2005/05/26

2005 年日本滞在記3「小布施の寺と温泉と」

「湯田中とモンキーパーク」「帰国前夜の物思い」ほか。
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■ 05/05/11(水) X 小布施の寺と温泉と
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 昨日は日本での TODO 消化日初日で、善光寺と裾花川散歩が気持ちよかった。Mの旧友のバーも訪問する。



今日は小布施の寺と温泉。日本はまったく美しいなと思う春の日々。あの寺と温泉はいつなんどき行っても満たされる。温泉で萌は最初人前で裸になることを恥ずかしがったそうなのだが、PMとHKが後から加わってからは景色のいい露天風呂を満喫したとのこと。

 帰りにID家に寄る。萌はHKと気が合うのか、子供部屋にこもって2人でせっせとバリケードを築いていた。タイで生まれ埼玉で幼少期を過ごしたKはタイ語が少し分かり、標準語アクセントの日本語を喋るのだが、小布施で生まれ育ったHKはタイ語は皆無で、北信田舎地区のアクセントがあるのがおかしい。聞けばKがHKのアクセントを田舎くせえとからかい喧嘩することがあるのだと。

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 日本に残していたキャンプ用品その他で送れそうなものを今日考えたのだが、どれも高い郵便で送るよりもカナダで買う方が安いという結論しか出ず、断念。もしまた日本に住むことがあったらあの道具たちを活用し、そしてカナダに戻るときに今度こそは割安な引越し便で送ってやろう。それまで道具たちの寿命が持てばだが。

日本に住むことについてMは、こういった小さいうちに住めば萌が完璧に日本の子になってしまうので抵抗があるという。それはその通りで、日本にきてから俺も意識して萌が忘れないようにと英語を喋っているが、彼女はMにしか英語を話さない。英語の方が得意なPMにも日本語で話している。英語力が落ちているとは感じないが(※)、ここにいるとおばあちゃんもびっくりの日本語の自由闊達さに比べて、差が広がっていく一方だ。

(※)逆に日本にいる間にどういうわけか英語の発音が完璧なカナダ発音になってきた。休暇中はお母さんとずっと一緒なのがやっぱり効くのだろうか。「日本の人が話す英語のアクセントに気づくからじゃないか」とMはいう。確かに萌は俺の英語アクセントにも最近うるさい。

 「あのさ、今回斑尾戸隠以外遠出をしなくて、本当に悪かった。なんかやっぱ行くなら友達のいる東京だという思いがあって、それでいながら友達に会っても共通の話題がなく、子供のこと以外何を話していいのか分からんのだよ。それで自分がひどく退屈な人間になった気がして、こっちに来て以来ずっと落ちこんでるんだ」とMに話した。Mには俺のそういう気持ちは意外だったようで驚き、退屈だなんてことはないわよと慰める。「『かつては音楽や政治を熱く語った俺なのに、近頃じゃ話すことといえばベイビーのうんちのことだけだ』って歌もあるじゃない。みんなそうなのよ」。まあ夫婦だから俺たちにはいつも話題があるけどさ。

 Mは日本にいるときの自分の全般的なダウナーさについて話す。やはりアイデンティティの問題だと思うと自己分析していた。やっぱり言葉と文化の両面で常に置き去りにされ、いつもみたいにリードできないことに気疲れがあるのだと思われる。

 そんなわけで二人とも、日本にいるということにある種複雑な感情があるわけである。萌はもちろん、なんのわだかまりもなく毎日ハッピーなのだが。そしてそれがいちばんであります。

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 マリノスのACL中国遠征を見たのだが、こんなのは見たことがないというほどヒドイ相手の時間稼ぎ(※)を10分以上も見せられたのも悔しいが、マリノスの選手たちが1対1でことごとく負けていたのが実に悔しかった。久保ら主力が怪我上がりだったこともあるのだろうが、皆Jのトップレベルなのにと悔しいのである。Jリーグには爆発力と競い合う心を鍛える何かが欠けてるんじゃないかと思う。

(※)怪我のフリでそれぞれ延々3分くらい止まり、さらにボールボーイがマリノスにボールを渡さないなどというすごいシーンもあった ^_^;。ロスタイムは当然実際のロスより短く7分。

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■ 05/05/13(金) X Pocket PC 見つからず
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 M萌は佐久へ。新幹線片道 20 分で2人でなんと \4700。日本の公共サービス物価はむちゃくちゃだと思う。

 俺はどうしても欲しい Pocket PC を探してるのだが、長野では店の選択肢が実に狭い。ラオックスがなくなり探索のしようがない。まいったなとまたあのアニメフィギュア店に行き、カナダの子供たちへのプレゼントを探す。

