2011/05/31

「ロック労働者たちの歌」

「コキットラム小学校陸上大会」「移民都市リッチモンド」「ルーニーがもう1人いてくれたら」「英語の声と日本語の声」

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■11/05/24(火) □ コキットラム小学校陸上大会
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まことに立派なスタジアム。
気分が高揚します。
 コキットラム市内小学校陸上大会。萌は例によって先生の話をちゃんと聞いてなかったようで、他の子が個人種目とリレーの両方に出ているのに、萌は最後のリレーにしか出られなかった。結果は振るわずビリから2番目。でもまあ天気も悪くなかったし、友達と外で騒いで文句なく楽しい一日だっただろう。

 施設はほんとに素晴らしいスタジアムだった。なにせ昔サッカーカナダ代表が合宿してたスタジアムだもんな。今年ももうじきゴールドカップがやってくるので、またここで合宿してくれないかな。そしたら見に来るんだけど。

 子供らが走るのを見ながら、日本じゃ中学の時に学校対抗陸上があって、よその中学のかわいい子にボーイズが騒いだりしたものだよとMに話す。後からどうやってなのか、その子の名前を調べだす奴がいたりしてね。なつかしいな。Mが暮らしたノバスコシアは貧乏州だったから、こんなイベントなんかまるでなかったわよとのことだった。

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■11/05/26(木) □ 移民都市リッチモンド
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 ニューブランズウィックに行くMを空港へ送り、帰りがけ久々にリッチモンドのアバディーンセンターでランチと買い物をする。ここへくるたびに日本風食べ物屋が増えている。客は中国系なのにメニューが日中英の順で書いてあるところに、日本ファストフードのブランド化傾向が感じられる。

 しかしリッチモンドに行くと、ランボルギーニやアウディ R8 なんちうスーパーカーが走っている。うちのコキットラム地方ではせいぜいコルベットだぜ。お値段の桁が違う。

 中華移民都市リッチモンドのこの金持ちっぷりはすごいな。1つの言語グループだけで金を回すから、互助効果が働き一般(英語)ビジネスよりも有利になるのだろうと思われ、ややアンフェアな感を受ける。碁盤の目に商業施設が建ってるだけの殺風景な町で、経済が活動している。

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■11/05/27(金) □ ロック労働者たちの歌
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 Twitter でARBについて一言書いたら石橋凌の関係者らしき人とつながり、朝から夜までARBツイートが流れてきて、ブルージーン穴だらけである。

 その中に、

@makkatmercury: 石橋凌とARBのことを30代後半の人に話しても「知ってるけど俳優でしょ?」と回答される。時の経過は恐ろしい。

 というツイートがあった。ロッカー石橋凌は役者石橋凌の百倍すごいのに、彼が中堅役者としてしか世間に認知されていないのは本当に惜しい。

 バンドマンは常に突き進んでいないとクルマが止まってしまい、仕事としては本当に苦しい。だから誰もがやがてリタイヤしてしまう。俳優は多くの人が支えてくれ、個人が苦闘して作らなければならないものが音楽よりもはるかに少ない、サステイナブルな仕事なのだ。

 しかしヤクザや刑事や侍の装束をまとった石橋凌に、俺の胸は動かない。石橋凌のイメージで映画を作るとヤクザ映画になるらしいが、俺がARBから聞いていたのは別にアウトローのメッセージなどではない。マジメで地道で報われず、それでも腐らず生きていく、ロック労働者としか表わしようのない者たちの歌なのである。

 音楽性や文学性、破壊力や貫通力など、どこを取ってもARBを超えるバンドはたくさんある。が、どこを取っても一番にはなれない男たちの哀感こそが、ARBの歌になっている。それを俺たちは愛していたのであり、今の報われぬ若き労働者の耳にそれがまったく届かないことが悲しい。ARBを歌っていたら、クソみたいな所で踏みとどまり突き抜けられたかもしれない魂は数多くあるだろう。

 役柄を着せられた石橋凌は「イカレちまったぜ!」と叫べない。「Fight It Out」と歌えない。歌も売れてる二枚目役者が、一発で腰を抜かすほどの声と歌を彼は持っているというのに。それがまったく悔しいのだ。

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■11/05/28(土) □ ルーニーがもう1人いてくれたら
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 出先から帰りCL決勝に間に合った。居合切りのように深く速いマンUのタックルがザクザクと決まり、面白い試合になりそうです。

 序盤マンUが猛然と攻め、それが収まると自力に勝るバルサの流れとなり、シャビの超絶スルーからペドロが完璧に決める。メッシのドリブルの止められなさは物理を超えており、イニエスタらのパス回しのテンポが上がるとタックルの刃も届かなくなり、マンUはまったく手も足も出なくなる。せっかく苦労して奪ったボールを、マンUがすぐロングボールで放してしまうのは何故なんだろう。バルサのプレスが早いのか? これではバルサを疲れさせることすらできないではないか。

 しかしほとんどただ一度だけゴールそばでフリーでボールを持ったルーニーが、何もないところから1・2を作り出しゴール。あんなチャンスともいえないところからの1プレイで点にしちゃうんだから、まったくルーニーはすごい。

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 後半も同じ一方的な展開で、メッシの超絶ステップ&ゴールで1-2。そして何発もすごいショットを止めたファン・デル・サールのさらに上を行く巻きショットでビジャが3点目を取り勝負あり。恐れ入りました。

 バルサがすごいというよりは、前回と同じくファーガソン打つ手なしという試合の印象だった。前線の天才と後方の労働者たちという彼のチームづくりが、どこからでも同等の技巧でフィニッシュに持っていけるバルサに負けてるのだろう。

 そんなクラシックなファーガソンのチームづくりでも機能すれば美しいので試合前期待は高まったのだが―――野次馬の多くはマンUの奮闘に期待したのではないか―――、結局こう苦しい試合になるとボールをキープし前に運び事件を起こせるのはルーニーだけだった。労働者パクたちはただただ振り回され、攻撃時には何もできないのである。

 パクは守備的アタッカーだからまだ起用は分かるが、押し込まれることが分かっている試合で、好調とはいえ守備やフィジカルな競り合いなど期待できるはずもないベテラン・ギグスの経験と煌きに期待したりするロマンチシズムがファーガソンにはあるらしい。そこがマンUの人気の秘密なのかもしれないが、準決勝までの圧倒的な強さをバルサ相手にも発揮するにはどうしたらいいのか、もう少し策を立ててほしかった。

 ルーニーがもう1人いてくれたら最高のゲームだったんだけどな。彼はフィールドのそこら中にいて、どこにいても最高のプレイをしていた。メッシ以外のバルセロナの誰よりもすごかった。だがファーガソンの考えが「戦術ルーニー」だったのだとすれば、1人では足りなかったのである。

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■11/05/29(日) □ 英語の声と日本語の声
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 柔らかい日差しの絶好のスポーツ日和、初めてライオンズパークでローラーブレードをやってみた。公園内の自転車道は車道よりもずっと滑らかなので、ひとこぎですーっと大きく進みすさまじく気持ちいい。こりゃたまらん。萌も Yahoo! と声を上げる。

 しかしブレーキがない乗り物で下りを行くのはやはり超恐ろしく、ガード下の急坂に阻まれ PoCo ダウンタウンの方へ遠乗りすることはできなかった。ヒールについているゴムを押し付けてスピードを殺すのだとローラーブレード指南には書かれているが、その姿勢でバランスを取ること自体ができん。ほんとに可能なのか? まあともあれ公園内だけでもほんとに気持ちよかったけれど。

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 その公園で滑っているときのビデオを夜見ていると、自分が英語を喋るときと日本語を喋るときの声が全然違うことに萌が気づいて笑い出した。「(日本語時の自分は)すごく子供っぽい!」「いや、日本語を喋るときは昔のままの萌で、イノセントなんだよ。英語のときはカナダ小学生らしくサーカスティック(皮肉屋な)になってるわけ。今は両方の萌がいるんだよ」。

 萌はTVのティーンショーのスターみたいに声が低く自己主張が強く、シニカルで「ファニー」な言葉を我先に喋る最近の自分が気に入ってるのだろうが、大人はもちろんそれがガキっぽさ第二形態だと思っている。イノセント/チャイルドライク(子供らしさ)がチャイルディッシュさ(ガキっぽさ)になったわけで、愉快な変化ではない。だがまあこれがカナダ小5の歳相応というものなのだろう。実際萌はこういうコミュニケーションスタイルを身につけるまでは、気の強い子に圧倒されがちだったもんな。

 こうして声を聞くだけで分かるほどの生来のイノセンスが、萌の内側には残っている。それをキープする卵の殻として日本語が働いてるのかもしれない。そして何年かすれば、「オトナっぽさ」への憧れで言動がねじ曲がるガキっぽさは徐々に薄れて、英語でもくだらんシニシズムにとらわれない素直な少女となってくれることだろう I hope...。

2011/05/22

「宮沢賢治よ起きてください」

「カナダキッズの低い声」「オイそれはオレの魚だぜ」「日本ブランドは寓話だった」「スクールミュージカルその2」

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■11/05/08(日) □「宮沢賢治よ起きてください」
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 夕方、MK夫妻に誘われて Port Coquitlam のタイ・ベトナム料理店へ行く。実に久しぶりにトムヤンクンスープを食べこれはうまかったのだが、Mのチキン唐揚げの甘酢煮とBRのチャーハンは普通(こりゃどっちもチャイニーズだろう)。MKの野菜炒め、焼きヌードル、萌のライスヌードルは並み以下だった。

 総じて言えば中程度のチャイニーズという味で、タイカレーが$13と価格もかなり高い。こんな店が満杯になってるんだから、ほんとカナダの外食産業は楽な商売だと思う。あとでググってみたら平均レビューは4つ星で驚いた。こういうところに来る客というのは、「う、うますぎる!」と体がフリーズするほどの食味経験をしたことがないんじゃないだろうか。

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 夜皿を洗いながらネットラジオ「武田鉄矢の三枚おろし」を聞く。武田鉄矢は震災後泣いて泣いて何もできなくて、せめて詩を書こうと夜明けに泣きながら書いていたそうだ。
「宮沢賢治よ起きてください。あなたのイーハトーブが燃えています」
「発電所が燃えております。グスコーブドリを遣わして、あの火を消してください」


学校からの募金に添えて、東北へ送った写真
 ああと体から力が抜け、皿を取り落としそうになってしまった。そうだよ。まったくだ。お願いです。グスコーブドリを遣わして、あの火を消してください。

 福島第一の現状を撮影したスライドを見ると、すさまじい壊れ方で途方に暮れる。この惨状で諦めず作業案を立て実行している人々はほんと、グスコーブドリだ。

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■11/05/12(木) □ カナダキッズの低い声
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 萌のクラスのCHとMRが来る。小5が3人揃うと興奮して言うことを聞かないし調子にのって危ないことをするし、扱いにくさ普段比1.5倍という感じ (^-^;。

 カナダの小学生はみんなそうなんだろうが、寄り合って盛り上がるとき、相手の言葉を遮る勢いで低音に力を込めた自己主張トーンで喋る。自分が会話をリードすることが強力に目的化しているようだ。

 小学生のうちからこうしてやや無理めの強い低音を発声し続けるから、カナダ人(欧米人?)は声帯の下のほうが腹式呼吸的に発達し、声が低く大きくなるのだろうな。日本でも小5の自己中度はこんなもんなんだろうが、低い声はかわいくないという価値観があるから声は高いまま育つのだろう。どちらかといえば低いほうが好ましいけれど、10歳で子供の声からナチュラルなイノセンスが消えていくというのは悲しい。

