2012/09/30

日記「初めての日本語ワークショップ」

「丘の上で米欧ゲームを思う」「欧米の説明書」「画伯復活の兆し」「あやつり人形実戦」「あやつり人形@ホーム」

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■12/09/15(土) □ 初めての日本語ワークショップ
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 今日は初めての日本語勉強会。俺が先生となり、萌とLちゃん(共に12歳中2、日本語会話は完璧だが語彙と読み書き力が小学校低学年レベル)に教えることになる。初回の手応えはなかなかよかった。

 時間割としては最初の1時間は一緒に JLPT(外国人向け日本語検定)問題集をやり、後はそれぞれの語彙ビルド課題をやるという感じ。JLPT の何がいいかというと、日本の国語教科書を使い漢字ドリルをやる(――つまり日本の伝統国語教育法を踏襲する――)日本人子弟向け日本語学校と違い、『漢字が書けなくても見て意味がわかれば OK(テストの回答は常に4択)』というユルい方針で、外国人向けにより生活用語方面に即した学習要素が組まれていることである。

今日やったのはポスターを見て情報を読み取るという課題で、これはクイズだから子供にも楽しいに決まっている。このクイズに答えつつ、「夏物」「最終」「雑貨」とはなにかとトピックにまつわる用語を拾い解説し、必要に応じノートを作らせていった。こういう題材は長い文章が続く国語教科書よりも楽しいし、シチュエーションに言葉が織り込まれているので記憶しやすい。これがつまりうちのM先生が専門のグローバルエデュケーション(総合・複合・寄り道をキモとする教育思想)だろう。

 考えてみれば国語教科書のように文芸作品などの抜粋を使い長文読解する英語学習テキストなんて俺は使ったことがないわけで、あんな高度なものを外国で暮らす子供の日本語学習に使うのは相当に無理があると思う。もっと早くこっちに気づけばよかったと思っている。



 言語学習はやったことを記憶に定着させるのが難しいわけだが、それは作った単語ノート(一覧)とテキスト(文脈)をクロスリファレンスとして使い、何度もレビューさせるしかないだろうな。一覧や単語カードだけで丸暗記なんてできないが、文脈があれば覚えられる。この併用のコツを子供の身につけさせたいわけである。このノート作りはやりながら手探り即興でやってみた学習法だが、要は俺が英語を自習したのと同じことをやっぱりやっているなと思った。

 萌に集中力がないのが弱りものだったが、まあこれは人の家に来ているという高揚感もあるかもしれん。それに家で俺と2人だけでやっていたらもっと集中せずただケンカになるだけなので、こうしてワークショップ仕立てにする意義は大きい。

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 MK がボードゲームを大量に買ったとの知らせ。なにを買ったのよとワクワクして聞いてみたら、

Miskatonic School for Girls (ミニスカトニック女学院)
Yggdrasil (ユグドラシル)
Betrayal at the House on the Hill (丘の上の裏切者の館)

 1つも知らん(笑)。つまり日本で話題になるようなドイツなゲームではないらしい。どうもやつの行くゲーム屋にはユーロなゲームはあまり入ってこないようだ。きっと世界のボードゲームはドイツ系とアメリカ系に大分できて、日本は前者、カナダは後者に属するんだろうな。アメリカ系はパラメータが細かくあってルールが複雑で+-表を参照しながらやるイメージで、食指が進まない。実際ボードゲーム開眼時にそういうゲームに当たっていたら、俺は「まあこういうのもあるだろうね」くらいで興奮してなかったと思う。

 セールで一気買いしたとのことでこの他にもあるらしく、明日のゲーム会ではお化け屋敷的から逃げ惑うという「丘の上の裏切者の館」をやってみたいと発注しておいた。

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■12/09/16(日) □ 丘の上で米欧ゲームを思う
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MK 家ゲーム会に行きたかったのだが、4時までずっとMと庭仕事。ゲーム会の最後だけ参加し、「丘の上の裏切者の館 (Betrayal at the House on the Hill) 」をプレイした。お化け屋敷に迷い込んだ冒険者たちが出口を求めさまよう TRPG(テーブルトーク RPG)系ゲームである。冒険者の1つ1つに微妙な能力とひとクセある容貌のフィギュアがついている。微細画で描かれたタイルを引いて置くことで新たな展開を持つ部屋が次々に開かれていくのは実に魅力的で、その部屋に入ることによってイベントカードが引かれ、敵が襲ってくるとか落とし穴に落ちるといったイベントが発生するわけ。

 中盤俺が裏切り者にノミネートされ(くじ引き的な強制)、すると「裏切りの書」を持って別室に行きそれを読まされるというのがおかしかった。この書に書かれた裏切り行動要領と勝利条件に則り冒険者たちの邪魔をするわけである。俺がそれを読んでいる間に、残りメンバーも冒険者側の勝利条件を話し合うという段取り。なるほど。

 このお邪魔者役の仕事は「呪いのミイラ」のミイラ役のようで、「そっちか今行く待っておれー(コロコロ)」とサイコロを転がし冒険者を追い詰め、超たのしかった。結局退治され負けたが。



 Web で読んだ説明から想像と期待した通りのゲームで面白かったが、しかしこうした TRPG 系は不可避的に

「敵パラメータの○○が3だからサイコロ3個を振って、自分のシートのライフの値より大きければダメージありなのでサイコロをパラメータ○○個分振って……ただし前のターンの毒が効いてるのでアジリティがマイナス1で……」

みたいな処理で動くので、どうしてもテンポが悪い。面白いけど待ちが長いし、自分の番でも数値が飛び交いなにが起きているかはっきりわからず、萌が招いた SP ら子供はややノリ悪し。アメリカ/カナダのゲーマーは本当にこういうパラメータものが好きだよな。ディテイルにアイデアを盛り込むと面白く(というか interesting - 興味深く)なるのは当然だが、スピードは反比例して落ちるのだ。

 こういう面倒処理をオートですっ飛ばすためにコンピュータ RPG ができたわけだが、多人数 TRPG には対戦や協力などこれならではの楽しみがあるのはよくわかる。裏切り者役は楽しかったしね。だから要は計算を単純にしてスピードを上げてくれたらいいのだがな。パラメータをいじるのはヒットポイントとスピードくらいにしておいて、細かい数値シートを参照せずとも盤上のビジュアルだけで進められるよう単純化したら、短時間で大きな邸をくまなく周り、事件があちこちで発生して楽しいんじゃないかと思った。

 まあ考えてみれば現代ドイツ・ユーロゲーム群というのはおそらく、俺が望むような単純化をイントレスティングなゲーム理論群に対し行い、処理量をそぎ落として面白さを抽出し生まれてきたものなのだろう。短気で何ごとも最適化しないと気が済まない俺がそっちにより心動かされるのは当然のことだ。逆に北米ゲーマーたちはユーロゲームに対して、「メカニクス(抽出された面白さ=ゲーム性)しかない」とディテイルの不足を批判するわけだしな。

 今日は 90 分で終了。ゲームは面白いのでそんなに長くは感じなかったけど、カルカソンヌとコロレット以外のボードゲームは未体験の SP には明らかに重すぎた。彼女には Dixit みたいなパーティゲームをやらせてやりたかったな。

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 これで俺たちは帰宅となったのだが、今日のゲーム会には「ドミナントスピーシーズ」という珍しいゲームを持ち込んでた新顔君がいた。「これは聞いたことがあるよ。面白い?」と聞くと、「いや実はまだやったことがない」という。「他には RPG っぽいルーンバウンドも拡張まで全部持ってる……だけどあまりプレイする機会がない」という。

 どうも好きなゲームはその拡張まで全部揃えずにはいられないという、強度のコレクターなヒトらしいw 「んじゃ、ゲームがやりたくなったら連絡してくれよ。あまり長いのは苦手なんだけど、ミドル級までならいくらでも付き合うよ」と伝えておいた。なんかいいのを掘り出してきてくれないかな :-)。

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■12/09/22(土) □ 欧米の説明書
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強欲商人が金を貯めすぎ殺される物語……的な
MK が一気に多数のボードゲームを買いすぎたためプレイされず死蔵されてたものの中にクラシックカードゲーム「あやつり人形」があったので、これは俺がもらっておくと借りてきた。ルールを読み1人2役でやってみる。王、暗殺者、泥棒、建築家といったさまざまなキャラクターを選ぶことでその能力を使い建物カードを建てていくゲームで、コツコツお金をため建物を買っていくのはそれだけで楽しいが、肝心の役割選択部分のルールがよくわからない。王が暗殺者を取って王を殺せば永遠に手番が変わらないではないか。そんなシステムの穴があるゲームなわけがないのだが。

