2023/05/26

【2023日本旅行】(終)再び故郷へ・忘れじのサマーフィーリング(加筆)

「日本CMのガラパゴス感(加筆)」「追憶の地元自転車ライド」「ジャムセッション三たび」「親孝行ドライブ」ほか

■2023-04-28          再びの帰郷

先に帰る姪を京成上野で見送り、観光日程を終え信州の実家に戻った。ここからはただの帰省で引率も移動も必要ないので、ただただのんびりするだけだ。

帰ってきたなあ長野と車窓を見る俺たちを娘が撮ってくれた。この頃娘が俺たちを撮る写真に愛情が感じられる(親バカではなくて・笑)

長野から京都~東京へ出発して1週間しか経ってないが、濃密な観光とライブをやったのではるかな日時が経った感覚がある。前に見たときはまだ冠雪があった黒姫も、もう夏の姿だった。

しかし昨夜5バンド計7曲も弾いたので、俺はふくらはぎが痛くてガタガタだ。昨夜はやはり興奮で上ずっていた。晩飯も食べずにずっと演奏し話をし、帰りの電車ではハンガーノック状態で、駅で買ったドリンクをグビグビ飲んで水分と糖分を補給した。雷門の薬局でサロンパスを買い、脚に貼って移動している。


■2023-04-29          日本CMのガラパゴス感(加筆)

時間に余裕ができたので、夜風呂上がりに娘とお菓子を食べTVを見る。やはり芸人が旅をする番組ばかりだが、キャンプもやっていた。俺も娘もそれを見てハハハとなごむ。

日本でTVを見るとCMが入るので、ドラマの人気俳優たちがぞろぞろCMもやってるんだとちょっと驚いた。邦画も同様の顔ぶれなので、人気俳優だけで日本の全映像が回ってる感がある。 

岸田首相が推す少額投資を佐藤浩市が宣伝し、ムロツヨシがインボイス制度対応の銀行口座かなにかを宣伝していた。こういうCM仕事をバリバリやってるんだから、日本の俳優はそりゃ政治的発言なんかできないわと思った。欧米の俳優が自国でCMやらない理由も逆にわかる。

CMといえば、カナダでは目にしない日立や三菱の家電CMが電車内までも流れていて(しかも朝ドラ俳優)、ニュースじゃ原発輸出失敗や飛行機開発失敗しか聞こえてこない経団連企業が、国内では今もこれほど存在感あるのかとそこも驚いた。家電ガラパゴス感というか、経済ガラパゴス感がある。マイナカードも経団連だろう。

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若い頃から政治的で長年アジア開発支援をやっているイトコと話した。「日本のニュースはインバウンド盛り上がりとかばかり伝えてるよね」と、国民の問題意識を醸成せぬメディアへの不満を話すと、「日本のニュースは解説をしないので、国民には政治経済ニュースの意味がわからない」と一刀両断だった。日本のニュースは政治経済の劣化から国民を守ってくれない。

日本の固着した政治経済はなんとかならんのかと彼の見解を聞くと、共産党と他野党が結びつけば世の中変わるが、それを自民統一・連合・民主右派が壊したのでもうダメだろう、落ちるところまで落ちると宮台氏的にシニカルな見解だった。しかし日本が壊れても自民利権構造は永続するとこの10年で証明されたわけで、落ちてもそこから再建することもできない。ハア :-(

彼の頭脳明晰でチャーミングな息子がユーチューバーとなり、この無風社会をかき立ててくれないかと俺たちカナダ家族は望んでるんだけどと言うと、いやーどうかなーと笑っていた。俺はすぐそういう一発逆転カードを望んでしまう。


■2023-04-30          変わらぬ友だちたち

高校時代のバンド友たちがギターを持って訪ねてきた。いろいろとくだらない昔の話(必ずしも正確ではないw)が出てきて、娘がたいそう喜んでいた。

ベースマンが自分の結婚パーティで歌った「ウーマン」「アイ・シャル・ビー・リリースト」を、日加合同でハモリ歌う。Woman I know you understand, the little child inside the man. この歌は子供みたいな音楽バカであるベースマンが、こんな俺ですがどうか分かってくださいという意味で花嫁に向けて歌ったわけで、あれは本当にぴったりな選曲でしたねと彼の奥さんに話した。