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■11/05/14(土) □ 新ゲームを探す
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 MとLDが借りたコキットラムリバー沿いのレンタル畑に肥料を入れに行く。河原の平地に小さなかわいらしい区画がたくさん並んでいる。家の庭に畑があるのによそに同規模の畑を借りる理由はよくわからんが、まあ農園を持つということ自体が楽しいのだろう。

 帰りに飯を食いに行き、その横のボードゲームストアに久しぶりに入ってみるとセールをやっていて、「オイそれはオレの魚だぜ」や「ディクシット」が値下がりしていた。面白そう。しかし萌は友達のところでやったことがある「UNO」や「ピクショナリー」など有名 US ゲームを所望し意見が合わず。大人ボードゲーマーはドイツ系の、考えどころの多いゲームをやりたいんだけど、子供はやっぱり友達と素早く単純に盛り上がるUS系ゲームに惹かれるのかもしれない。まああれこれ調べて考えてみよう。

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■11/05/15(日) □ オイそれはオレの魚だぜ
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このプラペンギンの「デラックス」より
古い木のコマのバージョンがほしかった
 たっくんのサイトをはじめたとした各サイトで評を確かめ、《オイそれはオレの魚だぜDX》を買ってきた。1ゲーム10分なので3回もやれた。で、3敗 (^-^;。敵を狭い方に追いやり橋(移動できるマス)をカットしてやろうと画策するとまさに陣取りで非常に燃えるのだが、動かしてから「あ、墓穴を掘った」と気づくことが多く、Mはそこを見逃さず俺の背後を取り退路を断ってくる。面白い。中央部で広がる穴で大陸が分断されていくときなど、どこを取るかと考えワクワクする。

 カルカソンヌをやらなくなってしまった萌がボドゲ娘に戻るような高揚感を持つゲームではないと思うが、これはMがけっこう遊んでくれそうである。彼女は攻撃的ゲームが嫌いなのだが、これは相手を小島に孤立させる攻防自体がゲームなので、うーむやられたと盛り上がれ、後味が悪くならない。

 プエルトリコのような、このゲームを手に入れればあれもこれもできるという贅沢感はないが、陣取りの面白さと10分で終わるキレのよさは見事だ。プエルトリコ/サンファンっぽい拡大再生産をやりたいのはやまやまだが、うちの場合カルカソンヌ以上に重いゲームはやってもらえないと思うので、そういうゲームはコンピュータや BrettspielWelt でやっていこう。

 子供同士のパーティゲームとして、萌がほしがってた《ピクショナリー》もいつか買おう。あれはたしかに面白いだろう。

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■11/05/17(火) □ 日本ブランドは寓話だった
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 福島原発だけでも何十件も過去に故障隠しがあったというニュース記事を読む。日本の企業と政府って、これほどまでにいい加減だったのか。プロジェクト X なんておとぎ話だったと落ち込む話である。「日本ブランド」というのは、たとえ経済は落ち込んでも品質とモラルはどこにも負けないという武士の高楊枝マインドだったわけだが、それはもともと日本人の願望の中にしかない寓話だったらしい。

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 ランチ後TVを見ながらMと「オレの魚」。やはり10分かからずに終わる。2人プレイなら勝てると思ったのだが、俺の狙いを読んだMがムーブを読み切って罠を張っており、Mコマを孤立させても返り討ちに遭い、相打ち状態でリードを奪えない。結局6点差で負け。強い。

 夜もう2戦して、ようやくMとのソロ戦で勝った。局面の移り変わりがダイナミックなので、萌とMとの対戦を横から観戦するのも楽しい。ゲームの面白さは正直カルカソンヌには及ばないが、カルカソンヌでは味わえない純粋陣取りが手に入ったのはうれしいし、スタート盤面をいろいろとデザインして始められるという柔軟さもいい。なによりもカルカソンヌでもなかなかやってもらえない非ボードゲーマー家族持ちにとっては、あっという間に1勝負終わり、その中に必ず「あー」「ウシシ」があるというのは大きな美点である。

 このあっさりとしたゲーム性にしてカルカソンヌと同価格はやや高いので、木のコマの「ノーマル版」がほしかったな(絶版かもしれない)。「デラックス版」は大きなプラペンギンがコマになっておりそれが売りではあるのだが、さほど魅力のあるフィギュアでもないのである。木のコマのほうが見やすいしかわいい。

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■11/05/19(木) □ スクールミュージカルその2
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主役よりも華やかな衣装で大見得
 萌のスクールミュージカルその2、「アリストキャット」。萌はほしい役が取れずふてくされ家での練習を怠っていたので俺とMに叱られたのだが、幕があいてみたら一番きれいな目立つコスチュームで、セリフと演技が主役と並んで多い役どころだった。なんでこの役でブータレていたんだ? ソロ歌唱はなかったが、笑えるセリフもあればバシッと決めポーズもあり、はっきり言って前回よりもおいしい役ではないか。

 萌はコスチュームがよかっただけではなく、あの練習サボリっぷりからはまったく予想外のデキのよさだった。主役ながら緊張からやや早口の定型的な演技しかできなかった前回とは段違いの自信のある表情で、長い手足がリズムに乗り伸び伸びと優雅に動く。踊るには難しい4ビートの曲が多かったが、見事に踊り切っていた。やっぱDSバンドブラザーズ(音楽ゲーム)などのおかげで、リズム感が育っているのである。よくやった。素晴らしい。

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 【オイそれはオレの魚だぜ】BoardGameGeek で、「自分だけの島を切り取るのが勝利への道だ」というコツ解説を発見。そうか、俺はM萌のコマを孤立へ追い込もうとしては背後を取られ墓穴を掘っていたのだが、自分を豊かな孤立状態に持っていき独占するという逆転の発想が必要だったのか。

 その作戦を持って午後、Mと対戦。また負け。Mは実は俺を攻撃するより3魚タイルを徹底して狙っており、それが勝つコツなのだという。ならばと「自分だけの島を切り取る法」をやりつつ2~3魚タイルを狙ってみると、ようやく会心のゲームでMに勝てた。やっ・た\(^-^)/。

2011/05/11

日記「福島にふくしまにふくしまに」

「信じる気持ちは揺らいでいる」「不良男子賛美ドラマはもういい」「パワートゥザピープル」―――《俺は生まれた長野須坂に自分を置いてきたような気はしないが、東京には相当量を置いてきたと実際思う》

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■11/04/29(金) □ 信じる気持ちは揺らいでいる
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 福島の小中学校での被曝限度を巡り大変な論争になっている。20ミリは多すぎると告発してやめた学者の言葉は重い。

 「校庭に8時間立っていても年間20ミリには達しないという基準なので、教室内にいる時間のほうが長い子供の実際の被曝量は大幅に小さくなる」という政府の説明はわかるが、「大幅に」「見解の相違」などという定量化できないことを言うから議論が噛み合わない。根拠と自信があるのならば、「1年間通学し、1日1時間校庭にいたらこうなる」と数字を出し明確につよく反論すればいいではないか。それがなければ親はなにも判断できず、不安と怒りをつのらせるだけなのだ。

 それに、福島および近県産の食材を食べてくれ、給食にも使おうというのも難しい話である。農薬ですら子供の口には入れたくないと努力している母親が多いというのに、「汚染はちょっとだから放射能入りの食べ物を買ってくれ、買わないのは風評被害です」というのは無理がある。納得した大人だけが食べるならまだしも、給食というのはあんまりだ。

 普段高額な有機食材を買っている人々は、「より安全で倫理的なものが買えるならお金は惜しまない」という方向で物事を考える。今はこうした消費者と同じ考えを適用し、原発被災地域の農家の経済損失は国が補償し(つまりお金は惜しまず)、放射能が検出されない/無視できるほどに小さい地域の食材を逆に原発被災地域に送り、国民全体が摂取する放射能量を少しでも減らしてほしい。減らせば減らすほどいいことに間違いはないのだから。被災地域の農業を救うために放射能を我慢しようというのは共倒れ政策である。

 日本政府が事実を過小評価し、手遅れの政策をやっているとする悲観的な考え方はつらすぎるので俺は絶対採りたくないのだが、信じたいという気持ちは常に揺らいでいる。

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■11/04/30(土) □ 不良男子賛美ドラマはもういい
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 TV Japan で映画「ルーキーズ」。TV版も見てなかったが映画も同じような話であり、途中で見るのをやめる。映画が作られるからにはTV版は大ヒットだったのだろうが、日本のこの不良男子賛美は、舌足らず女子偏愛とつがいの嗜好なのだろうな。こないだ見たドラマ『迷子』に出てきた、不良だった父親を恐れ家に帰りたがらない男子や、明るくバイトし口が悪く弟を蹴る女子のほうがずっと好ましいと俺は思う。

 TV Japan で「ごくせん1」をやっていた頃は萌も楽しんでおり、それがうちでの希少な日本語ネタになっていたのだが、2、3とあまりにも内容が同じなので飽きて見なくなってしまった(2、3は配役も激しく劣化してたと思う)。それにトドメを刺したのが「ルーキーズ」や「サラリーマン金太郎」と続いた血ドロドロ路線で、結果として萌の日本語TVワッチ習慣が完全に途絶えてしまい現在に至る。一緒に見られる日本ドラマが枯渇して本当に困っている。

 萌が見たい―――というか今でも見せたら見そうなのは、TV Japan でやったものでいうと「ケンジとヤスコ」「怪物くん」などの学園モノなわけで、血ドロドロばかりじゃなくああしたローティーン向きコメディをやってくださいと TV Japan にメールを送ってみよう。別にジャニーズが出ていなくても古いものでも構わないので、軽快でコミカルな日本の番組をやってくださいと。

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■11/05/04(水) □ パワートゥザピープル
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 原発補償による東電の値上げ見込みに対し、激しく批判が起きている。日本は電気だけではなく、全部の公共料金が高い。カナダから日本に行けば成田から長野の実家に辿りつくまでに交通費で1人百ドル以上が吹っ飛んでしまう。車に乗ればガソリン代より高速料金のほうが高い。家中を無駄に温めているカナダのセントラルヒーティング家屋より、人がいる部屋だけをミニマムに温める日本のほうが光熱費が高い。電話代も放送受信料も高い。

 震災以降の日本はこうしてガラリと、公共料金や政治や企業やマスコミに対し厳しい目を向ける国に生まれ変わったのは明らかで、それだけはよいことだ。一昔前ならこうした大きなものへの怒りは自分の身の回り以外に伝わらなかったのだが、いまや人々の怒りが即座にコネクトし、そこに十分な駆動力があれば共振して世論となり影響力を持つメカニズムも完成している(エジプトを見よ)。

 むろんネットだけではなく日本全体が、ささいな失敗でも袋叩きに遭う「つるし上げ社会」になっているという嫌な面も当然あるだろうが、つるし上げる対象選択とそのアゲ度合いに対してもネットによる批判=ならし効果は働くのであって、徐々に適切で効果的になっていくのではないだろうか。パワートゥザピープル、ライトオン。

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■11/05/05(木) □ 福島にふくしまにふくしまに
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 NHKで猪苗代湖ズのビデオクリップを見て、各都道府県代表ピープルがほんとに歌ってるんだ、そしてその声が入ってるんだと気がついたら、涙がポロポロ出てきた。下手うたは人の心を打つ。

 日本の都道府県はどこも素敵だ。俺はボンビーかつ物欲に弱い(ゲームやガジェットへの出費過多な)奴だったので日本国内でも行ったことがある場所はそんなにないけれど、バイクや軽自動車にテントを積んで巡った日本のあちこちの海山町は、ほんとどこも思い出深い。

