「安岡美容室ができるしあわせ」「ARBの再評価?」
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■12/01/16(月) □ 安岡美容室ができるしあわせ
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《カーネーション》奈津の件で重くつらい話が延々と続くのかと思いきや、その重さの全てが「安岡美容室開設」というおばちゃんの斜め上の発案で消し飛んでしまった。おばちゃんはあれからずっと考えていたんだ、おばちゃんが立ち上がるために奈津の存在が働いたんだ、かつて失敗したお節介と同じ糸子の、しかし苦労したぶん思慮深くなった行為が今回はいい方に行ったんだ、それがおばちゃんの凍りついた心も溶かしたんだと、人の心や思いが見ている自分の中でぐるぐるグルグル回り続ける15分でした。よかったー。ふう。
戦後の糸子は前と違う。いろんなところが違う。底を打って浮かび上がってきたからかな。繊維業界の会合で絡まれたときも、前だったら単に切れていただろうが、イラっとしつつ(この表情がとにかくたまらなく魅力的な糸子女優さんです)見事に応対してみせるところがいいなあと思う。
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■12/01/19(木) □ ARBの再評価?
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最近日本でARB再評価旋風を巻き起こしているらしい『輪るピングドラム』の曲名一覧を見たらこれは、石橋凌というよりも第3期ARB@白浜久セレクションだな。彼が書いた「灰色の水曜日」は名曲だと思うが、全盛期ARBのファンである俺はこの曲以外第3期をよく知らないのである。
で全曲を試聴してみたら、オリジナルのままのアレンジでカッコイイのは「イカれちまったぜ」だけだった。「魂こがして」がマイナーコードの Jpop ディスコソングに、「バッドニューズ」「ダディーズシューズ」がバラードになっている。なんだこれは。ARBのビートをそのまま現代の若者に聞かせてやればいいではないか。「バッドニューズ」のあのリズムの切迫感自体がメッセージなわけで、現代の日本の抑圧されイラつく若者にだってあれを届けるべきではないか。―――まあこれのおかげで本家ARBも聞かれてるそうであまり文句をいってはいけないが、しかしアニメ関係者らしきアレンジャーはロックオーバーでもイカれちまってもトラブル中毒でもない人物なのは間違いない。
原曲を知らない第3期の曲は、正直ARBに聞こえない。石橋凌は当時メンバーが作ってきたこんな歌を歌うほどロック的バイタリティをなくしていたのか。うーん。―――まあ全ては過去のことだ。ARBの時代がいま改めて来たのならば、それは喜ばしいことだ。「ヘビーデイズ」を歌いながら働けば救われる魂が、日本にはたくさんあるはずだ。
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駄目だ駄目だ目を覚ませと自己を叱咤す糸子
(c) toyodaginpachi さん
《カーネーション》「小原さんが指導に来るって……聞いたけ」(ツンツンツンとイントロ)――こ、これは。糸子困りました(期待と不安)。
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■12/01/21(土) □ カーネーションが教えてくれること
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無料お試し中のネット映画配信 Netflix は映画の品揃えが悪すぎてレンタルビデオ屋の代替としてはお話にならんのだが、俺は萌と見る「桜蘭高校ホスト部」などが楽しくて、これらのコレクションを見終えるまで数ヶ月キープしたくなっている。で Netflix をTVで見るにはゲームコンソールが必要なので―――PCで見てるので特に買う必要もないのだが最新ゲームに興味がなくはないので―――、ALんところで萌がどんなゲームをやってるのかと尋ねてみた。
するとやってるのは PS3 の「リトルビッグプラネット」だというので Youtube で見てみて驚いた。ソニックよろしく多人数が疾走していく横スクロールゲームで内容は一目瞭然なのだが、人形たちがいるそのステージが実写映像にしか見えない。次々に出てくる障害物が、舞台の大道具係が厚紙やフェルトで作った本物のハリボテにしか見えないのである。すごい。
それが動きしなりへこみキャラを弾く。つまり、人形劇の実写ステージの中を多人数が人形を操りドカドカドカーと疾走していくというゲームなのだ。こっれは楽しそう。ALのお母さんに見せてもらった Fable という RPG/アドベンチャーの映像は、FF9 等の発展型で CG による風景の美しさであり「きれいだなあ」でしかない。Youtube で見る FF13 も同じで、驚きはない。敵を切り倒していったり、長時間かけて剣と魔法でクエストをこなすということも今はやりたくはない。
しかし「リトルビッグプラネット」はこれは、異世界に自分が入っていけるという感じでかなり衝撃的だ。ここに行きたい、ここで遊びたいと思わされる。もしコンソールを買うとしたら、これに決まりだなと思う映像だった。
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《カーネーション》周防さんを好きになってしまった糸子が悩む。「かなわんなあ。人のもんやのに」。お父ちゃん、勘助、泰蔵にいちゃん、勝さんの顔が画面をよぎるだけで、見ているこちらの胸も本当に疼く。泰造兄ちゃんなんていつも道具をかついで横切るだけだったのに、こちらは糸子と奈津を通して見ているから存在自体が自然発光していたのだよなー。そこまで没頭できる観劇体験ってあまり記憶にないな。本当に素晴らしい。
ちなみに周防さんにいま日本中がクラクラなのも、みな木岡のおっちゃんと木之元のおっちゃんと松田さんしか回りに男がいない糸子の目を通して周防さんを見ているからだろう(笑)。
コーヒー屋の平吉が出てこなくて心配だというツイートを目にして、ほんと、あんな人の会合やら会話やらなんでも吹聴するおシャベリのお調子もんのボケナスでも、元気でいてほしいなと痛切に思った。俺は岸和田のあの町の住人の目で、あの町の人々を見ている。そういう気持ちを通じてこのドラマは、戦争は本当に駄目だと痛く痛く教えてくれるのである。
2012/01/30
2012/01/26
カルカソンヌ破壊戦法の解析(2016年簡易改訂版)
(2012/01/26 初版、2016/08/04 改訂)
最近1年ぶりにBSWオンラインでカルカソンヌをやっている。今日は久々にびしびしトラップ(町を完成できなくしてミープルを封殺する)してくる強い相手と当たり、初戦惨敗。リマッチを挑み今度は最初からディフェンシブに戦い、大聖堂シティを完成するタイルさえ引ければ当方の勝ちというところまで持ち込むも、引けず僅差で負けた。しかしやっぱりトラップしてくる相手とのゲームは、緊張してあまり楽しくないな。まあ勝ったら相手の土俵で勝ったという達成感は得られたろうが、こういう手を打つ強い相手にはそうそう勝てるものではない。
すべての構築中の町は2~4枚タイルを重ねて使えば破壊(ミープルをトラップ)でき、確実な防御法は存在しない。したがってこういう打ち手とやる場合点を取るよりもトラップリスクを避けることが最優先となり、所持する町が大きいほど完成に時間がかかりリスクは増すので、小さい町を作っては閉じのじりじりしたゲームとなる。町を拡大するタイルを取っても、自分の町に加えるとトラップされる危険が増すためただ捨てるということすらある。廃墟が散乱する場はまさに悲しき戦場。
こういう攻撃してくる人を相手にするときはこちらも対抗上トラップにトライするのだが、相手は攻撃の専門家なので守備法も熟知しており、こちらよりはるかにうまく防御してくる。このカルカソンヌ破壊戦法と防御法を戦術としてまじめに考えるとこんな感じ。
(画像はフリーの Java (PC、Mac) 版カルカソンヌ、JCloisterZoneより。ガンガントラップ攻撃してくるので練習に最適。例は拡張1「大聖堂」と2「建築士」セット入り)
【例1:悪手3辺フラット待ち】(開口部がフラットな3タイルの辺になる
(青番号が敵の攻撃手順)
(1) 町の開口部①に道のついたタイルを持ってこられると、◆に置けるのは数少ない《道+町》タイルに限定される
(2) ②に道のないタイルを置かれると、◆に置けるタイルは《町+右に出る道》という1種類3枚しかなくなる。この時点で確率的にほぼアウト。
(3) ③を足場に④を置かれると、道の出口がなくなり合う形状のタイルが存在せず詰む。
こうして道を起きその出口をふさぐのが破壊の基本なのだ。
破壊戦法が好きな人はこの攻撃パターンとタイルの配分を熟知しており、守備においても①を置かれたら②を置かれる前に、それに間に合わなかったら④を置かれる前に道の出口を作るよう手を打つわけだが、このように最も攻撃されやすい形なので、うまい人はそもそもこういうフラットな開口部を作らない。大聖堂など4面全部が町のタイルを使うとどうしてもフラット待ちになるので、それらのタイルを引いたら捨てるか相手の町にくっつけてしまうのだ。
【例2:安全な保守2辺待ち】(開口部が最大2辺になる)
(これも青番号が敵の攻撃手順)
破壊型プレイヤーを相手にするときは大聖堂などの四辺町タイルの使用を避け、構築中のどの段階でも開口部が最大2辺である細長い町にするというのが安全策となる。3辺待ちとの違いは:
(1) 町の開口部①に道のついたタイルを持ってこられても、
(2) 敵が攻撃の土台となる②を置き、さらに③を置くまで下方に逃げるスペースがある
ということで、敵側がトラップするための手数が1手増し、それによりクローズできる可能性が大幅に高まるわけです。
試しに JCloisterZone でやってみればわかるが、「道の出口をなくす」というコツさえわかれば誰でもPC(コンピュータ)プレイヤーのミープルなど全部凍結できる。引いたタイルを全部PCの町や道のまわりに投棄していくだけでミープル全員を凍結でき、そのうち半分くらいは完成しないまま終わる。カルカソンヌはこのように、やろうと思えば簡単にどこまでも破壊できるゲームなのだ。
PCがミープルを置くたびにそこを潰していくと、これはボードゲームというよりモグラ叩き系のアクションゲームだなと感じる。それが面白いというサディスティックな気持ちはわからんでもないが、人を相手にここまでやるのは子供じみた嗜虐的な遊びであり勘弁してほしいと思う。しかしBSWにはこうしたミープルのトラップを主というか唯一の戦術とする人もまれだが実際にいる。
トラップを主戦法としない一般的戦法のプレイヤーとやる競技カルカソンヌは、最高に面白い。前にも書いたが(「カルカソンヌ破壊者論」)カルカソンヌにおいて町への侵入を巡る攻防は素晴らしくフェアで、攻撃側も防御側も知恵を尽くし持てるリソースと運と創造性を注ぎ込み、これぞこのゲームデザインの神がかった優秀さであると思う。
守る側は敵のミープルが入れないよう町をデザインし、重要な町には複数の兵(ミープル)や建築士コマも入れてあらゆる攻撃に備える。ここにこのゲームの創造性が宿る。攻める側は町の閉じかけた門にかじりつき、なんとかして自兵を送り込むべく努力する。閉じようとする門から守備方と同数以上の兵を送り込まねば負けなので、守るのも大変だが攻めるほうがより難しい。これはゲームの道理としてそうあるべきで、人のものを奪うのは守るより困難で、多くの兵に守られたものならなおさらだというのがよろしい。事実そうなっているというカルカソンヌのバランスが、奇跡のように美しい。
ところが、この「陣地デザインと人員増強により敵の侵入を防ぐ」というロジックは、破壊に対しては無力なのだ。侵入防止と破壊防止では必要なロジックが全然違うのである。
【例3:同じ陣形での守備力の違い】
(左)侵入攻撃:青が防御兵力3(1+2)を置いているので、赤が兵力2を送り込んでもポイントは取れない。
(右)破壊攻撃:B、C、D、Eとおなじみの手順で出口を消されたら青の3兵力はトラップ。
このように侵入に対しては守備兵増員で対抗できるので、乗っ取りを防ぎつつ巨大な町を作るというスリルを楽しめるのだが、破壊戦術の前には守備兵力はいくらいても無駄どころか、いればいるほど無駄死にが増すだけということになる。構築側にとっては「ミープル兵を3個配した安全策」が、破壊側には「一気に3個もトラップできる愚策」になるわけである。3個失ったらもはや勝ち目はないので、破壊型と当たるとこういう大きな町を作り多数人員を配すほうがバカという、リスク回避がゲームのメインテーマとなる。大きな町への侵入を巡る派手な攻城戦は、ゲームから消えてしまうのだ。
