2013/02/08

日記「関東村の思い出」

「新フライパン」「ペン入力恋しや」「スラバヤ通りのパフューム」

【追記】「純と愛:アイシャルビー・リリースト」(2/9)


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■13/01/25(金) □ 新フライパン
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上の鉄中華鍋と左のキャストアイアンは
焦げるたびに焼きを入れ油を引いてやれば
調子いいのだが、ステンレスは駄目。
うちの台所には奥様が買った鋳鉄のキャストアイアンパンとステンレスのフライパンがあり、キャストアイアンは台所にある物で冷蔵庫に次いで重く(体感10キロ、実測3キロ)極めて使いにくいのでステンレスの方をメインにしてきたのだが、細かい傷が増えすぎたせいなのかもうどれだけ焼きを入れ油を塗っても焦げ付くようになり、買い替えを決めた。

 ノンスティック(くっつかないテフロン系)フライパンは健康への影響が懸念されるので避けてきたのだが、あちこち見て回りネットで調べるとテフロンを超えた絶対安全ノンスティックはいまだないらしい。しかしノンスティックの用途は卵、魚のムニエル、パンケーキなどくっつきやすいもので、こうしたものはそもそも中火以下で作るものであり、ノンスティックのほうが出来がよくプロでも使うのだそうだ。ノンスティックは強火にすると耐久性と有害ガス発生懸念があるが、そうした強火料理には鉄鍋を使えば安全性の心配はいらんわけである。なるほどね。

 そして逆に焦げてもいいというか焦げたほうがいい焼き物は、ノンスティックでは特性的にうまく焼けないらしい。香ばしい焦げ味をつけるには鉄が一番で、実際キャストアイアンも鉄中華鍋も肉はうまく焼けるしな。なるほど。非ステンレスの軽い鉄フライパンがあれば多少くっついてもそれがベストなのだが、そういうものは日本でもカナダでも見たことがない。薄い鉄板はすぐに熱で歪んでしまうからだろう。

 かように考えた結果、現行のキャストと中華鍋はそのまま使い、中火以下用にキャストアルミのノンスティックを買うことにして、ネットのユーザー評で好評なやつを買ってきた。

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 コーティングを傷めぬよう、温度をあまり上げず木べらを使い慎重にトライする。まずは残り物でバターライス。ノンスティックパンというのはライスですらくっつかないのかと改めて驚くほどだが、なんかじゅーっといわない。音がしないと温度とでき具合がわからないで困る。できたのかどうかよくわからんと思いつつ食ってみるとちゃんと熱々になっており、油分がほとんどないのでパサッと出来上がりうまい。おお。そうか、じゅーっという調理音はノンスティックだと出にくいのかもしれないな。強火でなくてもこのパサリ感は素晴らしい。これなら朝萌の弁当用にチャーハンをさっと作れてしまう。

 しかし晩飯に餃子をやってみると、ものの見事にくっつかずすぱっと気持ちよく取り出せたのはいいが、餃子の底にグレイズ(焦げ)ができていなかった。不味い。やっぱ火加減が難しいわ。熱で万が一パンを痛めるとと思うのでついつい火の手をゆるめてしまい、強気でストロングに調理できん。最後に火を弱めじっくりと焼きあげる感じにすべきなんだろうな。しかしまあこれでコツはだいたい掴めた感じ。よし。

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■13/01/28(月) □ ペン入力恋しや
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 MKがまた新しいアンドロイドを買うらしく、今使ってるペン入力式の巨大サムソン GALAXY Note をいらないかと聞いてきた。いや昔使っていた Pocket PC/Windows Mobile のペン入力は今も恋しいが、サムソンじゃ日本語の手書き認識は期待できんから、アンドロイド上でペンが使えてもあまりありがたみはないような気がする。


Google日本語入力「ゴダン」キーボード。右手で子音を、
左親指で母音を押すローマ字入力。
一応いまあるアンドロイド用の手書き文字認識のソフトウェアを試してみたが、Windows Mobile 時代から考えると比較にならない精度の低さだった。ペンの代わりに指で書くということに無理があるし、スマホ用ペンを使っても誤認識が多すぎて実用にならないレベル。予測変換も弱いし。これなら Google 日本語入力の新型キーボード、「ゴダン」のほうが入力ははるかに速くストレスが少ない。

 ペン手書き認識で Google 日本語入力が使えるようになるまでは、スマホ日本語入力のブレイクスルーはないと思う。文章入力と編集に関してはすべてのスマホは Windows Mobile から著しく後退している。というかまあ MS-DOS 機から Windows Mobile まで進化し続けたハンドヘルド機の総合 PC としての能力をバサッと捨て、通信・カメラ・ソーシャルのみに特化したのがスマホだからな。用途が違うのよね。

 「携帯機器でペン入力がなくなったのはほんと馬鹿げてるよな」とつぶやくと、萌が「ペンなんて必要ないじゃん、指でいいじゃん」という。DS のペンで巧みに絵や線を描いていたことは子供らの中で過去の終わった文化とされ、手先の器用さと創造性は失われ画面キータッチだけが研ぎ澄まされていくのか。