 弟とバイク合宿をした箱根・伊豆、何十回走ったことかわからない奥多摩有料道路と近くの村落、日光から群馬伊香保へ抜ける途中のどこかで見た美しい田園風景(当時は銀塩カメラすら持ってなかったのが口惜しい)、隅々まで走りまわった信州各地、Mを連れて今だに語りぐさになるくらいいい旅をした岐阜、福井、京都。東北には行ったことがないのだが、どれほどいいところなのかは想像にがたくない。福島の素晴らしさは友達に何度も聞かされた。

 住&育児環境のいいカナダに住んでることにはほんと感謝しているけれど、ああした日本の町をもう旅できないということはとても悲しい。日本の山の緑は豊かで、町は自転車で用事が済むコンパクトさで雑然と作られ、1つ1つに個有の味がある。カナダ(といってもBCとノバスコシア州だけですが)を旅しても、あとから追憶に胸を掴まられるようなことが俺はないのだ。その理由を明確には言えないのだが、カナダ人にはキヨシローの歌のよさがわかってもらえないように、俺にはカナダの本当のよさがわからないのだろう。

 福島に、ふくしまに、ふくしまに、置いてきたんだ、本当の自分を。俺は生まれた長野須坂に自分を置いてきたような気はしないが、東京には相当量を置いてきたと実際思う。バンドもあれ以来できないし、英語ではもともと乏しい自分の言葉の半分くらいしか表せないし。

 俺は―――サンボマスター山口もおそらく―――、置いてきたことを後悔しているわけではない。だけどときどき振り返ると、悲しみは襲ってくるのである。

2011/04/29

日記「日本人の音楽リテラシー」

「カナダの画家たち」「中学校見学」「NHK『おひさま』の楽しみにくさ」

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■11/04/17(日) □ カナダの画家たち
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 となり町ポートムーディのアートフェスへ。町のお祭りなのかと思ったら、PoMo でスタジオを借りてやってる画家たちの合同イベントで、町では特に何もやっていなかった。街路樹が1本アーティストによりショッキングブルーに塗ってあった程度。

 カナダのアートというのはいつも思うのだが、特に風景画は凡庸なものが多い。写真から構図をていねいに写し取ってきれいに色を塗ったみたいな絵が並んでいる。つまり写生ですね。題材も湖に杉と山いう、カナダだったら全国津々浦々どこにでもある風景が多いし。俺に絵が分かるのかといえば分からんのだが、日本でやってたバンドのメンバーは全員美大生だったので、あいつらならこんな平凡な画想は抱かないだろうくらいは分かる。


こういう題材を筆でていねいに
描いているわけです。
  一番脱力したのは海辺のデッキチェアを精密に描いたものだった。リゾートに行ってビールでも飲んで感じた幸せを描いたのだろうか。そりゃよござんしたねくらいしか言いようがない。こりゃ絵日記の挿絵である。

 しかしこのイベントに誘ってくれたGYの絵はよかった。実は彼女の家にある自筆の絵をいくつか見て、ああこういう感じなのねと軽く予断を抱いていたのだが、出来がいいのは当然ながら全部こっちのスタジオに置いてあったのだった。彼女の絵も風景画だが上記のような写生ではなく、美しい風景に打たれた心象を水彩でしゅっと表している。風景から色彩と陰影を切り出す筆さばきにスピード感と俳句的な芸があり、オリジナルな美を作り出している。とても気持ちがいい絵であった。

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■11/04/20(水) □ 中学校見学
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 9月から萌が行くMC中学校の説明会へ行く。4人ほどの教師が「チーム」となりお互いに互助していくという学業システムの説明もよかったし(これは秀逸な仕組みで、馬鹿な教師の怠惰と暴走を抑制できる)、多彩な課外活動の話も胸が躍る。

 音楽室にはドラム2台、ガットギター20台、エレキとベースが10本、ミニキーボードが10台もある。これだけあればクラス全員に楽器が行き渡るだろう。指導の先生が元ミュージシャンだったというおじいさんで、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」などを教えているとのこと。その横には体育館とは別に舞台アート専用のステージを持つ小さな講堂があり、照明や音響が完備されている。

 教室を巡ってみるとどのクラスもテーマを決めて生徒たちが紙類で飾り付けており、ごちゃごちゃっと乱雑に賑やかでいい感じである。どの教室にもカウチが置いてあり、フレンチ8年生のクラスにはなんとバスタブが置いてある。これはなにかと尋ねると、生徒が落ち着いて本などを読めるよう他のクラスはカウチを置いてるんだけど、私はこれに決めたのよとファンキーな先生が言う。こりゃいい学校だな。施設も校風もいい。ここに通うカナダの子供が羨ましいよ。

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■11/04/25(月) □ NHK「おひさま」の楽しみにくさ
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 3週間経っても NHK「おひさま」は面白いのかどうか今ひとつ分からず流し見してるのだが(まあダメな朝ドラは1回目ですっぱり見限れるから、まるでダメではないのは確か)、満島ひかりさんがとても魅力的だ。誰かにすごく似てるなあとずっと考えていて、姪のSFだと思い至る。

 満島ひかりさんは別に外国人ぽくなく、SFはアジア人ぽいところがまったくないのに、2人はそっくりなのが不思議。

 しかしこのドラマはなぜか、戦前の日本を現代のおばあさんが振り返るという意味のない二重構造になっていて、そこが味を落としている。元気で明るい主人公の60年(?)後が若尾文子だという設定だけですでに物語の結末を見てしまった的な大きな興ざめ感があるし、斉藤由貴のべちゃっとした芝居がそれに輪をかけて興ざめを加速させている。なんなのかなこの馬鹿げた無駄は。

 だいたいナレーションというものがなければ視聴者は物語の意味や感情の機微がわからないと思ってるところが、朝ドラ制作者はひとを馬鹿にしている。解説不要のベタなストーリーではないか。「あの頃は喫茶店に行くだけでも大変な悪いことだったの」「男の人に手を握られただけで死にたくなったの」なんつーナレーションは単に自明の繰り言であり、現代シーンと共に物語の鮮度を意味なく落としているのである。

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■11/04/26(火) □ 日本人の音楽リテラシー
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 萌を学校で降ろしたあとラジオで珍しく Zep の「ランブルオン」がかかり(普段は Zep でももっとメジャーな曲がかかる)、なんちういい音が詰まりまくった曲なんだと改めてびっくりした。イントロでスティックがパタパタと鳴り出しただけでウオウ気持ちいいと肌がざわざわする。あれは何を叩いてるんだろう。座布団?

 これをレコードで聴いてた高校生の頃は、こんないい音に気がつかなかった。大人になってからも多分わかっていなかった。年を取るといいことはあまりないが、前には分からなかった良さがわかったりすることもあるのだ。

 ラジオや MP3 じゃなくてもっといいハイファイで「ランブルオン」を聴きたくなるが、レコードもステレオも日本に置いてきてしまったよ。そしてたぶん実家の母親に捨てられちまったよ。哀愁のヨーロッパ。

 俺はアコースティック的にいい音が聞きたいのだが、それは別にアコギの音とは限らず、人間の手足が楽器に触れることで出てくる、不定形な音が気持ちいいのだ。たとえば軽く歪んだエレキギターのざくっとしたコード音、ボンボンとスキップするベース。ポップ音楽にはこういう《人が楽器を鳴らしそれが空気を震わせている音》がまったく不足している。たとえば中島みゆきの歌はすごいと思うが、彼女の歌を構成する楽器の音は全部つまらない。レディガガの今流行ってる曲(Born This Way)も、メロディはかっこいいが単調なシンセ音に耳が耐えられない。

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 しかしこうしてカナダのラジオから流れてくるロックのうちイイものは大抵知っている日本のリスナーのロックリテラシーは、国際基準でも相当に高いんじゃないかと思う。これに加え日本の音楽も同量以上に知ってるわけで、総知識量は間違いなく英米加ロックファン以上だ。

 カナダで暮らしていて悔しいのが、日本のすんばらしい音楽をどうやってもこうやってもカナダの人たちに伝えることができないことで、奥田民生などを聞かせるといいねと言ってくれるけど、それ以上踏み込んではもらえない。やっぱ一緒に歌えないという言葉の壁は厚い。

 俺はもしラジオからサンボマスターみたいのが聞こえてきたら、それが何語であっても反応すると思うが、そういうの(言葉はともかくいい音楽はいいと思うの)って日本人リスナーだけなのかしら。台湾の Crowd Lu 君なんかすごくいいです。

 日本の音楽をカナダに伝える方法はないかと考えて、娘を優秀なロッカーに育て上げ、日本語ロックを翻訳し歌わせるという案を目論んでいたのだが、現時点では米ポップに完璧に娘の魂を奪われています。がっくし。

2011/04/15

「全部クソだったんだぜ」

「Gamers Heart Japan」「ミネカダマウンテン登り」「Pray for Japan 集会」ほか。

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■11/04/03(日) □ Gamers Heart Japan
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北米のゲーム開発者が日本産ゲームと日本への熱い思いを語りまくり、震災被害者への募金を呼びかける「Gamers Heart Japan」という番組があり萌と一緒に見る。最も偉大なゲーム&その開発者としてダントツだったのがやはり、スーパーマリオの宮本茂氏。FF 好きな萌は絶対 FF7 よーと言っていたが、北米クリエイターにはあまり影響を与えていないらしい。そういえばドラクエも1人も挙げなかったな。

番組を見て思ったのは、大災害への同情ゆえにこんな特別番組を作ってもらえたけれど、それとは関係なく出てきた全員が日本に行った経験があり、日本の文化とゲームについて早口でいくらでも語れるというその事実がやはり、すごいなあと思う。萌も「これも日本のゲームなの?」と驚くことしきり。日本と世界のつながりは、経済だけではないのである。

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昨夜「原発がどんなものか知ってほしい」という文書が広まっていると知り、それに対する福島原発勤務者のていねいな反証論文「re: 原発がどんなものか知ってほしい」を読んだ。これを読むと原発というものは現場において誠実に運営されているのだとわかる。

しかし、「こんな事態には絶対になりえませんが」という前提でここに書かれた数々の安全保護手段、非常用ディーゼル発電機、バッテリー、外部電源のすべてが水泡に帰し、「最後の手段」の海水投入でも止まっていないのが悲しい。これを書いた人はおそらくいま第一原発にいて、泣きたいほどの悔しさを感じながら戦っていることだろう。

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新しい朝ドラ「おひさま」が始まった。とりあえず見たところ今度は主人公が一般公募の人ではなく芝居ができる人らしいので期待してるのだが、出だしはまるきりトトロの焼き直しで、まだなんとも言えない。原田知世は奇跡の美貌だが、この人の芝居のできなさもこれまた奇跡的なものがある。「体が弱い母」演技はドリフターズのコントみたいだった(笑)。

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■11/04/08(金) □ ミネカダマウンテン登り
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ミネカダ・マウンテンパーク
学校のあと皆で裏山のミネカダへウォークしに行こうと誘われ、とことこと歩き始めると5分で登山になってしまい、おいおいこれはウォークとは言わんだろう。まあ気持ちいいけど―――と思っていると、小山を超えたところで絶景の沼地がばーっと開ける。げげ、こんな近くにこんなところがあったのか。長年住んでてちっとも知らなかった。小山を超えないと見えない沼地なので、近いけどひと気のないプチ秘境なのである。美しい。まさにカナダ。

そこからさらに山を 10 分ほど登って小高い見晴台に出、下って湖畔を巡り帰る、非常に気持ちのいいハイク/軽トレックであった。ウォーク(散歩)だというから水筒さえ持ってこなかったが、こんな気持ちのいいトレックならば飲み物とスナックを持ってきて、ゆっくりと時間をかけて歩きたいよ。


