「まわりくどい宿題の話法」「北米消費主義」「香川の謎」
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■11/11/19(土) □ まわりくどい宿題の話法
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萌の数学宿題を手伝ってるのだが、うーん毎度質問の意味が分からない。
「電卓で 2+3*4 と押すと正しい答えは出るか。どうしてそうわかるか」
電卓は四則演算の順番原則を知らないから答えは間違うわけだが、「どうしてそうわかるか」という問いにどう答えたらいいのだ。「正しい答えじゃないから間違ってるとわかる」としか答えようがないではないか。そんな馬鹿みたいなことが書けるか。
あとから考えるとこの問いは、「足し算に続いて掛け算がくるところで四則演算の規則から外れてしまうことがわかる→正しい答えは出ない」というのが解答となるんだろう。
しかしそう答えさせたいなら、「正しいか正しくないかはどの段階でわかるか」と聞けばよいではないか。これなら解釈が入る余地がないので、俺の脳でも即座に「ココ!」と作動する。子供の脳も即作動し、「そうか足し算に続き掛け算がくれば間違うんだよな」というロジックが論理ピースとして気持ちよく頭に入るだろう。「どうしてそうわかるか」はクエスチョンとして曖昧すぎ、何が質問なのかをまず解釈するという無駄手間が思考を足止めするのだ。
カナダの教科書は数学に限らずこの手の抽象的な、真意を測りかねる問いが多い。抽象的な思考を鍛えれば子供の頭が良くなるとでも思ってるのかな。それくらいで頭が良くなったら苦労せんわ。宿題など徹底して具象化し、さっさと終わらせ別なことをやらせたほうがよっぽど有意義だわ。
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■11/11/20(日) □ 北米消費主義
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夕方萌が、友達がみんな持っていて自分が持ってない素晴らしいものを列挙し始め、それが iPhone、iPad、ラップトップ、Xbox、キネクト、Wii、PS3、Skype ……と長大なリストとなった(あとMには皮のブーツがほしい、スキニージーンズがほしいとファッションものの要求もあったとのこと。友達BLの影響だ)。
最初は「でも萌は完璧なデスクトップ PC を持ってるじゃん、DS だって XL だって自分専用のビデオカメラ($10!)もあるし」と笑っていたのだが、「でも○○なんか全部持ってるんだよ、それで私が持ってないからからかうの」と言われ、なんなんだ今の子供はと腹が立ってきた。
「だったら『そんなに甘やかされて恥ずかしくないのかお前は』と言ってやれよ。私が子供の頃は家が大きな店だったから金持ちで、他の子供よりいいものを買ってもらえたけど、でも中学くらいになれば自分が甘やかされてると感じるから貧乏な家の子に対してちょっと恥じていたよ。バスケシューズだってアディダスじゃなくて日本の安いのを自分で選んで買ってもらったし。そういうのって今のカナダの子供は感じないの?」と問うと、「感じないよ」と否定されてしまった。これはカルチャーギャップなのか、ジェネレーションギャップなのか。そういう感覚って昭和 or 20 世紀的なんでしょうか。
Mによればカナダでも昔は俺の感覚と似たようなもので、この行き過ぎた消費第一主義は企業の指先で踊る現ジェネレーション(子供とその親)の特徴なんだそうだ。「これが嫌だから萌の自我が落ち着くまで海外で暮らしたいと思うくらいだ」という。日本がカナダよりずっといいのかどうかわからないけれど、カナダ(と米国)はひどすぎるとのこと。どこか素朴な発展途上国に住みたいとMは言うが、なかなかそうもいかんよなあ。
ともあれ、他の子が持ってるものを萌が持ってないのは気の毒だと思わないではないが、萌がモノに窮乏した気の毒な子だなんてことはまったくない。どうしようもないしどうするつもりもない。今あるもので十分だしハッピーな毎日ではないか。インターネットに繋がってる自分専用の PC があるんだから実際、十分以上だぜ。
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■11/11/23(水) □ 香川の謎
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【CLアーセナル-ドルトムント】香川って、なんなんだろう。味方がボールを奪いさあ攻撃というとき、彼はいつでもゴール前の敵のまっただ中でハーフスピードで走っている。ボールをもらえばスペースがないところでもコントロールする自信はあるんだろうけど、お前味方もなかなかそこにはパスを出せないだろう。カットが危なすぎるし、たとえ通っても十中八九は詰められ弾かれ終わるだろう。香川はドリブラーでもパッサーでも点取り屋でもない。一体俺は彼が何をすることを期待して見てるのかなとだんだん意識が遠のき、途中で他のことを始めてしまった。
不思議なのはこうして日本人の俺が見てもエキサイトしない香川が、ブンデスの強豪クラブでスタメンで、このプレイでも下げられないということだ。彼はなにを期待されているのだろう。特徴のない選手が中途半端な主張性の低いプレイをやってるのだから、俺がドルトムントのサポーターなら「香川だけでなく○○も試せ」みたいに監督にブーイングすると思う。今日最後に決めたのも例によってプレイに絡んでなかったからオープンスペースでボールをもらえたわけで、香川よりも頑張って切り込み香川に出した選手の手柄なのは明らかだ。
2010 年の香川絶好調時のビデオを見ると、特にすごいと思うプレイはないが、今日のゴール同様味方との協調でうまく点を取っている。いいところに動きいいところでボールをもらい、うまい巡りで点を取るという感じ。しかしその巡りは彼の回りにもうないわけだから、もっと考え抜かないと今後この試合以上のことはできないんじゃないかと思う試合だった。
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■11/11/26(土) □ 温泉ゲームはコロレット
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秋恒例のハリソン・ホットスプリングス。暗くなる直前のフレイジャーバレーを楽しみながら走る。紅葉はもう終わってしまったが、新雪が降りた山々がひたすら美しい。昨日 NHK「家族に乾杯」を見て隅々まで人が住む場所の味わいがある日本の田舎はいいなあと思ったが、カナダの田舎は人が少ないがゆえの美しさがある。
ありがたいことに、ハリソンホテルの子供プールの温度が高くなっていた。去年までと2度は違うんじゃないかな。キンキンに冷えた頭を温かいお湯につけて仰向けに浮くと最高に気持ちいい。
姪SFが「マーシャンダイス」という、行くか戻るか程度の軽いアメゲーを持ってきた。そこで名作ドイツカードゲーム「コロレット」を紹介してみる。コロレットは「10 分で終わるゲームがあるけど試してみる?」と超低敷居で切り出せ、ダイスゲームと大差ない軽さでちゃんと戦術駆け引きが楽しめるところがやはり優れたゲームで、半分を過ぎる頃にはSFももうキモが見えて、俺のカラーを盗むなどして楽しんでくれた。ほとんど誰でも初戦の途中で、「これでどうよ(ニヤリ)」という手を打ってくれるのである。そこが実に楽しい。SFにはこのゲームは明らかにスマッシュヒットだった。
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そして午後ついにうちの奥さんMにグレンモアを教えたのだが、全くウケず。「こことここがアクティベートされて生産物が出て、同時にここでウイスキーを作れるわけ」と説明を加えるたびに眉をひそめていく。うー、いかんと思うがどうしようもない。
このタイルならこう、このタイルならこうと俺がアドバイスしてMの村が途中から見事に機能し大勝したのだが(萌は旅行の精神的浮わつきで全然まともにプレイしてなかった)、結局「複雑だわね」というコメントだけで終わってしまった。まあチケライでも初回はこんな感じだったので、ゲーマーじゃない人はすべてのルール≒自分がやることが最後までクリアに見通せないとイラつくのかもしれない。そうした人々にはたぶんルール分量のしきい値があって、カルカソンヌの「草原」、チケライ Euro の「トンネル」、カタンの「盗賊」といったエクストラ要素がそのしきい値を超え、簡単に「面倒くさい/複雑」回路につながってしまうんだろうな。
まあグレンモアは間違いなく面白いゲームで、お母さんもいつかは分かってくれるだろう。現時点では萌が「グレンモアは全然気に入らなかったの? 全然?」と聞いても、「(面白くなる)ポテンシャルは見て取れるわね」という望み薄なコメントだったが(嘆)。
続いてまたSFを交えチケットトゥライド Europe。SFがうまくてびっくりした。やったことがあるとは聞いていたが、最初にいきなりストックホルム-ペトログラード線21点を取るのである。明らかにこのゲームの勝ち方を定石として知っている。その後も順調につなぎ見事に彼女の快勝。
驚いてあとで話を聞くと、ボーイフレンドが TRPG ゲーマーで、彼女もゲームグループに属しているのだとのこと。そういえばその連中らしいのがいつかのパーティに来ていて、全員でアニメを見ておりナードっぼいと思ったな。彼らはナード(スポーツ苦手で勉強得意な輩)ではなくゲームギークだったのか。そしてSFも乗馬が好きだからスポーツガールなのかと思ったら、ギークだったのか。かわいいではないか :-)。
しかしホテルのロビーでチケットトゥライド Europe をやっていても、隣のテーブルで定番の家族ゲーム「スクラブル」などをやってる人たちがこっちをチラ見すらしないのが不思議だった。これほど美しいビジュアルを持つボードでも、ボードゲームに興味がない人々の目には訴えないものなのかな。ある種の美術品への興味の有無に近いものがそこにある気がする。
その後Mが意外にもコロレット戦をコールし、これが予想外に盛り上がって怒涛の3連戦、Mの2勝1敗。Mはこれまでコロレットの面白さにさほど気づいてなかったのだが、旅行の浮き立つ気分&軽いルールと軽いジレンマが非常にマッチした模様。コロレットは面白いんだが地味で抽象的だから盛り上がらないのかなあと半ばあきらめ半引退状態になっていたのだが、Mは時間が許せばいくらでも勝負を続けそうな勢いだったし、SFも帰ったらすぐこれを買うというほど気に入ってくれたし、うれしい復活のコロレット誤算であった。
やっぱ当初思った通り、コロレットはカバンにちょっと忍ばせておけばいつか役に立つえらいやつなのである。今度人の家にも持って行こう。他家を訪問して短時間でインストしてプレイするのに「グレンモア」はいささか重いなと思っていたのだが、コロレットならばバッチリだわ。コロレットの軽さと貫通力に自信がついた温泉旅であった。
2011/11/29
2011/11/18
日記「呼び寄せ移民の不可思議さ」
「北朝鮮-日本戦」「カーネーション・糸子の落語の世界」
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■11/11/13(日) □ 呼び寄せ移民の不可思議さ
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チャイナから来ているW夫妻のご両親に会う。ご両親は今回6ヶ月(!)滞在する予定とのこと。大変だ。W夫妻は正直滞在初日から世話の大変さに疲弊しているようだ。衣食も言葉も移動さえも、すべての負担がのしかかってくるんだから当たり前である。なんでよりにもよってこんな気候が悪く、奥さんが妊娠後期で大変なときに来るのかな。生まれてから来ればいいのに。
将来はこの両親を移民させ同居するという話だが、本当にそうなったらご両親のこの先何十年の生活のすべてがW夫妻の肩にかかってくるのだ。大変すぎる。そんな暮らしが今より幸せなわけがない。
この中華民族がやる一族呼び寄せ移民って変だよな。呼ぶ方の負担は半端ではないし、呼ばれるお年寄りはカナダになんの目的もなくただやってきて、中華式生活を続けるだけなのである。移民の意義はおろか意味もない。カナダもただ彼らが落とすお金でもって、国の一部を売ってるだけだ。W夫妻の浮かない顔を見ながら、俺にはW夫妻がこの中華式家族計画による災難に遭っているとしか思えないのだった。だいたいご両親だって浮かない顔をしている。娘を訪問しても、別にカナダ滞在を楽しんではいないのである。