破壊攻撃側は町の門が閉じなくするのだけが目的だから、閉じかけの門にどんどんゴミを放り込んでいくだけでいい。自分のミープル兵は使わないのでなんのリスクもない。安全圏から大砲を打ち込むようなものだ。破壊に使うタイルに整合性は不要なので破壊用リソースは無限にあり、防御タイルは上記例1~3の通り限られている。どれほど守備兵が町に投じられていてもゴミ投棄は防げない。
人のものを壊すのが守るより簡単で、多くの兵が守るほど守備側の被害が甚大になるというのは道理に合わないし、ゲームの物語性を損なう幻滅感がある。
この例3でも、攻撃側が妨害をして町の完成を遅らせた上で、新たな開口部に向け自分のミープル兵を送り込み合流や乗っ取りを謀るならばフェアで面白いと思う。その場合はミープル兵を投じることで攻撃側の赤にも自分の兵を失うリスクが生じるので、完成不能は回避しつつ創造的な攻防が繰り広げられるだろう(まあ相手ミープルを自分より1個でも多くトラップできるなら完成不能を選ぶという「無理心中型」もいるのだが)。
ゲームは全て、賭けるリスクとそのリターンがあればこそ面白いのではないだろうか。破壊戦術は攻撃側のリスクがゼロなところが、甚だしくアンフェアでつまらんのである。
攻撃的なゲーム行動には中毒性があり、人には相手をやっつけたいという抑えがたい自己顕示欲がある。それを抑えよというのはマナーの問題であり、遊びにマナーが入ってくるとこれは急速に輝きを失っていく。だから破壊戦法をやめろとはいえない。それだけがカルカソンヌの欠点なのだ。◆
【2016年】長年この記事は読まれているので、1/2 ほどに簡潔化しました。修正前の旧版はこちらにあります。
最近1年ぶりにBSWオンラインでカルカソンヌをやっている。今日は久々にびしびしトラップ(町を完成できなくしてミープルを封殺する)してくる強い相手と当たり、初戦惨敗。リマッチを挑み今度は最初からディフェンシブに戦い、大聖堂シティを完成するタイルさえ引ければ当方の勝ちというところまで持ち込むも、引けず僅差で負けた。しかしやっぱりトラップしてくる相手とのゲームは、緊張してあまり楽しくないな。まあ勝ったら相手の土俵で勝ったという達成感は得られたろうが、こういう手を打つ強い相手にはそうそう勝てるものではない。
すべての構築中の町は2~4枚タイルを重ねて使えば破壊(ミープルをトラップ)でき、確実な防御法は存在しない。したがってこういう打ち手とやる場合点を取るよりもトラップリスクを避けることが最優先となり、所持する町が大きいほど完成に時間がかかりリスクは増すので、小さい町を作っては閉じのじりじりしたゲームとなる。町を拡大するタイルを取っても、自分の町に加えるとトラップされる危険が増すためただ捨てるということすらある。廃墟が散乱する場はまさに悲しき戦場。
こういう攻撃してくる人を相手にするときはこちらも対抗上トラップにトライするのだが、相手は攻撃の専門家なので守備法も熟知しており、こちらよりはるかにうまく防御してくる。このカルカソンヌ破壊戦法と防御法を戦術としてまじめに考えるとこんな感じ。
(画像はフリーの Java (PC、Mac) 版カルカソンヌ、JCloisterZoneより。ガンガントラップ攻撃してくるので練習に最適。例は拡張1「大聖堂」と2「建築士」セット入り)
【例1:悪手3辺フラット待ち】(開口部がフラットな3タイルの辺になる
(青番号が敵の攻撃手順)
(1) 町の開口部①に道のついたタイルを持ってこられると、◆に置けるのは数少ない《道+町》タイルに限定される
(2) ②に道のないタイルを置かれると、◆に置けるタイルは《町+右に出る道》という1種類3枚しかなくなる。この時点で確率的にほぼアウト。
(3) ③を足場に④を置かれると、道の出口がなくなり合う形状のタイルが存在せず詰む。
こうして道を起きその出口をふさぐのが破壊の基本なのだ。
破壊戦法が好きな人はこの攻撃パターンとタイルの配分を熟知しており、守備においても①を置かれたら②を置かれる前に、それに間に合わなかったら④を置かれる前に道の出口を作るよう手を打つわけだが、このように最も攻撃されやすい形なので、うまい人はそもそもこういうフラットな開口部を作らない。大聖堂など4面全部が町のタイルを使うとどうしてもフラット待ちになるので、それらのタイルを引いたら捨てるか相手の町にくっつけてしまうのだ。
【例2:安全な保守2辺待ち】(開口部が最大2辺になる)
(これも青番号が敵の攻撃手順)
破壊型プレイヤーを相手にするときは大聖堂などの四辺町タイルの使用を避け、構築中のどの段階でも開口部が最大2辺である細長い町にするというのが安全策となる。3辺待ちとの違いは:
(1) 町の開口部①に道のついたタイルを持ってこられても、
(2) 敵が攻撃の土台となる②を置き、さらに③を置くまで下方に逃げるスペースがある
ということで、敵側がトラップするための手数が1手増し、それによりクローズできる可能性が大幅に高まるわけです。
試しに JCloisterZone でやってみればわかるが、「道の出口をなくす」というコツさえわかれば誰でもPC(コンピュータ)プレイヤーのミープルなど全部凍結できる。引いたタイルを全部PCの町や道のまわりに投棄していくだけでミープル全員を凍結でき、そのうち半分くらいは完成しないまま終わる。カルカソンヌはこのように、やろうと思えば簡単にどこまでも破壊できるゲームなのだ。
PCがミープルを置くたびにそこを潰していくと、これはボードゲームというよりモグラ叩き系のアクションゲームだなと感じる。それが面白いというサディスティックな気持ちはわからんでもないが、人を相手にここまでやるのは子供じみた嗜虐的な遊びであり勘弁してほしいと思う。しかしBSWにはこうしたミープルのトラップを主というか唯一の戦術とする人もまれだが実際にいる。
トラップを主戦法としない一般的戦法のプレイヤーとやる競技カルカソンヌは、最高に面白い。前にも書いたが(「カルカソンヌ破壊者論」)カルカソンヌにおいて町への侵入を巡る攻防は素晴らしくフェアで、攻撃側も防御側も知恵を尽くし持てるリソースと運と創造性を注ぎ込み、これぞこのゲームデザインの神がかった優秀さであると思う。
守る側は敵のミープルが入れないよう町をデザインし、重要な町には複数の兵(ミープル)や建築士コマも入れてあらゆる攻撃に備える。ここにこのゲームの創造性が宿る。攻める側は町の閉じかけた門にかじりつき、なんとかして自兵を送り込むべく努力する。閉じようとする門から守備方と同数以上の兵を送り込まねば負けなので、守るのも大変だが攻めるほうがより難しい。これはゲームの道理としてそうあるべきで、人のものを奪うのは守るより困難で、多くの兵に守られたものならなおさらだというのがよろしい。事実そうなっているというカルカソンヌのバランスが、奇跡のように美しい。
ところが、この「陣地デザインと人員増強により敵の侵入を防ぐ」というロジックは、破壊に対しては無力なのだ。侵入防止と破壊防止では必要なロジックが全然違うのである。
【例3:同じ陣形での守備力の違い】
(左)侵入攻撃:青が防御兵力3(1+2)を置いているので、赤が兵力2を送り込んでもポイントは取れない。
(右)破壊攻撃:B、C、D、Eとおなじみの手順で出口を消されたら青の3兵力はトラップ。
このように侵入に対しては守備兵増員で対抗できるので、乗っ取りを防ぎつつ巨大な町を作るというスリルを楽しめるのだが、破壊戦術の前には守備兵力はいくらいても無駄どころか、いればいるほど無駄死にが増すだけということになる。構築側にとっては「ミープル兵を3個配した安全策」が、破壊側には「一気に3個もトラップできる愚策」になるわけである。3個失ったらもはや勝ち目はないので、破壊型と当たるとこういう大きな町を作り多数人員を配すほうがバカという、リスク回避がゲームのメインテーマとなる。大きな町への侵入を巡る派手な攻城戦は、ゲームから消えてしまうのだ。
破壊攻撃側は町の門が閉じなくするのだけが目的だから、閉じかけの門にどんどんゴミを放り込んでいくだけでいい。自分のミープル兵は使わないのでなんのリスクもない。安全圏から大砲を打ち込むようなものだ。破壊に使うタイルに整合性は不要なので破壊用リソースは無限にあり、防御タイルは上記例1~3の通り限られている。どれほど守備兵が町に投じられていてもゴミ投棄は防げない。
人のものを壊すのが守るより簡単で、多くの兵が守るほど守備側の被害が甚大になるというのは道理に合わないし、ゲームの物語性を損なう幻滅感がある。
この例3でも、攻撃側が妨害をして町の完成を遅らせた上で、新たな開口部に向け自分のミープル兵を送り込み合流や乗っ取りを謀るならばフェアで面白いと思う。その場合はミープル兵を投じることで攻撃側の赤にも自分の兵を失うリスクが生じるので、完成不能は回避しつつ創造的な攻防が繰り広げられるだろう(まあ相手ミープルを自分より1個でも多くトラップできるなら完成不能を選ぶという「無理心中型」もいるのだが)。
ゲームは全て、賭けるリスクとそのリターンがあればこそ面白いのではないだろうか。破壊戦術は攻撃側のリスクがゼロなところが、甚だしくアンフェアでつまらんのである。
攻撃的なゲーム行動には中毒性があり、人には相手をやっつけたいという抑えがたい自己顕示欲がある。それを抑えよというのはマナーの問題であり、遊びにマナーが入ってくるとこれは急速に輝きを失っていく。だから破壊戦法をやめろとはいえない。それだけがカルカソンヌの欠点なのだ。◆
2012/01/19
日記「追憶の少女マンガ」
「屋根登り」「オンラインビデオストアお試し」「バンド評伝の必要性」
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■12/01/10(火) X 屋根登り
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ひどいコケ。こすればすぐ取れるが、
登るのが大変 久しぶりの晴れ日、午後MKを呼んで2人で屋根に登り、コケ取りと雨樋の落ち葉除去をする。俺は屋根に登ったのは初めてだ。高さは怖くないけれど、もし滑ったりバランスを崩したりしたら…と思うとやはりヒヤヒヤであった。まあそれが高所恐怖というのか。とにかくコケがひどかったのだが、これは特に屋根材を害すものではないとのこと。とはいえこんなものがボーボーと生えていていいことなど何もないので、一生懸命落とす。
MKと俺はほんとに仕事で気が合う。俺が「こっちのほうが安全だからはしごの位置を変えよう」とか「コケを落とすのはほうきじゃなくてスノーシャベルを使ったほうが効率的だな」とかいうたびに、MKは「ワオ、10年やっててそんなこと考えたこともなかったよ」と大げさに喜び、物事がトントンとテンポよく進む。
俺は何も改善案を考え抜いて言ってるわけじゃなく、「これをやるならフツーこうするだろう」程度のことを言ってるだけなのだが、それがカナダ人から見るとえらくイノベーティブらしい。Mも俺が生活の中でなにか小さな工夫をすると感心する。お前らカナダ人はなんでそんなに工夫をしないのかと、こっちはそれがわからない。ノーアイデアなのです。
終わったあと助かったぜと礼を言うと、もっと頻繁に呼んでくれ、こんなにコケが生えてるとは思わなかったよとMKは言う。「いや俺もそう思うんだけどさ、Mは最近お前にものを頼むのを遠慮するんだよ。前はお前は俺と同様一家の『叱られ役・命令される役』だったんだけど、うちを出て結婚したら『ナイスに扱う側』に移ったらしい」と説明すると、それは奴もよくわかっていた(笑)。
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■12/01/11(水) X オンラインビデオストアお試し
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カナダではレンタルビデオがビジネスとして壊滅中で、うちの町のビデオ屋も早晩店じまいだというので、Netflix というネットのオンライン映画サービスをテストせよと命じられた。で1ヶ月フリーで試せるので見てみると、映画のラインアップがえらい少ない。ちょうど町のビデオ屋くらいしか本数がないし、「ハリーポッター」やら「トイストーリー」などの定番がまるでない。こんな品揃えが悪いオンラインサービスは類を見ない。
聞けば映画会社はケーブルTV会社のオンデマンド(ペイパービュー)で見てもらったほうがはるかに儲かるので、Netflix に使用権を与えるのを渋ってるのだそうだ。なるほどねえ。この品揃えでは、映画好きは満足できないんじゃないのかな。