デジカム動画は気持ちよし
このハイクは先月格安で入手したデジタルビデオカメラ JVC Everio MS-120 の野外初公式戦となったのだが、映像は期待通りの自然な色で撮れた。デジカムのデジタルブレ補正は案外効果が高く、歩きながら快適な絵が撮れるのが前のアナログカメラとは違いありがたい。

登った山の高みから7~8キロ向こうのピットリバーブリッジ上の車が写る。先走り 300m先に行ってしまった萌の表情が写る。最後には数百m彼方にいるクマまでアップで写せてしまった(汗)。ビデオカメラのズーム性能というものはすさまじい。こうして外出時にデジカメとデジカムの2台を持ち歩くというのは間抜けなカメラ親父感が否めないが、持ってきてよかったと思える影像が撮れました。

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Mと萌の会話で、萌が次のスクールミュージカルでも前回同様友達のCHと役を争っているのだとわかる。でCHが「萌がその役に応募するなら、(前回に続きまた負けてその他大勢になるのが嫌だから)別の役に応募する」と言ってるのだそうだ。そこでMが、それじゃCHがかわいそうじゃないの、違う役に立候補しなさいよと萌を諌めると、萌は「だって...」と泣いてしまった。

この春萌と俺は衝突しまくって深刻に困ってるのだが、萌のこの精神不安定ぶりはつまり、11歳にして強力なエゴの発現なんだなとここで思い至った。自分の存在を世界に示したいのだ。まだほんとは全然子供なのだが、誰にも指図されずインディペンデントでいたいという衝動に振り回されている。こういう精神状態がいつまで続くのかな。ため息。

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■11/04/09(土) □「全部クソだったんだぜ」
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Youtube で斉藤和義の「ずっとウソだった」を見る。最高。信じてる待っているの JPOP は何のチカラも持っていない。ロックは持っている。斉藤の言葉が正しいとかそういうことではなく、力を生み出せるということ。「ずっとクソだったんだぜ」と歌いながら作業に向かえば東電作業員もきっと力が出る。

実際「上を向いて歩こう」というCM映像は JPOP 的で見る気がしなかった。「歌の力」なんて人はよく言うけれど、気持ちが前向きになれば事態が改善するような平時とは違うだろう。「ほんとクソだったんだぜ」と悪態をついたほうが足に力がこもるだろう。

「原発に無批判だった自己を反省する視点がない」みたいにこの歌を批判する人もいるけれど(それはそれで真っ当な意見です)、斉藤は論陣を張っているわけじゃないのである。すべてがクソだったんだぜと悪態をついているのである。つまり Fxxk! と言ってるのである。

「この国を歩けば、原発が 54 基」という出だしからして「え、そんなにあるの?」という斉藤のノンポリ性が伺える。だからこれで反原発ソングよくやったみたいに褒めるのは意味がないし、批判しても彼はすいません不勉強で俺もクソでしたというだけだろう。

いま日本政府が言ってることが嘘だとは俺は思わないし、そういうことを言う海外メディアを無神経だと思うが、しかし「ずっとウソだったんだぜ、ほんとクソだったんだぜ」と歌えばこんなにキモチがいい。

原発の「万が一」を看過してきた日本は斉藤自身を含め全部クソだったわけで、むろん世界も大同小クソであり、東北沿岸の壊滅っぷりと放射能の恐怖を合わせ見てそれでも核兵器や放射性弾薬を保持していられる国のクソ性など、まったく論を待たない。

ほんと「全部クソだったんだぜ」と東電作業員も歌ってほしい。それは責任転嫁ではない。東電社員だって怒りたいはずではないか。会社に、国に、原子力政策に、いま起きていることのすべてに。取り返しがつかなくなる前に変えられなかったものやコトや自分に罵声を浴びせながら、働いてほしい。

Twitter や Youtube でこの歌の感想を読むと、人々の言葉の応酬は「原発是か非か」あるいは「反原発ソングの是非」に限りなく近づいていく。そんなことがこの歌から発せられているわけではない。もしこれがキヨシローだったら歌った後で、「俺は逃げるぜ、おつかれさん」とか言ってマイクを蹴り倒して帰るだろう。斉藤和義もキヨシローも無責任で不謹慎だけど、苦しい心に空気穴を開けてくれる。それがロックなのだ。

◆        ◆        ◆

東電社員の家族に対する嫌がらせが今起きているらしい。そういうことをする人は、日本の戦争犯罪を永久に許さんと理不尽な攻撃をし続ける人々と同レベルだ。これほどの災害大国に住んでいるのだから、精神くらいクソでなくあってほしい。でなければもうやっていけない。

俺はかつてバンドの解散時に「魔の山」という歌を作り、そこで
「信じる気持ちは尽き果てても、ロープを手渡して/いつの日かこの旅を終えたなら、二度と会うこともない
とバンドメンバーに対する気持ちを書いたけれど、この歌詞は今の日本の人から見た東電への視線に似ている。みんな苦しい山を登っている。頑張ってくれ。

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■11/04/12(火) □ 東日本大震災の写真
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10 数年前にストリートスライダーズ話で盛り上がったりかちんが、斉藤和義関連の Twitter で俺を発見してくれた。こんなときにこんなふうに再会するとは、なんてロックな。

りかちんの Twitter をさかのぼってしばらく笑いながら読むと、やっぱりその言葉の発し方とか、そこから想像できるモニター越しの表情は変わりないな。やっぱロックの子だよな。「あの頃のまま」(by ブレッド&バター/松任谷由実)でもある。

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萌の学校であさって Pray for Japan 集会があるとのことで式次第が届いたのだが、そこで使われる写真が、俺が震災翌日見てあまりの精細さに衝撃を受け気分が悪くなった boston.com の津波写真集だった。こ、これを使われては子供のトラウマになってしまうと慌てて連絡。

で写真を差し替えてもらう段取りをつけ、結局俺が選ぶことになってこれまであまり見ないようにしていた東日本大震災写真サイトを改めて見て回ったのだが、ほとんどが海外のサイトだった。やはり見るのがつらいという気持ちが日本の報道サイトの写真を少なめにしてるのかな。

しかしこんな写真を自分で集めることになるとは思わなかった。あの boston.com のページは、まったく保存する気になれなかったからな。今でも津波そのものの写真は正視に耐えない。津波の映像や写真は、逃れられない破壊と死のイメージを強烈に発散している。地震のないカナダの人には、そのイメージがあまりリアルに分からなくて、あの先生は無造作に選んでしまったのだろうか。

「破壊のすさまじさは表しつつ、津波は写っていないものだけを選んだ。死のイメージは子供らに与えたくないのだ」と説明を添えて担当の先生に送ると、そのまま使う、あなたの意見を心から尊重するとの返答。ありがとうございます。子供たちがエンパシーと助けることの尊さを感じてくれればいいのであって、ここで天災や死への恐怖は与えたくないのである。

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この災害写真セレクトの件で、やっぱカナダの人々にとっては遠くの出来事でリアリティないのかな、「カナダでいえばこれくらいの規模が壊滅」といえば実感してもらえるのかなと想像を巡らせ調べたのだが、東日本大震災での全壊家屋は今日の時点で判明しているだけで約6万戸、萌の学校があるコキットラム市の全私有家屋 41000 戸よりも多い。こういう数字を知らせたら、カナダの子供に被害の規模が分かってもらえるのではないかと思う。まあそんなにどうだまいったかと披露する必要もないが。

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■11/04/14(木) □ Pray for Japan 集会
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萌の学校の Pray for Japan 集会。俺が想像し心配したような強烈な災害イメージによる子供らへのショックなど肩すかしなほどになく、災禍に瀕し困っている人々のためにお金を集めることの有意義さに重きが置かれた教育イベントになっていた。

俺が作った低ショック型災害写真スライドは体育館のぼやけたプロジェクターではさらに情報度が5割薄まってもうなんだかよくわからず(笑)、「建物の上に乗っかってしまった船」の絵を見てその素っ頓狂さに子供たちはゲラっと笑い、「笑いごとじゃないのよ」と教師にたしなめられていた。

まあ子供があれを見て笑えるのが幸せだということだよな。日本が受けたダメージなど全然伝わらなかったと思うが、自然災害がなく恵まれたカナダの子供らの気持ちをダウンさせても仕方がない。募金をしてくれた子供らに折り鶴が行き渡り、ほんの少しの縁がつながることを喜びたい。

2011/04/03

日記「日本の神様」

「サンファン再評価」「NHK ドラマ『迷子』」「ティーンエイジャーとその親」他。

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■11/03/23(水) □ ゲーム「キングスブルグ」PC版
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愛機キャノン Powershot A530 のショット
 日本からのニュースアップデートはなし。午後HNを呼ぶ。天気がいいので久しぶりにエバーグリーンパークまで自転車で行く。俺と萌の自転車はかなりガタが来ておる。

 萌とHNのブランコ写真を撮っていて、そういえばこのカメラを買って初めて公式戦で使ったのがこの季節のこの公園だったと思いだした。あのときはホワイトバランスのくせがわからずいい写真が撮れなかったんだよな。今日の写真は色とホワイトバランスは完璧である。もうあれから4年だが、やっぱりいいカメラだ。

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 「ドミニオン」は3セットのカードをあらかた覚えると常時コンピュータに勝てるようになってしまい、また新しいPCボードゲームをやりたくて探している。サイコロの目を割り振る「キングスブルグ」がよさそうなので、資料を揃えてやってみる。

 サイコロを振って役人を雇って資源をもらい、その資源で建物を建てるというアイデアはルールを読む分にはなかなか面白いのだが、実際やってみるとどの役人を雇ってもあまり大差がない。目が大きい役人のほうがより多くの資源をくれるが、最大18の「王」でもたかだか4資源である。

 で集めた資源で買う建物がこれまたどれも大差ない。町の防御力+1とか2とか、ダイスが1個増えるとか勝利点+1とか、その程度の地味な効果しかないのである。苦労して建物を建てても、別に自分の町が発展し強力になっていくわけではないのだ。拡大再生産じゃないのである。

 建物で上がっていくのはほとんどが、4ターンに一度あるモンスターとの戦い時の町の「防御力」なのだが、モンスターとの戦いといっても単に「モンスターの攻撃力7」「町の防御力6」という数値比較なわけで、これで盛り上がるわけもない。役人を雇っても建物を建てても面白くないのだから、ゲームが面白くなるわけもない。残念。しかしこれで Boardgamegeek 144 位かよ。あのランキングはほんとアテにならんな。

 次は「レースフォーザ・ギャラクシー」PC版。これは何度トライしてみてもカードデザインが最悪で、すべてがアイコンで表現されていながらそのアイコンが下手な標識サインの見本という感じで、1つも意味が分からずプレイできない。ルールブックもダウンロードしてみたが、もうびっしりと文字が書かれていて読む気がしない。パス。さすがにPCでやれるボードゲームも尽きてきたなー。

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■11/03/24(木) □ サンファン再評価
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 午後バスケットをしに萌と外に出ると、ぶわーと温かく気持ちのいい風が吹いている。昨日は公園で寒くないと思ったが、今日はもう温かい。春一番だ。春はいい。東北にも早く春が来ますように。

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 【サンファン再評価】ドミニオンはもう飽きて、俺が好きな拡大再生産だとやっぱりプエルトリコかサンファンが最強だよなとPC版サンファンを再開する。するとやはりこれはほんとうに面白い。ゲームとしてはプエルトリコのほうがよくできているのだが、サンファンは配牌次第で毎回違った作戦を取らざるを得ないところがランダム性のないプエルトリコと違い、そこが面白いのである。

