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■14/10/15(水) □ しょぼきカナダの部活ライフ
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高校が始まって一月経ち、萌のクラブのことなどを初めて家族で話したのだが、カナダの高校生活はさほど充実しているようでもない。アート系の選択科目が充実しているのがこの学校を選んだ理由の1つなのだが、萌はアプライした写真グラフィックコースが定員オーバーで入れず、第二志望のセラミック塑像コースとなった。その科目自体は楽しいらしいのだが、これしか取れないのである。
選択科目はその他にも コンピュータグラフィックス、IT、ジャズボーカル、演劇、合唱、ブラスバンド、ギター、テキスタイル、木工その他どれも魅力的なのだが、フランス語科の生徒はフレンチで余分にコマを消費するので1つしか取れないのだ(一般生徒は2つ取れる)。
そしてこれが意外だったのだが、これら充実した(しかし入れなければそれまでな)科目を部活が補完していない。写真グラフィック科は写真の基礎と Photoshop をやるらしいのだが、萌が入った写真部のほうは「指導する先生はいなくて、生徒同士でただ写真を撮って見せ合うだけ、つまんない」と萌はすでにやる気をなくしている。ジャズボーカル部や軽音部はない。つまり選択科目は超素晴らしいが部活は生徒の自主サークルに近いものらしい。正規の科目との質の落差が激しい。カナダの高校はどこでもそうなのだろうか。
音楽をやるとすればミュージカル部しかないらしい。演劇は去年1年やって才能があるといわれたのだがなぜだかもうやりたくないそうで、これも入らず。そして萌がいつもつるんでいる友達は萌の興味がないラグビーとかの運動部なので、結局萌は写真部以外何もすることがないわけである。何も入らないと虚しき帰宅部になるので写真部だけは続けろとMがプッシュしている。
まあ写真部はすでに知っている友達がいないから萌はつまらなく感じているわけで、写真を撮って見せ合うというのは毎日インスタグラムでやってる大好物ではないか。それを写真が好きな者同士で、iPhone ではなくカメラを使ってやろうというのが写真部なのである。入ればそこで友達ができる。友達ができれば写真を見せることが楽しくなる。がんばれ。
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■14/10/18(土) □ ソープオペラなマッサン
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【マッサン】エリー政春ケンカ決裂。「よくそんなことが言えるわね!」が胸にしみる。エリーがもげた袖を返し謝り大人の対応をしたあと、唯一泣きつける相手であるキャサリンの手を子供のように取ったのがよかった。キャサリンおばちゃんのアドバイスは別れろと大人気なかったけど。
しかし夫婦ゲンカのつらさ悲しさは感じさせてくれたけれども、ラストは「埴生の宿」を歌い、今週も特に何も話さずただ赦すエリー。まあ今週も恒例政春が泣いて謝り終わりだろうなあとは昨日あたり思ったが、歌を使うというアイデア落ちに縛られ3週目にして一番説得力が落ちた。「埴生の宿」を歌うエリーの表情もうつろに見えた。赦しの台詞は、かなり彼女の徒労感というかお仕事感を感じてしまった。
Mに初めて「マッサン」を見せてみた(政春エリー決裂シーン)。ケンカの背景をざっと説明しておいたので台詞はほぼ聞き取れていた。やはりエリーの喋りは本物の外国人日本語なのである。感想は「どこも同じよね。こういうケンカは身にしみるわね。字幕があったら見たいわ」とのこと。しかし教会の「埴生の宿」のシーンは見せられなかった。ああいうソーピー(安直)な部分がなければ見せるんだが。「ソープオペラでいいじゃない、そういうのも見るわよ私」とM。そうか。まあね。
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シャーロットさんはミュージカルの役のようにエリーを演じていると思う。優子が英語を話せると気づいた時の表情や小走りに駆け寄り小鳥のように隣に座る姿なんて、ああミュージカルだなあと思った。西洋の舞台俳優が習得してきた動きの心地よさが、朝ドラでひらひらと舞っている。後から読んだインタビューでエリーのことを、昔のミュージカル女優 Doris Day(ケセラセラを歌ってた人)に例えていた。やっぱりね。