カナダに日本移民は少ないが、日本のお年寄りとなるともうほとんど見たことがないくらいに少ない。呼び寄せ移民がないからだ。中韓移民に比べて日本移民が桁違いに少ないのは、単に日本のほうが出て行きたくならない国だからだろうと俺は思うのだが、中国のお年寄りがこういう形の意義も意味も楽しみさえもそんなになさそうな移民をできるところから見ても、やはりそう思う。日本のお年寄りにこんなことはできないだろう。
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■11/11/14(月) □ 北朝鮮-日本戦
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【北朝鮮-日本】どうも日本が思い通りにプレイできないな。ボールの弾み方が違うのか(弾んでもまったくスピードが落ちない)ボールタッチがいちいち合わず、憲剛らがボールを落ち着かせられないのが難しい。メンバーが大幅に違うので意図が合わず出しどころにも迷っている様子。
北朝鮮の剛直なサッカーも実に手強い。しかし汚いことはしてこない国なので、これは糧となる試練である。頑張ってくれ、機会を与えられた代表選手たち。
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しかしみんなが大好きな憲剛がいいところなく後半交代。この試合はみんないいところないけど、やはりこういう苦しいところで憲剛に仕切ってほしいわけで、がっくりだな。内田が入るというのはいいなと思う。プレスが弱いところからボールを出せる。
今日は前田も憲剛もみんな 1st タッチがからきし駄目なのに、内田だけはいつもの通りに走りながらピタっとボールが足にくっつき、前方を見渡したまま次のプレイの選択ができている。かつての中田ヒデのようだ。今日は時間が足りないが、この343ならば内田が司令塔となれるだろう。実際何度もチャンスを作り出しており、シャルケでのプレイのようだ。
試合終了。うーん。まあ仕方がない。相手がよく、こっちが駄目だった。ためになる試合ではあった。最後に真剣に343でトライできたのもよかった。
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この強い北朝鮮に負けたことは仕方がないが、しかし憲剛が何もできなかったのはがっくりである。こんな試合ではボールを落ち着かせ味方に時間を与えることが憲剛に一番してほしい仕事で、人工芝のバウンスと相手の強烈な走力プレスによる時間のなさという難しさはあったろうが、1人でなんとかするのは無理でも、清武や長谷部とのつなぎでプレスを交わし打開してほしかった。そこが急造チームのコンビネーション不足というものなのかもしれんが、後半になってもまだトラップミスでボールを後逸したりしているのを見るとどうしても、ファンとしてはがっくりなのである。内田や本田のような持って生まれたものがある「クラス」プレイヤーとの違いを感じてしまう。期待の高い清武も、この試合ではまだ評価のしようがないなというプレイだった。久しぶりに悔しいゲームでした。
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■11/11/15(火) □ 糸子の落語の世界
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NHK「カーネーション」が本当にすばらしい。糸子やおばあちゃんやお父ちゃんや髪結いおばちゃんの姿を思い返していて、これは落語だなと思い至った。糸子のような人から世の中を見るとその複雑さやコマかさはザルからさっと抜け落ちて、ああした落語の世界に見えるに違いない。
そして落語や「カーネーション」のような劇のすばらしさは、糸子みたいな人が見る世界を、そうでもない人々―――つまり何かにつけ考え過ぎな私たちにも見せてくれ、そこに居させてくれることにある。それはなんて気持ちがいいことか。
強情一直線な娘、無体な頑固親父ややさしいおばちゃんたち、情けない幼なじみやごうつくばりな洋服屋らがわいわいと息づく滋味あふれる世界に、「カーネーション」は私たちを招いてくれる。ありがたいありがたい。
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このドラマはスピード感も半端ではない。前シリーズ「おひさま」の1週間分が1話に入っているという感じ。なにか悪いことが起きて「さあどうなる! 続きは来週!」みたいなところがなくて、その日のうちに次の話になっている(笑)。すべてをあっさりと短時間で、くっきりと深く描写しているのだ。このスピードで話を進めてもちゃんとエピソードがあるんだから、糸子は波乱万丈の人生だったんだろうし脚本家もすごいんだろうなあ。
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■11/11/13(日) □ 呼び寄せ移民の不可思議さ
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チャイナから来ているW夫妻のご両親に会う。ご両親は今回6ヶ月(!)滞在する予定とのこと。大変だ。W夫妻は正直滞在初日から世話の大変さに疲弊しているようだ。衣食も言葉も移動さえも、すべての負担がのしかかってくるんだから当たり前である。なんでよりにもよってこんな気候が悪く、奥さんが妊娠後期で大変なときに来るのかな。生まれてから来ればいいのに。
将来はこの両親を移民させ同居するという話だが、本当にそうなったらご両親のこの先何十年の生活のすべてがW夫妻の肩にかかってくるのだ。大変すぎる。そんな暮らしが今より幸せなわけがない。
この中華民族がやる一族呼び寄せ移民って変だよな。呼ぶ方の負担は半端ではないし、呼ばれるお年寄りはカナダになんの目的もなくただやってきて、中華式生活を続けるだけなのである。移民の意義はおろか意味もない。カナダもただ彼らが落とすお金でもって、国の一部を売ってるだけだ。W夫妻の浮かない顔を見ながら、俺にはW夫妻がこの中華式家族計画による災難に遭っているとしか思えないのだった。だいたいご両親だって浮かない顔をしている。娘を訪問しても、別にカナダ滞在を楽しんではいないのである。
カナダに日本移民は少ないが、日本のお年寄りとなるともうほとんど見たことがないくらいに少ない。呼び寄せ移民がないからだ。中韓移民に比べて日本移民が桁違いに少ないのは、単に日本のほうが出て行きたくならない国だからだろうと俺は思うのだが、中国のお年寄りがこういう形の意義も意味も楽しみさえもそんなになさそうな移民をできるところから見ても、やはりそう思う。日本のお年寄りにこんなことはできないだろう。
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■11/11/14(月) □ 北朝鮮-日本戦
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【北朝鮮-日本】どうも日本が思い通りにプレイできないな。ボールの弾み方が違うのか(弾んでもまったくスピードが落ちない)ボールタッチがいちいち合わず、憲剛らがボールを落ち着かせられないのが難しい。メンバーが大幅に違うので意図が合わず出しどころにも迷っている様子。
北朝鮮の剛直なサッカーも実に手強い。しかし汚いことはしてこない国なので、これは糧となる試練である。頑張ってくれ、機会を与えられた代表選手たち。
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しかしみんなが大好きな憲剛がいいところなく後半交代。この試合はみんないいところないけど、やはりこういう苦しいところで憲剛に仕切ってほしいわけで、がっくりだな。内田が入るというのはいいなと思う。プレスが弱いところからボールを出せる。
今日は前田も憲剛もみんな 1st タッチがからきし駄目なのに、内田だけはいつもの通りに走りながらピタっとボールが足にくっつき、前方を見渡したまま次のプレイの選択ができている。かつての中田ヒデのようだ。今日は時間が足りないが、この343ならば内田が司令塔となれるだろう。実際何度もチャンスを作り出しており、シャルケでのプレイのようだ。
試合終了。うーん。まあ仕方がない。相手がよく、こっちが駄目だった。ためになる試合ではあった。最後に真剣に343でトライできたのもよかった。
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この強い北朝鮮に負けたことは仕方がないが、しかし憲剛が何もできなかったのはがっくりである。こんな試合ではボールを落ち着かせ味方に時間を与えることが憲剛に一番してほしい仕事で、人工芝のバウンスと相手の強烈な走力プレスによる時間のなさという難しさはあったろうが、1人でなんとかするのは無理でも、清武や長谷部とのつなぎでプレスを交わし打開してほしかった。そこが急造チームのコンビネーション不足というものなのかもしれんが、後半になってもまだトラップミスでボールを後逸したりしているのを見るとどうしても、ファンとしてはがっくりなのである。内田や本田のような持って生まれたものがある「クラス」プレイヤーとの違いを感じてしまう。期待の高い清武も、この試合ではまだ評価のしようがないなというプレイだった。久しぶりに悔しいゲームでした。
「ChongTese9: 前半での途中交代は初なので悔しかったけど人工芝に慣れずボールが足についてなかったので納得してます。」―――このチョンテセのツイートのおかげで、海外でプレイする彼でも適合できなかったんだから、Jリーグ精鋭たちのトラップがまるで駄目だったのも仕方がないかとチトほっとした。
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■11/11/15(火) □ 糸子の落語の世界
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NHK「カーネーション」が本当にすばらしい。糸子やおばあちゃんやお父ちゃんや髪結いおばちゃんの姿を思い返していて、これは落語だなと思い至った。糸子のような人から世の中を見るとその複雑さやコマかさはザルからさっと抜け落ちて、ああした落語の世界に見えるに違いない。
そして落語や「カーネーション」のような劇のすばらしさは、糸子みたいな人が見る世界を、そうでもない人々―――つまり何かにつけ考え過ぎな私たちにも見せてくれ、そこに居させてくれることにある。それはなんて気持ちがいいことか。
強情一直線な娘、無体な頑固親父ややさしいおばちゃんたち、情けない幼なじみやごうつくばりな洋服屋らがわいわいと息づく滋味あふれる世界に、「カーネーション」は私たちを招いてくれる。ありがたいありがたい。
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このドラマはスピード感も半端ではない。前シリーズ「おひさま」の1週間分が1話に入っているという感じ。なにか悪いことが起きて「さあどうなる! 続きは来週!」みたいなところがなくて、その日のうちに次の話になっている(笑)。すべてをあっさりと短時間で、くっきりと深く描写しているのだ。このスピードで話を進めてもちゃんとエピソードがあるんだから、糸子は波乱万丈の人生だったんだろうし脚本家もすごいんだろうなあ。
2011/11/16
日記「夢を広げるボードゲーム」
「大人の顔色読解問題」「戦没者記念演劇」「子供チケライの難しさ」
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■11/11/04(金) □ 大人の顔色読解問題
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また学校のバカ厳格ルールで萌がとっ捕まり、ゴメンナサイと言いながら帰ってきた。昼休みに仲のいいKYと回転椅子でグルグル回って遊び叩き合ってじゃれていると、監視係(職員?)に見つかり反省文を書かされ謹慎処分を受けたという。来週1週間ランチを職員室で摂るんだそうだ。
で持ち帰って記入し親に見せろと言われた反省文が笑止千万で、「自分のしたことの何が間違っていたのか」「学校の規律のどの部分に抵触するのか」「どうすればよかったのか」なんて文章を書く欄がある。
「私は1つも答えが分からんよ萌。ちっとも悪いことと思えん」と俺が苦笑すると、萌はお父さんはまったくわかってない的な呆れた顔をして、「お互いをリスペクトしなければならないという部分に抵触した」「叩き返さず注意するべきだった」などとそつなく反省文をしたためていた。萌のほうがやはり俺よりもはるかに、カナダスクールライフでの処世術に長けている。えらい。