 欧米のボードゲームは例外なく説明書がわかりにくい。学校の通知でもなんでもそうだが、欧米人は全部を読まないと細部がわからないような書き方ばかりする。時系列や箇条書きを使うことによって、何も知らない人が流し読んでビジュアルに概要が掴める説明を書くということができないのだ。

 でルールが全部わかった後から読むと、例外処理の方法(この場合は殺された王がどうなるか)は次のページに書いてあったわみたいなケースが多い。「それは次ページにちゃんと書いてある。目を通さないユーが悪い。イッツユー!」というわけである。そんなアナタ、裁判に勝つために説明書を書いてるわけじゃないんだから。未知のプレイヤーは不明な場所があれば「あれ、おかしいな(矛盾が出るから)王を暗殺してはいけないんだっけ?」とルールブックの前の方は見るが、後ろのページは見ないのである。ルールを知らない者にとって、後ろのページは未知の迷いの森だから。だから疑問点はそれが出る時点で、つまり時系列で書いといてくれないと詰まってしまうのだ。

 ともあれ、毎度のことながら説明書じゃよくわからんので BoardGameGeek のフォーラムなどあちこちを読んで役割選択がわかり、コインがたまると面白くなってきた。「緑の建物が多いから商人を取ると1ターンで5金入る」といったインセンティブがうまく働くわけである。当然暗殺者や泥棒はそれを読み商人を狙う。これは面白そう。

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■12/09/23(日) □ 画伯復活の兆し
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萌の絵のうまさが突然戻った。壁を破った。お母さんの絵。似てる(笑)。―――土曜にバンクーバーアートギャラリーでマチスを見たからうまくなったのかと聞くと「そうなの」とうなづく。ホントか? 最近バドミントンもうまくなっているし、身長ドカ伸び&反抗期突入から1年とひと夏を過ぎ、心身のバランスが取れてきたのかな。



 昨日今日であやつり人形をソロで計3ゲームほどやってみた。これは面白い。同色の建物カードを揃えるだけで収入がどんと増え高価な建物に手が届くため、簡単な仕組みなのに拡大再生産の加速感がちゃんと出る。しっかりとした構築(前の努力が後につながる)感があるし、敵がそれを止める攻撃手段も用意されている。その攻撃をさらに読んで裏を取るという戦術的な面白さが濃厚にある。ミニ建物を速攻で8枚建てフィニッシュなどという戦術もあるそうで、ドミニオンなどより見通しもコントロールも効く。これはいいゲームだな。


みんなヒドイ絵柄
名探偵コナンの犯人と殺され役勢揃いという感じのキャラの絵柄は好きじゃないが、建物の絵柄はどれもいいし、カードの品質は非常に高く美しい。得点が高い大きな建物やプラス効果のある紫建物を建てると非常にうれしいのである。建築、つまり苦労してお金を貯めものを買う楽しさはグレンモア以上で、サンファン・プエルトリコに近い。せっかく建てたものを壊されると腹煮えくり返りそうだが :-)。

 これはいったんM萌をその気にできたら、あっさりしすぎて大ヒットにならなかったコロレット、3人では盛り上がらないお邪魔者に代わり、ちょっと遊びたい時に最適なゲームになるんじゃないかな。

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■12/09/26(水) □ あやつり人形実戦
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箱がどうも使いにくいので、みなさん工夫されてる様子
MK のところで「あやつり人形」をようやくプレイ。事前に1人で何度も回して感じていた通りの面白さ、スピーディな3人戦でおお受けし、2連荘となる。これはいいゲームだ。

 初戦はルール説明がてらのテストプレイ。3人ともゲーマーだったので2戦目はもう本気で、各種職業のメリットを生かし攻撃を受けたり交わしたりしつつガンガンと建築していく。2~3人戦だと役割を2枚取るというルールが効いていて、暗殺者と泥棒が暗闘している間に攻撃されなかった2枚目が仕事を進めていく感じになる。RPG パーティの前衛と後衛といった感じで、たとえ前衛が暗殺者にやられても後衛を使いうまく建設していくという感じ。非常によろしい。これは多人数だとシビアで少人数だと軽く楽しいゲームなんじゃないかな。

 今日も会うなりいきなり挨拶もせず自分の持ちゲームのルールをとうとうと説明するほどのゲームマニアである BR 青年(ドミナントスピーシーズを持ってるがプレイしたことがないという彼w)が、中盤に建築家を使いいきなり小建物3軒を建て7軒となってしまう。やられた!

 このままでは次のラウンドで8軒となり負けるが、もう彼の建物を壊す時間がない。そこでどうやって自分の点を最大化するかを熟考し、1ラウンドで2軒建て5色揃えのボーナスを取り見事逆転。ヨシ。しかし彼が9軒めを建てて再逆転し、ゲームセット。うーん、いいゲームだった。

 「俺が取った時に暗殺者がなかったからAが取った可能性が 50%、俺が泥棒で次のラウンドで商人が消えたからBが取った可能性が 50%」と考えていけば攻撃と防御のヒット率は上がるだろうが、実際にやってみるとそこまでは考えきれないし、考えるとテンポが落ち面倒になる。BR はそうやってカウンティングしていたが、それは彼がマニアックなゲーマーかつ計算好きな人だからで、俺はそこまでは考えてなかった。

 しかしそれでも「このターンで MK はたぶん王を取る。暗殺者を取れば殺せる」「MK か BR が俺の金を狙ってくるから、俺にメリットがない傭兵を取れば狙いをやり過ごせる」くらいは場の流れで自然に読めるし(敵のモチベーションがヒントになる)、それはとてもドキドキすることで、当たっても外れても超楽しいのである。やってもやられても楽しい。

 お手軽なカードゲームなのに、俺がゲームにほしいスピードと加速感、拡大再生産、ギャンブルとリターン、ラック、敵の裏をかくこと、逆にダマされること、いい手を思いついてドキドキと実行すること、思いがけぬ手を打たれ唸ること――そんなこんながここに全部入ってる。これは傑作ですね。

 カードを立てて隠して置く楽しさも久々に味わったな。カード立てのいいのが欲しくなってしまった。これは買いだ。当分俺がキープし、自分のコピーも是非買おう。

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■12/09/29(土) □ あやつり人形@ホーム
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 本日は日本語勉強会で教師ワタクシに叱られ機嫌が悪くボードゲームやる気ゼロだったムスメを入れて初の【あやつり人形】@ホーム。序盤はルールもわからんしナニコレ最悪というグダグダ態度の彼女だったのだが、盗みが成功して巨万の富を得大きな建物を建てたあたりでスイッチが入る。

 そこからはお父さん早くしてよ遅いわよなんなのどゆことと職業選択を急かし、「建築家で2軒!」などとビシバシと建物を建てていく娘。俺と MK がムスメ建物の破壊などは手控えたせいもあって、8軒建てのボーナスも得て見事勝利。これはインスト成功感高し :-)。

2012/09/28

日記「タフなカナダのティーンライフ」

「センチメンタルジャーニー」「キモノパーティ」「スチルカメラの力」「田舎のロックフェス」「日本語テキストブック」

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■12/09/01(土) □ センチメンタルジャーニー
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 帰国初日、家の冷蔵庫には当然なにも入ってないので、階下のおばあちゃんところからミルクを借りてシリアルを食う。考えてみれば日本にいて食わなかったのはラーメンとシリアルだな。ラーメンは日本が暑すぎたからで、シリアルだけはカナダのほうがうまいから。

 ひと月分のメールその他を消化する。個人メールはもちろん日本でも受信していたのだが、8月初旬に読み書きしたものを再度目にすると、オリンピックで寝不足だったあの夏のおばあちゃんちの気持ちが蘇り、切なくなる。萌も楽しかった夏の日々の写真を眺めてはため息をつき、「なんか甘悲しい気持ちがする」と言っている。センチメンタルジャーニー。

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■12/09/02(日) □ キモノパーティ
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 萌は帰国後、起きてる時間はずっと TV を見ている。カナダは TV チャンネルが多すぎ、子供は TV を見過ぎるんだよな。何十チャンネルもあり人気番組は何十回もリピートされてるおかげで、Mも萌も何か何か好きな番組を見つけては1日じゅうだって TV を見ていられる。日本じゃ子供が見て面白い番組なんてそんなにないから、TV だけずっと見てるなんて不可能である。日本の子供にとっては TV なんてそんなに面白くないのだ。