ともあれ見てみると、普通にブラウザで快適に見れる。日本のアニメが結構充実してるのでざっと見てみたら、女剣士が戦いを繰り広げどんどん服が脱げていくとか(「クイーンズブレイド・流浪の戦士」)、血だらけの美少女が兵士を切り殺していくとか(「Blood+」)、想像したよりもはるかにどぎつい。これはとても親子一緒に楽しく見れません。日本のアニメってこういう感じなのかー。まあしかしこれは普通のTVでやってるアニメじゃなくて、オタクの皆さんが見てるアニメなんだろうな。
いろいろと試し見して、なにか萌と見るものがないか探してみよう。すべて音声が英語吹き替えなのが(日本語学習にならないので)残念だが、フリーですべて試聴できるというのはありがたい。
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■12/01/12(木) X 追憶の少女マンガ
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萌と見る最初のアニメは「桜蘭高校ホスト部」に決定。面白い。80年代の一条ゆかり「有閑倶楽部」みたいな超お金持ち高校に入ってきたビンボー新入生、メガネを取ったら美少年(少女)という昔ながらの少女マンガの王道に、現代的なスピードギャグが散りばめられている。サイコー。
セリフの英訳も吹き替えの声優も文句ないデキだし、いろいろと出てくる説明文字類はていねいに英語化されており、そして「センパイ」「BBちゃん」という言葉は日本語がそのまま使われている。つまりある程度の日本学園知識を持ち、こういう純少女マンガを愛好して見ている英語女子層が、相当に厚くあるということである。SFやファンタジーっぽいアニメの人気は知っていたけれど、こんなに日本的な少女マンガもちゃんと見られてるのだとは初めて知った。
萌はマンガ教養が不足している11歳カナダ女子なので鑑賞中ポーズし、「センパイって upper grader ね」「これはこのセンパイたちがハルヒを守らなきゃって気になったということだね」などと解説をしながら見ていたら、「わかってるよ続けてよ」とウザがられた。
こういうのを見ると、「マーガレット」や「ぶーけ」をガールフレンズたちと回し読みし、くらもちふさこ、松苗あけみ、耕野裕子、岩館真理子、坂田靖子らを読んでいた高校~大学頃の日々が甦り、なんだか俺自身も胸が熱くなってくる。萌にもこれら80年代の作家を読ませたくて日本に帰るたびに探してるのだが、今の古本屋にはそのあたりの世代のものはまったくないのが残念。
(破壊的ボスキャラ鎧塚女史の登場シーン。この悪意のこもった線の天才性よ(笑)
しかしネットで見るこうしたアニメや、カナダの本屋の「MANGA」棚で見るいまどきの少女マンガは、俺が好きだった作家たちに比べると絵が単調だな。カッコイイ男の子、かわいい女の子しか描けない感じ。松苗あけみや耕野裕子は本当に絵がうまかったと思う。耕野裕子が描いたこの大御所でめんどくさい少女マンガ家ヨロイヅカ女史なんて、一目見たら「うわたまらん人が来た!」とわかる。「モテキ」ではこれに匹敵するインパクトを楽しめたけれど。
耕野裕子さんとは、アマチュアバンドの実情取材として一晩語り明かしたことがある。ライブに来てもらったこともある。連載マンガの表紙に宣伝を書いてもらったこともある。果ては手描きマンガ葉書までもらったんだから、ここまで幸運なファンもそういないだろう :-)。
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■12/01/14(土) X バンド評伝の必要性
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当時のビラ(制作者は現「共犯新聞」主筆)
昔のバンドメンバーたちが、ネット上で当時の自分たちについてめっちゃシャープな評伝を書いていた。『誰も評論してくれないから、自分たちで評論してるのかオレたち』だって(笑)。
たしかに当事者とファンにしか分からない内容なので自分たちで評論するしかないのだが、しかし全てのバンドは評伝を書くに値するんだろうな。皆が暮らし考え苦しみ育ちアイデアを寄せ合い歌をつくっていく。「皆が」というところが肝心かつそこがバンドの面白いところで、そこが関わった多人数による記憶と評伝に値するのだ。どんなに優れたソロ・ミュージシャンでも、アイデアの面白さにかけてはかつてその人がやっていたたバンドにかなわない。ジョンレノンしかり、忌野清志郎しかり。アイデアとはそういうものだから。
あの学生バンド時代というのは、それぞれが生活の中でいろんなことを吸収していって、集まって音を作るというクリエイティブなことを4年もかけてゆっくりとやっていけたんだから、思えば幸福な時間であった。それ以後のバンドも真剣にやって、いい音も出せたと思うけど、あんなに無駄な時間をかけていくことはやっぱりできなかった。友達と一緒に、馬鹿げたことや素晴らしいことの数々を莫大な時間をかけて通り抜けていくことが、子供にとってもバンドマンにとっても「学校」なんだろう。
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■12/01/10(火) X 屋根登り
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ひどいコケ。こすればすぐ取れるが、
登るのが大変 久しぶりの晴れ日、午後MKを呼んで2人で屋根に登り、コケ取りと雨樋の落ち葉除去をする。俺は屋根に登ったのは初めてだ。高さは怖くないけれど、もし滑ったりバランスを崩したりしたら…と思うとやはりヒヤヒヤであった。まあそれが高所恐怖というのか。とにかくコケがひどかったのだが、これは特に屋根材を害すものではないとのこと。とはいえこんなものがボーボーと生えていていいことなど何もないので、一生懸命落とす。
MKと俺はほんとに仕事で気が合う。俺が「こっちのほうが安全だからはしごの位置を変えよう」とか「コケを落とすのはほうきじゃなくてスノーシャベルを使ったほうが効率的だな」とかいうたびに、MKは「ワオ、10年やっててそんなこと考えたこともなかったよ」と大げさに喜び、物事がトントンとテンポよく進む。
俺は何も改善案を考え抜いて言ってるわけじゃなく、「これをやるならフツーこうするだろう」程度のことを言ってるだけなのだが、それがカナダ人から見るとえらくイノベーティブらしい。Mも俺が生活の中でなにか小さな工夫をすると感心する。お前らカナダ人はなんでそんなに工夫をしないのかと、こっちはそれがわからない。ノーアイデアなのです。
終わったあと助かったぜと礼を言うと、もっと頻繁に呼んでくれ、こんなにコケが生えてるとは思わなかったよとMKは言う。「いや俺もそう思うんだけどさ、Mは最近お前にものを頼むのを遠慮するんだよ。前はお前は俺と同様一家の『叱られ役・命令される役』だったんだけど、うちを出て結婚したら『ナイスに扱う側』に移ったらしい」と説明すると、それは奴もよくわかっていた(笑)。
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■12/01/11(水) X オンラインビデオストアお試し
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カナダではレンタルビデオがビジネスとして壊滅中で、うちの町のビデオ屋も早晩店じまいだというので、Netflix というネットのオンライン映画サービスをテストせよと命じられた。で1ヶ月フリーで試せるので見てみると、映画のラインアップがえらい少ない。ちょうど町のビデオ屋くらいしか本数がないし、「ハリーポッター」やら「トイストーリー」などの定番がまるでない。こんな品揃えが悪いオンラインサービスは類を見ない。
聞けば映画会社はケーブルTV会社のオンデマンド(ペイパービュー)で見てもらったほうがはるかに儲かるので、Netflix に使用権を与えるのを渋ってるのだそうだ。なるほどねえ。この品揃えでは、映画好きは満足できないんじゃないのかな。
ともあれ見てみると、普通にブラウザで快適に見れる。日本のアニメが結構充実してるのでざっと見てみたら、女剣士が戦いを繰り広げどんどん服が脱げていくとか(「クイーンズブレイド・流浪の戦士」)、血だらけの美少女が兵士を切り殺していくとか(「Blood+」)、想像したよりもはるかにどぎつい。これはとても親子一緒に楽しく見れません。日本のアニメってこういう感じなのかー。まあしかしこれは普通のTVでやってるアニメじゃなくて、オタクの皆さんが見てるアニメなんだろうな。
いろいろと試し見して、なにか萌と見るものがないか探してみよう。すべて音声が英語吹き替えなのが(日本語学習にならないので)残念だが、フリーですべて試聴できるというのはありがたい。
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■12/01/12(木) X 追憶の少女マンガ
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萌と見る最初のアニメは「桜蘭高校ホスト部」に決定。面白い。80年代の一条ゆかり「有閑倶楽部」みたいな超お金持ち高校に入ってきたビンボー新入生、メガネを取ったら美少年(少女)という昔ながらの少女マンガの王道に、現代的なスピードギャグが散りばめられている。サイコー。
セリフの英訳も吹き替えの声優も文句ないデキだし、いろいろと出てくる説明文字類はていねいに英語化されており、そして「センパイ」「BBちゃん」という言葉は日本語がそのまま使われている。つまりある程度の日本学園知識を持ち、こういう純少女マンガを愛好して見ている英語女子層が、相当に厚くあるということである。SFやファンタジーっぽいアニメの人気は知っていたけれど、こんなに日本的な少女マンガもちゃんと見られてるのだとは初めて知った。
萌はマンガ教養が不足している11歳カナダ女子なので鑑賞中ポーズし、「センパイって upper grader ね」「これはこのセンパイたちがハルヒを守らなきゃって気になったということだね」などと解説をしながら見ていたら、「わかってるよ続けてよ」とウザがられた。
こういうのを見ると、「マーガレット」や「ぶーけ」をガールフレンズたちと回し読みし、くらもちふさこ、松苗あけみ、耕野裕子、岩館真理子、坂田靖子らを読んでいた高校~大学頃の日々が甦り、なんだか俺自身も胸が熱くなってくる。萌にもこれら80年代の作家を読ませたくて日本に帰るたびに探してるのだが、今の古本屋にはそのあたりの世代のものはまったくないのが残念。
(破壊的ボスキャラ鎧塚女史の登場シーン。この悪意のこもった線の天才性よ(笑)
しかしネットで見るこうしたアニメや、カナダの本屋の「MANGA」棚で見るいまどきの少女マンガは、俺が好きだった作家たちに比べると絵が単調だな。カッコイイ男の子、かわいい女の子しか描けない感じ。松苗あけみや耕野裕子は本当に絵がうまかったと思う。耕野裕子が描いたこの大御所でめんどくさい少女マンガ家ヨロイヅカ女史なんて、一目見たら「うわたまらん人が来た!」とわかる。「モテキ」ではこれに匹敵するインパクトを楽しめたけれど。
耕野裕子さんとは、アマチュアバンドの実情取材として一晩語り明かしたことがある。ライブに来てもらったこともある。連載マンガの表紙に宣伝を書いてもらったこともある。果ては手描きマンガ葉書までもらったんだから、ここまで幸運なファンもそういないだろう :-)。
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■12/01/14(土) X バンド評伝の必要性
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当時のビラ(制作者は現「共犯新聞」主筆)
昔のバンドメンバーたちが、ネット上で当時の自分たちについてめっちゃシャープな評伝を書いていた。『誰も評論してくれないから、自分たちで評論してるのかオレたち』だって(笑)。
たしかに当事者とファンにしか分からない内容なので自分たちで評論するしかないのだが、しかし全てのバンドは評伝を書くに値するんだろうな。皆が暮らし考え苦しみ育ちアイデアを寄せ合い歌をつくっていく。「皆が」というところが肝心かつそこがバンドの面白いところで、そこが関わった多人数による記憶と評伝に値するのだ。どんなに優れたソロ・ミュージシャンでも、アイデアの面白さにかけてはかつてその人がやっていたたバンドにかなわない。ジョンレノンしかり、忌野清志郎しかり。アイデアとはそういうものだから。
あの学生バンド時代というのは、それぞれが生活の中でいろんなことを吸収していって、集まって音を作るというクリエイティブなことを4年もかけてゆっくりとやっていけたんだから、思えば幸福な時間であった。それ以後のバンドも真剣にやって、いい音も出せたと思うけど、あんなに無駄な時間をかけていくことはやっぱりできなかった。友達と一緒に、馬鹿げたことや素晴らしいことの数々を莫大な時間をかけて通り抜けていくことが、子供にとってもバンドマンにとっても「学校」なんだろう。