何年経っても友だちって変わらないねと母が微笑む。ほんとにそういうもので、自分も友だちも高校の頃から随分変わっていると思うのだが、会うとお互いの関係は変わらないな。ベースマンはピュアすぎてときにハタ迷惑なやつなのだが、会うとやはりたまらなくチャーミングだった。


■2023-05-01              忘れじのサマーフィーリング

長野の町を散歩した。町のどこからでもすぐそこに善光寺の裏山が見えるきれいな町である。奥様はこの町で2年間英語教師として働いていたので、いろいろと思い出がある。俺は彼女が日本で過ごした最後の夏に知り合った。

二~三度会って意気投合した頃、俺の信州バンド友、昨日のベーシストの結婚パーティが長野であり、音楽やるから楽しいよと俺は彼女を招いた。

宴は延々盛り上がり、終電も終わったから泊まっていけばと今度は俺が彼女のアパートに招かれた。自転車を押す彼女と並び、夜の善光寺界隈を歩くのは楽しかった。RCの歌みたいだった。「きれいな月だよ、出ておいでよ。今夜も二人で、歩かないか」

そのアパートを数十年ぶりに今日発見してしまった。ここだ。周りは激変しアパートは傷んでいるが、間違いない。彼女が暮らした3階建てのアパートはまだ残っていた。

話し込んで夜が明けたとき、「見て、きれいでしょう」と彼女が窓から裏山を見せてくれた。本当にかわいらしいなと思った。

翌日、写真に写る小さな発電所のある裾花川を散歩し、夏の一日を一緒に過ごしたんだよと娘に話す。まだつきあい始める前の忘れじのサマーフィーリング。思い出の小道、メモリーレーンだ。


(出会った頃のういういしい私たち)


■2023-05-02              追憶の地元自転車ライド


(旧上高井郡役所、大正6年建築)

【思い出の小道】第二弾、娘の提案でレンタ自転車を借り地元の町を二人で走り回った。子供の頃は気づいてなかったが蔵のある通りはきれいだ。高校の前にあるこの旧役所のような歴史的建築も、高校時代はまったく眼中になかったよと話しながら案内する。

高校は俺のイメージの中ではずいぶん遠かったのだが、郡役所の角を曲がったらもうそこにあった。家から目と鼻の先じゃん(笑)。子供の頃の距離感覚がオカシイ。




母校の高校はあまりに何も変わってなくて胸が痛くなるほどだった。この保健室でよく授業をサボったよ。私はこの高校で本当にバカだった、恥ずかしい思い出がいっぱいだ


授業が行われていたが、俺たちはまるきり生徒と父兄って感じで堂々と振る舞ったので問題なし。中庭があってきれいな学校じゃないと言われる。そうだね。購買でサンドイッチを買いこの中庭で食べながら、窓から顔を覗かせる後輩女子の誰がかわいいとか友だちと話していたな。バカだった。

何度も登った高校の裏山が見える市営グラウンドの駐車場から、80年代のいっときはこの町を企業城下町としていた富士通工場跡を通り、戦前戦後の絹糸産業時代に栄え映画館もあったが、今はさびれた旧市街を降りていく。

絹糸産業がなくなった後うちの店が立つ駅前が栄え、モータリゼーションで今は駅前もさびれ、郊外のバイパスあたりが栄えているわけだよと話すと、小さな町なのにそんなに大きな変遷が何度もあったんだと娘が感心していた。町が立体的に見えてきたと。そうだね。日本は戦争も高度成長期もあって、栄枯盛衰いろいろあるよね。いまは長期停滞で、右肩下がりで安定してしまっているのだけれど。

 

神社の裏ではたくさんの子供たちが外遊びしていて感動した。少子化っつっても子供いるんだ! そしてデジタルゲームばかりやってるわけじゃないのね。カナダから日本の政治状況を眺めると客観的には滅びゆく国なのだが、実際その中にいると危機感は感じられないものである。この光景を見たらよけいそう思う。

いやー想像以上によかったね地元自転車ライド。ムスメの勧めでやってみてよかったよ。

レンタ自転車は電動アシスト付き。俺は母のママチャリだったので、登り坂ではときどき交代した。電動アシストは初めて乗ったがすごいな。走り出しのふわーという違和感はあるが、坂でも平地の感覚だ。もっと年を取ったらあれはほしくなるわ。  

◇   ◇   ◇


■2023-05-02            ジャムセッション三たび

その夜高校バンド友たちがまたやってきた。おとといは自分の楽器を持ってこなかったからいい演奏できなかった、納得いかないと。おまえら…(笑)。

集まったメンバーが好きだったチューリップなんかを俺は弾いて歌う。♪It's rain train, 雨降る中を。♪ほんの小さなできごとで。♪そして私は支配者になるのです。

