「日本CMのガラパゴス感(加筆)」「追憶の地元自転車ライド」「ジャムセッション三たび」「親孝行ドライブ」ほか
■2023-04-28 再びの帰郷
先に帰る姪を京成上野で見送り、観光日程を終え信州の実家に戻った。ここからはただの帰省で引率も移動も必要ないので、ただただのんびりするだけだ。
帰ってきたなあ長野と車窓を見る俺たちを娘が撮ってくれた。この頃娘が俺たちを撮る写真に愛情が感じられる(親バカではなくて・笑)
長野から京都~東京へ出発して1週間しか経ってないが、濃密な観光とライブをやったのではるかな日時が経った感覚がある。前に見たときはまだ冠雪があった黒姫も、もう夏の姿だった。
しかし昨夜5バンド計7曲も弾いたので、俺はふくらはぎが痛くてガタガタだ。昨夜はやはり興奮で上ずっていた。晩飯も食べずにずっと演奏し話をし、帰りの電車ではハンガーノック状態で、駅で買ったドリンクをグビグビ飲んで水分と糖分を補給した。雷門の薬局でサロンパスを買い、脚に貼って移動している。
■2023-04-29 日本CMのガラパゴス感(加筆)
時間に余裕ができたので、夜風呂上がりに娘とお菓子を食べTVを見る。やはり芸人が旅をする番組ばかりだが、キャンプもやっていた。俺も娘もそれを見てハハハとなごむ。 日本でTVを見るとCMが入るので、ドラマの人気俳優たちがぞろぞろCMもやってるんだとちょっと驚いた。邦画も同様の顔ぶれなので、人気俳優だけで日本の全映像が回ってる感がある。岸田首相が推す少額投資を佐藤浩市が宣伝し、ムロツヨシがインボイス制度対応の銀行口座かなにかを宣伝していた。こういうCM仕事をバリバリやってるんだから、日本の俳優はそりゃ政治的発言なんかできないわと思った。欧米の俳優が自国でCMやらない理由も逆にわかる。
若い頃から政治的で長年アジア開発支援をやっているイトコと話した。「日本のニュースはインバウンド盛り上がりとかばかり伝えてるよね」と、国民の問題意識を醸成せぬメディアへの不満を話すと、「日本のニュースは解説をしないので、国民には政治経済ニュースの意味がわからない」と一刀両断だった。日本のニュースは政治経済の劣化から国民を守ってくれない。
日本の固着した政治経済はなんとかならんのかと彼の見解を聞くと、共産党と他野党が結びつけば世の中変わるが、それを自民統一・連合・民主右派が壊したのでもうダメだろう、落ちるところまで落ちると宮台氏的にシニカルな見解だった。しかし日本が壊れても自民利権構造は永続するとこの10年で証明されたわけで、落ちてもそこから再建することもできない。ハア :-(
彼の頭脳明晰でチャーミングな息子がユーチューバーとなり、この無風社会をかき立ててくれないかと俺たちカナダ家族は望んでるんだけどと言うと、いやーどうかなーと笑っていた。俺はすぐそういう一発逆転カードを望んでしまう。
■2023-04-30 変わらぬ友だちたち
高校時代のバンド友たちがギターを持って訪ねてきた。いろいろとくだらない昔の話(必ずしも正確ではないw)が出てきて、娘がたいそう喜んでいた。
ベースマンが自分の結婚パーティで歌った「ウーマン」「アイ・シャル・ビー・リリースト」を、日加合同でハモリ歌う。Woman I know you understand, the little child inside the man. この歌は子供みたいな音楽バカであるベースマンが、こんな俺ですがどうか分かってくださいという意味で花嫁に向けて歌ったわけで、あれは本当にぴったりな選曲でしたねと彼の奥さんに話した。
何年経っても友だちって変わらないねと母が微笑む。ほんとにそういうもので、自分も友だちも高校の頃から随分変わっていると思うのだが、会うとお互いの関係は変わらないな。ベースマンはピュアすぎてときにハタ迷惑なやつなのだが、会うとやはりたまらなくチャーミングだった。
■2023-05-01 忘れじのサマーフィーリング