 Mは日本の子供は TV ゲームをやりすぎると言い実際その通りではあるが、何一つ新しい笑いが出てこない SAME OLD アメリカ製 TV コメディを見るよりも、ゲーム内で工夫してなにかを作ったり問題を解決していくほうがよほどクリエイティブで子供らしいだろう。萌にはなにか面白いゲームをやってほしいと思う。DS の「バンドブラザーズ」をやってた頃なんかすばらしく創造的だったよ。



午後SPを呼んでおみやげを渡しキモノパーティとなる。このSPが着てる方のキモノは萌が東寺マーケットでおみやげに買ったものだが、コンディションがよく素晴らしく美しい。萌が着てるのはおばあちゃんのイトコ(?)にあたる方が少女時代に着ていたものだそうだ。そんなものがまだ着れるんだから、すごいことだよな。美しい。

 萌は大学生になったらSPと一緒に日本に留学したいなんてけっこう本気で言っている。SPは実に明るくイージーな子で、2人は子供の頃のままの表情でゲラゲラ笑っている。学校の友達がみんな彼女みたいにイージーな子ならば、萌の人生はハッピーなのだがなあ。萌は他の子と一緒にいるときはどこか気を張っていると思う。

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■12/09/05(水) □ タフなカナダのティーンライフ
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 今日萌を迎えに学校に行くとSLと話していたのだが、帰ると暗い顔をしていた。ケンカ等があったわけじゃないが、あのグループは気の強い子ばかりなので気疲れするんだろう。日本でひと月年下のイトコたちと思いっきり子供らしい生活をした萌は学校が始まった今週、日本的イノセンスとカナダ的クールの両方から引っ張られているのが見ていてよくわかる。仲のいい「クール&ポピュラーガールズ」と共にクールでいたいけれど、イノセントだった日本での自分も好きなのだ。難しいな。

 日本のことを話したかとMに聞かれた萌は、「そんなの誰も興味ないし」と堅い表情で答えた。Mによるとティーンにとっては現在のこと、学校のこと、友達やボーイズのことが「クール」なのであり、家族のこと、親戚と過ごしたことなんかは「アンクール」なのだという。日本語で言えば「そんなのイマ関係ねえし」とバッサリと切り捨てるメンタリティが支配的なんだろうな。そんな話題を持ち出すことすら憚れるんだろう。

 そんな疲れる背伸びソーシャルライフはさっさとやめて、SPのようなハッピーな友達やナードな趣味仲間を作っていけば無用なストレスから遠ざかりハッピーになれるはずなのだが、周りにどんな子がいるかなんて自分でコントロールできないわけで、そんなにうまくはいかないよな。カナダのティーンライフは本当にタフだと思う。

 Mはこうしたカナダのティーンライフをすごく嫌っていて、「日本に住んだらこの環境からは離れられるけど、でも日本だってイジメとか深刻らしいし、どこに行っても子供は大変よね」と溜息をついている。

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■12/09/06(木) □ スチルカメラの力
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今朝は完璧日本式弁当を作成。おばあちゃんの梅漬けのおにぎり、塩麹サケ、親戚の関谷醸造でいただいた味噌&きゅうり、麦茶、そしてむかしの宗石亭の包装紙という、萌のスキのないオーダーにきちんとお応えしました。

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 旅行中メモ程度にしか書けなかった日記をまとめブログにアップしようとすると、案外京都や信州観光地の写真が少ないことに気づく。暑くて暑くて屋外では立ち止まるのも嫌でなかなか写真を取れなかった上に、ビデオとカメラを両方携帯してたのが失敗だった。ビデオはスチルカメラのおまけ動画程度にしておいて、写真の枚数を稼ぐべきだった。ビデオは撮ってもやっぱ見ないわ。旅行はビデオよりスチルだと改めて思う。子供が大きくなるとビデオの出番は習い事やスポーツ関連だけだな実際。


この光の甘さが気に入っている、
キャノンPowershot A530
MIさんが斑尾と戸隠で撮った写真ももらえ、これがまたいい写真ばかりで助かったのだが、リコーとパナソニックは画質がシャープな分やや絵柄が平板な感じがする。俺のキャノンはホワイトバランスをグリーン気味にセットしてあり露光も常時1つ上げてあるのだが、この甘い画質が日本での俺と萌のホンワカおめでた気分をうまく表してくれている。よくよく見るとレンズのシャープさ(ピントかな?)が甘くなってきた感はあるしこの旅でファインダーにゴミが入っちゃったけど、そこは我慢して使っていこう。

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■12/09/09(日) □ 田舎のロックフェス
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 昨夜信州須坂ミュージックフェスという史上初らしいイベントのネット放送があり、見ているとなんと長野の長老バンド So-Do のアクタさんが出てきたので、市民向けの某所で So-Do などのリアルタイム解説をしながら見ていた。

2012/09/09(日) 14:44:00
長野で一番のバンド、SoDoのアクタさんとキンボーだ! 始まるよ。須坂ミュージックフェス。 (録画 - 0:50から「キンボーバンド」) http://www.ustream.tv/recorded/25284798
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(♪アリとキリギリス)やっぱいいなアクタさん。キンボーが須坂出身なんですよね。僕が高校の頃(70年代)先輩ドラマーとしてキンボーは有名だったのです。
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高校の学祭に見に行ったら、当時おそらく20くらいだったキンボーのバンドがゲストでクラプトンの「アフターミッドナイト」をやっていて、「すげえ16ビートだ」とぶったまげました。当時身内で16をちゃんと叩ける奴はいなかった(笑)。
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その後キンボーはこのアクタさんとSo-Doというバンドを長野で結成し、僕は何度か見に行ってます。長野じゃ有名なんだけど、須坂の若者は知らないだろうな。4年前に見たときはRCサクセションのG2がメンバーとなりピアノを弾いててびっくりしたな。
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(♪Everybody Must Get Stoned)キンボーバンド終了。うーん、よかったでした。So-Doはアクタさんはじめみな楽器がうますぎて、バンドでライブをやると楽器のアドリブソロが長すぎプログレみたいな難解音楽になっちゃうんだけど、アクタさんの歌とギターだけだとほんとに適度でいい感じ。ピアニカも効いていた。

 しかしこれを書いている間反応はなし。町ではこのフェス自体が盛り上がってなかったんだろうな。須坂というのはライブハウスもなく本当に音楽不毛の地で、このフェスティバルに出た人たちも見ていた人たちも、基本的に有名なミュージシャンでしか音楽を体験したことがないのだろうと思う。小さなライブハウスでアクタさんのような素性の分からぬ体験したことのないたぐいの音を聞いたり、そういう場所で厳しい目線にさらされ演奏したことはそんなにないんじゃないかな。

「♪電気ガスに水道、それに家賃。保険も少々入っておかなくちゃ。
キミが疲れて眠る頃、僕は座ってギター弾いてる。
アリとキリギリス、いつもすまないね」

 俺とMは長野の焼き鳥屋でたまたまアクタさんと同席し、この歌を歌ってもらい感動したことがあるのだが、貧乏ブルースマン・アクタさんのこの男おいどんペーソスは、どうも理解されてなさそうな客席の静かさだった。3曲め Everybody Must Get Stoned ではジミーペイジばりの華麗な生ギターソロもあったのだが、その薄くも素晴らしく充実した音に拍手が沸くこともなかったのである。残念。

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■12/09/14(金) □ 日本語テキストブック
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 今年から日本語学校をやめ俺が教えることにした萌の日本語勉強用に、「日本語能力試験 N3(日本語勉強歴半年~1年向け)」というテキストを日本で買ってきたのだが、のっけから

『広告の少ない文字数の中から、情報を読み取ります。「募集」とは……』

 なんて文体の説明が2ページに渡ってびしーっと書いてある。全部ふりがなは振ってあるが、学習者にこの説明が読解できるとも思ってるのかな。なんだこれは。これしか見つからず買ってきたんだけど、基本的に日本語学習者に日本で解説をするテキストは役に立たん。もちろん俺が教えるわけだからわからんところは補助できるが、こんな内容ではワークブックの大半が使いものにならないわけである。