ベースマンに、俺のリズムギターが高校の頃と変わらず、ガッという1発目が弱いと指摘された。イヤそこは大人になってずっと自覚して弾いてたんで、バンドでやればちゃんと治ってると思うんだけどなー(くそうw)。しかしやっぱりこいつの天性のリズムはすごいなと思う。昔から敵わなかった。長野市内でも有数だろう。

最後はディランの曲でいい感じに盛り上がった。ベースマンがやっぱりトモはいい、すごくいい音がする俺のこのウクレレをやるから、その代わりすぐまた戻ってこいと言った。いやウクレレはいらないよ、帰ってくるよ。

俺の友だちが来ると母がフルアテンドするのがいい。バカだったこの俺のバカだった友だちのそれぞれに、母も思い出があるのである。今日も愉快だったねえとずっと笑っていた。

■2023-05-03             親孝行ドライブ


 

日本の最終日、母をドライブに誘い出した。うちの町の奥の山際限界まで登っていくと、桃源郷な田舎景色なのだ。この上はさすがに人は住めないというあたりまで登り振り向くと、かわいらしい岩山や善光寺平(だいら)の景色が見える。

 

雪山は戸隠と北アルプスだ。すばらしい。拡大すると五輪会場のMウェーブが見える。奥様とこの町に住んでた頃は、軽バンでよくこういう限界集落へのスロードライブを愉しんだ。ハイウェイから見える松代あたりの裏山もくまなく探索した。奥様が日本旅行を好きなのは、そういう思い出がたくさん詰まっているからだと思う。  

母は膝を痛めて杖を使っていたが、カナダから想像していたよりずっと元気で安心した。おばあちゃんは絵になるなあと、息子と孫娘はパチパチ写真を撮っていた。

ムスメが撮った写真がいい。山の高さと背高親子。

母はこうして連れ出せば昔ながらの観察眼でいろいろとイントレスティングなことに気づき、指差し話すので楽しい。背が高くまっすぐなので、170cmの娘と並んでも釣り合いがいい。

高いところからの景色は本当に久しぶりだと母は喜ぶ。良かった良かった。この山には親戚の家もあるので、どうもーカナダの親戚です数十年ぶりー(笑)と突然寄っていき談笑した。前触れなく訪ねた親戚だが、ゴールデンウィークで家族揃っていたみたい。冠婚葬祭でしか会わないが会うたびにいい人だなあと思う叔父さんにも、会えてよかった。

昼は実家でトンカツ定食。母は久々の外出で気分良かったようで、珍しく外食も付き合ってくれた。うちの店は信州牛も飯山豚もシリアスにうまい。三代目となる兄は日本のトップレベル牛はどこも同じくらいうまいというが、うちの店も確実にそのレベルにある。

母は俺たちが泊まっているとつられて食べるので、体重が増えたそうだ。よかったよかった。

給仕は弟だったので、

「オイしっかりやっとるか」「ハイ」
「トンカツを食ってやってもよいぞ」「ありがとうございます」
「まあまあうまかったな」「光栄です」
「金も払ってやろう」「ありがとうございます」

と茶番を演じて娘を笑わせた。

休憩時間に弟の家を訪ね、最後にもう一度だけ演奏してやってもよいぞとジャムセッションした。

「悲しい夢なら今すぐ起こしてよ/やさしい夢ならこのまま寝かせてよ♪(チュッチュチュチュー・チュッチュチュチュー)」

無口な弟が弾いて俺が合わせたのは、今日もスライダーズだった。


「どこかへ行くなら今すぐ行きなよ/このままいるなら何か話しなよ」

それじゃあまたな弟よ。元気でな。お前が母さんのところに用意しといてくれたギターで、今年の帰国はずっとギター弾きっぱなしだったよ。楽しかった。

  ◇   ◇   ◇

明日は帰国、夕方はひたすら荷造りをする。

名残惜しい日本よ。俺は一月、家族は3週間いたのだが、過ぎてみるとあっという間だ。カメラのレンズや包丁探し、東京フレンズとの時間などやり残したことは多いが致し方ない。次回はぜひ東京と長野のどちらもたっぷりでと、毎回思うのである。


