2009/10/17

日記「馬鹿教科書の謎」

「イモリ水棲に戻る」「夢の二段ベッド」「前庭に墓場」ほか。

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■09/10/06(火) □ 馬鹿教科書の謎
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 週末に続き、今日も萌が数学の宿題に1時間半かかる。フランス語がわかる天才数学青年MKのヘルプを得てなお、である。なんなんだこれは馬鹿ばかしい。明日先生と談判しよう。

 だいたいこの教科書からして馬鹿なのだ。巨大な百科辞典みたいな重い教科書で、先生に常識があれば「机で開けばノートを置く場所がなくなる教科書」というモノ自体馬鹿げてるとわかるはずだし、こんな重いものを子供のバックパックに入れ家と学校を毎日往復させる不毛さに気づくはずだが(最初期のラップトップコンピュータより重くでかい)、その物理的馬鹿さに加え設問がひどい。ほとんどすべての設問が答えを文章で書くようになっている。

 たとえば今日は公約数・公倍数をやっていたのだが、「この図は何を意味するか述べよ」という設問になっており、

「左の丸には3の倍数が入っており、右の丸には4の倍数が入っており、オーバーラップする真ん中には3と4の両方で割れる数が入っている」

と書かなければならないのである。そんなことは一度説明されれば子供はわかるわけだが、疲れた夕方に定義を【文章化】しそれを(フランス語で)書くというのは、はなはだしく時間がかかる作業になる。これだけで萌はMKがヘルプに来るまで30分くらいひっかかっていた(※)。
(※)萌が設問を英語に翻訳できれば俺でもヘルプできるが、文章の意味はわかってもそれを他人にわかるように翻訳することは子供にはなかなかできない。理解と翻訳は別のスキルなのである。翻訳者の俺が言うのだから間違いない。

 「ただ答えを書くのではなく、こうすることで子供はより深く理解できるのだ」という教科書メーカーの意図は明らかだが、子供の労力と自由時間を犠牲にして「深い深い」と悦に入るところが馬鹿だといいたい。従来と同じ所要時間で理解を深くしてもらいたい。そもそも公約数・公倍数にそれほど深く理解するほどの深さがあるのか。この馬鹿教科書と、それを無造作に大量に宿題に出す教師のせいで、子供は毎晩泣いているのである。馬鹿ばかしい。

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■09/10/07(水) □ 馬鹿教科書の謎が解ける
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 放課後、萌の宿題が終わらない問題を先生と話す。結局2Pのうち半分はクラスでやっており、残りを家でやるとのことで、「2Pなんて与えていない」と彼はいう。「しかし今の数学は昔と違って、文章を書いて答えるようになってるじゃないですか。だから時間が余計かかるわけですよね」と、遠まわしに1ページでもぜんぜん多すぎると訴えると、「この教科書は学校が選んで買ったもので、宿題は復習としてやらせてるだけで、やるかどうかは親次第だ。別に翌日答え合わせもしていないし」という。

 なんだか意味がよくわからないのだが、続いて「これが今日の宿題だよ、これが私の教え方だ」と彼が見せたプリントは、同じ公約数、公倍数という主題をより簡潔に、チャートの空白部分に数字を入れていくといった作業を主体に済ませるものであった。あ、これはいいですね。ずっといい。―――しかしこうして簡潔に教えたいならば、自分が気に入らない教科書のページなど宿題に出さなければいいではないかと、結局不満が解消しないミーティングとなった。

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 後からMの持つ情報と合わせ考えてみると、この馬鹿教科書は学校が選んで買い子供にレンタルしてるのだそうで、やっと全部がつながりわかってきた。

 萌は週末の宿題の設問と図を全部ノートに書き写すという馬鹿げたことをし、「先生にそういわれたのだ」と言っていたのだが、それはおそらく先生が「教科書はレンタルだから書き込んじゃ駄目だぞ、ノートに書くんだ」とか言ったのを曲解して、全部書き写したのではないか。

 もちろん萌の勘違いなわけだが、ノートを見れば書き写したのは図に書き込みをする必要を感じたせいもあるのだとわかる。つまり教科書貸与という仕組み自体が、書き込みができないという形で子供らにもう1層の負荷を与えているのだ。重量体積の物理的負荷、設問による長時間負荷、そしてレンタル不便さ負荷の三重苦である。