 日英併記のテキストを探さねばと検索するが、アマゾンでもロクなものが見つからない。日本語教育は英語教育よりよほど後進的なんだろうな。

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「Kanji Power」というカタイ本だが
本屋で日本語テキストを探す。完璧なものは見つからないが、俺が英語を習ったときに使ったようなロジカルな構成のワークブックが見つかった。JLPT 4-5 で必要な漢字のすべてにその成り立ちが、つまり

「にんべん」は人を表し、「云」は言葉を表すので、「伝」は communication となる

 みたいな説明が【英語で】書いてある。これは俺がこれまで見たすべての日本語教科書を超えている。俺が日本語学習者ならばこれを使うだろう。ちょっと真面目過ぎて子供の教科書としては堅いのだが、そこは他のテキスト等で補うとして漢字読み訓練はこれをベースにしていこう。

 このように学習対象を【わかり】【納得】することが学習には大事なわけで、日本人は完璧に駆使できる日本語を使い外国語を【わかり】【納得】して覚えればいいし、カナダ人は英語を使えばいいのだ。大事なことは仕組みを理解し納得し、意味のある記憶としていくことなのだから。

 言語学習はどこの言葉も原語絶対主義が強くて、学習対象言語以外の言葉を使うことを拒否し、いいからそのまま飲み込め、習うより慣れろと母語を廃す。この原語絶対主義は効率が悪い上に、学習者の知的ポテンシャルをフルに発揮することを不可能にすると思う。会話訓練は口を動かし耳を鍛えることが眼目なので母語を使ったら意味がないが、文法・構造理解と語彙学習は、学習者のありとあらゆる知的能力を使い簡易化し定着させるべきだろう。その能力のベースとなるのが母語なわけである。

 というわけで、萌たちにふさわしい、最も効率のいい=ラクして身になる日本語学習法を探していきたい。

2012/09/18

【日本滞在記・終】かけがえのない時間

「買い物天国ジャパン」「猿公園と古物屋」「至高のすき焼き」「帰国」

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■12/08/27(月) □ 買い物天国ジャパン
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 本日はMの体調すぐれず観光オフ。まあカナダからついて休みなく活動してるのだから、1日くらい全休でもよし。ADは出かけたそうな顔をしているので、スーパーその他の用足しに連れて行った。スーパーの魚と肉の棚を全部説明し見て回る。

「うちのおばあちゃんは食材にうるさいので、一般的なスーパーよりもちょっとお高いこっちのスーパーをひいきにしている」
「つまりあっちは庶民のスーパーで、こっちはハイソサエティのスーパーなんだな」
「その通り」

 実際魚とかイキがよさそう。さんまとかほんとうまそう。



午後はホームセンターへ連れて行き買い物。皆で座布団だの弁当箱だの水筒だのを買いまくる。日本はカナダで買えない面白いものばかり売ってるので、5人とも買い物量がタイヘンなことになっている。弁当箱なんて見るからに高性能高機能で、ほしくなっちゃうのだ。去年のイングランドは歴史と博物館探訪の旅だったようだが、日本は食べ物と買い物の旅だよな。買い物天国。全部無事に持って帰れるかな。特に俺が買った長座布団と、ADが戸隠で買った木刀が問題である。

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 晩飯に実家焼肉屋の賄い飯オカズが届く。おばあちゃんが作ってくれるご飯だけでも毎晩2食分ほどのメニュー数なので、これで3食分である。うれしい悲鳴としか言いようがない。

 この亭主奥様の賄い飯がまたうまくて、こないだは鯖味噌をADがおかわりしたのだが、今日はなんと奥様が海水浴時に買ってきたというエイが出てきた。エイってなんだ? あのスティングレイだよと手をひらひらさせるとADがおおおと喜ぶ。トロトロしてゼラチン質でなかなかおいしい。賄い飯に出るくらいでそれほど高いものではないそうだが、あんなものが食えるなんてすごいよな日本。

 実際日本の食べ物のえらいところは、高いものでなくてもおいしいところで、これほど極度の不況でも従業員の食べ物までちゃんとうまい。おばあちゃんの作ってくれるものも、別に高級なものではなくナスの味噌焼きやタケノコの味噌汁などフツーの日本の晩ご飯で、これがしみじみうまいわけである。盛夏という季節もあって、ナスもきゅうりもトマトも桃も、とにかくなんでも新鮮でうまい。うまいものを使いささっと手早く作るからうまいのである。日本家庭ご飯の底力である。



 帰国が迫り、萌はカメラを持っておばあちゃんの家とその周りの写真を撮りまくっている。特に子供たちと遊んだ家の前の駐車場なんかを念入りに撮っている(この旅で萌は計 1500 枚! の写真を撮影)。そして夜になるとあと4日だとため息をつきポロポロと涙を流す。最後の日に大泣きになるのはもはや明らかである。

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■12/08/28(火) □ 猿公園と古物屋
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すでに腰が引けているお嬢様/バッグを狙う若猿。このくらい近づかれるとやはりこわい。

日本滞在大詰め、本日は信州山ノ内町・地獄谷野猿公苑へ。

 公園の管理人に聞くと夏場は風呂の温度は下げてるらしいが、さすがにこの季節は風呂に入っていない。しかしまわりじゅうサルだらけで、サルの数は前に来た冬場より多い。ありとあらゆる日陰に猿がいて、あついーといっている。猿好きの天国である。

ひとしきり見て岩の上に腰を下ろすと、若くイタズラなサルたちが忍び寄ってきて、持ち物を盗もうとする。かわいい。もちろん持ち物に触らせてはいかんのだが、ADは飲み物のボトルにサルたちの指が触れそうなくらいまでギリギリまで誘い遊んでいた。日陰にいればいつまでも眺めていられるくらい楽しかったな。






帰りに地獄谷訪問時恒例の湯田中の親戚味噌屋・関谷醸造を訪問する。いつもの通りおばちゃんは訪問に喜び、そばやらなにやら注文しようと忙しく立ちまわるので、いやいやいやいやおばちゃんと話をしに来たんだからと腕をとっ捕まえて座らせ、ゆっくりと話をする。うちの母さんもそうだが、田舎のおばちゃんの世話情熱はすさまじい。

 味噌に興味をもつADのために工場を見せてもらうと、今はもうあの味噌の大樽は記念に1つ残してあるだけだった。子供の頃は蔵中にこれがあって、仕込みの時なんか大人数ですごい活気だったんだよな。

 カナダサカタ家とAD家用にそれぞれ味噌をもらってきた。また荷物が重くなるが、これはなんとしても持って帰らなければならない。毎朝おばあちゃんところで食べているきゅうりについてる味噌が、ここの味噌なのだから。




これは4年前の同店。今はもっとキツキツ。
萌の前にあるお椀がソレだと思われる。
帰路中野の古物屋に案内すると、予想通りADの好奇心が炸裂した。「なんだこれは! すごい!」と古い正体不明の道具たちを見て興奮する。民俗博物館に飾られているようなものが店頭で売ってるんだもんな。ここはたしかにすごいよ。

 放っておけばいつまでも見ていそうだったが時間が限られているので急かすと、ADはでかい木のボウルのようなものを持ってきた。なんだかわからないが古く使い込まれていてスゴイ(たぶん4年前の上の写真に写ってるお椀、そば粉をこねる椀だとのこと)。これをレジに持って行くとレジ横の中古竹刀が彼の目に入り、これを開けてみると程度がいい。これも息子へのみやげに2本ほしいという。まあすでに戸隠で木刀を買ってしまっているので、持ち帰りの大変さは1本でも3本でも大差なかろうから、好きにしてください(笑)。帰り道で彼はニッコニコであった。

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■12/08/29(水) □ 至高のすき焼き
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 日本滞在は残り2日。観光は昨日のモンキーパークでほぼ終わりで、みんなを善光寺に行かせ俺はカナダへ持っていくおみやげ荷物を成田まで送る手配をする。もう帰るんだと思うと猛烈に日本滞在機会がもったいなくなり、焦って大量の古本を買ってきたりしていた。




創業85年(?)、信州牛の須坂 宗石亭とその店主、サカタ兄。

夜は今回の旅の食べ物上のハイライト、我が実家須坂・宗石亭で大定番信州牛すき焼きをいただく。この萌のとろける顔がすべてを物語っている。うますぎ。みながこんな顔になってしまう、至福の味であった。やっぱサカタの肉はうまいよ。焼肉だと客の火加減焼け具合で肉の実力を出し切れない失敗もあるが、すき焼きはハズレなし。百発百中、これぞ伝統の味である。