しかしよくこんなものを恥ずかしげもなく子供に書かせるな。子供はかくのごとく、校則が期待する答えを行間から読み取ってそのまま答えるだけだ。道徳ではなく大人の顔色読解問題である。
この学校には「生徒がボディコンタクトをすることは許されない」という校則があるんだそうだ。これは男女だからではなく同性でも適用されるとのこと。
なんだこの狂った校則はとMに尋ねると、これはイジメ防止の一種だと解説してくれた。つまりじゃれ合っている風のボディコンタクトでも実際はイジメだということはママあることで、現場を捉えた教師が当人に問うても、イジメられている方が「これはイジメです」とは絶対に言えないというジレンマがある。だからボディコンタクトは一括して禁止するというのがこのテの校則なのだとのこと。
そのジレンマははなるほどで、だからイジメってなくならないのかと合点が行くが、一括して禁止という安易さが例によって、教師の仕事を減らすために子供の楽しみを犠牲にする悪弊ではないか。腹が立つ。とりあえず萌には、「悪いことをしたなんて思わなくていいけど、学校のルールがこうなんだから仕方がないね」としか言いようがなかった。
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■11/11/05(土) □ 夢を広げるボードゲーム
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美しく強力な城をめぐり、
争奪戦が繰り広げられる
午後萌とグレンモア。萌が序盤から村タイルを取りまくり引退させまくる首長作戦に出る。この作戦は Duart Castle(村タイルx3点)がキーとなるので俺がそれを奪おうとすると、あーやめてーと萌に懇願され、結局まあいいかと譲ったためまたも彼女の大勝となる。まあ楽しいからいいか。
このゲームでは萌が引退させまくった総勢6名もの首長たちのために、ダミーダイスが取った捨てタイルを並べ豪華なリタイヤメントビレッジ(隠居村)を作り上げた。食べ物はなんでもあるし、どこの村より施設も充実している。「これまでよく働いてくれたわ、さあさあお肉をどうぞー、たくさん食べてねー。蒸留所が来たわよー、お酒よー、樽もおまけでどうぞー。お城やレイクもあるわよー、ビュー(景色)を楽しんでねー」。
んで、一方萌の村でネス湖の犠牲になったワーカーが、「あいつらはちっとも働かないうちに引退してライフを楽しんでるのに、俺は生贄かよ! It's not fair!」とゴネまくり、またまたサブゲームが盛り上がりまくったのです。ボードゲームは本当に隅々まで素敵だ。コマもタイルもチップもボードも夢を広げてくれる。
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ドイツボードゲーム趣味に目覚め1年でやったゲームは15種ほどになるが、美しいボード上で豊富なコマをジャラジャラと使い、絢爛豪華に生産拡大し城を建て騎士を使い戦いをするみたいなゲームも是非ほしい。
しかしボードだけなら惚れ惚れするほど美しいものがいくらでも見つかるが、美しければ美しいほど複雑でめんどくさそうなのが難しいところ。←この「コロセアム」なんて日本語レビューも見つからず面白いのかどうかまったくわからないが、一目見るだけで「うわすごい!」、そして同時に「めんどくさそう!」と思う。描き込まれたものが多いほど俺のような男の微細精巧品趣味をくすぐるが、一目瞭然明解なシステムからは当然どんどんと遠ざかり、マニアックになって家族向けゲームから離れていく。そこがボードゲームのジレンマだ。
しかし汲めども尽きぬ泉なのがこの世界なわけで、いつかは絢爛豪華でありながらチケライ Euro やグレンモアくらいのウェイト(3人で1時間弱)に収まるゲームにもめぐり逢えるだろうという気はする。グレンモアだってついひと月前までは名前も知らなかったのだし。
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■11/11/10(木) □ 戦没者記念演劇
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萌中学のリメンバランスデイ(戦没者記念日)集会。合唱部・演劇部・吹奏楽の発表会を兼ねているので見に行ったのだが、音楽全般の総指揮を取る元バンドマンの先生が音モノはなんでもドラム+電気楽器+マイクでセットをまとめる癖があるようで、合唱部まで先生3名によるバンド+マイク構成だった。
合唱部総勢40名で前列の子供がマイクを持つという構成で、2曲やり前列と後列を入れ替えて全員がマイクを使えるようにするという段取りになっていたのだが、これじゃ後列にいる子供は歌う意味もない。
それにこないだのスクールロックコンサートもそうだったが、子供はマイクを使って歌うのが下手なので、――というか大人数でマイクを使うということがそもそも間違いで、スピーカを通って聞こえてくる声が自分の声ではなく他の人と混じった声なので、誰もちゃんと音程が取れない。音程が取れないから不安になる→自分の声を聞きたくて大声を出す→全員ががなりたて余計に音程ははずれていくという悪循環になってしまう。合唱はやっぱ自分の脳内音響で音程が取れる素の声じゃなきゃダメなのだ。1人1人はきっと歌が好きな子供らだろうに、残念なデキであった。
この元バンドマン先生は見るからにいい人で、指導に熱心なのは実にありがたいが、ちょっと趣味的すぎるな。このマイク付き合唱はほんとやめてほしいのである。
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次いで演劇。萌はこのドラマのユダヤ人役としてダビデの星をつけた衣装を作らされた。ナチス役もいるし、ベトナム戦争のエピソードも入ってるらしいし、なんかちょっとセンシティブなマターを気軽に導入しすぎており、指導の先生が軽率露悪的なんではないかとMと共に心配している。
聞けば案の定このシナリオを練っていく段階で、「第二次大戦はパワーをほしがったドイツが始め、日本に落とされた爆弾で終わったのよね」みたいなことを生徒たちが話していたとのこと。そういう子供のインスタントな認識にいかにもつながりそうな題材ではないか。
だが始まってみると総勢60~70名ものキッズが音楽に乗せてさまざまな戦争悲劇を演じる壮大なモブ(群衆)無言劇で、なかなか素晴らしかった。個々の演技が何を示すのかはイマイチわからなかったが(ガス室送りとか教室でテロリストが機関銃乱射などというシーンがあり、やっぱり露悪的ではある)、そうした戦争悲劇シーン→現代ガールズの群舞→悲劇シーン→群舞という構成になっていて、戦争は悲劇だ、若い世代の命を生かそうというメッセージがよく伝わってくるパフォーマンスだった。心配したような安直なイデオロギーが入ってくるなんてことはなかったのであった。
萌は群衆の一部だったが、演じているもの全体への満足感は非常に高かったらしく、ビデオを見ているときに熱心に解説してくれた。俺がビデオカメラでときおり萌をアップにしていたので、お父さん私じゃなくて全体を撮らなきゃ駄目じゃないと叱責された。すいません (^-^;。
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■11/11/11(金) □ 子供チケライの難しさ
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風邪をひき、久しぶりに咳で眠れなかった。咳につれ腹筋と頭がいたし。ぐったりしていると萌が俺とMにランチを作ってくれた。ありがたい。すまんねえ。リメンバランスデイの式典中継の途中、ちょうどこの時間になり記念撮影。
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朝飯後Mがチケットトゥライド Euro をコール。もちろんいいけど、グレンモアもそのうちお願いしますよ。今回は萌と俺の路線がだいぶかぶったおかげでスリリングなゲームを楽しめた。ロンゲストを取り久々に俺の勝利。
右の機関車カードが2枚必要な
路線をつなぐのが難しい
しかし萌はこのゲームはいつも終盤ダレるな。あと機関車カード2枚で最後のチケットがつながるといったあたりまでは素晴らしい勢いとクリエイティビティでつないでいくが、必ずそこでスタックしてしまう。機関車が出るまで延々デッキからブラインドでトレインカードを引きまくり、機関車カードは確率的にそうそう出ないので無駄カードをどっさりと貯め、終盤はさっぱり点が取れず終わるのだ。必要なカードが早いうちに手に入れば萌も勝負になるが、たいていはこうして後半しぼんでいくのである。
ここを突破するにはそのチケット達成をいったん保留して、新チケットを取るか自分の既存路線を伸ばしロンゲストトラックを目指すなど別の作業をしつつ必要なカードが場に出るのを待つ臨機応変さが必要で、この保留・優先順位付けが萌はどうもできないのだ。その優先順位付けの下手さは毎日の宿題をやってるときとまったく同じなので(笑)、いつか成長につれチケライと宿題のトンネルを同時突破してくれるだろうが。
毎回同じパターンで負けるので萌のチケライ熱はグレンモアに比べ相当に下がっており、これはいかんと俺は萌の苦手を支援する方法を考える。カタンの港やグレンモアの「歳の市」みたいに、手札から3枚出せば必要なカードが1枚取れるというハウスルールがいいんじゃないかな。貴重な機関車は「食料品店」みたいに、同色3枚で1枚とか。今度これをテストプレイしてみよう。
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風邪で掃除をする体力もないので、有料ユーザーとなったタブッターを1日いじっていた。ミュート機能なんかこれまたえらいよくできていることに気づく。ミュートされてるツイートを確認するためにミュート一時解除することができるのだが、このとき該当ツイートがわかるよう薄字で表示されるのである。こうしたディテイルで、作者がいかに愛情を込めタブッターを育てているかがよくわかる。今回払った年課金が切れる前に、買取オプションができてほしい。こいつを恒久的に自分のものにしたいという愛情がユーザーにもあるのです。
タブッター無償版廃止がこれほど叩かれているのは、代えが利かないからだ。他に代わりになるものがあるなら皆黙って移行するのである。タブッターは似たものすらない唯一無二の存在であり、離れたくないのに離れざるをえない究極の便利ツイッター中毒となったユーザーが嘆いているのである。
無償ユーザーを便利中毒にしてから捨てたというのは事象だけ見ればたしかにひどいが、タブッター氏のつぶやきを見ていた俺にはこれはスキームではなく結果としてそうなったのだとしか思えない。有料無料両立で稼げていたらタブッター氏もここまでバッサリとはやらなかっただろう。ネットビジネスの構造はさっぱりわからんが、とにかくタブッター氏がなんの利益も得られないうちに他にこの独創的デザインを真似されるのだけは、見たくないものである。
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Perfume「レーザービーム」のポーズ、
毎夜踊ってます。
夜友達のホームパーティに呼ばれた萌を迎えに行くと、出てきたお母さんが「みんなでジャパニーズポップソングを踊ってたわよ。Perfume っていうの?」という。「う (^-^; こういうダンスですか(フリフリ)?」「そうそう」と、萌のパフューム啓蒙運動は新規に3人ファンを追加した模様。カナダでもしパフュームの人気が出たら、萌は褒美を貰う権利がある。
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■11/11/04(金) □ 大人の顔色読解問題
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また学校のバカ厳格ルールで萌がとっ捕まり、ゴメンナサイと言いながら帰ってきた。昼休みに仲のいいKYと回転椅子でグルグル回って遊び叩き合ってじゃれていると、監視係(職員?)に見つかり反省文を書かされ謹慎処分を受けたという。来週1週間ランチを職員室で摂るんだそうだ。
で持ち帰って記入し親に見せろと言われた反省文が笑止千万で、「自分のしたことの何が間違っていたのか」「学校の規律のどの部分に抵触するのか」「どうすればよかったのか」なんて文章を書く欄がある。