長野の町を散歩した。町のどこからでもすぐそこに善光寺の裏山が見えるきれいな町である。奥様はこの町で2年間英語教師として働いていたので、いろいろと思い出がある。俺は彼女が日本で過ごした最後の夏に知り合った。
二~三度会って意気投合した頃、俺の信州バンド友、昨日のベーシストの結婚パーティが長野であり、音楽やるから楽しいよと俺は彼女を招いた。
宴は延々盛り上がり、終電も終わったから泊まっていけばと今度は俺が彼女のアパートに招かれた。自転車を押す彼女と並び、夜の善光寺界隈を歩くのは楽しかった。RCの歌みたいだった。「きれいな月だよ、出ておいでよ。今夜も二人で、歩かないか」
そのアパートを数十年ぶりに今日発見してしまった。ここだ。周りは激変しアパートは傷んでいるが、間違いない。彼女が暮らした3階建てのアパートはまだ残っていた。
話し込んで夜が明けたとき、「見て、きれいでしょう」と彼女が窓から裏山を見せてくれた。本当にかわいらしいなと思った。
翌日、写真に写る小さな発電所のある裾花川を散歩し、夏の一日を一緒に過ごしたんだよと娘に話す。まだつきあい始める前の忘れじのサマーフィーリング。思い出の小道、メモリーレーンだ。
(出会った頃のういういしい私たち)
■2023-05-02
追憶の地元自転車ライド
(旧上高井郡役所、大正6年建築)
【思い出の小道】第二弾、娘の提案でレンタ自転車を借り地元の町を二人で走り回った。子供の頃は気づいてなかったが蔵のある通りはきれいだ。高校の前にあるこの旧役所のような歴史的建築も、高校時代はまったく眼中になかったよと話しながら案内する。
高校は俺のイメージの中ではずいぶん遠かったのだが、郡役所の角を曲がったらもうそこにあった。家から目と鼻の先じゃん(笑)。子供の頃の距離感覚がオカシイ。
授業が行われていたが、俺たちはまるきり生徒と父兄って感じで堂々と振る舞ったので問題なし。中庭があってきれいな学校じゃないと言われる。そうだね。購買でサンドイッチを買いこの中庭で食べながら、窓から顔を覗かせる後輩女子の誰がかわいいとか友だちと話していたな。バカだった。
何度も登った高校の裏山が見える市営グラウンドの駐車場から、80年代のいっときはこの町を企業城下町としていた富士通工場跡を通り、戦前戦後の絹糸産業時代に栄え映画館もあったが、今はさびれた旧市街を降りていく。
絹糸産業がなくなった後うちの店が立つ駅前が栄え、モータリゼーションで今は駅前もさびれ、郊外のバイパスあたりが栄えているわけだよと話すと、小さな町なのにそんなに大きな変遷が何度もあったんだと娘が感心していた。町が立体的に見えてきたと。そうだね。日本は戦争も高度成長期もあって、栄枯盛衰いろいろあるよね。いまは長期停滞で、右肩下がりで安定してしまっているのだけれど。
神社の裏ではたくさんの子供たちが外遊びしていて感動した。少子化っつっても子供いるんだ! そしてデジタルゲームばかりやってるわけじゃないのね。カナダから日本の政治状況を眺めると客観的には滅びゆく国なのだが、実際その中にいると危機感は感じられないものである。この光景を見たらよけいそう思う。
いやー想像以上によかったね地元自転車ライド。ムスメの勧めでやってみてよかったよ。
レンタ自転車は電動アシスト付き。俺は母のママチャリだったので、登り坂ではときどき交代した。電動アシストは初めて乗ったがすごいな。走り出しのふわーという違和感はあるが、坂でも平地の感覚だ。もっと年を取ったらあれはほしくなるわ。
■2023-05-03 親孝行ドライブ
日本の最終日、母をドライブに誘い出した。うちの町の奥の山際限界まで登っていくと、桃源郷な田舎景色なのだ。この上はさすがに人は住めないというあたりまで登り振り向くと、かわいらしい岩山や善光寺平(だいら)の景色が見える。