(本人の名誉のため写真小さめw)
ADとSHは京都で自分たちだけミシュラン★★★1人3万円の料亭に行ったほどの食べ物好きなのだが、信州牛と宗石亭のタレが作る絶妙なるあの味に「インクレディブル! インクレディブル!」と何度も何度もうめいていた。付け加えるならその料亭のお値段は、今夜のだいたい1週間分ですからね。

萌は宗石亭のランチとんかつとこのすき焼きのうまさに、「I'm so proud of being サカタ」と何度も宣言し、おばあちゃんところにあったサカタ宗石亭の包装紙を記念にもらって来ました。めでたしめでたし。

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■12/08/30(木) □ かけがえのない時間
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昭和7年創業とのこと。この煙突も完璧に現役。/すべてが木造。素晴らしい。


須坂滞在最終日、渡日前からADたちが行きたいと願っていた酒蔵の見学に行く。行くというかおばあちゃんちから徒歩1分に酒蔵があるのである。俺が子供の頃忍び込もうとして塀に登っては怒られていた酒屋、地酒「臥龍山」の松葉屋さんだ。

 30年前うちの店(宗石亭)に出入りしてた怖いおっちゃんは今聞くと松葉屋さんの番頭さんだったとのことで、当然ながら先代店主ともどもお亡くなりになり、今は当代の奥様が経営されてるとのこと。この奥様がうちのおばあちゃんと懇意だということで、中を見せてもらえることになった。「昨日宗石亭でここのお酒をいただきました、おいしかったデス」とADが奥様に挨拶する。

 案内され入ってみて驚いた。この酒蔵に入ったのはもちろん初めてだが、俺が子供の頃に行っていた湯田中の親戚味噌屋・関谷醸造の、今はなき旧式醸造所がまんまそこにあるのだ。こんな総木造の超レトロな昭和の酒蔵がこんな町中に残っていたとは。細かいディテイルが全部昭和っぽくて、俺はいちいちおーっと声を上げまくる。おばあちゃんも懐かしげ。カナダでワインの卸もやっていたADは醸造にも興味があり、工程を細かに尋ねては「ワインと同じだ。なるほど」と深くうなづいている。




これですよ。この樽・樽・樽。なつかしー!


そして薄い板張りの階段というか橋を渡ったところにあったのが、これですよ。ばばーん。巨大な樽・樽・樽。子供の頃の記憶の関谷醸造そのまんまだ。すごい。関谷ではこの樽に味噌が入っていたわけです。スゴイ。

 敷地の広さも驚きで、小学校の通学路の左側は、実は全部この酒蔵の塀なのだった。完全にクローズドな邸だったのでまったく知らなかった。駅前の一等地でこの広さ、地価が高くて税金が大変なのだそうである。そんな杓子定規に税をかけるなよ、こういうのは文化財だよな。


昭和の事務所が完全に現役状態。昔の我が家みたいなタイムトリップ感覚。


 いやーいいものを見せてもらいましたと、店頭の囲炉裏を囲む事務所内の試飲所でお茶をいただく。この事務所がまた昭和で、曇りガラスに引き戸に日めくりカレンダーに時計からもー俺の子供時代がそのまんまですよ。21 世紀のものが何一つない(笑)。こんな時代の真空パックを見れて本当に感激であった。ありがとうございました。




最後の晩御飯をいただき、晩飯後に花と写真と手紙をおばあちゃんに渡し、日本におけるすべてのイベントが終了。ADたちは1週間以上も毎日うまいものを食わせてくれたおばあちゃんを外食に連れていくとか、なにか買ってあげるとか、もっとでかいお礼をしたくて胸が張り裂けそうだったのだが、日本のおばあさんは欲がないのでお礼のしようがないのである。花と写真と手紙、これ以上のものはたぶんないだろう。それと毎日見せた喜ぶ顔とね。

 最後の別れを告げて家に帰るイトコたちを送り、萌が号泣する。クライクライクライ。



 皆が寝静まった頃やっと萌が泣き止んだので、リビングに2人で座り、TVを見ながら最後のプリンを食べた。最初の日もプリンだったよねと萌がまたセンチメンタルモードに入り泣きそうになるので、いやいやいやそういうことを言ってるとキリがないと止めて笑わせる。

 だけど萌、泣くから言わないけれど実は私も同じ気持ちだよ。スーパーでプリンを買ってきて一緒に食べた、あの日本夏休み初日の幸せな気持ちが忘れられない。

 玄関先の水浴び、プール、子供たちが毎夕遊んだ銀行の駐車場。くだらないTVを見てKNやKSと笑ったこと、ギターセッション。花火、高原ホテル、釣り、お祭り、盆踊り。京都、信州名所めぐり、忍者村。楽しいことを存分にやれたけれど、やりたかったのにできなかったこともやっぱりたくさんある。温泉とかラーメン屋とかね。暑さがきつすぎたせいもあるな。東京だって本当は行きたかったんだけどね。

おばあちゃんにプリントするために今日全部の写真に目を通したのだが、胸が痛くなるほどいい写真がたくさんある。かけがえのない時間をカメラはきれいに写し取ってくれている。



 子供たちがああして一緒に無邪気に遊んでくれることを楽しみに、はるばる海を渡ってきたんだぜ。ホント。

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■12/08/31(金) □ 帰国
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余裕のあるスケジュールを組み、成田へとゆっくり移動していく。駅でおばあちゃんと涙の別れを告げた萌は、電車が出てもしばらくメソメソと泣いていたが、やがて自分の泣き顔の写真を撮り出した(笑)。もう大丈夫だな。

 上野でうまいテイクアウトフードを首尾よく見つけ、食べながら成田へ。懸案の木刀竹刀と古椀セットも無事チェックイン。俺の長座布団も丸めて風呂敷に詰め手荷物して無事テイクイン。味噌も、萌がもらったおばあちゃんの手作りジャムもきちんとパックできた。すべてがうまく行った。



 帰路はなぜかシート間が狭く空調も暑く、JAL マークの神通力も霧散するようなフライトで疲れた。バンクーバーは20度とさすがの涼しさ。空港での別れ際、ADは「この旅はこれまでで最高のバケーションの1つとなったよ」と言ってくれた。いやあ隣の客はよく柿喰う客なりとして、キミもよく期待に応えてくれたよ。ADは食い過ぎて最後は明らかに太っていたが(笑)、よく食ってよく喜んでくれた。いいお客であった。

 実際暑さ以外はほぼすべてがうまく行ったし、特に信州編は長野での土地カンとおばあちゃんの食べ物のおかげで、どこへ出しても恥ずかしくない特級品の滞在だったと思う。それこそ京都で渇望した「どこへ行き何を食え」情報が自分とMの中にきっちりあったわけだからな。戸隠での忍者事件なんて語り草になるような経験もしてもらえたし。

 アフター旅行鬱になっている萌は、「日本だったらああだったのにこうだったのに」といつまで経ってもメソメソしている。

 もういいから寝なさい。いい旅行だったよね。明日さっそく関谷の味噌きゅうりとおばあちゃんのジャムトーストを食べよう。早く寝なさい。おやすみ。

2012/09/12

【日本滞在記5】戸隠忍者の謎が解ける

「意外や信州も暑い」「須坂観光」「日本のおばあちゃん」

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■12/08/22(水) □ 意外や信州も暑い
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京都の宿を早めに発ち、京都駅で買い物等をする。Mたちは駅ビルでばっちりうまい炭焼きうな重を食べられたそうで、京の食はどうにか惨敗を免れた感。俺は萌を本国よりうまいので有名な日本のマクドナルドに連れて行ったのだが、京都駅マクドの味はカナダとまったく同じかそれ以下で、胸が悪くなりそうだった。食うんじゃなかった。長野まで汽車でゆっくりと移動。いやはや京都は暑かった。春に来た時の半分も楽しめなかったな。

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長野に着くと家族が、「....これ京都より別に涼しくないんじゃない?」という。う。たしかに大差ない。京都じゃ家に TV がなかったので天気概況をチェックしてなかったが、どうやら現在日本は全面的にヒートウェイブに覆われているらしい。まずい。まあ須坂はもうちょっと涼しいよ。本当なんだ。

京都でろくな物を食えなかったので楽しみにしていたおばあちゃんのご飯は、野沢菜、須坂地場きゅうり、果物、サイコロステーキその他。京都でのダメ飯無念を一発で拭い去ってくれるうまさである。おばあちゃんが例によって品数を揃えすぎて主食だけで2食半分くらいあったのだが、暑さに異常に強く胃が鬼のように強いADが素晴らしい勢いでうまいうまいうまいと食いまくる。はるばるカナダから連れてきた甲斐があった。素晴らしい。