「私は1つも答えが分からんよ萌。ちっとも悪いことと思えん」と俺が苦笑すると、萌はお父さんはまったくわかってない的な呆れた顔をして、「お互いをリスペクトしなければならないという部分に抵触した」「叩き返さず注意するべきだった」などとそつなく反省文をしたためていた。萌のほうがやはり俺よりもはるかに、カナダスクールライフでの処世術に長けている。えらい。
しかしよくこんなものを恥ずかしげもなく子供に書かせるな。子供はかくのごとく、校則が期待する答えを行間から読み取ってそのまま答えるだけだ。道徳ではなく大人の顔色読解問題である。
この学校には「生徒がボディコンタクトをすることは許されない」という校則があるんだそうだ。これは男女だからではなく同性でも適用されるとのこと。
なんだこの狂った校則はとMに尋ねると、これはイジメ防止の一種だと解説してくれた。つまりじゃれ合っている風のボディコンタクトでも実際はイジメだということはママあることで、現場を捉えた教師が当人に問うても、イジメられている方が「これはイジメです」とは絶対に言えないというジレンマがある。だからボディコンタクトは一括して禁止するというのがこのテの校則なのだとのこと。
そのジレンマははなるほどで、だからイジメってなくならないのかと合点が行くが、一括して禁止という安易さが例によって、教師の仕事を減らすために子供の楽しみを犠牲にする悪弊ではないか。腹が立つ。とりあえず萌には、「悪いことをしたなんて思わなくていいけど、学校のルールがこうなんだから仕方がないね」としか言いようがなかった。
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■11/11/05(土) □ 夢を広げるボードゲーム
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美しく強力な城をめぐり、
争奪戦が繰り広げられる
このゲームでは萌が引退させまくった総勢6名もの首長たちのために、ダミーダイスが取った捨てタイルを並べ豪華なリタイヤメントビレッジ(隠居村)を作り上げた。食べ物はなんでもあるし、どこの村より施設も充実している。「これまでよく働いてくれたわ、さあさあお肉をどうぞー、たくさん食べてねー。蒸留所が来たわよー、お酒よー、樽もおまけでどうぞー。お城やレイクもあるわよー、ビュー(景色)を楽しんでねー」。
んで、一方萌の村でネス湖の犠牲になったワーカーが、「あいつらはちっとも働かないうちに引退してライフを楽しんでるのに、俺は生贄かよ! It's not fair!」とゴネまくり、またまたサブゲームが盛り上がりまくったのです。ボードゲームは本当に隅々まで素敵だ。コマもタイルもチップもボードも夢を広げてくれる。
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ドイツボードゲーム趣味に目覚め1年でやったゲームは15種ほどになるが、美しいボード上で豊富なコマをジャラジャラと使い、絢爛豪華に生産拡大し城を建て騎士を使い戦いをするみたいなゲームも是非ほしい。
しかしボードだけなら惚れ惚れするほど美しいものがいくらでも見つかるが、美しければ美しいほど複雑でめんどくさそうなのが難しいところ。←この「コロセアム」なんて日本語レビューも見つからず面白いのかどうかまったくわからないが、一目見るだけで「うわすごい!」、そして同時に「めんどくさそう!」と思う。描き込まれたものが多いほど俺のような男の微細精巧品趣味をくすぐるが、一目瞭然明解なシステムからは当然どんどんと遠ざかり、マニアックになって家族向けゲームから離れていく。そこがボードゲームのジレンマだ。
しかし汲めども尽きぬ泉なのがこの世界なわけで、いつかは絢爛豪華でありながらチケライ Euro やグレンモアくらいのウェイト(3人で1時間弱)に収まるゲームにもめぐり逢えるだろうという気はする。グレンモアだってついひと月前までは名前も知らなかったのだし。
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■11/11/10(木) □ 戦没者記念演劇
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萌中学のリメンバランスデイ(戦没者記念日)集会。合唱部・演劇部・吹奏楽の発表会を兼ねているので見に行ったのだが、音楽全般の総指揮を取る元バンドマンの先生が音モノはなんでもドラム+電気楽器+マイクでセットをまとめる癖があるようで、合唱部まで先生3名によるバンド+マイク構成だった。
合唱部総勢40名で前列の子供がマイクを持つという構成で、2曲やり前列と後列を入れ替えて全員がマイクを使えるようにするという段取りになっていたのだが、これじゃ後列にいる子供は歌う意味もない。
それにこないだのスクールロックコンサートもそうだったが、子供はマイクを使って歌うのが下手なので、――というか大人数でマイクを使うということがそもそも間違いで、スピーカを通って聞こえてくる声が自分の声ではなく他の人と混じった声なので、誰もちゃんと音程が取れない。音程が取れないから不安になる→自分の声を聞きたくて大声を出す→全員ががなりたて余計に音程ははずれていくという悪循環になってしまう。合唱はやっぱ自分の脳内音響で音程が取れる素の声じゃなきゃダメなのだ。1人1人はきっと歌が好きな子供らだろうに、残念なデキであった。
この元バンドマン先生は見るからにいい人で、指導に熱心なのは実にありがたいが、ちょっと趣味的すぎるな。このマイク付き合唱はほんとやめてほしいのである。
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次いで演劇。萌はこのドラマのユダヤ人役としてダビデの星をつけた衣装を作らされた。ナチス役もいるし、ベトナム戦争のエピソードも入ってるらしいし、なんかちょっとセンシティブなマターを気軽に導入しすぎており、指導の先生が軽率露悪的なんではないかとMと共に心配している。
聞けば案の定このシナリオを練っていく段階で、「第二次大戦はパワーをほしがったドイツが始め、日本に落とされた爆弾で終わったのよね」みたいなことを生徒たちが話していたとのこと。そういう子供のインスタントな認識にいかにもつながりそうな題材ではないか。
だが始まってみると総勢60~70名ものキッズが音楽に乗せてさまざまな戦争悲劇を演じる壮大なモブ(群衆)無言劇で、なかなか素晴らしかった。個々の演技が何を示すのかはイマイチわからなかったが(ガス室送りとか教室でテロリストが機関銃乱射などというシーンがあり、やっぱり露悪的ではある)、そうした戦争悲劇シーン→現代ガールズの群舞→悲劇シーン→群舞という構成になっていて、戦争は悲劇だ、若い世代の命を生かそうというメッセージがよく伝わってくるパフォーマンスだった。心配したような安直なイデオロギーが入ってくるなんてことはなかったのであった。
萌は群衆の一部だったが、演じているもの全体への満足感は非常に高かったらしく、ビデオを見ているときに熱心に解説してくれた。俺がビデオカメラでときおり萌をアップにしていたので、お父さん私じゃなくて全体を撮らなきゃ駄目じゃないと叱責された。すいません (^-^;。
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■11/11/11(金) □ 子供チケライの難しさ
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朝飯後Mがチケットトゥライド Euro をコール。もちろんいいけど、グレンモアもそのうちお願いしますよ。今回は萌と俺の路線がだいぶかぶったおかげでスリリングなゲームを楽しめた。ロンゲストを取り久々に俺の勝利。
右の機関車カードが2枚必要な
路線をつなぐのが難しい
ここを突破するにはそのチケット達成をいったん保留して、新チケットを取るか自分の既存路線を伸ばしロンゲストトラックを目指すなど別の作業をしつつ必要なカードが場に出るのを待つ臨機応変さが必要で、この保留・優先順位付けが萌はどうもできないのだ。その優先順位付けの下手さは毎日の宿題をやってるときとまったく同じなので(笑)、いつか成長につれチケライと宿題のトンネルを同時突破してくれるだろうが。
毎回同じパターンで負けるので萌のチケライ熱はグレンモアに比べ相当に下がっており、これはいかんと俺は萌の苦手を支援する方法を考える。カタンの港やグレンモアの「歳の市」みたいに、手札から3枚出せば必要なカードが1枚取れるというハウスルールがいいんじゃないかな。貴重な機関車は「食料品店」みたいに、同色3枚で1枚とか。今度これをテストプレイしてみよう。
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風邪で掃除をする体力もないので、有料ユーザーとなったタブッターを1日いじっていた。ミュート機能なんかこれまたえらいよくできていることに気づく。ミュートされてるツイートを確認するためにミュート一時解除することができるのだが、このとき該当ツイートがわかるよう薄字で表示されるのである。こうしたディテイルで、作者がいかに愛情を込めタブッターを育てているかがよくわかる。今回払った年課金が切れる前に、買取オプションができてほしい。こいつを恒久的に自分のものにしたいという愛情がユーザーにもあるのです。
タブッター無償版廃止がこれほど叩かれているのは、代えが利かないからだ。他に代わりになるものがあるなら皆黙って移行するのである。タブッターは似たものすらない唯一無二の存在であり、離れたくないのに離れざるをえない究極の便利ツイッター中毒となったユーザーが嘆いているのである。
無償ユーザーを便利中毒にしてから捨てたというのは事象だけ見ればたしかにひどいが、タブッター氏のつぶやきを見ていた俺にはこれはスキームではなく結果としてそうなったのだとしか思えない。有料無料両立で稼げていたらタブッター氏もここまでバッサリとはやらなかっただろう。ネットビジネスの構造はさっぱりわからんが、とにかくタブッター氏がなんの利益も得られないうちに他にこの独創的デザインを真似されるのだけは、見たくないものである。
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Perfume「レーザービーム」のポーズ、
毎夜踊ってます。
2011/11/10
日記「タブッターオム先生に土井亜紀を」
「北杜夫チルドレン」「カナダ中学3者会談」「スクールロックコンサート」
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■11/11/02(水) □ 北杜夫チルドレン
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小田嶋隆「マンボウ先生が残していったもの」
世代が近いせいだろうけど、シンクロニシティを感じるくらい同じだなあ。中学時にのめり込んだものといえばビートルズと北杜夫だ。北杜夫の文体を真似て教師にシニカルな評をもらい、大人って実は意地悪なんだなと学んだりもした。
萌があまり本を読まないのは、俺にとっての北杜夫ほど面白い作家に出会ってないからだろう。英語世界の読書知識がないのでヘルプできないんですが。ハリーポッターなぞがどれほど売れようと、北杜夫が 70 年代の日本の中学生に与えた影響のほうが大きくプレシャスだと思う。
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■11/11/03(木) □ カナダ中学3者会談
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萌の中学3者会談へ。先生が仏英それぞれいて4者会談だった。俺は「とにかく宿題が多すぎる、課外活動がある日なんか寝るまで宿題漬けでひどいことになっている」と訴えたのだが、「宿題は2時間がノーム(標準的)だ」と言われてしまった。マジですか。おらは日本から来たで知らんのですが、カナダはどこもそうなんですか? イエス。えー(絶句)。
しかしイエスと言ったフランス語数学教師が所用で出ていくと、担任の英語教師がやや軟化した態度で、「2時間とはいっても、それは学校で課題をやっていかなかった場合。私はクラスで子供たちに課題をやる時間を十分に与えている。学校でしっかり集中してやれば、家に帰ってからは1時間で済むはずだ」という。
なるほど、じゃ本人がクラスで頑張れば家では楽になると。「イエス」。わかりました。しかし2時間というのはショックですと俺が言うと、「2時間はたしかに長すぎると私も思う、でも高校になったらもっと厳しいわよ」と担任は言うのであった。
