「格安 ZIPAir の旅」「ハリファックスの友人」「高校バンドボーイズ集結」「卒業写真のあの人は」ほか
■10月15日 格安 ZipAir の旅
バンクーバーYVR空港でチェックイン終了。今回は初めてJALの格安フライトZipAirで旅行してるのだが、持ち込み荷物制限が7キロと非常に厳しく、バッグ自体の重さと身の回り品とタブレットくらいで超えてしまう。ラップトップなど絶対持っていけないレベルなので、オプションのチェックイン荷物片道1万は購入せざるを得ない。高いなー。
それを買わねば1000ドルすら切りたしかに激安なのだが、実質1200ドルとなる。JAL、AirCanadaよりは200~300ドルくらい安いというレベル。ドリンクもフードも有料だがそれはなければないで我慢できるので、一人旅ならメリットはアリかなと思った。朝は空港で食べ、昼は持ち込んだサンドイッチで、晩飯$20だけカナダ時間6pmに出るオプションを購入しちょうどよかった。
計量された荷物にはタグがつけられる。持ち込み手荷物は軽いバックパックにし、削りに削って5キロほどだった。 どう計量するのかと思ったらチェックインカウンターのベルトコンベアについてるアレで、わりとドンブリ計量感があった。食料の入った手提げ袋とかは計量されなかったので、多少オーバーでも行けたかも。
バンクーバーYVR空港はほぼ自然光を明かりにしていて、どこもほんのり薄暗い独特の雰囲気がある。日本行きフライトの待合所に行くと、普段カナダ郊外では見かけない感じのおしゃれな日本の若者がいるなあと思う。そういうところからも、日本へ帰っていくという気持ちが盛り上がっていく。
離陸。なにもかもがちっちゃな、ミニチュアみたいな飛行機だZipAir🙂 座席は当然狭く出入りは大変だが、座ってしまうと脚をフルに伸ばせ前後左右体になにかが当たるところがまったくなく、よくできたシートで快適だった。タブレットを置く上のトレーがとてもいい。タブレットないと機内映画も見れないので必須です。
#ZipAir 今の飛行機はこうなのか、機内一括で窓を暗くするメカ(個別コントロールもあり)には感心させられた。日本行きの昼間フライトで10時間日が当たり続ける左側窓席だったのだが、この窓がUVと熱を完璧にカットしてくれ、白昼の成層圏の太陽が美しい月景色となっていた。すごいよね。こんな光景が見れたのはラッキーで、空の上からツイートした。Twitterが使えるくらいネットがつながるのがなによりえらかった。これは初めて。
空の上の父さんと話せるなんて不思議だと娘がメッセージをくれる。宇宙飛行士と話してるようなものだよね。Like, Ground Control to Major Tom. For here Am I sitting in a tin can Far above the world Planet Earth is blue And there's nothing I can do.
しかしこれだけインバウンドが盛んになっていても、やっぱり駅で外国観光客が不安そうに迷っているのを見る。俺もスカイライナーに乗ろうとして「スカイアクセス」と別表記があるのであれれと一瞬迷った。
前回スカイライナー日暮里駅ではマジでJRへの乗り換え法が分からず、駅員を捕まえ精算機でJR分を買うのだと聞くまで立ち往生した。「スカイライナー客は精算機使え」と書いてないわけである。日本人でも毎度戸惑うのだから、日本の駅案内類は常になにかが足りない。
あとバンクーバーでも成田でも、空港職員は移民が多いなと思った。そしてどうも仕事にうんざりしてるのか、あまり親切ではないのである。


千葉は田舎だーと毎回思う京成スカイライナー。なんか新幹線より乗り心地いいよね今は。何か変わった?
上野だー。新幹線発券機も、新幹線切符と運賃は別立てという建前を崩さないのでよく分からない券売機である。なのでスカイライナーもJRも券売機前に駅員がつき、使い方をガイドしている。根本的に 券売機の作り方 おかしいのではないかと思う。バンクーバーの私鉄など全駅無人駅で回ってるのだが。
北陸新幹線。窓際に座れず写真を撮れないのだが、長いトンネルを抜け軽井沢に出ると、わーきれいだなと思う。

