2012/03/28

日記「つながったカーネーションの時間」

「カナダのコンサバ家具」「エバートン2年目終了」「ボート漕ぎ見学」

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■12/03/17(土) □ カナダのコンサバ家具
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だいたいどこもこんな感じの家具調度類
改装したバスルームに合うタオルハンガーやミラーなどの調度を探しに、久々に一家で買い物。改装時にMが家の装飾品に詳しい姉の助言を得て選んだ家具調度類を見ても、今日タオル掛けなどの風呂用品を見ても思うのだが、カナダのこういう家回り品ってどこに見に行ってもコンサバティブである。クラシックでクリーンでこれといった特徴がない。

家具はともあれタオルハンガーなどの小物は、IKEA とかで探せばもっとポップでかわいいのとか、機能的に面白いものがあるんじゃないのかと感じる。しかしこういう店の品揃えを見ると明らかに、カナダ奥様方はカワイイや多機能なものは家に欲しくないのだろうな。クラッシーでクリーンなもので家回りを固めたいという志向が伺える。

クリーンといえば石鹸置きを探すときにM姉が、「いらないわよ、今どき石鹸を使う人はいないわ、石鹸カスがトレイにたまって汚いし。ボディソープよ」と言ったのだそうだ。これを伝え聞いてそんなにクリーンが大事かと笑ってしまった。彼女の感性に代表されるクリーンこそ至上、生活感をいかにシャットアウトするかが重要という価値観が、カナダ奥様方にはある。

日本語 TV で「Before After」という改装番組をやっていて、たまに見ると日本人はクラッシーなクリーンさよりもやっぱり、収納の便利さとか採光の工夫などの機能やアイデアに喜ぶのがわかる。俺もそう。日本人とカナダ人とはそこが違うと痛感するのである。

俺はクリーンはわかるが、生活感を排除するためにものをいちいち収納したりすることにはたいして意味がないと思うので片付けず、いつも奥様に怒られるわけです。結局 IKEA にもたいしたタオルハンガーやミラーは売ってなく、保留にして帰宅。

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巨大メカと溶岩があふれるゴロン鉱山
【ゼルダ・トワイライトプリンセス】溶岩吹き上がるゴロン鉱山に足を踏み入れる。洞窟内の広間に入った瞬間、うぉおおおと声が出た。すげえ。これは2つ目のダンジョンだな。すげえ。さまざまな仕掛けも楽しい。冒険そのもの。「これ、買ってよかったねえ」と萌とうなづき合うような大冒険である。

しかしリンクを行きたい方向に正対させるのが馬鹿馬鹿しいほど難しく、ただそれだけの理由で何度も何度もジャンプに失敗し溶岩に落ちて死んでしまう。これには本当にうんざりする。何度も書くが、リンクを横に向かせたい時だけボタンで横を向かせるという操作仕様だったら、こんな理不尽な苦労は全部なくなるのに。ったく。

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■12/03/18(日) □ エバートン2年目終了
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この春休みは萌が機嫌がよく、今日は一緒に家事をしながら Youtube でレディガガやゼルダの音楽をかけ、俺にずっと話しかけてくる。去年の春休みは萌が全然俺と口を聞かない状態で、そういう年頃だし春だとなおさら(その後態度が良化したので)なのかなと思っていたが、別に季節ものではないらしく、今年は大違いだ―――などと考えていて、これは Wii のおかげ以外の何物でもないなと思い至る(笑)。やっぱ共通の話題があると、ケンカもしないものなのね。

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【Wii FIFA 09 All-Play】エバートン2年目はリーグカップ、プレミア、FA カップの変則3冠で終了。終盤は先制され負けそうになっても絶対に追いつく根性の戦いで、充実していた。CL だけは勝てない。ポルト/ユベントス/セビージャのグループリーグすら突破できなかった。やっぱ CL のチームは強いわ。うちももっと強くせねば。

しかし3年目も資金増強はまるでなし。いい加減まともにやる気がなくなるな。リセットするか。いっそ警告を無視して 40 億の持ち金を全部使い大型補強してみようかな。途中でクビになるのかな―――とか迷いつつ、去年と同様に FA 選手を取って売り資金を作り、廉価高速ドリブラーとしてユーザーフォーラムで推奨されてたトリノの MF アバテを購入。加速と速度が 18/18 で速い速い。短いスルーパスもうまいし守備でもよく走りタックルも悪くない。これはいい選手だわ。こういう選手を取ってしまうともう使いたくてたまらなく次のシーズンへ進むわけです。サッカー・マネージメントゲームはやめられない。

FIFA 09 は選手の個性がよく出ていて面白い。たとえばうちのエースのヤクブが2年目から得点力不振なのだが、これはプレイスタイル的に中盤に下がってきてしまうからで、シュートチャンスにいるべきところにいないのである。Aggression(ガツガツ度)が高いので勝手にボールを追ってプレスをかけ中盤に下がってしまうのかな。これをどうしたものか。こういうことを考えさせてくれるところがよくできている。

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■12/03/23(金) □ つながったカーネーションの時間
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【カーネーション】夏木糸子編はただ見るだけの消化試合だったのだが、残り2週にして奈津が登場し空気が一変した。再会シーンの2人の表情を見た瞬間、夏木さんが糸子に見えてきた。奈津役の人が似てるとか夏木さんが似てるとかそういうことじゃなくて、冷凍保存されてた2人の関係がそこにブワっと出てきたのだ。その再会のおののきを味わうことによって夏木さんもやっと、「カーネーション」の時間の流れの中に飛び込めたのだと思う。それを見てやっと俺たちも、「カーネーション」の時間の流れに戻ってこれた。

序盤の夏木糸子停滞期は制作側がなかば覚悟してそうしたらしいが、2週間も引っ張らず「カーネーション」の時間と夏木糸子の時間をすり合わせてくれたらよかったと思う。でも老奈津ほどの背景と配役を用意しないとすり合わせはできず、それはどれだけ探しても1つだけしか見つからなかったんだろうな。

『物語に登場した人たちのアクティビティがああなってこうなってこの現在の岸和田の空気感につながっている、ようには見えない』と前に書いたが、奈津が登場してカーネーションの時間と空気がつながった。夏木糸子も老奈津もなにもしなくても、もう「私は小原糸子です」的アリバイ演技なんかしなくても、2人が生きて再会できたということが、本人たちにとっても視聴者にとってもとてもとても意味があることなのだ。尾野糸子とその周りの人たちが積み上げた宝が、ほんの一しずく受け継がれた瞬間だった。

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しかし奈津はまた糸子の前を去り、糸子は奈津との再々会を少女のように夢見ながら病院でファッションショーを催す。モデルとして応募してきた、ガンを病む若いお母さんに胸を打たれる。「世界の中心で」などは、死んでいく恋人&自分のラブオンリーみたいな子供じみた価値観に支配されており俺はまったく共感しないのだが、この加奈子さんは違った。彼女が子供と家族と世界のすべてを愛していることが一発でわかる。だから泣かされる。

奈津と一緒にショーのステージに立つというボンクラで甘い夢はかなわなかったけれど、このお母さんを通じそれに負けないくらいに美しい幸せを演出した糸子に、奈津との再々会という褒美がもたらされる。今日こそは逃さへんで「待っとれ」と奈津のいる院長室へ早足で向かう糸子の顔は、大事な宝を取りにいく喜びに輝いていた。こういう顔を見たかったのだよ、糸子さん。よかった :-)。

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■12/03/24(土) □ ボート漕ぎ見学
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この喫水の浅さがこわい(笑)
LDとMのボート漕ぎレッスン@ポートムーディの入江を見学しに行く。行ってみてボートの長さにぶったまげた。4人乗りだというので3人乗りカナディアンカヌーの 1.5 倍くらいを想像してたのだが、7~8mある。で幅は人間1人分ぴったりで超細長いのだ。乗員が乗ると着座位置は水面と同じくらい。お尻がはみだしてます。つまり明らかに艇の横ロール方向は安定していない。うわーほんとにこれに乗り海に出るのかよ、という感じである。

そしてなんとコーチが伴走する自分のモーターボートに乗っていいわよという。寒いし船酔いしそうだしで俺は遠慮しますよと言ったのだが、萌が行く行くといい同行して行くことになった。うひゃーである。小さな入り江だから波は小さいが、俺は海が怖いのよ。しかし来てしまったからには戻れない。すごい眺めだ。

コーチの指示を聞きながらしばらく見ていてわかったが、こういう高速艇は左右のバランスを取るものは何もついてないので、漕ぎ手のうち誰かがパドルを羽根のように水面につけているときだけ左右が安定する。でMたちビギナーの場合ストロークがきれいにシンクしないので個々のオール応力のばらつきにより絶えず左右に小さくロールしており、最低1人は羽根になってないとバランスが取れないらしい。

コーチの号令に合わせ先頭の漕ぎ手から徐々に人数を増やし、3人のストロークが安定したら第4漕手も漕ぎ始めるのだが、すると安定翼がなくなるので途端に横揺れが大きくなる。これは4人のストロークを完璧にシンクさせる以外コントロールしようがないのでどうにもならず、当然怖いし危険なのでみんな一旦漕ぐのをやめ、全員パドルを突き出し安定翼となるという次第。これはやっぱ難しいんだー。

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こんなものを海上至近距離から眺めるなんて俺の人生であるとは思わなかったので、大変に興味深かった。スポーツとしての面白さももちろんわかる。が、Mは俺にこれをやらせたくて何度も何度も懇願してるのだが、俺は遠慮しとくよ。怖いし難しい。彼女は海上に浮かぶ気持ちよさを至福と絶賛するのだが、海に浮かんでいても夏の砂浜からこの海を眺めていてもその気持ちよさは変わらない。乗せてもらったのは幅のあるモーターボートなので転覆は怖くはなかったが、酔ったら困るから早く岸に戻りたいと心細く思っていた。ビーチにいたほうがいいわ。

それにスポーツとしては自転車やバイクのほうが面白いと思う。Mたちの横でやってた1人乗りミニマム級ヨットみたいなやつが、喫水線ぎりぎりまでフルバンクしてくるくる曲っておりバイクみたいで面白そうだった。

ボートに乗りたいという気持ちは一向に湧いてこないが、もしやるなら静水でカヌーだったらやりたくなくもない。しかしこうしてコーチに教わって習い事としてスポーツをやるということがソモソモそそらないんだよな。日本で何度もやったように夏にゴムボートを上流に持って行って、弁当を持って川を勝手気ままにツーリングしたい。そういう遊びスポーツだったらやりたいよ。フレイジャーリバーは大河すぎるし、周辺支流は夏は蚊がものすごいのでツーリングはできないのかもしれないが。

2012/03/16

日記「尾野糸子なきカーネーション」

「追悼式中継」「震災1周年」「【FIFA 09】初年度終了」

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■12/03/10(土) □ 追悼式中継
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震災1周年。日本からの追悼式中継を見ながら、俺は亡くなった方々よりも、全ての持ち物と住んでいた町を失った人たちのほうにより深く同情してるなあと考えていた。なにかの事故で自分自身が死んでも俺はあきらめがつきそうな気がするが、たとえば火事ですべての持ち物や PC データが焼けてしまったらしばし廃人になるような気がする。

もし火事になったら最悪でも家族の PC だけは窓から放り投げても焼失から救おうと考えているけれど(芝にケースごと落下すれば、HDD は助かる可能性があるのではないかと)、ビデオ、DVD、写真はもちろんあれだってこれだって、もし燃えたり水に流されたらたまらんというものは家中に限りなくある。人はみな大事なものに囲まれて暮らしているわけで、それがわずか1時間の間に海の藻屑と消えるというのは、本当に耐え難いだろうと思う。

俺はカナダに来るために 10~20 代に手に入れたもののほぼすべてを日本に置いてこざるを得なかったわけだが、当初はロマンスで燃え上がっていたゆえに喪失感もまぎれていたし、いま 20 年近く経ってみればその頃と大差ない物持ちになってはいるが、その中間点ではたまらない気持ちはいつもあった。よくあんなことができたものだと今にして思う。

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■12/03/11(日) □ 震災1周年
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震災1周年、NHK でもカナダ CBC でも特集をやっている。カナダ CBC では津波のときにカメラを持ち撮影し(てかつ助かっ)た人々の撮影映像を集めた番組をやっていた。実際に人が水に飲み込まれていく瞬間が多く写っている。それを見て「馬鹿(なぜ早く逃げなかったんだ)!」と叫ぶ人々の声も入っている。こうした日本では放送できないだろうものも多くて、Mともども改めてショックを受けている夜。

昨日追悼式中継を見ながら、亡くなった方々よりも全てを失った人たちのほうにより深く同情するなんて考えていたが、やっぱりあんな逃げ遅れて水に飲み込まれるなんて死に方はひどすぎるなと思った。昨日あんなことを考えてすいませんでした。合掌。