■2023-05-04              めそめその帰国

旅の最終日はムスメが泣いて泣いてシオシオだった。多感な子で子供の頃からおばあちゃんちを出るときは毎回泣くのだが、今年はいままでで一番たくさん一緒にいてゆっくりと話した分より胸に来たのか、飛行機に乗ってもまだこみ上げていた。

  ◇  ◇  ◇

成田空港。
国内の観光地はどこも外国人でいっぱいだが、成田出国ロビーはGWなのにうちの帰国史上最高にスカスカだった。日本人はGWに海外に行くようなご時世ではないということなのかな。 

セキュリティチェックを通るともう食べ物屋はないのだと、ウイングの端まで10分歩いてから知った。ガックリ。どこの空港でもそうだったっけ :-( 

しかしセブンイレブンが見つかって、並んだものの日本旅行の大定番オニギリとカレーパンが食べられ満足しました。日本と日本のみなさんありがとう、楽しかった。さようなら。

  ◇  ◇  ◇

YVR到着。長野より少し涼しい。日本大好きな娘が道中ずっとメソメソしていた。

バンクーバー空港から高速を抜け市街地に出ると、まだあちこちに桜が咲いていた。やっぱりBCの春もきれいだねと話すと、日本を離れ落ち込んでいた娘が「Yeah、実際BCの春もそんなに悪くないなって今思ってた」と笑った。うちの庭の桜もまだ少し残っていた。

日本時間の朝4時半頃カナダの自宅に着く。ふーと荷物を運び込みながらピカを探すと、臆病なやつなのでやはり物陰に隠れていた。俺の顔を見ると「ニャ…ニャ…(お父さん…生きてたの…)」と声を出すので、じわっとなりました。(終わり)◆



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    「渋谷ブレードランナー」「ジャパン体験回転寿司」「国立博物館は東洋館がスゴイ」ほか

    ■2023-04-24           浅草へ


    京都の旅を終えいま新幹線の上。長距離JRに乗るたび荷物の置き場に苦労する。トランク置き場が足りんのだ。東海道新幹線は連結部に数個分しかないうえに、ロックされていたら空いていても使えない(写真左。あとで知ったがトランク付き特別乗車券! の予約が必要なのだった)。特急しなのは自席足元に置くしかない。長野北陸新幹線だけは車両内にスペースがあり足りたが(写真右)。

    今日一本先のひかりでは大荷物の外国人旅行者グループが、なかなか全員乗れず慌てふためいていた。インバウンドでお金を落としてもらうことが今や国策で、景気良さげ映像としてTVでそればかり見せてるのだから(滞在中ほぼ毎日見てる気がする)、大型トランクに対応してくれよ日本の大動脈。京都→東京がわずか2時間で行ける時代にリニアとか作ってる場合じゃないだろ、日本を快適にする金の使いどころはどこなんだって話です。

    京都駅北口のJR(西日本)改札では(JR東海の)新幹線の切符が買えないという問題もあった。北口にその旨明記すらしてくれない。日本は旅行すれば面白いが、こうした落とし穴がそこここにあり旅行はしづらい国だと思う。
    交通費で手持ち現金を減らさないようJRの予約割引サービスをいろいろ検討したが、海外からの旅行者(日本国内の電話番号とICカードを持たない)がメールとクレジットカードだけで使えるのは、結局「えきねっと」だけだった。これは安くはならないが、出発前に混み具合を確認して席を確保し支払い、駅ではQRコードスキャンだけで即切符が発行できるのでとても便利だった。ただしJR東日本のアカウントなので、京都駅北口では使えないのである :-(

     ◇   ◇   ◇

    ともあれ、本日からは浅草をベースに東京観光。浅草寺の真横というロケーション重視で取ったホテルの部屋が激狭くてショックだったのだが、本当に宿から30秒でこの景色だったので俺たちは笑った。これが宿の裏庭なんだから、狭さへの不満もあらかた吹き飛んだ。

    浅草は人混みが嫌いな奥様とその父を昔連れてきたときはほぼほぼ無反応だったのだが、若いカナダ人と来るときゃーきゃー盛り上がる。やっぱり楽しいよね仲見世。こんなに喜んでもらえると、引率教師冥利に尽きる。

    夜は自由行動とした。ガールズは夜の浅草をたっぷりと散歩し満喫したようである。バンクーバーに比べたら東京の夜は安全で、独り歩きも怖くないと言っていた。


    ■2023-04-25                渋谷ブレードランナー

    【東京2日め】娘たちをアニメの殿堂中野ブロードウェイに連れて行った。ここも外国人が多い。特にジブリものが売ってる店は多かった。俺たちにとってももやはりジブリ映画のセル画に何百万という値がついて売られている店がインパクト強い(その他のアニメは知らないので)。