 あと1時間、何をしていようか困ってフラフラしていると、小さな中古 PC 屋でなんとMKに頼まれていた世界最小ハンドヘルド PC が奇跡的に見つかってしまった。タッチパネルなのが Pocket PC にも似てステキな以外はこんなものが実用になるのかどうか疑わしいが(Linux なんか入るのか?)、とにかく依頼通りに購入。俺の PocketPC は見つからないまま時間切れ。ため息。M萌を拾って駅前で印度カレーを食べて帰ってきた。美味、だが流行ってなさそうで気の毒。

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■ 05/05/14(土) X 着物デー
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 週末悪天候の予報だったのだが、今日もいつものように晴れ時々曇り。実のところローカルケーブルの須坂市ウェザーチャンネルは滞在中延々と「曇り&24℃」といってたのだが、20℃を超えたのは1日だけだったのである。こんなにはずれるウェザーチャンネルは見たことがない。さすがの田舎ケーブル。



 今日は着物デーで萌とAIちゃんはお雛様そのもののように、琴の前に座って写真を撮った。AIちゃんが風邪でかなり調子が悪く、明日の湯田中S家訪問は俺たちだけになるかも。

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■ 05/05/15(日) X 湯田中とモンキーパーク
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 朝またもや地震。これで一月に4度目である。こうして地震のエネルギーが少しずつ抜けているのならいいのだが。

 今日は湯田中S家(サカタ母実家)とおばあちゃんの墓参りとモンキーパーク、AIちゃん一家はやはり風邪で欠席。S家ではKZがおらずおばちゃんとSKだけだったのだが、SKが相変わらず面白い。萌の日英バイリンガルに感心して、「これって、あたしたちが普通の言葉と敬語を意識せず使い分けられるようなものなのかしらね」とうまい分析をしていて、S家は深い思索は駄目だが直感は優れた血統だなあと思った。萌にもその血が流れている。おばちゃんとSKは萌が母さんの子供の頃にそっくりだと言っていた。

 墓参りのあとおばちゃんに連れられて 30 年振りにO旅館に行くと、30 年前に亡くなったおじいちゃんそっくりの人が出てきて仰天した。25 年下の弟なんだそうだ。そんな人がいるとは知らなかったので、幽霊を見たようなうれしい驚きだった。

地獄谷モンキーパークは、「近道」を行ったのだがどえらい山の中で駐車料金を取られ(ここでも日本観光地ぼったくり発生)、そこからモンキーパークまでは延々と登りで、反対側の駐車場から行ったほうが気分がいいなと思う。

冬場ほど温泉に入ってる猿の数は多くなかったが、萌はうわあという顔をして眺めていた。一度人間が近くに来すぎていると感じた猿がしゃーっと萌を威嚇する。萌は怖がり「どうしてあのサルは怒ったの?」と聞くので、別にそんなに近くは行ってなかったけど、あの猿はたぶんボッシーな奴でさ、近くに来られるのが嫌だったんだと思うよ。仕方がないよという。

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 これで今回の日本での行事はすべて終わり。明日は荷造り荷出しで忙しい。日本にいることに俺と萌は飽きてはいないが、さすがにここまで来ると家に帰るときが待ち遠しくなってくる。

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■ 05/05/16(月) X 帰国前夜の物思い
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 郵便を2つ出し、全用事終了。あとはビデオを返したり掃除をするだけで、心配はない。よし。OKO家でゆっくりさせてもらおう。

 「自分が退屈な人間だとトモが落ち込んでいる」という夫婦間の微妙な会話をMがOKO・MKさんにペラペラと話してしまい(苦笑)、みんな同じですよ、今は子供を育てることに皆いっぱいいっぱいで仕方ないですよと、OKOもMKさんも俺を慰めてくれるのであった。いやまったくすいません。

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 晩飯後、明日発つよと店に行って皆に挨拶しようとすると、兄貴がおう来たかとずずーいと俺たちを子供たちのいる住居のところまで案内し、腰を落ち着けて話を始めた。主に子供たちの教育の話などをしたのだが、内容はともあれ兄貴は俺たちと話をしたかったんだなあと痛感した。もう時間がないから荷造りしないとと店を出ながら、もっと早くに兄貴と話す機会を作るべきだったとMともども後悔した。

 母さんと家へ歩きながら、とにかく萌には最高のバケーションだったよと話す。そうねえ、子供は本当に子供が好きだからねえ。萌は明日嫌いな飛行機に乗ることが分かっていて、あーあとぼやいていた。

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 俺は日本でTVをまったく見なかった。Jリーグと競馬を見た程度。単にいつTVをつけてもくだらん番組ばかりだったからだが、今はカナダでも TV Japan(NHK 国際)を見れるので、日本語映像に飢餓感を感じないせいもあるのかな。TVについては NHK 国際で見れる程度のことで十分というか、それ以上は馬鹿タレントに対する不快感の方が勝ってしまい何も楽しめない感じ。