萌も大好きなこの家に帰ってきて大喜びなのだが、長野は異常に、異常に夏休みが短くもう小学校が始まっており、萌が京都であれほど恋しがった子供たちはやってこず。萌はがっくりきていたが、京都じゃ TV も見れなかったからと夜はリビングの定位置につき麦茶を入れ、カナダじゃ見ない日本の番組を見るのであった。京都に行くまでずっとこうして、おばあちゃんとオリンピックを見ていたようにね。

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■12/08/23(木) □ 須坂観光
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朝からうちの兄貴謹製のローストビーフが出てきた。めちゃくちゃうまいが朝からこんなストロングなものは食えんと思っていると、ADがこれもバクバクと全部食いおばあちゃんを喜ばせる。




信州の観光初日はうちの墓参り、次いで須坂市内の田中本家博物館へ。ここは旧家の家の中に家宝を展示しているだけの小ぶりな博物館なのだが、展示品の説明を読んでみるとどの絵も、パトロンである田中家に招かれた地方画家ががこの家に逗留して描いた絵なのだった。つまり「この家で描かれた絵」がこの博物館のテーマなのである。

それは非常にナイスなテーマであり、皆に説明するとなるほどと喜ばれる。絵に付けられた詳しい説明を伝えていると、「京都国立博物館よりずっと説明がいい」と家族が笑う。まったくだよな。

そしてここは庭がいい。信州とはいえ日向にいれば京都と大差ないような暑さだが、日陰の風通しのいいところにいればやっぱり違う。休憩室とされた庭を見わたせる風通しのいい茶室でぬるいお茶をもらっていると、これはもうアニメ「サマーウォーズ」の縁側のような気持ちよさであった。



萌のイトコたちが放課後やってきてくれた。しかし小2のTSまで宿題がえらいあるとのことで、帰ると1時間以上机に張り付いている。俺が子供の頃はこんなになかったぞ。毎日の拘束時間がカナダより長い上に夏休みが他県より短く、さらにこんなに宿題があるのかよ。口には出さないが俺も萌も顔を見合わせるのであった。

宿題が終わるともう晩飯で、すると平日なので子供たちはそうそう遅くまで遊んでもいられず、早々に帰宅。もう何度も遊べないのにと萌はホトホトがっくりきてました。バカめ長野教育委員会。

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■12/08/24(金) □ 日本のおばあちゃん
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本日は小布施の寺と北斎ミュージアムへ。ADとSHは北斎を知らなかったのだが、画力と構図の見事さに一発でノックアウトされポスターを買いまくっていた。北斎って京都のお寺でもポスターを売ってたけど、著作権ないんだろうな。小布施は丸儲けなんじゃないのかな。

皆に説明するためにパンフレットを読み、「ミスター高井という金持ちの地方名士が北斎ら著名人を招いて絵を描かせていたのだよ。でそのミスター高井の子孫が、この小布施栗菓子屋/酒屋の店主なわけだね」と説明していると、そうだったのかと自分にも改めてよく分かる。パンフレット読むべし。昨日の田中家にも北斎を呼ぶだけの財力があれば、北斎ミュージアムは須坂にできていたのかもしれないね。でもまあミスター高井は自身も文人だったようだから、単なる商家とは違うか。

桜井甘精堂でうまいそばと栗ご飯を食べたあと、手打ちそば実演を10分もじーっと見学してしまった。素晴らしいよな、ああいう職人技を見せてくれるのって。しかし桜井甘精堂のあの栗ご飯&そば定食が 1500 円ほどというのはすごいといつも思う。須坂宗石亭のとんかつ定食 850 円なんて、いずれADが食ったらたまげるだろう。カナダでそんな値段でうまいものなんか食えるはずがない。

そして各自カナダへのおみやげを買って帰宅。充実した観光日であった。暑さも峠を越した感あり。

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日本がどれほど暑くとも、うまいものを食わせておけばADたちは基本ハッピーである。おばあちゃんのうまいものが毎食炸裂し、SHは暑さで本領を発揮していないがADがそれを補うほどうまいうまいと食いまくってくれ、おばあちゃんも目を丸くして喜んでいる。隣の客はよく肉喰う客なり。ADはカナダ人だが北ドイツ出身なので、日本の酢や味噌などのストロングな味なども大好きなのだ。

おばあちゃんはこの夏 30 日間俺たちに何を食わせるか、それだけに集中し暮らしているようだ。俺たちや子供らがいい夏を過ごすことに喜びを感じ、自分は暑いから出かけるのはゴメンだよとあの斑尾以外外出せず、食材を買い3食あつらえ俺たちの世話をせっせと焼いている。この滅私奉仕の心というのはほんと日本の母ならではだよなあと思う。ほんとうに頭が下がる。

俺は家族のために四六時中通訳をやってるのだが、俺の家族向け通訳は名人の域に入ってきた。伝える必要がないところはスパっと省略し、精髄だけを瞬時に伝えて話をコロコロとロールさせている。うちの母さんの食べ物&地元話題の豊富さと、ADの好奇心とが噛み合って、食卓は毎夜笑いと幸福感に包まれている。

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■12/08/25(土) □ 戸隠忍者の謎が解ける
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本日は長野の霊峰戸隠の忍者屋敷へ。ここはさまざまな仕掛けが仕込まれたよくできた忍者屋敷で、何度行っても楽しい。初めて行った萌のイトコたちも、チャイルドライクなADも大喜びであった。

昼は草むらにシートを敷いて、買い込んできた菓子パンその他でピクニック。やっぱりあそこまで上がると涼しい。戸隠奥社参道入口のあのあたり(標高 1200m)まで上がってちょうど、バンクーバーくらいの気候だなと思った。暑さに苦しんでいたSH姉も一息ついていた。


見るたびにあの夏を思い出す、美しい写真たち。




戸隠では過去2回外国人忍者に遭遇している。7年前は忍者屋敷展示館で、「『忍者村現当主』なんてイマドキいるわけないよな」と写真を見て英語で軽口を叩いていると、いつの間にか音もなく迫っていた修行中のドイツ人忍者に背後を取られ、「その方は私の師匠だ!」ときつい声で叱責され冷や汗をかいた。


自称「ウェールズの鷹匠」氏 (2008年)

どうということはないこの人形が実は
4年前は中社前の土産物屋で、「ウェールズからきて鷹匠の技術を習っている」という男と出会い話をしたのだが、あとから彼が戸隠紹介の TV 番組に登場し、実はアメリカ人忍者だったと判明したのである。必要もないのに俺たちに身元を明かさず嘘をついていたのだ。忍者だからとしか言いようがない。

で今回は外国人を見かけなかったので忍者事件もさすがにネタ切れかと思ったのだが、4年前鷹匠と出会った同じ中社前土産物屋でADが忍者のキーホルダーを買っていると、店の親父が俺に話しかけてきた。

「それは私だと、お連れの方にお伝えください」。

―――は? 意味がわからず、「つまりこの人形のモデルになったということですか?」と尋ねると、彼はにこやかに宣った。

「そうではなくて、私なんです。私が6万の弟子を持つ、戸隠村忍者の当主なんです」。

―――え、えーっと驚愕し、2人揃って飛びすさり頭を下げ店を飛び出て奥さんたちにこの大発見を報告していると、興奮したADが「ちょ、これはスゴイ。もう2個買ってくる」と再度店に駆け込んだ。すると気をよくしたのか当主は、計3個の忍者人形に「ウンバハンヤラヌワカソワカ」みたいな気を送り込んでくれたんですよ! 忍者マジックですよ! すごくないですか? ADは当然随喜の涙であった。

3回目にしてついに、伝説の『忍者村当主』に出会ってしまったこの事実。その人がしがない土産物屋の亭主として、ちゃんと世を忍ぶ仮の姿でいたという、その道の密やかさ。しびれる。あのウェールズの鷹匠がこの店に入り浸っていたのも道理で、あの店は忍者の隠れ家だったのだ。そうだったのか。そうだったのだ。すべての謎が熱風に吹かれた氷のごとく解けていく、真夏の信州旅なのである。