 序盤配牌を見て初期プランを立てる。この時点でカルカソンヌで感じるような、「今回はどんなゲーム的冒険を楽しめるだろう」というわくわく感が常にある。そしてコツコツと建築を続けつつ、中盤に引いたカードを元に勝負手を決めて勝負をかける。これがうまく行けば勝てるし、はずれるとまるで駄目になる。このギャンブル性が実に面白い。

 ドミニオンにもランダム性とギャンブル性はあるが、デッキに入れた札がコンボで手札に入るかどうかという程度のギャンブルなので、何度か手番を回していれば必ず当たりは来る。《これとこれを使い点を最大化する》というサンファンの勝負感とはシビレ具合が違うのだ。

 今回ルールを読み直していて、クレーンは差額だけ払えば上位建物を建てられるのだと知った。つまり序盤は安い作物/建物を速攻で作って利用し、機を見て上級作物/建物に建て替えればいいのである。これは一種の分割払いで、うまくはまれば最高額の6点建物もより早いタイミングで建てられる。これは使える。楽しい。もうほんとサンファンを買いたくなってきたな。

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■11/03/27(日) □ 日本の神様
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 日本の朝、宮城沿岸でまた強い地震と 50cm の津波。少し川に水が入ってきているのが見えるが、浸水までは行っていないようだ。神様神様頼みます頼みます。もう勘弁して下さい。

 こないだ友達の家にスリープオーバーに行った萌が、クリスチャンの子とムスリム(イスラム教徒)の子に「世界のすべては神が作ったのよ、信じないの?」と言われ、返答に窮して電話してきた。当たり障りのない答えとして「そうかもしれない」という答えを俺たちは萌に授けたのだが、「お父さんはどう思う?」と後日聞かれたので考えて答える。


ダイコンの神、おしら様
 「千と千尋で、川の神様とか大根の神様とか出てくるじゃん。ああいう風にいろんな神様がそこら中にいるというのが日本人が思うところなわけ。1つの神様がすべてを作ったとは思ってない。たとえばいま日本の地震でさ、日本中の人たちが『神様お願いします、もうこれ以上悪いことが起きないよう、助けてください』って感じで祈ってると思うけど、これは具体的な名前のある神様じゃない。ただ『神様!』と思わずにいられないわけ。神様がいるかどうかなんて誰にも分からないんだけど、あまりにも地震がひどすぎるからさ、神様がいて助けてほしいとホント思うよね」。

 助けてほしいと、そうさ、ホント、思うよね。

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■11/03/30(水) □ NHK ドラマ「迷子」
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 災害関連報道が時間的に大きく減ったのに TV Japan(or NHKの国際編成?)は「てっぱん」と高校野球ばかりやって普通の番組をやってくれないので、録りためていた震災以前のドラマや映画を見始めた。中にNHKのドラマスペシャル「迷子」というものがあり、これがよかった。普通の若者たちが普通に喋り、ゆきずりの恋や幼なじみの恋が始まりそうな気配や姉と弟のけんかがあり、言葉の通じない老婆を巡りたくさんの善男善女の静かな日が暮れていく。2週間以上ニュースだけを見ていたこともあってか、2回繰り返して見てしまった。

 「なんとかジャネ」言葉もこうして聞くと悪くないなーと思う。登場人物に嫌味や造形感がないからか、ある種の方言のような味わいを感じる。調べてみると脚本は前田司郎、以前見たカメラじいさんの東京行きを描いた「お買い物」の作家だった。そうだ、あれもよかったよなー。

 カナダに住んでアメリカのTVを見る家族と暮らしていると、スクリーンにはいつでも口論か早口でまくし立てるシーンが描かれ、まことにやかましい。君ら英語人は現実でもTVでもちょっと喋りすぎですよ。日本のこうしたなんの事件も対立も主張も問題解決も悪役もヒーローもない静かな物語を見ると、ほっとする。やっぱりいいところだよなと思う。ああ東北東日本の人々が、心静かに暮らせる日々が早く戻ってきますように。

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■11/03/31(木) □ 土掘り仕事
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 今日はTSさんに頼まれ朝から土掘り仕事。雨は幸い止み、まったく寒くない中気持ちよく働いたのだが、全体の仕事量の 3/4 あたりで体に限界が来て、握力がなくなり脚が攣りかけ、ちょうど約束の時間も来たのでそれではと帰宅する。筋肉の限界まで一応働けたというのは、普段体をまるで使わない身としてはそう悪くはないが、仕事が終わるまであと2時間ほど働くのはどう考えても無理だったなー。明日もどうかと言われたとても無理(汗)。

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 15 日の水素爆発以降、大規模な放射性物質漏出はなかったという科学者の早野さんらの分析結果が出てきている。原子炉についてはこれ以上の悪化は食い止められるだろうという多くの人々の分析は、俺は信じられる。むろん海水への流れ込みを止め、それからその元を止め、それからやっと長い長い年月をかけて冷やし、かつ汚染を抑え込み周辺を除去していくという地道で嫌な作業が延々と続くわけなのだが。

 しかし首相らが防災服を脱ぎ復興のときだと述べたそうだが、いい加減避難民の悲惨な境遇はなんとかならんのだろうか。日本の国力すべてを挙げても、20 万人余の人々を3週間も体育館に置いておくことしかできないのか。現時点で一般客などほとんどいないだろう東北圏内の旅館やホテルにどんどん収容し、その費用を政府が負うということができないのだろうか。一般客と同様のサービスは経済的に無理でも、旅館ならばとにかく暖と布団があるではないか。経済的にそれができないのだとすると、かなり日本の力に対し幻滅するものがある。

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■11/04/02(土) □ ティーンエイジャーとその親
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 あと2日で萌の春休み(2週間)が終わるが、俺は毎日毎日萌に対し暖かくしろちゃんと朝飯を食えくだらんTVばかり見るなとガミガミ言わねばならず、それを言われるのが嫌なので萌は自分の部屋かグランマのところに入り浸っており、憂鬱な日々であった。まだ 10 歳だが、だんだんティーンエイジャーとその親という感じになってきている。ため息。

 そして夜、萌が眉毛をハサミで刈りこんでしまった。ばか (^o^;)。子供はたまにこういう予期せぬ馬鹿なことをする。自分の眉が濃すぎると思ったのだそうだ。あと2日で学校が始まるので生えそろうわけがなく、アイペンシル(?)を買うか借りてきてごまかすしかないだろうなあ、これは。トホホ。

2011/03/23

日記「カナダから祈りを送る折り鶴」

「原発関係者と報道記者」「海外原発報道のトーン」「光はそこまで差している」「躍動のスクールダンス」ほか。

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■11/03/12(土) □ 東北大震災3日目
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木曜夜(日本の 11 日午後)寝支度をしていると TV Japan がニュース映像に切り替わり、津波映像が映し出された。それからただただニュースに釘付けだった2日間の自分の日記はもう、ブログにコピーしても悲しいだけで意味がないので省略。

 大震災2日目が暮れる。大津波警報はようやく津波警報に下がった。しかし救助は物理的な困難さから進まないまま、1日が終わってしまったようである。「南三陸町では住民の半数近い1万人の所在が不明」といった、皆が恐れていた桁が違う数字が出始めた。

 日本の明け方まで報道のアップデートもないはずなので、俺もひとまず NHK 国際放送を見るのを休止する。ふー。休止することが、被災者に対し申し訳ないような気さえする。この震災ニュースから片時も目を離せない感覚というのは、俺が日本人だからなんだろうか。

 Mはニュースを見てひどいまるでアルマゲドンだと泣き、俺の手を握り義援金を送ろうと言うが、一応普段どおりの生活を送っている。ニュースを見たら精神的にヘビーになるから彼女は意識的に一定量以上見ないのであり、俺にもあまりニュースばかり見るなと言うのである。しかし俺はとても見ずにはいられない。

 スマトラ沖地震のときも俺はニュースを見て同様に悲嘆したけれど、今ほどそのニュースばかりを追ってはいなかった(ハイチ地震に至っては、ああまた地震があったのか、大変だな程度の認識しかなかった、すいません)。―――あ、そうか。NHK 国際で事態の進展を逐一見られる環境にあるからか。だから俺は目を離せないんだ。

 それに母国だからというのもあるけど、それだけじゃないと思う。無数の町がまるごと消え―――廃墟すら残ってないのだ―――、水は引かず救助が進まず原発問題も深刻化していくなど事態があまりにもあまりにも悪すぎて、この最悪の中からなにか少しでも好転する知らせがないものかと、その知らせを俺は渇望しているんだろう。むろんそれはさらなる悪い知らせへの怯えとセットなんだが。

 世界貿易センタービルが数百本一気に崩れたようなこのショックは、流され消えたのが無数の命に加え、1つ1つかけがえのないものが詰まった家々と、それが集まった大切な町だったからだろうと思う。WTC ビルが崩れ去っても家族とパーソナルなものは残ったが、津波では何一つ残らない。東北というよりも日本の 1/4 ほどが消えてしまったという印象があり、さらには原発でさらに失われる範囲が広がる可能性もあって、本当に遠くからニュースを見ているだけでぐったりするほどの絶望を感じるのである。

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■11/03/14(月) □ 原発関係者と報道記者
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 原子炉で圧力が上がり水が入らないなど事故が連鎖し、恐怖が続く日々。原発関係者の記者会見はひどい。「原子力法何条に基づき報告の義務がある状況が継続中」とかぶつぶつ言うだけで、状況がまるで分からないのである。こんな言い方でカチンと来るなという方が無理で記者から怒号が飛ぶのだが、記者も寝てないのか頭がパニックになってるのかツッコミ方が悪くて、やはり事実がわからない。原発関係者と日本報道記者の双方にコミュニケーション問題があることが今回明らかになっている。昨日「マスコミも報道をしっかりしてくれ」的な失言をした官房長官に記者が噛み付いたのも馬鹿げていた。それどころじゃないだろう、目下の状況ではそんな失言くらい流せよと思った。

 結局会見中継はラチがあかんとぶった切って、NHK 解説者が通訳する。現在バルブを開け圧力を下げ注水を再開しようと努力しているということらしい。このように解説者が会見場にいて、「つまりこういうことですね?」と仕切ってくれれば会見時間の無駄がなくなるのだが。こうして火急の件が一向に知らされないというのも、国民の精神的な災害の上積みだろう。

 すべての人々が全力を尽くしている。東電だってコミュニケーションはアレだが死力を尽くしているはずだ。頼みます。

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 原子炉は大量リークからは俵一枚で踏みとどまっているというところであるようだが、止まっているはずの4号機から放射能が出ている。解説によると、使用済み燃料が沈められているプールの水が循環されず蒸発し、外気にさらされ熱を持ち水素を出し爆発したのではないかという。外気に露出しているからそこから高い放射能が出てるのだろうと。そっちかー。そんな話はこれまで一度も出てないではないか。まさかそっちはこれまでなにもケアしてなかったのか東電!