    その店で俺は廉価なセル画束の中にこれを見つけ、娘に押され買ってしまった。名作「赤毛のアン」の母マリラ・カスバートですよ!  まさか俺がアニメグッズを買う日が来るとはw このシーン覚えてるよ、アンの起こしたトラブル解決のためマリラが馬車に乗っているシーン。このキャラクターデザインは宮崎駿なはず(あとで調べたら弟子筋の近藤喜文だった)。

    そして姪に頼まれ渋谷交差点に行く。外国人はこんな交差点のどこが面白いのかと俺は毎度思うのだが、今回全スクリーンに同じ広告が出るのを見て初めて、四方八方から映像と音の刺激が飛び込んできて飽和するsensory overload(感覚過負荷)の快感を感じた。やっぱりすごいなこのブレードランナー感。この狂った未来感(笑)。ガールズが盛り上がって交差点を渡っていく。そのポーズとその顔!w はは。

    俺たちはハチ公前にしばらく座って、自分たち多くの旅行者と騒音が織りなすこの狂騒とブレードランナー感を浴び堪能しました。It's so crazy! 

     

    浅草に戻るため銀座線へと向かう。工事中の階段ばかりでなかなかホームにたどり着けない。「これは岡本太郎という大画家の大作だぞリアクションして!」と注文すると、娘らはさっと踊ってくれた。俺たちは渋谷に酔っている。It's so crazy。

     ◇   ◇   ◇

    そして浅草の一つ手前のかっぱ橋で降りて、姪がほしい包丁を探しながらゆっくりと浅草に向かい歩く。仕事で包丁を使う姪は、かなりいい和包丁を自分用とみやげ用に3本も爆買いした。

    俺も東寺で堺直次郎包丁を買えなかったのでもし身分相応のものがあれば買おうと思っていたが、やはり料理人として自己肯定感の低い俺に相応のものなど包丁専門店に売ってるわけもない。あとから思えば、カメラのレンズ1本分くらいの値段なら思い切って買うべきであった。残念。


    ■2023-04-25                ジャパン体験回転寿司

    ホテルで休んでいた奥様も合流し、夜はジャパン体験の一つとして回転寿司に行ってみたのだが、寿司ネタには英語の説明などないので、ブース横を高速で通過する10秒ほどの間に俺が英訳し続けねばならず、食う暇がないw 回転寿司ってこんなにビジーなのかとまあ、すごい体験でした。

    しかし寿司コンテナの開け方も会計の方法も分からない。「食べ終わった皿を入れろ」というスロットがあるが、そこにゴミとか箸とか一緒に入れちゃアカンだろうという直感的抵抗がある。結局いちいち人を呼んで聞く必要があり(外国人対応用の外国人店員が来た)、日本は暗黙の了解が多いなとここでも思った。

    日本人はフタを開けるコツを知り、あの皿を入れるスロット自体がカウンターで会計機そのものなのだとジャパン寿司システムを知ってるのだろうが、そう書いてないんだから俺=旅行者にはわからない。そういうお客が知りたいことを記載し各席に常備できる便利な紙のメニューというお客安心ツールも、もう日本にはないのである。

    奥様も同感なのだが、日本はITが快適さを落とし、便利になっていないと旅をしていて思う。飲食店もそう、新幹線トランクもそう、ICカード専用ゲートしかなく紙切符じゃ出られないハチ公口正面改札もそうだ。

    しかし食うだけ食って一人千円というのは予想以上の安さであった。寿司としては倍払ってもっとうまいものを食ったほうが明らかにいいが、薄切り焼肉の寿司などもあってどれもちゃんとうまく、つまりこれは外国人みんな大好きコンビニおにぎりの寿司版だと思う。知識のない旅行者にとってはうまいものを探すこと自体の負荷が高く、そこですがるお手軽コンビニおにぎりが安くてちゃんとおいしいというカインドさが日本旅行の人気の秘密なのだ。その寿司版を体験できたのは俺としても興味深くてよかった。