 ひと月の日本滞在をまとめるならば、

● 物価が高くお金がどんどんと消えていく
B しかし買い物が楽しい
● 子供がいる場所でのタバコの煙にはまいる
B が、食べ物はなんでもうまい(ファミリーレストランを除く)
● 交通の流れの悪さと危なさで疲れる(最初から車移動のために作られたカナダの道と、歩いてできた日本の道の違い)
B が、山道を走るとたまらなく楽しい

 といったところ。美しい春の野山を眺めて車でゆっくり走る楽しさや山菜のおいしさはカナダでは得られないもので、暮らしが楽な方に住んでこうして訪問もできるのだから、俺たちは恵まれているのだろう―――という程度のつまらない感想しか思いつかないとは、ああなんて俺は感受性のニブい奴なんだと思うが仕方がない。

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■ 05/05/17(火) X 成田も煙だらけ
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◆12:01 新幹線車中。玄関を出る前から、「おばあちゃん悲しいなあ」「泣いちゃう?」「泣いちゃうかも。一緒に行きたいなあ、萌ちゃんのポケットに入れないかなあ」「でも、おばあちゃん大きいから、入れないよ」と名残惜しさを母さんと萌が語り合っており、駅で大泣きになるかと心配したのだが無事笑って別れられた。今回一緒に行事をすることはなかったが 30 日間たっぷりと孫娘と遊べたわけで、おばあちゃんも満ち足りた気持ちなのだろう。実際孫たちがしょっちゅうやってくるおかげで、おばあちゃんは昔よりすごく幸せそうに見える。


 あさOKOが別れを言いにやってきたので、兄貴を頼むよと言う。OKOはビデオや写真のことで黙っていろいろと面倒を見てくれた。あいつが肉場で包丁を握ってるのを昨日見て、なんだお前ちゃんと包丁を使えんのかといいつつニターリと笑ってしまったな。

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 成田でチェックイン後飯を食おうとすると、空港のレストランでさえ禁煙ではないことを知りぶったまげた。空港が全面禁煙でも、これでは意味がないではないか。

 ◆19:30、大幅に遅れて出発。来るときもそうだったが、成田の滑走路はめちゃくちゃ混んでいる。目の前を何台もの飛行機が着陸し離陸するのを眺めてからの出発となった。

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 着陸2時間前にライトがついて朝食となり、今回は首尾よく寝てくれた萌も起きる。スクリーンに出た地図を見て旅の大半が終わっていることを知り、もうこんなに飛んだのとすごく喜んでいる。4時間ほどきちっと寝たので疲れはさほどないらしく、そこから着陸までまったく問題なく過ごしてくれた。よしよし。滞在中飛行機にまた乗ることのおそれを何度も口にしていたが、疲れとタービュランスがなければなんともないのであった。はー、お疲れ様でした。

2005/05/23

2005 年日本滞在記2「おそるべし戸隠忍者村」

「日本のけむり問題」「OKO家のタープ」ほか。
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■ 05/05/02(月) □ 日本のけむり問題
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 長野の町へ行く。向かい合っていたダイエーとそごうの両方がつぶれてランドマークがなくなり、善光寺通りを見つけられず大回りしてしまった。小さな町だから、借りた車ボルボがでかくて気を遣い疲れる。手頃なパーキングを見つけるまでは落ち着いて買い物もできなかった。

 PMとランチを食べたのだが、こないだのモスバーガー同様デニーズもタバコの煙が充満しており、息苦しい。こういうところにしばらくいると萌はもちろん、普段タバコを吸う俺でさえも体調が悪くなる。タバコを吸うのはせいぜい数分だが、煙が充満した中に数十分いるのは直接吸う以上に体に悪いのではないだろうか。これはカナダ同様行政が強制しないとどうしようもないだろう。子供が出入りする場所では外に出て吸う、と決めるだけでいいのだが。しかし俺はカナダに行く前からなるべくそうしてはいたけど、タバコを吸わない人がいるスタジオなんかではヘーキで吸ってたなあと反省する。

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 善光寺通りは車の通行を止めて花祭りをやっていて、なかなか春らしく美しかった。このあたりを散策してのんびりと春の町を楽しんだ。Mが会いたかった外国語学校の同僚T先生は、退社していて会えず。