しかしほんと何度も思ったが、あんな津波がこの世に発生しうるのだと人々が知っていたら、どれほど多くの命が助かったことだろうか。スマトラ沖地震のときの映像は、水が通りをしゃーっと高速に通り過ぎたという感じで、建物の2階にいた人たちは助かっていた(ように見えた)。建物ごと根こそぎ持っていかれた今回の津波はそれとは全然違う。あんな津波映像が過去一度でも世界に流れていたら、もっと早くに多くの人々が逃げていただろう。原発だって非常用電源だけはなにがなんでも強化していただろう。本当に初回でいきなり3アウトゲームセットみたいな、これ以上悪いことは今後も起こりえないような、そんな厄災だったと思う。

こうした映像が世界に流れたこれ以後は、大地震の時の人々の行動は変わることだろう。それで助かる人々が増えるかもしれない。原発は当然世界中で安全性向上が進められている。その意味でも、これ以上悪いことは今後も起こりえないような、そんな厄災だったと思う。

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■12/03/12(月) □【FIFA 09】初年度終了
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【Wii FIFA 09 All-Play・マネージャーモード初年度】フリーエージェント選手を取ってエバートンを強化し、格下には確実に勝ち同格と格上には勝ったり負けたりしているうちに首位に立ち、プレミア4強は意外にもポイントを積み上げてこず、結局そのまま優勝してしまった。あれま。こりゃリーグ順位はシミュレーションが甘すぎるな。実際戦えば4強はめちゃ強いわけだが、それがちゃんとリーグ順位に反映されないらしい。

まあ実際本物に近いシム結果を出すには Football Manager 級の精度が必要なんだろうけど、こんないい加減なリーグ順位になるくらいなら選手の総合力をそのままリーグ順位としておいてくれたほうが、プレイヤーとしては盛り上がるな。「ここでマン U を倒さねばリーグは勝てない!」くらいの気合が入ったほうが楽しいのだ。

リーグ順位は淡白だったがどんな試合も文句なく面白い。何度ゴールを決めてもそのたびに両腕を突き上げてしまうくらい燃えている。一番燃えたのは負けたら終わりの FA カップで、準決勝でマン U に勝ったときには心臓バクバクの興奮ものであった。決勝もウェストブロムなんていう弱敵相手だったのだが、タイトルがかかっているから緊張するし相手もモチベーションが高いからか驚くほど強く、勝ち切るのは大変だった。リーグは 4 強以外から勝ちを拾っていけば勝てるのだとわかったのでうれしくもないが、カップ戦を勝ったのはうれしい。1 年目にしてプレミアと FA カップの 2 冠達成。

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で Football Manager での経験から、2冠の賞金と CL 放映権で 20~30 億は入るな、いい選手を数人取れるぜと強化プランを立てていたのに、なんと一銭も入らない。なにかの間違いかと思いあらゆるメニューを開いて調べたが金は入っていない。なんだこれは。これじゃ強化ができんではないか。リーグ優勝しても資金が増えないなら、マネージャーモードという経年シミュレーションを続けていく意味がないではないか。なんなんだ。

調べてみたが、このゲームは賞金はないものらしい。FIFA をやってる人は Football Manager/Championship Manager 愛好者と系統が違うのか、優勝しても強化資金が出ないことの異常さが英日とも話題にもなっていない。せいぜい「カップを取ったらお祝い金がもらえるスポンサー契約を選んでおこう」くらいなノリらしい。そんなわけないだろう。仕方がないのでみんなフリーエージェント(無雇用)で取った選手を売って強化しているようだ。なんだこの馬鹿仕様。

しかしそれ以外やりようがないしこのチームで CL は戦いたいので、フリーエージェントを探し売りその金で強化を行う。馬鹿馬鹿しい。頑張って素晴らしい成績を出した俺様がなんでこんなセコイ裏技をちまちまやって小金を作らねばならんのだ。役員会はなにをやってるんだ。CL でいい成績を出してもこんな調子だとやる気が続かんだろう。これは非常にやる気を削ぐ。ここまでクソだとは思わなかった。なんでこんな馬鹿仕様がテストプレイを通るんだ。なんなんだカナダ人ゲーマーって(EA はうちの隣町バーナビーにある)。

というわけで、サッカーの試合だけは面白い。それ以外はほんとクソゲーな FIFA 09 である。

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日本風呂を愛すうちの奥さん念願の深風呂桶が今日完成。いま入ってきました。サイコー。俺は萌の次に入ったのだが、お湯が冷めてないことに驚いた。前の風呂桶はすぐお湯が冷え、これは水面の表面積が日本の風呂より広いから仕方ないんだろうと思っていたのだが、これはつまり前の70年代スチール製風呂の横壁からものすごい勢いで熱が逃げていたわけである。現在のグラスファイバー製風呂ならばこんなに保温性が高いのか。

水位はヘソ上10cmほどだが、横になれば膝先を残し全身が快適に収まる。家風呂で肩までつかり寒い思いをせずゆっくりと本を読める気持ちよさは、改めてうあーと声が出るほどであった。うちのBR義母さんなんか生まれてこの方ずっとシャワーで風呂に入った記憶がないそうだが、そんな人生は間違ってるぞとつよくつよく思う気持ちよさである。

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■12/03/13(火) □ 尾野糸子なき「カーネーション」
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尾野糸子引退後の「カーネーション」は、きちんと見てはいるが、その都度まあ明日に期待しようと思うくらいの観戦態度である。悪くはないがフツーの朝ドラになってしまったので、見逃さなければそれでいいという感じ。

がっかりはしてないし最後まで見るが、ツイッターで多くの人が「渡辺あやさんだからきっとなにか考えがあって」「オノマチ糸子とつながってきた」と見ている自分らを盛り立てているのを読むと、みんながこんな感動しようと努力するくらい愛してきた「カーネーション」なんだよなという寂しさを感じる。

俺があれほど乱発していた「#カーネーション」ツイートをバッサリ止めた最大の理由は、実はすべてのフリータイムを FIFA サッカーにつぎ込んでいるからだが、ここまで約10回で何かを書けるほど心が動いたシーンも特にないのである。

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尾野糸子引退までも完璧なわけじゃなかったし、こんな長い物語の隅々まで完璧なものなど作れるわけがないとも思う。しかしいま画面の風合いを変えたりキャストを総入れ替えするなどしているのが、熱心なファンが分析するように制作陣が「現代と老境の味気なさ」を表現しようとしてのことだとすると、俺はそういう制作者の作為のようなことが嫌いなんだなと自覚する。物語はもっと自律的なものであってほしい。

そう、ここ2週間の「カーネーション」は自律的じゃなく、作為的だと俺は感じている。つまり、物語に登場した人たちのアクティビティがああなってこうなってこの現在の岸和田の空気感につながっている、ようには見えないのだ。制作者の英断でバッサリこうなりましたとしか俺には感じられない。ずらりと並べられた写真立ても、「キタムラって言ったら大メーカーじゃないですか」といった言葉も全部、ちゃんとつながってるんですよというアリバイづくりに見え聞こえる。

「周防が魅力的すぎて自分のコントロールを超えた」「北村の芝居がうますぎて替えが効かず死んでもらった」と脚本家渡辺あやの言葉が漏れ聞こえてくる。それを読みながら俺は、尾野糸子引退までの渡辺あやの仕事がすばらしすぎて、この物語はもう彼女のソロアルバムになってしまったんじゃないかと感じている。「カーネーション」はボーカルもギターもベースもドラムも個性際立つバンドだから素晴らしかったわけで、楽曲だけがよかったわけではない。

「いい歌はギター1本で歌ってもいい歌だ」なんてことをいう人がいるけれど、だけどやっぱり「ジョンの魂」よりビートルズのアルバムのほうが今でもよく聞くじゃないですか、ぼくたちは。どっちも大好きだけど、やっぱりバンドサウンドにはそれだけの魅力があるんですよ。もう一度バンドサウンドをかき鳴らし、「A Day in the Life」のような美しいコードでバーンと終わってほしい。

2012/03/14

日記「サッカーゲームのパスについて考える」

「ゼルダ・谷間の廃村」「FIFA 09・ついに開眼」「FIFA サッカーの美点欠点」

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■12/03/06(火) □ ゼルダ・谷間の廃村
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カカリコ村。これも前に見た「ゴッホのトアル村」のファンが作った3D画像だと思われる。こういう感じなんですよ。

【ゼルダ・トワイライトプリンセス】闇に滅ぼされたらしき谷間の廃村カカリコ村に来た。ここもいい光景だ。高いところに登って町を見下ろすと、ラピュタのパズーの村みたいな谷間感があり気持ちいい。上空を舞う虫竜は無重力感漂う飛び方がナウシカそのもの。このゲームはほんと宮崎駿トリビュートっぽい。

町の入口で垂れ下がり風に揺れる看板を見た萌が「あ。......ここは元はきれいな町だったんじゃない?」とつぶやく。家を探索しながら「ここはイン(旅館)だったんだわ。ほら、ベッドがたくさんある」とつぶやく。この村でやることは家々への入り方を見つけ、隠されたものを探し出すだけで割合単純なのだが、そのためにこれだけのビジュアルを持った村と、一つ一つの家をちゃんと作ってくれているからこうして感興が沸き起こる。こういうところに任天堂の良心を感じる。

そしてはるか彼方の高い断崖の上まで道がついていることに気がついた俺が、「あそこに行けるよ萌!」と興奮する。これは楽しいわ。Playstation FF の町もきれいだったけど、あれは擬似 3D の平面絵の中を上下左右に歩いているだけで、レンダリングされてるのはキャラだけだったもんな。こうして広さや高さや大きさがしっかりとある本当のバーチャル世界を旅する楽しさを、今俺たちは存分に味わっている。

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■12/03/07(水) □ FIFA 09・ついに開眼
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一番引いた「TV」画面でこれくらい。シュートレンジを画面に入れるには、もっと前進する必要がある。

親子でゼルダは順調なのだが、なぜかうまくいかない俺のサッカーゲーム【Wii FIFA 09 All-Play】。昨夜も戦いに敗れ疲れ果て眠りにつきながら、なぜだなぜだと考えていて(情けなし)ハタと気がついた。画角だ。ガバリと起き出し1試合だけカメラを次々に切り替えながらテストし、FIFA 98 時に使っていた TV というアングルが見つかった。遠目の高めのカメラ位置で、選手の華麗な技は見えにくいが、一番肝心な選手間の距離がよくわかる。これで昨日まであれほど引っかかったパスが通るようになった。というか通らないときが見えるようになり、無駄パスを出さなくなり、攻撃にリズムが出てきた。よし。

パスが通るか、ドリブルで抜けられるか、相手 DF からボールをスクリーンできているかがサッカーゲームのキモで、映る範囲が若干狭いデフォルトビューではこれがよくわからず苦労したんだと思う。DF からボールをスクリーンした状態でドリブルしつつボールから目を離してパスコースを探し、ここぞというところでパスを出す。カットされたらすかさずプレスに行く。これでいい試合ができるようになってきた。

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■12/03/08(木) □ FIFA サッカーの美点欠点
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【Wii FIFA 09 All-Play】ようやく波に乗り、難易度セミプロ(中級)のマネージャーモードでエバートンを操り、リーグ首位を快走中。アーセナルを破ったのにはしびれた。マン U にはリーグでは 2 戦とも負けたが、FA 杯で勝った。ドキドキした。

FIFA は FIFA World Cup 98 の頃から、スペース、AI 選手の動き、操作するプレイヤーのなすべきことというサッカーフィーリング(というかスポーツ感)がよくできている。攻撃が遅ければゴール前に守備陣が揃い、たとえドログバを持ってしてもシュートを打てない。押し込まれるとどれだけクリアしても拾われ、苛烈な波状攻撃を受ける。スペースと人数により局面が変わるサッカーというものの表現が自然なのだ。DF ラインと FW の高さだけで攻撃力とプレス力を調整できたカルチョビットに通ずる、『サッカーにおけるスペース把握』の面白さがある。

《FIFA 98 と比較しての進化》スペースへの走り込みや DF ラインの裏取りなど選手たちの AI も進化してるし、技術が高い選手なら接触でボールのコントロールを失ってもどうにかコントロールを取り戻しマイボールにできるという、アクション面での進歩も大きい。攻撃が簡単につぶれないというのはいいことだ。おかげでヴァンペルシーみたいにうまい FW は本当に止められないのだが、ああいう敵は丁寧に丁寧にシュートコースを切って耐えていくしかない。

トラップから反転の動きが半自動化されており、変な方向にレバーを入れなければ澱みなくボールを落ち着け前を向き攻撃に繋げられる。先のロストボールの再コントロールもそうだが、こうしたプレイヤーがやりたいことを簡単操作でやらせてくれるアシストが増えている。これは「反復練習で体が勝手に動いており、その間周りを見渡し次のアクションを考える」というプレイ感覚となっておりよろしい。これはつまり使っている選手の技術の高さがそのままプレイヤーが使える技術の高さになるわけだ。