 ―――というか使用済み核燃料が安全なところに密閉されてないということに驚いた。そんなものは地下のコンクリートの底の中の奥くらいに入ってるのだろうと普通は想像するではないか。原発ってなんか一般常識が通用しない世界である。後から後から新たな問題が出てくる。

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■11/03/15(火) □ 海外原発報道のトーン
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 今度は静岡で大きな地震が起きていた。しかし今の日本の人々は、どんな地震でも「津波がなかっただけでもよかった」と思えるだろう。1~3号機の冷却は続いており、4号機の使用済み核燃料プールへの注水が火急の問題という段階。

 日本の報道は、少なくとも政府とNHKは不安を煽らないよう原発報道のトーンを極力抑えているわけだが、海外メディアはそうしたことを気にしないので、今朝のCBCラジオ特集番組のオープニングなどまったくパニック映画のプレビューのごとく、「マグニチュード9の巨大地震! 巨大津波! そして間近に迫る原発の破滅!」とか声高々とやっていて、イラっとさせられる。

 さらにCBC日本駐在アナは、「原発に近いエリアから逃げる車で渋滞が起きている」などとコトを大げさにレポートする。今の時点で政府の指示を待たず個人が大挙原発エリアから逃げるなんてことは、日本人のメンタリティとして考えにくい。頼るツテがあって移動する人はそりゃいるだろうが、民衆にパニックが起きてるみたいな言い方をされるとまたイラっとする。世界株式の反応などもふざけており、イライラさせられます。

 菅首相は「死んでも止めろ、さもなくば東電は絶対に潰れる」的なことを言って東電を叱咤したそうだが、問題の本質と恐怖は作業員が死んでも止められないかもしれないということなのであり、気持ちはわかるが響きは虚しい。

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 4号炉からまた煙と炎。うーむ。そんな危険な使用済み核燃料が入ったプールが屋根ひとつ壊れたら表に出てきちゃう建物構造になってるとは、原発というのは驚くほどもろい。また1つ大きく退歩させられたことになる。遠くから見ているだけでもしんどい。まったく悪夢のような災害だ。

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■11/03/16(水) □ 光はそこまで差している
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 自衛隊ヘリからの散水が始まった。プールは深さ 15mもあるそうで、ヘリの床に鉛を敷き防護服を着た乗員が操作してるそうである。頑張ってくれ。

 地上からの放水もこの後予定されており、午後からは冷却装置電源の回復工事が始まるという明るい知らせもある。原発に電気が戻れば本当にそれは希望の光だ。それで冷却系が動くかはまだ不明とのことだが、「発電施設さえ津波で壊滅しなければ、日本の原発はこの震災にも耐えられたのだ」という形で日本技術者の意地を証明してくれるのではないかと期待したい。プロジェクト X。光はそこまで差している。

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 放水は結局始まらないまま夜を迎えそうだが、炉の方にはこれでほぼまる2日危険な徴候が出ていないので、メルトダウンへの息が苦しくなるほどの緊張は感じずに済んでいる。官房長官が出てくる頻度が下がってるのが危機感を下げている。電気が通じるまで現状維持できますように。すべてうまく行きますように。神様お願いします。

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■11/03/18(金) □ 躍動のスクールダンス
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 NHK の終夜災害放送がついに終了し、新たなニュースがあるときを除き字幕放送になった。電源接続はやはり苦労しているらしい。


「マカレナ」でみな笑顔
 今日は萌の学校の終業日、午後からダンスがある。萌はもともと空手の型など体を優雅に動かすのは得意なのだが(ボール扱いなど hands-eye coordination は苦手)、「マカレナ」での躍動感は素晴らしく、そのナチュラルなノリっぷりが心地よい。最近ポップソングにかぶれヒップホップ的ダンスばかりやって俺をがっかりさせており、せめてジャネットジャクソンみたいにリズムに乗った小さくてシャープな振りで踊ってくれといつも頼んでいるのだが、リズムに自然に乗った「マカレナ」にはそれに近いものがあった。多人数で同じことをコリコリにやるヒップホップダンス的なものは馬鹿馬鹿しいといつも思うが、作り物ではなく人が自然に動くダンスはいい。

 それと萌はずっとMRと一緒に踊っていたのだが、彼女の楽しげな顔が素晴らしかった。気難しくぶっきらぼうな子で俺は笑い顔を見たことがなかったのだが、あんな笑顔で踊られるとなんだいい子じゃないかとほっとする。

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 原発ニュースに変化なし。しかしついに農産物から放射線が検出されたというショックな報告。量は少なくともこれは誰もが最も恐れることで、これまで気丈にしていた枝野長官も表情が暗い。とにもかくにも放射能を止めるしかない。それまでリスクのあるものは食べないようにするしかない。

 海外の報道機関は日本が公表していることを「!」付きでアンプで増幅して報道しており、さらには日本が公開してないこともあるんじゃないか、公表が遅いんじゃないかとと疑念を持ってかかっているらしい。MやLDが典型的であるように日本で働いたことがある外国人は日本組織の官僚性に対する反感があり、ことなかれ主義と軽んじてるからだろう。

 しかし災害もここまで来ると「ことなかれ主義」はもはや祈りに近い。ことなかれことなかれとつぶやきながら全力を尽くさないとやってられないわけで、たとえ「コト」的なことがあっても分厚いクッションをもって慎重に扱わなければならない。枝野長官はじめ日本政府がやっているのはそういうことなのだ。

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■11/03/22(火) □ カナダから祈りを送る折り鶴
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 ニュースは制御室の電気がついた(すでに全号機に通電はしているらしい)という他は、放射能が拡散、蓄積という重い知らせのみ。福島県産の農産物はすでにほとんど出荷できなくなっている。


カナダからの祈りを中継する折り鶴
 春休みが終わったらGL小学校で日本への募金を募ろうと日本人お母さんたちが計画を立て、うちも参加させてもらうことになり説明を受けに行ってきた。GLには日本人子息が11人もいるそうである(3~4人しか知らなかった)。その全家庭で折り鶴を千羽作り、募金してくれた人にお礼として差し上げようという素敵な案で、俺と萌は折り紙ビギナーなので 50 羽でよいと言われ折り紙と説明書をいただく。頑張ります。

 集まるだろう募金もありがたいし、日本では平和や安全や病気の快癒を祈るのに千羽鶴を捧げるのだとカナダの子供たちに教えてあげられるのがすごくナイスだと思う。募金をしてくれた子の家々に千羽鶴が散っていき、そこから祈りを送ってくれるようなイメージが湧いてくる。

2011/03/10

日記「モノポリーよりバンカース」

「キヨシローみたいに連れていかないでください」ほか。

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■11/02/26(土) □ モノポリーよりバンカース
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 今日は小雪。風邪がまだ抜けない萌は一人でアクセサリーを作っている。そしてこれをフリーマーケットで売りたいという。ものを売るというのはほんと難しいんだ、同じものがどこのアクセサリショップでも買えるわけだからと説明するが、そうしたバリュー感覚などまだわからんようである。子供にとってなにかを売るということはすごくエキサイティングなことなんだろう。一昨年の夏に近所の子一同でレモネードスタンドを出し、通りがかった人数人に買ってもらって狂喜していたしな。

 そうだ、何かを売るゲームを萌にやらせたい。とりあえずうちにあるのはモノポリーだけなので、これはカルカソンヌ購入の前に試してみてなんか面倒だったんだよなと思いつつ萌とやってみる。


デザインはまことにニートなんですが
サイコロを振り土地を買いチャンスカードを引くのは、俺が子供の頃胸踊らせ大好きだった「バンカース(日本製のモノポリークローン)」と同じ昔ながらの普遍性ある楽しさで、萌も張り切って土地を買いまくる。

 しかし改めてモノポリー公式ルールを読んでみて、そのめんどくささに呆れた。「バンカース」や「いただきストリート」は止まったところに即家を建てられるのだが、これは止まったところは土地の権利証しか買えない。そこにコマを置くことすらできない。そしてそこに敵が止まっても $200 の土地で $16 とかの、ほとんどゲーム的に意味がない家賃しか取れない。で2~3箇所の《同色の町を独占して初めて家を建てられる》というのだ。なんだこのめんどくささは。つまり敵が妨害して1箇所土地を取ったら、もうその色の町は資産価値ほぼゼロではないか。

 とここでモノポリーは取り引きがあるんだと思いだした。とりあえず敵がほしい土地を買っておいて高い値で売りつけるというのが戦略なのだろう。しかし同色独占してから家というだけでもクソ時間がかかるのに、その上交渉事まであるんじゃ面倒でやる気がせん。最初は土地の購入に盛り上がった萌も、ぐるぐる回り購入資金が尽きたあたりで興味をなくしてしまい、ひとまず中止。

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 俺はとにかくお手軽に遊びたいので、

《止まったら即家建築、同色町2個ゲットで家賃2倍、3で3倍》

 の「いたスト」式ルールでもう一度やることにした。家の所有者が誰か一目でわかるよう、単色の家ピース(※)の代わりにとりあえず2色のミープル(カルカソンヌのコマ)を使う。このルールだと2周目からさっそく金の取り合いが始まり、即座に盛り上がり笑える。本式ルールより5周以上早いだろう。
(※)最初は土地の所有者を示すコマが何もないので「ここ誰か持ってる?」といちいち聞かねばならないし、家が建つと全員が同じ色の家なので、「この家誰の?」といちいち聞かねばならない。この馬鹿げたルールが半世紀にも渡り改められていないというのは、めんどくささの軸が日本人とは異なるアメリカカナダらしい。「いちいち聞かなくて済むように」とは思考が進まず、「聞けば分かるんだから」となるのである。こういう例はカナダに暮らしているとしょっちゅう見つかる。

 萌はさらに、「自分の町に止まったらそこでは自分が一番偉いのだから、リスペクトマネー(1家賃と同額)をもらえることにしよう」という。面白いのでとりあえず採用(笑)。これで10周くらいしてサイコロを振るたびにガンガン巨額のマネーが飛び交うような状況になり、うわーとえらい盛り上がった。俺が萌の家賃 $1000 地獄タウンに2度止まり、明らかに勝負がついたところで終了。ボードゲームは当事者が楽しければいいのであり、これでよし。

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 独占しないと建てられない家、土地競売、交渉、ゾロ目システム、無闇に出にくい刑務所、破産負け抜け制といった公式ルールは、すべて省略した。これらはモノポリーしかゲームがなかった時代にゲームをふくらませるために加えられたのだろうが、現代のゲーム感覚ではそれらによる深みよりもプレイ時間増大の苦痛のほうが大きい。こうしたルールが煩雑で時間がかかるからモノポリーは誰でも知ってるけど誰もやらず、カナダのどこの中古屋でも山積みキングのゲームとなっているのだろう。

今検索して写真を見、バンカースの地名はなんと
全部日本の町名だったのだと思いだした。栄町とか、

「電車に乗り遅れる」とか、懐かしすぎ。
どれほど子葉を充実させても勝負を決するのはやはりサイコロ運なわけで、このゲームはその面白さのキモであるサイコロと売買とお金のやりとり(と交渉)を味わえればいいのである。そうするとつまり「バンカース」と「いただきストリート」になる。「バンカース」は今にして思うとコマがちゃんと色分けしてあるし、子供が覚えられないルールはすべて省略され、モノポリーのキモだけを抜き出してあったのだ。日本のおもちゃ屋さんはアイデアはパクリでも気が利いてるよ。


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■11/02/28(月) □ キヨシローみたいに連れていかないでください
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 NHK 国際で桑田佳祐復活の軌跡という番組があり、1年で復帰したからそうとは知らなかったのだが、実は食道と臓器の一部も切除する大手術だったのだそうだ。入院中の写真を見るとやはりびっくりしてしまう。

 桑田がフィルムコンサートの後サプライズで登場し歌い始めると、客席中が涙に包まれる。神から授かったかのような才能と、まだ体がきついのにこんな風にサービスをしないではいられない親切心が同居している奇跡のような人だから、だから帰ってきてくれたことにみんな泣けてしまうんだよ。日本ポピュラー音楽界の頂点を極めながら、超絶高品質歌謡曲カバーのコンサート(Act Against AIDS)をやってくれるし、病に倒れてもこうしてお客さんに会いに行かずにはいられない。この働き者っぷりは他の国の大御所ミュージシャンではあり得ない。まさに日本的な音楽者なのである。