まったくマジメすぎるなカナダの中学校。なんなんだこれは。こんなに厳しくして、ついていけない子供はどうなるんだ。こんな努力を続けられない子供は当然大量にいるだろう。でそういう子供が反抗期に入り、居残りも拒否したらどうするのだ。ドロップアウトさせるのかよ。馬鹿ばかしい。
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9月に始まった萌の中学生活を、俺はこうしてどっぷりと身を漬けるようにしてサポートしてるのだが、実際そうしないと萌の自由時間がなくなり見てられんのだ。萌は毎日の宿題で自分が苦労する数学を苦手だと思っているが、やっているのは分数やら公約数やらで、こんなものは誰だっていずれわかるようになる。ただそのスイッチが入ってないだけだ。俺だって子供の当時は算数を苦手としており今だって暗算は苦手だが、その仕組みはわかる。単に頭脳の論理演繹能力が年齢により自然と上がったということだろう。脳内のある種のスイッチをいれる要素として、年齢というのはやはり大きい。
実際思うのだが、カナダで11歳の子供がこうして負荷の高い中学生活を送るというのは早過ぎるんじゃないか。うちの学区の小学校は日本より1年早く6歳から始まり(これは学区によって違うらしい)、6年生から中学なので萌たち遅生まれの子供はわずか11歳で中1となっている。数学等のカリキュラムの進度は日本と比べても年齢相応なので難度が高いわけではないが、部活と学課と宿題による心身の量的負荷・拘束時間は小学校と中学では段違いなわけで、11歳=日本の小5でそのすべてをこなしていくのは時間&作業量的にきついのだ。この学齢システムはバランスが悪い。
カナダは住環境と子供の養育環境はいいと思っていたが、萌がキンダー(小学予科・5歳)に入って以来各担任の能力には疑念を感じており、カナダの初等教育のレベルが高いとは俺は思わない。日本に比べてどうこうではなく、個々の教師に教育者としての素養があり、子供のために力を尽くしているのかが疑わしいのである。単に大量の課題をやらせてるだけじゃないのか、と。萌が今分数や小数点に苦労しているのも、結局小学校の教師たちと彼らが使ったあの百科事典風バカ重算数教科書が助けにならなかったからである(それに気づいて俺が夏休み中に算数のベーシックをドリルさせとくべきだったので、これは自分で反省してます)。
教育専門家であるMはこうしたカナダ初等中等教育の現状に我慢できず、理想の自然保護系教育を施す私立のスペシャルスクールへ萌をやりたかったわけだが、普通の学校に付随するクラブやスクールライフをばっさり捨てるのはあんまりだといって俺は反対したのだ。普通の学校にやったことを後悔はしていないが、しかし普通の学校のこの宿題の馬鹿さ、校則の理不尽さにはMよりも萌よりも俺のほうがイライラする毎日である。
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■11/11/04(金) □ スクールロックコンサート
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【スクールロックコンサート】音楽クラスの発表がありますと昨日急に通知が来たので萌のクラスだけの音楽室での発表かと思ったら、体育館にステージを組み全校計6クラスが演奏を披露する大コンサートだった。PA システムもライブハウス相当のものがちゃんとあり、ステージ上にはカクテルライトやモニタースピーカもあり、どえらい大音響でリハーサルをやっていて驚いた。こんな本格的なものだったとは。こんな機材は日本の学校じゃありえない。PA システムの操作も先生が子供らに指導しやらせている。すごいな。
演奏したのは全6クラス6バンド。楽器はドラム、キーボード、ベースギター、エレキが各2台くらい、その他は全員アコースティックギターで、シンガーが6~8名という構成。みんな楽器は当然下手だが、1 バンド 30~40 人もいるのでしっかりと音圧があり、なかなか気持ちいい。しかし楽器の音がでかいので歌は難しいようだった。モニターが聞こえづらいらしく―――聞こえないときは耳を半分塞ぐというのも音楽の先生(教師になる前はバンドマンだったらしい)に習ってやっていた―――、そしてマイクは声のでかいボーイズのピーク音ばかり拾ってしまうので、音程のいいガールズの声が聞こえない。ボーイズは基本的に音痴で、しかもみんな自分の声が聞こえないので余計に声を張り上げてしまい、さらに音程がはずれていくという悪循環になっていた。
そんなわけでどのバンドも、演奏はなかなかいいのだが歌が♪なんとかなんとかなんとかでーと、音程が悪くラップ風なボーイズの蛮声だけが鳴り響くという、聞きづらいものになってしまっていた。萌のクラスは男女3人ずつがボーカルだったのだが、萌が風邪をひいていたせいもありガールズの声はまったく聞こえなかった。残念。1つだけボーカルの音程がいいバンドがあったのだが、なんでかと思ったらこのバンドだけ歌が全員ガールズだった(笑)。
この問題を解消するには楽器の音量を下げるかボーイズのマイクを絞ればいいのだが、ミキサーをやってるのも生徒で、先生もそこまで微妙な指導はできないのかもしれない。楽器が 30 台もあるとやっぱ自然と音量はでかくなってしまうんだろう。まあともあれ、楽しかった。萌は来年(?)はギターかキーボードをやってもらいたい。
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■11/11/05(土) □ タブッターオム先生に土井亜紀を
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愛用する Twitter クライアントのタブッターが、なんと無料版は1日1時間までというシェアウェアみたいな制限をつけてきた。しかも、これに併せて有料版の費用を払いやすくすればドカーンと行くと思うが(俺は1回払えば OK の使用権買取なら買います、一生払い続けるのは気が重いと以前メールを送ったのだが返答はなかった)、逆に年 1900→2900 円と同時値上げしている。こんな便乗値上げをされては、好意的なユーザーも移行しにくいではないか。もういいです、これまで払ってくれたユーザーだけで排他的にやっていきますというメッセージが強すぎる。つまりヤケクソになっている。いかん。
こんな世界最高に便利な Twitter クライアントが、こんなに儲からず消えていくなんてどうかしているぜ。海外では大金持ちを生み出すネットビジネスが、日本ではどうして駄目なんだろう。欧米発の優れたネットサービスは全部フリーですごい収益を生んでいるではないか。あいつらはどうやって金を儲けているんだ。日本でもネトゲ会社は球団を買えるのに、優秀なツール作者はサーバーも維持できないのか? そのへんの謎を解き、皆を幸せにできる会社はないのかな。謎だらけだ。
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「タブッター」で検索すると、有料化ありえないバカなのという罵倒がすごいスピードで流れていく。こんなに使ってる人がいたのか。そしてこれ以上のクライアントはないと認めながら、使えなくなったらみんなこんなことを言うのか。世の中こういう連中に満ちているんだから、自分の努力を無償で提供する気がなくなるのはよくわかる。タブッターに対する罵倒を流さなかった人だけ無料使用時間を延長できたらよかったのに。
しかし人を傷つける日本語って増えたなあと、検索タブを眺めていて思う。タブッター作者がこれを眺め、「モテキ」のオム先生みたいにシオシオになってなければいいがと心配してしまう。
好みは個人差があるが、タブッターの便利さは客観的に見て他のクライアントとは比較にならない。世界中の Twitter クライアントを全部併せて使っても、まだタブッターにしかできないことがいくらでもある。
「Twitter が無料なのにクライアントが有料ってどういうことだよ」という文句が多くあるが、その2つが提供してるのは別ものなのだ。Twitter は革新的なコミュニケーション手段を提供し、タブッターはそれを使うことを気持ちよくする革新的な便利さを提供しているのである。
世界でも日本でも人はイノベイティブなものを神のごとく崇めるが、不備なものを完璧にする仕事への評価が低い。Twitter 本家や Google の独創性対タブッターや日本製ソフトウェアの使いやすさで、後者への評価が低すぎる。日本技術の美点はものを最高に使いやすくできることで(よく英米人が we invented it, but Japanese perfected it という)、タブッターはツイッター世界においてのその日本文化の頂点に立つ。
この作者がお金をもらうだけの価値は当然ある。それがユーザーから作者への直接の課金送付という、今どき類を見ないユーザー重負担の形でしか実現できないのは不幸なことだが、これはその実体がオム先生であろうタブッター作者の商才の不足と、儲かるほうが不思議でどうなってるのか誰にもわからないネットビジネスの難しさ故。現時点でそれを責めてみても仕方がない。才能ある技術者に商売の才覚がないことなどいくらでもあることだろう。商才だけあり技術アイデアがないよりよほどえらい。タブッターオム先生に土井亜紀みたいな美人敏腕マネージャがいればみんなが幸福になれるのだが。
―――というわけで、これを機にタブッターの業績が上がり安定し永年使用権買い切りオプションを用意してくれることを祈りながら、俺は課金を払おう。どうかこのお金で土井亜紀を雇ってください。
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■11/11/02(水) □ 北杜夫チルドレン
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小田嶋隆「マンボウ先生が残していったもの」
私が北杜夫(以下敬称略)の読者だったのは、主に中学生の頃だ。それ以前も以後も、あまり読んだ記憶がない。
影響は非常に大きかった。中学校に通っていた3年の間、私は北杜夫の作品を耽読し、文体を模倣し、世界を眺める時の視点の置き方を、いつも微妙にドクトルの方向にシフトさせていた。その3年間の、いま思えば異質な期間が、私の性格のうちにあるどことなく人工的な部分を形成している。
◇
私は、ビートルズに出会い、ヘルマン・ヘッセに後頭部をガツンとやられ、北杜夫に影響され、遠藤周作に憧れ、立川談志を追いかけまわし、古い切手を蒐集し、体操部と卓球部と水泳部に同時入部し、なにひとつモノにならず、そうやって中学校の3年間をあわただしく、まとまりなく、ころげまわるみたいにして走り抜けた。
◇
マンボウ先生は、進行方向に三叉路があれば、自分が、苛烈さよりも安逸の側の道を選ぶ人間である旨を声高らかに宣言している人で、そこのところが、中学生にはなんとも洒脱に見えたものなのである。大げさに言えば、そういう大人が日本にいるということだけで、自分がこの先生きて行くことにも、多少の希望が持てるような気がしたのだ。
世代が近いせいだろうけど、シンクロニシティを感じるくらい同じだなあ。中学時にのめり込んだものといえばビートルズと北杜夫だ。北杜夫の文体を真似て教師にシニカルな評をもらい、大人って実は意地悪なんだなと学んだりもした。
萌があまり本を読まないのは、俺にとっての北杜夫ほど面白い作家に出会ってないからだろう。英語世界の読書知識がないのでヘルプできないんですが。ハリーポッターなぞがどれほど売れようと、北杜夫が 70 年代の日本の中学生に与えた影響のほうが大きくプレシャスだと思う。
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■11/11/03(木) □ カナダ中学3者会談
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萌の中学3者会談へ。先生が仏英それぞれいて4者会談だった。俺は「とにかく宿題が多すぎる、課外活動がある日なんか寝るまで宿題漬けでひどいことになっている」と訴えたのだが、「宿題は2時間がノーム(標準的)だ」と言われてしまった。マジですか。おらは日本から来たで知らんのですが、カナダはどこもそうなんですか? イエス。えー(絶句)。
しかしイエスと言ったフランス語数学教師が所用で出ていくと、担任の英語教師がやや軟化した態度で、「2時間とはいっても、それは学校で課題をやっていかなかった場合。私はクラスで子供たちに課題をやる時間を十分に与えている。学校でしっかり集中してやれば、家に帰ってからは1時間で済むはずだ」という。
なるほど、じゃ本人がクラスで頑張れば家では楽になると。「イエス」。わかりました。しかし2時間というのはショックですと俺が言うと、「2時間はたしかに長すぎると私も思う、でも高校になったらもっと厳しいわよ」と担任は言うのであった。