しかし憧れのSuicaは長野の私鉄でも使えると娘に聞いたのだが、改札には昔ながらの駅員がハサミを構え立っておりタップできない。戻って自動販売機で試すがピッと言わない。時間がないのであきらめ現金を入れると横の窓がバカっと開き、にゅっと顔を出した駅員に「新札使えませーん」と言われた。ハア(ため息)。
結局出てきた駅員がSuicaはこうですと操作し購入してくれた。なにかボタンを押す必要があったらしい。そもそも『ユーザーが間違えると券売機から人が出てくる』という設定がコントすぎるだろw これで成田から電車3本、すべての券売機に駅員サポートがついていたことになる。日本の鉄道はわかりやすい券売機を作れないのだろうか。
しかし沿線に学校がある私鉄に乗っていて、日本の中高生は可憐だなあと思った。電車で文庫本や参考書を読んでるのだ。80年代かと思うような感動的光景である。「話しかけるように、揺れる柳の下を」と心のなかに歌が流れてくる。◆
そしてようやく信州の母の家で晩御飯。うまい。庭先のミョウガなど、こういうちょっとしたものがしみじみ美味い。いやはや長い旅だった。朝5時半に起床して、今ご飯をいただいてBC時間で夜中の3時半です。寝る。

【日本旅行2日目】カナダ時間の3時半頃寝て、5時間ほど寝て日本の1時半に目が覚めた。数時間写真編集などして再度寝る。ちゃんと熟睡できたのだが朝7時にバンバンバンと運動会か何かの実行を知らせる花火が鳴って目が覚めてしまった。
このうちの猫はテーブルに上がって良しなので、気をつけないといけない。目を離したすきに俺のカップからチー猫に水を飲まれてしまった。おまえww まあキミの家だからね🙂
兄貴とも久しぶりに話をした。体調を崩していたのだが、思ったよりも元気そうで安心した。
「これ生音がよく鳴るね。前回借りた安いのと違うな!」
「前のと同じだわ」
「あー。俺のレスポールJrは弦高がめちゃくちゃ高い。こんなギターを使っていたら、俺はもっと上手くなってた気がする (手遅れ」
と楽器の話が弾む。弟は釣師でプラモ師で細かい細工が好きなので、ギターもチューンアップされてるのである。
■10月18日 県下最大のイオンモール
【日本旅行3日目】町外れにできた、県下最大のイオンモールに行ってみる。聞きしにまさるスケールで、金曜昼でレストラン街はどこも長蛇の列。これは須坂・長野市のみならず北信のあらゆるビジネスが大ダメージだろうなあと思う。長野市内にもないような専門店と人気店が入っているのだ。ブラブラ見て回れるショッピング街と食べ物とエンタメが備わっており、一日過ごせる。暑い日雨の日雪の季節には行かない理由がない。
俺はせっかくだからラーメンを食べたかったのが30分も並ぶのが嫌なので諦めて(どこかローカルで食えるだろう)、1階のスーパーで信州名物オヤキを買い食いした。
◇ ◇ ◇
今回の旅前半の目的は親孝行なのだが、そのメインは母のipadやNHKプラスといったIT関連の不具合解消で、着いてすぐにできた。
あとはいろいろと昔話を聞いている。「昔のうちの店の間取りはこんだだったよね」とすき焼き屋時代の記憶を描いて見せると、「ここに隠し扉があったのよ」と信じられないような話が出てくる。お客が芸者を上げて騒いでいると、怒った奥さんが乗り込んでくるなんてことがあったんだそうだ。そんな場合に裏道へ逃げる扉があったんだと。信じられん(笑)。
「あまりの繁盛に脱税を疑われて、税務署の人に乗り込まれたのよ。まだ1万円札がないから千円札の束が山のようにあって。見られたら心証悪いかと足でベッドの下に押し込んだの」。昭和というか高度成長期の話がたいへんに面白い。そうしたおもしろエピソードのキーワードを書き留めておくのだ。
■10月18日 ハリファックスの友人
俺が94年に初めてカナダに住んだとき、東部ハリファックスの英語学校で同級生だった二人が静岡から長野まで訪ねてきてくれた。彼らの結婚式以来だから25年以上ぶりだ。駅の改札で待っていたらこの顔ですよ。たまらん🙂 LUMIX20mmフォーカス間に合わずも雰囲気伝わる。
ハリファックス英語学校のクラス写真。後ろで俺がノートを見せ「ちゃんと勉強してますよ」とアピールしている。左端の韓国企業特派員(だったと思う超優秀)ジャン・ワンくんだったかなと俺はよく口論したりしてた。「Tomoさんあなたの文法は間違ってますね」「だから勉強してんだろ、うるせえ!😉」
膝をついてる黒シャツの青年は在サウジ韓国外交官だったかの息子で、サウジで音楽もなにもない禁欲的青春を強いられえらい屈折していたが、俺がギターを弾けるのでリスペクトしてくれた。じゃあギター教えてやるよ、お安い御用だ。これがCだ、これがAmだ。写真を見ると思い出すなー。
その横のタスキがけ君は韓国技術大学の先生だったと思う。90年代韓国はとにかくエリートをガンガン留学させていたのだ。そういう時代だった。今の韓国の発展を支えてるのは彼ら90年代の留学生なんだろう。わが実家老舗店の焼肉を楽しみながら、そんな思い出話をたっぷりとしたのです。楽しかった。
■10月19日 高校バンドボーイズ集結
■10月19日 卒業写真のあの人は
今日、その頃俺が憧れてた中学同級生を招いてのミニ同窓会があった。卒業写真のあの人とあれこれ話しながら、一緒にお弁当をいただいたのだ。俺はもうこれはやるしかないとギターを手に取り「卒業写真」を弾き、彼女たちに歌ってもらいましたよ。Am [D7] G7、美しいコードと遠い思い出。感激。もう思い残すことはない。
今日母の家の猫が、宅配便の人が玄関が開けた瞬間を狙いすまし脱走した。30分ほど町内を追いかけたが見失い、仕方がないので放っておくと夜になって帰宅。そして彼はもう見るからに疲労困憊であった。何してたんだ外でw
白猫チーは野良猫時代が長かったらしく、母以外の人には慣れない。しかし俺は生活音小さく静かなので、一緒にいて怖くはないらしい。2匹はおばあちゃんといつもテーブルの上で過ごしている。