2012/09/08

【日本滞在記4】灼熱京都の旅

「京都入り」「カラスの足あと銀閣寺」「クール極まる二条城」「京都フードがはずれ続き」

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■12/08/17(金) □ 京都入り
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いよいよ京都に入る。予定通りに汽車を乗り継ぎホテルに着き、飯を食い散歩し、飲み物と晩飯の買い出しを済ませてカナダから飛行中のMたちを待つ。ここまで問題は特急しなのの横揺れによる俺の乗り物酔いだけで、非常に順調と言える。

京都の暑さは想像通りで、長野の3割増しほど。到着した4時頃は曇っていたのだが、買い出しに歩いていると湿気がうはっと息苦しいほどだった。じわじわ出てくる汗の量が違う。



晩飯は街角で見つけた京風お惣菜の詰め合わせ弁当。うまかった。しかし品物の取り方がわからず店員さんに話しかけると、完璧に無視されて驚いた。やや腹が立ち大声で「すいません!」というとビクっとされ、そこからはちゃんと応対していただけた。あれが京風のコミュニケーションなのだろうか。

Mの飛行機は20分遅れで6時半に大阪伊丹に到着。シャトルタクシーを予約してあるので、何も問題がなければ京都着は8時頃になるだろう。言葉が通じない3人組なのでここが一番心配なのだが、空港タクシー会社側が外国人に慣れてもいるだろうしな。

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20:30 ようやくカナダ後発組到着。乗り継ぎにトラブルはなくタクシーライドは快調だったそうだが、京都であちこちのホテルに寄らねばならず遅くなったらしい。致し方なし。お疲れ様でした。

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■12/08/18(土) □ カラスの足あと銀閣寺
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朝めし前にM萌と3人で散歩し、下鴨神社へのショートカット道を発見して戻る。日本食を心待ちにしていたADの期待に答えるホテルのバフェット朝食をたっぷりといただいた後、すでに気温がギンギンと上がっていく中をもう一度下鴨神社へ案内していった。


蝉の声降り注ぐ参道/地元の人々が水を汲みに来る清水。


参道はセミの声が暴力的なまでにかしましい。特にこれといってスペクタキュラーなところはない神社だが、代々の天皇が祈祷を行うなど由緒正しい場所らしい。SHが各種お守りをさっそく買い込み、20 年屋根に残るという屋根材を買って寄付する。

しかし境内を見学しているとガンガンと気温が上がってくる。本殿右手に清水を流す「御手洗社」というところがあったので、許可をもらいここで足を冷やさせてもらうことにした。この気温の中信じられないほど冷たい水で助かった。日本観光の一発目、ホテル散歩のついでに来た神社として文句なくいいところであった。

そしてホテルに戻り荷造りをし、これから4夜を過ごす宿(レンタル借家)へ移動。普通の現代住宅だが、京都らしく狭いところに狭い間取りで建っている家であった。

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穴ぼこだらけの銀沙灘

昼飯後、銀閣寺へ。15 年前に来た銀角があまりによかったのでMはその徒歩圏内に宿を取ったのだが、入ってみてあれれという感じ。あの完璧な庭(銀沙灘)がえらいデコボコになっている。

あれは一糸乱れぬ完璧さだから『いったい何百年同じ形を保っておるのじゃろう......』と悠久の時を感じ禅的感動を呼ぶわけで、こんなデコボコだと『作業員ちゃんとやってんのか、だいたいこれって若い僧が修行でやるのかと美的イメージを描いていたが、作業服のおっちゃんたちが仕事でやってるのか......』とたちまち下衆な雑念が湧いてしまう。寺と山には変わりはなくても、砂があれではほとんど台なしと言わざるをえない。


寺と裏山遊山は変わりないけれど。

雨もぽつりぽつりと降ってきて、裏山を巡り歩く道も気もそぞろになってしまう。高みから下界を見下ろせば昔と変わりなく美しいが、なんなんだあの穴ボコ砂場は。

1周した後、解せなさに我慢できないMに促され、「これは鹿でも入ってきてるんですか」と係員に話しかけ聞いてみると、「ハチがねえ。そこらじゅうがハチの巣だらけになっちゃって、それを狙って鳥も降りてくるんだよ」と超予想外の答えが返ってきた。―――ハチぃ!? つまりあの銀沙灘は蜂の巣だらけになっているらしい。殺生のできぬお寺だから駆除できないのだろうか。わからん(※)。
(※)あとで調べると、「絶滅危惧種の蜂」が巣を作ってるという説が見つかった。だからといって放置していてよいものなのだろうか。動物園にでも保護してもらえばいいではないか。



うーん残念だったなあと帰路に着くと豪雨。寒くはないし宿まで徒歩10分なのだが、これから戻って着替えてレストランに行くのも億劫だということになり、スーパーで弁当その他を買って帰ることになった。非常にしょぼい晩飯となってしまった。まあみんな疲れてるしな。ふう。

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萌は銀閣寺の途中から機嫌が悪くなり、宿に戻るとイトコたちがいる長野に戻りたいなどとぼやき始めた。大人は観光が楽しいだろうけど、子供は子供同士で遊びたいのという。まったくそれは当然なのだが、まあ今日は疲れと期待はずれ銀角と大雨でネガティブになってるんだよ。明日からきっと楽しくなるよ。

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■12/08/19(日) □ クール極まる二条城
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すごーいと感動のサカタ萌

灼熱の京都、本日は二条城へ。平屋の城なんてどうということはなかろうと思っていたのだが、もう二の丸を見た瞬間にノックアウト。なんてかっこいい建物なのだこれは。大きさや古さではなくデザインが素晴らしい。萌&ADも胸打ち震えた顔。この城一発で萌の観光不機嫌は払拭された。クール極まる二条城。

写真は撮れないが内部も隅々まで隙なくみごとな二条城。彫り物など江戸期の名工がここに集めまくられたんだろうな。襖の絵はどれも見たことがあるような感じで、切手になってるやつなのかもしれない。俺はこれまであまり歴史的サイトに行って興奮したことはないのだが、この二条城は戦国時代に家康と秀頼が会見したとか、幕末には慶喜が常駐したとか俺でも知ってる歴史事件に満ちた場所である。大政奉還が告げられた大広間を覗き見たときにはさすがにおおおと声が出、興奮してMたちに解説してしまった。


(右)将軍居室だそうです。質素。


しかしこれが日本の覇王の出張城だったのだから、武士というのはストイックなライフを送っていたのだなあと思う。建物と絵や彫刻類にすごい金がかかっているのは明らかだが、どこを取っても居室と事務室と広間ばかりで、豪奢な家具とかパーティルームなんぞはないらしい。ここで営まれたであろう大名の常駐生活は、飯を食い書を読むくらいしかやることがなさそうである。




お嬢様は悠然と微笑んでますが、肩にかかったのは実は濡れ手ぬぐい。
カメラマンが暑さでふうふう言いながらの撮影。


しかしここの二の丸庭園は遮るものなき灼熱地獄だった。どこもかしこも白く明るく日陰がなく、陰影のある銀閣寺型日本庭園とはまるで違う。金満オヤジ錦鯉入り日本庭園の原型が徳川家のこれなんだろうなと思う。とにかく暑くて暑くて危険を感じ、全員途中で空調のある休憩所に逃げ込むと、そこの冷気は天国であった。



その後に錦市場のアーケード街に行ったのだが、もうSHとMが暑さと疲れでダメとなり(アーケード自体は空調が効いて涼しかったのだが)、観光を中止して帰宅。ADは夕方憧れの会席料理を食べに行ったが、Mはそのまま体調を崩し晩飯も食わず、俺と萌は近所のピザ屋でまずくて高いピザを食うことになってしまった。ふう。やっぱ暑すぎるわ京都。

しかしこの暑いのに京都の街はすごい外国人比率である。特にフランス人が多い。うちが泊まってる家はフランス人の経営だし、二条城行きのバス乗り場で車椅子で困ってる人がいたので通訳を買って出たのだが、彼女と同伴者はフランス人だった。彼らは二条城内で後から追いついてきたのだが、この酷暑の二条城の庭すらも車椅子で散歩していたので驚いた。根性あるなー外国人ツーリスト。

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■12/08/20(月) □ 京都フードがはずれ続き
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暑さが感じられる清水舞台の写真。灼熱の光で背景が飛んでます。

本日は清水寺と三十三間堂。清水はいつ行ってもいいところで、三十三間堂のご本尊はすごかったが、とにかく暑すぎてミニマムな観光しかできない。朝早く出て最低限のものを見て、猛暑に疲れ午後は宿に戻り、ネットに張り付いて次の日の予定を立て周辺の食事処情報をさがすという日々。ふう。


