい。すんごく悲しい。悲しく思ってる人、おじいちゃんを好きだった人のみんながかわいそうだわ。あなたはすばらしいヘルパーだったと思う。早く会いたいです。ラブ。萌」

「お父さんへ。電話であなたの声を聞いたとき、これは誰かを恋しく思う人の声だと思い、胸が打たれる感じがしました。お疲れ様。ガンにならないよう気をつけて、パスポートカナダに電話して早く帰るチケットがないか聞いてください。早く会いたいです。ラブ。萌。」

 ああ早く帰りたいな。葬式後2週間もフライトを待たずに済むよう、キャンセル待ちにかけてみよう。

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 新聞の死亡広告を見た父さんの旧友AOちゃんが今日、「なんだすうんだ(どういうことなんだ)!? 治ったんじゃねえんか!?」と大声をあげて飛び込んできたらしい。父さんが自分で治ったと広言していたので、こうして寝耳に水の人々も多いのであろう。AOちゃんのその言い方がしみじみと良い。田舎に住むよさを感じさせる。

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■07/08/19(日) □ おみやげ探し
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 今日は長野でパスポートその他用事を足す。欲しかったものもわりに首尾よく見つかる。松苗あけみのマンガをゲットしたのがヒットだったのだが、読んでみたら少女マンガではなく大人向けの内容であった。面白いが萌には無理。しかしもう4冊は少女コメディなので(これも80年代当時好きだった作家)、萌も楽しめるはず。昔アパートまで会いに行きサインをもらいマンガにも名前を登場させてもらった耕野裕子氏の本も、1冊ついに見つかった。

 おもちゃ関連はリモコンチョロQがなんと千円で買おうかと思ったが、電池コストがえらい高くつきそうなので断念。同じ廉価シリーズでヘリコプターや室内飛行機まであった。広い場所があるなら最高に楽しそうなのだが、うちのリビングでは無理だよなーという感じ。

 今日は先週までよりは気温は下がったが、それでもあちこち動いていると暑くてふうふうになる。

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 そしてあれこれと用足しを頼まれ走る。お経を読むお坊さんにはえらい金額が払われるだと判明。知りたくなかった。お経だけでなく寺の維持費も込みという考えなのだそうだが、真面目に一生懸命物事をやる気がしなくなる。

 帰る日取りが見えてきたので、あれこれせねば買わねばと気にかかる。結局2階にある俺の私物をカナダに送る段取りは今回もできなかったが(費用がかかりすぎる)、ざっと見たところ大半は捨てられるなという感じ。もう日本に住むという可能性も薄れているし、価値観も変じて、さすがに15年前のラップトップやモデムなんて捨てても惜しくもなんともない。再生できない 8mm やカセットをどうするか迷う程度。まだ急いで捨てなくていいと母さんは言うので、捨てられるものの仕分けだけとにかくきっちりやっておこう。

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■07/08/21(火) □ ようやくお葬式
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ようやく葬式。長かった。ふー。長い1日であった。葬式自体はしめやかさと華やかさがちょうどいい程度に配され、長さも適度でよかった。参列者は750人とのこと。さすがの人気者であった。俺が子供の頃うちにいた従業員のおばちゃんたちが小さく小さくなって来てくれ、みな泣いていた。俺の友達も何人か来てくれて驚く。

 大変だったのはその後で、「おとき」という100人規模のお礼の席があり、さらにその後親戚だけのお礼の席が設けてあるというネバーエンディングな一日なのであった。

 帰って飛行機会社に電話すると、27日のチケットが取れていた。助かった。

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■07/08/22(水) □ お寺参りと香典一覧
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初めて訪れた静かな朝。お寺にお礼参拝し、同時に延び延びになっていた送り盆も済ませ、これで行事はようやく終了。お墓に行くと、父さんがいた病院がそこからどーんとよく見える。ああ、そうだよなー。病院からもこのお寺がよく見えたもんなー。こんなちょっとしたことでまたしんみりとなる。

 行事は終わったが、しかし香典一覧を作るという大仕事があり、これがとんでもない面倒仕事である。コンピュータをうまく使えば労力は減らせると思うが、帳面となって残らないと母さんが困るというのでみな手作業で大変だ。

 俺は2階で荷物の整理。いつかまた日本に住めばと捨てずにおいた雑貨をバサバサと捨てていく。日本にいればまだ当たり前に使うものばかりなので、真面目に考えると悲しくなる。Mが使っていたタイのバッグなどが出てくると、地道に楽しく暮らしていた八幡時代の一部をここに置き去りにしたしたようで悲しくなる。悲しがり悲しがり8~9個の捨て荷物を作った。

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 【日本・カメルーン】前半はついに呼ばれた大久保と田中の突破からかなり楽しいゲームだったのだが、後半彼らが交替するとアジアカップと同じつまらないチームに戻り相手の個人技に耐えるだけで終わった。オシムはこのつまらなさを解消できるのかと疑う。