 善光寺そばにアニメフィギュアを売ってる面白い店があったのだが、萌は手頃なのがたくさんあったルパンではなく高額なセーラームーン一式などを欲しがり買ってやれず。俺は「コナミウィニングイレブン 2002」という、Playstation 用最後=最強? と思われるサッカーゲームがあったので¥880 で買ったのだが、昔試した W イレブン 98 とあまり違いはないようだ。見えるところにいる味方につまらないショートパスをつないでゴール前では「スルーパス」ボタンを押すだけ。スローのリプレイでGKの動きがナチュラルで素晴らしいのが分かるのに感心する程度で、やっぱどこが人気なのかさっぱり分からないへンなゲームである。ぜんぜんサッカーをやってる気がせず10分ほど試して止める。

 もう一本の「パラッパラッパー」はほぼ期待通りに子供たちと盛り上がる。だが2面からは異様に難しく、先に進めそうにないのが残念。

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■ 05/05/04(水) □ OKO家のタープ
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俺の出不精に愛想を尽かしたMが、MYさんとPMを誘って一日買い物に出、俺はOKOと共に子供たちと遊んでいた。OKOの家の庭にタープを張るなどして快適に過ごした。OKO家は8年間で、庭も家も工夫と歴史が重なってよくなったなあと思う。これといって話すこともなく、俺たちは静かにタープの日陰から萌とAIちゃんを眺めていた。


 俺の出不精は自分でもよく理由が分からなくて困っている。ここにいるだけじゃ、俺と萌はよくてもMには退屈なのだとは分かってはいるのだが、東京その他にイザと出掛けて行く気力が湧いてこないのである。行くとすれば友達のいる東京に行きたいのだが、行っても皆には数時間しか会えないしなあ........と、引っ込み思案な気持ちになってしまう。OKOにそういう気持ちを話してみると、俺も全然行ってないよ、皆家族ができるとむずかしいよねというのだった。まったくなんだ。家族がね。

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■ 05/05/05(木) □ 法事とお祭り
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今日は法事と夜お祭り。ディラン青年だった高校の同級生Sに会った。ふっくらしてたが話し方など何も変わりない。「今でもオノヨーコを聴くと、初めてあの絶叫を聴かされたSの部屋を思い出すよ」となどと話す。小学校高学年らしいソリの娘たちは俺に興味を示し、だれだれ誰なのと口をはさんでくる。「お父さんとおじさんはね、昔ギターを弾いてかっこよかったんだぜ」と教えてやると、「嘘だー、お父さんなんかオヤジだよー」とはやし立てていた。

 夜になってから近所を小さなみこしが通り、萌をつれて見に行った。夏だったらもっと本当の大きな祭りにもつれてってやれるんだけどなあ。

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 萌は最近絵を集中して描かなくなって、あれほどよかったのが描きなぐりのつまらない絵ばかりを量産するようになっていたのだが、日本に来ておばあちゃんという新たなアドマイヤラーを得たからなのか、また素晴らしい絵をどしどし描き始めた。それを1階の壁に貼ってギャラリーとしてもらって喜んでいる。おばあちゃんと萌は実に気が合っている。「おばあちゃんのご飯のほうがお父さんのよりもおいしい」などと言っている(^_^;;)。

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■ 05/05/08(日) □ 斑尾タングラム
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残りの日程がもう詰まっていて遠出はできないのだが、近場で斑尾ホテルタングラムへ。早く着き過ぎて部屋に入れずブラブラする。ここはレジャー型ホテルで、昔はイトコの子たちが遊ぶのを見てるだけだったが、自分の子と一緒だとプール等に入る気にもなる。しかし連休直後のシーズンオフだからなのか、あまり稼動しているアミューズメントもない。家族向けリゾートというならもう2~3点、子供が喜ぶものを用意しておいてほしいと思う。

 野尻湖までのR18は北信きっての快適ワインディングなのだが、父さんのボルボ940は常にターボがかかる寸前のトルクの谷で走るクセがついてるようで、ギヤを落とさないと登っていかない。ATのギヤ比も日本の道に合わないし、トルクの谷から回転が落ちないよう保持するために常に必要以上に踏んでいるので、燃費も悪い。ステアリングの正確さも車体のフラットさも今ひとつで、飛ばしてないのにけっこう疲れてしまう。設計が 20 年前(おそらく)と思えば悪い車とは言いきれないが、自分ちのレガシィにここで乗りたいなあとつくづく思った。

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ホテル裏の小川とインドアプール(水泳帽着用義務あり・笑)で遊び、晩飯。日本食に飽きているMのためもありフレンチレストランを選んだのだが、入ってみると黒服の人々が待ち構えているどフォーマルなレストランなのであった。


 スウェットシャツにプール上がりのボサボサ頭の俺はげげと思ったが、まあ入れてさえくれるならどう思われてもかまわんかとそのまま入る。さいわい店の人たちは皆いい人たちで(あるいは俺たちみたいな粗忽な客を扱い慣れてるのか)、にこやかに対応してくれた。「少しずつ出てくるとお腹がいっぱいになって最後まで食べられそうにないので、全部出してください」といったお願いにも笑って答えてくれる。