製作陣がその華やかさを望んだのはわかるし文句ないのだが、実際エリーの行動はミュージカルの登場人物のようにシンプルに作られていて、舞台を遠くから見てわかるくらいな芝居しか現時点では与えられていない。政春が洋行帰りを感じさせない大和男であるように、エリーも日本在住外国人らしくはあるが、西洋人らしさはこれといって見えないので皆がややじれったさを感じている。まあマッサンの業績のほうが主役の朝ドラだから今は仕方ないのかもしれない。
外国人が家族にいると周りが変わっていく。鴨居がそうであるように、エリーだったらどう思うだろうという視点が常に入る。その「エリーとシャーロットさんはどう思うだろう」という視点が朝ドラの陳腐をゆるやかにクリーンアップしてくれるだろうと期待しているのだが、なかなか根強いな。
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■14/10/23(木) □ ツイートを訳す難しさ
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(TrinityNYCさん)英語と日本語でプレゼン資料両方作ってみると、日本語という言語の持つ「情緒性」を感じずにはいられない。英語だと単語だけでスッと頭に入ってくる内容でも、日本語になると、視覚から入ってくる情報が、メッセージにからみついて、本質部分が見えにくくなることがある、とでもいいましょうかね。
このツイートにリプライした。全然仕事の話ではないのだが、英語でツイートをするとどうしても普段日本語で書いていることが書けない。他の人が書いた面白いことも英ツイートに翻訳できない。この「情緒性」となにか関係あるんだと思う。
つまり俺がツイートしてるようなことや、自分が面白いと感じる日本語ツイートの多くはちゃんとした筋道立った翻訳可能なものではなく、どこか違うところにワークしてるものなんだろう。
んでまた「マッサン」の話になってしまうのだが、皆がツイッターで書いていることをシャーロットさんに少し伝えたいと俺は思う。ファンレターを書きたいわけではない(笑)。シャーロットさん自身が日本ドラマという異世界に嫁いだ外国人なのでやはりシンパシーを感じずにおれず、人々は「マッサン」をこのように楽しんでいるのです、大丈夫なのですと伝えたくなってしまう。
だけど試みてみるとこれが本当に困難で、上記の訳し難い微妙な気持ち問題もあるし、物理的にも日本語 140 字で書ける内容が英語ツイートでは3つくらい必要になる。字がびっしり詰まったツイートを@で誰か宛てに多数送るのは押し付けがましいと感じるので、そこでまた頓挫してしまう。
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【マッサン】優子のお見合い。婿さんは優子の気持ちがなぜ揺れてるのかをズバリ質問してきた。いい人だ。そして優子は正直にきちんと答える。結婚したら優子の夢がどうなるかわからないが、きっと二人はお互いを好きになれるだろう。優子が結婚を決めたことを知り、それ以上は何も言わずにただ静かに泣くエリー。
(tamicさん)優子さんにとって、家を出て働きたかったと両親にも結婚相手にも声に出して伝えられたこと、その気持ちを汲んで父親が一旦は見合いを断ってくれたことは、生きていく上でとても大切な糧になると思う。誰かが自分の気持ちを知り、受け入れてくれたことは、土台になる。
言うことを聞いてくれるか、くれないかでなく、気持ちを伝えて理解してもらうということが、人として尊重されている安心感となり、主体を持つ上での自己肯定感につながるんだよね。
人々の感想ツイートを読んでいて、tamic さんのこの言葉にそうかと気がついた。そうか。夢が手に入らず、夢破れたことすら知られないというのは悲しいよな。考えてみればエリーは何かを止めに行ったのではなく、ただ優子が「気持ちを伝え、理解してもらい、尊重される」ためにフタだけ静かに開けたのだった。だから最初に声を発した時に、声も高めず静かに問いかけていたのか。「夢があるんでしょドシタノ?」という不思議顔で。それが優子に必要なことなのだった。そこから先は、レットイットビー。
そうか。ちょっと考えて、シャーロットさんに書いてみた。
Ellie's interruption didn't change the course of the things for Yuko, but now everybody knows how Yuko feels, at least.
(エリーのおせっかいは優子の運命を変えることはできなかったけれど、そのおかげでみなが彼女の気持ちを知ることができました。)
Not to be known is the saddest thing. Yuko's small dream was acknowledged and respected. So, don't cry Ellie.