雪山は戸隠と北アルプスだ。すばらしい。拡大すると五輪会場のMウェーブが見える。奥様とこの町に住んでた頃は、軽バンでよくこういう限界集落へのスロードライブを愉しんだ。ハイウェイから見える松代あたりの裏山もくまなく探索した。奥様が日本旅行を好きなのは、そういう思い出がたくさん詰まっているからだと思う。
母は膝を痛めて杖を使っていたが、カナダから想像していたよりずっと元気で安心した。おばあちゃんは絵になるなあと、息子と孫娘はパチパチ写真を撮っていた。
ムスメが撮った写真がいい。山の高さと背高親子。
母はこうして連れ出せば昔ながらの観察眼でいろいろとイントレスティングなことに気づき、指差し話すので楽しい。背が高くまっすぐなので、170cmの娘と並んでも釣り合いがいい。
高いところからの景色は本当に久しぶりだと母は喜ぶ。良かった良かった。この山には親戚の家もあるので、どうもーカナダの親戚です数十年ぶりー(笑)と突然寄っていき談笑した。前触れなく訪ねた親戚だが、ゴールデンウィークで家族揃っていたみたい。冠婚葬祭でしか会わないが会うたびにいい人だなあと思う叔父さんにも、会えてよかった。
昼は実家でトンカツ定食。母は久々の外出で気分良かったようで、珍しく外食も付き合ってくれた。うちの店は信州牛も飯山豚もシリアスにうまい。三代目となる兄は日本のトップレベル牛はどこも同じくらいうまいというが、うちの店も確実にそのレベルにある。
母は俺たちが泊まっているとつられて食べるので、体重が増えたそうだ。よかったよかった。
給仕は弟だったので、
「トンカツを食ってやってもよいぞ」「ありがとうございます」
「まあまあうまかったな」「光栄です」
「金も払ってやろう」「ありがとうございます」
と茶番を演じて娘を笑わせた。
休憩時間に弟の家を訪ね、最後にもう一度だけ演奏してやってもよいぞとジャムセッションした。「悲しい夢なら今すぐ起こしてよ/やさしい夢ならこのまま寝かせてよ♪(チュッチュチュチュー・チュッチュチュチュー)」
無口な弟が弾いて俺が合わせたのは、今日もスライダーズだった。
「どこかへ行くなら今すぐ行きなよ/このままいるなら何か話しなよ」
それじゃあまたな弟よ。元気でな。お前が母さんのところに用意しといてくれたギターで、今年の帰国はずっとギター弾きっぱなしだったよ。楽しかった。
◇ ◇ ◇
明日は帰国、夕方はひたすら荷造りをする。
名残惜しい日本よ。俺は一月、家族は3週間いたのだが、過ぎてみるとあっという間だ。カメラのレンズや包丁探し、東京フレンズとの時間などやり残したことは多いが致し方ない。次回はぜひ東京と長野のどちらもたっぷりでと、毎回思うのである。
■2023-05-04 めそめその帰国
旅の最終日はムスメが泣いて泣いてシオシオだった。多感な子で子供の頃からおばあちゃんちを出るときは毎回泣くのだが、今年はいままでで一番たくさん一緒にいてゆっくりと話した分より胸に来たのか、飛行機に乗ってもまだこみ上げていた。
◇ ◇ ◇
セキュリティチェックを通るともう食べ物屋はないのだと、ウイングの端まで10分歩いてから知った。ガックリ。どこの空港でもそうだったっけ :-(
しかしセブンイレブンが見つかって、並んだものの日本旅行の大定番オニギリとカレーパンが食べられ満足しました。日本と日本のみなさんありがとう、楽しかった。さようなら。
◇ ◇ ◇
YVR到着。長野より少し涼しい。日本大好きな娘が道中ずっとメソメソしていた。
バンクーバー空港から高速を抜け市街地に出ると、まだあちこちに桜が咲いていた。やっぱりBCの春もきれいだねと話すと、日本を離れ落ち込んでいた娘が「Yeah、実際BCの春もそんなに悪くないなって今思ってた」と笑った。うちの庭の桜もまだ少し残っていた。
日本時間の朝4時半頃カナダの自宅に着く。ふーと荷物を運び込みながらピカを探すと、臆病なやつなのでやはり物陰に隠れていた。俺の顔を見ると「ニャ…ニャ…(お父さん…生きてたの…)」と声を出すので、じわっとなりました。(終わり)◆