DF の AI も強化されており、俺のミスでぶっちぎられても別 DF がカバーしてくれることが頻繁に起きる。この AI 行動のうまさにもプレイヤーの能力値が関わっているらしく、いい選手は自動カバーも自動タックルもうまいので、おお頼もしき奴よと好感度がアップする。ここは Football Manager 的に進化している。お金を使って攻守ともいい選手を取ろうという気になるのである。

タックルで双方動きが止まった後、フィジカルの強い選手は動き出しが早いので有利というのもいい。全速ドリブル時は方向キーが効きにくいこと、向きを変えようとしても常に慣性があること、シュートボタンを押しても歩幅が合う瞬間まで実際は蹴れないことなど、FIFA 独特の操作性はアクションゲーマーから見たら「思い通りに動かない」フラストレーションにつながるだろうと思うが、サッカー好きとしてはよくできてるなあと思うのである。こうしたさまざまな選手の AI と動きの進化のおかげで、エキサイティングなシーンが前よりも大幅に増えている。

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《欠点》半自動でダメなのは、触ればオフサイドというボールでも全速オートで追いかけてしまい止められないこと。全速で追いかけるに決まってるからオート追いかけでいいけど、キャンセルは必要だ。それと普通入らんだろうというロングシュートや遠目の FK がすこっと入り、逆に1対1の簡単なシュートが枠を外れることが多いのが×。シュートや FK も、ドカンとしか蹴れないのも×。

そして UI はもうどこからどこまでも×。FIFA 98 より悪くなっている。一番痛いのはリーグをやっている最中に新フォーメーションを作れないことで、ブラジル風 4222 を試したいのだができずにいる。というわけでサッカーの試合自体は面白く、それ以外は全部クソといっても過言ではないが、やっぱりクソはまってしまう 10 年ぶりの指動かすサッカーゲームであります。

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■12/03/09(金) □ サッカーゲームのパスについて考える
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「Advancedモード」カーソルでポイントしてパス。

このゲームにはコナミ「ウィニングイレブン Wii」の Wii リモートカーソルによるパスコース指示をパクった操作モード「Advanced」があるので、ある程度うまくなってから真剣に試してみた。微妙なコースに長さをコントロールして送れるという自由度だけはなるほどと思う。上の画像でそのままパスを送れば FW が 2 枚の DF に詰まりボールを奪われるが、右下のサイドバックと左 CB 間のスペースにボールを送れば FW がクイっと反転してスペースでボールを受け、突破できる可能性が生まれる。パスと FW の走る方向を同時に操作できるのだ。決まればこれはたしかに気持ちいい。

しかしカーソルを画面内に保っていなければ、つまりコントローラを試合時間中常時正確に TV 画面に向けていなければパス方向を決められないというのは問題あり過ぎで、プレイヤーの位置やボール位置に加え、カーソル位置=Wii リモートとセンサーの相対角度にも神経を注がなければならない。そんなことが試合中にできるかよと思う。実際やってみると俺には不可能で、試合中にカーソルが画面からはずれまくり、そのたびにエラーマークが表示される。フィールドにエラーマークが出るというのがこのシステムの非サッカーっぷりを象徴している。DS のペン操作だったらこのシステムは完璧に働いただろうけど。


「スマートパス」
AI が操作する FW がスペースに走りこみボールをくれと要求し(手を上げることもある)、AI の MF の目がそれを見つけパス矢印が出る。そこから先が人間の仕事。

サッカーをやるときに、あそこにパスを出したいといって指さしなどしてるヒマはなく、コースがあると思った瞬間に体が反応するのが自然なわけで、そのナチュラルなスピード感を実現してるのが FIFA 旧来の「スマートパス」というやつである(このゲームで俺が使う All-In モード)。パスコースは AI の選手たちが自力で作り、いくつもある選択肢からプレイヤーが、いつどこへ送るかを判断することになる。

この「スマートパス」が通るかどうかは、タイミング、距離、パサー・レシーバー・マーカーの位置と能力で動的に決まる。たとえば上図でボールを持つ MF スコールズは相手 MF がプレスしてきて苦しくなり、ついつい自分の進行方向前方にいる右 FW テベスに出してしまいたくなる。これは角度的に DF に引っかからず問題なく通るが、テベスをマークする DF に反応され詰められ、シュートまで行ける可能性は低い。左前方から DF 前を横走りする左 FW ロナウド(※)にパスを送れば間違いなく華麗なトラップで加速し 2 枚の DF の間を突破できるが、そのパスは角度的にスコールズをマークしている MF に引っかかってしまう。

そこでスコールズは右前方に全速ドリブルして自分のマーカーをひき剥がし、ここぞというタイミングで上にレバーを入れロナウドにボールを送らねばならない。そう瞬時に判断し正確に実行できないところがサッカーの難しさで、コントローラ操作も難しいし、スコールズも無理な反転キックになるのでパスが狙ったところへ飛ぶかはやってみないとわからない(パスの上矢印がここぞというときに出ないこともある)。しかしそれこそが頭と指のスポーツであるサッカーゲームの面白さなのだよな。

(※)FIFA 09 がえらいのはプレイヤーがカーソルで指示してやらなくてもこの AI ロナウドがちゃんとスペースを感じて走ってることで(上の絵でわかる)、ここが昔より大幅に進歩している。AI への指示としてプレイヤーには1つだけ、「みな上がれ!」ボタンが与えられている。これが非常に効くのだが、Wii の - ボタンという超使いにくいボタンなのがまた馬鹿洋ゲーならでの難。間違ってポーズを押しまくってしまう。
「スマートパス」式はこういう駆け引きをやっている間、選手のパス能力がそのままプレイヤーのパス能力になるわけだが、カーソル式は逆にプレイヤーのカーソルポイント能力が選手のパス能力になってしまう。カーソルをポイントするプレイヤーが下手ならば、どんなにすごいパサーを擁していてもパスは通らないのだ。それは選手の能力をシミュレートして楽しむゲームとしておかしい。そして Wii カーソルのポイント精度がプロサッカー選手のパス能力より高いはずがなく、どうしたってパス精度はスマートパスより若干落ち、(パス1本ごとにカーソル移動が必要なので)パス回しのスピードは大幅に落ちてしまうのである。

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今のコナミ「ウィニングイレブン」がどうなってるのか知らないが、Playstation 時代のウィイレのパスは、決められたコースを自動的に通る TV ゲーム感があり、しっくりこなかった。「スルーパスボタン」「1-2 ボタン」なんてのはその最たるもので、ボタンを押すと FW が前に走りオートでスルーパスが出たり、オートで 1-2 が成功するよう選手が配置されるようプログラムされてるんだからまさに TV ゲームの必殺ワザで、こんなのはまったくサッカーではないと思ったものだ。

Wii ウィイレが発明したこのカーソルシステムはさすがにそんな児戯レベルのものではないが、攻撃アクションのすべてを操作プレイヤーがコントロールしたいという発想は似ている。プレイヤーができる指示が多ければ多いほどよいという考え方のサッカーゲームでは、指の動きにキレがあり複雑な操作が瞬時に正確にできるヒト(つまり子供や CPU)に、そうでないヒト(ボンクラな大人)は勝てない。実際緻密でミスのない操作をする CPU に俺は指ドリブル勝負では攻守とも勝てないのだが、アイデアと判断力のパスワークでなら勝つことができる。そこが俺が思う、パスゲームであるサッカーの面白さなのだ。

操作は簡単であればあるだけいい。FIFA 09 の All-In モードは簡単すぎて必要な機能すら欠いておりいただけないのだが(ロブやクロスボタンすらない)、いかに点を取るかに素晴らしく没頭できるデキになっている。

2012/03/09

日記「尾野糸子最終回」

「うるわしのハイラル平原」「洋ゲーの天才的バカさ」「魔法の光が抜けた岸和田」

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■12/03/02(金) □ 尾野糸子最終回
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【カーネーション・尾野糸子最終回】いやーオールスターで。オールスターフルキャストで。宝物のような新旧スター勢ぞろいで。人が死んでもなくなる宝はない、「ヘタレはヘタレで泣いとれ」と糸子は笑い。そしてなくなる宝なんてないんだよ本当にと、映像が魔法を見せてくれました。なんて、なんて、なんてすばらしい。

優子の全国展開構想を「おもろない」と感じ、自分の東京行き話にかすかに気持ちが揺れ、モードの嵐に吹かれ「自分の服もいっときの希望に過ぎなかったのか」と自嘲し八重子さんに(かつてオバちゃんにそうされたように)どやしつけられ―――という昨日の流れから、そうか最後は「何がほしいんや」「ほしいものは1つだけ」の答えを出して終わるんだなと俺は心をあらかじめ震わせながら尾野最終回を待った。それが糸子の最後の言葉になるんだろう、「タラや。タラへ帰るんや、だんじりに」的な大見得があって終わるんだろうとイメージして。


それがぜんぜん違った。1人で岸和田に残ってもなくすものばかりでしんどいぞ、と震える声に恋心を載せて諭す北村に、薄く笑いながら糸子は答える。

「ヘタレが」
「はぁ?」
「そんなもん分からへんやろ」
「なにがじゃ」
「そもそもな、なくすなくすって何をなくす?うちはなくさへん。相手が死んだだけで、何もなくさへん」
「はあ?」
「決めたもん勝ちや」
「何言うてんや」
「ヘタレはヘタレで泣いとれ。うちは宝抱えて生きてくよって」


これが尾野糸子の最後の言葉だと途中から気がついて、ああまただ、また予想を裏切られたよと喜びが体をしゅわっと抜けていく。だよな。ここで「だんじりだ」と予定調和的に感動的長セリフを言われていたら、俺は少しがっかりしていたよな。だけどそうはいかないんだよ糸子は。もっと単純なんだ。だからこんなにも彼女に胸をさらわれてきたんだよ。彼女の生き方が美しいとか素晴らしいとかいうよりも、ロッカーみたいにカッコイイ糸子を俺は好きで、いつまでも見ていたかったのだ。

野生のカンで突き進み、人生の喜びも悲しみも味わい尽くした糸子は、「そんなもん分からへんやろ」と笑いながらひとまず退場していく。糸子の最後の言葉を聞きながら俺の気持ちは思い出のシーンの数々を高速で通り抜け、糸子少女時代方向へとキューっと引っ張られていった。静子、奈津、安岡のおばちゃん、お母ちゃん、泰造兄ちゃん、子供糸子、娘糸子、勘助、お父ちゃん、八重子さん、そしてハルばあちゃん。みんなほんとに宝物のようでしたよ。

そうやって走馬灯的に胸がうるうるしてるところに、あの魔法のシーンが。あれはもう。ほんともう。まいりました。夕食後妻子がリビングの TV で楽しくコメディを見ている裏側で、顔を隠し声を殺しながら俺は何度「カーネーション」に泣かされたことだろうか。サヨナラ、尾野真千子の糸子。

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■12/03/03(土) □ うるわしのハイラル平原
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【ゼルダ・トワイライトプリンセス】最初のダンジョン大ボスと対決。で、でかい。どうやって戦えばいいのだと様子見をし(このゼルダはとりあえず間合いを取れば対策を考える時間を稼げるので助かる)、あそうかと気づいて何度もトライし、無事倒す。―――やっ・た。このボスの部屋がなかなかトロピカルで気持ちよく、しばらく水に泳ぎながら景色を味わい帰郷。


うるわしのハイラル平原
そしてゲーム上名高いハイラル平原に出る。おお、美しい。序盤の村の森も敵を倒して光が戻ってからは見違えるようにいい感じの森になったけれど、やはり開けて遠くが見渡せる場所は文句なく気持ちがいい。リアルでもそうだしバーチャルでも同じこと。遥か彼方にオロカなザコ敵がいるのが見える。城のようなものも遠景にあり、いずれあそこに行くのか俺はと旅情も味わえる。空はトワイライトと青空に不気味に分かれている。歩いていると夜になり、美しい月まで出た。こういうものを見たかった。こういう絵を見せてくれると、Wii を買ってよかったなと思う。PS3/Xbox 的な写真的細密さはもちろんないが、絵として心地よければ文句ないのだ。

こういう見通しがよく広い場所では Wii コントローラで戦うのも実に爽快。遠くからこっちにかけてくるザコ敵をすれ違いざまにズバッと切り、振り向いてトドメを刺す。相手の体勢が見えるので冷静にスポーツ的に斬れる。サイコー。

このハイラル平原の素晴らしさを萌とやっぱりシェアしたくなるな。萌はまだ洞窟の中盤にいる。謎解き(というか、どの部屋に先に行き鍵を取って………という段取りづけ)は当然萌より俺のほうが早いので、ペースを合わせないと俺だけどんどん先に進んでしまい、感動をシェアできなくなってしまう。少しペースを落とそう。