清水の本堂は開放的でよかった。




旅先で一番困るのはやはり今も昔も食べ物である。インターネット時代になってかえって情報過多で選択できない。それにたとえネットでよさそうな店が見つかったとしても、旅行者が腹が減ったタイミングでうまい塩梅にその店の近辺にいるなんてことはできんのである。

寺の周辺は土産物屋ばかりでうまいものなどなく、腹ペコで移動し暑さに負け手近なものを渋々食うという繰り返しになっている。今日の昼は祇園でバス停を降りその場にあった蕎麦屋となってしまった。値段も味も並だったが、信州から来て京都でそばを食っても仕方がない。もっとこうなんというか、ここを見てここで食えという決定版がほしい。イージー観光がしたい。

一番うまそうでカナダからの客人も食いたそうなのは実はデパ地下の食品売り場に出てるものなのだが、こういうのは出先で買っても食う場所がない。テーブルを置いてフードコートにしてくれたらいいのに。京ナスの漬物なんて試食すると超うまいんですけど。

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晩飯。酷暑の中寺だけ見て回るきつく単調な観光でうまいものが食えていないことに俺は責任を感じ、日が落ちてからもっと京都らしい古い町並みを見せうまいものを食わせたいのだがと誘ったが、SHが昼間の疲れから食事に出かけたくないという。あまりの暑さに足がむくんで痛いというのだ。


都をどりの劇場/京都らしい鴨川の夜景


仕方がないので俺たち3人だけで祇園に向かう。はっきりとは覚えてないのだがこのあたりだろうと花見小路という道に入って行くと、そこがドンピシャで石畳の舞妓まちだった。これだこれだ。これをSHたちに見せたかったんだよ。昔「都をどり」を観劇した劇場も見つかった。なつかしいな。

ぐるっと散歩して河原町方面に戻り、うまそうなお好み焼き「壹錢洋食」を発見し食べる。ゴチャゴチャっと雑貨が並べられた店内で、オムレツとお好み焼きの中間みたいなものが出てきてなかなかうまい。こういう旅行をイメージしてたんだよな。ブラブラ歩いて、その土地の安くてうまいものを食って。しかし昼間は暑すぎてそううまくいかないわけである。四条の橋の夜景もいい感じだし。SHたちが明日の夜このあたりに来るようお薦めしよう。

食後周辺を歩いたのだが、どこもバー街とピンク街になってしまった。夜は観光客が歩く場所ではないのかもしれない。ここで土地カンのなさでこれ以上の探索は断念し、ケーキを頂いて帰路へ。

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■12/08/21(火) □ 旅はつらいけれども
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首まで覆った帽子と手ぬぐいとサングラスと日焼け止めで暑さに対抗するSH姉。

【京都最終日】本日は京都最終日、朝早く出て東寺の骨董朝市へ。市場は 10 数年前同様最高にたのしかったけれど、今日も極度に暑かった。帽子と濡れたてぬぐいで体を覆いこまめに休憩と水分を取りつつも、SHたちはお昼でリタイヤ。人生でこれ以上暑い思いはなかなかしないのではないかと思う。暑すぎて立ち止まり写真を撮ることすらできなかった。みな戦利品はそれなりで満足したけれど。



京都東寺のマーケットでおっちゃんから
買った和包丁。安いけど凄まじい切れ味。
SHと萌はおみやげ用のキモノを買い、ADは筆で書かれた古い帳面のようなものを買ってきた。見てみると野菜○○銭、餅○個などと達筆な細筆で品目がぎっしり書かれており、明治時代の商店のツケ帳らしい。つまりこれは百年前の経理簿の一種だよと教えてやると、経理士のADはなんて完璧なおみやげを手に入れたんだ俺はと感動していた。たしかに(笑)。

Mは染物のきれいなのれん(新品)を値切り大量購入。俺は製作者のおっちゃんが自らたたき売りしていた和包丁を購入。これをカナダに密輸入しなければならない。

今日も飯ははずれで、熱暑と空腹でフラフラと東寺をさまよい出て、見える範囲にある食べ物屋はしょぼい蕎麦屋が1軒だけなのである。味も見た目通り。これほど観光客が空腹を抱えさまようロケーションになんで蕎麦屋1軒しかないのか、京都人の商売感覚が不思議だ。単に古い町ゆえに土地がなく、きれいでおいしい店を出せないのだろうか。

暑さでヘロヘロになったが昼飯で持ち直したので、宿に戻るSHたちをバス停まで送り、俺たち3人はもうひと頑張りしてマーケットに戻る。戻ったが午前中に目星をつけておいたものを購入するのが精一杯で、時間をかけ新しいものを探索するのはさすがに無理だった。そんなことをしたら倒れてしまいそうだった。

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そして、京都は今日が最終だからもう1件頑張ろうと俺たちは京都国立博物館へ向かう。特別展示「大出雲展」とあるので、神社の収蔵品かー、まあしかし国立なんだから常設展はそれなりのものがあるだろうと入ってみたら、出雲大社の収蔵品だけをぐるりと見せられ終わり。埴輪が想像よりでかいのには驚いたが、それ以外は何もなかった。えーこれだけ?? と、出口で全員口あんぐりである。

「ほんとにこれだけなの? イングランドのナショナルミュージアムは1日で見きれないくらいあって、全部無料だったよ」と言われるが、出口に来てしまったものはどうしようもない。俺たちにできるのは苦情を書くことだけだと、日英文併記で苦情アンケートを投函し出館。

これが県立で 500 円くらいだったらまあ許すが、国立で 1300 円でこの展示内容では、「国立」のバッジを頼りに酷暑の中バスを乗り継ぎやって来てロッカーに荷物まで預けてしまった気持ちも時間も労力も、報われるわけがない。

展示品がしょぼいのはまあ仕方がない。英国の博物館がすごいのは帝国時代に世界中からものを盗んできて返さず飾ってるからで、そんなのに張り合ってくれとは思わない。しかし国立なんだから安くはしてほしいし、展示品の説明にもっと頑張ってもらいたい。すべての展示品に基本的に「○○時代。○○で使われたらしい」としか書いてないのである。それ以外に外国人に対して訳せるような情報がない。これは不確定な情報を与えるわけにはいかないという学術的生真面目さからそうなってるのだろうが、しかしお客さんはそれじゃ白けるのである。たとえばあの銅鐸を1室に何十個も置いて「古墳時代。祭事に使われた」としか書いてないんだから、真面目もたいがいにせよとしか言いようがない。

 博物館とはいえ客商売、展示は表現ではないか。古墳時代に祭事に使われたらしいとしかわからないなら、その利用想像図などを「想像」と明記してつければいいのである。日本はマンガの国なのだから、曲玉をつけた古代人が銅鐸を持って踊ってるみたいなマンガをつければいい。鑑賞者は古代のことを正確に知りたくて来てるわけじゃないのだ。なにか見るに値するものを見て、なるほどねと納得したいのである。

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夜、SHとADに祇園に行きなとお勧めするも、東寺の消耗で出かけられず、今夜も晩飯は宿で残り物をいただくことに。俺と萌は出かけて近所でカレーを食った。カレーはフツーにうまかったが、今回カナダ組はホテルの朝飯と料亭の会席以外食べ物全敗である。案内する身としては忸怩たる思いである。

うちの奥さんは京都が本当に好きで、ここに住みたいという。俺も春に来たときはそう思ったが夏は過酷だ。夏の京都は猛暑と湿気とスコールの完全なる熱帯だ。よくこの気候で寺が何百年も持つものだ。

しかし「こんな真夏に寺を巡ったり炎天下の路肩を延々と歩くのは自分たちがツーリストだからで、京都に住んでいたらこんな過酷な日々を送るわけがない。だから大丈夫」と彼女はいう。なるほど。

じっさい旅というのは、住むことに比べたらずっとタイヘンなことなのであるよな。お金もかかるし体力気力もいる。どうしたら安価にラクに最善な行動をできるかは、そこに住んでいないとわからないのである。旅はタイヘンだ。オースザンナ、泣くじゃない。旅はつらいけれども、泣くじゃない。すごい景色や物や人を見られることだけが、その労を癒してくれる。



というわけで、カナダ家族を引き連れての旅・京都編は本日で終了。いくらネットが発達しても、動くのは人間なんだから旅はそんなにラクにはならないなと思い知る旅であった。明日からはおばあちゃんちでまたのんびりさせてもらいます。