2012/01/10
日記「キミらの世界じゃそれを愛と呼ばないんだろう」
「コリア餅の正月」「日本ロック教育」「チケライ実験中」 - 俺は本当の自分を日本に置いてきたかもしれない。君をもっと日本で愛したいのかもしれない。夢みたいな日々と、美しい君。
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■12/01/01(日) □ コリア餅の正月
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正月の餅はコキットラム近辺では今年も見つからず、コリアの小さな小判型の餅を買ってきてみたのだが、こんな小さな餅なのにいくら煮込んでも柔らかくならない。もち米自体の質が日本のものとは違うらしい。あんこはおいしいものが手に入るのだが、まったくおいしくない残念おしることなってしまった。
正月恒例の鍋も手頃なカニと貝が手に入らず、タラ鍋。しかしタラだけではダシが十分に出ず、味はさっぱりであった。チャイニーズはんぺんも想像通りうまくはなかったのである。がんもどきとか食いたいなあ。
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食べ物的には全然ダメな正月だったが、まあ静かに楽しくお正月らしく過ごす。『年の初めはさだまさし』でさだまさしと指揮者の佐渡裕が「案山子」をやったのがすごくよかった。佐渡裕はフルートできれいに伴奏し、サビではハモるのだが、これがヘタなのである。下手歌は胸を打つ。大人に残された最後のイノセンスである。
萌がたまたま TV の近くにいたので、「これ日本のおばあちゃんが好きな歌なんだよ」と『案山子』の内容を説明してやると、生意気ざかりで Perfume 以外の日本のアイドルなんかには失笑しシニカルなコメントを発するこのカナダのプリティーンが、静かに最後まで聴いていた。さだまさしと佐渡裕に感動してたということですね。
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■12/01/06(金) □ 日本ロック教育
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俺はグロウンアップで大人な女性の低い声を好み、NHK歌番組のナレーションなんかで使われるタドタド少女声などがとても苦手なのだが、トリプルH「イカれちまったぜ」を聴いたら少女ボイスにうおと電撃を感じてしまった。元歌を知ってるからなおさら違いが快感につながるのかな。こりゃパフュームに明け暮れる萌の日本ロック教育に使えるかもしれないと聴かせてみたのだが、なにこれーと笑われてしまった。うーん、声の年代が近いだけじゃロック教育効果はないのか。
次いで奥田民生が「レーザービーム」を歌ってるのをりかぞう氏ツイートで知り、萌に見せる。ほら日本のロックのトップの人がパフューム歌ってるよ。あの「♪半人前が~」の人だよ。いいねえ。日本ロックは Perfume と親和性高いねえ。
さらに畳み掛け、「パフュームはテクノだから一番最初のテクノポップを聴きなさい」とYMO「ナイスエイジ」を聴かせてみる。この曲は歌詞が英語のせいもあり、かなり反応がよかった。よし、ムスメの日本ロック化はYMO方面から道をつけていこう。しかし当時はオッサンに見えたYMOの面々が、みんな若いなー(汗)。
萌が後で、「なに歌ってるのあの人(ユキヒロ)?」と「ナイスエイジ」の英詞を検索していた。俺も実は全然知らないので一緒に読んでみると、
と、全然意味が分からない(笑)。タモリのハナモゲラ語のごとくわからない。しかしかっこいいと2人で大笑い。
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■12/01/07(土) □ キミらの世界じゃそれを愛と呼ばないんだろう
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紅白歌合戦での猪苗代湖ズが人々にどう見られたかということに興味があり、あれからずっとツイートを追っている。あのアクトに対する感想ツイートは賛9否1くらいの割合なようだ。2chなどの掲示板ではこれが逆転する。猪苗代湖ズはキモい、引くという書き込みが目立つ。ツイッターなどと違い、特定の人格・ID であることを知られたくないという負のモチベーションを持つものが掲示板に行くという構造的バイアスがあるので、そこに集まる声もネガティブに傾きやすい。
◇
猪苗代湖ズを批判するツイートに対しては「彼らが福島にどれほど尽くしてきたか…」みたいな怒りの声が常に殺到するが、それは彼らにとってメインテーマではないと思う。彼らの歌は「大好きな福島がなくなってしまいそうなんだ!」という悲鳴だろう。この歌は前からあったとのことで、震災によって意味ががらりと変わったのだ。『福島がなくなってしまいそうなんだ、悔しくてたまらないんだ、どうしたらいいんだ』と猪苗代湖ズは悲嘆にくれている。それを声と音と顔で表しているのであって、震災被害者を代表し支援を訴える政治的存在ではない。そうであると捉えて応援する人も批判する人もいるが、それは本分ではないだろう。
猪苗代湖ズの音楽性云々と語る人々に対しては、ロックであることを否定されたようで悔しい気持ちは俺も感じる。紅白での演奏はよくはなかった。山口の声は最初から枯れていたし、ドラムも力んでいていいリズムが出ていなかった。ベースもそんなにうまくないし(本来ボーカル&ギターの人だとのこと)、箭内氏はスポークスマンなわけだし、演奏力はもともとそんなにないのである。震災直後に山口隆がサンボマスターでやった「アイラブユー・アイニージューふくしま」が見つかったが、こっちのほうが音は百倍すごい。こんなギターを弾ける奴はやっぱり他にいないよ。喋りも歌もギターも素晴らしい。福島に飛んで行ってしまいそうな山口を音楽につなぎ止めていく、バンドの抑えたリズムも素晴らしい。
胸かきむしるエア歌唱@箭内氏
山口隆は喉の調子が悪かった上に、「絶対泣かねえと心に決めていたが、出番寸前にマイクを受け取ってくれたNHKのおじさんの笑顔があまりにも温かくて泣いてしまった」とのこと。気持ちが入りすぎ、固くなり、自己ベストが出なかった。つまりオリンピックのアスリートと同じですね。「猪苗代湖ズは固くなりメダルを取れませんでした。しかし力は尽くしました」ということである。残念ではある。しかしたとえサンボマスターで紅白に乗り込んでいって完璧な演奏をしてみせたとしても、箭内さんのあの熱い「エア歌唱」「ヘタ歌唱」よりも多くの気持ちが人々に伝わったかどうかは分からない。あれはあれで胸を打つアクトだった。
◇
ああいう加工前のむき出しロックを嫌いな人がいるのは仕方がない。「キモい、引く」という感覚も、俺が長渕剛や尾崎豊が持つスタイリッシュな熱さには共感できないのと同じことで、人それぞれと言うしかない。仕方がない、キミらの世界じゃそれを愛と呼ばないんだろう。
しかし掲示板で散見する「押し付けがましい、何様のつもりか、被害者気取り、補助金もらってたくせに、フクシマいらない」といった悪罵はなんなのか。自分の心の負担になるものは全部切り捨てたいという衝動しか見えてこない。福島もキミらが嫌う国の1つになったんですかと思うような拒否反応、世界じゃそれをネトウヨと呼ぶんだぜ。
この歌は彼らのふるさとを歌った歌ではあるけれど、郷愁はホームにあるとは限らない。俺は今はもうない警備員時代の勤務地・調布基地を思うと胸が痛む。調布基地なんて何の用途もない廃墟が撤去されただけだが、それでもあの景色とそこで過ごした膨大な時間はもうないんだということに胸が疼く。君がそれを失ったとき、取り戻したくなるでしょう。サマーフィーリング、君は初めて気づく(「サマーフィーリング」by タイドプール)。俺は本当の自分を日本に置いてきたかもしれない。君をもっと日本で愛したいのかもしれない。夢みたいな日々と、美しい君。I love you baby、吉祥寺。I need you baby、調布基地。I want you baby、競馬場。三多摩が好き。
誰にもあるそんな気持ちを猪苗代湖ズは歌っているんだよ。それがたまたま、とてつもなく悲しい歌になっちまったんだ。
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■12/01/08(日) □ チケライ実験中
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チケットトゥライド Europe のヴァリアント(派生)ルールのテストプレイをやってみた。チケライ Euro は、そのゲーム内容の単純さ(もちろんすごく楽しい単純さ)に比してゲーム時間がやや長いと俺も萌も思っているので、2人で普通40分かかるのを20分にすると目標を立ててプレイ。
でやってみると《3枚取りルール》はまったくまごつくことなく「1枚・2枚・3枚ね」と軽快スムーズに運用できる。余分な手札が増えかえってマネージメントに手こずるかなとも思ったが、場札選択肢の増大効果は思考と戦略を助ける方に働き、双方とも迷う時間が減っている。
チケライの難しさは必要な色がなかなか場札に出てこないときに生じるのだが、このルールでは常時3枚が入れ替わるし、場に何もないときでもデッキから3枚取れば、3/10 の確率で何がしか役に立つカードが入ってくる。機関車カードも同様に、場に出る率もデッキからブラインドで取れる率も上がるので、萌も俺もサクサクと必要カラーを揃え、通常よりハイパーな高速路線敷設合戦となった。
《ロングチケット不使用ルール》はショートチケットを組み合わせロンゲストルートを作るのが非常に重要な戦略となるので、最初のチケット選択にかなり悩む。結果として俺も萌も効能書き通り普段あまり通らないような面白いルートを通れ盛り上がったのだが、このルールに期待した『人数が少なくても交錯が増し、同一路線を奪い合い盛り上がる』という効果はまったくなかった。やはり普通のロングチケットがあったほうが達成時に盛り上がるなとも感じるし、こちらはとりあえずボツ。
【結果】いつも手札を余して負ける萌が手札もトレインもきれいに使い切り、45個全部をつなぐ完全ロンゲストルートを達成して13点差勝利。手札マネージメントがやや苦手な彼女にとっては、明らかにプラスに働く3枚取りルールである。アテネ→ペテログラード→エッセン→ベルリンという、ロングチケットがあったらまず見ないだろう珍しいロンゲスト&ループ完成で大拍手が起こり、久々にカメラを取り出し盤面を撮影するほどいいゲームだった。時間はちょうど30分で、3枚取りでゲームが短くなったかというと微妙だが、展開は大幅に軽く速くなり、フラストレーションが少ない爽快なゲームになったという印象。
◇
3枚取ることで手札マネージメントの難易度が大幅に下がるわけで、ゲームとしてはぬるくなる。しかし子供入りファミリーゲームとしてのチケライは、これくらいの重さでちょうどいいような気がする。チケライのゲーム性は
『①手札マネージメント』
『②ルートプランニングと実行』
にあり、3人プレイくらいだとどうやっても路線交錯が少ないのでルートプランニングの面白味がやや薄く、メインは手札マネージメントとなる。子供はひらめきや機転でプレイすることを喜ぶのだが、「欲しい色がない、困った」という手札詰まり状況はひらめきや機転で打開することが難しく、我慢と地道なマネージメント力が求められる。そういうプレイは子供にはあまり楽しめず上手にもできず、やる気を段々なくしてしまうわけである。
だからそこを軽くする3枚取りは子供に向いていると思う。ゲームの面白さが上がるわけではないが(ジレンマが減るので面白さ減と感じる人もいるだろう)、ままならなさは確実に下がり、軽快になるのだ。これで何度かやってみよう。ゲーム性を損なわず子供に勝つチャンスをもっと与えてやりたいけど、チケライではうまいハンデが思いつかないとずっと思ってたのだが、子供が苦手な手札マネージメントの難易度を下げれば、それだけで子供はちゃんとプランを立て勝負をかけてくるのであった。素晴らしい。
新鮮さを失ってきたゲームに新風を吹き込める、ボードゲームのヴァリアントルールは楽しい :-)。
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■12/01/01(日) □ コリア餅の正月
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正月の餅はコキットラム近辺では今年も見つからず、コリアの小さな小判型の餅を買ってきてみたのだが、こんな小さな餅なのにいくら煮込んでも柔らかくならない。もち米自体の質が日本のものとは違うらしい。あんこはおいしいものが手に入るのだが、まったくおいしくない残念おしることなってしまった。