 「ここは静かでちゃんとしたレストランだから、静かにまっすぐ座って食べてね」と言われた萌は俺たちよりもずっと行儀よく、しゃんと背筋を伸ばして食べていた。えらい。そう命じていながら俺とMは、この自分らがフォーマルな場所でかしこまっているということに耐え切れず、うつむき背中をまるめてうぷぷと笑いながら食べていた。

 勘定もどうすればいいのか分からず、俺はテーブル上に置かれた「お会計の際はご提示ください」と書かれたプレートをそっと持ち上げ、「ニッ」と笑ってウェイトレスさんが気づいてくれるのをじっと待っていた。それがまたおかしくてMが顔を覆って涙を流して笑い、実になんというかおかげさまで、楽しい旅の思い出となったのである。料理自体もかなりおいしかったし、お世話になりました。

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■ 05/05/09(月) □ おそるべし戸隠忍者村
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 2日目、チェックアウト時に萌の希望で、誰もいないホテルの外風呂に入る。萌が普段入ってるお湯よりも相当に熱いのだが、「日本の温泉に入りたい」という気持ちが強かったらしく、足から腰、胸、肩ときっちり入ってしまったのだった。頭に手ぬぐいを乗せてゴキゲン。

 そして熱くなると岩に腰かけて体をさまし、冷えるとまた暖まりと繰り返して、2人でたっぷりと霧の流れ込む岩風呂を味わった。斑尾の温泉は思ったよりもずっといい湯で、実に暖まった。

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 そこから45分ほどで戸隠奥社へ。ここは初めて来たのだが、参道前に脚を踏み入れた途端に戸隠の巨大な山が頭上ずいーんと現れて、もうこれ一発で山岳信仰にババーンとやられてしまった。奥社門前というこれ以上はありえない戸隠そば本場で素晴らしくうまい戸隠そばを食べ、さあ奥社へ行ってみようかと思ったら参道から神社が見えない。看板を見ると片道2Km とある。うげ。往復4Km を萌がすんなり歩くとは思えず、ここへ来た目的である忍者村に早く行きたくもあり、行きたがるMを多数決で下して奥社は次回としてもらった。お詫びのしるしに鳥居の横にあった小さなホコラにお賽銭を積む。これは敗者復活祈願のホコラに違いなく、そうMに説明する。

 忍者村に行きまず手裏剣などの展示物を眺めていると、「戸隠忍者○○代目現当主のだれそれより寄贈」と書いてあり、その人らしき人が岩に頭突きする修行写真なども大量に飾ってある。「へー忍者の現当主だってさ。こんな修業して、今時何のためにやってんのかねえ」と明らかに小馬鹿にした発言を(英語で)していると、少し離れたところにいた人がツカツカとこちらにやってきて、ドイツなまりの英語で「彼は私の師であります。千葉に道場を持ち、私たちに技を伝授してくださっています」と真顔で俺にいうのであった。

 あまりの意外な展開に絶句し、「そ、そうですか、すると今でも本当に教えておられるんですね」とへどもどと答える。○○流古武術とジャケットに書いてある五分刈りドイツ人(?)の彼は、ニコリともせずに立ち去ったのであった。いや本当に口には気をつけないといけないというお話です。そういえばカナダのGも昔、「日本に行って忍者の修行をしたい」と俺に言い、俺たちにバカにされたのであった。きっと外国の人々にとって「ニンジャ」というのは、カラテとかアイキドーとかと同じマーシャルアーツの一種のような感覚なのであろうとMとひそひそ話し合う。

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萌が一番楽しみにしていた「忍者からくり屋敷」は想像以上に面白かった。意外なところが戸になってるくらいは想像の範囲内だが(Mのからくり見破り情熱がすごかった・笑)、目くらましの部屋にはまさに驚愕。あんなのはカナダが誇るサイエンスワールドでも体験したことがない。さらにやっと出口を見つけたと思って行ったところが元の入り口で、係のおじさんに「まだ半分しか見てないよ」といわれヒントをもらい、嬉々として探検し直す。萌は暗い部分でやや怖がっていたが、大丈夫、次のドアはどこだと元気づけて、皆で心底楽しめた。外にある忍者橋等も楽し。


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もう一軒施設を訪れてから最後に中社でお参り。中社からは美しい山々を眺めながらゆるりゆるりと降りていく。日本の山道は走っていて面白いなあとつくづく思う。巨大ボルボだし後ろを疲れさせたくないのでペースは格当遅いのだが、それでも面白い。レガシィだったらなあとは常に思うが、パワーのいらない下りをゆっくり走っているかぎりボルボも適度なフラットさを保て快適に走れる。移動をするにはカナダの道のほうがストレスがなく効率が高くて快適なのだが、低速でゆるゆる走る日本の山道はなんともいえず味わい深い。日本でバイクやスポーツカーが盛んなのは、こういう道がどこにでもあるからだよなあ。