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■12/03/04(日) □ 洋ゲーの天才的バカさ
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というわけで、ゼルダのペースを落とすために中古サッカーゲームを買ってきました。2008 年時点で「コナミ・ウィイレを抜いて Wii 上で最高のサッカーゲーム」と英語記事に書かれていた『FIFA 09』。Wii リモートのカーソルでパスコースを指して送るというコナミのコントロールをパクったやつである。

しかしこのリモートカーソル式プレイは全然コントロールできない。パスが全然思うところに飛んで行かない。画面上に常時カーソルを保持し、狙ったところに瞬時に手元の角度で数ミリ動かさないと思い通りのパスにはならないわけで、そんなことできるわけないじゃんという感じ。事前に記事を読んで、Wii メニューのボタンを押すのですらめんどくさくてイライラするあのリモートカーソルでサッカーなんかプレイできるのかなと半信半疑だったのだが、やっぱ俺には無理だった。

しかしパスにリモートカーソルを使わない All-In モード(味方がいる方向が複数自動的に検出され、プレイヤーはそのうちどこにどのタイミングで出すかを判断しゲームを進める)だと昔の FIFA 98 とほぼ同じ感覚でプレイできる。慣性が前より大きいのと Wii ヌンチャクのストロークの大きさ(※)で FIFA 98 よりドリブル&パスコースがコントロールしにくいが、慣れるとまあまあな感じ。
(※)Playstation よりストロークが大きくステップ数が少ないような感じで、中間的な微妙な操作がしにくい。ゼルダでは全体をじわっと気持ちよく見渡せないし、サッカーでは中速ドリブルがしにくいのがつらい。


で本編サッカーの方はけっこう難しいが、【8対8の Mii サッカーがすごくいい】。選手の技やアクションが大げさでかっこよく、すごいシュートがズバズバ入る。選手全員がオリジナル Mii にはならないのは残念だが、萌やカオナシがなめらかなモーションキャプチャで美しい技を連発するのを見てるだけで相当にうれし気持ちいいし、リモコンを振ってシュートの爽快感がすごい。Wii リゾートのバスケよりこっちのほうがずっと面白い。Wii スポーツのテニスにプレイ感が似てるので、これなら萌が俺に勝てるだろう。

と萌にやらせてみると、サッカーはドリブルしてコースを突きパスコースを見つけて出しと常時複数の判断を高速にしなきゃならないので、スポーツ音痴の萌はうまくプレイできず面白さを感じないようである。Wii テニスやバスケがうまいのはタイミングだけで勝負できるからだな。つまり任天堂のスポーツゲームは、運動が苦手な子供にも楽しめるよう、スポーツの楽しさをどこまでも単純に抽出してるわけである。えらい。

というわけで俺はサッカーをやりこんで、親指ヒリヒリ。FIFA 98 をやりまくった 2000 年頃以来の、なつかしいヒリヒリであります。

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しかし EA の FIFA サッカーは 98/99 をやり込み、ボールや選手が動くスポーツ感がコナミよりずっと好みなのだが、相変わらずそれ以外が馬鹿である。どれくらい馬鹿か挙げていくと枚挙にいとまがないが、たとえばメインのチームを育てるマネージャーモードでは戦術がいじれない。できるのはフォーメーション選択と選手交代だけである。このモードは俺がやりまくったサッカー監督ゲーム・Championship Manager/Football Manager のパクリなのだが、CM/FM は試合ごとにトライ&エラーでフォーメーションと動きをファインチューンするのが一番面白いわけで、それができなければ監督をやる意味がないではないか。

選手交代等のコマンド体系も最低もいいところで、ゆれゆら揺れる Wii コントローラの安定しないカーソルとA①②ボタンを全部使うクソ仕様になっているため、先発メンバー入れ替えだけで数分かかり指が吊る。話にならん。サッカーゲーム史上最も選手交代がめんどくさいゲームだろう、これは。

こういう「こんなんじゃダメに決まってるだろう」がいくつも当たり前にある洋ゲーのバカさは、FIFA 98 も Football Manager も 10 年経っても変わらない。これはもう、英米カナダ人は不便に対する耐性が高すぎるとしか解釈のしようがないではないか。いくらなんでもこのバカさに気づかないわけはないのだが、それを直そうとまでは思わないところが想像を絶している。実際カナダで暮らしてると、なにごとにつけそう感じるのである。米カ電気製品を買って普通に満足したことは、過去 20 年間皆無である。

ともあれ FIFA 09、サッカー自体は大好きだった FIFA 98 よりも当然進化している。コントロールに慣れ選手を思い通りに動かせるようになれば、燃えるのは間違いない。

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■12/03/05(月) □ 魔法の光が抜けた岸和田
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【カーネーション】夏木糸子の初回。魔法の光が抜けてしまったような現代岸和田の白っぽい風景、3姉妹以外誰も知った顔がない小原家、北村まで早死にしてるし、やっぱり夢は覚めてしまったなという感じ。夢の岸和田パックのフタを開いて、しゅーっと外気が入ってしまった感じ。

現代の岸和田ってこんなに味気ないのかと思い、いやあの大正昭和の岸和田のほうが、カーネーションスタッフ全員が創り上げた、糸子のイメージで柔らかく輝く夢の岸和田だったんだよなとすぐに気がついた。現代岸和田も、たとえば「家族に乾杯」のカメラで写せば活気と買い食い感が溢れ出た魅力ありまくる町に決まっているわけで、現代の町を見て「白い」と感じた俺の目は、柔らかな光に満たされた糸子の夢の岸和田に長くスポイル(贅沢させ)されられてきたからこそ、いま甚だしい落差を感じてるんだろう。「町は変わったけどだんじりは変わりません」という夏木糸子の言葉がただのアリバイに聞こえて、そういうのを初回から言わないほうがいいなと思った。

初回で夏木マリがいいも悪いもないけれど、必要以上に老い感を込めた夏木さんのごく普通の関西弁と、妙に遅く歯切れの悪いナレーション(年寄りといってもうちの母さんもBRも別に喋るのが遅くはない)には、糸子の魅力も湯婆婆の魅力もない。方言指導じゃ再現できないものがある。

まあこれは俺たちが熱狂してきた「カーネーション」とはやはり別物で、主人公の設定だけ同一の別の制作物だな。先週すでに完璧に終わってくれているので、「せっかくのカーネーションが......」みたいなガッカリ感は全然ないのだが、これから語るに値する物語がもう一度語られるにせよ今やらなくてもいいだろうとは思う。20 年くらい置いてから尾野さんで「カーネーション2」を作るのが一番よかっただろう。

いやそれよりもあと ひと月分を使い、尾野糸子最終回までを丁寧に描いてくれたほうがやっぱりよかったかな。振り返れば戦後はすべてのエピソードが、続きがあるのかと思えばどんどん次へとスキップされてきた物語だった。それで十分によかったのは事実だが、細部や続きが見れたらもっとうれしかっただろうシーンも、やっぱりいくつもあるのである。

2012/03/02

日記「宮崎駿っぽいゼルダ」

「ゼルダ・本領発揮の大寺院」「ゼルダ・攻略ページのジレンマ」

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■12/02/26(日) □ 宮崎駿っぽいゼルダ
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【ゼルダ・トワイライトプリンセス】。序章(たぶん)が終わった。ゲームの流れと謎解決は楽しいが、操作へのフラストレーションはピークに達している。ある時点で狼になるのだが、四足状態だともともと悪い視界がさらに上方向に狭くなり、萌なんか上方が見たくて顎を突き上げ下目使いで画面を見てずっとプレイしている。そんなことをしても意味ないのだが、わかっていても身体がコントロールできないほど、見たいところが見えないというストレス強度は強い。こんなものを長時間やっていたら頭が痛くなりそうで心配である。任天堂にはこういう子供の姿を見て反省してもらいたいと思う。そもそも子供にテストプレイさせたりはしないのかな? 狼での狭い所での格闘も大変で、操作系のフラストレーションで中断しては、またやりたくなり再開する日曜日。怒りながらハマってはいるんだよな。


夜は美しいトアル村
しかし序盤の村と城のビジュアルを見て、Wii の性能的に PS3/Xbox ほどの精細感が出ないならいっそ DS ゼルダやスーパーマリオ/Wii リゾートみたいなポップな世界にしてほしいと思ってたのだが、夜のトアル村を見てこのゲームで初めておおきれいだなと思った。やっぱり色使いによっては、Wii の性能でも十分にプレイヤーの目を喜ばせるだけのものはある。狼だから遠吠えができると萌が発見し、夜の村で吠えまくるシーンは美しかった。今後は素晴らしい景色も見れそうである。

操作性、視界に加えもう1点の不満は、《ネタバレ》あの正体不明くん(ミドナ)である。彼(彼女?)はキャラはいいしヒントをくれるのもいいのだが、進行上行けるところは彼が全部知っており、彼が手招きしたらそこへワープジャンプできるというのはゲームとして興ざめだ。アドベンチャーは自力で道を見つけコントロールして抜けていくから喜びがあるわけで、あれでは任天堂が決めた通りにプレイヤーがボタンを押してるだけではないか。物理を無視したあんなことが可能なら、ミドナは牢から城へ、村から寺へとずっと連続ショートカットだってできない理由はないわけで、リンクがあちこち巡っていく理由、つまり冒険する意味がなくなってしまう。こういうのをご都合主義という。

ともあれ。ストーリーはいい。闇の世界から光を取り戻せと命じた森の神様は「もののけ姫」のシシ神様そっくりだったのだが、闇の森を抜けていきながらこの闇の世界自体がもののけ姫とナウシカの腐海のミックスっぽいなと感じた。そして第1章終わりのシシ神様の全体像は、完全にサンダラぼっちであった。おーこれはもののけ姫だ。気持ちいい。スレた大人ゲーマーである俺は、こういう神の如き存在が出てきて喋ってもメッセージを早送りするのが常なのだが(FF なんかまったくそう)、このシシ神様の姿と自分の努力で森に光が取り戻される光景には素直に感動した。日本人に織り込まれた宮崎駿的なものを想起させることも含め、いい絵の持つ力だな。《終わり》

そう、全体に宮崎駿っぽくなってきたぞ、このゲーム。あとで萌がこのシーンに差し掛かったときに「このゲームってもののけ姫」っぽいよねと聞くと、ああそうだねーと同意する。リンク狼は犬神ともののけ姫だし。城のシーンはそういえばカリオストロだったし。いっそリンクもアシタカ的風貌だったらよかったのにね。宮崎駿はゲームを作らないのだから、任天堂が代わりに宮崎駿っぽいゲームを作ってくれるなら、それはとてもうれしいことなのである。

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■12/02/28(火) □ ゼルダ・本領発揮の大寺院
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【ゼルダ】トゥームレイダースのような寺院に来た。広大でさまざまな仕掛けが施してあり楽しい。内部にある風の谷の景色がなかなか壮大で、風景デザイン的にもやっと T.R. を超えてきたなとうれしくなる。風に吹かれる帽子、空を飛ぶこうもりに目をやるリンクの視線、池の水面の質感、水中に置かれたカメラ等々凝った描写がどんどん出てきて目を喜ばせる。ようやく任天堂フラッグシップ・アドベンチャーの本領発揮という感じ。敵も相変わらず弱くてちょうどいい。普通のアクション RPG の調子で敵が強くなったらこのゲームのコントロール性ではとても戦えないから、最後までこれくらいで行けることを希望する。

萌もここで進行が俺に追いついたので、2人で一緒に謎を解く。あまり進行度合いに違いをつけず、こうして一緒にコツコツ最後まで進んでいけたら楽しいだろう。

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■12/02/29(水) □ ゼルダ・攻略ページのジレンマ
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【ゼルダ】寺院の中でいま、《ネタバレ》猿を集めている(笑)。もう4匹もいる。こいつらに導かれ進んでいき、おそらく協力して敵を倒すんだろう。《終わり》これはワクワクする展開である。この据え置き版ゼルダって妙に真面目なゲームなのだが、「どうぶつの森」「ともだちコレクション」「リズム天国」で見せたナンセンスな面白さもやっぱり任天堂らしさなのであって、この部分はそこに通じるおバカテーストがある。こういうシリアス大作にもあのおバカセンスをどんどんつぎ込んでほしい。

◇

ダンジョン内でブーメランが手に入り、これまで行けなかった場所に行け、取れなかったものがどんどん取れる。気持ちイー! これがゼルダだなという納得の爽快感。最高。

これで取れた宝箱の中に、洞窟内の未ゲットの宝箱を示すツールがあったのは本当に助かった。この広大なダンジョンには宝箱や宝石が無数にあるわけで、プレイヤーとしては当然全部取りたいがすべての怪しい場所をチェックしていてはキリがない。攻略ページを見れば取るべきものはわかるが、同時に謎解きの答えも目に入ってしまう。ああした攻略ページというものはすごく助かるが、プレイヤーが知りたい情報と知りたくない情報を書き分けてまではくれないので、ちょっとでも見たらその場所にあるおいしいトリックを解く喜びはなくなってしまうのよね。知りたいのはその場所でなすべきことを俺は済ませたのかどうか(or 今は保留してあとから来るべきなのか)だけで、その他はみんな自分で解きたいんだよな。