正月恒例の鍋も手頃なカニと貝が手に入らず、タラ鍋。しかしタラだけではダシが十分に出ず、味はさっぱりであった。チャイニーズはんぺんも想像通りうまくはなかったのである。がんもどきとか食いたいなあ。
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食べ物的には全然ダメな正月だったが、まあ静かに楽しくお正月らしく過ごす。『年の初めはさだまさし』でさだまさしと指揮者の佐渡裕が「案山子」をやったのがすごくよかった。佐渡裕はフルートできれいに伴奏し、サビではハモるのだが、これがヘタなのである。下手歌は胸を打つ。大人に残された最後のイノセンスである。
萌がたまたま TV の近くにいたので、「これ日本のおばあちゃんが好きな歌なんだよ」と『案山子』の内容を説明してやると、生意気ざかりで Perfume 以外の日本のアイドルなんかには失笑しシニカルなコメントを発するこのカナダのプリティーンが、静かに最後まで聴いていた。さだまさしと佐渡裕に感動してたということですね。
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■12/01/06(金) □ 日本ロック教育
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俺はグロウンアップで大人な女性の低い声を好み、NHK歌番組のナレーションなんかで使われるタドタド少女声などがとても苦手なのだが、トリプルH「イカれちまったぜ」を聴いたら少女ボイスにうおと電撃を感じてしまった。元歌を知ってるからなおさら違いが快感につながるのかな。こりゃパフュームに明け暮れる萌の日本ロック教育に使えるかもしれないと聴かせてみたのだが、なにこれーと笑われてしまった。うーん、声の年代が近いだけじゃロック教育効果はないのか。
次いで奥田民生が「レーザービーム」を歌ってるのをりかぞう氏ツイートで知り、萌に見せる。ほら日本のロックのトップの人がパフューム歌ってるよ。あの「♪半人前が~」の人だよ。いいねえ。日本ロックは Perfume と親和性高いねえ。
さらに畳み掛け、「パフュームはテクノだから一番最初のテクノポップを聴きなさい」とYMO「ナイスエイジ」を聴かせてみる。この曲は歌詞が英語のせいもあり、かなり反応がよかった。よし、ムスメの日本ロック化はYMO方面から道をつけていこう。しかし当時はオッサンに見えたYMOの面々が、みんな若いなー(汗)。
萌が後で、「なに歌ってるのあの人(ユキヒロ)?」と「ナイスエイジ」の英詞を検索していた。俺も実は全然知らないので一緒に読んでみると、
「彼女のおもちゃは壊れた少年! ドアの横で心を寄せる! 彼女の唇でキスは燃え尽き、喜びの尺度なりー!」
と、全然意味が分からない(笑)。タモリのハナモゲラ語のごとくわからない。しかしかっこいいと2人で大笑い。
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■12/01/07(土) □ キミらの世界じゃそれを愛と呼ばないんだろう
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紅白歌合戦での猪苗代湖ズが人々にどう見られたかということに興味があり、あれからずっとツイートを追っている。あのアクトに対する感想ツイートは賛9否1くらいの割合なようだ。2chなどの掲示板ではこれが逆転する。猪苗代湖ズはキモい、引くという書き込みが目立つ。ツイッターなどと違い、特定の人格・ID であることを知られたくないという負のモチベーションを持つものが掲示板に行くという構造的バイアスがあるので、そこに集まる声もネガティブに傾きやすい。
◇
猪苗代湖ズを批判するツイートに対しては「彼らが福島にどれほど尽くしてきたか…」みたいな怒りの声が常に殺到するが、それは彼らにとってメインテーマではないと思う。彼らの歌は「大好きな福島がなくなってしまいそうなんだ!」という悲鳴だろう。この歌は前からあったとのことで、震災によって意味ががらりと変わったのだ。『福島がなくなってしまいそうなんだ、悔しくてたまらないんだ、どうしたらいいんだ』と猪苗代湖ズは悲嘆にくれている。それを声と音と顔で表しているのであって、震災被害者を代表し支援を訴える政治的存在ではない。そうであると捉えて応援する人も批判する人もいるが、それは本分ではないだろう。
猪苗代湖ズの音楽性云々と語る人々に対しては、ロックであることを否定されたようで悔しい気持ちは俺も感じる。紅白での演奏はよくはなかった。山口の声は最初から枯れていたし、ドラムも力んでいていいリズムが出ていなかった。ベースもそんなにうまくないし(本来ボーカル&ギターの人だとのこと)、箭内氏はスポークスマンなわけだし、演奏力はもともとそんなにないのである。震災直後に山口隆がサンボマスターでやった「アイラブユー・アイニージューふくしま」が見つかったが、こっちのほうが音は百倍すごい。こんなギターを弾ける奴はやっぱり他にいないよ。喋りも歌もギターも素晴らしい。福島に飛んで行ってしまいそうな山口を音楽につなぎ止めていく、バンドの抑えたリズムも素晴らしい。
胸かきむしるエア歌唱@箭内氏
◇
ああいう加工前のむき出しロックを嫌いな人がいるのは仕方がない。「キモい、引く」という感覚も、俺が長渕剛や尾崎豊が持つスタイリッシュな熱さには共感できないのと同じことで、人それぞれと言うしかない。仕方がない、キミらの世界じゃそれを愛と呼ばないんだろう。
しかし掲示板で散見する「押し付けがましい、何様のつもりか、被害者気取り、補助金もらってたくせに、フクシマいらない」といった悪罵はなんなのか。自分の心の負担になるものは全部切り捨てたいという衝動しか見えてこない。福島もキミらが嫌う国の1つになったんですかと思うような拒否反応、世界じゃそれをネトウヨと呼ぶんだぜ。
この歌は彼らのふるさとを歌った歌ではあるけれど、郷愁はホームにあるとは限らない。俺は今はもうない警備員時代の勤務地・調布基地を思うと胸が痛む。調布基地なんて何の用途もない廃墟が撤去されただけだが、それでもあの景色とそこで過ごした膨大な時間はもうないんだということに胸が疼く。君がそれを失ったとき、取り戻したくなるでしょう。サマーフィーリング、君は初めて気づく(「サマーフィーリング」by タイドプール)。俺は本当の自分を日本に置いてきたかもしれない。君をもっと日本で愛したいのかもしれない。夢みたいな日々と、美しい君。I love you baby、吉祥寺。I need you baby、調布基地。I want you baby、競馬場。三多摩が好き。
誰にもあるそんな気持ちを猪苗代湖ズは歌っているんだよ。それがたまたま、とてつもなく悲しい歌になっちまったんだ。
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■12/01/08(日) □ チケライ実験中
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チケットトゥライド Europe のヴァリアント(派生)ルールのテストプレイをやってみた。チケライ Euro は、そのゲーム内容の単純さ(もちろんすごく楽しい単純さ)に比してゲーム時間がやや長いと俺も萌も思っているので、2人で普通40分かかるのを20分にすると目標を立ててプレイ。
実験ヴァリアントルール(いずれも BoardGameGeek のフォーラムから)
《3枚取りルール》最初の手札7枚、場札は6枚を並べ各ターン3枚を取る→必要なトレインカードを揃える速度を理論上 1.5 倍にできる
《ロングチケット不使用ルール》ショートチケットのみ6枚配り、4枚をキープ→ロングチケットが通らないところを通り、交錯が増す(らしい)
でやってみると《3枚取りルール》はまったくまごつくことなく「1枚・2枚・3枚ね」と軽快スムーズに運用できる。余分な手札が増えかえってマネージメントに手こずるかなとも思ったが、場札選択肢の増大効果は思考と戦略を助ける方に働き、双方とも迷う時間が減っている。
チケライの難しさは必要な色がなかなか場札に出てこないときに生じるのだが、このルールでは常時3枚が入れ替わるし、場に何もないときでもデッキから3枚取れば、3/10 の確率で何がしか役に立つカードが入ってくる。機関車カードも同様に、場に出る率もデッキからブラインドで取れる率も上がるので、萌も俺もサクサクと必要カラーを揃え、通常よりハイパーな高速路線敷設合戦となった。
《ロングチケット不使用ルール》はショートチケットを組み合わせロンゲストルートを作るのが非常に重要な戦略となるので、最初のチケット選択にかなり悩む。結果として俺も萌も効能書き通り普段あまり通らないような面白いルートを通れ盛り上がったのだが、このルールに期待した『人数が少なくても交錯が増し、同一路線を奪い合い盛り上がる』という効果はまったくなかった。やはり普通のロングチケットがあったほうが達成時に盛り上がるなとも感じるし、こちらはとりあえずボツ。
【結果】いつも手札を余して負ける萌が手札もトレインもきれいに使い切り、45個全部をつなぐ完全ロンゲストルートを達成して13点差勝利。手札マネージメントがやや苦手な彼女にとっては、明らかにプラスに働く3枚取りルールである。アテネ→ペテログラード→エッセン→ベルリンという、ロングチケットがあったらまず見ないだろう珍しいロンゲスト&ループ完成で大拍手が起こり、久々にカメラを取り出し盤面を撮影するほどいいゲームだった。時間はちょうど30分で、3枚取りでゲームが短くなったかというと微妙だが、展開は大幅に軽く速くなり、フラストレーションが少ない爽快なゲームになったという印象。
◇
3枚取ることで手札マネージメントの難易度が大幅に下がるわけで、ゲームとしてはぬるくなる。しかし子供入りファミリーゲームとしてのチケライは、これくらいの重さでちょうどいいような気がする。チケライのゲーム性は
『①手札マネージメント』
『②ルートプランニングと実行』
にあり、3人プレイくらいだとどうやっても路線交錯が少ないのでルートプランニングの面白味がやや薄く、メインは手札マネージメントとなる。子供はひらめきや機転でプレイすることを喜ぶのだが、「欲しい色がない、困った」という手札詰まり状況はひらめきや機転で打開することが難しく、我慢と地道なマネージメント力が求められる。そういうプレイは子供にはあまり楽しめず上手にもできず、やる気を段々なくしてしまうわけである。
だからそこを軽くする3枚取りは子供に向いていると思う。ゲームの面白さが上がるわけではないが(ジレンマが減るので面白さ減と感じる人もいるだろう)、ままならなさは確実に下がり、軽快になるのだ。これで何度かやってみよう。ゲーム性を損なわず子供に勝つチャンスをもっと与えてやりたいけど、チケライではうまいハンデが思いつかないとずっと思ってたのだが、子供が苦手な手札マネージメントの難易度を下げれば、それだけで子供はちゃんとプランを立て勝負をかけてくるのであった。素晴らしい。
新鮮さを失ってきたゲームに新風を吹き込める、ボードゲームのヴァリアントルールは楽しい :-)。
2012/01/03
日記「年越し花火大会」
「本屋でプレゼント探し」「日中英語語彙の差」「渋谷系な甥っこ」ほか。
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■11/12/23(金) □ 本屋でプレゼント探し
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Mへのクリスマスプレゼントが思いつかず本屋をうろうろし、「マンガ」棚があったのでそうだ1つ優秀なマンガを読ませてみようと棚を物色したのだが、どれもこれも目の大きな少女マンガまたはボーイズラブ(?)風であった。こんなものは俺でも読む気がしない。日本で人気のマンガがそのまま翻訳輸出されてるのかなあ。妙にヘタな絵のほうに偏っているような気がする。もっと面白いマンガはいくらでもありそうなのに。
これは諦め、ボードゲームのガイドまたはカタログ本がないかと店員に尋ねてみたのだがなし。コインとか切手コレクションの本はあるのだが、そういう伝統趣味ほどボードゲームは普及してないのだろうか。それともネット時代に情報として本を買う人はいないのかな。興味のない人を啓蒙するにはネットより本が一番なのだが。カナダにはあのムックと呼ばれる写真本の類が、日本ほど豊富に売ってないようである。「ムック」という言葉自体通じるのかどうか不明で「ガイドブックかカタログブック」と店員には尋ねたのだが、英語として通じるんだろうか?