 どうかどうか神様。この勤勉さと親切さに免じて、この人をキヨシローみたいに連れていかないでください。

2011/02/28

日記「ドミニオンの結論」

「プエルトリコ最後の開眼」「ニッポン売れてる音楽問題」ほか。

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■11/02/18(金) □ 子供のカルカソンヌ
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坂道が気に入ってくれたノボリ君
最近イモリたちが元気で、盛んに散歩したり運動してくれる。いろんな地形ができるよう浅瀬を減らし坂道を作るなどレイアウトを変更したのがうまく行ったのもあるし、先月入れた活発な新イモリが刺激になってるせいもあるだろう。活動してくれるとイモリってほんと見飽きない。動きのユーモラスさとアナーキーさは、サル山の猿を見てるような楽しさがある。

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学校が休みで天気がいいのでHN兄弟を呼ぶ。萌とHNが速攻でガールズ盛り上がりに入ったので、俺はKTが退屈せぬようカルカソンヌに誘う。テレビゲーム小僧のKTはやはりゲームだったらなんでも面白さがすぐに分かるようで、町と道と修道院というメカニズムがわかるとさっそく修道院をぐるりと取り囲むレイクロードという美しく高得点の町を作り始め、これがクローズしたらすごいよと盛り上がる。実にカンがいい。俺が乗っ取り方法を指導して2つ乗っ取りにも成功して、彼が勝ち初回から非常に盛り上がった。

カルカソンヌはまこと偉大で、萌の友達の子供らにもこうして広めていきたいものだが、問題は萌がすでに強すぎて、子供同士でやらせたら1人勝ちになってしまうことだよな。手加減したらそれはそれで喧嘩になってしまうだろうし (^-^;。子供たちだけでボードゲームをやらせるなら、勝ち負けがないパーティゲームを探したほうがいいのかもしれない。


バルバロッサ
粘土を使った形当てゲーム「バルバロッサ」がどう見ても面白く、これは粘土さえあればできる遊びだというのでこないだ萌と簡易版をやってみるとまこと盛り上がったので、使いやすい多色粘土を見つけて子供らとやりたいものである。

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■11/02/19(土) □ プエルトリコ最後の開眼
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プエルトリコ(Tropic Euro)は COM (強) の港出荷を1人では止められないと結論が出たので、このPC版はもうお蔵入りかなと思いつつ、最後に COM (強) 同士で4P戦をやらせてみた。すると驚いたことに、俺がまったく勝てない港出荷野郎が最下位となった。えー!?

1) ギルホ (タバコ4枚集中取り→10 点建物2軒(ギルホ&砦))
2) 港2番手 (コーヒー農場→港・造船所)
3) 初手宿屋 (建設現場→砕石4→10 点建物)
4) 港一番乗り出荷男 (インディゴしか売れるものがなくジリ貧)

そうか。俺は単に金づくりが下手で、あるいは港出荷を止めようと力を傾注しすぎて、10 点建物を複数作れないから COM (強) 港出荷型に負けてるのだ。そうだったのか。まだあきらめてはいけないプエルトリコ。

この1位の手を参考に、タバコ農園から商館を作りこつこつお金を貯め、出荷は敵の出荷量を少しだけ削れるようにする程度でまったく力を入れず、無駄な出費を抑えて市役所→小倉庫→税関とこつこつ作っていったらロースコアながら1位! か、勝った。敵全員 COM (強) で初の建築勝ち。やっ・た\(^-^)/。自分が初期の金策をうまく進めれば、港出荷野郎にも勝てるのだ。サイコー。さすがボードゲーム史上世界2位の名に恥じず、見事にバランスは取れていたのである。このバランスを学ぶのに2週間もかかった俺がバカであった。

こうして《コーンは出荷型に渡さぬようできるだけ拾う、コーヒー工場は高価なので稼働開始が早いタバコ工場で資金稼ぎ》というベーシックな勝ち方が掴めると、勝てるならば必死こいて一本道で勝とうとせず、いろんな打ち手を楽しもうという気にもなれる。これからはさまざまな戦術バリエーションを楽しんでいこう。

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■11/02/21(月) □ ドミニオンの学習
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ドミニオン・クローン for Windows
絵柄はオリジナルにしてあるし
強いし、見事なデキです
プエルトリコは一段落した感があるので、家事と萌の相手の合間に大ヒットカードゲーム「ドミニオン」のルールを習おうとしたが、からきしわからない。取ったはずのカードが取れていない。何か根本的に普通のカードゲームと違うルールなんだと思う。

ネットをあちこち読んでPC相手に試し、やっと「取ったカードは手札に来ず、自分の捨て札に入り、後から使えるようになる」という変わったルールなのだと分かり、ゲームを進めることができるようになった。しかしそのカードの効能が超面倒である。
【泥棒】他のプレイヤーは全員、自分の山札の上から2枚のカードを公開する。財宝カードを公開した場合、その中の1枚をあなたが選んで廃棄する。あなたはここで廃棄したカードのうち好きな枚数を獲得できる。他の公開したカードはすべて捨て札にする。
【密偵】各プレイヤー(あなたも含む)は、自分の山札の一番上のカードを公開し、そのカードを捨て札にするかそのまま戻すかをあなたが選ぶ。

この調子で長文の効果を読まねばならない。しかも意味が分からない(笑)。ネットで検索し熟練者が意味を解読したものを読んでやっと効果が分かるのである。カードが持つ効果が非直感的すぎ文章が下手すぎるのだ(これは訳は直訳で、原文が下手)。プエルトリコの「市場=売却価格が1増える」はなるほど市場だもんなと一発で了承できるが、「【泥棒】他のプレイヤーは全員自分の山札の上から2枚のカードを公開...」などという言葉と効果に何のつながりもない人工的なルールは覚える手がかりがなく、理不尽さを感じる。

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ともあれルール解説を読みながらの5回目のトライで、山札と手札というややこしいシステムの仕組みがやっとわかった。つまり

◆山札、手札、捨て札は全部自分の持ち札で、それがサイクルする
◆その全部の持ち札の中から手札5枚だけを1ターンで使うことができる

これがこのゲームシステムの全貌なのである。説明書(原文)の一番最初にこの2行の説明を図入りで書いておけば一発でゲームの仕組みが分かるのに、8ページ目までテキストを読まないと捨て札がサイクルするということがわからない。英語圏の製品は電気製品でもなんでもこの体たらくで、説明書が滅茶分かりにくいのである。他人に何が分からないかが分からない人種なのだ。説明書を書かせて世界一は日本人だろう。

で、その5枚の手札内に+3カードなどのアクションがあればさらに3枚を山札から足してそのターンで使うことができる (アクションは+アクションカードがあればどんどん連鎖する)。使ったカードと手番で獲得したカードは捨て札に入り、あとで山札が尽きた時点でシャッフルされ山札となる。つまり買い物に支払った金さえも捨て札経由で戻ってくるのでケチる必要はない。持ち札はどんどん増えていくのだ。なるほど。やっとわかった。俺はなんて説明がうまいんだ。日本人説明バンザイ。

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あとはカードの効果を覚えれば徐々に戦術も立つのだろうが、現時点でそこまでやる気はしないので適当に。とりあえず中盤からサンクトペテルブルクと同じ要領で徐々にお金を勝ち点にしていく。勝ち点が増えるほど手札内のお金がなくなり買い物はしづらくなるが、手札の+金カードで足すことができるのでさほど不自由にはならない。1戦目は 75-59-[27]-25 で3位。初ものゲームにしては普通に戦えたほうだろう。やはりサンクト、サンファン、プエルトリコと学んできたボードゲーム学習効果は大きい。

アクション効果を継ぎ足していく感じはなかなか楽しい。連鎖だ。TVゲームみたいだ。しかし大ヒット作というほどの面白さは感じないので、あちこちのゲームサイト記事を読みながら寝よう。

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■11/02/22(火) □ ドミニオンを8戦連続
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【ドミニオン】初期カードセット以外で数戦やってみて、「堀」というカードが気に入った。これを買っておくと敵の攻撃を防御できる可能性が高まる。この《攻防がある》ところと、可能性が《高まる》というところで初めて、ドミニオンを面白いと思った。つまり手札は自分で選択できないので毎回「堀」を出し防御線を張っておけるわけではないが、2枚ほどデッキに入れておけば高い確率で攻撃を防いでくれる。それがデッキを強くするというこのゲームのテーマなんだ。なるほど。堀は敵の攻撃をことごとく遮り、しかも手番になったら手札を増やしてくれる。このカードのマメな働きには愛情を感じる(笑)。

そして「村の広場」セットで初勝利。カード連鎖で手札に金と銀を複数枚入れることができ、高い勝ち点カードをバンバン買えた。これでドミニオンはわかりました。面白いが、現時点では同じく金銭→得点のサンクトペテルブルクと同等という感じ。プレイしているうちに「堀」の他にも好きなカードやカードコンボが見つかり、柔軟性の高さでサンクトペテルブルクを超えるだろうが、そこまでやり込むかはまだ分からない。

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とか否定的な感情で始めておきながら、気がついたら夜中まで8戦もやりまくっていた。やっぱ面白いんである (^-^;。プレイが非常に軽いのがいい。デッキ全体としてこういう方向で点を取りたいというおおまかなグランドデザインだけを持ち、後はその場その場の自分の手札を見た最善手判断だけで進められる。このごく手軽でありながらちゃんと考えどころもある愉しさはカルカソンヌと共通している。

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■11/02/25(金) □ ニッポン売れてる音楽問題
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【NHK B'z の番組】サザンオールスターズより B'z のほうが売り上げ総計が大きいというのにはぶったまげた。俺は1曲も彼らの曲を知らないのである。海外暮らしとはいえ俺だって NHK や TV Japan でやってるタモリの歌番組で彼らを何度も見てると思うが、ほんとに1曲も記憶に残っていない。それが日本一のバンドなのだみたいに言われると、ちょっとちょっとと言いたくなる。

記憶にないのは音にも言葉にも興味を感じないからで、この番組を見てますます興味がなくなった....という言い方もヘンだが、興味を感じない理由がよくわかった。「(こんな僕に?)よくぞつきあってくれたね~」なんていう歌詞とメロディを発するセンスにはついていけないのである。

ギターの人がスタジオに篭りギターソロを何度も録り直し、ボーカルが節制し毎月医者に喉をチェックしてもらっているというこのドキュメンタリーが示すように、彼らの音楽は努力と鍛錬から生み出されている。努力と鍛錬はもちろん尊いが、それは音楽や表現のよさとは別系統の尊さであり、直接結びつくものではない。全くこの番組は音楽というよりも工業製品の苦闘する生産現場ドキュメンタリーのようであった。―――あ、あれだ、これは「プロフェッショナル 仕事の流儀」だ。俺はあの番組が苦手なのである。

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B'z とは関係ないが NHK の歌番組で毎週大騒ぎされている AKB48 とかの売れっぷりも馬鹿馬鹿しい。萌はこういうガールズグループを見ると「これって日本ぽいよね」と失笑するが、グーフィ(クールの反対)な格好をした女の子たちがえらい大勢でスキップして歌ってるだけなんだから、カナダの10歳から見たら児戯と見えて当然である。俺の希望に反し萌ががっぷりハマっているケイティ・ペリーなどの US ポップも全部くだらないけれど(マイケルジャクソンやマドンナやプリンスが一度は開拓したポップ音楽の土壌から出てきておいてその前時代的凡庸さはなんだ、と)、AKB48 とはさすがに比較されたら恥ずかしいくらいなもんである。