 ここまで考え、これはあの規律と体育重視、自由と知育軽視のカタブツ校長が噛んでいるのではないかと思えてきた。こんな重くでかい教科書を現場で教える教師が選ぶほうが不自然であり、内容だって親が見ても教師が見てもよくないから今日からプリント宿題に切り替わったわけだ。丈夫で長持ちするハードカバー教科書をレンタルで使えば長期にはコストが削減できるみたいな教科書メーカーのトークにだまされ校長が導入を推進したのだと思えば、すべて辻褄が合う。馬鹿げた重さも彼女ならばスポ根的に受け入れやすいだろうし。

 俺がこの推論をMに話すと、たとえ校長が教科書を選んだとしても、教師はそれを使う義務なんか教育法上ないんだから、この先生の資質を疑うわという。俺も同感である。今日の宿題には文句はないが、今後もあの馬鹿教科書に縛られ毎日宿題が来るのであれば、彼を心から信頼することはできないな。

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■09/10/09(金) □ イモリ水棲に戻る
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最近イモリのジムシーが顔を水につけても嫌がらない様子が見えるので(体調が悪いと呼吸が苦しくなるのか、拒食が始まってからは水に顔がつかるとパニックになっていた)、午後深いところにそっと降ろして水中散歩テストしてみる。するとやはり植木鉢に潜り込み5分も探索し―――これほど長期に水上生活をしていても、肺活量は落ちてないらしい―――、水草を伝って水面で息をしてからまた潜っていくという、調子のいいイモリのような行動をしている。実に 47 日ぶりの水中活動なり。うれしい。

 そしてその後ジムシーはなんと水上に上がらず、ホーム岩陰の浅瀬水中に落ち着いてくれた。散歩を機に完全に水棲生活に戻ったのである。やっ・た\(^o^)/。これはいずれ自力でまた捕食もできるようになるだろう。無用なストレスや病因を与えぬよう気をつけよう。ノボリはもう寒さにも慣れて常時絶好調だし、イモリを飼う喜びが十分に味わえているこの頃だ。

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■09/10/10(土) □ 夢の二段ベッド
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SFがいらなくなった2段ベッドを萌がもらい、今日ADが持ってきてくれたのだが、これがすごいベッドだ。IKEA なんかで子供ならば誰もが登ってしまうようなすごいやつ。ラッキー萌。

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 水槽を軽く掃除。それをやってる間ノイズを嫌がり水に逃げ込んだノボリとジムシーが、なんと連れ立って水中散歩を始めた。ノボリが先導し、47 日間水中散歩をしたことがなく土地勘のないジムシーはそれについて行ったのだろう。か、かわいーと萌と俺は大喜び。2匹が活動してると2倍楽しい。

 「やっぱりペットってイイよねえ」と萌はいう。「なんかやってあげて、ペットがそれを使うとうれしいし」。ああ、それは工夫っていうんだ。You try something and it makes things better ってこと。工夫してやってそれでペットがハッピーになると、ほんとうれしいよね。萌が生まれたばかりのときに、ベイビーの世話は小さなもの言わぬものたちの世話と同じ喜びがあると日記に書いたが、まったくそれがペット飼いの喜びだよな。

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 夕方、浅瀬にいるジムシーにエサをそっと差し出してみる。―――食べた! やっ・た、カムループスから 54 日ぶり、強制給餌開始から3週間余。長かった。感動(泣)。

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■09/10/12(月) □ 前庭に墓場
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夜の墓場で

サンクスギビング。うちは特に行事はなく、萌に宿題をやらせたり庭掃除を手伝わせたりする。夕方、萌の案で前庭にハロウィーンっぽい墓場を作成。なかなかいい感じにできました。

 コスチュームは夏に萌がはまっていた「コーラライン」の目がボタンになったキャラクターで、マイクが厚紙を切り抜いて大きなボタンを作ってくれ、これに黒いケープを合わせる予定。目がボタンというのは映画でもそうだったがなかなか不気味である。

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 その後宿題は、わずかな量になっている。まったくない日もあり、先生が言った通りしっかり集中すれば学校で済ませられるだけの分量なのだろう。萌もペースが掴めてきて、家に持ち帰る必要がないのだと思う。やれやれ。

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