攻略ページは見たくないし、取り逃がしは嫌だしと困惑しつつ冒険していたのだが、このツールがあればこの部屋は仕事全済みと確認して次に進むことができる。探索時間が大幅に短縮できる。そしてもうよほど詰まった時を除き、攻略ページを見ずに済みそうである。

しかしそうして苦労して開けた宝箱のほとんどがお金なのだがゲンナリだな。持ち金に上限があって開けても取れないことが多発するし、だいたい金があっても店に買うものなど売ってないのがゼルダではないか(これも任天堂ゼルダ節だ)。何のために金を集めるのかわからない。オイルや薬草を買いためたくてもその容器(ボトル)が足りない。宝を見つけたらその努力に見合うツールを与えてほしい。勇者を強くするゲームじゃないので武器や装身具を宝にできないのはわかるが、ランタンオイルやボトルのような、すぐに使える実用品を置いておいてほしいものである。ともあれ、旅は追い風に乗ってきました。

2012/02/28

日記「カナダの中二病」

『鈴と小鳥とそれから私、みんなちがってみんないい(金子みすゞ)』

「こういうゼルダだったらよかった」「俺史上最低の操作性なゼルダ」「Wii ゼルダ・旅のはじまり」
(ゲームのネタバレっぽい部分は白字になってます)

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■12/02/20(月) □ こういうゼルダだったらよかった
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Wii を買ったはいいがスポーツとアクションの2本だけじゃすぐに飽きるので、中古ゲームソフトを探しに行く。カナダは元々中古ゲームの流通量が日本よりはるかに少ない上に、PS3/Xbox に比べ Wii の品揃えはどこもまったく悪い。中古屋にゲームを流すのはゲーマーで、ゲーマーは Wii より PS3/Xbox 派なんだろう。

中古はこれといったものがなかったが、『ゼルダ・トワイライトプリンセス』が新品 20 ドルで売っていた。安い。家に帰り調べると当然絶賛の大ベストセラーだが、ビデオを見るとグラフィックが PS3/Xbox の1世代前、すなわち PS2/N64 という感じで食指が動かない(元々 GC のゲームだったとのこと)。Zelda 最新作でもグラフィックは大差ないようだ。Wii で素晴らしい風景や街を楽しめる RPG ってないのかな。―――あ、このゼルダは Wii リモコンを振ると敵を斬れるんだ。これは DS ゼルダのペン斬り同様気持ちよさそう。やってみたくなってきた。20 ドルでグラフィックを除けば現代最高レベルのアドベンチャーを体験できるんだもんなあ。よし。


なんとなく光量と物の輪郭感が足りないトアル村

萌もこの案に盛り上がったので決定し買ってきたのだが、序盤はすべてが土色のモノトーンの村におり、ビジュアルがパッとしない。物と物の境目(輪郭)がよくわからない 3D モデリングで、地形や建物の特徴が非常に把握しにくい。美しい田舎村の風景だというのはわかるが、美しい風景をあまり才のない画家が写生したという感じで、俺も萌もこれを特にきれいとは感じず、ただ黙々と情報を集めている。

リンクの容貌もなんというか、「トゥーン・リンク(DS 版ゼルダのマンガ的リンクが英語でこう呼ばれている)のほうがかわいいよね」と萌が言うとおりで、アメコミみたいである。要はどこを取っても俺が好きな絵じゃないということで、PS1 のグラフィック性能でも美しい・かわいいと感じられたドラクエ・FF のアニメ的な絵柄に対し、このゼルダは「シュレック」等のアメリカ CG アニメ的なんだよな。でこのアートワークで映画みたいな精細感や人物の魅力を出すには、Wii では解像度も足りないのだろう。RPG/アドベンチャーをやるのは美しい風景を見て「キレイ!」と感じたいからでもあるので、この単調なアートワークには、覚悟はしていたがやはり失望を感じる。

Ordon Village - Legend of Zelda: Twilight Princessすごい。ゴッホみたいなトアル村 :-)! (c) Mariokapapo

今検索して見つけたのだが、こういうトアル村だったらよかった(笑)。ファンが作ったコンピュータ画像モデルらしい。スゴイ。どうやって作ったのだろう。これは上記画面の2つの橋を反対側から見たところである。この写真を見てやっと地形が完璧に分かった(笑)。ここにいれば明るさに目が痛くなるかもしれないが、絵として素晴らしい。これくらい画期的な風景ならば、ここに行ってこの景色を見たいと思うじゃないですか。アドベンチャーマインドが掻き立てられるじゃないですか。そう思わせる絵を任天堂には作ってほしかった。そういうゼルダが見たかった。

◇



この絵柄のしっくりこなさは覚悟していたから我慢するにせよ、この操作性の悪さはなんなのか。不満を挙げれば長大なリストになってしまうが、最大の問題は操作中この写真のようにリンクの向きが勝手に変えられてしまうことだ。これじゃ進行方向が見えないので操作しようがなく、そのたびにいちいち Z ボタンを押して視点を戻さなければならない。こんなことをする理由がサッパリわからない。ゲーム上のメリットもリアリティもまったくないのである。操作レバーの方向と見えている視界が常時食い違い、それを Z ボタンで修正して進んでいくしかないんだから、目隠しされ回転するスイカ割りみたいなものでありすぐに方向を見失う。

この視点撹乱と茫洋とした風景が合わさって、最初の小さな村ですら地形を把握できない。村中を延々と探索しているのに地形や家の位置がまったく頭に入らないのだ。村に家が何軒あるかもまだわからない。歩き回っているうちに「あ、この家はまだチェックしてないわ」と気がつく感じ。俺がこれまでやった 3D アドベンチャーで一番視界と操作性が悪いわこれは。

そんなわけでどうにも盛り上がりようがなく、俺も萌も最初のセーブポイントで「ふむ」といってやめてしまった。まだ旅が始まらない。

まあこの洋ゲー風の絵は Youtube で見ていて、それでもゲームが面白ければ我慢できると思って買ったわけだから、この序盤を乗り越え冒険の旅が始まったら盛り上がることを期待しよう。

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■12/02/23(木) □ 俺史上最低の操作性なゼルダ
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【ゼルダ・最初の敵がいる森終了】ランタンを持ちオイルの残量を気にしつつ洞窟を抜け、楽しくなってきた。挫折への分かれ道、峠は越えたなと思う。時間が許せば延々と冒険していたい気持ちになっている。絵、キャラ、操作性とどこを取っても好みではない。しかし面白い。今頃になってレビューを読むと、『トワイライトプリンセス』は英語圏では各所で FF12 を抑え 2006 年度ゲームオブザイヤーを取っている。ゲームのボリュームもすごいらしい。この先いろいろと期待できるんだろう。

しかし操作性は本当に心底悪い。道具や武器の非直感的な操作法をいちいち覚えなければならない。道具は選択して使う、武器は「ボタンでジャンプし振って斬る」でいいではないか。なんでボタンをいくつも押させるんだよ。Wii なのに。複雑な操作体系ゆえにコマンド暴発しまくりで、刀を出そうとして釣り竿を出したり、針に蜂の子をつけたり、あげくはその蜂の子をグビグビと飲んでしまったりしている。アタマが痛いよ。

ゼルダというシリーズは DS でもペン操作以外は一切許可しないという不便な仕様にするなど、こうして操作系にいつも独善的なクセがある。ダンジョン内でセーブしてもロードするとダンジョンの外から始まるという、ゲーム的になんの理由もつけられない理不尽さも固持されている。ユーザーには何のメリットもなく、いまどき他のゲームメーカーは絶対入れない不便を任天堂ゼルダ節ですと押し付けてくる。任天堂でもこんな遊びにくいゲームはゼルダだけだと思う。

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敵が出てくるとリンクの体の向きをプレイヤーがコントロールできないのはますます大きなハンデで、こんな馬鹿システムを作った任天堂を呪いながらの戦いとなる。なにしろ敵を常時見ながら戦えないのだ。戦闘中敵が視界からはずれたら、ぐるーりと回って敵がいるであろう方向にリンクの体を向かせ、Z ボタンで視界を修正してやっと敵が見え攻撃を再開できる(※)。やったことがない人はこんな馬鹿操作体系だとは信じられないだろう。

(※)ゲーム開始1週間目にして、『レバー下チョン押しで真後ろを向き Z を押す』という複合技で後ろを向けると発見(説明書には書いてない)。瞬時にナチュラルにはできないが、練習してできるようになれば移動と戦いがかなり楽になりそう。

敵がそばにいるのにそんな冷静に操作などしてられないので、結局パニック状態でただグリグリとすべてのレバーとボタンを押しまくる。するとダメ押しとして A ボタン単独押しで刀を収納してしまい(※)、気づかずに素手をブンブンして「なぜだ! なぜ斬れないんだ!」とアワを食うことになっている。コントじゃないんだから。

(※)キャラの状態と他ボタンのオンオフによってやることが変わるというのはなんの機械であっても最悪の操作系だろう。「ボタンを押しながらペダルを踏むと加速で、ペダル単独ではブレーキ」という車がもしあったらどうなるかってな話である。

敵を視界に捕捉しにくいことの救済措置として Z ボタンで敵補足+斬りなんてコマンドがあるんだろうが、そんな人工的なアシスト操作は「Wii リモコンでナチュラルに斬れて気持ちいい」フィーリングに真っ向から反するではないか。矛盾もいいところである。Z のつもりで C を押しちゃうと視点固定&操作不能になるし、ボタンを離しても視点固定は解除されず、もう一度押さなければならない。4日もやって何一つ直感で思い通りに動かない。これほど不自由なゲームが他にあるだろうか。まったくイライラする。萌もイライラしている。

独特の操作性に当初苦しんだゲームといえば「トゥームレイダース」があったが、あれはララの見てる方向とプレイヤーの視界が異なり要修正なんて不合理なことはなかったし、視界操作もボタンをホールドして上方/左右をチェックし、離して即行動と快適でナチュラルだった。背後に敵がきたらボタン1つで瞬時に向きあえ存分に戦えた。このゼルダの操作系は慣れても快適にはならない。俺がこれまでやった 3D ゲームで最低の操作性である。現役ゲーム機の新品で買えるゲームでこんな操作性フラストレーションを感じるとは予想外であった。

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■12/02/24(金) □ カナダの中二病
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萌の部屋を掃除していたらまたメモが見つかった。今度は前のイノセントなものの逆で、「あなたが私の背後で悪口を言っていても気にしないわ。私は私だから、words can't bring me down」みたいなハードなもの。家族やリアルな友達に関することじゃないのはすぐにわかり、これは萌のイメージするロック歌詞だなと察しをつける。あれはホントのことじゃないでしょと一応あとで確認してみると、やはり彼女の作った歌詞だった。

これを見て思うのは、子供の中にはこうしてどこかで拾ってきた強い力を持ったクリシェ(陳腐な言葉)がたくさん入っているということだ。ポップソングというものはだいたい日本でもカナダでも、ほとんどクリシェでできあがっている。子供がそれを飲み込んでいくのは当たり前のことでいいも悪いもないが、子供らしさを嫌い、こうしたクリシェにアイデンティティを求め喋ったり書いたりするのが、日本で言うところの「中二病」だろう。萌は中1で日本の中2よりまだ2歳若いのだが、もうそうなっている。子供っぽさが軽視されるカナダの学校や TV 環境下では発動が早い。

休日放っておくと萌は、延々とコンピュータでストーリーをタイプする。いつも俺がそれを止めているのだが、それはこうしたクリシェを書き連ねてもライティングスタイルがこなれ国語の点がよくなるだけで、創造性においてあまり意味がないと思うからである。ストーリーをタイプするのはそれくらいで絵を描いてくれ、歌を歌ってくれ、ピアノを弾いてくれ、スポーツやゲームをやってくれと言っている。手で描く線は他人のクリシェなど入らない彼女のものだから。歌は真似が簡単なので気をつけないとクリシェになってしまうが、楽器で苦労して出す音はオリジナルだ。ゲームで楽しさや感動に震えるチャイルドライクな心も、みずみずしい個人のものである。鈴と小鳥とそれから私、みんなちがってみんないい(金子みすゞ)。そういう子供ライフを送ってほしいのだ。




ハチの巣みたいだ 東京
働きバチの行列だ
私はまだやわらかな幼虫
甘い甘い夢を見てる

夢が夢でなくなる東京
おいしそうな花のミツ
私はまだまだ世間知らず
甘い匂いに負けそう
(チャットモンチー「東京ハチミツオーケストラ」)