なんで日本ではこう幼稚性がもてはやされるのだ。こんなものは中学生の学芸会ではないか。学校でガールズがこれをやって同級生がやんやの喝采というなら話はわかるが、商業として大成功し、大人がすごいですねえとお追従を言うというのはどう考えてもおかしいだろう。

子供も大人も聴く音楽を間違っている。子供はシャキーンを、大人は「等身大の歌詞にすごく共感する」とかそういう努力と鍛錬レベルのことばかり言ってないで、思いもよらぬほど美しい言葉とメロディを届けてくれる本当に才能あるミュージシャンの音楽を聴いてください。

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■11/02/25(金) □ ドミニオンの結論
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【ドミニオン】はなんか俺はうまくならないなこのゲーム、と早くも盛り上がりが醒めてきた。《ゲーム中対戦相手が何をやってるのかよく分からない》のがどうも馴染めない。デッキを自他ともに見ることができないというシステムがドミニオンのゲーム性を生んでおり(※)、それは間違いなく素晴らしいのだが、それゆえに各プレイヤーの状況が分からないことにフラストレーションを感じるのである。

(※)デッキを見れるなら常時最強の5枚を手札に使う
別種のゲームになってしまう。

自分のデッキは無論「金が2枚と改築があり、庭園が2枚入っている」と見れなくても概要を把握しているが、敵全員のプレイ札と取り札を見て「誰がどんな戦略でスコアはどの程度」なんて推測し記憶しているなんて無理である。せめてスコアだけでも分かれば (得点カードと庭園だけは表を向けて横に置くとすればよい) 自分の戦術が他と比べうまく行ってるのか遅れてるのか分かるし、リードしてる人の打ち手に着目し思索も進められるのだが、このシステムではあーなんか俺はたぶん負けてるなーくらいしか分からない。

スコアが分からないのだからぎりぎりの勝負感など当然生まれてくるわけもなく、「この1枚をどう打つかで勝負が決まる」みたいなエキサイトする状況にはなりようがない。よってゲーム終了時にも「やっぱ負けた/あ、勝った」くらいの気持ちしか湧いてこない。ドミニオンについて皆が言う「ソロプレイ感」というのはこの「対人勝負感覚の薄さ」のことなのだと思うが、それはこのゲーム構造による戦況判断の困難さゆえだろう。

加えて、「このままじゃ負けるから大得点狙いのギャンブルに出よう」みたいな戦略が取れないのがやや物足りない。ゲームの終盤に「あれとこれをコンボにすれば大量に属州が買える」みたいな手が突如浮上したりはしないのである。そういう手があるなら序盤から終盤まで変わりなく存在している。それに絶妙なコンボを思いついて買った良手カードも間違って買った悪手カードもデッキの何十枚中の1枚なので、それらは後からじわりとしか効いてこない。無論そのじわり感がこのゲームの妙味なのだが、なにか戦略を変えての急追はできないメカニズムなのだ。

カルカソンヌやプエルトリコでは戦況はすべて見えているし、可能性は低くても逆転を狙う手があり、良手悪手は直ちに戦況に反映され明瞭である。その3点が、ドミニオンとは大きく異なっている。俺はすべて見えていないとダメなんである。ゲーム中スコアが分からないゲームはたぶん全部ダメだろう。

勝つときは「全体としていい感じにデッキが育った」というじわじわな喜びがあり、負けるときは「全体としてなんかダメだったナリ」という感じになる。美味なのだが、薄味。いいゲームだが、俺にとって勝ってガッツポーズというほど燃えるゲームではない。3~4日しかやっていないが、それが現時点でのこのゲームに対する感想となる。サンクトペテルブルクより上、サンファンと同等、カルカソンヌ・プエルトリコよりは下という感じかな。

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ドミニオン(評価8点7点)
《長所》
◆アクション連鎖さくさくは楽しい。3段4段と連鎖するとまるで TV ゲームのような華やかさ
◆生産をするゲームではないが、デッキがうまく作れた後半は拡大再生産ゲーム同様の得点加速感がある
◆カードセットから多様なカードのコンボを考え出すこと自体が楽しい
◆攻撃とその防御法があるのは素晴らしい。「堀」サイコー
《短所》
◆はじめはカードの効果説明を読むことが実にめんどくさくやる気を削ぐ
◆誰でも同じアクションカードが買えるので、苦労してほしい物を手に入れた的な喜びはない
◆システム上戦況がよくわからず、それゆえ人と競っている楽しさを感じにくい
◆ゲーム途中で戦略を変更しても効果が薄い
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というわけで、ドミニオンはひと段落。プエルトリコをやりつつ、また他のゲームを習ってみよう。

2011/02/20

日記「スクールミュージカル/ホートン」

「(プエルトリコオンライン)港大量出荷作戦にゲンナリ」「PCボードゲームの限界か」ほか。

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■11/02/11(金) □ 港大量出荷作戦にゲンナリ
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Java 版プエルトリコ、Tropic Euro
「強」はめっちゃ強い
PC相手のプエルトリコ Tropic Euro は COM プレイヤーの強さをハードにして以降どうにも戦術がマンネリ化しつつある。COM がノーマルの時はいろいろな建物を買い効果を楽しみつつ勝てたのだが、「コーン→港→大量出荷」という一本道で突き進む COM (強) には、同じ出荷作戦でしか対抗できないのだ。なにか建物を買いたくて生産物を金策に回すとその分出荷が滞り、あっという間に出荷点で引き離され挽回不能となる。

人とやれば毎回個々の選択にゆらぎがありもっと面白いだろうと思うが、COM 敵だと毎度同じ展開の繰り返し、しかも俺が望んではいない出荷競争ばかりなのでゲンナリしてくる。少しは異なる戦術で遊びたいのだが、いつもと違うことをしてもこれといったメリットがなく、そしてこれはメリットがないことをするとその分苦しくなるシビアなゲームなのだ。

サンファンはランダムな引き札によって戦術は毎度必然的に変わるので、気楽だし戦術バラエティもそれなりに楽しめる。プエルトリコもノーマル相手ならばいろんな戦術で勝てるのだが、COM (強) がやる最適化された港作戦に勝つ方法は港作戦しかないんじゃないかコレと思うのである。

―――あ! 今のゲームで勝った COM (強)2が初手で宿屋を取っている。しかも大学も取っている! それで砕石所を4個も取り、出荷なしの建物ポイントだけで勝ったんだ。そうか、こういう面白い勝ち方も可能なのか。港作戦に勝てないのは単に俺が下手だったのだ。この宿屋作戦を含め、もっといろんな戦術を研究してみよう。

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■11/02/15(火) □ PCボードゲームの限界か
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【プエルトリコ】ここ数日最強港作戦対策と宿屋作戦の研究をし、おかげで少し戦術開眼した感がある。初手宿屋作戦で何度か COM (強) に勝つこともできた。いろんな戦術で勝てるなら、やはり素晴らしく面白いゲームである。これだけの研究を実際のゲームでやっていたら何週間もかかることだろうから、強いPC練習相手がいてくれてほんとありがたい。

しかし人間プレイヤー1名では出荷型を止めきれないとはっきりしてきた。ほんとのボードなら複数プレイヤーが協力して生産物をぶつけ船をコーヒー等で埋めて港プレイヤーの独走を止められるわけだが、Tropic Euro の COM はおのおの自分の得点追加作戦を遂行する(COM (強) の思考ルーチンは素晴らしい)だけなので、出荷型を妨害するのは俺しかいない。出荷を妨害すれば金を稼ぐ機会が減り建築が苦しくなるし、建築に力を注げば出荷をどんどんされるという、建築型に勝ち目なしのゲームになってしまうのだ。出荷型は必ず複数いるのでお互いに補完しあって点が伸びる一方だし。

試しに2P戦をやってみると、やはり相手の港作戦を妨害しつつ俺の建築を進められ、COM (強) にも建築できっちり勝てる。つまり必ずしも俺がヘボだから COM (強) に勝てないのではなく、COM による妨害がない Tropic Euro のプエルトリコでは港出荷でとめどもなく点が入ってしまうということなのである。

2P戦なら戦術バランスはイーブンになるが、しかしサンファンと同じで2P戦だと簡単に手が作れすぎて味気ないんだよなあ。3P戦にしたり、出荷型になるコーン持ちプレイヤーの上家に俺が座ってコーン持ちを妨害したりと、いろいろ実験をやってみてもこれといった港有利解決策は見つからない。港をなしにするというオプションがあればおそらく Tropic Euro では一番バランスがいいのだけれど。ノーマルでは弱すぎて、ハードではこれ以上戦術的バリエーションが楽しめない(というか楽しむと勝てない)。これがPC相手のボードゲームの限界かもしれない。

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Tropic Euro (プエルトリコ)(評価9点8点)
《長所》
・拡大再生産フィーリングはこれが最強だろう
・効果が違う建物類が楽しく、さまざまな勝利への道筋が考えられる
・全員が同じ作業を行うルールは秀逸
《短所》
・他のプレイヤーとの兼ね合い部分は、頭が疲れているとしんどい
港逃げ切りが強すぎ、勝ち筋は案外狭い(人間プレイヤー同士ならば問題ないのかも)港出荷逃げ切りは強いけれど、そういうプレイにもさまざまな戦術でちゃんと勝てると後から学習、失礼しました。
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■11/02/17(木) □ スクールミュージカル/ホートン
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ついに萌のミュージカル本番、朝から萌はガンガンに飛ばし歌いまくってるので、これからリハーサルと本番があるんだから少し声をセーブしてくれと頼む。まあ無理だろうなあ。主役なんだから。


このミュージカルは「ホートン/
ふしぎな世界のダレダーレ」という
映画になっているらしい。
【スクールミュージカル「Horton Hears a Who」】早目に来ていい席を確保。萌はマスクをすると聞いて顔が見えないのかなと残念に思っていたが、子供芝居らしくおでこに象のホートンがついた帽子だった。

最初のソロ曲は声に緊張が出ていたが、震えや音のはずれはなく出だしほぼ万全の出来。しかしサビで最高音に行くところでオクターブ下で行ってしまった。キーが男声用に書かれているので子どもが歌うと半端に高く、つい下に行きがちなのでそうならないよう何度も練習したのだが。しかし無理もないかもしれない。緊張で喉が詰まって高音が出ないような気がして、一瞬のためらいがあったのだろう。こんな満場の人前で歌うことは初めてだもんな。2番のサビはきちっと上のオクターブで歌えた。よしよし。


人前でソロを取るなんて
もちろん初めてです
2つ目のソロ「サラサルゥ」は高いところも声の転換部も練習通りにきれいに出る。素晴らしい。声が普段より小さいが、あれはマイクで歌うことも初めてなので加減がわからないのだろう。

というわけで、練習での力が9分通り出た見事な萌の初のミュージカル体験だった。日本の小学校でこれをやったら、「ウーだってよ!」と悪ガキや意地悪ガールズにからかわれまくると思うが、カナダはそういうノリがまったくないのが国全体としてえらい。

◆  ◆  ◆  ◆

歌い終えて帰宅した萌に、あとでみんなに絶賛されたかと聞くと「誰もなんとも言ってなかったよ」と笑う。そんなはずはないだろうと思ったら、やはりクラスでさかんに褒められたらしく、照れて俺にはそう言わなかったのだった。

「あんなみんなの前で歌ったなんて、今でも信じられない。夢みたい」と萌はいう。夢みたいというよりも、夢がほんとになったんだろう。《夢が夢でなくなる東京、おいしそうな花の蜜》だよ。若いって素晴らしい。