俺は東京時代は週何回か古本屋に通う程度の軽度の本好きだったが、日本語の本が手に入らないせいもあるが今や全然本を読まない。ネットで読むテキスト量は当時の書物テキスト量を上回ってさえいるかもしれないが、小説などを読むのと各種雑文を読むのとでは頭脳負荷が違うので、やっぱり低きに流れているという自覚はある。音や映像は外国に住んでいてもネット経由でこちらの知覚圏内に飛び込んできてくれるが、面白い本は本屋という現場をぶらつかない限り、偶然やってきてはくれないのだよなあ。そんなことを考える久しぶりの本屋であった。結局何も買うものなし。
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■11/12/25(日) □ 日中英語語彙の差
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クリスマス。萌は大物プレゼントは特になく、皮のブーツ、ジーンズなどおしゃれ製品でエキサイトし、俺が買ったペンシルシャープナーや日本のイトコが送ってくれたマンガ「りぼん」で微笑という感じ。「りぼん」には「姉カワスカーフ」という付録がついていた。お姉さんっぽくてカワイイということだろう。あと、髪の毛を「盛る」というページもあった。日本の流行語は英語よりずっと多く流行速度が高いと思う。
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お客で来ていた中国出身のYさんの話を聞いていて、カナダにもう3~4年も住んでいるはずのYさんの英語語彙が相変わらず少ないことに気づく。「アンティーク」という言葉を知らないのには、文化現象として驚いた。英語を覚えたいという日本の人に俺はいつも、「日本人はガラスやコップに始まりすごい量の英単語をすでに知ってるので、その英語式発音を覚えればたちまち豊富な英語彙が身につく」と励ましているのだが、中国人にはその法則が通用しないのかもしれない。
これは中国が異文化からいかに分離されてるかということなのかな。実際たとえば中国人はコーヒーを飲まないので中華モールにはコーヒー屋がないし、Yさんのご両親は洋食を食べないそうである。そして横文字が通じない。つまり「カーネーション」のおとうちゃんくらいの「洋化」度合いだと思うとイメージしやすい(笑)。
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■11/12/26(月) □ 渋谷系な甥っこ
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SH家のクリスマス。夏に3週間日本に行っていたという高校生の甥ERとやっと会えた。ERは気合の入ったスケートボーダーで、代々木や新横浜で滑ってるスケートボーダーの友達のところに厄介になっていたそうで(そいつがカナダのERの高校に留学しており、夏にERを連れて帰省していたわけ)、渋谷系ボーダーたちのまっただ中にいたわけだ。日本では有名なボーダーとも仲良くなれたし、めちゃくちゃ楽しかった、また行きたい、1年くらい住みたいと言っていた。そういう奴らの生活は、バイトしながらバンドやってた俺なんかと同じだろう。生活は苦しくても、そりゃ楽しいだろうさ。若いってすばらしい。
でERはビデオカメラも趣味だそうで、自分が撮ったビデオをうまく編集したクリップを iPhone 上で見せてくれた。渋谷のセンター街とかが写っている。なるほどねえとしばらく見ていて、あれ、BGM ははっぴいえんどの「いらいら」じゃんと気づいた。そうそう、友達がこのバンドを好きで、僕も好きになったんだとERはいう。そうかー。―――「いやあお前の友達はみんなちんたらバイトして後は遊んで暮らしてるんだろうが、センスはいいよ。見どころあるよ」と肩を叩いておいた。
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■11/12/29(木) □ 最新ゲームに興奮
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年末は家族行事ばかりで年内萌が友だちと遊べる日は今日しかないので、提案してALのところへ行かせてやる。するとクリスマスホリデイらしくパジャマ姿のお母さんがゲームコントローラを持ったまま玄関に出てきた。ちょ、そりゃなんすか、ワイヤレスですかと俺が驚くとゲーマーを自認するお母さんが喜んで、Xbox なのよちょっと見ていく? と招き入れてくれた。
こんな感じ。うらやましい冒険。
そんじゃあ最新ゲームがどんなもんなのかちょっくら拝見させて下さいよどっこいしょと上がらせてもらい眺めると、彼女がやってるのは美麗なアクション RPG だった。架空の中世世界が遥か彼方の霞む遠方まで続いている。うわー気持ちいー。PS3 のほうがグラフィックはもっといいのよとお母さんはいう。いやー僕はそりゃ日本人だから昔は普通にゲームシーンを追ってたけれど、2000 年以降は全然知らないんだからこれでも十分すごいすよ。すごい。
ゲームマシンも今は安いのよとゲーマーお母さんは力説する。うちのは 4GB だから $199、後から必要になったら外部 HDD も足せるし、云々。まあ確かにこの性能で昔のゲーム機と似たような値段だから高いとは思わないが、ゲーム自体がいまだにあまり安くなってないようである。iPad 用ボードゲームは \600 だとかとんでもなく安くなってるそうなのだが、あれはプログラム自体がシンプルなものだからなのかな。ゲーム全体がこの値段になるか、日本みたいに中古市場が活発になり安くならないと、ビンボーな俺はカナダでゲーマーにはなれないなと思う。
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■11/12/31(土) □ 年越し花火大会
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大晦日の支度をしながら紅白歌合戦 2011 を見る(感想はこちら)。胸に迫るもののある、いいショーだった。泣き顔を家族に見られないようコソコソ隠れて見てました。
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そばと天ぷらでお年越しをして、夜萌の中学の校庭の年越し花火大会へ。これは毎年恒例らしい。萌を連れ俺自身も初めてカナダの大晦日に夜中に出たのだが、学校近隣の住民が数百人ほど集まりダンスミュージックも大音量で流れていて、ちょっと気持ちが浮き立った。日本の神社お寺ほどの賑わいではないけれど、初詣みたいじゃん。いいぞいいぞ。
花火もライセンスを持つ卒業生(?)がカンパを集め、本格的なものを百発ほども打ち上げてくれ、思ったよりもずっと立派だった。打ち上げ機はわずか 50m 先で、これほどの至近距離で花火の打ち上げを見るというのはなかなかなく、煙で目が痛くなる。さらには花火の燃えかすが漂ってきたらしく目に入り痛かった。
花火の前後萌はSYのところで友達と遊ばせてもらい、迎えに行った俺も招かれて中に入る。ガラッパチで感じのいいSYお母さんの家らしく、そこら中が散らかっていて居心地のよい家であった。
年に一度の夜中の狂騒に盛り上がるキッズを待ちながら話をし、このうちにはハムスターがいると聞いたんだけどと尋ねると、ハムスターを小屋から出してくれ遊ばせてくれた。しつけると人間に慣れまったく噛んだりしなくなり、小屋から脱出して人のいるベッドルームに来て餌をくれと声を立てたりするという。散歩させることすらできるのだという。ハムスターってそんなに人に慣れるのかー。いいなあ。うちのイモリたちも最近はいつも活動してくれて見ててとても楽しいけれど、両生類を手にとって遊ぶことはできないからな(人間の体温はイモリには灼熱地獄だという説がある)。
萌は花火の場でもここでも友達と騒ぐのに夢中で、俺に寄ってきやしない(笑)。まあ友達といたら親なんか邪魔なだけなんだろう。今日ここに連れてきてやれて本当によかったと思った。ホリデーシーズンって本当に家族行事ばかりで(各種クリスマスパーティだけで3日、その準備で2日潰れた)、子供は冬休み中意外と友達と遊べず、かわいそうなのである。1時過ぎまで遊んで帰宅。いい年の暮れであった。ありがとう、ガラッパチなSYお母さん。
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■11/12/23(金) □ 本屋でプレゼント探し
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Mへのクリスマスプレゼントが思いつかず本屋をうろうろし、「マンガ」棚があったのでそうだ1つ優秀なマンガを読ませてみようと棚を物色したのだが、どれもこれも目の大きな少女マンガまたはボーイズラブ(?)風であった。こんなものは俺でも読む気がしない。日本で人気のマンガがそのまま翻訳輸出されてるのかなあ。妙にヘタな絵のほうに偏っているような気がする。もっと面白いマンガはいくらでもありそうなのに。
これは諦め、ボードゲームのガイドまたはカタログ本がないかと店員に尋ねてみたのだがなし。コインとか切手コレクションの本はあるのだが、そういう伝統趣味ほどボードゲームは普及してないのだろうか。それともネット時代に情報として本を買う人はいないのかな。興味のない人を啓蒙するにはネットより本が一番なのだが。カナダにはあのムックと呼ばれる写真本の類が、日本ほど豊富に売ってないようである。「ムック」という言葉自体通じるのかどうか不明で「ガイドブックかカタログブック」と店員には尋ねたのだが、英語として通じるんだろうか?