萌はこんな詩を書くようなティーンエイジャーになってほしいなと俺は願っている。カナダで育てば誰だってクリシェを積み重ねてアヴリル・ラヴィーンにはなれる。しかし「何と言われようと私は私」よりも「みんなちがってみんないい」のほうが美しいではないか。萌は日本人でもあるのだから、こんな謙虚さと開かれた目と抑えきれず広がっていく夢を持って大人に向かっていくことだってできるはず。君はまだやわらかな幼虫、甘い甘い夢を見てくれ。

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■12/02/25(土) □ Wii ゼルダ・旅のはじまり
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今日は一日萌と活動していた。午前中は Wii スポーツ。午後はMKベイビー訪問、ボードゲームストア&大福もち屋、バースデイプレゼント購入&中古ゲーム屋チェック、そして夜は萌がゼルダを再開したので一緒にやる。一緒に RPG をやるのは FF9 以来3年ぶりだ。「Huh! バカな敵」とつぶやくコメントはカナダ中二病的だが、怖い敵に震え飛び上がり「お父さんお願い!」とコントローラを渡してくる彼女の心持ちは昔と変わりない。ゲームはありがたい。

【ゼルダ・トワイライトプリンセス】村での仕事を終わり町に行くことになり《ネタバレ白字》ワクワク支度している朝、前触れもなくとんでもなく禍々しい敵が村を襲撃し、リンクは怒りに身を震わせ狼になってしまった。その状態で敵に捕らわれ、正体不明の子供を背に牢からの脱出中。俺 RPG 史上指折りの予想外な展開である。

DS ゼルダを2つ続けて中断したのはストーリーがなくダンジョン巡りの繰り返しで飽きたからで(ダンジョン内でセーブしてもまた外から始まるあの任天堂節も脚を引っ張った)、こうしてダークで濃いストーリーが入ってきたのにはいい意味で驚いた。
《白字終わり》これはいいぞ。土と木ではない無機物が画面に初めて表示されて、おお Wii グラフィックスもなかなかすごいなと思った。萌ともどもワクワクしてきました。いよいよ旅のはじまりである。

2012/02/23

日記「中身はいまでもイノセント」

「世界最高速のカーネーション」「糸子はサンプル展示品じゃない」「Wii がきたぞ」

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■12/02/13(日) □ 世界最高速のカーネーション
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ツイッターの「#カーネーション」タグ(番組関連発言を集めたもの)の記事を毎日読んでいる。実に面白い。みながシンプルな言葉でくっきりと鮮やかに、見たばかりの出来事について飽かず語っている。このドラマについて語られる、大衆の言葉までもがこんなに生き生きとして楽しいところが素晴らしい。緻密に彫り込まれた映像なので、初見で皆が気づかなかった仕掛けが発見報告され、それを確かめるために日本中の人がまた見るということが繰り返されている。

「僕ら凡人は自分に起きたことしか歌に書けない」と以前音楽について書いたが、凡庸なドラマも表現として同じ類のものだ。北米日本語TVで放送される(つまり日本でヒットした)民放ドラマは、凡人の想像力と理解力の範疇で「リアル」なものを作っている。それで面白いものももちろんあるけど、そういうものに対しては人々がこれほどの言葉を語れないと思う。よかった、面白かったのバリエーションしか言葉は出てこないだろう。そうした言葉が並んでも、わざわざツイートを検索して読む気はしない。

それに対し「カーネーション」は、小篠一家という非現実的なまでに非凡な家族を叩き台に、さらにそれを超えていくぜという脚本家とスタッフと役者のものすごいアイデアとエネルギーが注ぎ込まれている(バンドの話みたいだな、いい歌が天才的アレンジと演奏でモンスター級名曲になるからロックは奇跡だ的な)。そんな凡人の想像を超えた小原家の一角に、視聴者は毎日居ることができるのだ。大衆に与えられてしかるべき、『大衆的だけど凡庸ではないもの』を「カーネーション」制作陣が見つけ、精緻極まりない創り込みで届けてくれるおかげで、日本国民はスカーレット小原な人生を毎日共有できるのである。見る側の気持ちは当然自らの日常の振幅を超えて震え共振し、言葉を発せずにいられない。かくしてツイッターのカーネーションタグが大盛況になるわけである。

しかも皆子供の頃から知る大衆的極まりない糸子の話なので、誰もが身内のごとく気兼ねなく言葉を投げかけられる。糸子それはダメやで、おばあちゃんに怒られるで、とか言える。それが映画とは違い長い時間をかけて一代記を追う、こうした長いドラマの力なんだなと実感する半年間だった。もうじき終わってしまうんだよなあ。

「演じていて自己ベストどころではなく世界最高速を出しているとしばしば感じる」と尾野真千子さんが言ったそうである。その通りだろう。日本のTV史に残る名作である。

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■12/02/14(月) □ 中身はいまでもイノセント
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妻Mにバレンタインの花を買うとえらい喜んでくれた。現在反抗期まっただ中の萌11歳は俺の花買いには付き合ってくれたが、それ以外俺とは口を聞かず。

ここんとこ萌が俺と全然話してくれんとMに言うと、関係改善をすればいいじゃないのと軽く言う。たとえばバドミントンの件は「お父さんがクリティカル(批判的)だからなにも話したくないのだ」と萌がMに言ったとのこと。なにごとにつけそういうことじゃないのとアドバイスしてくれた。

バドミントンの件というのは、萌を子供扱いし技術面でアドバイスせずただ遊ばせているバドミントンコーチに俺が腹を立て苦情を言いたいと主張し、萌があれで楽しいんだからやめてくれと言ってる件である。うーん、そうか。かように俺は愚かさに対してセンシティブすぎ寛容さに欠けるので、俺のクリティシズム(批判精神)が萌の生活全体へのクリティシズム(批判)になってるということか。薄々気づいてはいたが、わかってきた。

「子供は考えが足りないから、自分で物事を正しく判断できるようになるまでは言うことを聞け」というのが親の言い分なのだが、正しくできなくてもいい、放っておいてくれというのがつまり、反抗期というものなんだろう。つまり風邪をひくから厚着しろと叱るのをやめ、風邪をひく自由を認めてやらないと生活が回らないということである。スポーツだって俺のアドバイスに従えばうまくなるわけだが、うまくならなくてもいいから楽しくやるという自由を萌は求めているわけである。こんなすれ違いに解決法はもちろんないが、反抗の構造だけは見えてきた。

ちょうど今日「カーネーション」で、「若い子のやることは、自分にわからんからちうて間違ってるとは限らん。外国語みたいなもんや」と糸子が言っていたが、これを俺も心得ておかねばならない。俺が萌に言ってることは正しい。しかし萌の気持ちが間違ってるとも言い切れないのである。お互い外国語みたいなもんや。

よし、今日萌に謝ろう。なんでもかんでも批判して悪かったと。萌がやってることはオロカでそこら中間違ってると実際思うが、これからは叱責という感情を交えず、ただ萌がすべきことを命じよう。でやらなければただやれといおう。できるだけものごとをシンプルにしよう。そんな単純に行くわけないのだが、方針を立てればお互いにもう少しは楽になるだろう。

◇

といったん仮の結論を出して萌の部屋を掃除していたら、トイレットペーパーに書いた「なぜSRの誕生パーティに行きたいか」という3枚にもおよぶ箇条書きリストが見つかった。風邪をひいていたし前後に別のパーティが入っていたのでやめとけと俺が言ってもめたパーティである。

あちゃーこれは俺に対する怒りや批判が書いてあるなと思って読むと、「よく寝た」「宿題はやった」「暖かくする」「鼻水が出てるだけでシックじゃない」と、まったく内容に感情的な色がついてない。俺を説得するためにトイレに篭りこんなに真剣に考え、それで結局パーティ行きを勝ち取ったのか。

これを読んでジーンとしてしまった。やっぱ萌は、いまでも中身はこんなにイノセントなんだな。《中身はまだ子供で全然考え足らずのくせに人の言うことを聞かない》と俺はげんなりしてるのだが、《人の言うことは聞かないが中身はいまでもイノセント》と逆に捉えていくべきなんだろう。

で、萌をピックアップ時に今日俺が考えたことを伝え、「あのメモには感動したよ。私は間違ったことは言ってないと今でも思うが、言われること自体が嫌なのだとよくわかった。これからも言うとは思うが、言い方には気をつける」と謝ると、萌の機嫌は明らかによくなった。これで当座気分がよくなっても生活は同じなわけで、関係性が劇的によくなることはないだろうが、なるべくケンカはせずにやっていこう。

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■12/02/17(金) □ 糸子はサンプル展示品じゃない
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MKの奥さん無事出産。めでたし。萌を連れてベイビーを見に病院へ行く。ベイビーはお母さんよりも朝青龍に似ている。マイクロサイズの朝青龍という感じ(笑)。MKは遠慮する萌に無理にベイビーを抱っこさせるなど、すでに親バカ Proud Dad そのものであった。あいつはうちに住んでた9年間萌にさえ親バカ的に奉仕してたので、自分の子だとどうやって甘やかそうかというロードマップがもう、ずーんと地平線まで伸びている模様。

萌は病院への道中も例によってむっつりと口を聞かなかったのだが(結局俺の批判癖など関係なく、機嫌が悪いのがプリティーン女子のデフォルトなのである)、ベイビーを見て気分が晴れ晴れとしゴキゲンになった。萌もこの病院で生まれたんだよ、どの部屋かは覚えてないけど、あのフロアや喫煙所はよーく覚えてるよと萌に話す。「そうか、お父さんタバコ吸ってたもんね! 隠してたけど知ってたよ!」と久々に会話が弾むのであった。

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【カーネーション】聡子が「(お母ちゃんが見てくれなくて)さびしいから」とテニスをやめ、洋裁への道に大きく舵を切る。これまた楽しくなりそうだが、しかし糸子のあの精気のなさ、無関心さの露骨な強調はなんなのか。「老いが重要なテーマ」だと制作はいうけれど、糸子はそんな老いのサンプル展示品じゃないんだからさ。昼間起きてられないほど精気をなくし、裁縫以外の外界に一切の興味をなくすなんて、ありえんよ。

おかあちゃんだって神戸のおばあちゃんだって年をとってもスローダウンしていくだけで何も変わっていないのに。そしてハルばあちゃんのあの美しい老いぼれっぷりを見せてくれたドラマなのに。糸子だけが「老い」テーマ=感性鈍麻のマネキン展示みたいに使われ、不愉快なのである。このドラマを熱愛してきて初めて、こんな糸子は見ていたくないと思ったな。尾野真千子さんは当然あと2週、渾身の芝居で素晴らしい後味を残してくれるだろうが、彼女の残り少ない時間を聡子を覚醒させるためのこんなアリバイ芝居に費やされたくはなかった。

なんでこれに腹が立つのかというと、糸子=尾野真千子が培ってきた魅力よりも、テーマである「老い」を表現することのほうが大事なのだろうかと疑問を感じるのである。主役交代に対しても同じことを思う。糸子の全生涯を描くことに、尾野真千子を交代させるだけの意義があるんだろうか。それは最後まで見てみないとわからないのだけれど。

何事もパーフェクトというものは手に入らないものだ。音楽においてもそうであるし、朝ドラなんて半年にも渡る進行形の制作物なんだから、停滞や違和感が所々に現れることは致し方ない。隅々まで完璧を求めるなら単発の映画しかないわけだが、しかし長いドラマには映画には得られない一体感があるのだと、つくづく思い知った我らカーネーション・ラバーなのである。

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■12/02/19(日) □ Wii がきたぞ
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TV と PC を見過ぎだとついに制限がかかり、することがなくなった萌が退屈し廊下を往復している。これを見かねたかねたMが、Wii の中古でも買えと命じてきた。先月加入したネット映画サービスを TV で見れるし、あんたたちはゲームでも一緒にやればいいじゃないの。それもそうだな。それしかないなとさっそく中古を探す。

遊べるゲームのクオリティとしては画質の桁が違う PS3 と Xbox に惹かれていたのだが、俺が TV 前に陣取って長時間 RPG をやるなんてことは今後起こりえないので、萌と Wii スポーツがやれればそれでよし。

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で早くも Wii が来たぞ。ついてたゲームは「Wii スポーツ」と萌がほしがっていた「スマッシュブラザーズ」。これはやってみたら単純な格闘ものであった。30 年前のファミコンレベルのゲームだ。なんでこんなものが大ヒットしたのか。Wii なのにコントローラを振らないし。まあフリーだからいいが。

映画サービスも問題なくインストールでき快適に見れる。インターネットもちゃんとつながり、Youtube が見れる。前に借りたときはどうせ借り物といじりもしなかったので知らなかったのだが、Wii はすごいマシンである。つまりあれをベースメントのTVに繋げておけば、萌は友だちを呼んでゲーム、映画、Youtube と遊びまくれるのだ。最高ではないか。