まったくマジメすぎるなカナダの中学校。なんなんだこれは。こんなに厳しくして、ついていけない子供はどうなるんだ。こんな努力を続けられない子供は当然大量にいるだろう。でそういう子供が反抗期に入り、居残りも拒否したらどうするのだ。ドロップアウトさせるのかよ。馬鹿ばかしい。
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9月に始まった萌の中学生活を、俺はこうしてどっぷりと身を漬けるようにしてサポートしてるのだが、実際そうしないと萌の自由時間がなくなり見てられんのだ。萌は毎日の宿題で自分が苦労する数学を苦手だと思っているが、やっているのは分数やら公約数やらで、こんなものは誰だっていずれわかるようになる。ただそのスイッチが入ってないだけだ。俺だって子供の当時は算数を苦手としており今だって暗算は苦手だが、その仕組みはわかる。単に頭脳の論理演繹能力が年齢により自然と上がったということだろう。脳内のある種のスイッチをいれる要素として、年齢というのはやはり大きい。
実際思うのだが、カナダで11歳の子供がこうして負荷の高い中学生活を送るというのは早過ぎるんじゃないか。うちの学区の小学校は日本より1年早く6歳から始まり(これは学区によって違うらしい)、6年生から中学なので萌たち遅生まれの子供はわずか11歳で中1となっている。数学等のカリキュラムの進度は日本と比べても年齢相応なので難度が高いわけではないが、部活と学課と宿題による心身の量的負荷・拘束時間は小学校と中学では段違いなわけで、11歳=日本の小5でそのすべてをこなしていくのは時間&作業量的にきついのだ。この学齢システムはバランスが悪い。
カナダは住環境と子供の養育環境はいいと思っていたが、萌がキンダー(小学予科・5歳)に入って以来各担任の能力には疑念を感じており、カナダの初等教育のレベルが高いとは俺は思わない。日本に比べてどうこうではなく、個々の教師に教育者としての素養があり、子供のために力を尽くしているのかが疑わしいのである。単に大量の課題をやらせてるだけじゃないのか、と。萌が今分数や小数点に苦労しているのも、結局小学校の教師たちと彼らが使ったあの百科事典風バカ重算数教科書が助けにならなかったからである(それに気づいて俺が夏休み中に算数のベーシックをドリルさせとくべきだったので、これは自分で反省してます)。
教育専門家であるMはこうしたカナダ初等中等教育の現状に我慢できず、理想の自然保護系教育を施す私立のスペシャルスクールへ萌をやりたかったわけだが、普通の学校に付随するクラブやスクールライフをばっさり捨てるのはあんまりだといって俺は反対したのだ。普通の学校にやったことを後悔はしていないが、しかし普通の学校のこの宿題の馬鹿さ、校則の理不尽さにはMよりも萌よりも俺のほうがイライラする毎日である。
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■11/11/04(金) □ スクールロックコンサート
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【スクールロックコンサート】音楽クラスの発表がありますと昨日急に通知が来たので萌のクラスだけの音楽室での発表かと思ったら、体育館にステージを組み全校計6クラスが演奏を披露する大コンサートだった。PA システムもライブハウス相当のものがちゃんとあり、ステージ上にはカクテルライトやモニタースピーカもあり、どえらい大音響でリハーサルをやっていて驚いた。こんな本格的なものだったとは。こんな機材は日本の学校じゃありえない。PA システムの操作も先生が子供らに指導しやらせている。すごいな。
演奏したのは全6クラス6バンド。楽器はドラム、キーボード、ベースギター、エレキが各2台くらい、その他は全員アコースティックギターで、シンガーが6~8名という構成。みんな楽器は当然下手だが、1 バンド 30~40 人もいるのでしっかりと音圧があり、なかなか気持ちいい。しかし楽器の音がでかいので歌は難しいようだった。モニターが聞こえづらいらしく―――聞こえないときは耳を半分塞ぐというのも音楽の先生(教師になる前はバンドマンだったらしい)に習ってやっていた―――、そしてマイクは声のでかいボーイズのピーク音ばかり拾ってしまうので、音程のいいガールズの声が聞こえない。ボーイズは基本的に音痴で、しかもみんな自分の声が聞こえないので余計に声を張り上げてしまい、さらに音程がはずれていくという悪循環になっていた。
そんなわけでどのバンドも、演奏はなかなかいいのだが歌が♪なんとかなんとかなんとかでーと、音程が悪くラップ風なボーイズの蛮声だけが鳴り響くという、聞きづらいものになってしまっていた。萌のクラスは男女3人ずつがボーカルだったのだが、萌が風邪をひいていたせいもありガールズの声はまったく聞こえなかった。残念。1つだけボーカルの音程がいいバンドがあったのだが、なんでかと思ったらこのバンドだけ歌が全員ガールズだった(笑)。
この問題を解消するには楽器の音量を下げるかボーイズのマイクを絞ればいいのだが、ミキサーをやってるのも生徒で、先生もそこまで微妙な指導はできないのかもしれない。楽器が 30 台もあるとやっぱ自然と音量はでかくなってしまうんだろう。まあともあれ、楽しかった。萌は来年(?)はギターかキーボードをやってもらいたい。
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■11/11/05(土) □ タブッターオム先生に土井亜紀を
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愛用する Twitter クライアントのタブッターが、なんと無料版は1日1時間までというシェアウェアみたいな制限をつけてきた。しかも、これに併せて有料版の費用を払いやすくすればドカーンと行くと思うが(俺は1回払えば OK の使用権買取なら買います、一生払い続けるのは気が重いと以前メールを送ったのだが返答はなかった)、逆に年 1900→2900 円と同時値上げしている。こんな便乗値上げをされては、好意的なユーザーも移行しにくいではないか。もういいです、これまで払ってくれたユーザーだけで排他的にやっていきますというメッセージが強すぎる。つまりヤケクソになっている。いかん。
こんな世界最高に便利な Twitter クライアントが、こんなに儲からず消えていくなんてどうかしているぜ。海外では大金持ちを生み出すネットビジネスが、日本ではどうして駄目なんだろう。欧米発の優れたネットサービスは全部フリーですごい収益を生んでいるではないか。あいつらはどうやって金を儲けているんだ。日本でもネトゲ会社は球団を買えるのに、優秀なツール作者はサーバーも維持できないのか? そのへんの謎を解き、皆を幸せにできる会社はないのかな。謎だらけだ。
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「タブッター」で検索すると、有料化ありえないバカなのという罵倒がすごいスピードで流れていく。こんなに使ってる人がいたのか。そしてこれ以上のクライアントはないと認めながら、使えなくなったらみんなこんなことを言うのか。世の中こういう連中に満ちているんだから、自分の努力を無償で提供する気がなくなるのはよくわかる。タブッターに対する罵倒を流さなかった人だけ無料使用時間を延長できたらよかったのに。
しかし人を傷つける日本語って増えたなあと、検索タブを眺めていて思う。タブッター作者がこれを眺め、「モテキ」のオム先生みたいにシオシオになってなければいいがと心配してしまう。
好みは個人差があるが、タブッターの便利さは客観的に見て他のクライアントとは比較にならない。世界中の Twitter クライアントを全部併せて使っても、まだタブッターにしかできないことがいくらでもある。
- タイムラインのグループ分け
- タブごとのミュートワード設定(正規表現が使え、ミュートの効き具合をチェックするための一時解除機能まである)
- 各タブの発言比率表示(時間ごとの各タブのツイート量がわかり、流量の調整に役立つ)
- 既読位置の簡易 AI 的保持
- 多 PC 間での設定の移行
- 発言の一括 html 式ダウンロード
- アイコンの拡大表示(!)
- フォロワーの通知、マーク付け
- 音声通知
- すべての操作にキーボードショートカットあり
「Twitter が無料なのにクライアントが有料ってどういうことだよ」という文句が多くあるが、その2つが提供してるのは別ものなのだ。Twitter は革新的なコミュニケーション手段を提供し、タブッターはそれを使うことを気持ちよくする革新的な便利さを提供しているのである。
世界でも日本でも人はイノベイティブなものを神のごとく崇めるが、不備なものを完璧にする仕事への評価が低い。Twitter 本家や Google の独創性対タブッターや日本製ソフトウェアの使いやすさで、後者への評価が低すぎる。日本技術の美点はものを最高に使いやすくできることで(よく英米人が we invented it, but Japanese perfected it という)、タブッターはツイッター世界においてのその日本文化の頂点に立つ。
この作者がお金をもらうだけの価値は当然ある。それがユーザーから作者への直接の課金送付という、今どき類を見ないユーザー重負担の形でしか実現できないのは不幸なことだが、これはその実体がオム先生であろうタブッター作者の商才の不足と、儲かるほうが不思議でどうなってるのか誰にもわからないネットビジネスの難しさ故。現時点でそれを責めてみても仕方がない。才能ある技術者に商売の才覚がないことなどいくらでもあることだろう。商才だけあり技術アイデアがないよりよほどえらい。タブッターオム先生に土井亜紀みたいな
―――というわけで、これを機にタブッターの業績が上がり安定し永年使用権買い切りオプションを用意してくれることを祈りながら、俺は課金を払おう。どうかこのお金で土井亜紀を雇ってください。
2011/11/02
日記「フジ君とヴェルレーヌ」
「それが教育の手柄か」「『カーネーション』の滋味」「ゲームを巡るイマジネーション」「グレンモア本格化」「モテキ・あまりにも微妙な日本の恋の味」「終わりかけのハロウィーン」
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■11/10/24(月) □ それが教育の手柄か
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萌のバドミントン3回目。2時間を体育館でただ待つのはどうにもしんどいので、旧居候MKのところへ行き休んでいた。萌の宿題のことなど久々にいろいろ話したのだが、MKも中高の頃は宿題を出す学校が嫌で嫌で、自分の子供があれを経験するのかと思うと今から憂鬱だと言っていた。奴は俺同様無駄手間をとことん嫌う性格なので、あんな低能で時間がかかる宿題を出されたら、今の俺と同じく発狂する思いだったろうな。
今の算数の問題は「この答えを出せ」ではなく「この問題をどう解くか説明せよ」となっている。わかっていることとそれを説明することは全然別のスキルなので、説明の方に莫大な時間がかかるのである。こうしたほうが子供の理解が深化するのはわかるが、子供の時間と労力を犠牲にして理解を深化させるのが教師や教育の手柄となるのか、違うだろうと俺は言いたいわけだ。同等かより少ない時間と労力でより深く理解させたなら感謝するよ。だけどこんな課題や宿題のカサ増しで補うのは教える側の手抜きだろう。
俺がこうまくしたてるとMKは、教師が宿題に頼る原因として BC 州の教育予算=教師数の不足を挙げていた。なんでこんな発展する一方の BC で教育予算が不足するんだよ、おかしいじゃないかと聞くと、政府は経済に金をつぎ込んでおり、選挙結果から民衆もそれを後押ししているのだとのこと。あーそうかー。俺は選挙権がない。トホホである。
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でバドミントンの最後の 30 分を見にジムに戻ったのだが、萌は先週から全然進歩していなかった。がっくし。サーブも打てない初回からはさすがに伸びたものの、落ちてくるシャトルを体の横で捉えることは萌にとっては相当に難しいことらしい。
なにかいい練習方法はないかと考えてみるのだが、こうしてクラブで練習する以上のことが家でできるわけもなし。紐で天井からつるしたシャトルを打つみたいな細工も考えてみたのだが、放物線を描きゆっくりと落ちてくるからシャトルは子供でも打てるわけで、紐シャトルだと練習にならんような気がするのである。