俺は東京時代は週何回か古本屋に通う程度の軽度の本好きだったが、日本語の本が手に入らないせいもあるが今や全然本を読まない。ネットで読むテキスト量は当時の書物テキスト量を上回ってさえいるかもしれないが、小説などを読むのと各種雑文を読むのとでは頭脳負荷が違うので、やっぱり低きに流れているという自覚はある。音や映像は外国に住んでいてもネット経由でこちらの知覚圏内に飛び込んできてくれるが、面白い本は本屋という現場をぶらつかない限り、偶然やってきてはくれないのだよなあ。そんなことを考える久しぶりの本屋であった。結局何も買うものなし。
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■11/12/25(日) □ 日中英語語彙の差
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クリスマス。萌は大物プレゼントは特になく、皮のブーツ、ジーンズなどおしゃれ製品でエキサイトし、俺が買ったペンシルシャープナーや日本のイトコが送ってくれたマンガ「りぼん」で微笑という感じ。「りぼん」には「姉カワスカーフ」という付録がついていた。お姉さんっぽくてカワイイということだろう。あと、髪の毛を「盛る」というページもあった。日本の流行語は英語よりずっと多く流行速度が高いと思う。
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お客で来ていた中国出身のYさんの話を聞いていて、カナダにもう3~4年も住んでいるはずのYさんの英語語彙が相変わらず少ないことに気づく。「アンティーク」という言葉を知らないのには、文化現象として驚いた。英語を覚えたいという日本の人に俺はいつも、「日本人はガラスやコップに始まりすごい量の英単語をすでに知ってるので、その英語式発音を覚えればたちまち豊富な英語彙が身につく」と励ましているのだが、中国人にはその法則が通用しないのかもしれない。
これは中国が異文化からいかに分離されてるかということなのかな。実際たとえば中国人はコーヒーを飲まないので中華モールにはコーヒー屋がないし、Yさんのご両親は洋食を食べないそうである。そして横文字が通じない。つまり「カーネーション」のおとうちゃんくらいの「洋化」度合いだと思うとイメージしやすい(笑)。
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■11/12/26(月) □ 渋谷系な甥っこ
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SH家のクリスマス。夏に3週間日本に行っていたという高校生の甥ERとやっと会えた。ERは気合の入ったスケートボーダーで、代々木や新横浜で滑ってるスケートボーダーの友達のところに厄介になっていたそうで(そいつがカナダのERの高校に留学しており、夏にERを連れて帰省していたわけ)、渋谷系ボーダーたちのまっただ中にいたわけだ。日本では有名なボーダーとも仲良くなれたし、めちゃくちゃ楽しかった、また行きたい、1年くらい住みたいと言っていた。そういう奴らの生活は、バイトしながらバンドやってた俺なんかと同じだろう。生活は苦しくても、そりゃ楽しいだろうさ。若いってすばらしい。
でERはビデオカメラも趣味だそうで、自分が撮ったビデオをうまく編集したクリップを iPhone 上で見せてくれた。渋谷のセンター街とかが写っている。なるほどねえとしばらく見ていて、あれ、BGM ははっぴいえんどの「いらいら」じゃんと気づいた。そうそう、友達がこのバンドを好きで、僕も好きになったんだとERはいう。そうかー。―――「いやあお前の友達はみんなちんたらバイトして後は遊んで暮らしてるんだろうが、センスはいいよ。見どころあるよ」と肩を叩いておいた。
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■11/12/29(木) □ 最新ゲームに興奮
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年末は家族行事ばかりで年内萌が友だちと遊べる日は今日しかないので、提案してALのところへ行かせてやる。するとクリスマスホリデイらしくパジャマ姿のお母さんがゲームコントローラを持ったまま玄関に出てきた。ちょ、そりゃなんすか、ワイヤレスですかと俺が驚くとゲーマーを自認するお母さんが喜んで、Xbox なのよちょっと見ていく? と招き入れてくれた。
こんな感じ。うらやましい冒険。
ゲームマシンも今は安いのよとゲーマーお母さんは力説する。うちのは 4GB だから $199、後から必要になったら外部 HDD も足せるし、云々。まあ確かにこの性能で昔のゲーム機と似たような値段だから高いとは思わないが、ゲーム自体がいまだにあまり安くなってないようである。iPad 用ボードゲームは \600 だとかとんでもなく安くなってるそうなのだが、あれはプログラム自体がシンプルなものだからなのかな。ゲーム全体がこの値段になるか、日本みたいに中古市場が活発になり安くならないと、ビンボーな俺はカナダでゲーマーにはなれないなと思う。
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■11/12/31(土) □ 年越し花火大会
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大晦日の支度をしながら紅白歌合戦 2011 を見る(感想はこちら)。胸に迫るもののある、いいショーだった。泣き顔を家族に見られないようコソコソ隠れて見てました。
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そばと天ぷらでお年越しをして、夜萌の中学の校庭の年越し花火大会へ。これは毎年恒例らしい。萌を連れ俺自身も初めてカナダの大晦日に夜中に出たのだが、学校近隣の住民が数百人ほど集まりダンスミュージックも大音量で流れていて、ちょっと気持ちが浮き立った。日本の神社お寺ほどの賑わいではないけれど、初詣みたいじゃん。いいぞいいぞ。
花火もライセンスを持つ卒業生(?)がカンパを集め、本格的なものを百発ほども打ち上げてくれ、思ったよりもずっと立派だった。打ち上げ機はわずか 50m 先で、これほどの至近距離で花火の打ち上げを見るというのはなかなかなく、煙で目が痛くなる。さらには花火の燃えかすが漂ってきたらしく目に入り痛かった。
花火の前後萌はSYのところで友達と遊ばせてもらい、迎えに行った俺も招かれて中に入る。ガラッパチで感じのいいSYお母さんの家らしく、そこら中が散らかっていて居心地のよい家であった。
年に一度の夜中の狂騒に盛り上がるキッズを待ちながら話をし、このうちにはハムスターがいると聞いたんだけどと尋ねると、ハムスターを小屋から出してくれ遊ばせてくれた。しつけると人間に慣れまったく噛んだりしなくなり、小屋から脱出して人のいるベッドルームに来て餌をくれと声を立てたりするという。散歩させることすらできるのだという。ハムスターってそんなに人に慣れるのかー。いいなあ。うちのイモリたちも最近はいつも活動してくれて見ててとても楽しいけれど、両生類を手にとって遊ぶことはできないからな(人間の体温はイモリには灼熱地獄だという説がある)。
萌は花火の場でもここでも友達と騒ぐのに夢中で、俺に寄ってきやしない(笑)。まあ友達といたら親なんか邪魔なだけなんだろう。今日ここに連れてきてやれて本当によかったと思った。ホリデーシーズンって本当に家族行事ばかりで(各種クリスマスパーティだけで3日、その準備で2日潰れた)、子供は冬休み中意外と友達と遊べず、かわいそうなのである。1時過ぎまで遊んで帰宅。いい年の暮れであった。ありがとう、ガラッパチなSYお母さん。
2012/01/01
紅白歌合戦2011感想 - このとんでもない年の最後の1曲
【紅白歌合戦 2011 感想】司会者に対するきゃーという絶叫オープニングで違和感と共に始まる。なでしこジャパンが登場、ステージ上に顔見知りがたくさんいるらしくはしゃいでいる。元旦の試合前夜にここに登場することがちょっと問題視されているが、女の子たちにこれは断れんだろう。
《AKB48》AKB って補欠がいるのか、200 人くらいいますよ。後から後から湧きでてくる。(後から考えると AKB はこの出番以外は特に出てこなかったので、NHK にしては抑制が効いていてよかった)《芦田愛菜》ディズニーって NHK に出ていいのかな?
《猪苗代湖ズ》バンドがそこにいるのになんで別の場所にいる福山雅治に喋らせるのか。山口隆が誰なのかくらい紹介したらどうなんだ。まあ歌えればいい。歌え山口。―――歌った。というかライブ直後なのか声が出なくて吠えた。泣けた。
《ラルクアンシエル》外タレみたい。まったく悪くないが、場違い感は全出場者中いちばん高いかもしれない。
《椎名林檎》糸子が出てる(笑)。椎名林檎は元気な曲をと頼まれて、それでも切実なドラマだし今年は大変な年であるということでこの(陰影のある)曲を書いたとのこと。えらい。―――あ2曲歌うんだ。おお2曲目はショーっぽい曲を選び楽しい演出をつけて歌っている。えらい。英語詞まで入ってるぞ、なんたるエンタテイナー。ラルクアンシエルと正反対のやり方だ。ラルクは昔 TV に出るのを拒否したフォーク歌手式で、椎名林檎は「一等賞」を目指した沢田研二式ですね。ここに来るならば知らない人に歌を届かせなければ意味がない。椎名式が正解である。
《KARA》アイドルはこうして5人もいれば十分足りそうなのに、なんで日本のアイドルは48人(しかもそういうのがさまざまなバリエーションで存在するらしい)と極端に増量するんだろう。《徳永英明》この人がこうして売れているなら、ハスキーでキーが高ければ誰でもいいのではないかと思う。
《Perfume》ダンスがキレキレ。KARA と並べて日韓ダンス対決にすればよかったのに。しかし紅白のだだっ広い場所でやるとレーザーと電飾と3人のキレキレダンスだけでは案外殺風景に感じる。昨日見た広大なドームコンサート映像と比べても。紅白の舞台というのは盛り上げるのがすごく難しい場所なんだろう。それを読みきってハリウッドショービジネス式で盛り立てた椎名林檎はえらかった。
《少女時代》名前に反し少女に見えんし、音楽的には非常に古いディスコポップ風。国籍云々ではなく、音楽としてなんでこれが売れるのかさっぱりわからない。
《郷ひろみ》のほうが AKB よりも Jpop よりも韓ポップよりもはるかに新しい音楽をやっている。あの NEO の主題歌は、布袋がギターを弾いてるのかと思うくらいモダンである。――あほんとに作詞作曲布袋寅泰だ。すごい! 郷ひろみは心身ともに頑張って、ブランニューサウンド追求オタクである布袋寅泰さえも巻き込み新しい音楽を創り出しており、秋元康は新しさとは無縁の、おニャン子クラブ時と同じ商売をしている。若さと美貌と青春という、尽きることのないもともと他人の資産を使うからこんなことができる。永久機関である。
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《倖田來未》オフコースが同名の「愛を止めないで」という歌を出したとき、おっ新しい、今までになかった言葉と音だと思ったものである。現代 Jpop にはこの新しさが欠けている。大衆は新しさなど求めていないのだとは思うが、やる側もまるで新しいものをやりたくなさそうなのが不思議。
《東方神起》Perfume を研究した感じがする(前に見たときはジャニーズダンスと何も変わらなかったので)高速キレキレダンスをし、日本語でラップみたいなことをやっている。品質とスペックが他より高く、こりゃ売れるわ韓国車という感じ。EXILE より数段品質がいいのは間違いない。
《レディーガガ 》ピアノを弾きながら手拍子を入れ筐体を叩き歌う。かっこいい。「トーキョーバーに座って」「私のトーキョーガイ」などの歌詞が入っていて歌の意味がわからなかったのだが、原詞を見たら my bar/Nebraska guy で、意味不明になってもいいから挿入可能なところに日本地名を入れたおもてなしサービスなのだった。いい人(笑)。
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《西田敏行》あ、なんだよ、ここにいるなら猪苗代湖ズに飛び入りで歌ってくれたらよかったのに。あ、自分も福島の歌をここで歌うのか。それで飛び入りは自重したのか。だったら出番を逆にして、先に西田敏行を歌わせ、猪苗代湖ズを後から出せばよかったのに。いっそ猪苗代湖ズをオオトリにすればよかったのに。今年、あれ以上に日本人が心を合わせられる歌はないだろう。ヒットとか知名度とか関係ないよ。序列とか伝統も関係ない。
《長渕剛》この人はボクサーと腹筋を叩き合うなんてことをこないだやっていたが、喋り方とかMKやギターの構え方が、もはやシンガーというより「サラリーマン金太郎」だと思う。
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《和田アキ子》娘の友達のチャイニーズおばあちゃんが和田アキ子に似てるといま気がついた。いい歌で毎回文句ない歌唱だけど、この歌をここで歌うかという新鮮さがもうなさすぎる。紅白とはそれを含めての勝負、それを含めての「歌の力」ではないだろうか。自分の持ち歌でなくても構わないのに。
《五木ひろし》和田アキ子と同じく毎回同じ歌なのだが、「ふるさと」という歌には「あの鐘を」より単純な、失われた故郷へのオマージュにつながりやすい柔らかなイメージがある。《松田聖子》カバーをやるのはいいのだが、「上を向いて歩こう」を普通に歌われても別に面白くもなかった。
《氷川きよし》この歌は明らかにメキシコがテーマなんだろうが、衣装とイントロ以外はどこにもメキシコ要素はないw 演歌って60~70年代歌謡曲やプロレスみたいなノリがあって、お客が楽しめればOKなんだろうな。
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《松任谷由実》出演者全員が出てきて、客席も一緒に「春よこい、早くこい」と歌う。本日二度目の涙が出た。そうだよ、春よこい、おんもに出たいと日本は泣いているんだよ。彼女は年をとってから喉の使い方を変え、若い頃より声量が増し声が安定している。それでもひとより下手なので必死に歌う。その必死さが願いを震わせる。彼女がここに出てきた意味がよくわかった。
この紅白恒例「全員出てきて応援歌唱」で感動したのは初めてだ。松任谷由実の歌唱力でこの場を持たすには助けが必要だが、同じメロディでサポートするんじゃなくてオーバーラップして、それも生声で会場全体が歌うことで、歌は新たなものを生み出したのである。
《SMAP》最後は SMAP の皆さんですと紹介されても歓声がさほど起こらないのは、あまりにも完璧な石川さゆりの後にあれを聞いて終わるのかよと彼らのファンでさえもあまり気乗りしなかったのではなかろうか。でも陽気な2曲目はよかった。嵐の司会はただただ地味でグループとしても華に欠け、盛り上げるという仕事は SMAP のほうがうまいんだなとこれを見て思った。
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赤組勝利で松任谷由実がおめでとうと大拍手していたw しかしラルク vs 水森かおり、和田アキ子 vs 対嵐みたいなセットになってたから、紅白って芸風が似た感じの男女歌手が対決するというショーではなくなってるのね。これでどうやって勝ち負けなど投票できるのか皆目わからない。MVP は自分の持ち味のまま最高の紅白エンターテイメントをやってみせた椎名林檎さんでしょう。
猪苗代湖ズはライブの直後だったのか声が出ず吠えてたせいもあり、人によってはうるさい下手だと不評だったようだけど、まあ箭内さんなんて玄人ですらないんだから、いわばアイドルと同じなんすよ。大切なことは巧拙じゃないんですよ。
紅白というのはお互いに相容れないものが一同に会し多くの人々に見られることに意味があるので、猪苗代湖ズはあの場所に立ち、あの顔で演奏してくれてよかった。箭内さんはあの顔と下手歌声で立派に貢献してました。椎名林檎のように総合格闘家として強い人はこういう場でなんでもやれ楽しみ楽しませることができるが、山口隆は正拳突きしかできん空手家みたいなミュージシャンだから、手が合わない人は当然いる。
しかし、多くの歌手は完璧な歌と技量を見せたが、このとんでもない年の、今日が終わりの日の最後の1曲という意味性を持った歌ではなかった。猪苗代湖ズはその意味でど真ん中ストライクの歌でもって、松任谷由実は With a Little Help From (Her) Friends によって俺をボロボロにしてくれたのである。本当にとんでもない年の、今日が終わりの日の、胸に迫るもののあるショーだった。泣き顔を家族に見られないようコソコソ隠れて見てました。
《AKB48》AKB って補欠がいるのか、200 人くらいいますよ。後から後から湧きでてくる。(後から考えると AKB はこの出番以外は特に出てこなかったので、NHK にしては抑制が効いていてよかった)《芦田愛菜》ディズニーって NHK に出ていいのかな?