実際久々に萌と長時間遊んだわ。うっすら汗をかくところまでテニスを何セットもプレイした。やっぱあのコントローラをスイングすること自体が楽しいという根源的な快感が Wii にはある。萌もバドミントン効果か、昔よりうまくなっている。これで正解だ。俺用にサッカーか RPG をもう1本、萌と友達用にパーティものをもう1本という感じで手頃なソフトを探そう。



2012/02/12

日記「カナダのTVを見ない俺」

「ニューヨークで歌謡曲なら」「『カーネーション』を語ること」

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■12/02/02(木) □ ニューヨークで歌謡曲なら
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【SONGS「由紀さおり in ニューヨーク」】日本のバーブラ・ストライザンドと紹介されていた。そうかなあ(笑)。まあいいけど。「マシュケナダ」「PUFF」と洋楽の日本語カバーが続き今ひとつ面白くないなと思っていると、ドドンパ・ドン。ドドンパ・ドンというイントロで「ブルーライトヨコハマ」。これはよかった。これって和風ラテンソングだったのね。

洋楽カバーなどやらず、こういうのばかりで「日本歌謡曲名曲スーパーパック」みたいに歌いまくってほしかったな。美空ひばりとかやったらアメリカの聴衆は、すげえヘンなメロディだ! と心地よいショックを受けただろう。日本にだってもうないメロディなんだから。しかし美空ひばりは由紀さんの声に合わないか。ならば「日本のバーブラストライザンド・由紀さおりサン!」と紹介されたら天童よしみが出て行って美空ひばりを歌えばよかったのだ。たぶんバレなかっただろう。顔は似てる。


そうだ、こういうのをニューヨークでやってほしかったな、由紀さん。「胸の振り子(サトウハチロー・服部良一・昭和 22 年)歌:Ann Sally」。桑田佳祐が昔歌ったのを聴いて、なんちういい歌だとびっくりしたのです。こういう歌を発掘して紹介してくれるといいんだけど。

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■12/02/06(月) □ カナダのTVを見ない俺
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萌はここ1年ほどで、カナダの子供向けTVに加えMが見る大人TV番組にもガッチリとはまってしまい、こうなると俺とゲームをしたり音楽をやったりする時間がまったくなくなってしまう。冬は雨ばかりでスポーツも一緒にやれんし、一緒にやることは「桜蘭高校ホスト部」を見るだけだ。昔は TV Japan でローティーン向け番組もたまにやっていたのだが、もうまったくないしな。「ルーキーズ」などの血だらけ熱血を見せても意味ないし。萌に「カーネーション」を見せてやりたいなあと思っては、無理だよなとあきらめている。

 Mも萌もすごい長時間TVを集中して見ているが、俺が「なになに?」と身を乗り出しTVを眺めてしまうような高笑いや嘆声はさほど漏れ出てこない。笑いだけならば萌も、「桜蘭高校ホスト部」を見てる時のほうがずっと大声で笑うと思う。2人に「カーネーション」を見せてやれたらなあと口惜しい。「カーネーション」は明らかにドラマというか映像表現の最高峰で、これほどのものが週6回放送されるなんて世界でも類がないだろう。

 しかし延々と続くオフィスや家庭での会話で構成されたカナダのドラマに俺が興味を持てないように(本当に米加ドラマの連中はよく喋る。時間ごとのテキスト量は日本のドラマの4倍くらいあると思う)、日本的機微といわく言いがたい表情演技のみで構成された「カーネーション」を萌とMに楽しんでもらうのも、たとえ字幕があっても無理だろうなあ。

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まあ俺がメンタル的にカナダ人となりカナダのTVを見て談笑するほうが生活態度としては合理的なのではあるが、それはカナダ暮らしの初年度から数年で無理とわかってしまった。「フレンズ」「サードロック」「70's ショー」などあの頃Mと一緒に見た人気コメディは面白かったけれど、飽きた。「ノースオブ 60」などのシリアスドラマは、ユーモアがなさすぎて見ていられなかった。

あの頃「フレンズ」を数シーズン見ただけで、俺はもう一生分の米コメディのお笑いパターンを見終えたと思う。笑いが入ってくる角度が毎度同じなのだ。笑いがあさっての方向から入ってこなければ、腹を抱え涙を流すなんてエクスペリエンスにはならない。新たな面白さなど米コメディ番組には登場しないだろう。

日本の人でも、もともと米コメディやドラマが好きで英会話を習い移住したような人ならばそうしたものを飽きずに楽しめるのだろうが、俺はロックと英語自体が面白かったから勉強しただけで、カナダに来るまでそうした番組を見たこともなかったしな。


これぞ斜めから入ってくるお笑い動画
それらを見飽きた頃に折よく(?)俺はインターネットと NHK (TV Japan) が手に入ったわけで、それ以降時間を割きカナダTVを見るモチベーションが持てません。すんません。しかし笑いならばネットの5秒の猫動画の方が実際パワーがある。「猫と和解せよ」ページもすごかった。こういうのを見つけるたびに萌に見せて、共に大笑いしている。現状萌とはこうして、「桜蘭高校ホスト部」や猫動画で付き合っていくしかないよなあ。

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■12/02/08(水) □ 「カーネーション」を語ること
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『サリエリの独り言日記』というサイトの「カーネーション」思索が秀逸で面白くてずっと読んでいる。そうだそうだと腑に落ちることばかり書いてある。

それにしても、糸子の相手役周防の人物像は、他のどれもはなはだハッキリしたキャラクターに比べて、最初からずいぶんボヤかした描き方をしていましたね。(中略)これは糸子の目、あるいは心象風景を通した周防像なのだと。糸子の心にはこのように記憶され回想されているのだ、ということなのでしょう(「なぜか「朝ドラ」が面白い! 35」)。


というあたりを俺も強く(そしてそのことを気持ちよく)感じており、『お父ちゃん、勘助、泰蔵にいちゃん、勝さんの顔が画面をよぎるだけで、見ているこちらの胸も本当に疼く。泰造兄ちゃんなんていつも道具をかついで横切るだけだったのに、こちらは糸子と奈津を通して見ているから存在自体が自然発光していたのだよなー』と書いていた。「カーネーション」の美しい映像は、糸子の目から見た活き活きとした時代の輝ける岸和田なのである。

「カーネーション」は常に解釈を求めるドラマで、答えは提示されていない。だから自分がどう感じたかを言いたくなるし、人の感じ方を聞きたくなる。そこここに散りばめられたキーワードやサインを共有することも大事な儀式となる。ツイッターがその役を果たしていて大盛況なのだが、サリエリ氏はその気持ちを「臨調感」という言葉を使って解き明かしている。

映画やドラマによくある回想シーンとか、フラッシュバックがここにはないでしょう。それらは安直に多用すると、観るほうの視座を主人公の目線から、不意に客観的な神の座へ引き上げてしまい、かえって臨調感を失わせるのです(「使ってはいけない」ということではありません。使う必然性が充分練り上げられているなら、それはそれで「手法」になり得る。肝心なのは、ひとえに作り手側の明晰な問題意識でしょう)。

同じような事柄で、すでに死んだ父善作や勘助が、主人公に(夢の中で)語りかけたり、遺影が動き出したりということもない(いずれも、よく使われる手法です)。善作の遺影は遺影のままであり、それがどう見えるかは、「今、その場にいる糸子」とそれに同期した目線の我々の「想像力」だけに由っている(丸投げされている)。だからこそ、毎日毎日「ああでもない、こうでもない」という口コミがネットで絶えないのでしょう。

 この口コミの多さこそ、このドラマのもつ「臨調感」の証左なのです
。なぜなら、私たちの住む「現実世界」とは、まさしく「ああでもない、こうでもない」の世界であって、あらかじめ決まりきった予定調和で進んでいるわけではない、一寸先が誰も分らないからこそ、「ああでもない、こうでもない」となるのですから。これって、震災と原発事故以降の先の見えない日本の現状の気分とも同期していますね。(10:太字=引用者)


俺たちは物語のその場に居合わせ、そこにいる人たちと同じ気持ちを味わうという体験をしているのである。幸せなシーンでは本当に楽しく、つらいシーンは苦しい。だからそれを喋らずにはいられない。この体験を家族と共有できないのがつらい(笑)。

◇

「カーネーション」本編はいま、創造的バイタリティの塊である次女と、それに脅かされる長女を巡り物語が展開している。糸子は流行をはずしたという失意の失敗談が挿入されただけで、背景にずさーっと下がってしまった。『糸子が三姉妹の背景へと徐々に下がっていく。先週までは糸子交代なんてとんでもないと感じていたけれど、寂しいが人生はこういうもんかもしれないと説得されてしまう』とツイートしたが、サブキャラとして頑固親父となった糸子には案外善作ほどのスルメ味はなく(それがお父ちゃんの貫禄というものか)、糸子自身の魅力もくすんで見えてしまい寂しい。しかしこれさえもが意図的なものだろうとサリエリ氏は分析する。

ここ最近以前のような感動がない、といった書き込みが感想欄に散見しますが、それはたぶん糸子の眼から例の七色の涙が見られなくなったからでしょう。波乱万丈の前半生、しかも戦争を潜り抜けた四十数年間となれば、人間大抵のことには驚かなくなる。尾野さんはそうした年齢相応の人物像を、ごく自然にそのまま演じているわけです。(44)


そうかもしれないな。だがまあこれだけですんなり後を引き渡し糸子@尾野真千子が終わるなんて誰も思ってないわけで、最後の輝きがどんなものになるのか、それはすごいことになるだろうとかたずを呑みつつ、いまは誰もが子供らの活躍と苦闘を楽しんでるわけです。

2012/02/03

日記「ランドリーゲートの想い出(立川基地の青春)」

「糸子の恋(カーネーション)」「予期せぬジャムセッション」「ランドリーゲートの想い出」ほか。

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■12/01/27(金) □ 糸子の恋(カーネーション)
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テーラー周防開店に動く糸子。画面いっぱいに漂うアンハッピー感、糸子の地に足がついてない感。昌ちゃんが能面になっている。やっぱりそうなるよな。糸子は批判は受け入れると言ったけれど、それは単なる言葉であって、糸子の気持ちもみんなの気持ちも言葉ではどうにもできない。残るのはアンハッピーさだけ。

「風と共に去りぬ」のアシュレーのごとく、周防さんが病弱の奥さんに戻っていく。そして糸子の目が覚め、「そうや。タラや。タラに帰るんや......だんじりに」となる―――そうなるよう俺は願っている。誰もが苦しすぎる恋なんだ。

しかし後戻りできないところまで来てからあんな顔をするなよ周防さん。あんな顔をするなら連れて行かないでくれよ。あんなところまで行ってから糸子を泣かせないでおくれよ。

そしてやはり少しだけ「風と共に去りぬ」的に、恋は終わりました。

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■12/01/28(土) □ 予期せぬジャムセッション
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萌を友達の誕生パーティに連れて行く。誕生パーティといっても大人も何十人もいる盛大なホームパーティで、知ってる人は1人もいない。こりゃ退散だと萌を置いて去ろうと思ったら、その家になんとグランドピアノを発見した。グランドピアノなんてある個人の家は初めて見た。―――あ、ギターもある。キーボードもマイクもある。アンプやミキサーや PA や録音機材も揃っている。なんという音楽的な家なんだ。

そしてちょうどピアノを弾けるお方がまさに着席するところ。これはやらせてもらうしかない。許可をもらってしょぼいアコースティックギターを手に取り、ジャムセッションを開始した。

ピアノマンはジャズ畑の人だそうで、「じゃあCmのブルースで」と弾き始める。Cmのブルースなんて聞いたことないよ(笑)。ギターでは無茶苦茶弾きにくいキーである。やっぱ鍵盤屋は別世界の住人だなと思いつつ適当に合わせる。ピアノにギターの低音弦カッティングが入ると、それだけでリズムが出て相当に気持ちいい。次の曲ではブルースハープ(ハーモニカ)が吹ける人が入ってきて3ピースバンドになった。この家はハープも各キーが揃っているらしい。なんて家だ。
だいぶあとで判明したのだが、このうちのお父さん(このピアノマンではなく、二度目のセッションでピアノを弾いたおじさん)はバンクーバーの演劇用に曲を作る作曲家らしい。

聴衆が徐々に集まってきて、ピアノマンが「Just the Way You Are(ビリージョエル)」を歌い始める。バーとかでこういうスタンダードをたまに歌ってるような人なのかもしれない。俺は当然コードは知らぬが、ピアノマンの音からキーを拾い歌に合わせオブリガード(合いの手)を入れていく。ピアノマンは俺の音を聞いて喜び、間奏でソロを渡してきた。音の小さなボロいアコギなので音量が足りず、それでもキュッキュッと高いピーク音を使い皆に聞こえるように弾き、お客さんを喜ばせる。


日本で「ボニーモロニー」などを
やってた頃
じゃあ次はEの3コードで頼むぜと俺が声をかけ、♪I went down to the crossroads, fell down on my knees. I went down to the crossroads, fell down on my knees. なんとかかんとかマーシー! なんとかかんとかプリーズ! と「クロスロード(クリーム)」を大声で歌う。歌詞はこれくらい覚えてればOK。ハープ男も一緒になって歌ってくれ、人もどんどん集まり盛り上がってきた。よおし。いいぞ。