 暗くなる頃帰宅。やはりちょっとだけでも旅は楽しい。こういう日本のぐわと声が出るような美しい山を見ながらのゆるゆる田舎旅が、やっぱり俺はバイク時代からずーっと同じでいちばん楽しい。Mも萌も疲れてもニコニコでした。

2005/05/21

2005 年日本滞在記1「トモ発熱で出鼻くじかれ」

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■ 05/04/15(金) ■ 「浪漫飛行」
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NHKの音楽番組で米米クラブの人が「浪漫飛行」という昔の歌をやっていた。あらためて聴くとすごくいい歌だなと思う。全曲通して聴いたのは初めてなのだが、あの頃日本の80年代の気分とこのメロディが、まったく知らぬ間に俺の胸に密着しているのであった。「そして僕は途方に暮れる」を聞いてもおなじ感覚を感じる。

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■ 05/04/16(土) ■ パッキング開始
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昨日成田のホテルの予約をし一安心。Pocket PC で時差を確認するとホテル入りはちょうどカナダ時間夜の零時で、ここからさらに長野まで直行で4時間移動せざるを得なかった前回は無理無理であったとあらためて反省する。今日からは物理的なパッキングを開始だ。今日を含めて準備はあと3日。前日にならないと本当の荷造りというのはできないものなのだが、できるところだけやっておこう。

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■ 05/04/19(火) ■ つくづく遠い日本とカナダ
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萌は旅行の興奮に加え昨日日本語幼稚園の買い物ごっこでアイスにマシュマロにジェリーと全部食べたそうで(晩飯前にそりゃ食べさせすぎですぜ先生)、シュガーブーストがかかってしまい夜眠れず、寝てからも何度も悪夢で目を覚まして大変であった。俺も眠れたのはやはり2時。ふー。まあ皆通常の疲れの範囲内、大丈夫。

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◆10:47 チェックインと食事を済ませ、それでもまだボーディングまで1時間半。早く来たお陰でいい席が取れたが、時間を持て余す。萌はJALのカウンターで、「どうしてみんな(ここでは)日本語喋ってるの? 私も日本語喋っていいの?」と、すでに普段とは違う日本っぽさに興奮している。

◆14:07 離陸後小1時間、萌は先に子供ミールをいただき、リラックスしている。今のところ窓から異世界の景色を眺め、本を読みおもちゃで遊ぶなどこれ以上ないほどこの飛行機の旅を楽しんでおり、それが俺たちをリラックスさせてくれる。各席ごとにエンターテインメントボックスも備わり、快適この上なし。出発は遅れたのだが追い風で到着は早まるようだし。

◆16:40 ベーリング海上空、アラスカにさしかかるあたりからすごい氷の世界が続いている。海の水が静止しているのは、あれは凍っているのだろう。すごい。このまま萌が寝てくれれば浪漫飛行なのだが、興奮しているのでそうはうまくいかず、退屈して「早く日本へ行こうよ」と俺たちを困らせ始めた。これ以上は望めないほど恵まれたフライトだが、やはり10時間は死ぬほど長い。休憩がないからなあ、空の上では。

◆20:36 最後の機内食を終え、着陸まで1時間半。萌はついに寝なかった。ホテルにつく前にバタリであろう。まあ致し方なし。つくづく遠い、日本とカナダ。

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◆01:33 ホテルの売店でおにぎりを買って食べ、今寝るところ。疲れた、クラクラする。

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■ 05/04/21(木) ■ ホテルのナイスな朝
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日本時間の夕方に寝て午前3時に皆起きる。風呂に入ったりして6時頃まで時間をつぶし、散歩。この「成田ビューホテル」は、建物は古いが景色がよく、安くて従業員が親切で文句ない。美しい庭を歩くと雨上がりで気温は低いのだが、湿気があって肌ざむさを感じない。不思議にやさしい湿度感覚。これで30度とかになったら灼熱地獄なわけだが。



萌は昨夜飛行機が着陸体勢に入る頃予想通りに眠さと疲労がキックインし、タービュランスの揺れと気圧変化の不快さと疲れが一気に押し寄せて泣いてしまい、悪いことに早目進行だったフライトが最後に着陸順番待ちで30分以上も遅れて1時間もそのまま待たされ、よほどにつらかったようだ。ホテルで寝る間際、「カナダに帰るときにも飛行機に乗らなきゃならないの?」と涙声で訊ねていた。

