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■14/02/16(日) □ 犯人当てゲームの盛り上がりにくさ
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【ボードゲーム会】日本原産ゲーム「シャドウハンターズ」。身分を隠してサイコロを振り、敵と見定めた相手を各種手段で攻撃するゲーム。和文英訳だからなのかカードの文字が異常に小さくて読むのにマジ苦労した。
全体になるほどねとすんなり飲み込み遊べるゲームだったが、正体を隠し攻撃し合うなら「お邪魔もの」や「ラブレター」のほうがやること明解でいいような気がする。「こいつは体力が11以上ある」「シャドウではない」といったわずかな手がかりをちまちまと非効率的に集め推理するのがかったるい。
これは「レジスタンス」でもそうで、小さな手がかりを集め記憶にホールドして集積し脳裏に全体像(あいつとあいつが敵でこいつが味方だということ)を結んでいくことが、遊びとしてさほど面白いとは感じないのだ。犯人当てならばノートと鉛筆が配られ、各自ヒントを書きためて早い者勝ちで答えを出す古典の「クルー」が一番楽しい。そういう遊びは基本数学なので、暗算得意の理数系以外の人にはノート必須なのである。
うちのグループはMK以外全員文系で「○○ということは▲▲は□□だ」系の血の巡りが悪いので、「レジスタンス」もこのゲームも誰をどう攻めれば盛り上がるのかが掴めずだらだらと進む。1ゲームやって俺はSFがシャドウではないこと以外は何もわからず、ただサイコロで先頭のプレイヤーをランダムに攻撃していた。
というわけで、手がかりゲット部分を大幅に加速チューンアップするか、わずかな手がかりでもピンと来て盛り上がれるほど全員が揃ってやりこまない限り、このゲームの面白さは出てこないと思う。しかし初回でピンと来なかったゲームが後者に至るほどやり込まれることは起き得ないわけだからなあ。
こんな面倒なことをしなくても、今は「ラブレター」がある。あれだったら「お前は◇◇だ!」「グワなぜわかった」と集積ゼロで正体あばき遊びを楽しめ、さらに暴かれつつ身をかわす楽しみも味わえる。「お邪魔もの」ならばパズルを楽しみつつそれをやれるわけだからなあ。
これを書いててイメージしたが、「ラブレター」があの濃さをキープしたまま30分程度のゲームになったら、それは面白いことだろう。作者のカナイさんは当然そういうものをつくろうとしているだろうね。
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■14/02/21(金) □ アジアンアイドル系女子
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萌の友だちに1人だけ、おしゃれで小股でちょこちょこ歩き両手を胸の前で振って俺にバイバイと笑ってくれ胸があったまるアジアンアイドル系女子がいるのだが(中華系らしい)、この子も当然のこと「ユヅルハニュー so perfectly cute!」とウットリしてることが本日判明。
ちなみにこのアジアンアイドル女子の名は、沢田研二の愛称と同じなのである。そういうところも好感度が高い。萌はこの子にすごく好かれており仲がいい。二人の様子はちょっと日本の学園モノっぽくて微笑ましい。
俺はこの子と萌が休日も一緒に遊ぶような仲になればめっちゃいいと前々からプッシュしてるのだが、2人は学校でのブラバン活動中のみの仲良しにとどまっており、テキストしたりお互い家に招いたりはしていない。彼女は萌がいつも一緒にいる体育系ガールズとは明らかに別な系統に属すので、その辺の機微なのだと思われる。文化系カワイイ派は体育系から軽んじられており、萌自身がそっちに属したくないと思ってる様子。担任とも話したがこの年頃でそういう溝に無頓着でいて両派を行き来できる子はいないのだそうで、この人種文化によるディバイドはカナダ女子社会の難しいところである。
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■14/02/24(月) □ もの言わぬ人々の輝き
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オリンピックが終わってしまった。さびしいのう。オリンピック後最初の月曜朝なので、カナダ国営ラジオが調子にのっている。メダルをいちいち数え上げてはフーといっている。今頃学校では子供たちもオリンピック終わっちゃったねえ、寂しいねえと語り合ってることだろう。今日は小雪。
フィギュアスケートに関する素晴らしい記事が、あちこちでたくさん書かれている。
【有芝まはる殿下】フィギュアスケーターとして記憶されたい、とキム・ヨナは言った
『恐らくライバルというには浅田はキムにマッチしきれなかったと思うのだが、何故キムがそうありたいと願うものを浅田がああいう形で先に手にしてしまうのか、という運命的な何かとしての一つの刻み、というか。』
俺は SP で悲痛な真央さんを見て、もっとニコニコと笑い軽やかに滑る彼女を見たいと思っていた。だがエキシビジョンで実際それを見てみたら物足りなく思った。ニコニコ軽やかだけでは表せないものを、彼女のスケートプログラムは表していたんだなと思う。
【福山知佐子】浅田真央・ソチオリンピック
『素晴らしい作品を残して不遇な生涯を閉じた過去の芸術家たちに思いを馳せてしまう。さらになにひとつ作品など残さなかった、もの言わぬ人々をこそ思う』
書くことを生業としない人々のこうした素晴らしい観戦記をいま読めることに、福山さんがこの文章で書いた「芸術家たちの傍らに影のように寄り添う、なにひとつ作品など残さなかった、もの言わぬ人々」の数限りない存在を思わされる。語られることも書かれることもなくても星の数ほどの人々の想いがあり、それが表現者たちを高いところに押し上げていく。そしてオリンピックは輝くのだ。
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■14/03/03(月) □ いつか山川健一に手紙を出そう
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山川健一 @Yamakawakenichi
東京は快晴。1978年にLAで観てから、今日は何十回目かの…そしてもしかしたら僕にとっては最後のローリング・ストーンズのコンサートだ。文学や哲学や美術や、すべての表現の中でストーンズは最も素晴らしい。今もそう思うよ。この世界にストーンズが存在することを、神に感謝します。
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サカタ@カナダ @tomosakata
20代の頃東京でストーンズを聴き、RZで会社に向かい、休日には山川さんの本とテントを積んで山へ向かっていました。ストーンズとバイクについてたくさん書いてくれたことを、感謝してます。
ストーンズが日本に来ており、ツイッター音楽方面が湧き立っている。山川健一のナイスなツイートを見つけてメッセージを送ったら、彼が読んでくれた。感慨深い。俺も弟も彼が大好きだった。
山川健一の小説とバンドはストーンズのレベルには達していなかったが(少なくとも俺が東京に住んでた時点ではそうだった・笑)、そのエッセイと言葉はいつも俺たちを高揚させてくれた。ハイにしてくれた。たとえ物語や詩が完成しなくても、エモーショナルにロールし続けることに力があると教えてくれた。そのことが、自分が感動するほどの歌を作れない俺を勇気づけてくれた。廃墟の基地警備事務所で犬と暮らしていても、かっこいいことはちゃんと知ってるぜと顔を上げていられたのは彼のおかげだ。
その彼にいま、俺は直接言葉を届けることができる。まあ彼に読ませたいほどの言葉が湧いてきたらだけど。いつかきっと山川健一に、俺はツイッターで手紙を出そう。こんにちは山川さん、俺はいま外国にいます。落ち込んだりもするけれど、俺は元気です。
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