《猪苗代湖ズ》バンドがそこにいるのになんで別の場所にいる福山雅治に喋らせるのか。山口隆が誰なのかくらい紹介したらどうなんだ。まあ歌えればいい。歌え山口。―――歌った。というかライブ直後なのか声が出なくて吠えた。泣けた。
「紅白直前スペシャル」という番組がテープに残っていて後で見たら、猪苗代湖ズの紹介に時間が割かれていた。◆山口隆「皆さんも自分のふるさとの向こうに福島のことを思ってくださったら、この歌が、ロックンロールがやれた意味があるかなと思うので」。猪苗代湖ズの出番に福山雅治なんて出さずこの言葉を紹介していたら、この歌が届かなかった心にも届いたかもしれない。ああたれか故郷を思わざる(故郷を想わない人はいない)。福山雅治は支援の話をしているが、山口隆が歌ってるのはただ焼け付くような気持ちなんだ。◆「♪アイラブユーベイビー浜通り、アイニージューベイビー中通り、アイワンチューベイビー会津地方」だけで、俺にはいろんな人の気持ちが届きまくり、胸を貫通していく。たれか故郷を思わざる。それが歌なんだ。
《ラルクアンシエル》外タレみたい。まったく悪くないが、場違い感は全出場者中いちばん高いかもしれない。
《椎名林檎》糸子が出てる(笑)。椎名林檎は元気な曲をと頼まれて、それでも切実なドラマだし今年は大変な年であるということでこの(陰影のある)曲を書いたとのこと。えらい。―――あ2曲歌うんだ。おお2曲目はショーっぽい曲を選び楽しい演出をつけて歌っている。えらい。英語詞まで入ってるぞ、なんたるエンタテイナー。ラルクアンシエルと正反対のやり方だ。ラルクは昔 TV に出るのを拒否したフォーク歌手式で、椎名林檎は「一等賞」を目指した沢田研二式ですね。ここに来るならば知らない人に歌を届かせなければ意味がない。椎名式が正解である。
《KARA》アイドルはこうして5人もいれば十分足りそうなのに、なんで日本のアイドルは48人(しかもそういうのがさまざまなバリエーションで存在するらしい)と極端に増量するんだろう。《徳永英明》この人がこうして売れているなら、ハスキーでキーが高ければ誰でもいいのではないかと思う。
《Perfume》ダンスがキレキレ。KARA と並べて日韓ダンス対決にすればよかったのに。しかし紅白のだだっ広い場所でやるとレーザーと電飾と3人のキレキレダンスだけでは案外殺風景に感じる。昨日見た広大なドームコンサート映像と比べても。紅白の舞台というのは盛り上げるのがすごく難しい場所なんだろう。それを読みきってハリウッドショービジネス式で盛り立てた椎名林檎はえらかった。
《少女時代》名前に反し少女に見えんし、音楽的には非常に古いディスコポップ風。国籍云々ではなく、音楽としてなんでこれが売れるのかさっぱりわからない。
《郷ひろみ》のほうが AKB よりも Jpop よりも韓ポップよりもはるかに新しい音楽をやっている。あの NEO の主題歌は、布袋がギターを弾いてるのかと思うくらいモダンである。――あほんとに作詞作曲布袋寅泰だ。すごい! 郷ひろみは心身ともに頑張って、ブランニューサウンド追求オタクである布袋寅泰さえも巻き込み新しい音楽を創り出しており、秋元康は新しさとは無縁の、おニャン子クラブ時と同じ商売をしている。若さと美貌と青春という、尽きることのないもともと他人の資産を使うからこんなことができる。永久機関である。
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《倖田來未》オフコースが同名の「愛を止めないで」という歌を出したとき、おっ新しい、今までになかった言葉と音だと思ったものである。現代 Jpop にはこの新しさが欠けている。大衆は新しさなど求めていないのだとは思うが、やる側もまるで新しいものをやりたくなさそうなのが不思議。
《東方神起》Perfume を研究した感じがする(前に見たときはジャニーズダンスと何も変わらなかったので)高速キレキレダンスをし、日本語でラップみたいなことをやっている。品質とスペックが他より高く、こりゃ売れるわ韓国車という感じ。EXILE より数段品質がいいのは間違いない。
《レディーガガ 》ピアノを弾きながら手拍子を入れ筐体を叩き歌う。かっこいい。「トーキョーバーに座って」「私のトーキョーガイ」などの歌詞が入っていて歌の意味がわからなかったのだが、原詞を見たら my bar/Nebraska guy で、意味不明になってもいいから挿入可能なところに日本地名を入れたおもてなしサービスなのだった。いい人(笑)。
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《西田敏行》あ、なんだよ、ここにいるなら猪苗代湖ズに飛び入りで歌ってくれたらよかったのに。あ、自分も福島の歌をここで歌うのか。それで飛び入りは自重したのか。だったら出番を逆にして、先に西田敏行を歌わせ、猪苗代湖ズを後から出せばよかったのに。いっそ猪苗代湖ズをオオトリにすればよかったのに。今年、あれ以上に日本人が心を合わせられる歌はないだろう。ヒットとか知名度とか関係ないよ。序列とか伝統も関係ない。
《長渕剛》この人はボクサーと腹筋を叩き合うなんてことをこないだやっていたが、喋り方とかMKやギターの構え方が、もはやシンガーというより「サラリーマン金太郎」だと思う。
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《和田アキ子》娘の友達のチャイニーズおばあちゃんが和田アキ子に似てるといま気がついた。いい歌で毎回文句ない歌唱だけど、この歌をここで歌うかという新鮮さがもうなさすぎる。紅白とはそれを含めての勝負、それを含めての「歌の力」ではないだろうか。自分の持ち歌でなくても構わないのに。
《五木ひろし》和田アキ子と同じく毎回同じ歌なのだが、「ふるさと」という歌には「あの鐘を」より単純な、失われた故郷へのオマージュにつながりやすい柔らかなイメージがある。《松田聖子》カバーをやるのはいいのだが、「上を向いて歩こう」を普通に歌われても別に面白くもなかった。
《氷川きよし》この歌は明らかにメキシコがテーマなんだろうが、衣装とイントロ以外はどこにもメキシコ要素はないw 演歌って60~70年代歌謡曲やプロレスみたいなノリがあって、お客が楽しめればOKなんだろうな。
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《松任谷由実》出演者全員が出てきて、客席も一緒に「春よこい、早くこい」と歌う。本日二度目の涙が出た。そうだよ、春よこい、おんもに出たいと日本は泣いているんだよ。彼女は年をとってから喉の使い方を変え、若い頃より声量が増し声が安定している。それでもひとより下手なので必死に歌う。その必死さが願いを震わせる。彼女がここに出てきた意味がよくわかった。
この紅白恒例「全員出てきて応援歌唱」で感動したのは初めてだ。松任谷由実の歌唱力でこの場を持たすには助けが必要だが、同じメロディでサポートするんじゃなくてオーバーラップして、それも生声で会場全体が歌うことで、歌は新たなものを生み出したのである。
《SMAP》最後は SMAP の皆さんですと紹介されても歓声がさほど起こらないのは、あまりにも完璧な石川さゆりの後にあれを聞いて終わるのかよと彼らのファンでさえもあまり気乗りしなかったのではなかろうか。でも陽気な2曲目はよかった。嵐の司会はただただ地味でグループとしても華に欠け、盛り上げるという仕事は SMAP のほうがうまいんだなとこれを見て思った。
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赤組勝利で松任谷由実がおめでとうと大拍手していたw しかしラルク vs 水森かおり、和田アキ子 vs 対嵐みたいなセットになってたから、紅白って芸風が似た感じの男女歌手が対決するというショーではなくなってるのね。これでどうやって勝ち負けなど投票できるのか皆目わからない。MVP は自分の持ち味のまま最高の紅白エンターテイメントをやってみせた椎名林檎さんでしょう。
猪苗代湖ズはライブの直後だったのか声が出ず吠えてたせいもあり、人によってはうるさい下手だと不評だったようだけど、まあ箭内さんなんて玄人ですらないんだから、いわばアイドルと同じなんすよ。大切なことは巧拙じゃないんですよ。
紅白というのはお互いに相容れないものが一同に会し多くの人々に見られることに意味があるので、猪苗代湖ズはあの場所に立ち、あの顔で演奏してくれてよかった。箭内さんはあの顔と下手歌声で立派に貢献してました。椎名林檎のように総合格闘家として強い人はこういう場でなんでもやれ楽しみ楽しませることができるが、山口隆は正拳突きしかできん空手家みたいなミュージシャンだから、手が合わない人は当然いる。
しかし、多くの歌手は完璧な歌と技量を見せたが、このとんでもない年の、今日が終わりの日の最後の1曲という意味性を持った歌ではなかった。猪苗代湖ズはその意味でど真ん中ストライクの歌でもって、松任谷由実は With a Little Help From (Her) Friends によって俺をボロボロにしてくれたのである。本当にとんでもない年の、今日が終わりの日の、胸に迫るもののあるショーだった。泣き顔を家族に見られないようコソコソ隠れて見てました。
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