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■12/03/02(金) □ 尾野糸子最終回
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【カーネーション・尾野糸子最終回】いやーオールスターで。オールスターフルキャストで。宝物のような新旧スター勢ぞろいで。人が死んでもなくなる宝はない、「ヘタレはヘタレで泣いとれ」と糸子は笑い。そしてなくなる宝なんてないんだよ本当にと、映像が魔法を見せてくれました。なんて、なんて、なんてすばらしい。
優子の全国展開構想を「おもろない」と感じ、自分の東京行き話にかすかに気持ちが揺れ、モードの嵐に吹かれ「自分の服もいっときの希望に過ぎなかったのか」と自嘲し八重子さんに(かつてオバちゃんにそうされたように)どやしつけられ―――という昨日の流れから、そうか最後は「何がほしいんや」「ほしいものは1つだけ」の答えを出して終わるんだなと俺は心をあらかじめ震わせながら尾野最終回を待った。それが糸子の最後の言葉になるんだろう、「タラや。タラへ帰るんや、だんじりに」的な大見得があって終わるんだろうとイメージして。
それがぜんぜん違った。1人で岸和田に残ってもなくすものばかりでしんどいぞ、と震える声に恋心を載せて諭す北村に、薄く笑いながら糸子は答える。
「ヘタレが」
「はぁ?」
「そんなもん分からへんやろ」
「なにがじゃ」
「そもそもな、なくすなくすって何をなくす?うちはなくさへん。相手が死んだだけで、何もなくさへん」
「はあ?」
「決めたもん勝ちや」
「何言うてんや」
「ヘタレはヘタレで泣いとれ。うちは宝抱えて生きてくよって」
これが尾野糸子の最後の言葉だと途中から気がついて、ああまただ、また予想を裏切られたよと喜びが体をしゅわっと抜けていく。だよな。ここで「だんじりだ」と予定調和的に感動的長セリフを言われていたら、俺は少しがっかりしていたよな。だけどそうはいかないんだよ糸子は。もっと単純なんだ。だからこんなにも彼女に胸をさらわれてきたんだよ。彼女の生き方が美しいとか素晴らしいとかいうよりも、ロッカーみたいにカッコイイ糸子を俺は好きで、いつまでも見ていたかったのだ。
そうやって走馬灯的に胸がうるうるしてるところに、あの魔法のシーンが。あれはもう。ほんともう。まいりました。夕食後妻子がリビングの TV で楽しくコメディを見ている裏側で、顔を隠し声を殺しながら俺は何度「カーネーション」に泣かされたことだろうか。サヨナラ、尾野真千子の糸子。
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■12/03/03(土) □ うるわしのハイラル平原
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【ゼルダ・トワイライトプリンセス】最初のダンジョン大ボスと対決。で、でかい。どうやって戦えばいいのだと様子見をし(このゼルダはとりあえず間合いを取れば対策を考える時間を稼げるので助かる)、あそうかと気づいて何度もトライし、無事倒す。―――やっ・た。このボスの部屋がなかなかトロピカルで気持ちよく、しばらく水に泳ぎながら景色を味わい帰郷。
うるわしのハイラル平原
こういう見通しがよく広い場所では Wii コントローラで戦うのも実に爽快。遠くからこっちにかけてくるザコ敵をすれ違いざまにズバッと切り、振り向いてトドメを刺す。相手の体勢が見えるので冷静にスポーツ的に斬れる。サイコー。
このハイラル平原の素晴らしさを萌とやっぱりシェアしたくなるな。萌はまだ洞窟の中盤にいる。謎解き(というか、どの部屋に先に行き鍵を取って………という段取りづけ)は当然萌より俺のほうが早いので、ペースを合わせないと俺だけどんどん先に進んでしまい、感動をシェアできなくなってしまう。少しペースを落とそう。
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■12/03/04(日) □ 洋ゲーの天才的バカさ
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というわけで、ゼルダのペースを落とすために中古サッカーゲームを買ってきました。2008 年時点で「コナミ・ウィイレを抜いて Wii 上で最高のサッカーゲーム」と英語記事に書かれていた『FIFA 09』。Wii リモートのカーソルでパスコースを指して送るというコナミのコントロールをパクったやつである。
しかしこのリモートカーソル式プレイは全然コントロールできない。パスが全然思うところに飛んで行かない。画面上に常時カーソルを保持し、狙ったところに瞬時に手元の角度で数ミリ動かさないと思い通りのパスにはならないわけで、そんなことできるわけないじゃんという感じ。事前に記事を読んで、Wii メニューのボタンを押すのですらめんどくさくてイライラするあのリモートカーソルでサッカーなんかプレイできるのかなと半信半疑だったのだが、やっぱ俺には無理だった。
しかしパスにリモートカーソルを使わない All-In モード(味方がいる方向が複数自動的に検出され、プレイヤーはそのうちどこにどのタイミングで出すかを判断しゲームを進める)だと昔の FIFA 98 とほぼ同じ感覚でプレイできる。慣性が前より大きいのと Wii ヌンチャクのストロークの大きさ(※)で FIFA 98 よりドリブル&パスコースがコントロールしにくいが、慣れるとまあまあな感じ。