最後はAの3コードのロックンロールリフを俺とピアノマンが弾き、ハープマンがハーモニカでソロを取る。しかし歌がないと盛り上がらないぜ。このコードで歌えるものは......と弾きながら考え、後半無理やり「ボニーモロニー(ジョンレノン)」を歌った。♪I got a girl named Bonny Moronie/She's as skinny as a stick of macaroni......―――いつからか知り合いのGYが来て聞いてたらしく、曲が終わると「トモすごいわ!」と抱きついてきた。いやー盛り上がった。よかったよかった。

萌は俺がギターを弾き知らない人々にウケてるのを初めて見て、「あれうちのお父さんだわ!」と遠くから声を上げ恥ずかしそうにしていた。親がすることはなんでも恥ずかしい年頃なので近くにはこないが、まあいいぜ。ロックンロールだぜ。

◇

パーティからの帰り際またセッションが始まり、ギターを他の人が使っていたので俺は許可を得て壁にかかっていたどこかアジアの三味線風なものを借り加わる。←これだ、アフガニスタンの楽器・ドタールだって。こんなものチューニングも弾き方(スケール)もわかるわけないのだが、シタールみたいな音がするのでピロピロとオブリガードに使うと案外気持ちいい。それにコードストロークでジャッジャとリズムを出して打楽器として使うと、グルーブ感が出てけっこうイケる。

だいたい酒が入ったパーティのジャムセッションなので、こんなワケのわからない楽器を弾いてる奴がいるというだけで笑える。盛り上がるのである。「レットイットビー」のソロをこれで弾いたらバカウケした。ちゃんと弾けてるわけないのだが、ギターソロのメロディは全員が当然知ってるので、三味線上で俺の左手がそのメロディに合わせ動くだけでエア三味線としてオオオとウケるわけである。

演奏後は「彼はトウキョウから来たパンクロッカーよ!」とGYからなぜか誤って紹介され、知らないお母さんがたにありがとうグレイトと抱き締めまくられました。いやパンクだったわけではないのだが(笑)、よかったよかった。サンキュー! サンキューバンクーバー!

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■12/01/29(日) □ ランドリーゲートの想い出
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PYG 時代の岸部一徳のベースがジョン・ポール・ジョーンズに激賞されていたという話をツイッターで知って驚き(井上堯之バンド「傷だらけの天使」のあのなつかしいベースラインも彼だったのだ!)、Youtube に PYG「自由に歩いて愛して」を聞きに行ったら、少女時代立川基地に住み、ジュリーを愛したというアメリカ人女性から驚くべきコメントがついていた。

私は 1969-73 年に立川基地に住んでいてジュリーの大ファンだったの。彼はテンプターズのショーケンと PYG というバンドを組んでいて、私たちは何度もライブを見に行ったわ。ジュリーはストーンズやエルトンジョンを歌って素晴らしかった。ジュリーとショーケンはその頃一番人気のあるロックシンガーだったわね。オープンリールで何本も彼らのテープを持ってるのよ(ポーラ)

オーマイグッドネス。旧米軍調布基地跡警備で働き、同僚が担当する立川基地跡にも何度も行った俺は「ここでどんな暮らしがあったんだろう」とよく想像したものだけれど、米軍基地に住み日本の音楽を聞いてる人がいたなんて。あの時代にタイガースや PYG を聴いてる外国の少女がいたなんて! 考えたこともなかった。すごい。うれしいではないか。

閉鎖後の立川基地に出入りできたわずか数人の日本人の1人である俺が、沢田研二→岸部一徳→PYGつながりでこの人に出会ったというこのエンカウンターもまたスゴイ(そういえば立川基地常駐の俺のボスも沢田研二の大ファンだった)。ポーラさんにそうコメントをつけると、圧倒されるほどのパッションで大長文メールが帰ってきた。

『13歳から17歳まで立川にいたのよ。アメリカに帰るときは、帰りたくないって飛行機の中でずっと泣いてたわ。当時の米兵は日本の人たちにひどい態度だったけど、私は基地の外で働いて、まわりは全部日本人の友だちで、大和基地のハイスクールでも日本語を取ったから日本語の上達も早かったの。ジュリーを見に何度新宿に行ったことか。彼はものすごくゴージャスで美しい声だったわ』

『あの頃の日本の素晴らしいライフのことなら、いくらでも書けるくらいよ。本当に友だちが恋しくてたまらない。日本に帰りたくてたまらない。もちろん今はもう昔と違うってわかってるけれど、それでもいつか必ず行くわ。そしたら間違いなく泣いちゃうわね。私はあそこに、心の一部を置いてきたのよ』


―――そうか。フェンスの外に友だちがいた立川基地の少女。この人は松任谷由実「ランドリーゲートの想い出」の女の子だったんだ。折り返し「ランドリーゲートの想い出」のクリップに英訳をつけて彼女に送る。ほら、これはあなたの歌ですよ。


ランドリーゲートの想い出
(Momeries of The Laundry Gate)

ふた駅揺られても まだ続いてる
Train has passed 2 stations already, and still I see
錆びた金網 線路に沿って
The rusted wire fence, all along the railroad

昔あのむこうを あの子と二人
I used to walk on the other side of the fence
風に吹かれて 歩いたものさ
Blown in the wind, along with her

男の扱い ピザの作り方
Ways to handle boys, how to make pizza
得意気な声が 目をつぶれば聞こえる
I can still hear her bragging tone of voice as I close my eyes

ジミヘンのレコードも返せないまま
I couldn't give her Jimi Hendrix record back
手紙を書く柄でもないし
Maybe I should write to her, but I'm not that kinda type

見送る約束 寝すごした日には
I couldn't make it to see her off, when I got the the old runway
古い滑走路に 夏草だけ揺れてた
Only I could see were waving summer weeds

16の誕生日 私にくれた
I even put on the bitter lipstick she gave on my 16th birthday
苦い口紅 つけて来たのに
to say goodbye

あの子がふるさとへ飛んでいってから
Since she has flown back to her home country
なぜか寂れてしまったランドリーゲート
the Laundry Gate became deserted somehow, I don't really know why


「これが自分にとってどれほど意味のある歌か、言葉にできないほどだわ」と彼女は答える。40年の彼方から美しい外国の歌となって甦る、甘い想い出よ。

彼女は立川に置いてきたんだ、本当の自分を。アイラブユーベイビー、ぼくらは、立川が好き。


Tachikawa AB Laundry Gate 1969 (C) TachikawaAirBase


追記(2012/02/11):ポーラさんが(米軍)大和ハイスクール時代の同級生にこの歌のことを話したら、「それは大和ハイに行ってたあの子の歌よ! もう亡くなったけれど、お葬式にユミが来て歌ったのよ!」と言われたそうです。―――なんだこの奇跡のめぐり合わせは。すごすぎるとポーラさんも私も絶叫状態。



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2012/01/30

日記「カーネーションが教えてくれること」

「安岡美容室ができるしあわせ」「ARBの再評価?」

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■12/01/16(月) □ 安岡美容室ができるしあわせ
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《カーネーション》奈津の件で重くつらい話が延々と続くのかと思いきや、その重さの全てが「安岡美容室開設」というおばちゃんの斜め上の発案で消し飛んでしまった。おばちゃんはあれからずっと考えていたんだ、おばちゃんが立ち上がるために奈津の存在が働いたんだ、かつて失敗したお節介と同じ糸子の、しかし苦労したぶん思慮深くなった行為が今回はいい方に行ったんだ、それがおばちゃんの凍りついた心も溶かしたんだと、人の心や思いが見ている自分の中でぐるぐるグルグル回り続ける15分でした。よかったー。ふう。

戦後の糸子は前と違う。いろんなところが違う。底を打って浮かび上がってきたからかな。繊維業界の会合で絡まれたときも、前だったら単に切れていただろうが、イラっとしつつ(この表情がとにかくたまらなく魅力的な糸子女優さんです)見事に応対してみせるところがいいなあと思う。

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■12/01/19(木) □ ARBの再評価?
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さあ思い出して、
夢に生きていた頃を
(灰色の水曜日:原曲)
最近日本でARB再評価旋風を巻き起こしているらしい『輪るピングドラム』の曲名一覧を見たらこれは、石橋凌というよりも第3期ARB@白浜久セレクションだな。彼が書いた「灰色の水曜日」は名曲だと思うが、全盛期ARBのファンである俺はこの曲以外第3期をよく知らないのである。

で全曲を試聴してみたら、オリジナルのままのアレンジでカッコイイのは「イカれちまったぜ」だけだった。「魂こがして」がマイナーコードの Jpop ディスコソングに、「バッドニューズ」「ダディーズシューズ」がバラードになっている。なんだこれは。ARBのビートをそのまま現代の若者に聞かせてやればいいではないか。「バッドニューズ」のあのリズムの切迫感自体がメッセージなわけで、現代の日本の抑圧されイラつく若者にだってあれを届けるべきではないか。―――まあこれのおかげで本家ARBも聞かれてるそうであまり文句をいってはいけないが、しかしアニメ関係者らしきアレンジャーはロックオーバーでもイカれちまってもトラブル中毒でもない人物なのは間違いない。

原曲を知らない第3期の曲は、正直ARBに聞こえない。石橋凌は当時メンバーが作ってきたこんな歌を歌うほどロック的バイタリティをなくしていたのか。うーん。―――まあ全ては過去のことだ。ARBの時代がいま改めて来たのならば、それは喜ばしいことだ。「ヘビーデイズ」を歌いながら働けば救われる魂が、日本にはたくさんあるはずだ。

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駄目だ駄目だ目を覚ませと自己を叱咤す糸子
(c) toyodaginpachi さん

《カーネーション》「小原さんが指導に来るって……聞いたけ」(ツンツンツンとイントロ)――こ、これは。糸子困りました(期待と不安)。

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■12/01/21(土) □ カーネーションが教えてくれること
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無料お試し中のネット映画配信 Netflix は映画の品揃えが悪すぎてレンタルビデオ屋の代替としてはお話にならんのだが、俺は萌と見る「桜蘭高校ホスト部」などが楽しくて、これらのコレクションを見終えるまで数ヶ月キープしたくなっている。で Netflix をTVで見るにはゲームコンソールが必要なので―――PCで見てるので特に買う必要もないのだが最新ゲームに興味がなくはないので―――、ALんところで萌がどんなゲームをやってるのかと尋ねてみた。


厚紙とフェルトの世界。おどろき。
するとやってるのは PS3 の「リトルビッグプラネット」だというので Youtube で見てみて驚いた。ソニックよろしく多人数が疾走していく横スクロールゲームで内容は一目瞭然なのだが、人形たちがいるそのステージが実写映像にしか見えない。次々に出てくる障害物が、舞台の大道具係が厚紙やフェルトで作った本物のハリボテにしか見えないのである。すごい。

それが動きしなりへこみキャラを弾く。つまり、人形劇の実写ステージの中を多人数が人形を操りドカドカドカーと疾走していくというゲームなのだ。こっれは楽しそう。ALのお母さんに見せてもらった Fable という RPG/アドベンチャーの映像は、FF9 等の発展型で CG による風景の美しさであり「きれいだなあ」でしかない。Youtube で見る FF13 も同じで、驚きはない。敵を切り倒していったり、長時間かけて剣と魔法でクエストをこなすということも今はやりたくはない。

しかし「リトルビッグプラネット」はこれは、異世界に自分が入っていけるという感じでかなり衝撃的だ。ここに行きたい、ここで遊びたいと思わされる。もしコンソールを買うとしたら、これに決まりだなと思う映像だった。

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《カーネーション》周防さんを好きになってしまった糸子が悩む。「かなわんなあ。人のもんやのに」。お父ちゃん、勘助、泰蔵にいちゃん、勝さんの顔が画面をよぎるだけで、見ているこちらの胸も本当に疼く。泰造兄ちゃんなんていつも道具をかついで横切るだけだったのに、こちらは糸子と奈津を通して見ているから存在自体が自然発光していたのだよなー。そこまで没頭できる観劇体験ってあまり記憶にないな。本当に素晴らしい。

ちなみに周防さんにいま日本中がクラクラなのも、みな木岡のおっちゃんと木之元のおっちゃんと松田さんしか回りに男がいない糸子の目を通して周防さんを見ているからだろう(笑)。

コーヒー屋の平吉が出てこなくて心配だというツイートを目にして、ほんと、あんな人の会合やら会話やらなんでも吹聴するおシャベリのお調子もんのボケナスでも、元気でいてほしいなと痛切に思った。俺は岸和田のあの町の住人の目で、あの町の人々を見ている。そういう気持ちを通じてこのドラマは、戦争は本当に駄目だと痛く痛く教えてくれるのである。