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■13/02/01(金) □ スラバヤ通りのパフューム
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日本語TV【MJ Perfume ドキュメント・今世界へ】台湾のファンが日本語で自分たちの歌を大声で歌っていることに感動し、鳥肌を立てているパフュームが愛おしかった。昔から日本に来てる無数の外タレも、同じ思いをしたことだろうな。本当に彼女たちは日本代表としてどこに出しても恥ずかしくないパフォーマーである。

 最近米ポップ音楽に毒されパフュームへの熱意が薄まりかけていた萌にこれ見ないとダメだろうと見せてやると、期待通り台湾ファンの熱さと3人の努力と涙に胸打たれ、今日はまたSPとパフュームを聴きまくっている。めでたし。

 SPは当然日本語がわからないんだけど、パフュームの音とダンスを愛してくれている。番組を見ていて、Perfume は海外ではカタコト英単語で話せばいいのになと思った。台湾でやった中国語丸暗記挨拶は偉かったけれど、丸暗記で話せることには限りがありすぎる。英単語を少しだけ用意すれば、どこの国へ行ってももっとたくさんコミュニケートできるのだ。「少しの英語だけがあなたとの架け橋(松任谷由実・スラバヤ通りの妹へ)」なのである。

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【追記】「純と愛:アイシャルビー・リリースト」
   NHK朝ドラ「純と愛」は最初からゲンナリしつつも今も見ているのだが(「いったいどうするつもりだこの話」という気持ちが視聴モチベーション)、オオサキホテル時代から続く引きこもり男問題を純が解決するという同種エピソードがいつまで経っても繰り返されている。もう残りも少ないというのに月曜日にはまた同じ問題が持ち込まれ、金曜に純が解決している。俺は脚本家の身内でも友達でもないので彼がそこに偏執的にこだわっている意図など忖度する気もせずただイタイので音を消し早送りしているが、早送りできない役者陣はまことに気の毒だと思う。

They say ev'rything can be replaced
遊川さんは朝ドラの価値観など変えられるわと壮語したけれど
Yet ev'ry distance is not near
いつまで経っても何が何やら
So I remember ev'ry face
だから俺は思い出しただ気の毒になるよ
Of ev'ry man who put me here
ループにはめられもがく純の顔をね

I see my light come shining
光が差してきた気もする
From the west unto the east
いまの純の演技を見ていると少しね(だけど予告編を見るとウンザリはまだ続きそう)
Any day now, any day now
いつの日か、いつの日にかこの話は終わってクドカンのやつに切り替わり純も視聴者も
I shall be released
自由になれるさ
(The Band「アイシャルビー・リリースト」)

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■13/02/06(水) □ 関東村の思い出
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(c) Stars and Stripes Newsboy Story

 むかし旧米軍基地跡地の廃墟の警備員をしていた頃のことを書いた「追憶の調布関東村-さよなら関東村」を見つけ、少年時代そこで新聞配達をしていたという府中のおじさんが同じく思い出を書き知らせてくれた。当時の調布関東村/府中基地新聞少年たちはこんな格好で配達していたらしい。みんな府中の三億円事件犯人(笑)。


この地図の左半分が1990年代末まで
廃墟村として残っており、そこに駐在していた。
やはり自分が駐在した調布関東村の地図が載ったページが楽しい。あの広い関東村を高校生たちが自転車で新聞配達していたのかあとニヤニヤしてしまう。

 関東村・府中基地の警備仕事については職業上の秘匿義務的なものがあり公には書けないこともあるのだが、俺もこのおじさんくらいの年になったらあの中の生活の思い出を少し書き足そうかなと思う。関東村勤務の初日からテキスト日記は数メガバイト分もあるわけで、たまに読み返せばやはり面白いし。



 ひとつ今思い出したのは、うちの奥さんと同じ年頃で偶然にも同じ名前の女の子が、小さいときにここに住んでいたのだが中を見せてくれないかと訪ねてきたときのこと。構内に招き入れ案内しますよと警備車のドアを開けると軽く意外な表情をしていたが、記憶をたどり自分が住んでいたあたりの区画に至るとオーマイゴッドと高揚し顔をキラキラさせていた。写真を撮ってあげるよと彼女を屋上ガーデンに立たせ、下から写真を撮ってあげたことを覚えている。あの写真をきっと、かつて関東村に住んでいた親や兄弟に見せたんだろう。

 「本当にありがとう。あなたはどうしてそんなに英語が話せるの?」と聞かれ、んーと実は君と同じ名前の子がいてねとMのことを話し、なんて偶然なんだろうと2人で笑った。この誰もいない関東村構内を犬と巡回しながら、俺は大声で英会話テープをリピートし覚えたんだよ。

 関東村の思い出は甘い。あの 1990 年代の東京という時代がそっくり、甘い思い出だ。




【関連記事】
追憶の調布関東村(1)関東村最後の日々
追憶の調布関東村(2)関東村のシクスティーズ
追憶の調布関東村(3)府中基地キノコの森
追憶の調布関東村(4)ゴールデンブラウンの立川基地
追憶の調布関東村(終)さよなら関東村
日記「立川基地の青春」(ランドリーゲイトの想い出)

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