(一番悲しいのは知ってもらえないこと。優子の小さな夢は認められ尊重されたのです。だから、泣かないでエリー。)
tamic さんにもこれを送っておこう。tamic さんらの言葉を見て俺が思ったこととシャーロットさんに書いたことはイコールではないし、それを訳したかっこ内の日本語も英語ツイートとイコールではない。しかしどちらに宛てるにしても単独で成り立つものにして、中心点を打ち抜くしかないのです。
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■14/10/24(金) □ テレコンはトイレンズ
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MZ14-42 の先端につけるテレコンバージョンレンズを買ってみた。望遠レンズ MZ40-150mm は近くが撮れなくて不便で普段使いがしにくいので、このテレコンをカバンに入れておいて必要なときにさっと望遠が得られないかなと。
しかしなんと 14-24mm まではケラれてしまう。説明にそんなことは書いてなかったが調べるとよくあることらしい。これほど狭くなるとは。25-42mm は使えるが、絵はやはりゆるい。センターの解像で 30% 落ちという感じで、周縁はブレブレに流れてしまっている(絞るとセンターの絵を使うのか流れが減る)。
あちゃーこりゃ使い物にならんデジタルテレコン(標準機能のセンタークロップ)より悪いと思うが、途中でクローズアップは使えるなと気がついた。テーブルフォトを撮るとセンター以外が大きくボケていい味になる。ワイド側が使えないのだから画角の不便さはズーム MZ40-150mm と同じなのだが、違いは寄れるところで、20cm くらいまで寄れるので 40mm@100cm の倍以上の大きさでクローズアップでき、背景がよくボケる。。
レンズの周縁ボケが出ると汚くなるが、それを避けるとこれは使える。部屋の中、ポートレートくらいの距離なら解像度も問題ない。ふわっと撮れる古い中距離レンズという感じで悪くない。手軽に望遠という夢は破れたが、この値段とクオリティなのだから光学性能など気にせずトイレンズとして使っていこう。
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【マッサン】4週目ラスト。政春は「断るつもりだったから相談しなかった」と見え透いた嘘をついた。オファーを受け、優しすぎる大作社長を裏切ってしまいそうな自分を恥じて言わなかったくせに。けれどそれがママを怒らせたのです。わかるよ! 一緒に悩み考えることが仕事だよ! 今回は一番怖かったね。
鴨居に行くべきだとエリーが行ったのには政春も俺も驚いた。鴨居に出向している間の彼がそれほど生き生きしていたのか。しかしそれすらも恋心を見透かされたと思い込みうろたえた政春は、大爆発ワード「外国人にはわからん」に手をかけてしまったのであった。阿呆である。
政春は自分の気持ちを読まれることを嫌がる男だが、実はみな顔に書いてありそれがすらすらと読めるエリーと鴨居に愛されている。顔のどっち側に書かれてるかくらいは当然わかる大作社長にも愛されている。優子さんも彼のその単純さを好きだったのだろうね。
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エリーも住吉の恩に報いたいという気持ちがわからないわけがない。外国人は感謝が薄いと日本人はよく言うが厚さは変わらない。しかしそれよりも政春の充実感のほうが大事とみなすところが、エリーが今週徐々に発揮してきた西洋らしさなのだろうか。そのへんの真意はまだよくわからない。
しかし今日のエリー激怒は怖かった。日本語を喋っていても演技が英語でハリウッド的だった。西洋人らしさカモンと思っていたのに、実際そうなると俺は引いた(笑)。50 年代米コメディエンヌだったエリーが突如現代ハリウッド類型になったので引いた。西洋はいいがハリウッドはちょっと。あれは失敗テイクとしてリテイクすべきだったのではないだろうか。
これまでとは形相が違っていたし襖をバタンと閉めちゃったので、政春がいつも通りに泣いて謝り許してはもらえなかった。襖の後ろでエリーが泣き崩れたりはせず、アホ、ドアホとつぶやきすぐに顔を洗いに行った(想像)のが大仰さを鎮めてくれよかったのだが、どうなることであろうか。ちょっと成り行きを見守りたい感じ。