    食後浅草六区の繁華街で買い物もして、いい気分で浅草寺を横切り帰る。こうしてどこも歩行者天国になってる浅草は散策が楽しい。いいなあ、楽しいわ。

    浅草六区はかっぱ橋から歩いて帰ったときに偶然通り、おおここを歩けば楽しいなと家族を連れて行ったのだが、知らなければ行かなかった。浅草観光をググっても六区を歩けというサジェストは出てこなかったと思う。

    俺に観光の才能がないのもあるが、日本語の観光ガイドは日本を歩く楽しみをあまり伝えてくれないように思う。京都で歩いた白河筋は奥様の英語祇園ガイドで発見したし、奈良の観光ガイドも英語ツーリストが書いたものがベストだった。やはり「地球の歩き方」以来の伝統が海外旅行ガイドにはあるのかもしれない。


    ■2023-04-26                国立博物館は東洋館がスゴイ


    東京国立博物館。日本館より東洋館のほうがスゴイw 中国さすが。負けた。


    (日本の博物館は工芸品がやはり見事。手に取りたくなるものを作らせると日本人は天才。)

    東京国立博物館は期待して行ったのだが、本館はいつもの日本のミュージアムだなという感じだった。掛け軸がたくさん並び、小物と工芸品が美しい日本の博物館の最高峰というか。工芸品の最高峰である刀剣コレクションにはさすがに感じ入ったが、俺が知るようなその他の有名な所蔵品もあまり出ていなかった。


    日中文化財を見ると、漢字が美しいなあと思う
    しかし次に入った東洋館がすごかった。中国仏像デカくて近い! 大きな石仏や石碑がたちが、博物館の所蔵品なのにろくに保護もされず(笑)ドンと置かれ、触れるくらいの距離でジカに見られるのだ。日本の文化財のほうが価値は高いのだろうが、巨大で精緻なものをジカに鑑賞する快感にはかなわない。




    南アジア方面のブッダは目が大きく彫りが深いのだと知る。ガンダーラ美術、タイのガネーシャ、面白い面白い。

    日本館の展示をガラス越しに正面から撮っても写真はつまらんのだが(俺が撮った刀の写真なんかクソつまらなくて、1枚もキープしなかった・笑)、この距離なら細部が撮れて、写真を撮るのも楽しいのだ。

    そして2階に上がったところで目に入ったこのエジプトからの訪問者には電撃が走った。ゲーム「トゥームレイダー」にも出てきたあの有名な石像が、横たわるミイラと共に目の前にあるんですよ。東京でこの距離で3千数百年も前のライオンレディたちと会えるとは。快感…。大きさも古さも近さも、そりゃ興奮の東洋館でした。

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    しかしこんなに忙しく観光していながら、俺は明日はライブなんである。博物館後のカフェで家族全員まったりしながら俺は、ギターを弾きたい、練習したいと焦れていた。

    ■2023-04-28               トモサカタ来日記念ライブ2023

    東京最後の夜、こたびもバンド友がたくさん集まってくれ、いい演奏をしてくれた。すばらしい夜でした。俺が昨日までただの観光客だったゆえリハもないぶっつけ本番でありながら、ちょっとこれはすごいと思う会心の瞬間がたくさんあった。

    サイケデリックな太陽の下山アキラちゃんにベースを弾いてもらい、俺のリクエストで昔のバンド・アブストの「お前は亡命者」をやったのが個人的ハイライトだった。Voイージマとサイケ戸田康司がツインで歌う。燃えた。

    「赤の広場に別れを告げて、コカコーラにあこがれて
    トゥシューズのかかとを踏みつつ、国を飛び出した
    お前はお前は亡命者」

    自由を求めて外に飛び出すバレリーナや戦闘機パイロットがいたソ連時代のほうが、今の「お前」よりもわかりやすかったよというやりきれない気持ちがあり、俺はこの曲を演奏したくなったのだ。

    そして最後に、ほんとにやるの、あんなハードな曲やれるのと思いながら、俺たちに栄光と数々のバンド友をもたらしレコードにもなった「パレスチナの憤り」のイントロを弾く。会場のあちこちからキャーと悲鳴が上がった。ドラマーも年下のサポートギタリストも(本物だ!)と鳥肌立ったそう。イージマが歌いまくる。今もお前はこの歌を歌えるのか、すごいな。

    駆けつけたかつてのファンたちが燃えていた。友だちのカメラマンがその瞬間を撮ってくれていた。ロック雑誌グラビアそのものの光景がそこで起きていた。

    一緒に歌い踊りまくるムスメ、よかったわねえダーリンと微笑む奥様。燃え尽きました。