そうした交友の合間に親孝行をするのだ。風呂なんてピカピカだ。
■10月21日 すき焼きハッピーブラザーズ
今日は実家の店の定休日。店を切り盛りする甥たちが用意して、おばあちゃんと俺たち3兄弟に最高のすき焼きを食べさせてくれた。いやーやっぱり箸で切れる信州霜降り牛のすき焼きは最高にうまいなと、皆しみじみ語った。
【栗と信州そばと温泉と】親戚一家と小布施桜井甘精堂の泉石亭へ。帰国したら実家のすき焼きと、ここの蕎麦と栗おこわ御膳を食べずにはおれない。最高でした。ここは待ち時間が長いのだが、中はテーブルが空いている。つまり人員不足で無理にフル回転できないのだろう。だからおいしいのかもしれない。




延々30分駆け上がり駆け上がり。
絶景の名湯七味温泉山王荘へ。底が見えず入るときにちょっと怖い、熱さ程よい緑がかった白濁のお湯。うあー。これは俺が今まで入ったなかで最高の泉質だなあ。素晴らしい。
道中の絶景とこのお湯で、険しい山間ワインディングを駆け上る価値があったのであった。
■10月23日 旅の帰郷編はここまで
【日本ひとり旅前半終了】この旅の帰郷編は今日まで。母と一週間フルに過ごせてよかった。今回は思いがけないほど来客多く、俺も母も忙しい日々だった。母は老齢ながらかくしゃくとご飯を作り客を迎えてくれ、皆おいくつですかと驚いていた。こんなに働いたのは久しぶりだねと本人も笑っていた。働かせてしまったよね。
最終日は車でふるさとの町を走り、天気がよかったのでおにぎりを買い河原でいただいた。やっぱりいいよなジャパンと信州。おにぎりもだいぶ高くなったなしかし。うまいが。
高校の思い出の公園を最後に歩く。高1のときここでナンパし一度だけデートしてもらった女性は、高校の卒業生だった。つまり3つも年上の美人さんだった。何を話せばいいのかすら分からなかった。この町を歩けば、蘇る16歳。ずっと好きだったんだぜ。
家の掃除をして荷造りし、店に行き兄と最後にゆっくり話す。最近Kindleに椎名誠が入ってさ。この旅の夜も最近ずっと読んでるんだよと話すと破顔一笑となった。東京のアパートで同居してた頃シェアしてた本たちである。
若い頃の兄貴は不良のサーファーだったと言ったらムスメが驚いてたよと話すと、そんな時代だったなと笑っていた。そうかもね。並んで写真を撮る。またなと笑う兄。きっとまたすぐ来るよ。
濃密な9日間であった。みんなありがとう。そして週末からロッキン東京編がやってくるのである。
























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