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■11/10/26(水) □「カーネーション」の滋味
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萌とMは毎週水曜「アメリカズ・トップモデル」を見ている。ファッションカリスマがファッションモデルワナビーを訓戒を垂れるという図式が馬鹿馬鹿しくて、何が面白いのかさっぱりわからない。ファッションセンスがありかっこいいことに価値はもちろんあるが、それが何よりも重要であるという世界の価値観は俺にはわからない。たまたま俺が裏で見ていた「家族に乾杯」の高校生神楽のほうが、百倍優れた芸能だなと思った。
続く「カーネーション」なんか、ほとんど日本人にしかわからない滋味だけでできている物語だからユニバーサルな比較のしようがないが、俺から見れば千倍素晴らしい。今日はお父ちゃんが初めて糸子のためにいいことをしてくれた回だったのだが(糸子のミシン先生に頼み込み住み込みになってもらった)、もう 15 分のすべての瞬間が素晴らしかった。役者陣の表情、目線の動き、言葉に表れる時代的イノセンス、すべてが素晴らしい。
「おばあちゃん? ひょっとしてこの布団つこうた?」
「つこたよ」
「なにすんや? せっかく打ち直してもろたとこやのに! もう!」
―――このシーンなんか3回も見てしまったよ。なんという言葉の味わい深さ、滋味深さ。カナダの人は英国なまりに憧れているが、イントネーションと発音が違うだけで英カの言葉は同じである。日本の方言は言葉自体が違うんだから面白い。
このかしまし娘のおばあちゃんは、俺が子供のときうちに住み込みで働いていたおばちゃんにそっくりだ。彼女が動き笑っているのを見ると、涙腺が緩んできてしまう。
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■11/10/27(木) □ ゲームを巡るイマジネーション
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夜、珍しく萌の火急の宿題がなかったので、一緒に算数ドリルをした後、グレンモアを楽しんだ。早く寝かせなきゃいかんと急いでプレイしているのに、萌はネス湖の生贄になる村人を選ぶのに「お前が行けよ」「なに言ってんだよ、お前こそたまには村のために役に立ったらどうなんだ」とサイドストーリーを繰り広げ、面白いがゲームが終わらず困った。
勝負は 47-43 と僅差で萌の勝ち。するとネス湖のおかげで勝った萌が、「湖に身を捧げたジェイク・パトリック(架空の村人)のおかげだ。ジェイクのために旗を作る」とスコットランド風の旗を描き上げ、それでジェイクの遺骸コマをくるんでネス湖に流し、「ジェイクのためにアンセムを歌います」とパフュームの「ボイス」を歌い踊り始めたので、もういいから寝ろよと寝かせました。
ほんとにボードゲームは、久しく眠っていた子供のイマジネーションを炸裂させてくれるなー。グレンモアは立派なボードがついたゲームと違い、それほどオーセンティックな村づくりムードを持っているゲームじゃないんだけど、城とか牧場とか酒場というキーワードだけで十分に夢が広がるみたい。萌にドラクエを初めてやらせたときに、ちっとも冒険に行かず村で買い物とかばかりして油を売ってたのに似ている。やっぱり「村の世界」にいること自体が気持ちいいんだろう。
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■11/10/29(土) □ グレンモアの攻防本格化
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朝イチで萌がグレンモアコール。このゲームが素晴らしかった。萌が資源タイルをうまく長方形に並べ、アクティベートを順々にかけ、肉屋を2軒並べて一気に8点取るなど、人の村ながら胸が浮き立つほどの順調な発展ぶり。Loch Ness と Iona Abbey も取り、最後までまったく無駄なくプレイして72点という素晴らしいスコアで大勝。俺のアドバイスはあったが、ズルは一切なしでの点数なので本物だ。子供でもアドバイスさえあればこんなにいいプレイができるんだから、ドイツゲームは本当に素晴らしい。
萌は実際うまいな、このゲーム。こういうプランニング&オーガナイジングが好きだし得意なんだろう。
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次のゲームでは俺が逆に肉屋作戦を決行し、シープ2枚→ウール工場&カウ1枚→精肉店を一気にアクティベートできるよう1箇所に集約した史上最大の肉屋工業団地が見事に完成し、ガッコンガッコンと蒸気を上げポイントを生み始めた。こいつはすごい。パズー、石炭をどんどん燃やせ。俺は R2 の途中で早くも 30 点に達してしまったが、萌はいつになくタイル配置が悪く、生産拠点がバラけていて資源がまとまって出ず村の経済が停滞している。
そしてああこれじゃ負けると萌が動揺し始めたので、俺の肉屋団地の稼働具合をちと緩め(ちょうどシープタイルが内陸になり生産量も落ちていた)、萌のヘルプをすることにする。「ウイスキーは今から作っても5個にならず点は低いから、もうウイスキー点はあきらめ、樽を使い酒場を開けばいい」とアドバイスし、2軒並びの酒場ができる。これだけで6点を数回出せる。ここから萌が Loch Ness と Iona Abbey と小市場と酒場をうまく組み合わせ、ガンガンポイントを取り追い上げてきた。
うわこりゃいかんと思うが俺は後半用のこれといった得点産出ポイントを用意してなく、その間に萌が俺を抜き、俺がブリッジで再度抜き返したものの、城ボーナスを精算してみると Loch Morar と Iona Abbey で萌の勝ち! 萌は Yahoo! と大喜びし、走ってメルに報告しに行く。いやー、負けたが面白いゲームだった :-)。こうしてちょっと手加減しつつギリギリの勝負に持ち込み、勝ったり負けたりという勝負をしていきたい。
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■11/10/30(日) □ モテキ・あまりにも微妙な日本の恋の味
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とある方から譲ってもらった「モテキ」全4巻を読了。フジのズルズル駄目オトコっぷりは実に身につまされ面白かった。これほどのモテキは自分の経験にはないけどそういうことはありえないことではなかったし、彼の絶望ほど頻度深度は深くないが同じテーストの出来事はもちろんあった。これを女性が書いたというのもイイ。しかしこんなのはたとえばカナダの人には1つもわかってもらえないんじゃないかと思う(笑)。あまりにも微妙な、たまらない日本の恋の味。
マンガは最高だ。最高と言うか最強ではないか。フジが女性との対立から撤収したい気分に満たされていくところ、矢が突き刺さり落ち武者となっていくところ、マンガ家オム先生が締め切り土壇場であんな姿になってしまうなんて描写が、他にどう表現できるのかとゆーことである。3D 映画どころじゃない表現の豊かさだよな。絵を描ける人は本当にうらやましい。楽器を弾けるより楽しいんではないだろうか。
しかし昔コミックスを何冊も買っていた少女マンガ家のお宅を訪問させていただいたことがあるのだが、オム先生のところみたいなあんな不潔でも修羅場でもなくてよかったでした。
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■11/10/31(月) □ 終わりかけのハロウィーン
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ハロウィーン。何もアイデアが浮かばなかった萌はようやく「ヒッピー」というテーマを決め、70年代風ロングヘアーのカツラだけ買ってきたのだが、うちに元ヒッピーだったというおばあちゃんの妹のドレスがあった。完璧である。萌はカツラを買ってきてから、何度もかぶって鏡を見ている。自分がロングヘアだった頃を懐かしんでるに違いない。頑張って早く毛を伸ばせ。
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ハロウィーンの来訪キッズは8時15分でもう終了、うちに来た子供はわずか35人、これまでで一番少なかったと思う。萌とSPも意外に早く帰宅。なんかえらく静かなハロウィーンだった。学校で萌をピックアップするときに気がついたのだが、小学校までは 100% コスチューム着用だったけど、中学になるとコスチュームを着てない子も多い。だんだん卒業していくんだな。うちのブロックは住宅地としての世代的に、萌よりやや年上くらいの子が増え、ハロウィーン世代が減ってきているんだろうと思う。萌はあと何回これをやるだろう。
ハロウィーンが終わってちょっと物足りない気分が俺にも萌にもあったので、ホットミルクで体を温めてからそこらじゅうで打ち上がっている花火を見に夜の散歩をした。カナダじゃお祭りの花火はしょぼいのに、日本では手に入るわけがない壮絶な火力の花火を一般人がドッカンドッカン打ち上げている。うわーすげーと笑いながら、懐中電灯を手に夜の町を駆けまわる。おそらく北米大陸中の町が今夜、花火の煙に包まれているんだろう。
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■11/11/01(火) □ フジ君とヴェルレーヌ
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想いが伝わらぬことを嘆く人たちに向けて、こういうツイートを流してみた。
僕の単純さがまるっきりあなたには解らなかった可哀相な僕の乙女妻よ! そしてあなたは去ってしまった腹立ちまぎれに、気まぐれに。(乙女妻)
その女ひとは僕を理解し、その女にだけ僕の心は透明です。その女にだけ僕の心は不可解ではなくなります。僕の青ざめた額の脂汗も その女にだけが涙で清め得るのです。(よく見る夢)
(「乱鳥の書きなぐり-ヴェルレーヌ・よく見る夢」)
フジはヴェルレーヌなのだ。行状はだいぶ違うがその叫びにおいて同質だ。君たちの組成は複雑だけど届かない叫びは単純なのだ。この詩をフジが書いたとしてもまったく不思議ではない。19 世紀の詩人と同じように、今も若者たちは吠え続けている。君たちフジ君はみんな歌を作り、詩を書いたほうがいい。
水に削られて、いつも傾いて
満たされることのない
俺たちは2つの舟だ
舳先を並べながら、川を下っていく
伸ばす指は届いても、水を隔てている
抱きしめて横になり、花のように沈んでく
言葉のない草になり、すれあって笑ってる
友達が歌ってる 声がする 聞こえてる
夢の中でも 同じ言葉 いい子だね いい子だね
東京でフジ君状態だったとき、俺もヴェルレーヌを読み、ジャックスを聴き、歌を作った。この年になっても、あの頃と何も変わらない。伝わらない悲しみはいつだってある。だから毎日何かを書いているのだ。
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■11/10/24(月) □ それが教育の手柄か
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萌のバドミントン3回目。2時間を体育館でただ待つのはどうにもしんどいので、旧居候MKのところへ行き休んでいた。萌の宿題のことなど久々にいろいろ話したのだが、MKも中高の頃は宿題を出す学校が嫌で嫌で、自分の子供があれを経験するのかと思うと今から憂鬱だと言っていた。奴は俺同様無駄手間をとことん嫌う性格なので、あんな低能で時間がかかる宿題を出されたら、今の俺と同じく発狂する思いだったろうな。
今の算数の問題は「この答えを出せ」ではなく「この問題をどう解くか説明せよ」となっている。わかっていることとそれを説明することは全然別のスキルなので、説明の方に莫大な時間がかかるのである。こうしたほうが子供の理解が深化するのはわかるが、子供の時間と労力を犠牲にして理解を深化させるのが教師や教育の手柄となるのか、違うだろうと俺は言いたいわけだ。同等かより少ない時間と労力でより深く理解させたなら感謝するよ。だけどこんな課題や宿題のカサ増しで補うのは教える側の手抜きだろう。