(※)Playstation よりストロークが大きくステップ数が少ないような感じで、中間的な微妙な操作がしにくい。ゼルダでは全体をじわっと気持ちよく見渡せないし、サッカーでは中速ドリブルがしにくいのがつらい。
と萌にやらせてみると、サッカーはドリブルしてコースを突きパスコースを見つけて出しと常時複数の判断を高速にしなきゃならないので、スポーツ音痴の萌はうまくプレイできず面白さを感じないようである。Wii テニスやバスケがうまいのはタイミングだけで勝負できるからだな。つまり任天堂のスポーツゲームは、運動が苦手な子供にも楽しめるよう、スポーツの楽しさをどこまでも単純に抽出してるわけである。えらい。
というわけで俺はサッカーをやりこんで、親指ヒリヒリ。FIFA 98 をやりまくった 2000 年頃以来の、なつかしいヒリヒリであります。
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しかし EA の FIFA サッカーは 98/99 をやり込み、ボールや選手が動くスポーツ感がコナミよりずっと好みなのだが、相変わらずそれ以外が馬鹿である。どれくらい馬鹿か挙げていくと枚挙にいとまがないが、たとえばメインのチームを育てるマネージャーモードでは戦術がいじれない。できるのはフォーメーション選択と選手交代だけである。このモードは俺がやりまくったサッカー監督ゲーム・Championship Manager/Football Manager のパクリなのだが、CM/FM は試合ごとにトライ&エラーでフォーメーションと動きをファインチューンするのが一番面白いわけで、それができなければ監督をやる意味がないではないか。
選手交代等のコマンド体系も最低もいいところで、ゆれゆら揺れる Wii コントローラの安定しないカーソルとA①②ボタンを全部使うクソ仕様になっているため、先発メンバー入れ替えだけで数分かかり指が吊る。話にならん。サッカーゲーム史上最も選手交代がめんどくさいゲームだろう、これは。
こういう「こんなんじゃダメに決まってるだろう」がいくつも当たり前にある洋ゲーのバカさは、FIFA 98 も Football Manager も 10 年経っても変わらない。これはもう、英米カナダ人は不便に対する耐性が高すぎるとしか解釈のしようがないではないか。いくらなんでもこのバカさに気づかないわけはないのだが、それを直そうとまでは思わないところが想像を絶している。実際カナダで暮らしてると、なにごとにつけそう感じるのである。米カ電気製品を買って普通に満足したことは、過去 20 年間皆無である。
ともあれ FIFA 09、サッカー自体は大好きだった FIFA 98 よりも当然進化している。コントロールに慣れ選手を思い通りに動かせるようになれば、燃えるのは間違いない。
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■12/03/05(月) □ 魔法の光が抜けた岸和田
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【カーネーション】夏木糸子の初回。魔法の光が抜けてしまったような現代岸和田の白っぽい風景、3姉妹以外誰も知った顔がない小原家、北村まで早死にしてるし、やっぱり夢は覚めてしまったなという感じ。夢の岸和田パックのフタを開いて、しゅーっと外気が入ってしまった感じ。
現代の岸和田ってこんなに味気ないのかと思い、いやあの大正昭和の岸和田のほうが、カーネーションスタッフ全員が創り上げた、糸子のイメージで柔らかく輝く夢の岸和田だったんだよなとすぐに気がついた。現代岸和田も、たとえば「家族に乾杯」のカメラで写せば活気と買い食い感が溢れ出た魅力ありまくる町に決まっているわけで、現代の町を見て「白い」と感じた俺の目は、柔らかな光に満たされた糸子の夢の岸和田に長くスポイル(贅沢させ)されられてきたからこそ、いま甚だしい落差を感じてるんだろう。「町は変わったけどだんじりは変わりません」という夏木糸子の言葉がただのアリバイに聞こえて、そういうのを初回から言わないほうがいいなと思った。
初回で夏木マリがいいも悪いもないけれど、必要以上に老い感を込めた夏木さんのごく普通の関西弁と、妙に遅く歯切れの悪いナレーション(年寄りといってもうちの母さんもBRも別に喋るのが遅くはない)には、糸子の魅力も湯婆婆の魅力もない。方言指導じゃ再現できないものがある。
まあこれは俺たちが熱狂してきた「カーネーション」とはやはり別物で、主人公の設定だけ同一の別の制作物だな。先週すでに完璧に終わってくれているので、「せっかくのカーネーションが......」みたいなガッカリ感は全然ないのだが、これから語るに値する物語がもう一度語られるにせよ今やらなくてもいいだろうとは思う。20 年くらい置いてから尾野さんで「カーネーション2」を作るのが一番よかっただろう。
いやそれよりもあと ひと月分を使い、尾野糸子最終回までを丁寧に描いてくれたほうがやっぱりよかったかな。振り返れば戦後はすべてのエピソードが、続きがあるのかと思えばどんどん次へとスキップされてきた物語だった。それで十分によかったのは事実だが、細部や続きが見れたらもっとうれしかっただろうシーンも、やっぱりいくつもあるのである。
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