で着陸すると同時に萌は眠り、そのままMの肩でずっと寝ていてほしかったのだが、ターミナルへ向かうバスに乗るときに気配でまた目を覚ましてしまう。そこからはとにかく最短時間でのホテル入りを目指す。

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入管で「娘さんは日本国藉を持っているのでしたら日本の旅券を取得していただきたい」と、『神国日本の血が入ってるくせに異国の旅券を持つとはナニゴトだ』と言いたいとしか解釈できぬことを役人に言われる。「カナダで生まれカナダの正式なパスポートで日本に入るんですよ。何が問題なんですか。日本の戸籍には入っていますが、住んでないのに日本のパスポートなど取りようがないじゃないですか」とやや語勢を強めると、役人は黙ってハンコ類を押し始めたのだが、パスポートを返すときにもう一度、目を合わせずうつむいたまま「日本の旅券を取得してくださいね」とつぶやくのであった。

もう返事もせずにその場を去ったが、いったいあれはなんだったのであろうか。神国日本の血を汚すからカナダの国籍所有は望ましくないと言いたいのはよ~く分かるが、国際取り決めにのっとって発行されているパスポートに難癖をつけるいわれがないではないか。理解できん。荷物受け取りに向かいながらMが笑い、「トモ、声が明らかに怒っていたわよ」という。「まったくだ。今度あんなことをいわれたら、もうすでに純粋な日本の血じゃないんだから手遅れだ、余計な心配はせんでくれと言うよ」。

ホテルへのシャトルバスを待ちながら、萌は「ここ本当に日本なの?」と訊ねていた。泊まりのホテルへのチェックインは実にすんなりと進み(―――さすがに土地柄で、「とにかく一刻も早く休みたい」という飛行機客のニーズに答える迅速さだった―――)、移動パート1は終わり。ひゅー。ここまでで本当に存分に疲れた。このあと長野まで直行した3年前は、子供連れの移動のしんどさを知らぬが故の暴挙であった。萌はホテルに着くと興奮が疲労を乗り越えて躁状態になり、延々と眠れなくて困ったが。

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◆11:57 新幹線で軽井沢を通過。乗り継ぎでかなりバタバタして俺とMは疲れているが、至極順調。萌は「おばあちゃんに会ったらね、あのね、あのね........」と盛り上がっている。

◆15:57 じいちゃんばあちゃんとひとしきり遊び、今は落ち着かせて眠るためにビデオ鑑賞中。おばあちゃんには十分萌との遊びを楽しんでもらえました。ふー。

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■ 05/04/22(金) ■ MYさん訪問
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皆でできるだけ長く寝ようと努力したが、4時半には目が覚めてしまった。萌は元気&ハッピー。天気がよくないのが残念。

萌は依然疲れとイレギュラースケジュールとで食が進まない。ちょっと食べては止めてしまう。3人とも疲れもあり、今日は散歩とMYさん訪問以外はぐったりする予定。夕方いとこボーイズが押し寄せるとのことなので、できれば萌に昼寝をさせたいところ。

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MYさんと新生児TPを訪問する。TPはまだ実に生まれたばかりで、壊れそうで近くに行くのが怖い。老猫ちびは3年前よりも健康になっていて驚いたが、俺を完全に忘れていて近くに来てくれなかったが(泣)。

萌を寝かせようと車で市内を30分ほど走ったが効果なし。しかし春の日本の野山は美しい。角を曲がるたびに今満開の桜を中心に鮮やかな緑の風景が目に飛びこんできて、3人でうわおと声を上げてしまう。

結局眠れないままボーイズがやってくる。KSが昔同様萌と控えめに遊んでくれる。HKは3年前ほどこの世の外にいる感じはせず、照れてかわざと粗暴に振る舞っている。KNも言葉によるコミュニケーションが可能になっており、せっかちなのか何を言いたいのかよく分からんが(笑)、さかんに話し掛けてくる。

そのうちに萌が牛乳カートンロボットを通じてHKチームに入り、意気投合して一緒に遊び始める。これはえらく予想外であった(笑)。遅れてきたIDボーイズは、3年前と変わりない。

萌は限界までボーイズと遊び、晩飯時に気を失いそうにまで疲れたのだが、興奮したソウルはなかなか鎮まらず、そこから1時間映画を見せていても寝てくれなかった。やれやれ。

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■ 05/04/23(土) ■ 一日AIちゃんと遊ぶ
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真夜中過ぎに地震で目を覚ます。Mも俺もとっさに萌に覆い被さる。ものが倒れてくるほどの震度は感じなかったが、ガタガタガタと振動が長くて相当に恐ろしかった。萌はさいわい目を覚まさず。震度は4で、ガラスが割れた建物が1軒あったとのこと。