俺がこうまくしたてるとMKは、教師が宿題に頼る原因として BC 州の教育予算=教師数の不足を挙げていた。なんでこんな発展する一方の BC で教育予算が不足するんだよ、おかしいじゃないかと聞くと、政府は経済に金をつぎ込んでおり、選挙結果から民衆もそれを後押ししているのだとのこと。あーそうかー。俺は選挙権がない。トホホである。
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でバドミントンの最後の 30 分を見にジムに戻ったのだが、萌は先週から全然進歩していなかった。がっくし。サーブも打てない初回からはさすがに伸びたものの、落ちてくるシャトルを体の横で捉えることは萌にとっては相当に難しいことらしい。
なにかいい練習方法はないかと考えてみるのだが、こうしてクラブで練習する以上のことが家でできるわけもなし。紐で天井からつるしたシャトルを打つみたいな細工も考えてみたのだが、放物線を描きゆっくりと落ちてくるからシャトルは子供でも打てるわけで、紐シャトルだと練習にならんような気がするのである。
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■11/10/26(水) □「カーネーション」の滋味
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萌とMは毎週水曜「アメリカズ・トップモデル」を見ている。ファッションカリスマがファッションモデルワナビーを訓戒を垂れるという図式が馬鹿馬鹿しくて、何が面白いのかさっぱりわからない。ファッションセンスがありかっこいいことに価値はもちろんあるが、それが何よりも重要であるという世界の価値観は俺にはわからない。たまたま俺が裏で見ていた「家族に乾杯」の高校生神楽のほうが、百倍優れた芸能だなと思った。
続く「カーネーション」なんか、ほとんど日本人にしかわからない滋味だけでできている物語だからユニバーサルな比較のしようがないが、俺から見れば千倍素晴らしい。今日はお父ちゃんが初めて糸子のためにいいことをしてくれた回だったのだが(糸子のミシン先生に頼み込み住み込みになってもらった)、もう 15 分のすべての瞬間が素晴らしかった。役者陣の表情、目線の動き、言葉に表れる時代的イノセンス、すべてが素晴らしい。
「おばあちゃん? ひょっとしてこの布団つこうた?」
「つこたよ」
「なにすんや? せっかく打ち直してもろたとこやのに! もう!」
―――このシーンなんか3回も見てしまったよ。なんという言葉の味わい深さ、滋味深さ。カナダの人は英国なまりに憧れているが、イントネーションと発音が違うだけで英カの言葉は同じである。日本の方言は言葉自体が違うんだから面白い。
このかしまし娘のおばあちゃんは、俺が子供のときうちに住み込みで働いていたおばちゃんにそっくりだ。彼女が動き笑っているのを見ると、涙腺が緩んできてしまう。
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■11/10/27(木) □ ゲームを巡るイマジネーション
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夜、珍しく萌の火急の宿題がなかったので、一緒に算数ドリルをした後、グレンモアを楽しんだ。早く寝かせなきゃいかんと急いでプレイしているのに、萌はネス湖の生贄になる村人を選ぶのに「お前が行けよ」「なに言ってんだよ、お前こそたまには村のために役に立ったらどうなんだ」とサイドストーリーを繰り広げ、面白いがゲームが終わらず困った。
勝負は 47-43 と僅差で萌の勝ち。するとネス湖のおかげで勝った萌が、「湖に身を捧げたジェイク・パトリック(架空の村人)のおかげだ。ジェイクのために旗を作る」とスコットランド風の旗を描き上げ、それでジェイクの遺骸コマをくるんでネス湖に流し、「ジェイクのためにアンセムを歌います」とパフュームの「ボイス」を歌い踊り始めたので、もういいから寝ろよと寝かせました。
ほんとにボードゲームは、久しく眠っていた子供のイマジネーションを炸裂させてくれるなー。グレンモアは立派なボードがついたゲームと違い、それほどオーセンティックな村づくりムードを持っているゲームじゃないんだけど、城とか牧場とか酒場というキーワードだけで十分に夢が広がるみたい。萌にドラクエを初めてやらせたときに、ちっとも冒険に行かず村で買い物とかばかりして油を売ってたのに似ている。やっぱり「村の世界」にいること自体が気持ちいいんだろう。
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■11/10/29(土) □ グレンモアの攻防本格化
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朝イチで萌がグレンモアコール。このゲームが素晴らしかった。萌が資源タイルをうまく長方形に並べ、アクティベートを順々にかけ、肉屋を2軒並べて一気に8点取るなど、人の村ながら胸が浮き立つほどの順調な発展ぶり。Loch Ness と Iona Abbey も取り、最後までまったく無駄なくプレイして72点という素晴らしいスコアで大勝。俺のアドバイスはあったが、ズルは一切なしでの点数なので本物だ。子供でもアドバイスさえあればこんなにいいプレイができるんだから、ドイツゲームは本当に素晴らしい。
萌は実際うまいな、このゲーム。こういうプランニング&オーガナイジングが好きだし得意なんだろう。
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次のゲームでは俺が逆に肉屋作戦を決行し、シープ2枚→ウール工場&カウ1枚→精肉店を一気にアクティベートできるよう1箇所に集約した史上最大の肉屋工業団地が見事に完成し、ガッコンガッコンと蒸気を上げポイントを生み始めた。こいつはすごい。パズー、石炭をどんどん燃やせ。俺は R2 の途中で早くも 30 点に達してしまったが、萌はいつになくタイル配置が悪く、生産拠点がバラけていて資源がまとまって出ず村の経済が停滞している。
そしてああこれじゃ負けると萌が動揺し始めたので、俺の肉屋団地の稼働具合をちと緩め(ちょうどシープタイルが内陸になり生産量も落ちていた)、萌のヘルプをすることにする。「ウイスキーは今から作っても5個にならず点は低いから、もうウイスキー点はあきらめ、樽を使い酒場を開けばいい」とアドバイスし、2軒並びの酒場ができる。これだけで6点を数回出せる。ここから萌が Loch Ness と Iona Abbey と小市場と酒場をうまく組み合わせ、ガンガンポイントを取り追い上げてきた。
うわこりゃいかんと思うが俺は後半用のこれといった得点産出ポイントを用意してなく、その間に萌が俺を抜き、俺がブリッジで再度抜き返したものの、城ボーナスを精算してみると Loch Morar と Iona Abbey で萌の勝ち! 萌は Yahoo! と大喜びし、走ってメルに報告しに行く。いやー、負けたが面白いゲームだった :-)。こうしてちょっと手加減しつつギリギリの勝負に持ち込み、勝ったり負けたりという勝負をしていきたい。
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■11/10/30(日) □ モテキ・あまりにも微妙な日本の恋の味
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とある方から譲ってもらった「モテキ」全4巻を読了。フジのズルズル駄目オトコっぷりは実に身につまされ面白かった。これほどのモテキは自分の経験にはないけどそういうことはありえないことではなかったし、彼の絶望ほど頻度深度は深くないが同じテーストの出来事はもちろんあった。これを女性が書いたというのもイイ。しかしこんなのはたとえばカナダの人には1つもわかってもらえないんじゃないかと思う(笑)。あまりにも微妙な、たまらない日本の恋の味。
マンガは最高だ。最高と言うか最強ではないか。フジが女性との対立から撤収したい気分に満たされていくところ、矢が突き刺さり落ち武者となっていくところ、マンガ家オム先生が締め切り土壇場であんな姿になってしまうなんて描写が、他にどう表現できるのかとゆーことである。3D 映画どころじゃない表現の豊かさだよな。絵を描ける人は本当にうらやましい。楽器を弾けるより楽しいんではないだろうか。
しかし昔コミックスを何冊も買っていた少女マンガ家のお宅を訪問させていただいたことがあるのだが、オム先生のところみたいなあんな不潔でも修羅場でもなくてよかったでした。
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■11/10/31(月) □ 終わりかけのハロウィーン
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ハロウィーン。何もアイデアが浮かばなかった萌はようやく「ヒッピー」というテーマを決め、70年代風ロングヘアーのカツラだけ買ってきたのだが、うちに元ヒッピーだったというおばあちゃんの妹のドレスがあった。完璧である。萌はカツラを買ってきてから、何度もかぶって鏡を見ている。自分がロングヘアだった頃を懐かしんでるに違いない。頑張って早く毛を伸ばせ。
----------------------
ハロウィーンの来訪キッズは8時15分でもう終了、うちに来た子供はわずか35人、これまでで一番少なかったと思う。萌とSPも意外に早く帰宅。なんかえらく静かなハロウィーンだった。学校で萌をピックアップするときに気がついたのだが、小学校までは 100% コスチューム着用だったけど、中学になるとコスチュームを着てない子も多い。だんだん卒業していくんだな。うちのブロックは住宅地としての世代的に、萌よりやや年上くらいの子が増え、ハロウィーン世代が減ってきているんだろうと思う。萌はあと何回これをやるだろう。
ハロウィーンが終わってちょっと物足りない気分が俺にも萌にもあったので、ホットミルクで体を温めてからそこらじゅうで打ち上がっている花火を見に夜の散歩をした。カナダじゃお祭りの花火はしょぼいのに、日本では手に入るわけがない壮絶な火力の花火を一般人がドッカンドッカン打ち上げている。うわーすげーと笑いながら、懐中電灯を手に夜の町を駆けまわる。おそらく北米大陸中の町が今夜、花火の煙に包まれているんだろう。
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■11/11/01(火) □ フジ君とヴェルレーヌ
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想いが伝わらぬことを嘆く人たちに向けて、こういうツイートを流してみた。
若者が愛や哀しみをシャウトしたい気持ちは完全に当たり前だ。でもシャウト自体は分かち合えないものだから、表通りの人の心には届かない。通りがかりの人にも届くものになればいい。それが歌なんです(C)加川良「下宿屋」「モテキ」のただ中にいて苦しむ若者たち。フジ君たち。君たちが苦しいのは単純ではなく複雑な組成の心を持って生まれてしまったからで、どうしようもない。仕方がないからせめて床に叩きつけた気持ちを紡ぎ直して歌を作れ、詩を書け。そういうことを言いたいのである。―――あ、単純と複雑で思い出した。ヴェルレーヌだ。
僕の単純さがまるっきりあなたには解らなかった可哀相な僕の乙女妻よ! そしてあなたは去ってしまった腹立ちまぎれに、気まぐれに。(乙女妻)
その女ひとは僕を理解し、その女にだけ僕の心は透明です。その女にだけ僕の心は不可解ではなくなります。僕の青ざめた額の脂汗も その女にだけが涙で清め得るのです。(よく見る夢)
(「乱鳥の書きなぐり-ヴェルレーヌ・よく見る夢」)
フジはヴェルレーヌなのだ。行状はだいぶ違うがその叫びにおいて同質だ。君たちの組成は複雑だけど届かない叫びは単純なのだ。この詩をフジが書いたとしてもまったく不思議ではない。19 世紀の詩人と同じように、今も若者たちは吠え続けている。君たちフジ君はみんな歌を作り、詩を書いたほうがいい。
水に削られて、いつも傾いて
満たされることのない
俺たちは2つの舟だ
舳先を並べながら、川を下っていく
伸ばす指は届いても、水を隔てている
抱きしめて横になり、花のように沈んでく
言葉のない草になり、すれあって笑ってる
友達が歌ってる 声がする 聞こえてる
夢の中でも 同じ言葉 いい子だね いい子だね
東京でフジ君状態だったとき、俺もヴェルレーヌを読み、ジャックスを聴き、歌を作った。この年になっても、あの頃と何も変わらない。伝わらない悲しみはいつだってある。だから毎日何かを書いているのだ。
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