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■07/08/23(木) □ 香典返し表の入力
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 昨夜の大雨で23度まで下がり、秋風の一日となった。香典返し表のPC入力を命じられ、まる1日それに没頭する。

 1日で 400 件の大半を処理し、PC仕事をやるとさすが仕事柄集中がすごいなと母さんにびっくりされた。最初から合理化してあればPC利用の有無に関わらず労力は半分以下にできたのにと思う。葬儀屋もこの部分は自分ところの儲けにならないからノウハウを蓄積してないのか、世間ではいつまでにどれだけ返すかという相場をいうだけで、マニュアルやテンプレートは届いていないのだよなー。

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■07/08/25(土) □ 真夜中のギター
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 昨日も午後まで香典返し表の作成をやり、夜昔の仲間とのギター飲み会へ行った。

 朝3時までTNたちと小布施のハイウェイ公園でギターを弾く。IKもおり始まる前はずいぶん盛り上がったのだが、毎度のことTNは自分の内なる音世界に入り込んでしまい、全然ジャムセッションにはならなかった。IKもバンド時代から四半世紀も経つと覚えている曲はなく、昔一緒にやった曲を俺が思い出し弾いては散発的にジャムが始まるといった程度。しかし夜中の公園でギターを弾き歌っているのはやはり楽しく、3時までダラダラとやったのであった。TNもIKもAKも、何年経っても変わりなかったな。

 TNもIKもうちの父さんを知っていて、いつもニコニコと声をかけてくれたのだ、花火の時には役員で一緒だったのだと小さいながら思い出があり、それで葬式に来てくれたらしい。ありがたい。

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 今日はちゃんと荷造りして成田まで荷物を1つ送り、出国の準備を進める。夜は子供たち全員を連れてレストランへ。昨日あたりはよくよく疲れがきて母さんは気分がダウンしていたのだが、外に出る元気が戻ってきてよかった。

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■07/08/26(日) □ 百々川お別れバーベキュー
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 夕方百々川でお別れバーベキューをやる。涼しい風とうまい肉と花火。サイコーでした。しかし物寂しいバーベキューだった。父さんがいないからというのではなく、ただただ病院に通い葬儀に振り回され夏が終わってしまったという寂しさがある。

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■07/08/27(月) □ 涙の帰国
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 出発の朝。なにか形見をもらわねばならないと父さんの部屋を見渡し、最後の運転免許証とD・フランシスのカナダ競馬の本をカバンに放り込む。

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 ◆13:33 新幹線無事乗車。最後に母さんが泣くかと思ったが、こらえていた。ここまで長かったもんなあ。別れの切なさよりも、長い時間をかけ一緒にものごとをやり遂げた、ほっとする気持ちの方が強いのだ。

 上田あたりの好きな景色を窓から眺めながら、今回こそマジでどこにも行けなかったよなと考える。まあ事情が事情で当たり前だが。

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 ◆17:51 チェックイン修了、荷物2個計27kg もまったく問題なし。日本での最後に何を食べようか考え、今回食べてなかったウドンに決める。が、この空港価格の高価な讃岐ウドンがカップウドンに等しいほどうまくなかった。がっくし。まだ搭乗まで2時間。

 ◆22:27 定刻通り出発。

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 そしてカナダ時間 16:00 に帰宅。空港に迎えに来てくれた萌が、区切りのテープをくぐり抜けてすごい笑顔で走ってきて、そして途中で顔がくしゃくしゃになって泣いてしまった。それを見た俺も、父さんが亡くなったときと同じくらい泣いてしまった。

ふー。お疲れ様でした。1月ぶりのカナダや自分の町や家や愛用PCはどうということはないが(これほど使い込んだフル装備の自PCにもそんなに飢えてなかったんだなと実感する)、やはり萌とMに会えたのが本当にうれしい。あとMKと猫のティガーと。不調らしいBRは滞在先のBV家から電話してきて、俺が体を気遣うとトモこそ大変だったわねえといってくれるくらいしっかりしていた。気温は長野の30度から一気に24度湿気なし。家の中は21度になっており、寒いくらいだ。

 はー。お疲れ様でした。

2 件のコメント:

  1. センチメンタルな感想文
    From「共犯新聞」掲示板
    ろーら

    2007/09/07 13:28
     こんにちは。共犯新聞一面から飛んで、サカタさんの日本滞在日記を読みました。
     全然関係ないんですが(関係?)耕野裕子さんの漫画が私も好きだったのと、なんとなく、ずっとサカタさんのこのカタカナの名前を見るたびに彼女の漫画の世界が身体に蘇っていた気がしていたのが繋がったようでとてもびっくりして書き込もうと思ったんです。
     でも、それは今となっては気のせいみたいな気もしますが。何故なら、びっくりして改めて彼女の作品を読もうとコミクスを捜したりストーリーを思い出したりしてるうちに、すっかり記憶を再構築されてしまい、その記憶の過去を生きた自分になってしまったから。
     耕野裕子氏全盛期の頃、ぶ~けを買って読んでいたんです。
     彼女が暮らしていたのって、西荻ではなかったでしょうか?当時、私も西荻に住んでいて、行きつけの貸し本屋のおばちゃんが(訊いてないのに)近所に住んでる漫画家や推理小説作家情報をがんがん教えてくれてました。


     話はもっと関係ないですが、私の友人の父親が、やっぱり先月の頭に癌で亡くなったんです。数年前から既に転移も進んでいて、今年の春からは毎月「今月いっぱいもつかどうか」という風で経過していました。それで、彼も月に何度も実家まで飛んでいて、そのたびにメールをくれて経過を知らせてくれていました。
     でもそれって、別に誰かにそれを話したい訳でも、私がそれを聞きたがってると思ってると思ってるからでもなく、たぶん、すぐ会える距離にいたらぶらっとうちに寄って私の顔見たらもういいや、とまたぶらっと帰ってしまう代わりなんだな、というのがなんだかよく解ったので、私も自分の母親の状況(私の母も数年前癌で手術を受けて治療中なので)と近況を返信していました。
     先月頭に、彼から「亡くなったので葬儀そのほかを終えて今帰ってきたところ」とメールが来た時、うまく返信できなかったんです。それが当たり前で、そういう時は定型文の挨拶を送るんでいいって解っていたけれど、それがどうしても出来なかった。なんだかそれをすることは、すごく冷たいことをしてしまう気がしてならなかったから。かと言って、自分が想像したことを書く、というのも出来なかった。すごく的外れなことを書いてしまうんじゃないかと不安になったから。きっと、たぶん、沢山の人の思いを既に受け止めているだろう(それが遺族の仕事だから)人に、小さな石一つ分も荷物を加えたくないって思ったんですね。それは私のただのかっこつけかも知れないって思ったけれど、やっぱりイヤだった。
     会ったら話せるんだけれど。たぶん、私が迷った一番の原因が、私には子供がいなくて、彼には子どもがいるってことで、親を亡くす時、自分に子どもがいるかどうかがとてもいろんな事に影響してるってことを、一番感じたから。でもそのことは挨拶で話すことではないって思ったから。

     それで、すごく当たり障りの無いことだけ書いて(お疲れ様でした、寂しいですよね、お母様大丈夫でしょうか、云々かんぬん。)返信したのですが、送信した後で読み返して、やっぱり幾らなんでもあまりにも素っ気無さ過ぎるよなあ。と。
     また改めて書こう、と随分考えたんですが、やっぱりどうしても言葉が見つからなかった。
     それで「この間の返信、出した後読み返したら我ながらあまりにも素っ気無さ過ぎるよなあ。と落ち込んだので、改めて書こうと思って随分考えたけれど、やっぱり何も書けなかった」とメールしたら
     「その気持ちはよく解るし、自分も経験あるし、気持ちは届いてるから気にしないで」
     と返事が来て、それは本当にそうだと解るし、彼が私に何かを求めてるわけでもないことも、というより、私が与えようとしなくても彼が欲しいものはちゃんと彼が自分でわたしから汲み取り得てることも解るんだけれど、やっぱり私の方はその後もずっと考えていたんです。

     今回、サカタさんの日記を読んだら、状況もディティールも全てがきっと全然違うんだってわかってるのに、何だか友人の経験をなぞれた気がした。相手の気持ちを解りたいと思ってるのとも違って、解れるとも思ってるのでは無いのに、相手の経験をなぞりたいと思ってしまうのは何だろう。
     でも、きっとそれも一つの愛なんだと思う。
     今度彼に会ったら、ずっと何か自分がし足りない気がしていたのに、サカタさんの日記を読んだらすごく納得がいって落ち着いたんだって話をしようと思います。
     サカタさんどうもありがとう。お嬢さんのメールすばらしいです。

     感想文を書いて、台風が来て、北海道は秋になりました。

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  2. ろーら。きみはなぜに。日記を読んでいただき、心清らなお言葉をありがとうございます(私の日記のほうのコメントにも転載させてもらいました)。耕野さんが住んでたのはどこだか覚えてないんですが、環7沿いのアパートで、(管理人クボ去り後の)AB-STのレコード作成から発売までの裏話などを彼女が構想中のロックマンガ用の取材としてトクトクと話し、そのついでに私が所有していたコミックスにサインをしてもらうというラックを得たのであります。その後ライブも見に来てもらったし、直筆マンガ入り絵葉書ももらったし、シアワセなことでありました。

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