地震のあとも外で人が騒ぐ物音で目を覚ましたりし、俺もMもなかなか寝不足が直らない毎日。

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今日はまる一日AIちゃんと遊ぶデーだった。遊んで遊んで疲れ果て、晩飯時にはなかば失神状態でそのまま2階へ。今日はスンナリと寝てくれ、除々にだがタイムシフトはできている。なぜなのか今も毎日、「ここ本当に日本なの?」と訊ねている。夕方疲れてくると、カナダ以外の場所にいるということに非現実感を覚えるらしい。

萌より1歳下のAIちゃんは、最初の30分ほどだけお母さんを必要としていたのだが、その後はお母さんが出掛けても俺と萌と元気に遊び、いい感じであった。いかにも「幼児」という感じ。萌がお姉さんに見える。

MYさんの話し方が都会の娘さんから2児の母親になってることに気が付いた。MYさんは自分でも、「須坂の量販店で服を探すのが普通の感覚になった」と笑っている。3年で変わるものはいろいろあるなあ。

OKOの家に行くと、吉祥寺のアパートで一緒に暮らした時代のものが残っていて、俺たちの青春の匂いがする。

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■ 05/04/24(日) ■ 小布施の川遊び
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今日もみな5時前起き。まあ萌の体調はよさそうなのでよし。今は働いているので日曜しか空いていない小布施のPM家へ。PMは普段一番苦手な日本語で話すことが多いせいもあってか、Mともうとことん喋りまくっていた。



ランチのあと子供たちと川へ行く。萌はボーイズのあとを追って、石の河原を跳びまくる。「おーい!ちょっと待てよー!」と口調がアニメの冒険少年になってるのがおかしい。

Kは美しい少年で、陰影を感じさせる性格や年下の萌を気遣うやさしさも相まって、こりゃ中学とかに入ったらえらいこっちゃだなとMと言う。Hの方は逆に気の強さが男子に人気を博しそうだ。

夜、PMとMYさんがそれぞれ自分の可能性を結婚と出産で断念していることの切なさをMがいう。―――うーん、それは俺も同じだからなあ。カナダにいると退屈だが、だけど萌のお陰で明日を待ち望んで生きていられるんだよねと話した。

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■ 05/04/25(月) ■ トモ発熱
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萌も10時間近く寝たらしいのだが、朝機嫌悪し。アニメを見たいとダダをこね、下のコタツルームに降りる。俺は時差はほぼ解消したが風邪をひき、筋肉痛がひどい。Mは相変わらずの睡眠障害と花粉症(?)による声枯れ。今日は天気も悪く、買い物程度で静かにしていよう。まあ萌の機嫌次第だが。

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俺の筋肉痛は休んでいても全然よくならず薬に頼る。こないだのフルーのときレべルでしんどい。風邪をひくたびにこんなになってしまうなんて、なんかこれがトシなのか、マズイ........という感じ。

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■ 05/04/27(水) ■ 発熱 39.2℃
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おとといの後半から昨日はほとんど起き上がることもできず、母さんに連れられて医者に行き、薬を処方してもらう。検査でフルーではなく風邪だと判明したが、あまりにしんどくて母さんの決めるがまま、医者でも母親に病状を説明してもらい診断と指示を聞いてもらうという、40過ぎて情けない状態であった(泣笑)。

とにかく薬を飲んで寝て汗をかき、丸一日で耐えられないつらさは脱したが、今日も俺は出歩くのは無理。Mと萌は幸い昨日より体調がいいので、電車に乗って長野市へ買い出しに出ていった。

二人が出たあと風呂に入るとかなりの空腹を感じ、昨日の残りのサカタレストラン宗石亭バーガ―を食べる。うまい。肉自体がうまいよなあやはり。昨夜母さんが作ってくれた野菜炒めも、カナダでは味わえない野菜のやわらかさで、柔らかいゆえに加熱が最小で済む(かつガスの炎による短時間一気調理)ので実にみずみずしくうまい野菜炒めになっていた。ああいうのを食べると、カナダではこんなのは作れないよなあと無力感を感じる。

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■ 05/04/30(土) ■ 宝の山を整理&臥竜山
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起きるとやっと全快を感じ、2階に山積みになったトモM日本時代の宝の山を整理し始める。けっこういいものがゴロゴロ見つかるが、カナダに何を送るか悩む。日本の郵便は高いからなあ。それにある程度いらないものはゴミにも出そうと思ったのだが、それも数日やそこらでは無理。いらない雑誌その他は八幡ハウス取り壊し時に破棄してもらうべきであった。とりあえず掘りだしたなつかしいTVとVCRは滞在中使えそうだが。



午後臥竜山公園へ。桜は俺の病中に散ってしまい完全に見逃した。が新緑が美しい。子供の頃はバカにしていた公園だが、大人になってから来ると箱庭的美しさに満ちているなあ。