2007/08/17

日記「葬式と不思議な気持ち(日本滞在記3)」

■07/08/15(水) □ 青白厚塗り

 なんと5時半に豪傑Hおじさんがまた来た。来るのはいいがこっちは看病明けの上にまだ4時間も寝てないのだから、カンベンしてくれよと寝たふりをするも出直してはくれず、結局起こされてしまった。やれやれ。

 目が覚めると母さんは猛然と段取り・連絡を再開する。超社交家だった父さんの交遊範囲をくまなく余人が把握できるはずもないので、各方面の代表人物を探しては連絡を回してもらう方式らしい。葬式に呼ぶ人一覧もないわけだしなあ。

 人によっては没前に自分で手回しを開始するそうだが、父さんは最後まで自分の死をどう考えていたのか謎だ。症状と苦痛を訴える以外、最後まで病気のことは何も話さなかったのである。症状の悪化とともにモルヒネが入り、考えがそこまで及ばなかったのだろうと皆はいうが、体調がまだよく選挙の投票その他の雑事をやりたがっていた時点でもその前日の苦痛は深刻だったわけで、自分の衰えから死を予感しないわけはないと思うのだが。

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 葬儀屋が来て段取りを続行している間に、業者が父さんに化粧をして仏さんにしてしまった。血色は悪くなく、自然な寝顔で落ち着くよう看護婦さんがしてくれいい感じになっていたのに、お化けみたいな青白でベタベタ厚塗りして行きやがった。

 なんだこれはと怒り多少は拭き取ったのだが、直せない。業者が乱暴に父さんの髪の毛を洗う様子が痛々しくて目をそらしていたのだが、こんなことになるなら監視しているべきであった。葬儀屋の親玉のいるところで俺が騒ぎたてたので後から業者は何か言われるだろうが、この厚塗りを全部落としてやり直してもらうのもまた怖いし、手遅れである。トホホ。

 しかし葬式は本当に大変だ。遠い親戚など冠婚葬祭しか会うこともない人々も、毎日のように来てもらわねばならない。こうした段取りにあまり関わらずに済む身の上のありがたさをつくづく感じる。

 来る客来る客異口同音に、Kさんほど幸せだった人もいない、好きなことをやらせてもらってと笑って帰ってくれる。まったくである。

■07/08/16(木) □ お通夜

 9時間寝た。夕方までは子供らと遊び、お通夜のために来長したKNさん一家と話す。Tおばさんも三たび来てくれ、俺の手を取り父さんの世話の礼を言うので、俺もまた泣けて頭が痛くなってしまった。


イトコKNちゃんの娘さんたちは、昔のKNちゃんが四半世紀を飛び越えそこにいるかのような不思議な気持ちにしてくれる。SくんもIDのおじさんに横顔がうり2つになってるしなあ。10年おきの親族の葬式は、不思議な気持ちに満ちている。


 親族が残ったお通夜の夜、父さんのイトコRじいさんの味のよさに感服し、こっそり写真とビデオを撮っていた。豊丘の山の中で牛の乳搾りに生涯を捧げたというこのおじいさんは、日本昔話のような空気を携えている。それにいま改めて見ると父さんに輪郭が似ていて、懐かしい気持ちにしてくれる。こうして葬式の時にしか会うことはないのだが、できることなら家に伺ってゆっくりと昔話など聞いてみたいなあと思う。

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 父さんのお棺に大事にしていた黒い鞄を入れてやろうと中を確かめると手帳があり、そこには大好きだった各種会合の予定とともに病状経過が書いてあった。ちょうど俺が来た日付のあたりから悪化で書けなくなり白く残っている。病気への不安を書いた行もあり、言わなかったけどやっぱりそうだったのかと胸がつまる。

■07/08/17(金) □ 出棺

 出棺が終わる。もう悲しみのピークは過ぎたと思い、納棺時には涙は出てこなかったのだが、焼き場で棺の窓が閉じられ炉に押し込まれていくと、もう会えないんだとつくづく感じ涙が止まらなくなってしまった。

休憩所から逃げ出し涙を流していると、悪ガキHKがやってきて泣いているのかと問う。いや鼻水が目に入って目が痛いのだとかなんとか答え、えーホントー? と顔をしげしげと覗き込まれているうちに、やっと息が整ってきた。子供の存在に大人は救われている。

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